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2018年10月

メガネレンズの交換と祭りのカラオケ準備 (10月31・水)


メガネのレンズを交換してきた。支払は既に済んでいたのだが後からDMが来て3万円以上だと3,000円の割引きがあるらしい。それを言ったら値引きしてくれることにはなったがカード支払なので面倒だ。それもあって外出用の黒メガネのレンズも換えることにした。合わせて5,000円引きになる。

黒メガネのレンズは近視度を2度落とし老眼用を2度上げると10段階になって横の視野が狭くなると言う。本を読むときは裸眼でいいしレンズ交換したばかりの中距離用メガネもあるから老眼度は据え置いて8段階として横の視野を確保しつつ今までのフレームセット品のものより高性能のレンズにした。

ブルーライトカットを入れて25,740円。DMによるとレンズ交換は1割引とかで前回の分も合わせて値引きされて20,070円。帰宅してレンズ交換したメガネをかけてPC画面を見ると文字がクッキリ読めてびっくり。本を読む距離でもぼやけない。まだ慣れない点もあるが全く違うメガネになった。

夜は秋祭り用のカラオケデータをS嬢が持って来た。T氏も来てPCから外部モニターとスピーカーにも繋いで確認。さらにカラオケ練習に行っていた夕方も来たT君とF君O嬢Y嬢に音源を聴いてもらって打ち合わせ少々。移住間もないY嬢に昨年の祭りの動画を見てもらったり。2日禁酒後の今日はビール。

H尾氏の来訪とこはくの天使コーヒーカード (10月30・火)


先週依頼があってH尾氏がやってきた。J社の元同僚だ。同い年。城南高校卒。マンション管理をお願いしているT石の友人でもある。聞けばJ社を2000年頃に辞めてIBMやHPやオラクルで仕事をしてきたと。それが徳島に戻って起業したのである。何の会社か先週メッセージをもらって初めて知った。

それが訪問マッサージの会社なんだとか。フランチャイズで徳島にはまだなかったからと言うが彼は社長で施術士は別に雇っている。健康保険が利いて1回400円。中学の同級生で城南出身の訪問診療医Y田からの紹介も多いらしい。ただし上勝は厚生労働省で決められた営業範囲外とのこと。

一通り彼の仕事の話を聞いたが多分会ったのは20年ぶりのはずで思い出話ばかりしていたような。1989年のバグ騒動でFDを静岡の工場に持ち込んだところconfig.sysだか書き換えるよう電話で指示されて実行したのに失敗していて1日の製造パッケージが無駄になったという話とか。

1時間半弱話をして彼は帰り続いて秋祭りの準備の件でT氏から電話があってあれやこれや。コーヒー豆がなくなったので夜は妻と一緒にこはくの天使。先日申し込んでおいたコーヒーカードを受け取ってきた。マスターが元気で前向きで面白いことになっていた。昨日に続きまたビール抜き2日目。

松山 2 (10月29・月)


昨夜はホテルの1泊目ですぐ寝られるわけもなく。寝入ったのは結局2時前だった様子。浅い眠りで9時過ぎに朝食へ。カンデオホテルズ松山大街道を出たのが10時半前。三越裏のお城下パーキングから出て松山空港。駐車場が一部工事中で屋上へ。ここで間々田さんをピックアップ。まずは空港で昼食。

私たちは朝食を食べたばかりだからカフェラテだけ。13時に愛媛国際貿易センター。アイテムえひめと言うらしい。車を搬入用駐車場に駐め4F会議室に本も持ち込んだ。インストラクターさんも2人が来て手伝ってくれるというので私は撤退。車を出して目的なく海の近くを北へ。

海の駅うみてらすというところで休憩して道の駅風早の郷風和里というところに寄ってUターン。15時頃に講演会場向かいのコーナン。トランクのカーゴネットのフックが外れるので代用品を買った。レーダー探知機の底面の粘着力が落ちてよく倒れるのでビニールテープも買って無理矢理固定。

16時半に迎えに行き空港に向かいかけたが夕日を見ようと車を西に。日没は17:22と調べ遠くには行かずに三津浜港。日の入りを見て空港。私は宇和島鯛飯を食べて間々田さんと分かれ18:47に空港を出て石鎚SAと上板SAで休んで22:10に帰宅。3時間半弱。松山ICから3時間弱。2日で約534km走行。

松山 (10月28・日)


松山にいる。間々田さんの講演が明日あって前乗りである。当初は妻がフィットを運転して一人でアテンドする予定だった。ところが風邪を引いて全てについて弱気になって土曜は淡路島で馬に乗るはずだった予定もキャンセルして私が運転することになったという次第。何事も安全第一で。

今日は12:40頃に出て勝浦のこのむで昼食。そこを出たのが13時半頃。渋滞の徳島市内を抜け高速に乗り吉野川SAで休憩。次に石鎚山SAでソフトクリームを食べ妻はみかん生搾りジュース。愛媛産みかんを売っていたが私が勝浦で210円だったり240円で買うのと同じような袋が660円していた。

松山市内に17時頃には入って駐車場を探してホテルの周りを一方通行の裏道をぐるぐる。チェックインして訊くと提携駐車場は別のところだからまたぐるぐる。立体駐車場にフォレスターは横幅いっぱいだと断られ別のところに駐めた。18時頃になっていたのでそのまま早めの夕食へ。

