2008年11月
早くも年賀状を印刷した。来年の年賀状は移転通知の意味もあるから例年の2倍以上を妻に買ってきてもらい金曜夜に裏面を作成。土曜夜に半数を印刷。さらに今年新たに出す人をOutlookで抜き出しエクセルで書き出し調整して日曜に妻の分も合わせ残りを印刷した。
作業は古いWindows98SE機の「楽々はがき2004」で行い妻が使っているhpのインクジェットプリンタを接続して印刷。昨年は何十枚も印刷に失敗したが今年は全て完璧にできた。昨年はカラーレーザーで裏面印刷してハガキが反っていたのが悪かった様子。
さてOutlookで抜き出した住所録を「楽々はがき」で見ていると古い住所のままの人が何人も見つかった。そのまま出すわけに行かないので残念ながら印刷するのを諦めた。昨今はメールでやりとりするから住所が古いままで更新を怠っていたわけだ。
私たちの新しい住所を知らせたいのにそもそも住所がブランクのままの人もいる。たいてい古い付き合いの人たちだ。会っても名刺交換をしない関係がこういうときに困る。この方たちにはメールを送ろう。というわけで例年になく早く動いたものの作業はまだまだ終わらない。
友人からもらったターミナルアダプタ(TA)は無線子機付き。ISDNを使ったインターネットアクセスや電話を無線で利用できる。昨日受け取り今日は引越先で戸惑わないように機器の設定を行った。まずはマニュアルにざっと目を通すところから。
続いてドライバや設定ソフトをダウンロード。Vistaには非対応なのでXPのノートPCで作業をした。ファームウェアもアップデート。複雑な設定項目に恐れをなしつつ何とか終了。と思ったら設定ソフトの画面上に「子機を認識しない」と出ている。
この表示が正しいのか悪いのかあらゆるドキュメントを探したが分からない。仕方がないので親機と子機のマッチング設定をマニュアルを見ながらやってみた。手元の電話機を仮接続したり手元の機材をやりくりしつつ。結果親機側からの呼び出しはできている様子。
せっかくの無線対応なのでFAXは無線経由で繋ごうと思っている。そうすればモジュラーケーブルを這わす必要がない。LANには現在使っていないPLC(電源インターネット)にトライするつもり。それで室内は配線がスッキリするのではないかと。後は現地で出たとこ勝負。
私たちは移住するが義母は東京に残る。当初は一緒に移住するつもりだったが義母も不安がったし言葉が違う。私たちも慣れない土地で最初から同居だと難しいと思った。義母は東京で老人会に入り友達ができ旅行やカラオケを楽しんでいる。友達と引き離すのも忍びなく。
ちょうど義母のマンションの契約更新が12月に迫っていた。3年ほど前に義母のアパートを探したとき老人の一人暮らしは大家さんに嫌われると知り今回の更新は不安があった。移住のことを言わないわけにいかないが言ったら大家さんから退出を求められるのではないかと。
義母は義母で私たちの負担を減らそうと家賃が安い都営住宅への入居について模索していた。そして大家さんに退出の可能性を伝えていた。でも都営住宅に空きはなく他のアパートを探すにも引越に伴う出費を考えると今のマンションにいた方が得だという結論になった。
それで11月初旬大家さんに事情を話し今週不動産屋を訪ね契約更新を済ませてきた。退出されると困ると大家さんは言っていたそうだ。2年前にも思ったが大家さんと不動産屋さんは情も義もある人だった。2年前は冷たい雨が印象深いが今回はポカポカと暖かかい日だった。
