2011年12月

大晦日 (12月31日・土)


大晦日である。年賀状は私の名前だけで印刷したものの1枚も書いていない。心が弱ると何をやるにしても消極的になる。今日は昼にラーメンを食べようと隣町の「美渓」に行ったら休みでうどん屋も同様。コンビニでパンを買ったら上勝のN氏やI氏に会った。

午後から片付けをしようとしたが思案するばかりでほとんど進まず。多分2%ぐらい。この機会にじっくりやろう。夕方になり鳴門に出発。車を走らせながらまた新しいビジネスアイデアを思いついた。というか前回のアイデアの営業展開について。書き残しておくがPR会社を絡めるのである。

鳴門に着いてカレーを3皿分全部食べた。わざわざ用意してくれていた母に感謝。さて誰もいない実家で年越しである。一人だけの大晦日は1982年に東京・西荻窪で仮面浪人していたとき以来だと思う。実家には普段は老母一人。私が一人で大晦日を迎える日はまたあるだろう。

ともかく今年は紅白歌合戦を付けたままツイッター三昧。年が変わる30分ほど前に仏壇の濁り酒を取り出しおちょこに注いで亡父に話しかけた。ちょっと涙。私も一杯。明日はありがたくも母が用意してくれたお節料理がある。2011年皆様ありがとうございました。2012年もよろしくお願いします。

県立文書館と年末警戒と大掃除 (12月30日・金)


水曜は「文化の森」という大きな文化施設の中にある文書館に仲間のN氏と行った。15日に訪ねたら休館日で出直した格好。ここで瀬津村(現上勝町生実)の庄屋にあった文書が公開されているのである。裁判の評決や藩有林を部落の共有林にする手続きの文書などが展示されている。

明治になると公道での半裸や混浴の禁止の通達がある。それまで混浴は一般的だったのかも知れない。外国の目を気にして先進国として振る舞うためと解説されていたが混浴を日本の文化と認め今に残っていれば大きな観光資源になっただろうと思ったり。

木曜は消防団の年末特別警戒に参加。20時集合で消防車に乗り火の用心とアナウンスしていく。私が所属する分団のエリアをほとんどくまなく回る。20時25分頃出発して詰め所に戻ったのは21時40分頃だったか。そのまま24時まで詰め所で待機。

年越しは鳴門の実家で過ごすはずだったが1歳の甥が9度目の入院となり母が明日から東京に行くことになったとか。お節料理とカレーを用意しておくと言ってくれたので明日は鳴門には行くつもり。その前に今日は夕方から大掃除。半分はすっきり。夜は経理に4時間も。もう本当に辞めたい。

『ソーシャルメディア進化論』 (12月29日・木)


ツイッターやFacebookといったソーシャルメディアに関して最先端の理論を勉強しておこうと思って買った。武田隆『ソーシャルメディア進化論』(ダイヤモンド社)。著者は企業のユーザーコミュニケーションサイトを長年に渡り企画運用してきたサービス企業の代表である。

理論書でありながら大学の研究室で初めてインターネットに触れた衝撃から始まる記述は基礎的な解説も交え著者が経験した具体例を交えながら進む。学生ベンチャーとして設立したWeb制作会社が窮地に陥りサービスの方向をインタラクティブ性に求めた歴史は物語としても面白い。

ベネッセやカゴメといった企業が設けたコミュニケーションサイトの運用の経緯が比較的詳細に記述されている。理論だけでは当たり前で面白くない内容になりがちだが著者たちの奮闘や気づきや実験や喜びの記述も多く著者に共感しながら理解が進む。

給料も払えず1日に1本のみたらし団子で食いつなぎながら「企業も孤独なんだ」と気づいたエピソードやコミュニケーションの本質が「感謝」であることなどソーシャル時代の正しいユーザーコミュニケーションのあり方がよく分かる。企業のマーコム担当なら一読しておくといいと思う。

『塩の道』 (12月27日・火)


以前読んだ『忘れられた日本人』が面白くて買っておいたのだがやっと読了。宮本常一『塩の道』(講談社学術文庫)。昭和54年から56年にかけて公表された3つの論文「塩の道」「日本人と食べもの」「暮らしの形と美」が収録されている。このうち表題作が特に面白い。

