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2019年5月

月末の記帳と三菱UFJ銀行の動向 (5月31日・金)


10時に出て徳島空港。妻は骨折した左手にギブスをしたまま東京出張に行った。私はそのままUターン。ちょうど月末なので三菱UFJ銀行に行ったのだが駐車場はやっぱり満車。5台ぐらいが路上に停まって順番待ちしている様子。悔しいが諦めて藍場浜地下駐車場に車を入れた。1時間300円。

どうせ300円支払うのならと阿波銀行の個人口座の記帳に行こうとしたら192号の歩道橋は補修工事中。名店街の方まで回ってATMに行った。そう言えばアミコの中にATMがあったと思い出して徳島銀行の記帳。ついでに1Fに下りてゆうちょ銀行でもまごつくお年寄り2人を待って記帳。

記帳は12時頃だったから月末の入金はまだあるかも知れない。今までは「響」の練習ついでに記帳していたが次は妻を迎える来週水曜に行こうと思う。さて三菱UFJ銀行は紙の通帳の発行を原則止めるという報道があった。会社と個人で口座を持っているが調べてみると法人口座は対象外だった。

ネットバンキングの利用に法人口座は月2,160円もかかるから当然か。それより店舗を35%削減するというニュースの方が気に掛かる。徳島県に1つしかない今の店舗が閉鎖されることはないだろうと楽観しているが。今のうちに入金用の口座を他に変えておこうかと考えたり。

ヨドバシGOLD CARDのETCカード (5月30日・木)


Facebookで元同僚のY内氏がiPhoneにモバイルSUICAを登録したと投稿していた。これまではPASMOに東急が発行したJALカードTOKYU POINT ClubQを紐付けてオートチャージできるようにしていた。この構成はY内氏と私で全く同じ。設定した12年前はPASMOがSUICAより使い勝手が高かった

PASMOには現在メインで使っているクレジットカードであるヨドバシGOLD POINTカード+を紐付けたいがオートチャージに対応していない。一方でSUICAにオートチャージができるのはJR東日本が発行するビューカードだけだがiPhoneアプリには手動でチャージすることはできる。

SUICAが使える範囲は広がった。そしてiPhoneでSUICAは使えるがPASMOは登録できない。それならiPhoneアプリの利便性を採ってSUICAにする方法もある。 東京に頻繁に行くわけではないので手動チャージは妥協しよう。ヨドバシのポイントも貯まる。徳島でも買い物のときにiPhoneだけで済む。

と調べていてヨドバシGOLD POINTカード+の2年前に加入したプレミアム会員ETCカードが2年目以降も無料だと知った。既にSUBARUカードのETCは持っているがヨドバシならポイントが1%付く。思わず申し込んだ。SUBARUのETCカードは余るが予備として妻に持っておいてもらおう。

日赤とパイプ洗浄剤 (5月29日・水)


妻の骨折の診察日。2週間ぶり。13時前に出て小松島の岡本中華でラーメンを食べようとしたのだが場所を知っているつもりがあっち行ったりこっち行ったり。10年前に小松島出身で横浜のBPQことI村君がお土産で岡本中華のレトルトパックをくれて以来いつか行こうと思いつつ未体験だったのだ。

でも臨時休業の貼り紙。結局やまなみ珈琲でカレーを食べた。日赤に着いたのは14:20頃。妻を降ろして駐車場には入らずコーナンでパイプの詰まり除去剤を購入。先日来シャワーの後数時間で臭うのである。コメリで買ってきて使っているがなかなか効果が出ず別の商品を買ってみた。

日赤に戻って待合室。骨折の回復は順調なようだがギブスは少し短くなっただけで固められたまま。次の診察は2週間後。帰りにローソンでお菓子を買った。毎晩ビールと焼酎を飲んでいた妻は禁酒3週間近くになって甘い物が欲しいのだとか。人は変わるものだと帰りの車で大笑い。

さてパイプ洗浄剤はコメリのオリジナルを使ってきたが今回はあまり効かない。先日ジョンソンパイプユニッシュを使うと一度は効果を感じたがやはり臭う。少しずつ使ったのが悪かったかと今回はコーナンで買ったユニリーバ・ドメストパイププロを1本使ってみた。今のところ効いた様子だが。

ドラマ「白い巨塔」とボールペン (5月28日・火)


テレビ朝日開局60周年記念という5夜連続のドラマ「白い巨塔」を昨夜見終えた。財前が岡田准一で里見が松山ケンイチ。3話ぐらいまで観ても思い出すのは唐沢寿明と江口洋介の顔ばかりで前回のドラマの方が印象深い。あんな専制な医者は今はいないとかツイッターでも議論になっていた。

とはいえ現代版にリメークされたドラマはまずまず面白かった。ちなみに前回版はいつ見たのかと調べてみると2003年から2004年。この日記にも記述があった。学生のときに読んだ原作小説のこともちょうど3年後に書いていた。入院中の弟が大学病院の病室で再放送を観ていたことも書き留めている。

さて今日午後にA社のボスK氏と電話するのにメモを取るボールペンを選んでいた。いつも決まったボールペンを使うのだが壊れていてペン先がすぐ引っ込むから別のものを探していたのだ。デスクの引き出しには30本ぐらいある。でも30年前からあるようなものもあって書けないものばかり。

壊れていないペンに書ける芯を差し込もうしたら元に戻せなくなったり。30本あって書けるものは3〜5本程度。シャープペンも数本あった。もらうたびに溜め込むだけで結局使えなくなったボールペンは処分しないといけないのだが分解して分別する必要があるのだろうか。面倒なことだ。

