2007年4月

バーベキュー (4月30日・月)


昨夜は打ち上げで17時から飲んで2次会終わりまでいて24時。7日の禁酒後の飲み会ですっかり酔っぱらい。帰りはいつも送ってくれるカメラマンのM氏を送って金比羅タクシー。鳴門まで2,700円は安かった。前日の睡眠不足と疲れがあって日記を書きながら眠りかけた。

今日は午後から友人が迎えに来てくれてバーベキュー。大人8人と子供4人。友人宅の庭にはバーベキュー用に自作のかまどまであって全て友人が準備してくれていた。別の友人が持ってきた生きたサザエや伊勢エビも。14時過ぎから飲み始めて21時過ぎまで。

8年ぶりの友人Mさんとご主人Y氏も。近所のT氏も自転車で合流。ビールを飲みながら食べ続けた午後。日が暮れてからはかまどに火をくべたりホストの友人がランタンを吊してくれて気分はキャンプ。妻もホスト家族の優しさやみんなと一緒にいた楽しさに感激しているところ。

夜は運転代行を呼んで友人宅に移動して今この日記を書いているところ。今日はここで泊まる。ともかくバーベキューをセッティングしていただいた友人夫婦と参加してくれた友人たちに感謝。夫婦ともども楽しみました。どうもありがとうございました。

本番 (4月29日・日)


土曜夜は日記を書いた後もICレコーダーを1時間聴き続けて寝たのは3時前。今朝は6時40分に目が覚めると気になって練習の再開。8:20までに1時間強。母の車に乗っても楽譜を追って最後の練習。

9:30頃からリハーサル。体調が悪いという指揮者のイライラが伝わってきて萎縮気味。体調不良の原因は歌えない私たち団員だと思う。でも私には自分ができることをやるしかなく。いくつかのチェックを受け午後から本番。

2ステまでは思いの外うまくいった。歌えない1曲を除いて私としては95%の出来。少なくとも音程と歌詞を目立って間違ったところはなかったと思う。懸案の「ピエロ」2曲も「少年時代」も。ただ「谷茶前の浜」「八木節」などの振り付けで忘れたところ多し。

ところが2ステまでうまくいった感覚を持って臨んだ3ステは空気が違った。自分が歌った1小節だけで私は軽く焦りを感じそのまま尾を引いたような気がする。 そして音が取れてなくて苦労した3ステ5曲目は意外にうまくいった。 達成感と未達感が相半ばする。詳細はまた明日以降に書いていこう。

最後の練習 (4月28日・土)


ステージ用の黒靴をそごうで買った。徳島そごうに行ったのは8年ぶりのような気がする。そのまま郷土文化会館に行って14時からの最後の練習に参加。途中休憩を含めて21時半近くまで。

東京で練習しておいた曲はまずまず。練習が足りなかったところは全然ダメ。当たり前だ。特に「阿波」の5曲目で私が練習していなかったところは指揮者に厳しく指摘された。他人任せという姿勢は良くない。

22時に帰宅して食事をして楽譜の製本に時間が取られ23時過ぎから一人で練習。というより音取りとリズム取り。今日は使うことはないだろうと思っていたICレコーダーで録音したデータを聴きながら練習2時間。

それでも歌えない曲はもう仕方がない。歌える曲だけは完璧に演奏できるように緊張感を持っておこう。気を抜くとすぐに音が下がる。1曲演奏すると半音ぐらい下がったりする。それだけは避けるように。

自信なく歌うと音も下がるが自信を持って声を出すと意外に正しく歌える。ステージ上では指揮者と仲間が気持ちを一つに集中した感覚を楽しもうと思う。

定演2日前 (4月27日・金)


早めに家を出たら空港には1時間も前に着いた。週刊誌も読まずひたすら録音データを聴きながら歌詞と音の確認。そしたらお互いの節目でよく会う友人K氏に偶然会った。徳島空港では家族がお迎え。元同僚だった奥様と会うのは15年ぶりぐらいだろうか。

さて午前中は東京での最後の一人練習を外国曲中心に3時間。それでも不安は不安だがやることはやったと思うことにする。録音データがなかった部分は練習していないが指揮に合わせればある程度カバーできるかもと少し期待。

暗譜曲で覚えたはずのところは集中していれば大丈夫。油断すると歌詞やリズムを間違える。音程と歌詞はまだしも最も不安なのは音符の長さ。休符が入るのか伸ばすのかといった細かな部分。危ないところは最悪歌わないようにしよう。

でも指揮を見てみんなと歌えばまた違う。どこまで伸ばしてクレシェンドをどこで掛けるかは指揮者がうまく誘導してくれるだろう。明日の前日練習は私の場合どれだけ指揮に慣れるかが課題かも。みんなとの練習は少し楽しみでもある。