山奥で塩を手に入れるのに新潟では木を川に流し河口で引き上げ海水を燃やして塩を作り持ち帰っていた。あるいは山で生木を燃やし灰を作り海の町で塩と交換した。さらには途中の町で引き上げ薪にして売って金銭を持って海に行き塩を買った。地域や歴史によっていろいろだったらしい。

馬や牛を使って塩を売った話もある。興味深いのは多くの場合牛が使われたらしい。馬は馬屋がないと寝ないのに対し牛はどこにでも横になる。ある地域の行商では数頭の牛を足を中央に向け寝させ火を焚いて野宿したとか。牛は道草を食べるのでえさ代が浮くメリットもあったらしい。

塩イワシを買うと焼いて1日目は塩を舐めるだけといった風習が紹介されている。それほど塩は貴重だったのだ。山の農家は敢えて質の悪い塩を買ったという話も。質の悪い塩からニガリを採り豆腐作りに利用したらしい。私が住む上勝ではどうだったろうと興味が沸くような話が満載。

クリスマスコンサート (12月26日・月)


クリスマスの25日(日)は徳島駅ビルであるホテルクレメントのロビーで行われたコンサートに参加した。ママさんコーラス全国大会で金賞を受賞する実力ある女声合唱団フラウリッヒ・ヴォカールが毎年開いているクリスマス・ロビー・コンサートに徳島男声合唱団「響」が賛助出演したのである。

参加した団員は10人。学生たちは23日が徳島大学合唱団リーダークライスの定期演奏会で「響」の練習どころではなく平均年齢の高い10人だった。最近は毎年参加しているようで演奏曲も大きく変わらないらしく全く新しく覚えたのは私とあと2人ぐらいだったと思う。

といっても確か1998年の12月に徳島合唱団ら3団体が開いた演奏会で歌ったはずの曲が2つ。「Joy To The World(もろびとこぞりて)」と「Hallelujah(ハレルヤ)」。13年前に我が「響」の指揮者Sが指揮した「ハレルヤ」を覚えきれなくてステージで歌えなかった記憶が蘇った。

この2曲と「All things bright and beautifl」が英語で歌った混声合唱曲。「響」単独で歌った「O Tannenbaum(もみのき)」はドイツ語と英語と日本語。ロビーでは上勝のM嬢や中学の同級生ら何人かの友人が見てくれていたらしい。今年のステージは全て終わってホッとしているところ。

『神社若奥日記』 (12月25日・日)


アマゾンでの評価が良く今回の東京出張の移動中に読んだ。岡田桃子『神社若奥日記―鳥居をくぐれば別世界』(祥伝社黄金文庫)。著者は大阪で2,000年の歴史がある神社の123代目の跡取りと結婚した東京の元フリーライター。神社の日常を内側から書いたエッセイである。

東京から大阪に来たことに加え神社という馴染みの薄い世界に入った驚きが軽妙な文章で書かれている。最初は結婚式。貸衣装の十二単が如何に重く似合っていなかったかと書きながら本格的な神社での結婚式の様子がよく分かる。

神社の行事は全て日が決まっていて淡々と毎年同じように行うのが神官の勤めなのだと書いている。地域の神社総代さんや氏子が参加する「直会(なおらい)」のことも。要は季節ごとの祭りの後に行われる宴会。この神社のことを軸にしながら神道の考え方が随所に紹介されている。

初めて知ったのは厄年の謂われだ。「厄年の『厄』は神まつりを行う神役の『役』のことでもあると言われています」と神社本庁「氏子のしおり」を引用している。とにかく文章が軽くすらすら読める。全く知識がない人が神道を知る入門書としても最適だと思う。

ビジネスアイデア2件 (12月23日・金)


先日来のツイッターや東京出張で会った人との会話をベースに新しいビジネスアイデアを2つ思いついた。ホリエモンや津田大介さんはアイデアは誰もが思いつくものであって機能実装の能力とスピードが競争力の源だと言っていて確かにそう思うし弱点がまだまだあるのでここに記す。

一つは企業向けのキュレーションサービス。Paper.liのWeb新聞はフォローしているツイッターユーザーの発言から紙面を構成するがこれの企業版。メールまたはRSSで発行してもいい。情報はRSSまたは検索で取得しタイトルだけを再構成する。個人向けも可能だが事業にするため企業向け。