上勝に行くにあたって携帯電話を買い換える必要に迫られている。我が携帯電話機は上勝町の大部分の地域で電波が入感しないのだ。入居予定のマンションでも部屋の中には電波が届かない。これでは仕事をする上で話にならないのである。
穴吹の古民家を見たときも携帯電話の電波が入らず穴吹を移住先から除外した。でも調べると私が使っているNTTドコモFOMAの電波範囲にはFOMAエリアとプラスエリアという2つがある。私の携帯電話機ではFOMAエリアしか使えない。妻のも同様。それほど古い機種なのだ。
ドコモのWebを見るとプラスエリアは上勝の集落をカバーしているように見える。そういうわけで2台同時に買い換えることにした。プラスエリア対応でないという以外に今の機種を買い換える必要は全くないのだが。今どきのは高くて2人合わせて10万円近くの出費を覚悟している。
それにしても機種を調べ始めたらやっぱり使わない機能ばかり。いっそスマートフォンにしようかと思ったがiモードメールが使えないので断念。それで「らくらくフォン」にしようとかと思ったり。機能一覧を見ていると私にはこれで十分だったりするわけで。
昨日書いたTAについて今日3名の方からメールをいただいた。その中で最初にメールをくれた元同僚K氏の好意に甘えることにした。高級機で設定項目が多そうだがありがたく使わせてもらおう。メールをくれたKさんとYさんにも感謝です。ありがとうございました。
この日記を書いているとときどきメールをもらうことがある。でも平均すれば年に2〜3回か。今日のように一度に3人からメールをもらうとインターネットの面白さはコミュニケーションだなと思う。なるほどブログも面白そうだとも。
この日記サイトは検索ロボットを拒否している。しかもこのページにリンクを張っていて私が把握しているのは6サイトだけ。昔メールのシグネチャに記していたURLも外して6〜7年経つと思う。そうやって入口を狭めているがこうした閉じた態度でいいのだろうかとときどき悩む。今回も。
そう言えばこの日記は来年5月で10周年。右下のアクセスカウンタを見ると99,600少し。10周年を待たず多分12月上旬に100,000を迎える。おっと6桁を表示できるだろうか。ともかく100,000を踏んだ方はメールをください。99,999の方と100,001の方も。よろしく。
iナンバー対応ISDNターミナルアダプタ (11月25日・火)
どなたかISDNターミナルアダプタ(TA)を譲ってくれませんか。2番号を使えるiナンバー対応のヤツ。上勝ではISDNを電話とFAXに割り振って使おうと思っているのだがTAがない。いや前のマンションでインターネット接続に使っていたTAはあるがiナンバーに対応していないのだ。
実は現在もISDNでiナンバーは使っているがビジネスホンに収容している。ところが上勝に行って電話用に2回線必要になるシーンは減ると予想。上勝ではIP電話もある。調べるとビジネスホンの設置工事費が高く電話が1番号でいいなら一般電話機を買った方が安いのだ。
FAXを別番号で回線を確保するにはISDNのiナンバーを契約するしかない。iナンバー契約しない選択も考えたがIP電話をどう収容できるか分からないし部屋のレイアウトの問題もある。それに着信を携帯電話に転送設定したときにFAXまで転送されては逆に困る。
やっぱり電話とFAXは番号を変えておかないといけない。となるとiナンバー対応のTAがいる。買えば12,800円程度なのだが世の中に中古品があるような気がするわけで。34分別のリサイクルに取り組む上勝に行くわけで中古品を使い回せればと思うわけ。誰かいませんか?