礼服とノートPC (4月26日・木)


礼服を買った。定演のステージでさすがにボタンが閉まらないのは格好悪い。それにステージではライトを浴びるから冬用では暑い。そこで今回は夏用。持っていた夏用はもう何年も前から穿ける状態ではなくなっていたし。20年ほど前に買ったのだから仕方がない。

買ったらアジャスターが付いていた。ウェストがあと6cm太っても4cmやせても大丈夫。ステージ衣装の黒のカッターシャツも引っ張り出して着てみた。6年前に買ったもので首はきついが着られないわけではない。いずれにしても太ったことを実感させられたわけなのだが。

夕方からノートPCのセッティング。1月前まで妻が使っていたIBM ThinkPad。仕事のデータの一部をコピーしWeb更新用のFTPアカウントの設定と必要なブックマークの登録。ダイアルアップ設定とメールソフト「Shuriken」もセットアップした。

今日は昼から練習するつもりだったのに楽譜の整理諸々でやっと21時から3時間。練習データがない「ピエロ」2曲は一般演奏を聴きながら音取りにトライ。昔一度歌っているので作業は楽譜を見ながら音符を追いかけ思い出すこと。音符から離れると急に歌えたりして上々の出来。

歌詞の世界観 (4月25日・水)


この度の「響」定期演奏会に来る人は歌詞は聴かない方がいいかも知れない。第1ステージは英語もあるがスペイン語やスウェーデン語にラテン語と韓国語ほか諸々で意味が分からないと思う。宗教曲だったり韓流ドラマの主題歌だったりするのでメロディーを楽しんでもらえれば。

第2ステージは日本語だが3曲目の沖縄民謡「谷茶前の浜」は外国語と同じだし他の曲は文語体の歌詞が多い。例えば「鯉のぼり」。ただし文語体だからなのか気品を感じる。「開ける広きその口に/船をも飲まん様見えて/豊かに振るう尾びれには/物に動ぜぬ姿あり」(2番)。

口語体であっても格調があるのは井上陽水「少年時代」。誰でも口ずさめるのは「ひょっこりひょうたん島」と「千の風になって」ぐらいだろうか。童歌「ほたるこい」の歌詞も実は難しい。

第3ステージの組曲「阿波」は伝承されていた民謡や労働歌が元だと言う。「ハァだしたな」という歌詞は「どしたんな」の意味だ。歌詞の意味は分からなくても200年前の鳴門の鯛漁や脇町の餅つきの情景が楽曲から想像できるのではないかと思う。

ビジネス (4月24日・火)


妻が言うところのカチ込みに同行した。相手は巨大な多国籍企業の日本法人である。妻の彼らへの恨みは数ヶ月来さんざん聞かされていたのだが会ってみると相手の担当者は意外に若い女性2人だった。

彼女たちは契約の概念が理解できないようだ。問題についての話し合いは平行線だった。契約に不満があるなら契約自体を一からやり直すことをこちらから提案した。

そういうわけで我が社最大のクライアントを失う可能性が出てきた。だがそれでよい。フリーになったのは嫌いなヤツと仕事をしないためである。売上を優先して我慢したのではサラリーマン時代と変わりがない。

売上の激減に備えて給料は減らそうかと考えている。それでも楽観しているのはメディアから問い合わせが結構あること。女性誌からもテレビからも問い合わせが来る。既に出演したテレビ番組もある。

契約見直しを伝えた翌日である今日は掲載記事を見たのだろう商品の企画会社から商品開発の提案を受けた。先は明るいはずだ。可能性を理解していないのは今のクライアントだけだ。と思うことにしておく。

禁酒と練習 (4月23日・月)


妻に付き合って禁酒。私は2日目。毎日飲んでいると飲まない夜は眠れない。でも数日経つと普通に眠れる。そして飲まない日の方が眠りが深い。そうと分かっていても体調が特に悪いわけでないから禁酒は辛い。特に2日目の今日は苦しい。

禁酒の苦しさは合唱の練習で紛らわした。夜になって2時間半。「阿波」の復習で3曲目は徹底的に歌い込んだ。一方練習の録音データがない5曲目の音取りを開始。楽譜を見ながらミニキーボードを叩いて何度も歌って覚え込む。

「阿波」は全曲ハ長調だからまだ楽。「八木節」はシャープが5つも付くし「ピエロの嘆き」はフラットが3つ。みんなで音取りをするときはハ調のレをドと読み直すなど移動度で階名読みをするから訳が分からなくなるしキーボードを弾くにも白鍵だけなら楽なのだ。