三越裏の銀治郎という店に入ってビール。全て半個室で暗い。妻はお茶だけ。コンビニでアイスと焼酎を買ってホテルに戻って私は大浴場に行った。金曜から肩から背中が凝っていて久しぶりにゆっくり風呂に浸かった。部屋に戻って結局またビール。少しウトウトしたが今夜は早く寝るつもり。

大石君のこと (10月27日・土)


大石旭は55歳になって詐欺罪で捕まったが高校1年のときから3年間クラスメートだった。高校を卒業してから一度も会わなかったから友人という関係ではなかったかも知れない。でもクラスの中で私がよく話す相手5人の中に入っていたと思う。変なヤツだったが彼のことを私は嫌いじゃなかった。

彼の鴨島の中学はコンドームを膨らませて授業中に飛ばしているヤツがいるようなクラスだったと高校1年で知り合った頃によく言っていた。何の話だったか全国都道府県と県庁所在地の名前は小学校のときに覚えたと私が言ったら「そんなん当たり前やん」と彼が返したことも覚えている。

私たちは1年7組で中央階段を挟んだ隣8組に何人かラグビー部のメンバーがいて休み時間によく私の教室に来ていた。途中から入部した中学の同級生A井のところに来るのだが大石もよく話をしていた。私も顔馴染みになってときどき話はしていたが彼らに大石が描いたマンガは人気だった。

彼は不良の象徴としてのダボダボのズボンを穿いていた。不良ぽく振る舞ってはいたが根っからのワルではなかった。S神によると小さな架空請求を暴力団にそそのかされて付け込まれ繰り返し報酬を巻き上げていた可能性があるらしい。だとしたら脇が甘かったのだろうけれど気の毒な気もしている。

PULSENSEとだんじりと診療報酬不正請求 (10月26日・金)


活動計PULSENSEのデータが昨夜またiPhoneに来なくなった。2〜3ヶ月に一度起こる。対処方法は忘れていて今朝になって元に戻ったが要は充電しながらタップしてリセットの上でiPhoneから機器登録する必要があるのだ。充電しながらタップするというのがミソ。と記録しておく。

11月3日の秋祭りに向けて妻は買い出しに出かけ私は年賀状を郵便局Y氏に申し込んだ。そして夜はだんじり。月曜は参加できないから私は今日が最後の練習。終えて今日も6人で飲んだ。重鎮M氏と総代A氏と神社総代Y氏。若手の役場N君とS嬢。Y氏の言葉が分からないという話とかも。

帰宅してこの日記を書き始めた23時過ぎにFBメッセンジャーでS神が連絡してきた。大石旭という歯科医は私の高校の同級生ではないかと。知っている。高校3年間同じクラスだった。鴨島出身の先端恐怖症。シャープペンシルの先を見せると怖がるのである。授業中いつもマンガを描いていた。

その彼が診療報酬の不正請求で逮捕されたのだと。同時に逮捕されたもう1人と騙し取った額は6億円を超えると報道されている。悪ぶってはいたが頭は良かったし私はよく話をしていた方だと思う。高校卒業から37年間会ってなかったが驚いた。いろんな事情はあったのかも知れないが。あーあ。

『amazon 世界最先端の戦略がわかる』 (10月25日・木)


日経新聞の広告で知って買ったような気がする。クレジットカードを作ってしまうほどで今やアマゾンがないと生活ができなくなっているので興味を持って読んでみた。著者はマイクロソフト日本法人の2代目社長で私も面識はある。成毛眞『 amazon 世界最先端の戦略がわかる』(ダイヤモンド社)。

ネットショップの凄さは分かっているつもりだった。アマゾン以外の企業からも出品があって同等に買える。これはフルフィルメントby Amazon(FBA)と呼ばれるらしい。だが最大の収益源がアマゾンのサーバーインフラを一般企業が使えるAWSというクラウドサービスだとは知らなかった。

ジェフ・ベゾスは創業間もない1990年代後半から莫大な投資で新聞を賑わしていた。そして今や米国一の大金持ち。そしてアマゾンは莫大な売上を上げながら黒字幅は小さく投資し続けているのだとか。特に仕入から代金回収までの日数はプラス何ヶ月という会社が多い中-28.5日というのには驚いた。

現金不足で倒産する可能性はゼロ。潤沢な現金で投資を続けられる構造と。さらにベゾスが社内コミュニケーションは不要と言うほど部門間連携はないらしい。次々と新サービスを試す手法はIT屋そのもの。技術も経営も斬新。分厚い本だが筆致はワンパターンで紙面はスカスカ。すぐ読める。

M柄氏との話 (10月24日・水)


昨夜M柄氏からはいろんな話を聞いた。J社で仕事を取り上げられた経緯とか周囲の人から転職を勧められたこととかマイクロソフトに入社する前のやり取りとか。マイクロソフトに移ってからの部下を異動させる際にあった人事とのやり取りとか米国出張であった愉快ではないエピソードとか。

上勝に来たこともある前社長の人物評価とかも。ここには怖くて書けないが最近の大きなニュースに潜む話もあった。ほとんどはM柄氏が趣味とする鉄道模型作りだったりラグビーのことだったが。先々週来たA社のK氏と先週末に会ったとかスポーツするならラグビーは進学に有利だという話とか。

