2008年12月
U氏は7時前に電話を寄越し我が家には7:50頃やってきた。コーヒーを飲みながら私は実家行きの用意をしながら雑談しばし。上勝8:17発。徳島駅近くまでレンタカーで送ってもらって9:08。徳島市内の道路はガラガラで途中GSに寄ったのに50分で来れた。
駅前では徳島で唯一の三菱東京UFJ銀行の支店で記帳して振込2件と現金の引き出し。駅前から9:45発の徳島バスに乗り鳴門の実家に着いたのが10:30頃。ご飯を食べてから昼寝。引越作業の疲れが出ている。実家にいる間はのんびりしようと思う。
さて香川の引田市にあるMさんの実家でのお節料理作りに参加していた妻から夕方になり連絡を受け鳴門のZさんちに迎えに行った。双子のT君Cちゃんとは2ヶ月ぶり。T君は最初から抱っこされに来たけどCちゃんは恥ずかしがっている。
夜はK氏からもらっていたサザエ。今年は大ぶり。コンロに乗せて壺焼きに。そのままNHK紅白歌合戦を妻と母と3人で見た。途中で年越しそばを食し年が明けたら妻が母に新年の挨拶をしているの。2008年は楽しい1年でした。ありがとうございました。
東京で荷物の梱包隊がやってきたのは21日だった。あれから10日も経ったことが信じられない。そして年末。テレビを付けても番組は年末モードで日常を感じない。何だかずっと引越作業が続いている感じがする。いや実際に続いているのだが。
ただ今日午前に食洗機と洗濯機のセッティング工事があってこれで引越関連の工事は全て終わった。そう言えば昨日は引越で不調になったカラーレーザー複合機の修理にも来てもらっていたし食器棚も配達された。あとは私たち自身が荷物を片付ける作業が残るのみ。
引越作業で中断していた会社の経理事務も今日から再開。でも通帳の記帳がまだできない。東京では徒歩10分で行くことができたが徳島で唯一の三菱東京UFJ銀行まで行くためには車で1時間ぐらいかかる。ゆうちょ銀行の口座もあるからこちらをメインに使おうか。
家賃も郵便局で納付。来月以降の引き落とし手続をしようとしたら書類の書き方を間違っていてやり直し。来年にしよう。夕方になり妻は一人で鳴門にある私の実家へ。私は居残り。今秋頻繁に会っていた友人U氏が月ヶ谷温泉に今晩泊まるというので私は明朝上勝で会う予定。
住所変更手続を本格的に始めた。今はインターネットでほとんどの手続ができるので便利になった。でもそもそも手続を要する加入サービスが増えたことが背景にある。約5年前に世田谷区南烏山から上馬5丁目に引っ越したときはこんなに手続はしなかったように思う。
引越前に手続きしたのは2件だったが昨日からネットで変更したのは19件になる。このほかサイトがメインテナンス中で後日やるのが2件。電話が必要なのが2件。書類提出が必要なのが3件。現場に出向いて手続きするつもりなのがゆうちょ銀行の2つの口座。まだ9件もある。
でも既に正月休み。ゆうちょ銀行はともかく他の手続は年明けになる。さらに移住したことで解約するサービスが2件。会社で契約していたKDDIはIP電話を使うので必要なくなる。プロバイダのAsahiネットも今は町の光ファイバーを使うので不要になった。
さて午後は友人K氏から伊勢エビをもらってきた。セノーさんに声をかけ宴会再び。家族が北海道に帰ってしまったRさんも遅れて参加。18時から始めて解散は25時。それぞれの突っ込んだ話をして笑ったり泣いたり。ふと集まって飲んで話ができて本当にありがたいのである。
昨日は正午頃お客さんが来た。何と徳島からY氏MさんとZさんの3人。でも私たちの外出まで30分しかなく慌ただしく部屋を見てもらったり。12時半に出ていっきゅう茶屋で野菜を買って徳島へ。東京から来たM氏と落ち合い小松島のルピアで食材を買って再び上勝。
夜はセノーさんちで宴会があった。一応私たちの歓迎会ということだがアクティブな元「よそ者」ばかり。北海道出身で私と同じマンションに住む上勝のブログ女王Rさんと子供たち。それに緑の何とか隊で来ている20歳代の女性2人。東京出身のMりんと北海道出身のYりん。
Rさんに急遽呼び出されて来たのは棚田で米作りをしている移住者のT氏ご夫妻と1歳の女の子。さらに遅れてゴミ34分別事業を推進しているNPO法人ゼロウェイストアカデミー事務局長のSちゃん。役場のK課長はお酒を差し入れてくれた。23:30頃解散。
今日は昨夜我が家で泊まったM氏を送って徳島に行きホームセンター「ナカイ」で買い物をして昨夜妻が忘れてきたデジカメを取りにセノーさんち。実家から送ってきたという丸餅を20個ももらった。午後は片付けの再開。カーテンも届いた。事務所はようやく部屋らしくなってきた。