もう一つはビジネスになるかどうかは分からないがUstream番組のアイデアだ。先日書いた美波町の地域おこし協力隊の女性が書いているブログによると全国に仲間が400人いるらしい。いずれも社会的キャリアや報酬より生き甲斐を求めて地方に住んでいる若者たちだ。

彼らを繋いで地域の悩みも含めた番組は同じようなことに興味を持つ視聴者を集められるような気がする。東京で会った慶応の大学生さんのようにネットの力で地域の情報を発信したいと考えている人も多そうだ。もう少し人と話して企画をしていこうかなと考えているところ。

ツイッターで繋がる (12月22日・木)


日曜玉置沙由里さんとノマドについて書いた。実はその文書を書いた夜に玉置さんとツイッターで絡むことができた。間にいたのは美波町に東京から地域おこし協力隊として来ている若い女性だ。会ったことはないがツイッターでの発言は読んでいたし返信したこともあったと思う。

その彼女が玉置さんにため口で返信していたのである。思わず「お知り合いなんですか」と聞くと中高時代のまぶだちだと。玉置さんが徳島に遊びに来たらUst機材を提供すると言ってしまった。20歳以上若い彼女たちの新しい生き方を何か応援したい。私もソーシャルメディアの住人である。

一方その前夜は高校以来の親友ニシノとツイッターで会話をしていたら「みんなの党」の徳島県議が私とニシノは「お知り合いなんですか」と。その2人は大学が同じで新聞記者だった経歴が同じ。さらに徳島で同じ町内なんだとか。いずれ県議と会う機会もあるだろう。

最近はFacebookに移行している人も多いようだが情報収集と拡散ならツイッターの方が有効だ。一般的にFacebookでは直接の知人以外「友達」にはしないので情報の量と多様さではツイッターが断然勝るし拡散力も5倍違うと何かで読んだ。改めてツイッターの繋がる面白さを実感している。

東京で受けた刺激 (12月21日・水)


東京のA社事務所に朝少し顔を出し来年のカレンダーをもらってきた。有楽町線からJR浜松町経由モノレール。11:50発のJAL便はガラガラ。右の窓際に座り富士山を上空から眺めた。初対面の人を含め慌ただしく話をして刺激を受けた。たまには東京で人に会わないと。

その刺激を受けた話を将来のために書き残しておこう。一つはA社のボス。最近iPhone用アプリで音声認識の凄まじさに感動していたのだがボスはその開発会社の役員と同じ町内会で社長とも旧知と。その話は聞いていたが私が感動していたアプリの開発会社だと気づいて驚いた次第。

「徳島のICT活用は先進的だ」と誰かから聞いたと言うので思い出してもらった。ニュービジネス協議会の副会長だと言っていた。我々の活動が少しは伝わっているかも知れない。徳島は日本語教育立県を目指すべきという意見には根拠がもう一つ足りない。

慶応大学の女子大生からは東京に住む田舎を持たない大学生をファンにする仕組みのことを聞いた。それをソーシャルメディアとツアーでやるのだと。夜一緒に飲んだ大手出版社M氏の話も面白かった。データベースシステムは決め手かも知れない。

東京2日目 (12月20日・火)


朝からヨドバシカメラ新宿。新宿駅西口地下道で京王プラザホテル広報のS嬢とすれ違って呼び止めて挨拶。会ったのは4年ぶり。ヨドバシではパソコン周辺機器コーナーや調理器具などを中心にあれやこれや最新製品を見て回った。iPadケースも見たが結局何も買わなかった。

新宿から丸ノ内線で赤坂見附に戻り昼ご飯を食べて税理士さんの事務所へ。10月決算の要点のレクチャーを受け補助金について説明し今期の計画について話をした。終えて時間調整して16時に待ち合わせたのが来年から上智の大学院に行くという慶応大学の女子大生。

地域活性化の実践で徳島をテーマに取り組む友人T氏の仲間。次に三越前の会社を元同僚H氏に誘われて訪問。神山にサテライトオフィスを持つ企業の副社長らと情報交換。そこから半蔵門線で取って返して駒沢大学。義母に会って時間がなくタクシーで代田橋経由京王線で初台。

