<Diary Index Page>

2018年8月

借地とマイホームデザイナー (8月31日・金)


前にも書いたが高校までの19年弱と大学卒業後4年弱の約23年住んだ鳴門の実家を除けば同じ部屋にいた最長は上勝に移住する直前に住んでいた世田谷区上馬の5年だったのに今住んでいる住宅には12月で丸10年になる。大きな不満はないがときどき閉塞感に襲われる。できれば環境を変えてみたい。

町に10年もいると家を買わないかと声を掛けられることがある。あの家の借り手を探しているがどうかという話もある。そんな話が今3軒。とりあえず見に行ってみようとは思っている。ただしいずれも地区が違う。消防団の分団も違う地域なのがネックと言えばネック。それでもありがたいお話だ。

私たちの場合は住むだけではなく仕事もしているので既にある民家ではなく可能なら新たに事務所兼住宅を作りたい。土地を購入して新規に建築する予算があるかどうか怪しいが私たちには子もいないので定期借地でも構わない。それで資金がどのぐらい必要なのか全く見当も付いていないのだが。

ともかく借りられる土地はあるのでもし事務所兼住宅を建てるならどんなものがいいだろうと考えたり。この妄想が楽しい。それで思い出したのがマイホームデザイナー。25年前ぐらいからあるパソコンソフトだが今は何と10万円超のプロ版まである。個人版を買ってさらに妄想に浸ろうかと考え中。

交通事故とゲリラ雷雨 (8月30日・木)


日曜に高松で合唱コンクール四国大会がある。コンクールまで今日が最後の練習。練習前に夕食を取ろうと早めの17:11に家を出て徳島に向かったら飯谷を越えて低地の直線に入ったあたりで渋滞。事故だろう。何台かUターンしていくが全く動かなくなったわけでもないし対向車はときどき通る。

佐那河内との分岐にある野上橋手前の狭くなったところで事故があった様子。重機を載せたトラックと軽自動車の2台が右前方を凹ませて待避していて警察の検分も始まっていた。トラックとは対向できないので安全を見て待つしかない場所。ちょっとした焦りや急ぎが事故に繋がったのではないか。

この渋滞で約20分ロス。国道55号を北上すると沖浜からいつもの渋滞で前方の空が真っ黒でこれは雷雨かと思っていたらかちどき橋近くの目の前で稲妻。仲之町から雨。八百屋町で豪雨。雨雲レーダーを見ると川内あたりが酷かったようだ。水曜は上勝でも雷雨に遭った。

月曜に東京に行っていた妻は義母と三軒茶屋で焼肉を食べていてゲリラ雷雨に遭ったとか。しかも9Fにあった店のビルが停電。高所恐怖症で怖がる義母を連れて9階からビルの外階段を下りたとか。店の若者2人が前後について誘導してくれたらしい。今日は雷雨が落ち着いて駅前まで行ってCoCo壱番屋。

回虫? (8月29日・水)


ゲリラ雷雨の中を妻を迎えに行った今日。夕食後20時半頃トイレに行ったら洋式便器の底に丸いものがある。妻が髪用のゴムを落としたのだろうと思ったら動いた。そのまま見ていると長く伸びたり明らかに生き物だ。東京から帰ったばかりの妻を事務所に呼びに行って2人で覗いてあれやこれや。

まさか回虫だろうか。目視で直径3〜4mm。長さ10cm。回虫なら白いはずだと妻が言う。色は赤黒いが片方はやや白っぽい。写真と動画を取って水を流しもう一度流して事務所に戻り妻が検索した画像を見たが気持ち悪いので私はシャワーへ。その間にネットで調べた妻が回虫に間違いないと言う。

とすれば大便と一緒に出て一旦は流されたが自力で這い上がってきたということか。妻は月曜から東京にいたから私が飼っていたヤツということだろうか。小学生の頃にあった回虫検査で私は常に陰性だった。今になって回虫か。梨か桃か。生野菜なら何度も食べたはずだと妻と話した。

母方の祖母は回虫を引っ張り出したことがあると母が言っていた。70年も80年も前のことだろうが。妻が言うには回虫ダイエットがパリのファッション界で流行ったことがあるらしい。そう言えばここ3日ほど体重も体脂肪率も減っている私。これは回虫のおかげなのか。だとしてもこれはイヤだ。

シェ・ハマザキ (8月28日・火)


先日書いたリンダこと林田眞美さんと初めて会った新浜のフランス料理店の名前を思い出した。シェ・ハマザキだ。旧55号を津田から南に向かい勝浦川手前を左折してすぐ。今はイタリア料理店になっていて当時のシェフは富田町で焼き鳥屋に転じたらしいが1990年前後によく行っていた。

J社の社員名簿1994年版で確認すると林田さんが高野さんとして入社したのは1988年9月らしい。東京から来た3人は他に佐藤優さんと嘉本須磨子さんだ。佐藤さんは4月入社になっていたが他に該当者がいない。改めて驚いたのだが童顔だった彼女は私の3つ上。嘉本さんは1つ上。高野さんが2つ下。

このとき話したので3人とは仲良くなった。飯田橋のサポートセンターに忘れ物をして土曜の朝に鍵を借りに行ったのは総務の佐藤さんの自宅マンションだ。1982年に私が住んでいた西荻の南口から東側に歩いた記憶がある。嘉本さんが後に弁護士になる神田さんと結婚して驚いたのは1990年代後半。