既に妻が書いているが移住して最大のショックは室内で携帯電話の電波が入らないこと。わざわざFOMAプラスエリア対応機種に買い換えたというのに。全く圏外になるわけではなく窓際に行くとアンテナマークが1本か2本。でも2本の場所で話していても声が途切れたりする。
それで先日ドコモショップに外部アンテナを買いに行った。そしたら貸し出ししているというので1つだけ借りてきて土曜にセッティングしてみた。室内の窓際では固定できないしアンテナマーク2本では不安定なのでエアコン用ホースの穴にコードを通してアンテナは屋外に。
携帯電話に接続するとアンテナマークは3本。ところがコードが5mで妻のデスクまでは届かない。仕方がないので妻の携帯電話は窓際にある私の机の上に。さらに私の携帯電話に外部アンテナを接続すると今度はイヤホンマイクが使えない。今の携帯電話はジャックが共通なのだ。
というわけで困っている。とりあえず私の携帯電話に頻繁にかかってくるわけではないのでアンテナ2本で我慢しよう。かかってきた事実は分かれば連絡手段はほかにある。この件は都会に慣れた生活スタイルの田舎における不自由さ第一号となった。
昨日深夜にIP電話は使えるようになった。でもWebでPDFマニュアルを見ているとVoIPアダプタは固定電話の回線も収容できると書いてある。工事のおっちゃんはウソをついた。固定電話の方の工事のおっちゃんも同じ。電話工事をしていて知らないとはお粗末だと思う。
ともかく試した。IP電話用に置いていかれた安物の電話機を外して手元にあった最も長いモジュラーケーブルを這わせてVoIPアダプタへ。想定していた置き場所にはケーブルが届かなかったがこれは妥協しよう。私が使おうとしていた電話の親機もアダプタ近くの窓際に移動。
これで副次的効果も。隣の部屋で入らなかったコードレス電話の電波が届くようになった。ただし寝室用に1台置いてあった子機は私が使うことになるから寝るときは子機を持って行かないといけないのだが。ともかく電話系はスッキリした。いや部屋を這い回るコードは見苦しい。
さて午後は役場に転入の挨拶。大掃除中の町長と歓談20分。ひだまりに寄ってセノーさんと話をし徳島に出て家具屋でレンジ台と食器棚を購入。小松島で郵便局と銀行にも。帰りにセルフのGSで灯油を購入。夜はレンジ台の組み立て。慎重にやったら2.5時間もかかってしまった。
新居は鉄筋コンクリートだが内装は壁も床も杉が使われている。だからなのか意外に音が響く。7時過ぎに階上の子供が走る音で目が覚めた。いずれ慣れるだろう。今日は朝から部屋の片付け。要らない箱などは2畳弱ある倉庫にどんどん運ぶ。夕方やっと机周りが片付いた。
段ボール箱も10分の1程度に減っただろうか。夕方になりエアコンと洗濯機のセッティングで工事の人が来た。洗濯機のホースが短く再度来ることになり食洗機は部品を取り寄せ。阿波市からだとか。牟岐まで行って上勝まで2時間かかったらしい。そりゃそうだろう。
夜までにオーディオ類もセッティング。ところがネットが接続できていたのにプリンタが使えない。プリンタには固定IPアドレスを振っていたのだった。それでルーターを兼ねるVoIPアダプタの設定を見ようとしたがパスワードがデフォルトから変わっている。悪戦苦闘の末に解読。
それよりプリンタのIPを生かすには元あるルーターを使えばいい。工事のおっちゃんが試して「あかんな」と言われたがやってみたらできた。昨日は接続が間違っていたのだ。で元ルーターで接続はできるようになったが今度はVoIPの設定で戸惑いIP電話が使えない状態。うーん。
(この日記の前に23日の日記もアップしました)月ヶ谷温泉を出て8:30の開庁と同時に上勝町役場。転入届を出しに行ったのだが何とまだ朝礼中で慌てて入口に戻る。転入届と同時に住民票も取りたかったが時間切れで退出。教えられた支所に住民票は後から取りに行った。
役場から新居に来れば既にトラックが横付けされ搬入の準備中。鍵を開け後はお任せでガンガン搬入。私は並行して段ボールを開けたり家具の配置を確認したり。途中で東京出身のSさんことセノーさんがビールを持って来てくれた。ありがとうございました。早速ブログに載せられた。
午後は友人K氏が子供と一緒にたこ焼きとビールを持って。ありがとね。IP電話やテレビやインターネット接続のための工事も。同時にNTTの電話工事。こちらのおじさんはモジュラージャックから線が出ないとブツブツ言いながら。どちらも2時間ぐらいかかって終わった。