M柄氏を含め3人が徳島に来た理由は書かない。J社を買収に来たと思われるかもと言ってみたが冗談だ。30年前は仕事が出来すぎて怖い先輩だったM柄氏。東京のOB会で2000年代には年に1度ぐらい会っていたものの上勝移住の件で2008年に会ったのが最後だった。それが再び。

もしかすると何か手伝うことがあるかも知れない。そんな思いつきを昨日言われたが実現すればそれも面白いかも知れない。そして今朝。彼らが今日行くと言っていたところの関係者からFBメッセージが来た。彼らに昨夜言ったことを伝えM柄氏のことを少し説明した。いろんな縁が繋がって楽しい。

徳島に来たM柄氏と (10月23日・火)


J社の私の大先輩でマイクロソフトに転じて日本法人の専務執行役だったM柄氏が徳島に来ている。徳島は上勝町と提携していた頃以来13年ぶりとか。食事をどうかと誘われたのが日曜深夜。今はサイバートラストの社長でパソコンソフト業界で知らない人はいない彼のお誘いを断れる訳がない。

そもそもマイクロソフトに誘ってくれた3度目の相手がM柄氏だった。それに10年前に呼び出されて徳島に移住するなら上勝にしろと言ったのが彼なのだ。20年前J社を潰しに掛かったマイクロソフトの主担当だったはずだが私には恩義がある。そんなわけで二つ返事で行きますと返事をしておいた。

19:45着の飛行機で東京から帰ってくる妻を迎えに行く予定だったが彼女は後から合流。のはずが風邪を引いたとかで私だけで行ってきた。雨の中を18時半に秋田町。2分遅れて栄寿司。M柄氏らは10分ほど遅れて到着。あと2人いて聞けば同い年だというS氏と新卒3年目のH氏。4人で飲み始めた。

といっても2人はノンアルコール。さらにM柄氏は少なくとも25年以上行っていないはずのBARATEI。喜んで店内ぐるぐる。ラーメンを食べたいと言うので東大本店に行って仲之町まで戻って車の3人を送った。私はトリンタでビールを飲んで代行待ちでマンテンサンに行って結局2時まで飲んで撤退。

Googleカレンダーとカスペルスキー (10月22日・月)


先週の消防分団役員会で11月にある県の防災セミナーに人を出す必要があるという議題があった。平日午後では皆は難しいだろうと思い私が手を挙げた。でも帰宅して確認するとその日は妻を空港に迎えに行く用のある日だった。妻には空港まで自分で行ってもらうことにしたのだが。

妻の出張予定は付箋紙に書いて小さなボードに貼っている。それを私のiPhone予定表に転記し忘れていたミスだ。Googleカレンダーにも記載があって私もPCからは見ていたが「アプリを入れればいいのに」と言われて今日実行。これで出先からも出張中の妻の予定を見ることができるようになった。

それとウィルス対策ソフトのバージョンアップ。カスペルスキーに勤めているY内氏に先週会ったときに訊いたのだ。新しいバージョンが出た告知は見たがアップデートした方がいいのかと。あるいはライセンスはまだ250日残っているのになぜ勝手にバージョンアップしてくれないのかと。

彼の回答は環境によっては動作が不安定になることもあるのでバージョンアップ自体はユーザーに任せているというもの。でもうちのPCなら問題はないだろう。そんなわけで手動バージョンアップ。妻のPCも起動して更新した上で完全スキャンも実行した。諸々メンテナンスは重要なのだ。

消防連絡と写真展と「響」練習 (10月21日・日)


そう言えば書いていなかったが先週木曜は消防分団の役員会があった。19時半から。今回は決めることも少なく1時間弱で終了。続いて懇親会となった。役員12人中10人が出席していたが居残ったのは6人。何だかんだと話をして気がつけば23時で慌てて解散したという次第。

そのとき決まったことを団員に伝えなければならない。ところが金曜も土曜も忘れていて今日午後に電話をした。4人。一方で昨日の昼食にいっきゅう茶屋に行ったらS原嬢29歳がいて帰りがけに話をするとシビックセンターの写真展に出展していると言う。じゃぁ見に行くわと言っておいた。

それで今日。10日ぶりの「響」の練習。シビックセンターはそごうの中にあるから練習前に寄ろうと思っていたのだがふと念のため時間を確認すると17時までらしい。それで慌てて飛び出したのが15:40。練習会場に車を置いて写真展を見てそごうの中を歩いて17時。結局早めの夕食にCOCO壱番屋。

「響」の練習に行くと団長が新車で来た。販社で勤め始めたお嬢さんから買った日産エクストレイル。練習の方は今回から松下耕作曲「彌三郎節」の音取りを始めた。一度2010年に歌っているのに思い出さない。帰宅して昔の音源を聴きながらビール。2日抜いたが今日は疲れたので飲んでいる。

目の疲れとメガネのレンズ (10月20日・土)


3年前にも書いていたが最近また目が疲れる。マイホームデザイナーを集中して使っていたからかと考えたり日曜の日和佐で太陽を浴びて目が痛くなった影響かと思ったり。3年前に作って今は室内専用として使ってきた丸メガネで左右の視力が違うような気もしている。