学生時代までフランス料理を食べたことはなかったはずで特にカボチャの冷たいスープの美味しさにびっくりして実家の母に言って作ってもらった。社長が接待で使うこともあり何度か同行した。弟だったか結婚前の元妻だったか4人いたと思うのだが両親を連れて個人的に行ったこともある。

『山で生きるということ4』 (8月27日・月)


2016年版に続いて今年3月発行の『山で生きるということ4〜かみかつ山の聞き書き2017〜』を読んだ。今回の登場者は80歳代で戦争体験は子どもの頃。5人の話があるが知っていたのは私が移住して間もない頃に工房に行って話を聞いたことのあった大工の山中昇さんだけ。

うどん屋から商店そして鰻の養殖や運送業もやって商工会を作った福川の田村利一さんの話は短いが面白かった。就職が決まっていたのに乞われて診療所の事務をやり始めたら看護婦や薬剤師の仕事までしていたという福原の徳永一枝さんの話は今で言えば医療法違反で大丈夫かと思うほど。

後輩より給料が安いと文句を言いに行ったり夫婦での役場勤務が議会で問題になり泣く泣く辞めたのに他に7組いた夫婦の誰も後に続かなかったとか。何十年も前のことだがここまで批判して書き手のことも心配したが町議の渡辺厚子さんの執筆だった。敢えて話を引き出したと考えてはうがち過ぎか。

このシリーズは方言もそのまま書かれている。注釈として丁寧に意味も書かれているが私の知らない言葉も頻出する。古い徳島弁なのか上勝弁なのか。「ようさ」「よわざ」と人によって表記も違うが「よあさ」とよく聞く。夜浅。夕方だったり夜の始まりという意味だ。これは上勝に来て覚えた。

リンダ (8月26日・日)


ネット上でリンダと呼ばれている友人がいる。J社の元同僚で今は埼玉あたりに住んでいるらしい。数年前にFacebookで繋がってネット上でときどき話すのだが個人プロデューサーと称して女性の起業コンサルタントのようなことをしているらしい。林田眞美さん。私と知り合ったときは高野さん。

昔はナンシーと呼ばれていた彼女は結婚して林田になり離婚して数年前に再婚。リンダは林田の重箱読みだと。私は1988年4月の新卒入社だが彼女は同年9月の中途入社。東京勤務だが研修で徳島に来た初日に総務Y原氏に誘われ彼女を含む同時入社の女性3人と一緒に新浜のフランス料理店に行った。

後にマイクロソフト専務執行役になるM氏が課長の営業2課勤務。沖縄の社員旅行でバレーボール大会をやったとき応援で一番うるさく目立っていたのが彼女。あれは誰だと本社の皆から聞かれた。私が東京に行ったときたまに話すだけだったがFBで繋がってから彼女のことが分かってきた感じがする。

主婦の起業を支援するようなことをやっている彼女のブログが辛辣だったりして面白いのだ。書いていることは真っ当で言葉の使い方とかについて書いた記事に共感する。同年代だからなのか感性が近いのか。同僚だった頃に仕事の接点はなかったが彼女にはいつか会ってこようと思っている。

鳴門の梨と福島の桃 (8月25日・土)


夏の果物で一番に思い浮かぶのはスイカだ。子どもの頃は午後のおやつだったり夕食後だったり毎日のようにスイカを食べた。スイカは父の実家で作っていて祖父は農協で等級を決める判定員だと聞いたことがあった。父が好きだったのだろう。祖父が我が家に寄ってよく置いて行ってくれていた。

でもスイカを食べると私はよくお腹が痛くなっていた。水分ばかりだし手がベトベトするし私はスイカはあまり好きではない。ところが同じ水分ばかりでも梨は好き。特に鳴門の梨は美味しい。ちなみに母方の祖母は梨を噛んだ後カスを吐き出していたらしい。スイカは盛夏で梨は晩夏だったような。

梨も父の実家からもらっていたのだと思っていたが最近聞いたところ梨は作ったことがないらしい。道向かいが梨畑で近所からもらうのだとか。それが我が家にも来ていたのかも知れない。先日もらった梨も近所の農家さんのものだと言っていた。ぶどうも好きでよく食べた。桃は年に1回ぐらい。

桃を美味しいと思ったことは最近までなかった。ところが震災後に応援する趣旨で福島の桃を妻が取り寄せて食べたところ美味しいのだ。福島生まれの妻は鼻を高くして自慢している。今年も妻がふるさと納税で入手した福島の桃を毎日食べている。夏の果物は鳴門の梨と福島の桃が最強だと思う。

共済掛金前納手続きと消防分団役員会 (8月24日・金)


共済保険の前納手続きの書類を持って商工会に行ってきた。加入した2年前も昨年も1年分を前納して今年もそのつもりだったが10月決算の売上に余裕がない。共済への拠出は黒字でないと意味がないので月額を減らそうと書類を入手してみたが申込条件が厳しい。一方前納月数は自由に設定できる。

それで先日来シミュレーションを繰り返して堅く見積もって10ヶ月分だけ前納することにした。さて台風20号が昨日21時頃に海陽町あたりに上陸して北上。徳島市は目に入ったらしい。上勝の奥では時間雨量69mmと報道されていたが私のところは夕方1分停電しただけで大した影響がなかった。