神山出身の大将の2軒目のお店。大繁盛。そこから京王線と世田谷線で三軒茶屋。渋谷から移転したバーWestEnd。ここのマスターも徳島出身。さらに三茶の徳島ラーメン店を訪ねたら定休日。三茶の名西酒造には徳島ラーメンはなく撤退。都内を行ったり来たりで刺激を受けた東京2日目。

東京出張と忘年会 (12月19日・月)


東京に来ている。11:45発JAL便。機内はガラガラで私は珍しく窓際に座り上空からの景色を見た。3月以来の東京だが以前の出張に比べ私は落ち着いている。といっても品川で京急の改札を出たのにJRに乗り換えるはずが再び京急の改札に入りかけて慌てたり。土地勘は狂っている。

その京急の社内でFacebookを見ていて北朝鮮の金総書記の死亡を知った。別居している上勝で自室にテレビはないからこういう日にテレビを見られる環境にあってよかったような気はしている。ともかく今は半蔵門。一旦ホテルにチェックインし荷物を置いて事務所に行った。

ボスと話して池袋から恵比寿経由で広尾。バイオハザードなどで知られるゲームソフトメーカー「カプコン」創業者・辻本会長がオーナーの「ケンゾー・エステート」。辻本さんがカリフォルニアで470万坪の土地を買いブドウ畑を作り醸造したワインを出すお店。ここでA社の忘年会。

A社は辻本会長が理事長なのだ。理事長から市販されていないワインの差し入れも。ワインも料理も美味しかった。2時間半で解散し広尾駅前の居酒屋で今度はビール。夫婦問題やら昔話やら。広尾から半蔵門のホテルまで地下鉄を乗り継ぎ40分。徳島から車で帰る上勝と同じ時間距離。

ノマド (12月18日・日)


土曜の19時から講談社のWebサイト「現代ビジネス」によるUstream番組を見た。佐々木俊尚さんがコーディネータで20〜30歳代の5人の若者が生き方を語るというものだ。5人のうち既知だったのは玉置沙由里さんだけ。京大を出てシンクタンクを1年で辞めてノマドを提唱実践している。

ノマドとは元来は「遊牧民」といった意味である。この番組で知ってフォローした大石哲之氏はツイッターで「既存の制度・枠組みにとらわれず自由に発想・行動するワーク/ライフスタイルの実践へのオマージュ」と定義を提示していた。皆ソーシャルメディアの中で生きているという人たち。

面白かったのは自宅を持たずネットで知り合った人たちの家を渡り歩く生活実験のこと。集英社を30歳で辞めた女性はやりたくないことを避けた職業選択を語っていた。専門性のネットワークで行われていた仕事のやり方は特定個人のキャラクターを集めたネットワークに移行しているとも。

玉置さんは以前から「露出スキル」についても書いていた。ネット上で実名と生活を公開し生きていく能力だ。最近はネットの世界を第八大陸と言って実験的先端的な生き方を突き進んでいる。ネット回線だけを頼りに上勝で仕事を始めた私は彼女らの生き方に大いに関心を持っている。

ソーシャルメディアの実体験 (12月17日・土)


NIFTY-ServeのForum(後のStation)で外部スタッフを依頼した4人には報酬を支払った。4人の報酬は一律ではない。20あったはずの会議室に重みを付け彼らの発言数をカウントし予め設定した単価を元に毎月計算した。何が平等なのかを考えて。

人より仕事をしたスタッフには当然報酬額を多くしたい。しかし私がその都度査定したのでは私情が入る。だから最初に機械的に算出できるような方程式を作った。新製品などが出て会議室も増えたりしたはずで何度か微調整はしたとは思うが。

その方程式を作成するためには時間を掛けた。試算を繰り返しあらゆる観点からその結果を吟味した。その計算にはJ社の表計算ソフト「三四郎」を使ったような気もする。当時主流だったLotus1-2-3を私は使ったことがないしEXCELはJ社にはなかったはずで。

あのとき苦労した報酬計算の考え方が後の仕事に生きている。例えば今の上勝TV。私にとってパソコン通信はソーシャルメディアの原点であるとともにソーシャル時代の経済価値換算の実体験モデルでもある。15年も前に今に至る素晴らしい経験をさせてもらっていたわけである。感謝。

