2004年10月気持ち (10月31日・日)
脳腫瘍、最初の手術から11年。10年生存率(%)は1桁らしいからよく生きたのかも。
息子と父の関係は複雑。反抗もした。大人になっても話をしたいとも思わなかった。
2度目の手術をし私が2度目の結婚をしてから、ようやく話をしたいと思うようになった。
が、意思の疎通はもうできず。金曜日、わしゃもうあかんと思うわ、と言った気がする。
帰京 (10月30日・土)
金曜日、何度か病院に行った合間、妻と母と市内の葬儀場を見て回った。
だいたいやるべきことと相場はつかめた。が、お寺はどうしたものか。
土曜日、医者の説明を聞いた。分からないながら何となく状況を理解。
弟と妻と犬のケースケと、私は喪服を置いて明日一旦東京に戻るつもり。
病室 (10月29日・金)
木曜日、ここ1年で最大の仕事の本番をキャンセル。弟は校了直前の徹夜。
喪服も持ち覚悟を決めて帰省したら父は今年で最も状態はいいように見える。
喜ぶべきだろうが拍子抜け。徹夜の母と交代するも親戚の見舞いを受け話。
全く話せない父と、今までになく以心伝心しているような気分になる病室。
帰省 (10月28日・木)
親族に連絡するように、と医者に言われた母が連絡を寄越したのが水曜18時過ぎ。
2時に帰宅し5時に起き弟の車で羽田。6:55の飛行機で妻と弟とケースケと徳島。
病院に直行したら、看護士詰所横の処置室ながら緊迫度はさほどでもなく。
喪服も持ってきたがまずは不要な様子。とはいえ日曜までは推移を見守る状況。
25時 (10月27日・水)
勤務先その1で現在25時。こんなに遅くまで会社にいたのは東京では初めて。
明日は記者向け説明会、明後日は勤務先その2の合宿、の、はずだった。
が、明日早朝、急遽、徳島の実家に帰ることになった。事情はご想像の通り。
Opera (10月26日・火)
先日、ブラウザ「Opera」をバージョンアップ。ただし試用版で使用。
不満は、設定が引き継がれずアイコンの登録や並びを一からやり直し。
悪戦苦闘の末、ようやく以前と同様の画面になった。15分ほどだけど。
タダの試用版。文句を言う筋合いではないけれど。それにしてもなぁ。
SAR (10月25日・月)
生体組織の電波吸収率(SAR)の情報をくれたI氏もイヤホンを使っていると。
彼と私は中学以来のアマチュア無線仲間。当時、50MHzの電波でよく遊んだ。
おそらく、50MHzであれば間近で受けても問題ないのだろう。もしかすると、
昔、低周波の電波を浴びていたことで過敏になったという仮説はあり得るかも。
周波数 (10月24日・日)
整理するために主な製品の周波数帯を少し調べた。movaなどPDC携帯は800MHz、
PHSは1.9GHz、FOMAは2.0GHz、無線LANはb/gが2.4GHz、aが5.2GHz、電子レンジは
2.45GHzなんだそうだ。あとは出力数次第。発信源との距離も密度に関係し、
影響は大きいのだろう。各国の比較表を見ても日本の規制は相当に緩い様子。
生体吸収率 (10月23日・土)
中高時代の親友I氏からメール。生体組織の電波吸収率の法律があり、
ケータイ機種毎に生体吸収率が調べられるサイトを教えてくれた。
私のFOMAは意外に低い。だとするとアンテナがないから良くないのか。
ところで上記のサイト。比較一覧ができない。業界ぐるみで隠してないか?
ケータイの電波 (10月22日・金)
ケータイのイヤホンマイクを買いに行くとき渋谷の交差点で変な人を見た。
電話機を口の前に突きだして話している人。よく見えればイヤホン付。
彼も携帯の電波を避けていたのだろう。マイクだけ携帯のものを使って。
近く社会問題になると思う。健康のため電波の浴びすぎに注意しましょう。
靴のゴム (10月21日・木)
雨の朝、いつもの革靴を避け古い靴を履いていった。が、これが大失敗。
底のゴムが腐って裂けてボロボロ崩れる。途中で気づいたが仕方ない。
電車でもお店でも床には私の靴のゴムが。会社までは行けそうになく。
途中、ターミナル駅の靴屋で新しいのを買った。笑ってやって下さいな。
浸水 (10月20日・水)
徳島を東進した台風23号で、午後、鳴門の実家は床下浸水したらしい。
昔はよく前の道に水が溢れ、雨が上がってから自転車で走り遊んだ。
用水の管理もよくなっていたから、浸水は25年ぶりぐらいではないか。
庭が池になりメダカが泳いでいたとか。大した被害はなさそうではある。
イヤホン (10月19日・火)
何度も書いているけど、携帯電話で通話していると目の奥が熱くなる。
前は5分ぐらいだったけど今は1分程度で熱くなる。まさに電子レンジ。
そこでイヤホンマイクを買った。イヤホンが固定しないが、まずまず。
私が敏感なのかも知れないけど誰しも危険、注意した方がいいと思う。
iPAQ Pocket PC (10月18日・月)
師匠に教えられてPDAのROMをアップデート。新品に生まれ変わった。
アプリやデータもなくなったが、データはPCからの同期ですぐに復活。
アプリもPCから実行すればすぐにインストール。FOMAとの接続が悪く