3年前から3つのメガネを併用してきた。丸メガネは中距離の焦点領域が広くPCに向いている。7年半前に作ってレンズを換えフレームまで4年前に交換された黒メガネは運転するとき横の視野が広かったので外出するときに使っている。それに別の店で4年前に買ったスポーツ用の近視専用メガネ。

でも目が疲れてしまっては困る。水曜の宴会に行く前に寄ろうかとメガネ店に電話をしたら改装中ということで諦め今日行ってきた。3年前の担当H氏の接客が終わるのを待って視力を測定していろいろ試して話をして。1時間ほどいて前回と同じタイプで老眼度を上げたレンズを注文した。34,440円。

老眼が進み近視が弱くなったから外出用の黒メガネも遠くを見るときに度数の高いレンズ上部を使わず中央部で見るようになっているはずだと言う。そこの焦点の合う左右幅は小さいから視野が狭くなっているはずと。そんなわけで外出用黒メガネも次に考えるつもり。やれやれ物入りである。

ギリギリの空港とトートバッグ (10月19日・金)


13:50発の飛行機で東京に行く妻を空港に送ったのだが出発したのは12時前。妻から前夜に出発するのは11:45頃かなと訊かれ2時間あるから十分だと思っていたが沖浜のモスバーガーに寄ったのである。昼食を計算に入れていなかった。なのに惰性で昼食へ。しかも10分遅れで出発している。

モスを出るときも深く考えなかった。でも妻が焦り始め冷静に計算すると遅刻ペースだと気づいて結局そこから飛ばした。右に左に追い抜いて前に車がいなければフル加速。フォレスターで行っていてよかった。空港に13:31着。妻を下ろして駐車場に入れて2Fまで行ってみたが間に合った様子。

時間については余裕を持つようにしているのに何度も行っていると慣れてしまい冷静な計算をしなくなる。こんなことが前にもあって気を付けようと思ったのに。妻を不安にさせたことを申し訳なく思う。何にせよ間に合ったよかった。そこから鳴門に行って散髪。実家に少し寄ってから小松島。

こはくの天使がコーヒーカードを始めるというので予約ついでにカードとセットのトートバッグを購入。「響」の楽譜や譜面台を入れようと思っている。チャイを飲んでオムライスを食べて上勝に戻って今度は神社。今季4回目のだんじりの練習。今週は飲み会が3日続いたので今日はビール抜き。

『村上海賊の娘』 (10月18日・木)


東京の甥に会いに行く9月に妻のベッドサイドで見つけて持ち出し読み始め寝る前に少しずつ進めて全4巻を日曜に読み終えていた。和田竜『村上海賊の娘』(新潮文庫)。ちょうど5年前に刊行された小説で文庫版は2年前。発表されたとき話題になっていたもののストーリーは何も知らなかった。

物語は今の大阪城がある場所に本願寺があって織田信長と対立していた頃の話だ。信長方の砦に包囲され海上から兵糧を入れて欲しいと安芸の毛利家に求めるところから物語は始まる。要請を受けた毛利は海上輸送には瀬戸内の制海権を有する村上海賊の援護が不可欠と村上に護送を依頼する。

村上海賊と一言で言っても既に毛利の配下にある因島村上と伊予に近く毛利方の来島村上と中央で独立独歩の能島村上の3家がある。主人公は能島村上の娘景(きょう)。兵を率いて海賊行為に勤しむ20歳。毛利や村上の思惑とは別に安芸の門徒を助けたことで景は大坂の敵方に単身乗り込む。

そこから本願寺と織田方との戦いの場面がほとんど。敵の泉州海賊の面白み最優先の思考法がアクセントだが陸戦に続いて村上海賊と毛利軍が出陣して睨み合った後に引き上げかけたのに舞い戻っての海戦。戦闘ばかりで面白くない。と思う一方でつい読み進めてしまうという面白い小説だった。

J社の同僚20人との飲み会 (10月17日・水)


J社を辞めて福岡のD社にいたときITベンチャーのソフトウェア営業として店頭デモもやっていた。そのときOEM先だったJ社の担当がO野氏。優秀な仕事ぶりに感動していた。社歴は重なっているが取引先として知り合って3年前には徳島でご一緒した。その彼が徳島に来ての飲み会に誘ってくれた。

駅前のひら井で19時から。元妻も来ることになってO野氏は気を遣ってくれたが私は気にしないし彼女も関係ないと言ったらしい。一太郎の開発リーダーだったS山氏を囲むという趣旨で参加者は20人。記憶にない女性が1人男性が1人。でも話をすると今はM社の彼は私のことを前から知っていると。

先輩はS山氏とM橋氏の2人。開発にいた同期が2人。元部下Z嬢とは割と会う。元妻のご主人Y内氏とは5年ぶり。第九で一緒だったF嬢と隣になり当時いつも過激なミニスカだったS嬢が斜め前。彼女とは10年以上前にごまやで隣合わせになったことがあるという話をしたり。病院で偶然会ったA氏もいた。

最後に私が一目置くG嬢と20年ぶりに話。Y内氏が10歳下のT本嬢との写真を撮ってくれたり。1次会で私は帰ろうとしたが娘の迎えを待つF井嬢を見つけて阿波踊り問題の内情を聞いた。と中学の同級生で市民病院の医師H野氏が通りかかり話をすると彼の妹とF嬢が友人だと。代行で23時半に帰宅。