ところで本番の舞台では礼服を着る。試しに昨日着てみたら太ってボタンが止まるギリギリだった。これでは腹式呼吸で歌えない。ステージの上ではベルトで隠してボタンを外しておこう。そんなわけであれもこれも努力をしているのだ。妻と違って私は打ち上げで飲むつもり。

合唱練習 (4月22日・日)


午後から練習開始。暗譜の第2ステージ10曲のうち8曲を練習。7曲の音は覚えた。あとは歌い込むだけ。「ピエロ」2曲は過去に歌ったことがあるのだが2曲目の音を忘れている。しかも練習の録音データがなくキーボードで音取りをしないといけない状態。

第3ステージの本格的な合唱組曲「阿波」は5曲のうち3曲を練習。3曲目の中盤は音が取りにくく2ページ28小節だけに1時間半を費やしてまだ不安。4曲目は明日にしよう。5曲目は練習の録音データがない。これもキーボードで音取りが必要だ。

そんなわけで難しい曲ばかり後回し。「ピエロ」2曲と「少年時代」と「阿波」の2曲。実は「八木節」も不安。アンコール4曲は手つかず。第1ステージは譜持ちOKとしても外国語ばかりなのでこれも放置しておくわけにもいかず。

東京でいるのは残り5日。毎日2時間練習をすれば大丈夫かとメドはついたがそんなに時間が取れるのか。ちなみに「阿波」は徳島出身の作曲家・三木稔氏の45年前の作品。全国や世界で演奏されてきたのに徳島で全5曲が演奏されるのは今回が初めてなのだそうだ。

GWの予定 (4月21日・土)


GWは徳島に帰省する。GWに帰省するのは2002年以来5年ぶり。それまでは車だったが今回は飛行機。私の誕生日に「響」の定演があって前日は午後から練習なので私は27日夕方の便。練習予備日の27日夜が練習日になったとしても参加できるよう。妻は28日夜に合流。

今回は「響」の定演が主目的だが最近すっかり妻と意気投合した私の友人が妻の希望を聞いてバーベキューを企画してくれている。これに夫婦で参加。なぜか妻はバーベキューと船と子供が好きで子供たちに会うことも楽しみにしている。その夜は友人宅で宿泊予定。

さらに香川うどんツアーに行こうと友人が言ってくれているが予定は未定。Z嬢M嬢とも会いたいし別の友人N君からも連絡があってどこかで会おうと思う。彼とは東京で妻も交えて何度か飲んでいるが久しぶりなのなのだ。

それより今は練習だ。アンコールまで手が回らない。曲の途中でも難しいところは口パクで逃げようかと思いつつ。でも曲は覚えないと口パクさえできない。全29曲。1ステ10曲を除いて暗譜は19曲。アンコールを捨てても15曲。あ〜しんど。はぁ〜。

情報の理解と定着 (4月20日・金)


今日の日経1面の連載特集を読んでいると面白いことを書いていた。小学校の子供たちの中には先生の言うことが聞こえているのに理解できない子がいるという話。テレビなのかゲームなのか視覚情報で分かった気になって他の感覚が働いていないのではないかと示唆している。

少なくとも私には当てはまる。例えば先週徳島で「響」の練習を録音してきてこれを聴きながら仕事をしているが聴いただけでは覚えたような気になるだけで歌えない。歌えるようになるには自分で歌ってみるしかない。楽譜を見て聞いてもダメなのだ。

今週のAERAも面白い。鈴木宗男氏に連座して刑事被告人になった外務省の佐藤優氏が寄稿している「ビジネスに役立つラスプーチン流情報のさばき方」。全く新しい基礎的な情報を体得するのは30時間が適当だと言う。さらにプロとしての知識には2年間の専心が必要と。

「教育の基本はまず丸暗記で脳に定着させる情報や知識の量を増やすことで、その量がある一定の段階に達すると量が質に転換して、おのずから新しい発想が生まれてくるのである。丸暗記のないところで創造的知性は生まれてこないと思う。」この寄稿は必読である。

商標と業務管掌 (4月19日・木)


仕事で特許事務所に行った。商標のことの相談である。実は昨年11月30日にも相談に行っている。具体的な内容は言えないが妻の仕事のサポート。前回も今日も妻すなわち当社の代表取締役に同行した。

この件で先日来商標の勉強をしている。D社時代は社名から製品名諸々の商標出願は私が担当していたので少しだけ分かる。米国やカナダでの出願もした。入門書も持っている。と言っても弁理士事務所に相談して依頼するだけなので実は詳しく分かってはいなかった。