NIFTY Forumのスタッフ (12月16日・金)


パソコン通NIFTY-Serveでのforum開設は齋藤さんから持ち込まれた企画だった。10年以上会っていなかったが最近Facebookで繋がった。彼をForumの座長に据えスタッフは一般会議室で一太郎などについて発言をしていたS水さんと神田知宏さんと木下由美さんに依頼した。

S水さんだけイニシャルにしたのは彼がサラリーマンだったから。もう10年以上連絡を取っていないが当時は巨大銀行のシステム担当だった。神田さんは司法試験浪人でファミレスでウェイターをしていた。木下さんも当時はアルバイトで食べていた人ような気がする。

NIFTYのForumで4人のスタッフは八面六臂の活躍をした。その活躍は月刊JUST MOAIというユーザー情報誌を発行していたJ社出版編集部の目に止まった。当時ライターを求めてた編集部が彼らに声を掛けたのだろう。結局4人ともライターの仕事をやるようになった。

神田さんはファミレスのウェイターを辞めJ社の社員と結婚しインプレスから「できる一太郎」を出版して毎年数千万円の印税収入を得たはずだ。その後試験に合格し今や弁護士。木下さんも何冊も本を書いてきた。そう言えば木下さんには数年前Kと私で結婚のお祝いをプレゼントしたのだった。

モバイル回線の解約 (12月15日・木)


ノートPCで使うUSB型のFOMA通信カードを解約してきた。2年の縛り期間が過ぎたのだ。11月に行ったら違約金がかからないのは12月だと言われ出直したのだった。この通信カードの契約でレノボのネットブックをタダでもらって出張のときなどに使っている。

でも出張ではホテルで有線LANに接続する場合がほとんどだ。元々実家でPCを使うときの回線として考えていたが今年になってドコモのモバイルWi-Fiルーターを買い専らこれを使っていて通信カードを使う機会は激減した。使わなくても1,000円少し。使うと上限6,000円弱。

合わせてドコモの携帯電話の補償契約も解除した。水没させても全額が補償されるわけでなくて5,000円だか掛かるというし既に買って3年が過ぎたし。壊れたら買い換えだ。今日はドコモショップとソフトバンクにも行った。iPhoneの契約を解除するかどうか料金を確認に。

iPhoneも最近はドコモWi-Fiルーター経由でアクセスしていてソフトバンクの電波は使っていない。でも解約すると機種の残金と手数料を合わせて3万円以上も掛かる。Wi-Fiルーターは電池の保ちが悪いからソフトバンクの回線契約は残しておこうか。ちょっと悩んでいるところ。

NIFTY-Serve (12月14日・水)


日経MIXと時期が重なっていたかも知れないが当時最大手だったNIFTY-Serveにフォーラムと呼ばれる会議室を設ける仕事を担当した。私とは同期で技術系の部署にいたKと2人でだ。あれは何年だったのだろう。2人で東京・大森のニフティ本社に出向いたときのことを覚えている。

先方は確か2人いた。当時30歳前後だった私たちより若干年上だった担当の方は一通り話が終わって「こんな美味しい話があっていいんだろうか」と言った。当時国内で最大のユーザー数を抱えていたJ社がPC-VANではなくNIFTYでフォーラムを作りたいと言ってきたことを指してのことだろう。

当初はForumと言ったがカテゴリ変更で後にStationと呼ばれるようになった。いずれにしてもユーザーのアクセス時間に応じてJ社はニフティから売上を得たはずだ。ニフティの売上には大きく貢献したはずでJ社が受け取った額はおそらく1ヶ月あたり数十万円になったのではないか。

一方でフォーラムの中に会議室を20個作ったと思うがその構成や管理を私とKは外部に委託することにした。自分たちでは難しかったのは確かだが何故この仕事を外部委託したのか。確か元々はライターのSさんから持ち込まれた企画だったように思う。(続く)

町議会議員選挙 (12月13日・火)


上勝町議会議員選挙が今日告示された。こちらに移住して初めての町議会議員選挙。新聞によると定数8に対して9人が立候補したらしい。張り出されたポスターを見ると9人のうち直接話をしたことがある人が何と5人。小さな町の選挙がどのようなものか興味も湧く。