3連休。近くに住む元同僚のT君夫妻を誘って日曜に我が家に来てもらった。歩いて15分弱の距離のはず。16時半過ぎに着いて早速飲み始め義母の旅行土産などを食しながら大いに話して。終電を気にしなくていいので気がついたら25時過ぎ。
T君は私の6歳下。10年以上前のキャンプ仲間で特に最近は折に触れて会う仲間である。前回会ったのは6月28日でその前は2月21日だったようだ。今回は奥様のAさんも一緒。何と私の15歳も年下。歳が離れているけど同じ文化を共有していて話をした世代論が面白い。
でも昨日の話題のほとんどはウンコのことだったような気がする。ウンコの頻度や野ぐそや世界のトイレ事情など。詳細は書かないが私が知らないこともいっぱいで大いに盛り上がった。楽しくて勉強になった。それにしても昔からウンコの話は盛り上がる。
昨日も思ったがT君と私は性格や考え方が似ている。一方でAさんと妻はよく似ている。飲んで大騒ぎした翌日に妻は楽しかったと言い私は自己嫌悪になることが多いがT君夫妻はそんなところも似ているぽい。そういう私も昨日は騒いだ上に楽しかったのである。
私はボケてきていると先日書いたが最近はボケを吹き飛ばす忙しさである。と言ってもJ社にいた頃のような働き詰めではない。やるべきことを一つ一つタイミングを計りながら片付けているというのが実態だ。この状況にいること自体がボケ防止に役立っているような気がしている。
仕事も含め引越までにやれるだろうかと不安になることがある。でも多分それも含めて体と精神のバランスを取るのに役立っているのではないかと思う。安穏とした生活では体はなまるし精神も鈍るのではないのかと。多少の緊張が人の精神を前進させるような気がするわけで。
移住後の生活に不安がなくはないが昨今の忙しさでそれを考える余裕がない。とにかくもう決まったこと。目の前にあるやるべきことを淡々と片付けていくほかない。それは人生と同じかも知れないと考えたりもする。不安はある。でも考えても仕方ないのでやるべきことをやる。
ともかく目の前にあるチェックリストは私のボケの進行を一時的に止めている。チェックリストを片付ける一方で新たに加わるものもあってタイミングも考える。そのこと自体を不安感まで含めて楽しんでいる。今は頭をシャキッとさせる環境に置かれていることを感謝しよう。
今回の上勝移住についてA社の仲間I氏から「思い切ったね」と言われた。確かに思い切った行動かも知れないが実態は私が妻に付いていくだけなのだ。妻は感性で動くと前に書いたが結婚した運命共同体である以上とことん彼女の直感に付き合おうと決めているだけなのだ。
理性で考える私にしても論理的に考えた上で妻の直感を今は支持している。サラリーマンでさえ来年が安泰か分からないような時代である。信じるべき対象は会社なのか自分なのか。少なくとも会社ではないことを私は10年前にJ社で学んだわけで。ここは妻の感性を信じようと。
それでも先のことは分からない。ただサラリーマンだと共働きでも収入元が限定されているのに対して私たちはもう少し分散している。100か0かではなく100か50か20か10か。0の可能性もあるにはあるが確率的には小さい。しかも150になるかも知れない。
それに信じるべき対象は自分の感性だと『神との対話』で理解した。それが論理的かどうか議論はあるだろうが私は『神との対話』を論理的だと解釈している。そして信じるなら私自身の感覚より妻の感性の方が鋭く冴えている。それは10年近く一緒に暮らして私はよく知っている。
東京で上勝町の葉っぱビジネスのことを人に言っても全く知られていない。A社のボスのように地方活性化などに関心がある人には以前から知られているが私が話した出版社の人は全く知らなかった。妻が訪問する女性誌の編集者も100%知らないらしい。
ゴミの34分別も私は上勝に行くまで知らなかったし知名度はその程度なのだ。それでも徳島県の中では徳島市と鳴門市に次ぐ知名度だろう。いや鳴門は私の実家があるからそう思い込んでいるだけかも知れない。そもそも徳島県の知名度は四国で最低だ。