今回も結局は弁理士さんに依頼することになるのだが単なる出願と違うのがポイント。ところがccで送られてくるこの件での妻と仕事相手のメールを見ているとトンチンカンな内容が多く本格的に参戦しようと思った次第。まだ私の方がマシというわけで。

本当は妻と私の仕事は完全に分けてお互い干渉しないようにするつもりだった。でも売上は妻の方が圧倒的に大きい一方で妻は営業以外は不得意そう。法務ならまだ私の方が経験がある。

そんなわけで以前冗談で書いたことが現実的になってきた。つまり妻が営業担当で私の担当は残り全部。法務経理情報システム総務資材宣伝広報人事。それがいいバランスような気もし始めている。

コンプレックス (4月18日・水)


先週書いた日記を読んで思ったのだが私にも子供のころにコンプレックスがあったのだろうか。思い出しても今となっては大したことがない。例えば懸垂が1回もできなかったこと。6年の担任から「0回って何? 火事のときは一番先に死ぬでよ」と言われ辛かったのだが。

それも含めてかスポーツ万能な同級生がいて羨ましいと思っていた。特に少年野球チームの遊撃手だったかK君との違い。私も野球は好きだったし放課後はよくハンドベースで遊んでいたが彼との差は歴然でその違いばかり気にしていた。

思い出せば同級生の中にはキャッチボールができないヤツとか走るのがダントツで遅い子もいたから彼らの方がもっと辛かったのかも知れない。でも実はそうでもなく単に私が自信なく不安がっていただけなのかも。これをコンプレックスと呼ぶのか。何か違うような気もする。

今となっては何とも思わないことばかりだが中学や高校時代にもそれぞれ違う悩みがあった。そのときどきの不安感を繰り返しているだけなのか。ちなみに大人になって懸垂をやってみたら10回ぐらいできてビックリした。コンプレックスと思っていても結局のところそんなものか。

ICレコーダー (4月17日・火)


「響」の練習で録音してきたICレコーダーのデータを整理した。162ファイル。合計204分。練習は12時間あったのだからこんなものか。録音したデータは練習中でも不要だと思えばこまめに消してはいたのだが。まずはデータをPCに取り込みファイル名を変更。

ファイル名はステージごとの曲順をプリフィックスにした。例えば第2ステージの8曲目は「208千の風になってxx」。末尾は連番。これで演奏順に表示できる。その上で楽譜を見ながら全ファイルの内容をチェック。同じ箇所を歌っているファイルが複数あれば一方だけを残す。

役に立つファイルを残したいので同じデータを何度も聴くことになる。残ったのは64ファイル合計96分。これをICレコーダーに書き戻す。ところが大問題。コピーしたICレコーダーでは曲順通りに表示されないのである。曲順変更はできるが1曲ずつしか指定できず超面倒。

結局ICレコーダーにステージごとのフォルダを作りエクスプローラでファイルをコピーしICレコーダー側で曲順を変更。フォルダ分けしたことで面倒さは減ったが小さな画面で使いにくい。後でマニュアルを見たらWindows Media Playerを使って同期するのだと。ガックリ。ともかく外出のときはICレコーダーで聴き仕事中はPCで聴き込もう。

『ネットvs.リアルの衝突』 (4月16日・月)


前回と今回の徳島行きの際に読んだ。佐々木俊尚『ネットvs.リアルの衝突―誰がウェブ2.0を制するか』(文春新書)。はっきり言ってこのタイトルは失敗である。ネットvs.リアルというにはこじつけと飛躍があるし網羅性もない。この著者の本はいつも構成が今ひとつ。

と言っても前半は読み応え十分。著作権侵害を幇助した罪で検挙されたファイル交換ソフト「Winny」の開発者を被告とした裁判の記録である。裁判での検察と被告の特徴的な発言や逮捕時の状況とその際の被告の発言で京都府警が大混乱したといった裏事情も書かれている。

後半は80年代の半導体戦争から始まってIBM産業スパイ事件やワープロとPCにTRONなどをキーワードにしたIT産業の盛衰史といったところ。オープンソースにiPodとデジタル家電など現在に続く業界動向の解説に続く。だが業界の中から見ると端折りすぎて退屈。発見もない。

間にIPv6の動向と中国の台頭などの説明があってネットvs.リアルに無理矢理こじつけているように読める。そう読んだ私は消化不良だったがWinny裁判のことは文句なく面白い。ソフト業界と著作権に関わる人は前半だけでも読んでおくことをお奨めする。

徳島での足 (4月15日・日)