とはいえちょうど上陸する時間帯に消防分団役員会が予定されていて今日に延期されていた。皿鉢料理は台風で仕入ができないだろうとナシ。今日は事前に自宅で夕食を取って19時半から行ってきた。案件の中心は9月9日(日)の防災訓練の話。安否確認訓練ということで分団員を地域分け。

それから新ポンプの話。艤装された筒先がポンプと干渉する件は会議が始まる前に積載車を前に役場担当者が来て話もして分団長案で進めてもらうことに。ポンプ冷却用の水を出すコックは外し他は今まで通り排水して構わないと。空回しを避けるため放水直前にエンジン始動を徹底しようと確認。

『山で生きるということ3』 (8月23日・木)


『山で生きるということ3〜かみかつ山の聞き書き2016〜』を読んだ。2013年版を読んで2014年版には私も書き手として参加した。そして今回は3作目の2016年版。昨年の春に出版されて間もなく買っていたのだが積ん読状態だったのだ。それをやっと読み終えた。

今回は上勝の5人の聞き書きだ。旭の清井さんはシベリア抑留から帰国して製材所を始めたという話。同じ旭の龍田さんは北海道から樺太に行く前日に終戦となり生き残って林業家として生きてきた話。傍示の溝上さんは炭焼きと猟や漁のこと。ほぼ自給自足で生活できるという。

樫原で棚田を守る田上キヨ子さんは上勝TVに出演してもらいその後も数度会ったことがある。傍示の菖蒲さんが北海道生まれだとは知らなかった。『上勝町部落小史』(1975年刊)に発動機と脱穀機を最初に買ったのが菖蒲さんだと載っているので農機具販売をやっていたことは聞いたことがあった。

菖蒲さんの話を聞き執筆したのはMア嬢。同じ住宅に住んでいて昨年の秋祭りでも一緒にやった。別居婚だったが出産のためご主人のいる大分に今年3月に引っ越した。この本は買ってすぐ読んでおけばよかった。彼女とはまた会うだろうが菖蒲さんは今年亡くなってしまったのだ。返す返すも残念な。

Amazon Mastercardクラシック (8月22日・水)


東京を離れる10年前にクレジットカードを整理して増やさないようにしたいと思っていたのに2年前にフォレスターを買ったとき年1回のオイル代が無料になるスバルカードに申し込みプレゼントポイントに釣られてシェルカードにも加入。そして今日アマゾンのクレジットカードを申し込んだ。

メインはJALカードからヨドバシのカードに戻していたがフォレスターの給油にしか使っていないシェルのPontaポイントが意外に貯まってたまに行くローソンでの買い物がタダになるほど。そんなわけでポイントもバカにできないと思い始めた。アマゾンの年3,900円のプライム会員には加入済み。

アマゾンでの買い物はヨドバシカードを使うとポイント1%でアマゾンカードなら2%。アマゾンで年間30万円以上買っているから1%差で3,000円分。しかも5,000ポイントのプレゼント付き。明細がWebだけなのがネックと昨日中断したのだが個別に領収書の発行ができるから問題ないと思い直した。

ポイント還元率2.5%のゴールドカードも考えた。年会費の増加は実質初年度1,500円と2年目420円で初年度30万円2年目以降84,000円以上で元が取れる。ところがプレゼントポイントがないらしい。通常カードに入ってゴールドに切り替えるのが正しいと。ともかくまたカードを増やしてしまった。

新しい消防ポンプ説明会 (8月21日・火)


台風接近中で朝から雨。甲子園は降っていないようで今日は高校野球決勝戦だ。秋田の金足農業高校が準々決勝で近江高校に9回裏無死満塁から2ランスクイズで逆転サヨナラ勝ちをしたシーンを実家で見ていたこともあって今日も注目。テレビを観ていたわけではないが大阪桐蔭に2対13で準優勝。

18時からは消防ポンプ説明会。我が分団の役員10人ぐらいが集まった。徳島防災という会社の4人が来て新しいシバウラ製の水冷ポンプについて積載車への固定方法から。一旦詰め所ガレージに下ろして操作方法も。水冷だから水を吸い上げずにエンジンを掛けるのは基本的にやってはいけないと。

水を吸い上げる真空ポンプ機能は自動でできる機能もあるらしい。でも前の水が残っていると吸管の空気と交互に入って放水ができないらしい。だから使えば水を抜いた方がいいがエンジン冷却用の水は残しておかなければならない。それで後者のコックは使えないように改造されることになった。

とりあえず私は以上のように理解したが明後日に役員会があるので改めて確認するつもり。皆は18時半頃から実際に放水をしながら機能の説明を受けるとのことで雨の中を移動したが私は妻の出迎えがあって空港へ。45分遅れ20:25着。帰りの車中で妻が甥その1と東京で会ってきた話などを聞く。

休み明けの仕事と消防ポンプ (8月20日・月)


先週は14日(火)に原稿の仕事をしたが月曜は夏祭りで水曜から鳴門の実家に行っていたので諸々やることが溜まっていた。まず朝から経理の仕事。金曜に振り込んだ件や銀行で記帳したデータを弥生会計に。請求書もあったし光熱費の案内もあったりして昼食をはさんで15時ぐらいまで掛かった。

そこから今週に延ばしていた原稿仕事。900字だけだし方向性は決まっていたから簡単だろうと思っていたが一応法律の話なので順調には書けず。今日はお休みのS氏からカラオケに行こうと誘われたのだが仕事が終わりそうにないので断った。T氏からも電話をもらったりもしたのだが。