夏の準備と禁酒 (5月27日・月)


この土日は全国的に暑くて特に北海道では昨日35度を超えたところが多かったらしい。上勝の夏は短いがそれでも暑くなってきた。ただ鉄筋3F建ての住宅は内装が木だからか部屋の中の季節は1月ほどずれている。暖房は4月中旬に終えたが今度は部屋の中がひんやりしているから窓を閉めていた。

それも先週から窓を開けている。上勝の気温は今がちょうどいいかも知れない。日中はTシャツ1枚で過ごすことができる。ただし昨日と今日は暑かったから逆に窓は閉めっぱなし。夜になると外気の方が下がるから窓を開ける。室温はだいたい24度から25度ぐらい。

寝室でも12月に買ってパジャマにしていたジャージを洗濯した。もう寒くなることはないだろうと他の冬の間の部屋着も洗濯に回した。PCの上に置いている小型のUSB扇風機は既に稼働しているのだが今日になってトランクルームから扇風機も持ち出した。これで夏の準備はいいと思う。

さて妻の禁酒は17日目。私も先週木金と飲まなかった。穴吹までドライブに行った土曜の夜はいつものキリングリーンラベルを1Lだけ飲んだが未明に目が覚めたとき少し気分が悪かった。飲まない日の方が熟睡できるので昨日も今日もまた禁酒。いつまで続くかな。

穴吹の思い出 (5月26日・日)


美馬市穴吹に昨日行ったとき何度か来たことがある昔話を妻とした。1つは「響」のS氏が教師をしていた穴吹小学校で何度か演奏会があって前夜ブルーヴィラ穴吹で泊まったこと。私が参加した2回目は吉野川北岸の古いビジネスホテルに泊まったか。四日市にいる元J社のF田氏と同じ部屋だった。

97年か98年のJ社の新人で沖縄出身のT良君を車に乗せて行ったこともある。徳島に戻ってから部屋の鍵がないと言う彼ともう一度往復した。ブルーヴィラ穴吹には「響」で第3回定期演奏会に向けて2007年3月に合宿もした。私は東京から参加したが熱が出て2日目は母に迎えに来てもらって帰った。

穴吹では河原でキャンプをしたこともある。あれも東京時代のこと。テントはどうしたんだろうと昨日は疑問だったがM嬢から借りたらしい。このとき泊まったN君は先日上勝を離れた彼だしF君には地元の2年前の秋祭りで三味線を弾いてもらった。日中に焼けた石で暑く寝られなかった印象が強い。

移住先候補として古民家を見学したのはその翌週だった。60歳代のご夫婦は子の家がある上板だか吉野に引っ越すと言っていた。携帯電話の電波が入らなかったから断ったがあの家がどこだったか昨日はもう分からなかった。穴吹に住むと空港は遠かったよねとか昨日は妻と話したのだった。

穴吹の神社巡り (5月25日・土)


11年前に徳島の後輩M嬢から林博章『日本の建国と阿波忌部』をもらっていた。同じ著者の『倭国創世と阿波忌部』は2010年7月の発行間もない頃に書店で見つけて買っておいたのだと思う。妻がなぜか忌部氏について調べ始めたので500ページを超えるこの本を渡したら最近ずっと読んでいる。

そしておそらく何百と紹介されている徳島の神社から行きたいところがあると言う。というわけで今日は徳島西部の神社巡り。11:40に出て初めて行く藍住の王王軒でラーメン。最初は山川の忌部神社。国道192号から南に入った山裾。でも工事中で通行できず階段下にも駐められず参拝は諦めた。

次に穴吹に行ったが妻が地名で登録したナビに従うと軽トラしか通れない道に入り込みやり直し。スマホのナビで着いたのは白人神社。駐車場にダンプが頻繁に出入りする。次に長い階段を上り不思議な石積みの神明神社。私の直前に着いていた40歳ぐらいのきれいな女性が上がって来てご挨拶。

香川からご主人を温泉に置いて一人で来てみたと。徳島の神社情報を教えてあげた。続いて穴吹を奥へ行き石尾神社。途中3kmほど行き過ぎて戻り車を置き獣道を登る。穴吹の最高気温30.7度の暑さもあって途中のお堂で挫折。車まで下りて小さな滝に行って帰路。エマルジョンで夕食。20時前帰宅。

書類や消防団資料の整理 (5月24日・金)


昨夜は禁酒している妻に付き合って私も飲まなかった。今朝は10時半からA社のボスK氏と電話で原稿の打ち合わせ。そんな難しい内容では誰も読んでくれませんよと言いつつあれこれ聞いて暗澹とした気分で書き始めたものの午後には案を送付。混沌としたアイデアから文章の形にするのは楽しい。

一旦妻とコンビニまで買い物に行き夕方からデスク周りの整理を始めた。DELLの割引きは8,000円まで後退してしまったのでPCの購入は6月中旬まで様子見になったが昨日までがんばって片付けてきた勢いを中断させては心が折れる。今度はデスクの右に置いてある金属ラックの整理に取りかかった。

ここは仕事のメモや講演の資料やパンフレットを単純に重ねて置いてある。まずは床に広げて分類から。講演資料などは有用だと思うが例えば2年前に受けたものを今まで見返すことはなかった。これからもない。それなら不要だろうと捨てることにして。15cm堆積していた書類が3cmになった。