最終便で徳島から東京に戻った。今回は徳島バスに2度乗り「響」の仲間に2度送ってもらった。

徳島空港から徳島駅はバスに乗った。430円。補助席まで使う満席。タクシー代をけちってバスに乗ったが飛行機の利用客が全員乗るまで発車しないので随分待った。急げば早い便に乗れるというのは東京の感覚で徳島ではゆっくりしている。客の絶対数が少ないので仕方ないが。

土曜日は団長や指揮者ら10人で食事に行き帰りは2月に続いて写真家のM氏に送ってもらった。彼の自宅兼工房の横を通り過ぎ10分近く先まで遠回り。今朝は近くの仲間で昨年から附属小学校で教鞭を執るS先生の車に同乗させてもらった。

車中で聞いたS先生の話は興味深かった。専門は数学なのにこれまでの小学校での実績が評価されたのか合唱指導を行う音楽教師なんだとか。ピアノが弾けない音楽教師。仲間としてこれは痛快ではないか。ちなみにS先生は「響」定演でも指揮をすることになっている。

練習が終わって実家に寄ったが駅からまたバスに乗った。450円。ところが小銭は350円しかなく1,000円札もない。運転手に言ったら足りない分は今度乗ったときに払ってくれと言われた。やっぱりのんびりしている。でも無駄な準備をしない意味でこれはこれで合理的ではある。

「響」の練習 (4月14日・土)


実はまた徳島にいる。お昼すぎの飛行機に乗り空港からバスに乗って徳島駅まで行き郷土文化会館。今日と明日は「響」の集中練習をやっていてこれに参加している。前回の合宿を発熱でリタイアしたためリベンジみたいなもの。

練習は14時からだが私が到着したのは15時前。休憩を挟みながら今日は21時半まで。明日は9時から16時半まで。初めて楽譜を見る曲も多くて隣の人の声を聴きながらICレコーダーに録音させてもらいながら楽譜に食いつきときどきメモ。集中してぐったり。

男性合唱は高音側からトップテナー・セカンドテナー・バリトン・ベースと大きく4つに分かれているが私は上から2つめのセカンドテナー。主旋律はたいていトップテナーが歌いセカンドは音程が複雑で難しいのだ。しかも我が団はセカンドテナーが最も手薄。

そうは言いつつ我がセカンドが主旋律なのが1曲あって得した気分。私は楽譜を持たないと歌えないと思うが指揮者は皆に持つなと言っている。私だけ譜面持ちなのは格好悪い。と言って覚えられるものでもない。集中練習でもとても追いつけず実は困っている。

コンプレックス (4月13日・金)


大人が社会の中で生きていくとき失敗や挫折を知っておくべきだと聞くことがある。その通りだとも思う。それで思い出すのが15年ぐらい前に同僚だったM氏のこと。ある出版社の20〜30代向けの著名な月刊誌編集部から転職してきて数年後に元の出版社に戻っていった人。

私と同じ歳だったのでよく話をした。転職する前にも飲みに行ってなぜ元の出版社に戻るのかを聞いた。今も私が覚えているのは出版社の社長がM氏に言ったという言葉である。「君にはコンプレックスがある。コンプレックスがないヤツにいい本は作れないんだ」という意味の。

その意味するところが本当は分からなかった。M氏もよく理解していないようだった。それでも自分が求められていることだけは分かったのだろう。私は今もよく理解できていないけど。

この文脈の中でコンプレックスは失敗や挫折に似ている。でも多分違う。そこまでは分かるが言葉で説明ができない。友人にはコンプレックスを持った人がいいと書いたのもこのときの言葉が気になっているからか。結論はなくただ最近の日記の流れで思い出したので記しておく。

親としての行動 (4月12日・木)


子供に対する親はこうあるべきだと強く思った実例を思い出した。大学時代の親友Oの母上のことだ。Oは大阪池田の出身で大学には自宅から通っていたが京都で下宿するようになった。私たちが大学3〜4回生の頃だと思う。彼には実家で暮らす受験生の弟がいた。

そんなとき父上が長野に転勤することになった。そのとき母上は迷わず「お父さんと一緒に行くから」と言ったらしい。Oは「受験生1人残して行くか? 普通は単身赴任だろう。うちの親頭おかしいねん」と言ったが誇らしげに聞こえた。少なくとも私は素晴らしいと思った。

母上は「だって私あんたらと結婚したんちゃうもん。お父さんと結婚したんやもん。お父さんが転勤したら付いて行くんがホンマやろ。あんたらは好きにしたらええわ」という意味のことを言ったらしい。

子供が中学生までなら有無を言わさず家族で引っ越しただろう。母上は子供のことをよく知っていると思った。子供たちを信頼していたからこそだろうがそれはそれまでの教育を正しいと思っていたからのはず。