18時には消防詰め所。2月の火事のとき壊れてしまった放水ポンプの代わりが明日来るとかで臨時に載せていたポンプを下ろす作業。重いので4人いなければ動かせないのだ。H分団長がいて私に連絡をくれたT副分団長が来てY機械部長も。そう言えば私は機械班長だったのだ。私も呼ばれて当然か。

4人が集まったが消防車の荷台からポンプと一部荷物を下ろしただけ。新しいポンプに合わせて積載用のレールを設置する必要があるらしく作業の邪魔になるものを下ろしたという次第。明日は新しいポンプの説明会が役員対象にあるのだが機械班長なのに30分ほどしかいられない。ごめんなさい。

甥の見送りとPCの復旧 (8月19日・日)


昨夜は甥が21時過ぎに寝に行き母は22時で弟も22時半。私は1時就寝。今日は目覚ましで6時起床。片付け競争のようになって15分で準備して私の荷物もフォレスターに積み込み甥と弟を空港に送って行った。朝1便でもまだ人が多い。搭乗通路まで見送ってそのまま上勝に帰って来た。8時着。

荷物を整理しシャワーに行き洗濯も。早起きしたので腹が減り10時になっていっきゅう茶屋でカレーを食べた。お店のY姐さんに弟や甥のことを話したり。今日2杯目のコーヒーを飲んで落ち着いて懸案のPCである。鳴門の出かけるにログオンできなくなった問題を解決しなければPCが使えない。

対処方法があることは分かっていたのでノートPCでこのページを参考にしながら。セーフモードで起動し管理者権限の新ユーザーを作りそのユーザーでログオンし問題ユーザーのレジストリを編集するという方法だ。レジストリをいじるので慎重に。1時間弱で解決。通常起動できるようになった。

午後は1時間ほど仮眠して夕方こはくの天使に。コーヒー豆が明日の分までしかないが月曜は定休日だし。昼食が10時だったので夕食も一緒に。充電で勝手に電気を使ったお遍路の夫婦に説教したという話を聞く。「響」の練習が17時からと今日連絡があったが銀行での記帳もして18時から参加。

従兄弟の退院で坂出 (8月18日・土)


6時に目覚ましを掛けていたが寝ようと目を閉じたときに1時間間違っていたことに気づいた。鳴門から坂出は1時間半。9時に行くと従兄弟に約束したから7時半に出れば良かったのだ。結局7時前に起床し7:23出発。ローソンでコーヒーを買い府中湖PAで休憩し従兄弟が退院する坂出の回生病院へ。

ナビによると坂出IC経由で8:43着だから余裕だとボケッとしていて分岐を通り越してしまい善通寺ICまで行ってしまった。それでも9時ちょうど着。土曜だけあって車がおらず玄関正面の駐車場に駐めた。前はB511だった病室はA502に替わっていたが坂出の花火も病室からきれいに見えたらしい。

病室で退院手続きを待って9:20頃に病院を出てさぬき麺市場という店でうどんを食べて高松中央ICから鳴門IC。皮膚科に寄り私は一旦実家。電話をもらって迎えに行って12時半頃自宅に送った。伯父伯母からナシとイモをいただく。リハビリ入院する病院はタクシーで行くというのでここでお別れ。

実家に戻ると甥がガリガリ君を食べていたのでローソンまで行ってアイスを買って食べたが昼寝して起きるとピノがなくなっていた。甥は遊び疲れたのか窓を開けて寝ていた昨夜が寒くて風邪を引いたかしんどいらしい。今日はテレビばかり観ていた。夕食は4人で弟がよく行く鳴門駅前の餃子の王将。

鳴門から一旦上勝また鳴門 (8月17日・金)


1時過ぎに就寝し11時起床。妻は今日から名古屋出張だが大阪での打ち合わせの時間連絡待ちだった。でも昨日になっても連絡がなく別の人に電話すると皆が休みだと。打ち合わせはなくなり名古屋への移動だけ。そんな話題から弟が妻を送りがてら淡路に行こうと甥に言い出したのが昨日の夜の話。

1995年の阪神淡路大震災のとき入社2年目で週刊フライデーの編集部にいた弟はカメラマンと一緒に取材のため徳島経由で淡路に入ったらしい。それで淡路の震災記念館に前から行きたかったのだとか。その弟は甥と妻と3人で12時過ぎに出かけて私は実家で冷凍ピラフを食べて散髪。2ヶ月少しぶり。

今回の帰省に際してバーベキューの機材を車に載せていたが結局やらなかったので一旦自宅に持ち帰ることにした。明日は従兄弟の退院で坂出まで行くが荷物満載では都合も悪く。実家を15時半頃に出て徳島市内に行って阿波おどりの影響で遅らせていた振込を7件。そのまま上勝に帰った。

荷物を運び込みシャワーも浴びて再び上勝を出たのが18時半頃。結局こはくの天使に行って夏休み営業で疲れ切ったマスターと話して実家に戻ったのが20時半。ほどなく弟と甥が帰ってきて22時まで一緒にいた。従兄弟の迎えに行くことについていろいろ言われて母とは大声を出しての口げんか。

鳴門でテニスごっこ (8月16日・木)


前夜は0時過ぎに寝ようとしたのに就寝は2時頃。8時過ぎに一旦起きたが甥もまだなので二度寝して10時過ぎ起床。妻が淹れたコーヒーを飲みのんびりして昼食は2人で消防署裏のイタリアンレストラン。横に元日経徳島支局アシスタントS井嬢。似ているとは思ったが声は掛けず話ができなかった。