次にクリアファイルに分散して置いていた地域や消防団の資料の整理。地域のものは見直すことはないので分類の上クリアファイルに詰め込んで平置き。消防団関係は辞令や研修の修了証書を含め年度別に分類して1年半も前に買っておいたポケットファイルに入れてようやく整理できた。すっきり。

ゴミ出しとサイドワゴンの片付け (5月23日・木)


PCはもう発注すると書いたのにDELLのサイトで20%オフは今週月曜で終わった。さっさと注文すればいいものをダラダラ後回しにしているのはPCをセットする環境にある。デスクも買い換えるつもりだが片付けるのが面倒なのだ。特にサイドワゴンには書類や小物が地層のように重なっている。

その前にデスクを搬入するためにもプリンタ前に置いた古雑誌類を片付けなければ。それで火曜にまずプラなど4袋をゴミステーションに持ち込み火曜夕方に新聞や雑誌類を束ねて水曜に出した。何と16束。さらに溜め込んだ段ボールも昨日束にしてた。8つだったか。これは今日持ち込んだ。3日連続。

夕方から懸案のサイドワゴン。デスク左に密着しているから何でも置いてしまう。何のものか分からない小さなプラケースや文庫本を発掘。歯間ブラシやハンドクリームの類もいくつも出てきた。前に片付けたと記述があるのは2013年だがIIJ mioの設定シートが出てきたから3年ぶりかも知れない。

まだデスクの上には古い日経パソコンや楽譜の類が積み重なり名刺の束が4つに分かれて置かれ他にも細々したものがあってこれを片付けないといけない。机の下にも小さな箱類がある。引き出しの中も整理する必要があるからデスクの前に引き出し付きのサイドワゴンを買って移行させないと。

N田君の転出と草刈り (5月22日・水)


月曜の夕方に雨の中をN田君が転出の挨拶にやって来た。3月末だったか同じく雨の日に来てくれたのだが妻が出張中で改めて。月曜に徳島での最後の仕事に行って佐賀に引っ越したようだ。元J社の後輩でキャンプ仲間。上勝に移住したのは2010年だった。その後一度転出して再び住んでいた。

一度転出したのは上勝TVのスタッフだったのに2011年5月の配信日に来ずそのままいなくなった。無断欠勤の上に挨拶もなかったことで私も妻も怒っていたのだが仕事で精神的に追い詰められていたらしい。上勝に戻ってから会うようになって何度か文句を言ってから最近は普通に話していた。

今度は名の知られた某氏と知り合い誘われて仕事をするらしい。給料や住処などを聞くと大丈夫なのかと不安にもなるが今までもカヌーやスキーをしながら流浪してきた彼のこと。何とかなるだろう。また数年後には会うことになると思う。だから最後は「さようなら」ではなく「またね」と挨拶。

火曜は草刈り機に1割ほど残っていた昨年の燃料で今季初の草刈り。車で出るとき見通しが悪かった駐車場の東側だけ。ところが植え込みに埋まった照明に当ててしまった。ガラスは元々壊れていた様子だが何かのときに役場に伝えるつもり。すっかり夏の天気で車にフロントガラスにサンシェード。

合唱の面白さとは 2 (5月21日・火)


歌い込めばコンクールでも楽しんで歌えるかも知れない。しかし元々そんなに技術のない私がどれだけ歌い込んでも指揮者は満足しないだろう。練習のときも細切れに歌うから全体像が理解しにくいような気もする。全体は指揮者が理解していて勢い私は約束事を守ることで精一杯という構図。

そもそも高校で合唱部だった私が大人になって32歳で誘われたとき今さら合唱などする気はないと答えた。でも混声ではなく男声だと言うから興味を持った。それまで男声合唱を聴いて2度感動したことがあったから。団長と指揮者は中学の同級生で皆が同年代ということで気安かったというのもある。

それにもまして指揮者の下ネタや皆が冗談を言い合う練習が楽しかったから続ける気になった。練習が終わると皆で焼き鳥屋に行ってビールを飲むのも楽しかった。1995年秋からだから仕事が苦しくて会社を辞めることばかり考えていた時期でもあり歌ったり冗談を言う練習が息抜きになっていた。

徳島に帰った10年前からは9年のブランクを経て徐々に上手くなる実感があったから楽しかった面もある。でも指揮者の要求レベルに比べて年齢もあってか私の技術は頭打ちか下降傾向。指揮者の怒声も増えて本番に追われる感覚。そう考えると楽しくないのに続けているのはただ惰性かも知れない。

合唱の面白さとは (5月20日・月)


昨日は「響」の練習日だったが敢えてサボった。この10年でも最近1年でも練習の出席率は私が1番かせいぜい2番なのだが練習が面白くないと書いた先週来そろそろ辞めることも考えていてわざと休むとどんな気分かと試してみたわけだ。結果は小旅行中だったこともあってか何とも思わなかった。

そもそも合唱の面白さとは何かと考えると私が歌った経験の中で感動したのは10年前の徳島での180人の男声合唱。次が9年前に阿南で歌った160人の混声合唱。これらが大人数だったことは影響していると思う。今の「響」は15人程度。大人数だと「響」では得られない面白さがあるのだとは思う。

ただ人数がどうあれ聴く人に感動を届けるなら技術は必要だと思ってきた。だから厳しい練習も私は好きだったが合唱そのものが楽しいかと言えばそうでもない。音程や音量やテンポに歌詞とか約束事が多くて自由に歌う感覚ではない。上手く歌えれば小さな達成感はあるが練習ではあまり感じない。