固定電話が使えたのは18時過ぎ。A社に初電話。お願いしてFAXにも送ってもらった。私のPCを開梱してネット接続できたのは19時過ぎ。一旦食事で月ヶ谷温泉に行ったらセノーさんのブログを見たと話しかけられた。しばし雑談。とりあえず通信系が開通できてホッとしている。
(この日記は24日夜にアップしました)天皇誕生日の火曜は妻と母と3人で朝8:45頃に近所のダイハツ店に車を取りに行った。一旦実家に戻り荷物を積み込み妻は母の車に乗ってカーテンを買いに川内。私は買ったばかりの中古の軽で電気店に。
田宮街道のヤマダ電気。15分ほど待って10時の開店と同時に入店。30人ぐらいが開店を待っていて驚いた。私はここで石油ファンヒーターを購入。続いて沖浜のホームセンター「ナカイ」で灯油用ポリタンクを買って法花あたりで灯油とガソリンを補給。
妻と母もナカイに寄りハンガーラックなどを購入。小松島のスーパー「ルピア」で食材も。私も遅れてルピアに着きビールと水を買って合流。ルピアで昼食を取り2台で一旦ホームセンター「コーナン」に行き車のスペアキーを作成。その後2台のまま上勝へ。
私だけ役場で鍵を取り合間に妻らは新居の蜘蛛の巣取り。母が窓や風呂場を掃除してくれた。夕方に電気が通り掃除機も。母には暗くなる前16時半頃撤収してもらい夫婦で同じマンションの挨拶回り。17:50に月ヶ谷温泉。豪勢な夕食を取り温泉に入り早々に就寝。
(この日記と同時に21日の日記もアップしました)日曜の荷造りに意外と時間がかかったからと今朝は予定より早く人も増えて8時から5人で作業開始。搬出された荷物の後を掃除機をかけて回る私。搬出は順調で11:30終了。マンションに横付けした函館ナンバーの大型車が運ぶ。
昼食は近所でそば。最後のゴミを義母に預かってもらい13時に管理会社の確認を受けた後に退出。駅に向かって歩き出したら角に義母がいた。寂しくなったから歩いていたと言う義母が泣いている。しばし最後の挨拶。義母を見て私も駒沢大学駅まで歩く間は涙。
いつものように東急・JR・京急を乗り継ぎ羽田。SUICAを解約しようとしたが渋谷では窓口を見つけられず品川では改札を出る必要があり断念。そして羽田に着いたら3時間強の待ち時間。堪らずカツカレーを食べたのが正解だった。神戸空港では食事をする時間がなくなったので。
羽田17:55発は離陸が遅れ神戸空港着陸直前は強風で機体が揺れ進入後に着陸やり直しで到着したのが19:30。荷物を受け取り19:55発のバスで高速鳴門。母に迎えに来てもらい今日は実家。2班に分かれる明日の行動を3人で確認したところ。(明日の更新は休みます)
(この日記は22日夜にアップしました)土曜夜フミコさんが生出演したショップチャンネルを見ながらLAN系とFAX系のケーブル機器類を取り外し段ボールへ。日曜朝8:30にやってきた引越業者の荷造り隊3人の作業と平行してPCの梱包と電話系を取り外した。
最大のトラブルは食洗機。夕方来た担当者によると蛇口に元のネジがないと分配器を外せないと。梱包し終わった荷物を調べてもらったが元の部品は見つからず近所のネジ屋に買いに行ったが日曜で休業。管理会社に連絡して分配器を付けたままで退出することにした。
もっと大きな問題は作業がなかなか終わらなかったことか。朝8:30に始まり17:00頃には応援の男性2人が加わり全て終わったのは18:30過ぎ。見積以上に荷物があったと説明されたが最初の3人のうち2人が若い新人だったからではないかと推測。
さて最後の夜は義母と3人で世田谷通にある焼肉「MUGIBATAKE」。ママとは会えなかったがバンドをやっているお兄ちゃんとは話をして大いに驚かれた。3人とも気分よく飲んで私はビール4杯に朝鮮ニンジン酒。人参ドリンクとジンロミニボトルをおみやげにもらった。
金曜のA社の宴会では改めて仲間の存在を感じた。ボスが発熱で欠席して代わりに妻が誘われたのだがA社の雰囲気を感じてもらえて良かったと思う。ボスがいても宴会の雰囲気はあまり変わらないのだがダイビング仲間のM氏を筆頭に話を混ぜっ返して笑ってばかり。
今回は仕事でがんばった人と発言が印象に残った人の発表があった。全員が何らかの賞をもらったのだが受賞理由と併せて聞いて本当に面白かった。この企画を立てた幹事に心から敬意を表する。素晴らしい企画だった。私は投票を棄権したが幹事に投票しておくべきだった。
そう言えば2次会のカラオケで幹事のN嬢が携帯電話を持って出て行ったから心配していたら1次会で誰かが忘れたデジカメを受け取りに行っていたらしい。誰かというのは妻だ。恐縮しきり。仲間からはプレゼントももらった。妻がリクエストしたIH用の鍋。ありがとうございました。