徐々にではあるが上勝町の知名度アップの機会は徳島の中で断然高いとは思う。例えばテレビ朝日のお昼のワイドショー「ワイドスクランブル」で取り上げられると聞いている。ただし例の厚労省元次官刺殺事件で放送されないままのようなのだが。
来夏には上勝を舞台にしたドラマが放送される。私は10月中旬に聞いていたが母が徳島新聞の切り抜きを送ってきた。泉ピン子主演で小林稔侍に野際陽子。上勝の人たちのブログによると今まさに撮影中とか。来年4月にも撮影するらしい。そのときには私たちも何か関わるのかも。
10月は妻の仕事が大変だったが11月は私の仕事が大変な状況になっている。50ページほどの冊子の原稿を書いているのだが毎週4本の締切が来る。1本あたり1,200字ぐらいだから量は大したことがないのだが内容に毎度悩む。それを全部で24本分書かないといけない。
図表やリードにキーワード解説も必要なのだが気持ちに余裕がなく今は本文原稿だけ先行させて書いているところ。さらに全く別の原稿締切が年末進行で毎週1本以上やってくる。1,000字の原稿もあるし1,600字のもあるし3,000字のも。これだけでも負担感いっぱいなのだけど。
書くと社内で確認に回し修正された原稿を最後に調整。編集者とのやりとりや内容の確認などもある。そんな作業があるから書けるときは1日あたり2本ぐらい書く。でも1本書くとぐったり疲れる。2本を書くと頭が爆発しそうに疲れてしまう。
本職の記者さんやライターさんは凄いなと思う。取材したり書くべき内容がはっきりしていれば執筆自体は楽なのだろうか。私も取材をしてから取りかかれば良かったと思いつつまずは形を提示した方が早いと思い始めてしまったこの作業。峠を越えるのは2週間も先。
私は最近ボケてきている。このペースだと10年後には自分が誰か分からなくなっているのではないかと思う。例えば先週12日に友人K氏と渋谷で昼食をともにしたとき彼は私の引越スケジュールのメドを知っていた。「どうして知っているの」と訊いたら私がメールに書いていたらしい。
かつてJ社の社長が私に何度も同じ話をする。「それは前に聞きました」と言わずに聞くことが何百回も。どうして自分が話したことを覚えていないのだろうと不思議に思っていたが今の私がまさにその状態だ。あれは年齢から来るものだったのだろうか。
私の場合はもっとある。妻と区役所で印鑑証明を取ったとき。自動交付機から出た証明書を手に取り印鑑を確かめようと見ていたら上下が逆になっている。印鑑を逆に押して登録されてしまったと慌てたら手にした証明書を上下逆に持っていた。バカ殿のコントみたいだ。
先日U氏と妻と3人で飲んだとき。東京からの新幹線で鴨川は京都駅の手前にあるか奥にあるかで論争になった。答えは手前。私は奥にあると言い張った。鴨川は京都駅より東にある。なのに京都駅から鴨川を超え東山を抜けると大阪に至ると錯覚していた。いやはや。
A社の研修旅行では各自のお気に入りコンテンツを5分間でプレゼンするイベントが行われた。元々は7月1日にあった夏の飲み会で話題になった小説や音楽について仲間の嗜好をもっと知りたいと思ったのがきっかけだったと思う。これを研修で発表し合おうと。
今回のプレゼンでは嗜好が各方面に及んでいて面白かったのだが夏の飲み会の話題も忘れがたい。何せ私が最近読んだと話した小説は私と話をしていた数人の内ほとんどの人が読んでいて単行本と文庫本でストーリーが若干違うという蘊蓄も聞かされたのだ。
こんな経験は大学時代のアマチュア無線部のボックス(部室)以来だ。多分1983年にボックスでいたとき文学部の先輩が突然「クイーンのボヘミアンラプソディの歌詞ってカミュの異邦人だよね」と言った。そうしたら別の経済学部の先輩が「そうそう。僕も前から思ってた」とか言う。
クイーンのボヘミアンラプソディの歌詞は知っていたけど私は「カミュって何」という状態。早速『異邦人』を買って読んだ。文化的な造詣というのか。そんな会話がふと始まってしまう面白さ。A社の仲間に敬意を持ったし私自身がその一員であることがうれしいと思うわけだ。
引越業者さんに見積もりに来てもらった。妻が手配をした2件。11時過ぎと14時過ぎ。朝の業者さんは部屋の状況をざっと見てすぐに見積もりに取りかかり料金はあっさり提示された。高いが妻が想定していた額よりは安かったらしい。感覚的にはほとんど決まり。