美渓と小火と月ヶ谷温泉で (10月16日・火)


日曜に日和佐までラーメンを食べに行ったのだが隣町の美渓は日曜から営業していたらしい。今日まで3日間。妻が珍しく徳島にいるときでどうしても美渓に行きたいというので客足が鈍る12時を狙って行ってきた。先客が3組。チャーシューは売り切れでバラ肉の小にニンニク生卵入り。満足。

消防車のバッテリの様子を夕方見てT氏で電話で話をした後16:40頃だったか防災無線からサイレン。F君がシャッターを開けていてバッテリを外しエンジンは難なく掛かり消防車を出して無線機を積み込んだところで鎮火との放送。消防車を戻し続々集まる団員と話をして17時過ぎ解散。

17:45にはF嬢に迎えに来てもらって月ヶ谷温泉。2010年にUstreamを使ったネット番組109Uを配信していたボスことM口氏が仕事で上勝に滞在していて誘われて宴席に。その前の午後はボランティアタクシーの利用資格更新にNPOに行ったら4月に手続き済みと。1Qが加入してくれたのだろうか。

飲み会のメンバーはM口氏と109Uや上勝TVでパーソナリティだったイマジン。地元の仲間N氏と妻と何とか協力隊で来ている58歳の男性S氏。いろいろ話をして21時半に温泉を出てN氏がうちに寄って最後に解散したのは26時前。家庭のことを含め深い話をいろいろした酔っ払い。

だんじり練習と消防点検 (10月15日・月)


11月2日と3日の秋祭りで「だんじり」と呼ばれる太鼓の演奏をするために練習をしている。2回行って2回休んで1回行って今日1回休んだ。カンニングペーパーを見ても最初は全然ダメだったが少しマシになってきた。皆は練習後に飲んで帰るので先週金曜に私も参加させてもらった。

A総代とM本氏とN谷氏の3人に同級生F氏と29歳女性S嬢の6人。指導者代表のY氏は奥さんの父上が亡くなったとかで不在。Y氏の孫3人もいない。いきなり子どもが半分。飲み会では地域の情報をいろいろ聞いた。ケガをした人や地域を回っている人の話とか。10年経っても知らないことはまだ多い。

そのときはだんじりの位置付けと動きについて議論になった。私には理解できない話なのだがそもそもだんじりは神事の一部じゃないかと意見したらM氏がだから神社総代の指揮下に入るべきだと言う。なるほど。そんなことから地域の問題についてA総代の発言が続き。22時半解散。

今日は消防点検だが消防車がバッテリ上がりと。Y氏が2tトラックを持って来てケーブルで繋いでエンジンを掛けた。うちの車の調子も悪く連絡していたT氏が取りに来てくれていたので点検後に消防車に充電器を繋いでフィットの説明をして持ち帰ってもらった。19時半でだんじり練習を諦めた次第。

日和佐でラーメン (10月14日・日)


台風が来なかった久しぶりに快晴の休日。いつも出張続きの妻がラーメンを食べたいと言う。本当は勝浦町の美渓が一番なのだが店主療養中に付き営業は月1回3日程度だけ。今週末は営業日ではないので以前に行った山を越えた那賀町のラーメン店「麺屋藤」に行きたいと言っていた。

そこもいいのだが先日読んだ吉田基晴さんの本にも書かれていた日和佐のラーメン店はどうだろう。話題の店だし吉田さんも頻繁にFacebookに投稿している。というわけで12:10に上勝を出て日和佐つまり美波町に行って来た。薬王寺前の信号を海の方に向かってすぐ。「藍庵」という。

少し離れた駐車場はいっぱいで道の駅も満車。薬王寺の駐車場に駐めて国道を渡って歩いて行った。妻は醤油で私は塩。美味しかったが味は濃い。続いて割引券をもらって近所のカフェ「at Teramae」でコーヒー。WebデザイナーとTシャツなどグッズ販売とカフェ経営の3人のお店らしい。

若い店主と少し話をした。ここで知ったダイビングショップ「海達」を訪ね話をして4年前に行った株式会社あわえを探してうろうろ。古い商店街に新しい店があって若い人がいて少し活気を感じた日和佐。吉田基晴氏の影響力の大きさを思う。上勝から1時間かからないからまた行こうと思う。

神崎薫さん (10月13日・土)


先週木曜は久しぶりに「響」の練習があった。その休憩時間に指揮者が「神崎が死んだらしい」と言う。神崎さんというのは指揮者と私が入っていた中学のバスケットボール部の1つ先輩のことだ。3年前に「響」と競演したジャズピアニスト後藤美穂さんがFacebookに投稿しているのだとか。

病気だったのかと思ったが夜になって指揮者が新聞データを送ってきた。1日に徳島の小松海岸から淡路島の沼島に向けてカヤックで出かけると家族にメモを残していたが帰宅しないから捜索願が出ていたらしい。そして8日になって牟岐沖で遺体となって見つかったと記事にある。