東京にいるとき世田谷区区議会議員で直接知っている人など皆無だった。80万区民で我が選挙区だけでも人口は10万人を超えていただろう。1,700人の上勝町とは全く違う。前に徳島市民だったときも同様。県議会議員には知人がいるがそれは私がそういう年だということだ。

さて上勝。知人5人のうち4人の候補者が最近1ヶ月の間に訪ねて来られた。うち直接話をしたのは1人だけだが3人は名刺を郵便受けに入れて行かれていた。各候補者の主張が一覧できる報道があるわけでもなく勢い見知った方に投票することになるのだろうと思う。

と言っても私は既に地元候補の推薦人だか発起人だかで今日あった出陣式にも行ってきた。60〜70人ぐらいがいたと思うが半分以上が知っている人たち。7人が演説をしたが町内の6人は全員知っているし妻はウグイス嬢をやるらしい。とても身近な選挙なのである。

メルマガと電子書籍と一太郎 (12月12日・月)


IT業界は日進月歩ならぬ秒進分歩。次々と新しいサービスや技術が生まれる。田舎でいるからこそ最新情報をキャッチアップする意識が必要だ。というわけでITやソーシャルメディア関連のメルマガを購読し始めた。ジャーナリストの佐々木俊尚さんと津田大介さんのメルマガである。

佐々木さんは毎日新聞やアスキー出身で毎朝ツイッターでネットから有用な情報を切り出して提示してくれている。でもツイッターではまとまった論考や分析が読めるわけでもない。佐々木さんとは興味の範囲が似ているので月1,000円出して週刊のメルマガを読んでみることにした。

一方津田さんのことはかつては敬遠していたがツイッターで発言を読むようになって興味の対象やモノの見方に賛同することが多くなった。特にソーシャルメディアに関する意見は参考になる。電子書籍の標準フォーマットEPUB形式で読めるようにしていることにも興味を持った。月630円。

さて津田さんのメルマガを購読し始めたタイミングで一太郎の発表である。EPUB出力が追加されたらしい。他にも電子書籍フォーマットの出力ソフトはあるのだろうが関心を持った。普段は一太郎をあまり使わないが今までで最も興味があるバージョンアップだ。来年2月に買ってしまうかも。

上勝TV一周年と皆既月食 (12月11日・日)


土曜は上勝TVの1周年配信だった。M嬢は都合で欠席。ゲストもなくパーソナリティ2人だけ。結果として少し寂しかったかも知れない。私は自宅からドコモのモバイルWi-Fiルーター経由で見ながらツイッターの公式アカウントを担当。後半で配信が途切れ以降は音声がブツブツ切れた。

音声が切れ切れになったのは私とスタッフT氏だけだったようだ。2人ともそれぞれのWi-Fiルーター経由。10月のとくしまICTフォーラムのときも切れ切れになったからドコモが規制を掛けているのかも知れない。つまり動画配信には使えないということか。

一方で配信そのものが切れた原因は分からないが上勝町内のネットワークの問題かも知れない。復活後に町内の視聴者からは音声が途切れるとの報告があったが市内や東京からは順調だったらしい。今日になって報告があったが高画質すぎた点があったかも知れない。

配信が途切れたのは月食の影響だという説があったがこの日は皆既月食。21:45頃から掛け始め23時頃には完全に月が地球の陰に隠れた。各地でUst配信も行われたようで多少の影響があったのかも知れない。空気が澄んでいて私も何度か表に出て空を見上げた。

iPhone4のバッテリとアプリ (12月9日・金)


iPhone4のOSをiOS5にアップデートしたら懸念通りバッテリの保ちが悪くなった。寝ている間ただ置いていただけで20%減っていたり。そうツイートしたら高校時代の友人が位置情報の利用をオフにするなどアプリ毎の設定を見直した方がいいとアドバイスをくれた。

同時にアップデートしたiPad2は置いていただけでは全く減らない。違いは電話機能の有無。まずはiPhoneの3G機能を切ってみたが電波を探している気配がある。そこからアプリの位置情報を利用している設定を片っ端からオフに。Four Squareなど切ったら意味がないアプリは残したが。