一旦戻ってから甥と弟と妻と4人でウチノ海公園。13:50頃に着いてテニスコート横まで行ってコンクリートの通路でテニス。甥は最近テニスを始めたそうで柄の短い子供用ラケットも持ってきている。弟のものは30年ぐらい前のラケット。10mほど離れてボールを打ち合いテニスの要領で遊んだ。

甥1人に対して大人3人が交互に。甥が徐々に上手くなっていくのが分かって面白い。でも汗だく。雨が落ち始めた16時過ぎまでやっていた。実家に戻って順番にシャワー。バーベキューをしたいと思っていたがテニスを終えた段階で準備時間がギリギリしかも雨予報でもあったので今日も諦めた。

そんなわけで夜は五苑という焼肉屋。弟が運転して帰りは母が。店を出て近くのキリン堂で花火と焼酎と牛乳を買い実家に戻って20時過ぎから玄関前で花火。弟と私は写真ばかり。花火の残りが少なくなって「伯父ちゃんも花火しよ」と言う甥。悪ガキぶりに手こずっているのだがかわいいヤツだ。

鳴門 (8月15日・水)


朝PCを起動しようとしたらログインできない。Profileサービスのエラー。GUESTでログインしてネット検索すると方法はあるがレジストリを編集するらしい。ちょっと危ないが仕方がない。でも今日は時間がない。PCは放置して妻と2人でゴミを出しに行きそのままいっきゅう茶屋で食事。

今日は大雨で待っていても止みそうにないので荷物をフォレスターに積み込んで13時頃に上勝を出た。そういうわけで鳴門の実家。弟と甥その2は昨日に続き魚釣りに行って帰ったところ。ウチノ海の筏に行ったらしい。今年もガレージでバーベキューをしようかと用具を積み込んできたのに雨。

母と妻が夕食の買い物に行き戻ってくると母が左手首が内出血していると言う。昨夜から青くなり今日は黒く腫れている。打ったわけでもないと言うので妻が病院に行こうと言い出し鳴門病院に17時過ぎ。時間外で見てもらうと圧迫しておけば治ると言われガーゼで巻かれて終わり。

小学2年生とはゲームをしたりチャンバラをやったり室内なのにヘトヘト。夕食は手巻き寿司。一緒にテレビを見ていた甥に言って21時を回ってやっと風呂に行ったが湯船に浸かっただけで1分で出てきた。悪ガキぶりに腹が立つ。最後に母の寝室天井灯の構造が分からず豆球交換で汗だくになった。

お盆の集いの片付けと若者の参加 (8月14日・火)


11時間飲み続けて昨夜2時に解散して寝たのは2時半過ぎ。9時過ぎに起きて10時に隣の公民館に行ったが誰もいない。昨日の祭り会場になった住宅裏に回るとT君と彼に昨夜怒ったN氏が一緒にテントを畳んでいてホッとした。T氏とH氏もいてほどなくN氏H氏の19歳の長男2人もやって来て合計7人。

氷と缶ビールを入れてあったプラスチック樽も2次会会場だったうちの事務所前から片付けテントや発電機を軽トラに乗せ一旦解散。N氏T氏と3人で役場倉庫にテントを返し別の倉庫に青年会の発電機を戻し一部の音響機材を開拓団に持って行き。冷たい阿波晩茶を頂きながらN社長とイマジンとD氏と。

3人で昼食にカフェポールスターに行ったが客が次々と入れ替わる。経営者夫妻2人と昨日一緒だったS原嬢とユッケ。それにバーで何度か話をしたH嬢。12時に店を出てようやくシャワーを浴び午後はA社のボスから電話があって原稿の打ち合わせ。午後いっぱいかけて何とか形にしたところ。

お盆の集いは設営も片付けも自分たちで行う。出店者やインターンらも参加するが今回は何と言ってもN氏H氏の息子2人の参戦が大きかった。地域の子らにいつか戻ってきて欲しいと夏の思い出作りをやっているのだと最初にN氏が説明してくれたことの一つの実現を見た思い。静かに感動している。

傍示お盆の集い (8月13日・月)


132世帯262人の地域の小さな夏祭り。いつも朝の準備から手伝っているのだが今年は誰からも何も言われなかったので実行委員の一人である妻は10時に行ったが私は寝ていた。皆が集まるのに恥ずかしいので伸び放題だったベランダ下の草を刈っていっきゅう茶屋に行ったが皆とはすれ違い。

午後から行こうと思ったら雨。雷雨で何もできずコーヒー今日2杯目。14時頃から皆が集まり始め私も参戦して準備。15時頃からビールを飲み始め何となく気がついたら準備が終わっていた感覚。17時頃にはほぼ終わっていたと思う。事務所では司会ののS原嬢が妻のヘルプで浴衣に着替えていて。

開始予定の18時までにビール350mL缶を2本飲んでいたと思う。今回は大きな出し物はなくBGMを流すのだがこれが15曲で司会に合わせて変えていく。前夜T氏が来てUSBメモリからコピーして今日も1曲入れ替えて司会台本に曲のナンバリングを振ったり。曲は3分程度で終わるからほぼ張り付いていた。