歌って楽しいのは2度の定演とコンクールでも歌った組曲「阿波」の曲などを余興や宴会で披露するときか。音程や表現などの約束事を意識せず歌えるから他のパートとのハーモニーを感じて面白かったりする。つまり約束事を意識せず歌えるほど歌い込めばコンクールでも楽しめるということか。

香川小旅行 (5月19日・日)


左手首を骨折して引きこもっている妻が落ち込んでいるので遊びに行こうと天気の悪そうな南方を避けて香川に行った。 11:07出発。こはくの天使でコーヒー豆を買って鳴門ICから志度ICまで高速を使い妻が前夜調べた目的の店に着いたのは13:15頃。インスタ映えするサンドイッチを食べた。

続いて一般道で高松の田村神社。讃岐国の一宮らしい。でも大麻比古神社や昨年行った土佐神社に比べ境内は狭くいろんな造作物がある。モンゴルの寺みたいだと妻が言う。晴れていて暑い。ここから弘法大師生誕地の善通寺。大きな境内に樹齢1200年という楠木がある。16:45に出て何となく西へ。

すると水面に映り込む夕日ポイントで人気という父母ヶ浜が近いと妻が調べて行ってみた。ここの写真はテレビで観たことがある。行ってみると臨時駐車場があり広い海岸に若者が大勢。曇っていたし夕日には早く風もあったが面白い写真を撮った。確かに楽しい。とにかく広くてびっくり。

夕日が見られないかと海岸を南下していると銭形展望台の看板を見つけて行ってみた。小学校のとき来た記憶はある。でもこんなに遠くに見えたっけか。そこから三島川之江まで行って高速に乗り徳島道を藍住で下りて妻が調べたバターチキンというカレー専門店で20時頃に夕食。22時過ぎに帰宅。

運転代行 (5月18日・土)


運転代行を初めて使ったのは30年前だ。多分1988年だと思う。何の飲み会だったか住友生命の外交員T原さんと一緒にいて紺屋町で代行の選び方には注意するようにと言われた。目つきや顔をよく見て選ぶようにと。当時は携帯電話がないから街で見つけるしか方法がなかったのだと思う。

上勝に来てから最初の代行さんはロングバーで呼んでもらった未来運転代行だと思う。40歳前後の夫婦で子が中学生ぐらいと言っていたがずいぶん前から連絡が取れなくなった。次は鳴門の従兄弟の馴染みの再会運転代行。ここも夫婦だが年齢が当時80歳ほど。3年ほど前に引退すると連絡があった。

その後に使った小松島の「はやみ」は料金が一定せず「よしみ」は元奥さんが上勝傍示の人と言うので何となく敬遠。昨年3月から紺屋町で拾ったダイイチさんばかり。佐古の人で昼は空港タクシーに乗っているという運ちゃんは私と同じ歳で結構話が弾む。金土の相棒が女性で木頭の人とか。

そして昨日はダイイチさんがダメというので栄町の入口で拾った「あすなろ」。60歳代の夫婦だが言葉が丁寧だし好感を持った。1晩に200km以上を走る代行さんにとってガソリン代や月1回以上のオイル交換代が不要で電気代1日400円程度の電気自動車がいかに有用か説明してくれて面白かった。

ウォーキングのち喜屋武さんと (5月17日・金)


骨折した妻は出張をキャンセルして今週は上勝にいる。でも事務所にいても座っているばかりで身体が鈍る。夕方になり歩いて来るというので私も一緒に出た。と言っても住宅の周りをぐるぐる歩くだけ。10週ぐらいしたか。M繁氏の奥さんが出てきたので先日のジュースの余りをあげた。

そして18時半に出て徳島。定演の帰りに会った松浦酒造前社長の喜屋武さんを誘って飲みに行ってきた。私と同期のK野も一緒。喜屋武さんに教えられた両国橋北の居酒屋という店。カウンターだけ。生ビール3杯ぐらい飲んだか。次は「響」の練習帰りに通って若者が多いと思っていた両国橋の酒猫。

日本酒の酒蔵の人なのにワインが美味しいよねと私も飲んだ。今後の真剣な話があるのかと思ったが普通の飲み会。先々はどうしようかなとは言っていたが沖縄は暑いから徳島がいいんだとか。今の社長の話も聞いたし昔話も。元J社の諸先輩方との関係や悔恨などを伺う。

2人は駅の方に歩き私は秋田町へ。とりあえず有美ちゃんのマンテンサン。従兄弟から8,000円の飲み代が先払いされていて今日3,700円を使った。いつもの代行さんに電話すると津乃峰に行くというから栄町で新しい夫婦の業者さんを拾った。日産リーフに乗っている。その話とか。1時半帰宅。

新キーボードの1週間 (5月16日・木)


新しいキーボードを使い始めて1週間。想定通り椅子の肘掛けに腕を置いて打つことができるから楽である。右肘を起点に手を右に動かせばマウスを握れる。エルゴマウスは大きくてリストレストを置くと手首の活動量計が邪魔になっていたが今のマイクロソフトマウスはいい具合だ。

キーボード自体は当初「9」「0」「−」の入力でそれぞれ右隣のキーを叩いてしまっていた。右手の上段にあって中指か薬指を使うキーだ。キーボード自体がハの字になっているから今までの感覚では指が右に行き過ぎる。左手が担当するキーはそれほどでもなくだいたい正しく打てる。