親は子供を中心に考えてはいけない。生きる上で必要なことを親の判断で行動すればいい。子供に媚びて子供中心で行動する親を子供は軽蔑するがこういう親なら子供は敬う。少なくとも私はそうだ。

子供の教育 2 (4月11日・水)


失敗や挫折やストレスは実は今の子供も既に十分味わっているのかも知れない。水泳教室で泳げない子や運動が苦手な子に勉強が分からない子や学校で苛められている子も。

習い事や塾に毎日通っている子もストレスがあるかも知れない。嫌いな友達や先生がいる子なら学校に行くこと自体がストレスの可能性もある。だとすれば子供にとって1つや2つの新しいストレスを親が恐れることはないのではないか。

例えば転校は子供にとっては可哀想だと思う。でも大人になって逞しく生きる知恵と胆力と社会性を付けさせるのが教育だとすれば転校のストレスは教育のいい機会とさえ私は思う。子供の事情を最優先にする親は逆に大人になった子供からバカにされ無視されることになるだろう。子供の気持ちがまだ色濃く残っている私は子供としてそう思う。

ちなみに私には今も付き合っている小学校時代の友人はいない。子供の現在の友達や環境を大切にしたところで大人になればそんなものだ。だとすれば子供が生きるために自分で考えて知恵を学ぶ機会としての転校なりの環境の変化こそが将来大人になる子供にとっていい経験になるのではないだろうか。

子供の教育 (4月10日・火)


私には子供がいない。欲しくないと思ったことはないが今となっては諦めている。運命論者の私は子供は授かり物だと思っているので病院に行ってまで欲しいとは思わない。いなければいないで仕方がない。

そういう私だから他人の子供の教育に口を出すのは筋違いのような気はしている。それでも子供がいないから逆に子供がいる人に比べ子供の気持ちを忘れていないと感じている。理想を語ることもできる。それが空理空論だと言われれば反論はできないのだが。

それを承知で言うと子供にはストレスを与えた方がいいと思う。私は割と不自由なく育てられたが一方で両親が離婚して親戚に預けられたりした妻は私とは比較にならないぐらい逞しい。生きる知恵と強い意志がある。だから。いつか大人になる今の子供に親が与えるべきことは不自由ない環境ではなく逆境ではないのかと思う。

逆境は言い過ぎだ。親がフォローできるレベルでの失敗や挫折の経験か。転校が辛くて眠っても泣いていたという友人はだからこそ人の気持ちを忖度できる優しい人になったのではないか。子供の頃にコンプレックスを持っていた人こそ私は友人として大事にしたいと思う。親はそういう意識を持って子供に接するべきだと私は思うのだが。

米国とスカイプ (4月9日・月)


妻の友人Kさんが仕事を兼ねて来訪して米国とスカイプで打ち合わせ。妻も英語で話せないわけではないだろうにKさんの英語がネイティブばりなもので頼ってしまう。それでスペイン語もできるというから凄いなぁと関心。で今日のKさんはほとんど通訳状態。

電話の内容はCarolのWebのこと。妻はWebでやりたいことがあるがシステムが分からない。私はシステムは分かるが英語ができず。Kさんは英語は分かるがシステムは苦手。電話の向こうではシステムが分からないCarolとシステム担当だが英語を聞き取りにくいRobert。

Webは米国で契約したサイトの日本語ページ。私は昨日初めて設定画面を見ておっかなびっくり。Robertはシステムに精通しているが日本語が分からない。コミュニーションさえ取れれば最強のチームかも。というより5人の欠点をそれぞれ誰かが補い合っている状態。

Carolは先々週自宅に来て一緒に焼肉に行ったが数学者だというRobertのことは話で聞くだけ。ところが妻に予定を入れられ6月に米国に行って会ってくる。別にRobertに会うためではなく目的は他にあるのだが。詳しくはそのときに。英語は開き直って妻に頼ることにする。

体調不良とタウンハウス (4月8日・日)


2週間前に熱を出してから調子が悪い。ビールも飲んでいるが熱ぽい日が何日かあったし怠い。妻も同じように不調だと言う。土曜は妻が受けたマッサージがなかなか終わらず待ちくたびれた私はイライラして夫婦喧嘩に発展した。

今日は録画しておいたTVを見ながら寝て過ごしたようなもの。夕方になって選挙の投票。義母のマンションのすぐ先だから徒歩2分。ひっきりなしに人が出入りしていて6つか7つある記入ボックスの空きが2つしかなかったぐらいだから投票率は高かったのかも。