21時頃に終わり怒濤の撤収。H氏やN氏の息子19歳が頑張ってくれて楽しかった。N氏の提案で数年前の夏祭りのビデオを観るため古いHDRを持って行ったり。ネパール出身S氏と話をして後半1人でいた若者に話しかけたらO嬢の息子で車の話。24時に一旦解散して事務所に移って最後は2時過ぎ。

ホテルオークラ神戸 (8月12日・日)


金曜に間々田さんの講演があって行ったホテルオークラ神戸には過去に泊まったことがある。東京出張から徳島に帰る途中だ。羽田発の飛行機の最終便が台風か何かの影響で欠航となりともかく新幹線に乗って神戸まで来て泊まった。J社時代のことで浮川社長と一緒だった。

新神戸まで新幹線で来てタクシーでホテルに入ったのだと思う。チェックインの手続きは社長がしてくれた。そのとき「一緒の部屋にするか?」と訊かれて「勘弁して下さい」と答えた記憶がある。当時の私はタバコを吸っていた。タバコが大嫌いな社長と同室など本気で勘弁して欲しかった。

私の記憶ではフロントに向いて社長の右に私がいたはずだが金曜に見ると入口から近いのは左に当たる。記憶違いかレイアウトが変わったのか。ともかく当時ホテルに着いたのは24時近かったはず。翌朝はホテルから歩いて港に行って朝6時頃の高速船に乗った。高いホテルに滞在6時間だった。

チェックインのときのフロントと早朝の高速船に乗ったこと以外の記憶がないのだが社長と同行していて台風の季節だとすれば1988年か1989年か。徳島港に着いてすぐ会社に行ったのか車を取りに空港駐車場に向かったのかの記憶もない。ただホテルオークラ神戸で思い出した30年近く前のこと。

有馬温泉・月光園鴻朧館 (8月11日・土)


金曜に有馬温泉で泊まったのは月光園鴻朧館という旅館だった。妻が決めたので相変わらず私は行くまで知らなかったのだが温泉街の総合案内所のある中心と思われるところを通り抜けた奥。川を挟んで姉妹館にあたる遊月山荘がある。川の上には趣のある渡り廊下があり両館の間を行き来できる。

有馬温泉についてはブラタモリで見たはずだがよく覚えていない。お湯は何十万年か前の海水だと言っていたような。旅館のWebから「有馬温泉のでき方」というPDFページにリンクがあった。旅館に着いて最初に入ったのは遊月山荘の露天風呂。有馬温泉でも数少ない自家源泉の湯なんだとか。

泊まった部屋は川に面した南角511号。20畳ぐらいある洋室のツイン。部屋の広さに比べテレビが小さい。最初に行った露天風呂は川を挟んだ正面に当たるが部屋からは見えない。風呂からは木の枝の間から部屋の窓が見える。この露天風呂の後そのまま遊月山荘の館内に入って大浴場にも行った。

夜は鴻朧館の風呂へ。半露天とサウナもあった。 食事は2Fの和食レストラン。川沿いに4卓あった手前から2つ目に案内された。夕食は美味しかったが絶賛するほどではない。朝食も同じ席。今回は仕事絡みで温泉を堪能したわけではないので改めてゆっくり行けたらと思う。何せ上勝から2時間半だ。

有馬温泉からホテルオークラ (8月10日・金)


昨夜は2時頃に寝て浅い眠りのまま7:20起床。風呂は諦め8時半に朝食。9:20頃に出発。正面にいたマツダのSUVに妻が間違って乗ろうとしたり。今日は神戸で間々田さんの顔ヨガ講演でまずは高速経由で神戸三宮。同じく前泊していた間々田さんをピックアップして会場のホテルオークラ神戸。

立体駐車場に駐め書籍の段ボール3箱を台車に乗せてエレベータで3F。ここはホテルの2Fでロビー階らしい。講演を手伝ってくれるインストラクターさん2人と合流して3Fの控え室に案内されて荷物を置いて会場確認に1F。皆はエスカレーターと階段で移動するが私はエレベータの場所を確認。

11時開場で聴衆は700人とか。会は11時半開始。間々田さんの講演は12時開始予定が実際は12:20頃始まり。私はホワイエのテーブルで本を並べて待機。早々に4冊を買った3人組がいたり代理店の方らが興味を持って話しかけてくれる。1時間の講演が終わると短い休憩時間に聴衆の女性たちが殺到。

本を買い間々田さんのサインを求め私は2ショット写真を撮ってあげる役。怒濤の時間が終わり控え室に戻り皆で写真を撮りロビー階のレストランで遅い昼食を取り間々田さんとインストラクターさん1人をJR三ノ宮駅に送って高速へ。鳴門ICを16:40に通過したが徳島市内は大渋滞で18:20頃帰宅。

有馬温泉 (8月9日・木)


有馬温泉にいる。神戸市だ。出る前に検索すると家から2時間36分と出た。14:05に出て徳島で給油して淡路SAで休憩して有馬温泉のセブンイレブンでビールと焼酎を買って宿に着いたのは16:45頃。明日神戸で仕事なのでジャケットも持参。車から荷物を出すのに手間取りながら17時には部屋にいた。

早速風呂へ。まず川沿い屋外にある露天風呂は黄金色。鉄分があるのだろう。この色は有馬でも少ないらしい。ちょうど先客が帰り私一人。風呂の奥に小さな祠。人が来たから出て次に旧館の風呂。内風呂は透明だが小さな露天は黄金色。常に数人がいたか。温まりすぎて長く入っていられない。