右手が担当する上段のキーも1週間で微調整をしてだいたいうまく打てるようにはなってきた。バックスペースとエンターキーとSHIFTキーもなぜか右手だけ戸惑っていたが慣れてきた。打てなくては困るのだがキーボードに対する順応性はあるものだと我ながら感心している。

改めてキーを見ると右手側のCTRLやALTは使ったことがない。その分SHIFTや矢印キーを大きくしてくれればもっと使いやすいかも知れないがなるほど私の癖がよく分かった。ちなみにテンキーはホームポジションから手を離して使うから独立していて正解。机が広く使えてグッドだ。

日赤と消防点検 (5月15日・水)


未明4時頃目が覚めると吐き気がしてトイレに行った。でも吐けないまま気分がどんどん悪くなり廊下で横になっていた。20年前に福岡の部屋で大便後に貧血で寝込んだときのことを思い出した。飲み過ぎでもないのに。結局下痢でその後ベッドに行って寝ることはできた。妻も昨夜は下痢だったとか。

今日はコーヒーを飲んでから13時頃に出たが2人して体調が悪いので小松島ルピアの中にできたセルフうどん「やま」。ルピアに行ったのが数年ぶりだ。そのまま徳島赤十字病院。妻の骨折の診察なのである。14時半頃に着いてレントゲンの後は待つこと1時間以上。診察は3分ほどで16時過ぎに出た。

骨折箇所がずれていれば手術でプレートを入れる予定が幸いにもずれておらずそのまま様子を見るのだとか。骨が着くことに期待して次の診察は2週間後。ちなみに酔っぱらって転倒したのが原因なので妻はもう酒を飲まないと言っている。そのつもりで当面止めるのはいいと思うがいつまで続くか。

夜は消防点検。消防車のポンプで放水をするもバッテリ上がり。F沢君が運転して中央まで往復。戻って充電器を繋いだ。何代か前の分団長T氏が帰り8人でビール。昨年11月のイモスープの話を6回ほど繰り返したY機械部長とS氏とH分団長に元役場N氏と役場現職3人M氏T君F君。21時過ぎに解散。

マルナカで2組の知人と (5月14日・火)


左手首とは言え骨折した妻に料理は難しい。今日はもともと15日付の銀行振込のため徳島に行くつもりだったので妻にも同行してもらい帰りに外食しようということにしていた。ユニクロに寄ってから簡単に食事が作れるように冷凍食品を買いたいと言うので西新浜のマルナカ。

広い駐車場の東側に車を置いて歩き始めたときヴィレッジカキハラから出てきた男女に気づいた。あちらも妻もお互い同時に気づいたと思う。2人ともそれぞれ話したことのある上勝の住民だ。ただし1人は既婚者。男性は困った顔をしたように見えたし気のせいか女性は顔を赤くしているように見える。

距離20m。お互い近づきかけたがふと見てはいけないものを見たような気がして妻を促して話をしないままマルナカに入った。おしゃれな雑貨店から揃って出て来た2人の関係についていろいろ妄想して妻とあれこれ。ともかくカプリチョーザでスパゲティを食べてからマルナカで買い物。

今度はK嬢がいたと妻が言うので探して見つけた。小学1年の息子と一緒。しっかりしているが5年生相手に喧嘩してきたとか。ほどなく上の女の子も来て久しぶりに話した。ソフトクリームを落として泣いたよねと話したがあれは8年前。小学1年だった彼女も中学3年と。いろいろあった今日のマルナカ。

The Doshisha Timesと絵はがき (5月13日・月)


同志社校友会に終身会費を4月に支払ったわけだが先週になって会報誌「The Doshisha Times」が郵送された来た。1ページの左肩には「聖句」として聖書からの一節があり右肩には新島襄の言葉がある。母校はなるほど新島襄が設立したキリスト教大学だと思い出させてくれる。

タブロイド判B4全8ページのフルカラー。1部110円だと書いてある。大懇親会が行われたという写真の中にグリークラブの演奏があったと写真もあるが20人少ししかいない。私が学生だった頃は100人を超えていたのに寂しいものだ。卒業式・学位授与式でもグリークラブが歌ったらしい。

このThe Doshisha Timesと一緒に絵はがきセットも届いた。水彩画を印刷したものだがモチーフはキャンパスにある建物。150年近く前に建てられた重要文化財のチャペルなど。知らない建物は1987年に開校した田辺校地にあるものなのだろう。どれも赤煉瓦造りで美しい。

私は1988年3月卒業だから田辺校地は1年だけ知っている。と言っても授業も研究室も京都御所北隣の今出川キャンパスにあったから田辺はほとんど知らない。今出川にしても15年前に行っただけ。また訪ねてみたいが工学部は全て田辺だと思う。そちらには思い入れはないんだが。

妻の骨折と「響」の練習 (5月12日・日)


妻は左手首を骨折して不自由をしている。固定された手首から指先は出ているが動かすと痛いらしい。と言っても昼食にうどんを作ってくれて一緒に食べた。ただ車の運転はできないということで今日は昼食後に一緒に買い物。コンビニまで行ってスーパーにも寄った。

一方で「響」の練習は今日から再開。1週間前に定期演奏を終えたばかりで気分が乗らないのだがコンクールに向けて課題曲の音取りをするのだろうと考えると行った方がいい。ところが課題曲は以前の定演で歌ったことがある曲。それを先に言っておいてくれれば予習して行ったのに。

歌ったことがあってもなかなか思い出さず指揮者の怒号が飛ぶ。演奏会が終わったばかりで何もそこまで言わなくても。3月と4月の練習がタイトだったから合唱はしらばく遠ざかりたいし面白くない。しばらく合唱は休もうかと思ったり。いずれにしても厳しい練習をするのはあと2年が限度と思う。