さて今日は午後から片付け。箱のある電気製品は箱に入れて。明日は引越業者の荷造り隊が来るのだが引越先でネット環境だけはすぐに整えられるように周辺機器と仕事関係だけは自分でやっているところ。今から電話FAXは通じない。明日の日記も休みます。
月曜はA社の仲間3人と妻と5人で三軒茶屋の名西酒蔵。前週水曜には昼食に行ったし夜は金曜にも前日の日曜にも行ったから1週間で4度目。次の予約があって22時までだってのにM氏は隣のテーブルに移りダイビングインストラクターのSさんを呼び出して6人で23時半まで。
木曜は世田谷信用金庫。義母のマンションの引き落とし口座の住所変更に出向いてきた。他の金融機関はネットからできるようだが信金だけはネットバンキングを使っていなかった。結局書類を渡されただけなのだが。午後はA社で荷物の撤収。段ボールに入れて自宅に宅配。
木曜夜はPDAの師匠M氏と赤坂。もう歩くことはないだろうと思っていた赤坂見附に再び。なるほど工事中だったTBSはずいぶんと変わっていた。調子よく飲んでいたが妻がなぜか怒って途中退席。帰宅してからも大げんか。引越に向けて不安でストレスを溜めている様子。私も同じ。
金曜はA社の忘年会。私の壮行会も兼ねて。ボスが発熱で欠席して代わりに妻が誘われ参加。この日のことは改めて書きたい。宴会の前には最後の出社。データやメールの整理は既にしていて年明けの原稿を少しだけ。酔客で満員の電車に乗るのは今日が最後になったはず。
今日まで歯医者に通った。お盆の最中に探し通い出してから4ヶ月。10月末をのぞき毎週1度通院した。診療は父子の2人。衛生士さんはいなかった。お母さんも歯科医らしいが診療はせず受付だけやっていた。1時間単位で予約があるようで他の患者さんにはあまり会わなかった。
東京では前に住んでいた南烏山の歯科医が印象深い。そこも当時の自宅から徒歩2分ほどで一番近いという理由だけで通い出したが夫婦でやっているような歯医者だった。診察台は5〜6台あり常に患者さんが埋まっていて待合室にも数人がいた。衛生士さんも5人ぐらいいたか。
歯科医は3人だったと思うが私を担当したのは奥さんなのだろう女性だった。この人の説明が分かりやすい。日常できる歯のケアなども丁寧に教えてくれた。やっぱり優秀な歯医者の条件はコミュニケーションである。医者全般に言えることかも知れないが。
徳島で歯医者に行く必要ができたら八百屋町の白神歯科に通うつもり。中学時代以来の友人だから。高校ぐらいまでは友人の医者には診てもらいたくないと思っていたが大学を出る頃には友人に診て欲しいと考え方が変わっていた。信頼できるようになったということだと思う。
原稿の仕事に追いまくられていたのだが今日追い越した。1月初旬締切原稿も書いた。まだ内部チェックでダメだしされる可能性もあるにはあるが。気分的には落ち着いた。後は個人の諸々の引越手続をやらないと。市外への引越なので転出届も必要らしいし。
さて昨日帰宅途中に近所で芸人のなすびを見かけた。すぐ近くには柴田恭兵の家があるし裏の売家を見に行ったときは秋吉久美子が住んでいたと言われたし見学に行ったマンションには体操の池谷幸雄が住んでいたと聞いた。その割に私は芸能人はあまり見なかった。
というより私が気づかないのだと思う。先日のPUFFYも妻に言われなければ分からなかった。三茶でISSAを見たのも妻が見つけたのだし。よく行く世田谷通りの焼肉屋で妻と義母はタレントの勝又州和と話をしたそうだがそれは11月に私がA社の研修旅行に行っていたときだ。
松陰神社前駅近くのよく行く居酒屋「蔵八」の大将は柔道部出身で国士舘が近くだから今年のオリンピック金メダルの石井慧や内柴正人も店に来ているようだ。他にも有名な柔道選手の色紙があるが会ったことはない。でも実はお店にいたのに私が気づかなかっただけという気もする。
引越が間近なので将来の私の記憶のために近所のことは固有名詞で書くことにする。今朝は再び東京法務局世田谷出張所。自宅からは徒歩15分ほど。2両編成の東急・世田谷線の線路を越えて行き松陰神社の斜め前。国士舘大学の手前にある。
おそらく最後になるだろう登記簿謄本を取り2Fに上がり相談窓口。移転登記書類を手持ちしてチェックしてもらったら判子を押し忘れていたり間違っていたり。事前に行っておいてよかった。登記は移転後だから転居後に郵送で提出する。昨日移転したことにすれば今日出せるのだが。