昼食が雑炊だけだったからかお腹が空いて18時30より前に夕食に。掘りごたつ式の小上がり。端には70歳と50歳代と思われるよくしゃべる夫婦。逆には男1人客が2人。別府と同様に神戸で仕事に来て一人で泊まっているのか。妻は生ビール2杯で私は3杯。部屋に戻って20時から横になってウトウトと。

「秘密のケンミンSHOW」が始まった21時に目が覚め私たちが泊まっている新館の風呂へ。露天に出ると川の中州で花火をしている人が見える。この湯船で一緒になったのは親子連れだけだった。露天は向かいから湯を引いているのか鉄分のある黄金色。部屋に22時頃戻ってきてまたビール。

高校野球と今年の天気 (8月8日・水)


甲子園の高校野球全国大会第4試合に鳴門高校。対戦相手の埼玉の花咲徳栄高校は昨年夏大会の優勝校らしい。0対9ぐらいで負けるのだろうと思いつつ何となくテレビを付けた。1回表の相手の攻撃は観ず1回裏はテレビの前にいたら2点を入れた。そんなわけで鳴門の攻撃のときだけテレビの前に。

7回が終わって4対2で勝っていたのだが5対8で試合終了。相手が3得点ずつ入れた8回から私はDVDのラベル印刷のため立っていたのでテレビをチラ見していたのが悪かった。惜しかったとも言えるが自力の差があるのだろう。そんなわけで高校野球観戦とともにDVDを20枚作成。

今年の夏は例年にない暑さで高校野球の開催を危惧する話題があった。ナイターにすべきだとか時期をずらすべきだとかドーム球場でやろうとか。選手も大変だが応援する側も危険である。もちろん十分な対策を取っているのだろうが私は夏の甲子園に行こうという気には全くならない。

と言いつつ今日の暑さは少しマシ。関東に近づいている台風13号の左側だから北風なのだ。そう言えば台風12号は東から三重に上陸して西進後に九州を南下した。そんな台風の進路を見ると今年の天気は変だねぇと毎年言っている義母の口癖を思い出す。今日も岐阜の美濃市で41度だったとか。

S原嬢と友人のユッケ君 (8月7日・火)


月曜は妻がお盆の集いの買い出しに出かけていて昼食は一人でいっきゅう茶屋に行った。と壁画清掃に参加していた29歳のS原嬢と仲間2人がいたので一緒に食べた。2人は東京から遊びに来ているから若い3人の食事代をを払ってあげたらお店の姐さんが「弱みを握られているのだろう」と。いやいや。

S原嬢は何年か前に移住して来て最近になって以前O川夫妻が住んでいた家を借りて一人で住み始めた。彼女が連れてきた2人のうちユリナさんは中高の同級生と言っていたか。幼稚園の先生らしい。休暇を取り数日間だけいて晩茶摘みなどをやって月曜夜の夜行バスで東京に戻ると言っていた。

もう一人はシモザワユースケ君。略してユッケ。S原嬢とは高校のクラスメートだと言うのだが1ヶ月ほど彼女の家に滞在しているのだとか。ソフトボール大会の初日に会って打ち上げにも参加。一緒に住んでいて男女関係にはならないのかと無遠慮な質問が皆から飛んだ。あくまで友達らしい。

S原嬢とユッケ君は旅行中の東南アジアでも落ち合ったことがあるとか。トレンドマイクロを退職したばかり。社長の大三川さんをご存じですかと訊かれたが茨城県知事になった大井川さんと勘違いしていた。大三川さんとは会ったことがあると後日話をした。いい青年だ。何度でも遊びに来て欲しい。

『燃えよ剣』 (8月6日・月)


『竜馬がゆく』を読み終えたときこはくの天使のマスターから次はこれにしたらどうかと言われたのだ。倒幕の次は佐幕派から見た幕末史が面白いのではないかと。司馬遼太郎『燃えよ剣』(新潮文庫)。上下2巻。妻が持っているのは知っていたので彼女のベッドサイドから探し出して読んでみた。

新選組副長土方歳三の物語だ。土方が夜這いに行くところから始まり引き込まれた。出身の多摩での喧嘩と夜這いの相手女性が伏線。いつも横には沖田総司がいる。近藤勇らと京に行き新選組を作り芹澤鴨を斬り池田屋で名を挙げ山南敬助に切腹させ伊東甲子太郎を辻斬りするまで展開が早い。

私はNHK大河ドラマ「新選組!」DVDを何度も観ているから新選組の話としては物足りない。幕府の話もほとんど出てこない。近藤勇が流川で斬首されたことも噂で聞いたという記述だけ。主題は尊皇攘夷や倒幕佐幕といった思想や政治とは距離を置きただ喧嘩師だった土方歳三の生き方のこと。

良いと思えば服装も兵器も組織も洋式に変える柔軟さと誰も考えないような発想力が魅力か。宮古湾にいた官軍の艦隊を乗っ取ろうとした作戦行動は初めて知った。鬼の副長の恋物語もよかった。「竜馬がゆく」と並行して昭和37年11月から39年3月に連載された小説だと解説で知ってびっくり。

壁画の清掃 (8月5日・日)


2時前に寝て7:15起き。デッキブラシを持って隣の公民館前8時集合。今日は我が傍示地区入口の2カ所にある狸の壁画の清掃なのだ。これを実施したのは3年ぶりという。昨日東京から戻った妻も今回は参加。それにしても暑い。タオルを首に掛け麦わら帽子を被りスポーツメガネで参戦した。