練習から帰り本当は昨日の予定だった飲み会に行って来た。同い年のS氏宅で中学の同級生F氏が来て。本当はT氏も来るはずだったのに昨日も飲んで今日はダウンしているらしい。同級生3人で昔の映画館の話など。2人は日本酒で私はビール2本。23時半頃解散。帰宅して薄い焼酎1杯だけ。

いっきゅう宴会と妻の骨折 (5月11日・土)


昨日土曜は妻が委員をしている地元のグループ1Qの宴会だった。地域の若手との交流会という感じで18人とM繁氏夫妻の1歳と3歳の女の子も。2人を除けば最年少は20歳のN君。今年役場に入った33歳も。その33歳I君は私の事務所の真上に入居したのに挨拶に来ないと私と妻がジャブを出して。

その彼と同じテーブルで話してみると中学と高校の後輩と判明。18時半集合で町内ボランティアタクシー3台で行きとっと屋さんで飲んで歌って22時半まで大騒ぎ。昨年から住んでいる39歳Y嬢と話をして帰りも私だけ彼女の車に乗った。あとは事務所で2次会。8人だったか。1時過ぎに解散した。

その前に妻が自分のデスク横で転けたまま。ICレコーダーに録音していたのだが広い方に体を出して水を飲ませ。45分格闘して動かないので布団を掛け私は横で銀マットとシュラフで寝た。7時の時報で目覚めた彼女を寝室に行かせアクエリアスを買って飲ませS氏が忘れたバッグを8時を待って届けた。

と倒れたときから左手首が痛いと言うから17時前に出て徳島赤十字病院救急外来。17時半過ぎに着いてローソンでパンを買って食べいなり寿司もお茶と一緒に。2時間待ってレントゲン。骨折しているとかで形成外科医が呼び出され処置をされ22:40頃に病院を出た。丸5時間。帰宅してカップラーメン。

マイクロソフトの無線キーボード (5月10日・金)


買い換え予定のPCは割引額が今まで週替わりで8,000円とか2万円だったところ連休が明けて20%になった。10万円以上だと2万円割引より安くなるので来週にも発注するつもり。今回の買い換え検討で気づいたのだがDELLはキーボードとマウスなしでも注文できる。それなら別途用意してもいい。

先月買った椅子は肘掛けが動かせるのでデスクに向かってハの字に狭くしているがキーボードを使うには微妙に広い。というわけでPC用キーボードを買った。見つけたのがマイクロソフトのL5V-00030 [Sculpt Ergonomic Desktop]という機種。左右の手を空けて置けて肘掛けに合うように見えた。

今までマウスがキーボードの右端に当たることもあったから テンキーが別になって幅が狭いのも良い。上段キーの打鍵感が違うとか壊れやすいという評価もあるが使いにくければ今までのものに戻すつもりで。 有線版があればよかったのだがケーブルが邪魔なのは確かなので初めての無線キーボード。

マウスを後付けすると受信機が2台になるというのでセット品にして今日届いたので早速使っている。先日買ったマウスは大きいのが難点だったが今回のは具合がいい。キーボードはTABの反応が悪かったが強く押し込んだら直った。まだミスタイプ連発だが慣れるだろう。肘掛けとの相性は良い。

運転免許証の更新と年金事務所 (5月9日・木)


運転免許証の更新手続きに松茂のセンターに行って来た。手続きは3月29日から可能だったが新元号になるのを待っていたのだ。モスバーガーで昼食をとり13時半頃に到着。前の空港ビルだがここに来るのは2回目だ。言われるままに窓口3つと視力検査を経てゴールド免許なので30分間のA講習。

講習の内容は徳島県の交通事故件数の遷移とか。そんな話が免許更新者に必要だろうか。バカバカしい。そこで交通法規や安全のため留意すべきことを復習しようと勝手に交通教本を斜め読み。講習の最後で説明もあったが免許区分が変わり高齢者の講習制度が最近のトピックのようだ。なるほど。

14:45頃には新しい免許証を受け取って川内に行って今日も洗車。三菱UFJ銀行で記帳をしてからみずほ銀行に回って振り込み。間違って二重に支払ってきた会社に振込手数料を差し引いた上で返金。次に沖浜の徳島南年金事務所。役員報酬を改定したので書類をもらって現地で記入。

分からないカ所があったので説明を受けて全て書き終えたところで標準報酬月額の変更が1段階だと手続きは不要だと教えられた。知らなかった。過去にやった改定は2段階以上だったのか。書類は無駄になったが仕方ない。帰宅途中スーパー杉屋に乗馬帰りの妻が入って行くのを見つけて手を振って。

Wi-Fiルーターの移動とLANケーブルの整理 (5月8日・水)


事務所のWi-Fiルーターの電波は自宅に届きにくい。前に書いたのは昨年9月。その翌月にはWi-Fiが弱いときモバイル回線を切り替える設定をオフにした。その後は自宅で弱いながらもWi-Fiを使ってきたが最近入感しないことが増えた。通信データ容量が逼迫しているわけではないが気になる。

それで前から考えていたのだがWi-Fiルーターの位置を自宅寄りに変えてみた。これまでは自宅から遠い側の窓寄りに置いていた。LANの大元と妻の執務スペースにあるハブの中間。そのため位置を変えると2本のLANケーブルの取り回しを変えなければならない。これが面倒で先延ばしにしてきたのだが。