一旦自宅で昼食を取り午後はA社。夜は有楽町線で飯田橋経由JRで新宿。先週書いたとおり紀伊国屋書店に行った。買ったのは『土壌の基礎知識』『土のはたらき』『微生物とその利用』『農薬毒性の事典』といった4冊。こんなことを勉強することになろうとは。
上勝に行って私は農業をやるつもりはない。でも上勝に行けば農業や森林保全や食の問題には関わらざるを得ないと思う。そこでまずは理屈の勉強というわけで。農業者の経験には今からやっても追いつけないので私は別からアプローチ。私が嫌いな化学と生物の世界だぁ。
昨日深夜に録画しておいたNHK大河ドラマ「篤姫」の最終回を見た。妻は冷めた感想を書いていたが私は感動した。明治期に入り数十年を一気に紹介したから確かに説明調が強すぎた嫌いはあったがそれでも大河ドラマらしい作りだったような気がする。
今年の「篤姫」は新聞や雑誌メディアで何度も取り上げられるほど人気があった。特に大奥に入った前後の夏頃は面白かった。妻は毎回泣いていたし。女性誌がいっせいに取り上げ始めたのがこの頃だ。なるほど女性視聴者を見据えた脚本家の思惑通りだったようだ。
さて最終回を見て思ったのは江戸城の中にいた人たちにとって明治維新による環境変化は凄まじかったということだ。考えてみれば当たり前だが今までは歴史の中の話として関心を持たなかった。でも前に書いた時間単位で見れば私の3人生前のことに過ぎない。
それに祖父の祖父が生きた時代のことでもある。それも遠い歴史のことだが私はなぜか近いことのように感じる。ともかく私たち夫婦が東京から上勝のような山の中に移り住む環境変化など変化のうちにならない程度のことだと思ったわけ。
法務局に出す書類を作成。同時に出せば安くなるのではと税理士さんから言われたので再び調べたがやっぱり移転と代表取締役住所変更と目的変更は別々に収入印紙が必要だと分かった。なので素直に移転登記だけを先行してやることにした。提出は転居後なのだが。
午後からようやく部屋の片付け。不要なものを捨てる捨てる。封を切らずに放置していた郵便物を明けていたら古い配当金の支払手続書類が出てきた。しまった。900円損した。名前が入ったものはシュレッダーに掛けていたが途中から面倒になって宛名ごとゴミ袋に。
古い雑誌やカタログの類も捨てた。一部の日経パソコンは役に立ちそうな記事もあったので持って行こう。そう言えば最新号の巻頭インタビューは上勝町いろどりの横石代表だった。びっくりした。先週金曜日に編集長と飲んだときにはこの話題はしなかったけど。
夜は18時に溜池山王。私たち夫婦を入れて合計9人。もう1組のご夫婦は東京では有名な会社を経営しており妻が最近仕事をしているが私は初対面。この会合のことはいずれ書こう。続いて赤坂で私たちの壮行会。帰りに名西酒蔵に行ったらPUFFYの1人と歌手だか俳優がいた。
以前書いた仕事は今週火曜に山を越えた。50ページの冊子の原稿は1本を残して先週書き終え図版などは今週火曜までにメドが付いた。そして金曜日。書き残していた2,500字の原稿を書き上げ一段落。後は細かな確認と調整作業に入る。
それでも仕事は次々に降ってくる。11月下旬に外部の人から別の3,500字を依頼されたときは汗が噴き出した。何とか締切を1月に延ばしてもらったが今度は途中の原稿を見せろと言ってきたらしい。内容について2度も話をしているのだから自分たちで処理しろと言いたいが。
そんなこんなで12月に入り精神が集中した状態が続いている。朝の目覚めもよい。1月締切の原稿にも手を付けられる状態にもなったと思う。一方の移転手続は法務局に書類を作って事前にチェックを受けようと思う。それ以外はほぼ終わったような気がしているが。
この間そう言えば徳島県の補助金申請書も書いた。決算も昨日終わった。原稿を書いて急いで地下鉄に乗り税理士事務所に行って押印しただけなのだが。金曜夜は日経BPのF編集長と編集委員M氏と妻と4人。23:30頃解散したが飲み過ぎた。
ある地域活性化に関わるコンサルタントの方と話をしていて過疎に悩む地域での問題は5つに集約されると聞いた。教育・医療・買い物・仕事・娯楽である。移住者はそもそも住居の問題もあるだろう。でもこの5つに限れば私の場合は上勝町あたりだと全く気にならない。
まず教育は私には子供がいないから関係ないが仮にいても田舎がいい。特に小学校までは遊ぶことが大事だし中学校も他者との競争がない方が地頭が育つと思う。医療は昨今は都会の方がたらい回しにされると聞く。それに高度医療で寿命を延ばそうとも思わない。