3G回線の利用は何度目かに切ったら電波を探しに行くことはなくなったような気もする。そんなこんなで丸2日ほど試してみて寝ている間の減りは5%まで改善。この過程でメモリ解放アプリの存在を知ってインストールもした。どうも電話とメールは利用していなくても何かが動いているような。

ついでに新しいアプリも何本か入れた。IT mediaが出している佐々木俊尚さんらのキュレーション(まとめ)情報を読める無料のONETOPI。日常ツイッターで使うTweetATOKの有料アドオンも買った。広告が取り払われるというメリットに600円は高いと思いつつ。でも画面はすっきり。

西社長の講演 (12月8日・木)


中学のクラスメートで今や社員250人の会社の社長である西氏の講演を聞きに行った。中学の同級生たちのFacebookグループで美人社長T嬢が昨夜声を掛けてくれたのだ。この2人とはFacebookミニ同窓会で会ったしT嬢とは松浦酒造の蔵開きでも会った

徳島の経営者団体が主催した会のようだが私たち2人はオブザーバー。会場は県庁の川向かいにあるザ・パシフィックハーバー。地ビールを出すビアホールだった時代に2度行ったことがある。車は2kmも先に駐め無料のタクシーが送迎してくれる。コーヒー代500円だけ払い講演を聞いた。

西社長は13年前に東京から徳島に戻り社長を継いだ。今や講師として引っ張りだこだそうで今日の講演も1年前から予定されていたらしい。講演タイトルは「社員の幸せを私の幸せとする」。企業理念を作り如何に社員に浸透させ現在の会社がどうなったかを細かく説明してくれた。

勉強会と飲み会とイベントが多く全て100%の出席を求めるらしい。100%出席のために何をするかを考えると。何度も笑わされたし後半は泣いた。社員の自慢をしているときが一番幸せだと帰宅後Facebookでコメントをくれた。いい話を聞かせてくれた西氏と機会を与えてくれたT嬢に感謝。

日経MIX 2 (12月7日・水)


日経MIXでは新人の私に対する目は温かかったような気がする。あるとき誰かが「課長になるより社長になる方が簡単だ」と書いたことに対して私が「For example, Mr. U. in Tokushima」と書いたら新人がそこまで書ける会社は風通しがいいはずだという感想が書かれた記憶がある。

日経MIXでは知り合いも何人かできた。東京の歯医者のNさんは見学に来られて私が社内を案内して空港までお送りした記憶がある。確かネットワンシステムズにいて後にマイクロソフトに転職して常務になるtonさんは日経MIXでは有名人だった。

当時のパソコンマニアが最も集っていたのは今はインターネットプロバイダとして名を馳せているASAHI NETのパソコン通信だったと思う。日経MIXはその次だと思う。結局のところマニア向けに徹しきれず会員数ではNIFTYやPC-VANに引き離され日経MIXはサービスを止めた。

当時の担当者は日経MIXに会議室を持っていた企業を謝罪して回っていたと思う。謝罪に来た担当者と沖浜第1ビルの玄関で会った記憶があるのだが誰だったろう。後にコンサルタント会社に行ったMさんだったか。いずれにせよ日経MIXこそ私にとってソーシャルメディアの原点である。

日経MIX (12月6日・火)


あるソーシャルメディアの本を読んでいて思い出したので記録しておこう。私のソーシャルメディア歴である。というより実際はパソコン通信歴だ。ちなみにパソコン通信というのは富士通の子会社ニフティやNECなどが個々に運営していたネットワーク上のコミュニティである。

主な機能は今のインターネット掲示板のようなものだと思えばいい。ただし接続プロバイダと掲示板が一体化しているのでインターネットのように他社の掲示板サービスを見るようなことはできない。しかも当時は通信速度が遅く画面は画像表示など全くなくテキストだけだった。

ニフティが運営するNIFTY-ServeとNECのPC-VANが大手。私は日経マグロウヒル(現・日経BP社)の日経MIXから始めた。私がJ社に入社した1年目に中高時代のアマチュア無線仲間で当時日経MIX編集部にいたM氏から社長が勧誘されて私がやるようにと命令されたのだった。1988年のことだ。