モバイル器として使っていなかったがこれも復活した様子。師匠に感謝。
気温変動 (10月17日・日)
土曜日の最低気温は11月中旬並だったとか。前週の京都は快晴30度近く。
ほとんど半袖シャツ1枚で過ごしたのに。気温変動が激しい。こうやって
体調を崩す。9月来、気を付けていたけど、とうとう風邪を引いた。
富士山 (10月16日・土)
土曜日、空気が澄んでいたんだろう。西の空は鮮やかな夕焼け。
深い橙色の手前には富士山の影。コントラストもはっきり。
このマンションからは見えるのではないかと想像しつつ初めて見た。
意外に大きく、ゆったりとした麓の広がりまで。ちょっと感動。
六本木 (10月15日・金)
木曜日、誘われて六本木。最近オープンしたお洒落なダイニングバー。
大阪の人ながら週日だけ東京のアパートを拠点に営業しているとか。
聞けば自宅は奈良の香芝。行ったことがある。話題は大阪弁とか。
仕事の話も少々。会ったのは3回ながらなぜか気があうような変な人。
千本五辻 (10月14日・木)
2日目の昼は、千本今出川上ル。3年間、毎日前を通ったはずの初めて知った天ぷらの名店。
夜は、初めて歩いた先斗町。大人になって知る街。当時はお金がなかったのである。
観光地はよく知らないけれど、さすがに土地勘はあって、距離感と方角だけは完璧。
歴史を勉強して、また行きたいと思う。タクシーが意外に親切だったのも驚きの一つ。
京都 (10月13日・水)
2日目。妻の希望で朝から回ったのは、南禅寺、平安神宮、金閣寺、広隆寺、東寺。
市内の移動はバスとタクシーと京福電車も。前も見たけど金閣の金に改めて驚き。
3日目は伏見稲荷。今調べたら小学校の修学旅行で平安神宮には行っている。
金閣も行ったが、5年間暮らした街であってもほとんど知らないことが今回の発見。
烏丸から千本、今出川から鞍馬口 (10月12日・火)
初日、夕方から京都。まずは母校。ほとんど昔のまま。西門も正門もM、K、S、G、N、Hも。
が、通りのお店に面影はなく。学生会館がすっかり建て代わりこれには驚き。続いて
千本上立売。昔の下宿は変わらず。タクシーで鞍馬口から大宮。毎晩通った大眠も健在。
堀川今出川下ル、晴明神社に寄り、阪急で十三へ。危なそうな街の普通の居酒屋で。
大阪十三 (10月11日・月)
土曜日、台風が来る前の羽田。10:00出航8:45集合というので自宅を7:30出発。
8:45に集合場所に行ったら本当の集合は8:15、9:00出航だって。ギリギリ。
このミスに、しばらく妻をいじめて飛行機で伊丹に。泊まりは大阪・十三。
3連休の東京大阪往復と2泊で3万円弱。多少の不便は我慢。まず初日は海遊館。
京都ツアー (10月8日・金)
妻の日記にあったが、京都に行こうとツアーに申し込んでいた。
明日の午前中、伊丹まで飛行機。がタイミング悪く台風接近中。
欠航なら早く決めて欲しいが、どっちにしても明日は早起き。
徳島2 (10月7日・木)
今日は朝、徳島県警本部。一度、川内のJ社に寄りラウンジで昼食。
ここで食べたのは7年ぶり。しかも社長と。見知った人たちとも挨拶。
午後再び県警本部。その後、徳島北署。再びJ社で社長らと雑談。
空港でまた社長と立ち話数十分。徳島で昔に戻ったような錯覚。
徳島 (10月6日・水)
午後、徳島に着き母の車で実家へ。荷物を置き車を借りて同行のM氏と活動開始。
最初の鳴門、担当官に私と昔会ったと言われビックリ。続いて川内、かちどき橋。
さらに北島は新しいところ。周りがずいぶん変わった。一度実家に戻り夜は秋田町。
丸二鮨。大将もポスターも変わらず。K氏が合流し実家まで送ってもらった。ありがとね。
出張 (10月5日・火)
明日、仕事で徳島に行く。内容は秘密。徳島に限らず出張は久々。
夜もお店を予約して頂いていて個人的な時間は取れないはず。
実家に泊まる予定。2日目の朝に父の見舞いに行けるかどうか。
とは言え22時を過ぎれば街で偶然会えるかも。電話ください。
雨 (10月4日・月)
日曜から東京は雨。勤務先その1のビルの弁当は早々に売り切れ。
仕方なく傘を差し信号を渡り向かいのコンビニに行きサンドイッチ。
気温も急に下がり中も外も寒い。体調を崩し今日休んだ同僚も。
そんなわけで転ばぬ先の杖ではないが昨日と今日はビール抜き。
著作権講座 (10月2日・土)
NPOが主催した子供向けイベントで東大駒場に。授業のお手伝い。
と言ってもビデオとプロジェクタをつないだ程度。あとは写真撮影。
朝6:30起き。明日も同じ会場で同じプログラム。と、休日出勤の週末。
編集長 (10月1日・金)
メディア回り2日目。某誌では校了直後、担当の人が徹夜で出てこれずキャンセル。
それより。かつて広告を引き上げるほど大問題になった記事を書いた人と話をした。
当時は彼も怒っただろうし辛い思いをしたかも知れない。私は気になっていた。
今は編集長。多分14年ぶりぐらい。時を経て話ができたことに少しホッとした。
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© 2004 Takashi INAGAKI