買い物は大きなスーパーまで車で45分。小さなスーパーなら15分。でも妻が言うように重い荷物を10分かけて徒歩で持ち帰る今よりはマシだと思う。それに休日の買い物で東京みたいな大渋滞はない。仕事は確かに問題で私は何とか確保した上で行くことにしたが不安はある。
娯楽については価値観次第だ。私たち夫婦は美術館やコンサートなど東京でしか経験できないことを何もしなかった。興味がないから構わない。それより山や川に遊びに行く方が大事だと思う。そんなわけで最大の関門は仕事だけというわけか。
昨日ミーティング中に妻の携帯に母が電話をしてきたらしい。後から掛け直すと石油ファンヒーターを買いに行っていたという話だった。先日母に余っているファンヒーターがあれば借りたいと妻が伝えたのだが全て使っているということで私たちに新品をプレゼントしたいと思ったらしい。
夜になって妻が電話をすると女同士の長電話で30分以上。内容を後から聞いたら母がほうきを買ったとか掃除に行くとか言っていて妻はありがたいと話が弾んだのだとか。母は先日まで移住に否定的だったのに態度が変わったらしい。誰かに何かを言われたか。
母はいつも新しいことには否定的な反応をする。だから私は高校あたりから母には事前には言わなくなった。一人で決めて事後報告。J社を辞めたことも半年間話さなかったし。事後報告でも母はひとしきり私の行動に否定的なことを言う。今回の移住のことも当然そう。
そういう態度は私も嫌だが妻はもっと嫌だったらしい。ところが昨日は変わっていたとか。あの否定的な物言いは母にとっては一種の儀式なのかも知れない。ともかく一転移住歓迎モードだったとか。やっぱり叔父か誰かに諭されたのではないかと夫婦で推測しているところ。
朝7:30に近所まで車で迎えに来てもらって今日は千葉。行きは私が運転。246三軒茶屋から高速に乗りレインボーブリッジからアクアライン経由。8:30頃に現着。ここには妻は3度目だが私は初めて。移住する前に見ておくという主旨で連れて行ってもらった農場である。
現地の社長と話をし連れて行ってくれた人に案内された。なるほど百聞は一見にしかず。見て分かったが聞いた話は私が高校時代に最も苦手だった化学と生物の話ばかりで頭が付いていけず。移住前に紀伊国屋にでも行って基礎的な本を買って勉強しておかないと。
都内に戻り三軒茶屋の名西酒蔵で昼食。今年お世話になった大将の奥様と初めて話をした。本屋で時間調整し今度は妻と青山一丁目。そこから少し歩いてテレビ会議。あちらの映像は見られたけどこちらは音声だけだったらしい。でも少し頭が整理できた。
赤坂見附に出たのは17時。早いとは思ったが妻と居酒屋。D社A氏と一緒に行って後にD社の福岡総務のH嬢K氏らとも行った三間堂。私は風邪で熱っぽかったがビール4杯。帰りは渋谷からバス。ところが私が向橋で降りたら妻が後部座席で寝入っているの。あははは。
妻が買って意外と面白かったというもので読んでみた。五木寛之『天命』(幻冬舎文庫)。この著者の本を読むのは初めてだ。これは小説ではなく著者が思う死生観について分かりやすく書かれたもの。最初の数十ページを超えると味わいがあって面白くなってくる。
と言っても書いてあるのは『神との対話』と同じような内容だ。その片鱗を丁寧ではあるが回りくどく説明しようと試みているだけのように読める。丁寧なだけに説得力は今ひとつだが共感は覚える。五木寛之がこういう考え方をする人だとは知らなかった。
解釈すると結局のところ死は肉体の入滅であるに過ぎないということだろう。魂は生き続けていて人には見えない立場で導いていて。人の魂は私の魂と混じり私に示唆を与えてくれる。人の魂も私の魂も全体の中の一部であって全体を表すとすればそれが神なのだ。
私は10歳代のころ死を怖いと全く思わなかった。それは現実感があまりになかったからかも知れない。今は死をよく意識するようになったがやっぱり怖いとは思わない。人それぞれの死生観があっていいと思うが死を考えるきっかけになる好著だと思う。
先週金曜日。ある集まりで夕方から戸越銀座に行き残った3人で食事をしたあと乗り換えのために渋谷に出た。何だか食べ足りないからとラーメンを求めて妻と2人で街に。そのうち夜の渋谷を歩くのもこれが最後かも知れないとWest Endに行くことにした。
その前に近所の富士そばでコロッケそば。West Endはマスターが徳島出身でJ社時代は日経BPの方々と頻繁に行ったバーである。そう言えばここも最初はF編集長に連れてきてもらったのだった。妻と結婚前に2人で飲んでいたら隣にPDAの師匠M氏がいて驚いたこともあった。