そのまま近所を散歩していたら新築のタウンハウスを見つけた。建設中に前を通ったことがあった。そのときは隣の売地にいた不動産屋さんと立ち話したところ。コンクリートのおしゃれな外観に惹かれて見物に行ってみた。

外観では4戸と見たが実は8戸。各フロア1部屋だけの3フロアと屋上バルコニー。螺旋階段が地下から3Fまで通じているけど使いにくそう。1Fは玄関と風呂とトイレだけ。若い夫婦用だと思うが近くにコンビニもスーパーもなく不便だと思う。それで6,000万円超は高すぎるぞ。

「や」を間違った小学校1年 (4月7日・土)


小学校の入学式は覚えていないが小学校1年生の授業風景で覚えているシーンがある。ひらがなの「や」が書ける人と先生が言って私は手を挙げて黒板に書いたときのこと。席に戻った私は意外にも教室のみんなから間違っていると言われたのである。

2画目の点が1画目の横線より下に突き抜けていたのが違うのだと言われた。知らなかった。だが同時にこのぐらいいいじゃないかと思ったような気もする。でもみんなと先生の判定によると自信満々で書いた私の「や」は間違いとされた。

そのときの席は左から2列目の後ろから3〜4列目だったと思う。「や」は黒板の左端に近いところに書いた。無邪気に手を挙げていた自分のことが恥ずかしくなったのだろう以後私は答えが分かっていても手を挙げなくなった。自信もなくなった。

少なくとも小学4年以降の私の成績はクラスで1番か2番だったはずなのだが今思うとそれは1年生の「や」によって自分なりに考えた結果なのかも知れない。次は恥をかかないよう先生の言うことを漏らさず聞き授業の内容を咀嚼し理解しようと努めて。だとしたら「や」の間違いが以後の私の決定したのかも知れず今はあのときのシーンを懐かしく思う。

入学式 (4月6日・金)


入学式の季節である。小学校中学校と高校の入学式は思い出せないが大学は覚えている。大学の隣にある女子大の講堂であって住み始めて間もない下鴨の下宿からネクタイを締めて自転車で出かけた。雨上がりで桜が散り始めていたような空気だったような気がする。早く着きすぎて自転車の置き場所で守衛さんに注意されて置き直した。

1学年に数千人いたはずだが全体像は覚えていない。早く着いたからか前の方に座った。在校生代表挨拶では遅刻してきた自治会役員と思しきジーンズとTシャツのような汚い格好の学生が壇上に上がった。そのスピーチは大学批判のアジテーションでビックリした。

もっとビックリしたのは大学校歌を歌うとき講堂の3方にある2階席にいつの間にか音もなくグリークラブが立っていて階上から突然荘厳な歌声が聞こえてきたこと。高校の元合唱部員としてこの演出と男声合唱の格好良さに参ってしまった。このグリークラブは凄いと。

渡されていた楽譜には賛美歌もあった。我が母校はキリスト教系なのだ。そして階上のグリークラブと一緒に歌うのだが周りの新入生が声を出して賛美歌を歌っていたのにも驚いた。内部進学者なんだろうが私は一気に気後れしてしまったことを覚えている。25年前の4月のこと。

蔵八 (4月5日・木)


20時に待ち合わせて近所の居酒屋。友人と合流して内緒の話を諸々。1時間ほど遅れて妻が合流してさらに1時間ほど遅れて友人の奥さんが合流。都合4人であれやこれや。門前の小僧状態の妻による「数秘術」による占いで2人の将来のことなど。

私が感覚的に思う彼の将来と妻の占いは似ていると思う。だからその方向でいいのではないかと思う。人は社会的に先のことは分からないので自分の感性に従った方が正しいというのが最近の思い。

今日行った居酒屋は2〜3ヶ月ぶり。近所の真っ当な店で家族でよく行っている。で今日は帰り際トイレに行ったら中年男女が抱き合ってるの。店主が迷惑そうに注意しているが聞く耳を持たず。トイレから出ても抱き合っているからぶつかってやったけど動じず。

多分ご近所のPTAか会社の同僚だと思う。こんな住宅街の居酒屋で恥ずかしいと思わないのだろうか。思わないのだろうな。それほど酔っているのか生活に不満があるのか。

それはそうと若い夫婦と4人で楽しく飲んだ。今日話した通り半年に1度ほど生活チェックで一緒に飲まないとね。

日記のネタ (4月4日・水)


この日記の文字数を4行から増やしたのは昨年4月7日から。もうすぐ1年になる。多分1日か2日だけ物理的な事情で書かなかった日があった他は毎日書いている。我ながら凄いなと実は感心していたりする。