午後の業者さんは今のマンションへの引越をお願いしたところ。そのときの仕事に満足しているので今回も。でもやってきた営業さんは何度も会社に電話をして1時間以上。車の手配がうまくいかず荷出しから搬入まで5日間もかかるという。それでアウト。
合間に隣町の銀行まで歩いて行き海外送金1件。10月までの経費が全て出揃ったので弥生会計に入力してデータを税理士さんにメール。ついでに電話をして質問を2つ。午後は上勝町へ残りの書類の送付手配。その前に質問をいくつか。徳島県にも補助金のことを問い合わせ。
夕方はビジネスホンの移設について電話をし夜になってネットサービスの利用申込書の郵送手配。町営住宅関連は家賃の引き落とし書類を引っ越し後に出すことにし後は敷金とネット機器のレンタル料金の振込だけ。これで入居手続は峠を越えた。今日は4歩前進という感じ。
A社の研修から東京に戻った15日(土)の夕方。少し時間調整してU氏と会ってきた。記録によると前回会ったのは10月10日(金)。ゲームショウの帰りに1人で行った。その前は10月5日(日)に我が家に来てもらったようだ。8月末から10月までに6度会ったことになる。
この秋7度目になる昨日は妻と一緒に彼の部屋へ。と言っても彼は荷物を置いて11月から京都で仕事している。しかも2月には部屋を引き払い米国に赴任してしまう。私が徳島に住むようになれば彼が帰省するとき会えるはずだが東京で会うのは今回が最後かも知れない。
私は1月前にも行った新築の2LDKS。最新のマンションの機能性がよく分かる。インターネットはケーブルに繋ぐだけでブロードバンドで使えるしオートロックを解除するのは鍵を差し込むのではなくかざすだけ。ゴミは鍵で開ける大きな部屋の中に24時間いつでも出せる。
ただし最先端のマンション群が立ち並ぶ人工の街は少し無機質な印象。それに目の前の大きなショッピングセンターは24時間営業で食材は深夜に買えてテナントの定食店も24時間営業だそうだ。渋谷や新宿の街中ではない住宅地なのに。不夜城東京の究極の姿を見た思い。
金曜日からA社の研修で群馬県の水上(みなかみ)温泉に行ってきた。観光バスで19人。温泉に着いては各自お気に入りのコンテンツを5分間でプレゼンする発表会。私は上勝町のことを説明して最後に2冊の本を紹介したが策に懲りすぎた感じ。私はいつも素直さが足りない。
本や音楽や映画などを紹介する人が多い中で自分で撮影した動画と写真を紹介する人が2人。ちょっと感動。お気に入りコンテンツというと他者の著作物ばかり考えていて自分のものという発想が私にはなかった。だからといって発表できるような私の作品などないのだが。
夜は宴会でさらに部屋に集まって宴会の続き。私は25時前に撤収。1部屋に6人。いびき申告組ではなかったが2人のいびきで目が覚める。それでも一昨年に比べれば寝られた方か。今朝はボスが起きると同時に風呂に行こうと言うのに閉口しつつ6時半に起きてしまった。
今日午前は谷川岳。ロープウェイとリフトに乗って頂上付近まで行った。気温8度。水上温泉は紅葉真っ盛りだが谷川岳は冬の模様。既に雪も降ったらしい。意外に早く15時過ぎに都内に戻ってきた。上海人のWさんとも結構話をして楽しかった。
上勝町役場から朝電話があった。町営マンションへの入居には納税証明書やら印鑑登録書やらとともに入居申込書を送り入居の許可を受ける必要があった。町長からは入居するよう言われていたが形式は形式である。今朝の電話は入居が正式に認められたという連絡だった。
そんなわけで私たち夫婦の上勝移住が正式に決まった。町営マンションでは2戸を借りる。1戸は3LDKの72m2だが部屋の中に収納スペースがほとんどないし手狭なのだ。何せ業務用コピー機はあるしデスク2つに妻宛に届く女性誌や山のようなお菓子の段ボールの置き場がない。
そこで最初から事務所用に用意されていたもう1戸も借りることにした。ここは住居用と同じ広さで部屋の仕切がない72m2の大きなワンルーム。駐車場は1戸1台は無料。各戸に1畳ほどのトランクルーム付。共益費を入れた2戸分でも東京・世田谷のワンルームより遙かに安い。