West Endではソルティドッグ1杯だけ。いつもはラッシュ時の地下鉄のホーム並に人出がある渋谷の街だが23時頃の道玄坂はさほどでもなかった。行くたびに人の多さに嫌気がさすが結局のところ東京時代に最も利用した街だったような気がする。
そう言えば結婚する前に私が出張で東京に来たとき妻と会っていたのが渋谷だった。西武の工事中の側壁と公衆電話。センター街のバー。それぞれに思い出。ハチ公前で終電後に座り込んで話したことも。東京を離れるとなって渋谷のイルミネーションが美しく見えたのだった。
懸案だったFOMAプラスエリア対応の携帯電話を新宿ヨドバシで買ってきた。N706ie。操作の継続性でN。私は携帯の背面の時刻表示を頻繁に見るのでその表示が大きい機種という条件で選んだ。欲を言えばもっと軽い方がいいのだが仕方がない。妻も結局同じ機種を買った。
値段は1台40,109円。いくつか割引があって2台で7万少し。この購入で溜めたポイントで固定電話機も買った。新宿は昨年までの人出に比べ少ないと感じた。不景気なのかクリスマスにはまだ早かったのか。さて携帯は帰宅して諸々設定を行ったが昔に比べて分かりやすくなった。
ちなみに過去の日記で調べたらこれまで使っていたN700iは2005年7月7日に買っている。その前の初FOMAだったN2051は2003年11月20日。その前はMovaでP211i。N2051の半年前2003年3月4日に買っている。Movaを買い換えたがデータ通信がしたくてFOMAにしたのだ。
その前は東京に出てきてiMODE対応ということで買ったP501i。2000年2月13日。この頃からD社でP208iを3年前まで使っていた。さらに遡るとPHSを使っていた時期がある。それより前は社長のお古で95年か96年式のDだった。役に立たない過去の5機種が今も手元にある。
右下のアクセスカウンタは12月5日(金)のうちに10万を超えた。金曜は飲みに行っていて23時過ぎに帰宅してアクセスカウンタの設定画面を見てみたら100,001だった。多分この設定画面でアクセスカウンタは進まないと思う。どっちにしても金曜のうちに10万を超えたはずだ。
10万を踏んだ人は連絡をして欲しいと書いてあったのに誰からも報告がない。右下の小さな数字には気づかないのかも。そうも思って事前に文字を大きくする設定をしたつもりだったが全然反映されていなかった。10万アクセスは静かに進んでいったわけだ。
ちなみに1,000アクセスは99年7月。2,000アクセスは99年10月。どちらも踏んだのはMさんだと書いてあるが実は今の妻である。5,000は2000年8月で1万アクセスは2001年7月だが両方とも私自身が踏んだとか。何やってるんだか。4万と5万アクセスは友人もみ君だった。
さて10万アクセスを機にブログに移行しようかと思わなくもないが先に妻がブログを作った。東京から田舎に移住したいと思う人は特に都会には多くいて彼ら彼女らへの参考になればと思う。で私はどうする。それより前に放置状態の広報ブログは消そうかなぁ。
一緒に仕事で話をしたことがある慶応幼稚舎の先生は携帯電話が子供のコミュニケーション能力の発達に与える悪影響について以前教えてくれた。本当はまず喧嘩を含めた他者とのぶつかり合いがあって次に自分の思いを誰にどう伝えるかスキルを磨くステップを踏むべきなのだと。
1人に伝えるべきことをブログで多に伝えてトラブルを招くような問題が多いそうだがそれはクラスで発表したり顔が見えるところでプロセスを経ていないからなのだと言う。いきなりネットにデビューして相手が見えない1対多の関係に放り込まれると子供の心は対処できないのだとも。
そう言えばA社のボスは長男が高校になるまで携帯電話を持たせなかったそうだ。買う買わないの攻防は「緊急時の連絡に必要だ」「人に借りれば済む」「電話をすれば個人情報が漏れる」「緊急と個人情報のバランスを考えれば問題にならない」といったようなものだったとか。
中学3年のクラスで携帯電話を持たないのは一人だけだったと聞いた。先日家に行ったとき大学1年になった当の長男とも話をしたが彼は私たちとの会話にも参加していてその態度は立派な大人で感心した。それは父親による筋の通った教育があったからだと思う。
大阪府知事が小学校と中学校への携帯電話持ち込み禁止を打ち出した。賛否両論があるとニュースでは言っているが私は知事を支持したい。本来は親が決めることなのだろうが知識も見識もない今どきの親に代わって行政が踏み込んでも子供たちを守るべきだと思う。