ネタはそのときどきの関心事を要約したりときには針小棒大にしたり。最近だとPCのことが最大の関心事だったから書くことがいくらでもあった。といっても限界がある。同じような話を毎度書いていると読む方も飽きるだろうが書く方も飽きる。

書きたいことが一度にやってくることもある。そういうときは原稿をまとめて書いておいたりする。ふと思いついたことを書いておいて暇ネタにすることもある。ところがネタはいつか尽きる。毎日書いているとストックなど役に立たない。そして書くことがなくなる。

まさに今日がその日である。ネタを探して最近の雑誌をめくり過去の日記を読み返し新聞をひっくり返した。体調が今ひとつだからか惹かれるネタが何一つない。そこで書くことがないことをネタにした。このような駄文にお付き合いいただき申し訳ありませんでした。お終い。

鮨屋 (4月3日・火)


遅くなるはずの妻の仕事が早く終わったので近所の鮨屋に行った。出前のチラシがきっかけで妻が以前見に行ったものの満席で入れず今日3回目のトライで初めて入った。ドイツ人3人を接待する風の先客4人組の英語に驚いたがカウンターで久々の鮨。

鮨を食べたのは昨年秋以来だと思う。2人だけで鮨屋に行ったのは前に住んでいた街まで遡る。3年半ほど経っているはず。

鮨屋は何となく敷居が高い。接待とか誰かに連れて行かれないとなかなか行かない。そんな私がプライベートで行くようになったのは徳島の「旬」という店からだと思う。当時住んでいた南昭和町から徒歩5分程度にあったから月に2〜3度ぐらい食べに行っていたように思う。

旬での思い出は数限りないが東京に来てからは鮨屋にあまり行かなくなった。旬も値段は安くなかったが東京ではそれ以上だから覚悟がそれなりにいる。旬の大将とは仲良くなって気楽に食べられたが行き慣れない東京の鮨屋では少しばかり緊張する。

今日の店は旬ほどではないけれど雰囲気はとても良い。威勢ばかりいい鮨屋は好きになれないが今日の店は客の会話からうまく好みを引き出すうまさがある。値段は2人で18,000円だからそれなりだが近所にまともな鮨屋を見つけて少しばかりうれしかったりするのである。

知事選挙 (4月2日・月)


今週末は都知事選挙の投票日だ。さてどうしたものか。現職が当選しそうな勢いらしいがオリンピックで国威発揚と言っているようでは時代遅れ感が強い。いい加減お歳だしもういいのではないか。そんなわけで批判を込めて別の人にしようかと思っている。

そうなると元宮城県知事だがこちらはお調子者で今ひとつ信用できない。出馬表明に至る猿芝居で興が醒めた。と言って建築家は都知事への嫉妬だけで出馬したように見えて論外。そもそも箱物行政の恩恵に最大限与ってきたわけで現職以上に時代遅れだと思う。

発明家やタレントもいるそうだが問題外の外。となると共産党が最もまともに見える不思議。夫婦で話をしてもここまでは意見が一致。現職への批判を込めて今回は共産党に投票しようかと思いつつあるところ。

東京はまだ形式上の選択肢があるが徳島はどうだ。現職と共産党だけ。ほとんど信任投票。徳島県所管の社団法人たる地元紙が県政の方向を実質的に取り仕切る猿芝居。県庁とメディアが一体となって異端を排除する政治システムであることを自覚した上で投票すべきと思う。

自転車と桜 (4月1日・日)


我が家には3年間使っていない自転車がある。前のマンションでは私も灯油を運ぶのに使っていたが今はビールも灯油も配達を受けているので乗る機会がなくなっていた。近所の歩道は狭くて危ないし駐輪場が2段式の上段なので出し入れも面倒なのである。

義母が別のマンションに住むようになって自転車をそちらに移そうかという話をしていた。今の2段式駐輪場は月300円もかかっているのだ。そしたら先週管理会社が電話してきて待っている人もいるので使っていないなら空けて欲しいと言われた。いい機会だからそうしよう。

そんなわけで自転車店を調べて今日午後持って行った。前後タイヤとも空気がないのだ。パンクだと思っていたけど自転車店主曰く3年放置していたのだから空気が抜けただけだろうと言う。ともかく空気を入れてもらいベルを付け替えて義母のマンションに運んだ。
近所の桜
そのまま近所の氏神へ行ったけど桜がなかったので帰りに近所の大桜。吹き溜まった花を集めて花吹雪。夕方はワイン片手にベランダから桜見物。そしたらキャンプ用の小さな椅子の座面の布が破れて尻餅をついた。ともかく夫婦でゆったりと過ごした日曜の午後だったのである。
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© 2007 Takashi INAGAKI