さて今日は法務局に登記変更について訊きに行った。移転登記と目的変更を同時にやっても安くはならないそうだ。ついでに登記簿を取ってきて郵便局に行き通帳を作った。上勝の共益費の引き落としは郵便局だけということで。会社用と個人用。今日は2歩前進といったところか。
(明日の更新はお休みします)
引越をするとなると諸々の手続きが膨大で何をどうすればいいのか途方に暮れている。個人で当面必要なのはクレジットカードや保険に銀行など金融系ぐらいだと思うが会社ではホスティングサービスなどIT系の手続に電話の移設やビジネスホンの設定工事の手配が必要だ。
それ以前に定款と登記の変更も。調べると移転登記だけで印紙代が6万円かかる。それに行政書士に依頼すれば手数料が数万円。法務局のサイトで書式を見つけたので移転登記だけなら自力でできそう。この機会に事業目的も変えたいのだが同時にできるのだろうか。
代表取締役の住所変更も必要らしい。単独でやると印紙代は1万円。社会保険の変更もやらないと。一方で共益費の引き落としは郵便局限定だけらしいのだが会社名義で口座を作るには登記簿と印鑑証明が必要。それより前に契約書を書かないと。
とりあえず先週は妻と区役所に行って印鑑証明書と納税証明書を取ってきた。連帯保証人の弟に実印と印鑑カードを持ってきてもらい委任状を作り渋谷区役所に行って弟の印鑑証明書と納税証明書と所得証明書も取ってきた。一つ一つやるしかないのだが。あぁ。
これも幼稚園時代かも知れない。鼻にクレヨンを入れたところ取れなくなった。近所に住んでいた同い年の康美ちゃんが先にやってみて私が後からやった。康美ちゃんに言われてやってみたのであって断じて私のアイデアではない(と思う)。多分クレヨンの色は黒だったと思う。
当時は父が運転するホンダのスーパーカブで走りに行くのが我が家のレジャーでその夜も後席に乗って島田島スカイライン(現・鳴門スカイライン)を走りに行ったような気がする。もしかしたら母も一緒だったか。そのとき私の声が変だったのだろう。母に追及されて白状した。
そこからの記憶は曖昧でどうやって取り出したのか記憶がない。もしかしたら翌日耳鼻科に連れて行かれたかも知れない。何せ取れなくなって困ってしまい叱られるのを覚悟で母に言うべきか悩んでいた気持ちだけは覚えている。叱られたくなくて自分からは言えなかったのだが。
後に母の実家に行ったとき祖母に母がこの顛末を話した。そのとき祖母が鼻は脳に繋がっているから危ないといった意味のことを言っていた。そのことだけはなぜか記憶に残っている。それにしても子供は変なことをやるものだ。こんなバカをやったのは私だけ?
徳島では友人の子供たちが通う幼稚園に行ったが私の幼稚園時代で覚えているシーンが3つある。1つは上履きがなくなり母に言ったら先生たちが探してくれて見つかったこと。多分意地悪されたのだろう。犯人の目星は付いていたような気もするが弱気な私は何も言えなかった。
2つ目は何かの発表会の練習で講堂の舞台で歌を歌っていたとき。後ろの子が同じところで間違うからその度に振り返っていたら突然先生に抱かれて舞台から下ろされた。歌に集中していない罰なのだが後ろの子が間違うのが悪いのにと思った記憶がある。
3つ目は体育室でおもちゃを出して遊んでいた始業前。朝礼のため全員園庭に出るのだが遊んでいた子がおもちゃを片付けずに行ってしまった。朝礼の前に片付けないといけないのにと思いながら多分5〜6人だけが残っておもちゃを片付けていたシーン。
書いていて思い出したが妊婦の先生に頼まれて荷物を持って階段を上ったことがあった。それに改築中の幼稚園の代わりに隣の小学校に間借りしていたときの下駄箱あたりの雰囲気も覚えている。改築していたのは年少組のときのはず。私が5歳の頃のことである。
今度A社の合宿研修があって往復のバスの中で聴く音楽を提出することになった。著作権を扱う仕事だからコンテンツに親しもうという主旨だと思う。条件は5分単位を1曲と数え5曲以内。締切が過ぎて慌てて楽曲の選択に取りかかった。