子供に携帯電話を持たせる親は居場所が分かって安心だと言う。それは子供の行動を信用できないからだろう。防犯や連れ去られても連絡が取れるから安心だとも言う。それなら危険の可能性と未然に防ぐ行動と危機に際した態度を子供に教えておけばいいことだ。
子供に携帯電話を持たせることは単に面倒な教育を避けているだけだと私には見える。もっと重要なことは少なくとも友達など他人との関わり方やコミュニケーションスキルを磨かないうちに携帯電話を持ったのでは子供の心の成長に悪い影響しか与えないということだ。
それに私は携帯電話を直接耳に当てると目の奥が熱くなるわけで脳に対する電磁波の影響は必ずあると信じている。子供たちの発達途中の脳はより強い影響を受けるはずだ。つまりは心の成長にも体の成長にも携帯電話は百害あって一利なしだと私は思うわけである。
宴会シーズンである。忘年会に加え送別会も少し。先週はA社の部署で忘年会。新宿。店名に記憶があると思ったら赤坂見附の駅ビルにあるお店に行ったことがあった。あの店に最初に行ったのは日経BPのF編集長と一緒だった。彼がまだB誌の副編集長時代だったか。
そのF編集長に移住のことを電話で伝えた。彼と私は小学校時代からの知り合いだ。同じ徳島・鳴門の撫養小学校の1歳後輩。早速来週飲みに行くことになった。同じ会社で5歳ぐらい年上のM氏も一緒。彼と私は昔のアマチュア無線仲間で高校のときから知っている間柄。
今週月曜はJ社の取締役だったT氏と神楽坂でモツ鍋を食べた。妻も一緒。前に会ったのは昨年末の鳴門だ。今回は遅れてT氏の大学の後輩というK氏が合流。何と上勝町の第三セクターの取締役もやっておられるとか。初めて会ったのに最初から全開で大笑い。楽しかった。
そして今日は妻と2人でA社のボスのホームタウン。渋谷から1本。でも駅について迷った。一応待ち合わせ時間より前に店に着いてフレンチ。ボスの奥様とは多分18年ぶり。自宅にも伺い子供たちとも話しワインやウイスキーをいただいた。22時半前に撤収。24時過ぎ帰宅。
ジェフリー・アーチャー『ロスノフスキ家の娘』(新潮文庫)。先日読んだ『ケインとアベル』の続編に当たる。主人公は前作の主役の一人アベル・ロスノフスキの一人娘フロレンティナ。彼女が生まれてからの物語だから上巻は前作の後半と同じ時代を進む。
何カ所か前作と全く同じシーンがあって面白い。特に前作ラストでケインが死ぬ前後には感動したが本作ではフロレンティナの視点で新しいエピソードが盛り込まれている。でもその指輪にまつわるエピソードは前作の伏線を引いたもの。伏線も2作がかりで再び感動して泣けた。
上巻は学校時代に人格を形成していく過程から大学に進み結婚して父娘が和解するまで。下巻では父の跡を継いだバロンホテル会長から政界に進出し大統領を目指す物語。10年以上前に読んだときは選挙戦が面白くなかった記憶があるのに今回は印象が違いとても面白かった。
特に民主党の候補者指名選挙を戦う様子は今年あった本当の選挙の裏側を見るようだ。それにしても1996年の大統領選挙について1983年に書かれた小説を2008年に読んで覚える現実感。女性大統領より先に黒人大統領が誕生した現実がこの小説にリアリティを与えている。
これも引越準備と言えるかも知れない。先日からクレジットカードの整理を始めた。これまでメインにヨドバシカメラのカードを使っていた。ヨドバシでの買い物ならポイントが現金と変わらないし他の買い物でもポイント付与率が高い。第一ヨドバシでならポイントを使う機会が多い。
でも徳島にヨドバシカメラはない。通販で買うこともできるが家電品なら現物を見てその場で買う方が自然だと思う。そういうわけでクレジットカードはJALカードに集中させることにした。これから仕事で飛行機を使う機会は増えるようにも思うので。
ほかにも分散していた決済をJALカードに変えるべく手続をやっている。と言っても昨今はたいていWebで済ませられるから楽だと思う。問い合わせ先を調べる必要もなくブラウザのブックマークから各サービスのWebに行けばいいのだから。
本当は決済銀行も整理したいのだが混乱気味。前のマンション時代から続くみずほと最近の三菱東京UFJと徳島時代以来の阿波銀行と最近口座を作ったゆうちょ銀行と。使っていないが三井住友銀行のもある。新規の手続は阿波銀行が中心になるとは思うのだが。
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© 2008 Takashi INAGAKI