まずは通信不調が続いてLANケーブルの問題を指摘され交換した古い方のケーブルを撤去。窓の上を這わせていたがNTTが他のケーブルと結束させていて一部を切断して外した。と結束バンドがLANケーブルに食い込んで歪んでいるところを発見。通信不調の原因はNTTが作ったのではないか。

ともかく交換していた新しいケーブルをルーターとハブの間に使い大元とルーター間は手持ちの1mほどのケーブルで接続。合わせてIP電話も移動させたから電源ケーブルも整理した。長いLANケーブルは窓の上を通せばすっきりするがそれは次の作業にする。自宅のWi-Fi感度は上がったと思う。

DNAスイッチと音楽の能力 (5月7日・火)


録画していたNHKスペシャル「シリーズ人体II遺伝子」を昨夜観た。DNAの2%が遺伝子で残り98%の中に特殊な機能があることが分かってきたという内容。次回で詳しく放送されるのだと思うが98%の中には特殊な能力をオンにするスイッチのような働きもあるらしい。

それで思い出したのが「響」定演の打ち上げで話をしたS水君。「響」では最初に音を覚えるとき階名を移動度で書き込む。ハ長調のファにある音符はヘ長調ではドになるという具合。シャープもフラットもないハ長調なら私でも楽譜から階名を読めるがハ調以外だと書き込まないと混乱するのだ。

指揮者のS神はじめ何人かの相対音感のあるメンバーは移動度で階名を読めば音を取りやすいのだと思う。ところが私と同じセカンドテナーで歌う徳島大学工学部の大学院に入ったばかりのS水君は訊けば移動度の階名ではなく五線譜の音符からダイレクトに正確な音程を取る能力があるらしい。

彼は移動度だと逆に混乱するらしい。そして音楽の専門教育を受けたわけでもないという。子どものころから普通にできていて中学で初めて他人にはない能力だと気づいたと。つまり譜持ちなら初見で歌えるわけだ。そういう能力が今からでオンにならないかと昨日のNHKを観て思った次第。

「響」第9回定期演奏会 2 (5月6日・月・休)


3日の「」のステージについて詳細を記録しておく。1曲目は「からたちの花」。山田耕筰の曲を8年前に練習と演奏会の2回来ている現在35歳の北川昇氏が編曲。初演だったとか。幕が上がる前に指揮者が「からたち」を「から松」とふざけて言っていたら本番で間違って歌ったと団長が怒っていた。

1ステの「弥三郎節」は楽譜を頭に叩き込もうとしたが今まで歌い込んできたおかげで感覚だけで歌えた。2ステは千松小学校OGの中学1年生6人が3曲を目の前で踊って一部は私たちも振り付きだが何とか間違えずにできた。5曲目「群青」は冒頭から涙声。何人かが泣きそうになって歌ったと言っていた。

4ステ前に団長がスポットライトの中を挨拶。演奏曲「花に寄せて」の説明で声を詰まらせていた。この組曲を歌ったことがある人には涙の意味が通じたのだろう。クロージング「父の唄」は「遠くゆけ息子よ」とS先生がソロを歌う。我々の年代の男声合唱団に相応しい。感じてくれた人もいたようだ。

いつも最後に演奏する「見上げてごらん夜の星を」で「2人なら苦しくなんかないよ」と歌っていて泣けてきた。全18曲。3月までは暗譜するのはとても無理だと思っていたが4月下旬になると大丈夫と思えるようになった。これが経験というべきか開き直る力というものか。でもしばらくは休みたい。

甥の見送りと日記20年 (5月5日・日・祝)


弟はもともと高松7:35発のANAに乗るつもりが満席になったと。弟は社員の家族扱いでANAはタダだから空席がないと乗れない。高松発だと朝5時過ぎの出発予定だったが9:17に鳴門西PAからバスになったから朝は8時前起床で間に合う。でも6時半前には目が覚め8時前から準備を始めて8時半出発。

鳴門西PAは一般道から人だけ入れるが周辺に駐車場がなさそうなので板野ICまで行って高速に乗りPAで駐めた。実家からは20分ちょっと。バス停で写真を撮ったりしつつ待ったがバスが来たのは15分遅れの9時半過ぎだった。甥に手を振り母と妻を乗せ実家に戻り「秘密のケンミンSHOW」を観て。

自分たちの荷物を片付け11時に実家を出て前にも行った勝占にあるエマルジョンでグラタン。自宅には13時頃に帰った。甥と遊んだのは今回1日半だけだったから楽だったが「響」の定演もあり疲れた。夕方になり粘着力が落ちてビニールテープで留めていたレーダー探知機の基台を外し水洗い。

さてこの日記は福岡時代の1999年5月3日に始めた から丸20年+3日。5年ぐらい経ったときは「よく続いているものだ」と自分でも感心したが毎日の習慣になっているので「まだたった20年か」という感覚。続けることを目標に始めたからこれからもそのつもり。引き続きよろしくお願いします。

上勝でアメゴ掴み取り (5月4日・土・祝)


昨夜の日記は誤字だらけ。飲み過ぎたようだ。明け方になり水を飲んだが朝になっても気分が悪い。アクエリアスを妻に買ってきてもらいローソンのカフェラテを飲んで。甥らはお昼に朝釣ってきた魚を母にフライしてもらい食べていたが私はお茶漬けだけ。ファンタも飲んで2Fに上がり横になった。