バスケ部ではドリブルが上手かった印象がある。穏やかでにこやかな人だった。彼の中学卒業後の次に会ったのは徳島の夜だった。上勝出身のママのいるスナック・ワールドボーイがあるビルの2Fにあったジャズキャビン。ジャズの生演奏をウリにしていたログハウスのような内装のバーだ。

そこに会社の仲間と行ったときウッドベースを弾いていた。お互いに驚いて演奏の合間に少し話をした。部下のN嬢が興味を持っていたのを覚えているから1990年代の前半だろうか1995年前後だったか。いつかまた街で会うだろうと想像していたし再会することを少し期待していたのだが。

住友生命のアポイントメント (10月12日・金)


住友生命徳島支店の担当者が9月で交代した。東京育ちで背の高いI田氏は奈良に転勤したらしい。挨拶に行きたいと女性外交員I原さんから連絡があって都合のいい日を伝えつつ挨拶だけなら来なくていいと言っていたが結局時間切れになって来なかった。別にそれは構わない。

新しい担当者が挨拶に行きたいと明日の都合はどうかと電話があったのは昨日。今日13時半に約束していた。13:35になっても来ないと思ったら電話があって子どもが熱を出したから会社を休んでいて行けないと言う。それは仕方がないと思うが30分でも早く連絡してこられないものか。

女性のI原さんが来ないのは仕方ない。でも新任の支部長という肩書きの営業担当が来ないのはどうしたことか。新しい保険の紹介が目的だとしても新任の挨拶をしたいという名目でアポを取ったのなら1人で来ればいい。女性外交員と一緒でないと客先に行けないお子ちゃまなのだと解釈しておく。

かように徳島のビジネスは生ぬるい。ご近所さんか親しい親戚を訪ねるような感覚だ。改めて来週行きたいと言ってきたが断った。2度と来なくていい。リスク分散の上でも住友生命と契約することは今後もうない。挨拶だけで来なくていいしアポを反故にする営業とは付き合いたくもない。

四国大学の知人 (10月11日・木)


火曜にK氏と四国大学に初めて行った。鳴門から徳島までバス通学だった中学時代は吉野川の手前に四国女子大前という停留所があったから場所の見当は付いていたがどこから入ればいいのか全く知らなかった。火曜は最初ナビの通りに行くと西門に着き別の門を目指すと狭い道ばかりに誘導されて。

ともかくキャンパスに入ったのは初めてだったが建物は新しいしゆったりした敷地で大学らしい雰囲気だった。大学に行ったことはなかったが教員に知人が2人いた。数年前まで四国大学の教授だったという山口大学のM井氏に2人の名前を訊いてみた。中学の同級生K西H計と2年後輩のK内Y子さん。

K西はJ社に数人の学生を引率して見学に来たことがある。私が案内した。沖浜第1ビルだけの時代だったか。遅くとも1990年頃のはず。私たちは彼を「おかかん」と呼んでいて鈍くさかったのに大学の教員になっていて驚いた。でも今回M井氏に訊くと名前を知らないと。もう辞めたのか。

中学の合唱部で2つ後輩のK内Y子さんは音楽科の教授として新聞で名前を見たことがある。中学卒業後に会った記憶はこれも1990年頃に常三島の交差点で車が並び右折車線にいた彼女が私に気づいて手を振ってくれたことだけ。M井氏に訊くと有名人ですねと。またどこかで会わないかな。

A社K氏と徳島新聞と四国大学訪問 (10月10日・水)


9日(火)はA社のボスK氏が来て泊まっていった。まず13時に空港に迎えに行き応神のラーメン西食で昼食。四国大学の入口を探してうろうろした後だいたい分かったので14時過ぎに徳島新聞社。NIE関係者と面会したがK氏がしゃべるしゃべる。前に会ったM谷氏は異動したのかいなかった。

続いて16時過ぎに四国大学。山口大学から来られたM井教授と合流して学内の研究室を訪ねた。M井氏は津田中から城南高を出た私の5歳下と。17時半に辞して他の研究室を駆け足で回りながらK氏が話す。18時前に解散して徳島駅前に車を駐めて福岡出張から帰ってくる妻とバス停で合流。

3人で歩道橋を渡り柚で乾杯。ビール5杯ほど飲んだか。代行さんに予約の上で乗ったのが20:40頃。事務所で妻と荷物を下ろしK氏と私はさらに奥へ。農家民宿「山挨」さんに泊まった。1時過ぎに寝て8時過ぎ起床。懸念したK氏のいびきは酷くなく5時間ほど寝た。朝食後Kさんと雑談して10時出発。

上勝開拓団を訪ねイマジンに案内してもらうとK氏が盛んに感心している。ポールスターにも寄って大孫に行ったが行列で諦め松茂やまなみに12時半。13時に約束の鳴門教育大学の元教授が来られ話をして加賀須野橋近く中華そば「かわい」で遅い昼食。15時前に空港に送って怒濤の2日を終了した。

『人間性尊重型 大家族主義経営』 (10月8日・月)


天外伺朗・西泰宏『人間性尊重型 大家族主義経営 新しい「日本型経営」の夜明け』(内外出版社)を読んだ。10月4日出版の第1刷だ。著者の天外氏はソニーでNEWSやAIBOを手がけた元取締役の土井利忠氏。著書は何度読んでいる。もう1人の西氏は中学の同級生。同窓会で再会して講演も聴いた