私のメールアドレスtinaは日経MIXで最初に付けたハンドルネームだ。パソコン通信専用のNEC PC-9801を会社のデスクの傍らに置き夕方とか夜に覗いた。一太郎など製品について訊かれても1年目の私は何も答えられず当たり障りのないことを書くばかりだった。(続く)

iOS5 (12月5日・月)


iPhone4とiPad2のOSをiOS5(5.0.1)にアップデートした。iPhone4S発売に先立ちiOS5をリリース直後にアップデートしたiPhoneユーザーからはアプリが使えなくなったとかバッテリの持ちが悪くなったといった声があり今まで様子見をしていた。だが状況は落ち着いてきたようでもあり。

充電のためPCに接続するたびにiTunesがアップデートしろと言ってくるのが鬱陶しくなってもいた。まずはiPad2から。iTunesのメッセージに従ってクリックするだけ。iOS5をダウンロードしiPad2から全データをPCに一旦移した上で初期化しOSをアップデートしてから全データを書き戻す。

設定時には「診断使用状況」を自動的に送信するか訊いてきた。Galaxyなど特にAndroid携帯で通話記録やアプリの使用状況にWeb閲覧記録などプライバシー情報が勝手に収集されていて世界中が大騒ぎになっているこれがCarrier IQの設定だろう。もちろん送信しないにして終了。

セットアップも含めiPad2は25分ほど。iPhone4は35分ほどで終わった。iPhone4が長かったのはアプリとデータが多かったからだろう。バッテリの持ちは分からないが主要アプリは問題なく動作している。ハードウェアは1世代古いままだがこれでソフトウェアは最新版になった。徐々に試していこう。

社名 (12月4日・日)


新しく会社を設立しようかと考えている。今の会社は妻と2人で設立したが同じ仕事をしていて各論で意見を異にすることが目立ち始めた。形式上株式は同数だが彼女が代表であって最終決断は全て自分が行うと言っているので決定的な対立が起こったときは私が辞めるしかないわけだ。

それで何日か前に新会社の社名を考えてみた。現在の社名は名前のイニシャルである。TMは私と妻の名前の頭文字だしインタラクティブの「I」は私の姓のイニシャル。新しい社名を考えるにあたり結局このパターンから抜け出せず略すと「TI」となる名前を考え始めた。

まずは黎明期から業界をリードしているインターネット・イニシアティブ(IIJ)にあやかって「I」はイニシアティブに決めた。次に「T」だがこれが難儀。思いついた言葉は何故かタンゴ。タンゴ・イニシアティブ。語呂はいいのだがタンゴには全く意味がない。タンゴを主導するつもりはないわけで。

いろいろ調べて行き着いたのがタンジェントライン。接線という意味がある。キャッチコピーも同時に浮かんだ。長いのが欠点なので略してTLイニシアティブ。今の社名に似ているがまぁいいや。検索ではトップに来るはず。と夢想しながら楽しんでいるところ。

経理マン (12月2日・金)


先日ツイッターでも書いたことなのだが私は経理の仕事もしている。社会保険の手続きもやるしアスクルで文房具の注文もするしネット環境の設定もプリンタのトナー交換もやる。つまり経理・人事・総務・庶務・情報システムなどスタッフ部門の仕事は全てやっている。

小さな会社だがそれでも一通りやることがあってそれなりに時間を取られる。領収書類の処理もそうだが例えば毎月末を過ぎると銀行口座を確認して入金があった売上に対し外注費を計算して通知書を発行。15日付で振り込み翌月10日までに源泉徴収税を郵便局で納める。

月末には給与計算もして社会保険料と所得税を確認して計算の上で給与台帳や明細書を作成する。振り込みも納税もエクセル表を作って期日に遅れないよう注意もしている。今は役割毎に3つの銀行に口座があって資金繰りというほどでもないが口座残高の管理も必要だ。

会社経営の根幹たる経理を勉強しようと自分で始めたことなのだが結果として私以外に分かる人がいない。経理はやって当たり前。意欲を持ってきっちりやってきたが義務感だけが強くなってきた。地味で評価されにくい世の経理マンたちに同情する最近。私も一端の経理マンということか。

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© 2011 Takashi INAGAKI