でも明日には帰る甥と遊ばないのももったいないと無理に起きだし上勝へ。疲れた弟は留守番。妻の運転で甥と母の4人。勝浦で気分が悪くなり道の駅で休んでからフィットの後部座席よりましだろうと私が運転した。月ヶ谷温泉キャンプ場で2年前に続きアメゴの掴み取りをするというのである。

2年前は苦戦したのに今日は15分ぐらいで4匹。甥が串を刺し洗ってから妻が焼いている間に河原へ。石を伝って川中の魚を探した。アメゴは甥と妻が食べて1年ほど前にできたいろどり橋を初めて渡ってみた。渡るといろどりの横石社長が山で作業していてご挨拶。キャンプ場のK井氏NN山氏とも。

河原で少し遊んで事務所に寄って礼服を置き弟が明日は高松から帰るというので車をフォレスターに乗り換えてハローズで妻と母を下ろして甥を実家に。でも明日の高松発便がいっぱいになり大阪行きのバスをとったとかで鳴門西PAの場所をスマホで確認したり。夜は実家で妻が作った焼きそば。

「響」第9回定期演奏会 (5月3日・金・祝)


1時頃に寝たのに実家で妻のいびきで何度か目が覚め起きたのは7:20頃。1時間後に出たのだと思う。9時集合が8:40頃に着いた。徳島県教育会館。9時頃からロビーで発声。舞台に乗って全曲を通して歌ってみた。」控え室に戻り弁当を食べて着替えて。さぁ1ステージの始まりだ。

早く舞台に行きすぎて緞帳の中で冗談を飛ばしながら14時開演。緊張もしないし妻と母を探すが見つけられず。上着を脱ぎネクタイを外した2ステは楽しく歌った。ベースが歌詞を忘れて無音になったところはあったが。3ステはセレアンなので私は休憩。リポビタンDを飲んで。

4ステも汗が流れて大変だったが特に問題なく終えた。ロビーコールの「いざ起て戦人よ」で元団員のプロ写真家M武氏や広島大学博士課程K保氏やS津氏らと会って終わってから突然皆で写真を撮るという話で舞台に集合。M武氏が撮ってくれた。それから団長の車で駅前へ。

ポッポ街入口のコティで打ち上げ。団長と一緒に受付を担当。乾杯用にビールかウーロン茶かのチェックも。2時間が終わりさらに延長して飲んで21時半前に解散。団長の車から荷物を出し21:34発の汽車に乗って2ステ指揮者S氏の横に座ったら松浦酒造の喜屋武さんが来て話しがらが撫養駅下車。

鳴門の実家 (5月2日・木・休)


シャワーを浴びコーヒーを飲み準備をして出たのが12時過ぎ。勝浦のこのむで昼食を取り鳴門に入りハローズでビールなどを買って実家に着いたのは14時過ぎだったか。朝4時に起きて5時半集合の鳴門海峡の船釣りに行っていた弟と甥その2はほどなく帰ってきた。鯛を釣ろうとしたらしいが釣果0。

甥その1は野球もやっているが小学6年生で今年は来ない。小学3年になった甥その2は大病で何年も入院していたとは思えないほどの悪ガキ。だけど3歳の頃から変わらずぬいぐるみで遊ぼうと言ってくる。と言っても結局は暴力的な遊びになるのはやはり悪ガキ。子供らしく元気なのでいいのだが。

新聞を巻いて作った棒で隣の空き地でチャンバラごっこもした。小さいボードゲームでダイヤモンドという遊びを妻と3人でやった後は五目並べ。甥相手に5連勝ぐらい。16時になって妻が母を車に乗せて夕食の寿司などを買ってきて17時半から食べ始めた。甥の朝が早かったし私は18時に出る予定で。

「響」の本番前夜練習で青少年センターに18:35。「潮」さんと一緒にピアノも合わせて4ステの練習。何カ所か不安はあるが本番前に楽譜を頭に叩き込もう。鳴門に21時に帰った。さて買い物のとき母から妻に東池袋の87歳の事故の話をしたらしい。それで夜は妻と母の運転免許について作戦会議。

令和の始まりと「響」2日前練習 (5月1日・水・祝)


令和の始まり。お昼のニュースで下雅子皇后が皇居に向かう車の中で笑顔だったのを見て泣きそうになった。同い年なのである。大変なお勤めで苦しいことが多いと思うがその中でも自分らしく生きていただきたいと思う。夜はNHKの天皇皇后両陛下の特集番組を録画で観て妻と話して2人して涙。

日中は「響」定期演奏会の2日前の練習。NHKニュースを12:10まで見てから出て練習開始の13時には着いた。ただ最初は2ステの練習だが暗譜はほぼ大丈夫だし声を出しすぎると喉を痛めそうなので昼食へ。雨なのでそごうに入って多分初めて行く上階のレストラン街。担々麺セット。

練習会場に行ったのは13:40頃。2ステの曲を通して歌って次に1ステの曲。青森県民謡の「弥三郎節」は前に歌ったことがあると思っていたのは私の誤解で暗譜に努める。何度も歌ったが同じようなパターンで微妙に音とリズムが違っていたりして一番難しく感じる。危ない。

4ステの組曲「花に寄せて」は今日はピアノなしで。ときどきサボって喉をいたわりながら。最後に「父の唄」。S先生がソロを歌うが途中で歌詞を忘れて「何だっけ」と。皆で爆笑。指揮者の怒声と爆笑が入り混じった練習は18:15に終わり何台か追い越しながら爆走して19時帰宅。

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© 2019 Takashi INAGAKI