最初の1/4は天外氏による経営手法の変遷や現代の理想型について理論的でやや学術的な論考。黎明期のソニーに通じ現代に相応しい経営をしているのが西精工だと言う。自我レベルと経営の関わりを論じていて西精工は社長の西氏が重篤な病気を経てレベルが上がったのではないかと分析している。

西氏は後半の3/4を書いている。彼が社長を務める西精工は徳島の南矢三に本社がある自動車部品のナット製造企業だ。「日本でいちばん大切にしたい会社大賞」や「ホワイト企業大賞」などを受賞して注目されている。この本では小学校の頃の経験から始まり苦悩も含め正直に書かれていると思う。

従兄弟の急死で東京から呼び戻され入社して西氏は会社の雰囲気が暗いことを気にして挨拶から始めたと言う。ときに相談役である実父と対立し苦悩しながら続けた改革がよく分かる。ビジネス書なのに最後の1/4は泣き通した。社会人なら誰しも何かしら感じるものがあるのではないか。お奨め。

Tシャツ1枚 (10月7日・日)


日曜は隣町のラーメン屋は休みだから夕食をどうしようかと考えていたところ18時過ぎにFacebookメッセンジャーで同じ住宅に住む同い年S氏がだし巻き卵を作ったと送ってきた。ビール3本と誰かが冷凍庫に入れっぱなしにしていたアイスとナッツの類を持って遊びに行った。21時頃まで。

既に10月だが今日はほとんどTシャツ1枚で過ごした。昨日も半袖。明日も同じような格好でいられそう。季節外れの暖かさは台風25号が日本海を東進したせいで南風が吹いたのが原因らしい。ただし昨日まで雨が降っていたせいで湿度が高くエアコンの除湿運転を少しだけ。

大人になってから気温に合わせた服装をするようになったが子どもの頃は薄着だった。真冬でも制服の下はランニングシャツだけだった中学の同級生で灘高に進学したN井のような極端なことはやらなかったが小学校のときは半ズボンだったしTシャツだけで過ごした季節も長かった。

自宅で半袖1枚でいたことを母と叔母が話題にした記憶が残っているのだが11月上旬だったと思う。小学校3年か4年のときだ。あのとき実は寒かったが少し無理をしていた。無理をするとすぐに風邪を引くことを学習して今は早めに重ね着するようにしている。でも今日はTシャツ1枚で十分だった。

新しい財布と1月ぶりのフォレスター (10月6日・土)


先日来さんざん悩んでいた財布を新調した。カードを重ねて入れられる二つ折り。早速使ったのだが慣れなくて小銭を落としそうになった。それより問題はバッグへの収納で新しくした少し大きめのキーケースと携帯電話とiPhoneとサングラスを同居させるのにどうしたらいいのか試行錯誤している。

問題は普段は使わないカード類をまとめて入れた名刺ケース。バッグの底で横になってくれれば邪魔にならないのに前後の圧力に負けて起きてきて他の収納物の場所を圧迫する。年に数回も使わないものを持ち歩くことに疑問を感じ始めているところ。名刺の何枚かは財布に入れた。

さて今週末も台風の影響を受けた。25号が九州の西から北を回り込んで日本海を進んでいる。妻は福岡でフェイシャルヨガ指導者養成講座だが開催できたのだろうか。上勝は朝は降っていたがお昼から曇。ふと思い立ってフォレスターで県南までドライブに行って来た。

9月は妻がほとんど出張だったからフィットにばかり乗っていた。徳島や鳴門までなら燃費が良くて小さいフィットが便利なのだ。それでフォレスターは9月2日に高松に行って以来かも知れず。バッテリの充電を含め少し動かしておこうと。牟岐で給油したが8月27日以来。宍喰の道の駅でUターン。

「kyash」 (10月5日・金)


プリペイド式Visaカード「kyash」を入手したことは書いた。iPhoneアプリを見ると残高は0で紐付けされたクレジットカードの末尾3桁が表示されている。これで実際に買い物ができるのだろうか。とりあえずリアルカードを常連のこはくの天使で使ってみた。

こはくの天使はマスター1人だけの零細企業だが先月だったか安いクレジット決済システムを導入している。1%だか2%の決済手数料を取られるから1,000円以上の利用に限定している。ともかく今や友人みたいなマスターになら迷惑を掛けても謝れば済むので実験台にはちょうどいい。

結果は決済が完了するまで1分掛かった。紐付けしたクレジットカードの認証まで含めて2段階あるからだろうか。これは使えない。次に帰宅して通販サイトで試してみた。でもプリペイドカードは使えないというメッセージが返ってきた。ネットでも使えないじゃないか。

続いて隣町のスーパー杉屋で試した。時間が掛かると迷惑だから客が私1人だけのときに使ってみたら10秒ぐらいで決済完了。あれれ。通常のVisaカードでも時間が掛かるから最近は現金で支払っていたのにそれより早いぐらい。未だ評価は定まらず。もう少し方々で試してみよう。

3Dマイホームデザイナー 2 (10月4日・木)