私は女性たちと公民館前に割り振られた。男性はM下氏と昨日家に行った町議H氏と私。S原嬢の友人で東京在住ユリナさんは初対面。H氏の軽トラ荷台のタンクの水からの高圧洗浄機も使いデッキブラシで擦っていく。消防団に寄贈された家庭用洗浄機は詰め所の水道を使って。

あらかたキレイになったので県道沿いトンネル手前に移動して同じようにデッキブラシを使う。壁が高いので5m近く梯子を上って擦る人もいる。11時半頃に昼食。公民館でミセスの会の方が作ってくれたカレー。午後も続きの作業。1時間程度ごとに全体で休憩したし個人的にも休み休み。

15時に終わり何人かはビールのようだが帰宅してシャワー。妻は16時から夏祭りの準備に行き私は17時過ぎに「響」の練習へ。休憩時間に横になったら医師のW氏が私の指をつまんで隠れ脱水だと言う。アミノバリューとポカリ合わせて2Lを飲んだがそれでも足りなかったということか。

元同僚U氏と町議H氏 (8月4日・土)


昨日は夜3時間PCの前で呻吟して日記に書くべきことを思いつかず諦めた。こういう日のために暇ネタのストックもあるのだが何となく気分と違いアップロードしなかった。そんな日もある。さて今日は15時過ぎに出て銀行で振り込み2件の後空港に東京出張から戻った妻を迎えに行った。

マルナカで買い物をしてカプリチョーザで夕食。向こうの席からサラダバーに立った人物がU氏に似ている。向かいは女性。米国在住の彼がいても変ではないが女性と一緒という可能性について考えた。妻に訊くと成人ではなさそうだと。娘と来ていたのか。会計をするU氏に声を掛け挨拶だけ。

戻ってすぐ町議H氏宅。マルナカで電話を受けたのだがプリンタの色が出ないと。行って取説をWebからダウンロードしていたがプリンタのインクを確認すると青がない様子。交換してもらったら直った。あっさり解決。奥様を含め雑談しているとFacebookに入れず別アカウントを作ったという話。

新しくスマホで作ったアカウントもパスワードは分からないと言うしPCでは奥様が別途アカウントを作成していて3つが混在。でも本来のものはアカウント名もパスワードも分からずスマホで作ったものを育ててもらうことにしてPCであれこれ。ビールとサザエや諸々ご馳走になって22時半頃帰宅。

消防点検後にN氏とサシ飲み (8月2日・木)


ソフトボール大会の夜は打ち上げ後シャワーを浴び本を読んで寝たのは3時。翌水曜の昨日は11時半に家を出て妻を空港に送って行った。空港でラーメンを食べたがやっぱり後悔。銀行で記帳して夜は消防点検に行った。前夜の打ち上げで役場3年目F君が明日は消防点検だと行っていたのに彼は来ず。

月2回の点検で私は4月から15日組になったのだが7月15日は「響」の練習で不参加だったし8月15日は甥が帰省している可能性があって鳴門にいるかも知れない。そんなわけで昨日1日に行ったのだ。役場Y課長M課長N部長と前夜も一緒だったT副分団長。戻ってきたらI部長も。合計6人。

残って飲んだのはY課長とN部長。向かいの体育館で練習する胡蝶連の阿波踊りの音を聴きながら3人でバカ話。21時半頃にY課長が奥様の迎えで帰って以後はN氏と2人だけ。数年のサラリーマンを経て父上と一緒に農業を始めた彼とは最近あまり飲む機会がなかったからいろんな話をした。

N氏がまだ会っていない最近移住してきた人のことも話したし 町内不倫事情の中の面白い話も聞いた。町内の組織の人事に端を発する話もあった。移住後の私の気持ちなど深い話をした。22時までのつもりがN氏が何度もビールを取りだして解散したのは1:17。長くなったが有意義なサシ飲みだった。

自撮り棒とカメラのリモコン機能 (8月1日・水)


自撮り棒ベルボンCVSS-6 ST買うに当たって事前にいろいろ調べた。他の自撮り棒もアマゾンとヨドバシカメラだけだがリサーチした。多くはスマホ用であってシャッターリモコンが付いているものが多い。それでiPhone用のリモコンを持っていたことを思い出して取り出した。

今も売られている製品だが私のiPhone7は反応しない。ヨドバシ.comによると対応機種はiPhone5までらしい。残念。最近のリモコンは200円弱のものから1,000円程度だから買ってもいいのだが実のところ今のものは結局一度も使ったことがなかった。しばらく様子を見てから考えることにする。

一方で自撮り棒とセットで使うだろう私のカメラについて気になる記述があった。モニターを自撮り用に反転させるとシャッターから撮影まで3秒かかる。ところが自撮り棒を使うとシャッターから撮影までの間に距離が変わってしまう。でもこれは顔認証をオンにしておけば問題ないらしい。

さらにアプリがリモコンにならないのかと調べてみると撮影画像をiPhoneに転送するために使っているPlayMemories mobileで可能なことが分かった。カメラにも標準機能ではなくアプリがあって連動させることでiPhoneをリモコンにすることができる。ここまで調べて自撮り棒を買った次第。

<Diary Index Page>
<Top Page>

© 2018 Takashi INAGAKI