3Dマイホームデザイナーを続けて使っている。ドアや窓の部品と同様にエアコンと室外機に給湯器や冷蔵庫にキッチンシステムなどもメーカーの型番があって間取りだけ作りたい私には面倒だ。でも耐震診断や消費電力まで計算してくれるし敷地面積に建坪と延べ床面積も表示してくれて面白い。

既に2軒作ったことは書いたが敷地など何の制限もなく組み立ててみたらトイレ3畳に風呂4.5畳にリビング28畳という豪邸になってしまった。ちなみに建築費まで概算表示してくれるのだが2軒目で計算させると4,800万円と出た。こんな豪邸建てられるわけがない。そもそも無制限な土地などない。

このソフトを使っていると耐震性能なども考慮すべきだということがよく分かる。広くなると柱や壁の強度を上げる必要がある。なるほどコンパクトに建てた方が建築費でも耐震性能でもいいということか。ということに気づいて新たに作り直して耐力壁を取り付け診断の上で増やしたり減らしたり。

メニューに部屋の一つとしてインナーガレージがあったから使っていたが広い開口部は壁がなく耐震上問題がある。そんなわけでさらに作り直して耐力壁が増え窓が減りどんどんコンパクトで現実的な家になってきている。いろんなパラメーターを考慮してパズルを解くようで面白さにはまっている。

プリペイド式Visaカード「kyash」 (10月3日・水)


日経新聞の土曜版にポイントカードの使い方を解説したコーナーがある。その9月8日版だったと思うがkyashというサービスが紹介されていた。プリペイド式クレジット機能のスマホアプリ。飲み会の割り勘などで現金でなくアプリ同士でお金を仲間に支払うという使い方を想定しているらしい。

アプリにはコンビニなどでお金をチャージするのだがクレジットカードと紐付けておけば使用した時点で自動的に入金されるらしい。ネットショッピングを想定したスマホ用アプリに加えリアルカードも発行していてそれを使えばクレジットカードと同じように実店舗でも使える。

日経土曜版に取り上げられていた特徴は1回の使用ごとに2%が還元されるという点。さらにクレジットカードからチャージされればカード側のポイントも付く。1%ならこの場合で合計3%の還元率になる。 クレジットカードではないから審査は不要で住所など簡単な情報だけを記入して申し込んでいた。

申込が殺到したかカードは3週間近く経った先週土曜に届いた。早速iPhoneにアプリをダウンロードして氏名やカード番号を登録。チャージ用にヨドバシカメラのカードを紐付けた。1日3万円と月12万円の使用制限があるから少額の買い物に使おうかと考えて常に持ち歩けるようキーケースに。

3Dマイホームデザイナー12 (10月2日・火)


前に書いた3Dマイホームデザイナー12を買って木曜からいじっている。解説書付きのパッケージを買ったが何も見ずに使える。起動画面は方眼になっていて1マス91cm。半間だ。玄関や廊下に始まり和室キッチン洋室リビングに土間や物入れにPSとかベランダなど間取りパーツを画面に置いていく。

壁を他の部屋との交点間で削除することもできるし腰高の壁に変えるのも一瞬。ドアや窓も壁に重ねてはめ込んでいく。難点を言えばドアや窓のパーツが多すぎて選択に困ること。引き戸か引き違い戸とか種別で絞り込めるがYKKやLIXILなどメーカー別の品番まで載っている。

家具などの部品も数多い。ただ車の部品を見ているとポルシェやゴルフなど特徴的なものは分かるがSUVがない。フォレスターと思われる車はあるが初代だ。こうした部品は2000年前後のもので止まっている様子。イメージが分かればいいので別に構わないが最新版という感じがしないのが残念。

ただ照明は部屋の種別に合わせて自動で付けられる。間取り図は3D画像に即座に変換できる。視点を変えながら見られるからここに窓が欲しいといったことがすぐ分かる。2パターンつまり家2軒だいたい完成。これは面白い。次は実家の間取りの再現に取り組もうかと思ったりしている。

モバイル通信の残りデータ量 (10月1日・月)


iPhoneで使っているIIJmioネット回線のモバイル通信量が残り20MBと書いたが妻を迎えに行った火曜に5MBと晩茶祭りで2MBを使って13MBを残してで9月を終えた。自宅でWi-Fiが切れたままモバイル回線を使っていたのが原因だと思う。iOS 11になったとき設定をいじって間違ったのだろう。

その反省をもってWi-Fiが弱いときモバイル回線に切り替える設定をオフにした。モバイル通信はオフにしたまま自宅では一旦窓際まで行ってWi-Fi電波を掴んでから使うようにしたら使用量が激減した次第。10月になり残り使用量は3GBに戻った。昨日は月が変わったところで停電。

当然Wi-Fiは使えないので使用量が3,013MBになっていることを確認してモバイル通信をオンにした。今日時点で2,976MBだから停電している間に37MBを使っていたことになる。ともかく自宅ではモバイル通信に頼らず必ず事務所のWi-Fiを掴んでから使うこと。これを徹底したい。

以前はWi-Fi中継器を自宅窓際においていた。ところが中継器がなくても入ることは入るから電気代をケチって外してしまっていたのだった。Wi-Fiを窓際で掴んでから使うか中継器を復活させるか少し考える。ともかく3GBまで戻ったのでアプリ設定はほぼ元に戻して通常の使い方ができそうだ。

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© 2018 Takashi INAGAKI