私の人生に影響を与えた曲となるとピンクフロイドだが例えば「狂気」は1曲が6〜7分なのだが曲が連続していてA面全曲聴かないと意味がない。それにバスの中で聴くには暗い。そんなわけでプログレッシブロックは諦めてハードロック系で選ぶことにした。
ところが演奏時間を調べると候補の曲はほとんど5分超。レッドツェッペリン「天国への階段」なんてライブ版で11分。5分を超えると1曲減るから5分以内の曲を探しながら聴き始めたら4時間がかり。そんなわけでツェッペリンもディープパープルも諦めた。
21枚のアルバムから28曲をリストアップし結局1曲だけ5分超の曲を入れて全4曲。誰もが知っているだろうヒット曲ばかりを選んだ。ビリージョエル「Allentown」ローリングストーンズ「Undercover of the Night」プリンス「Purple Rain」トト「Africa」。ちょっとヘビーかな。
TBS「ニュース23」キャスターを長く務めていた筑紫哲也氏が亡くなった。昨日のテレビ朝日「報道ステーション」では冒頭から15分間も報じていた。でも他番組の冒頭で15分も報じなければならないニュースなんだろうか。単なるテレビ業界の身内ネタだろうと嫌悪した。
筑紫氏と言えば私が学生時代に我が大学に講演に来たことがある。当時は朝日新聞の社員で「朝日ジャーナル」編集長だった。たまたま大学キャンパスは自治会によってバリケード封鎖されていて筑紫氏がバリケードの中の講演は久しぶりだといった意味のことを言ったと聞いた。
確かに朝ジャ編集長として有名だった。でも当時の若者に絶大な影響を与えたとテレビで言っていたことには違和感がある。当時心情左翼だった私でも朝ジャは全く面白くなかった。若者に絶大な影響を与えたというなら「週刊プレイボーイ」の方が相応しいと思う。
筑紫氏が20年近くにわたって同じニュース番組のキャスターをやり続けたことは功績だと思う。でも今回の報道は周辺の人たちが身内であって映像もコメントも取りやすかっただけのように私には見える。テレビも新聞も安易なニュース作りに流されただけではないのかと。
何度も書くが買った車は中古の軽の4WDだ。なぜ4WDにしたかと言えば住むのが上勝だから。徳島市より南にあるが山の中にあって標高が高いから雪が降ると思うのだ。でも私がそう思うのは全て想像だったりする。上勝の人に聞いたわけではない。
相談した鳴門の従兄弟も上勝に住むなら車は4WDが必須だろうと言った。ダイハツ販売店の社長も同じ。その社長によると徳島西部の池田町(現三好市)あたりは4WDでなければ売れないと言う。鳴門は断然2WDだ。4WDはほとんど売れないと言っていた。
でも本当のところ上勝の場合はどうなんだろう。徳島市から続く川沿いの幹線道路が積雪することはあるのだろうか。もちろん雪は降るだろうが本当に4WDでなければダメなんだろうか。本格的に積雪して凍結したら4WDでも運転はできないだろうし。
何となくイメージだけで語っているような。私も雪深いイメージを勝手に持っていて4WDが必須と思い込んでいる。新車で買えば車両価格は高く燃費も悪いがそれも安心料か。前に乗っていたSUBARUインプレッサWRXも4WDだったから私にとっては確かに何となく安心だけど。
妻の日記に答えよう。コーヒー豆は生ゴミでペーパーフィルターは単純に燃えるゴミである。私も最初に案内されたとき質問した。鼻をかんだティッシュペーパーはどこに分別すればいいのでしょうと。答えは単純で「燃えるゴミです」と。
コーヒーのペーパーフィルターについては私も質問した。燃えるゴミを減らすにはペーパーフィルターではなくメタルフィルターを使えばいいのだ。そう言ったらNPOの事務局長に「そこまで考えてくれれば素晴らしいです」といったことを言われた。
上勝町のゴミ34分別の目的は妻が言う通りメーカーへの圧力にあると思う。ゴミが出るような製品作りは止めるべきだと私たちが思いメーカーが止めるように。そのためには不買運動も一つの手段だろう。34分別は過剰包装への拒否感情を醸成する一つの手段なのだと思う。
私は環境問題にさほどの関心は持っていないがゴミを34分別するとなると我がことと思うだろう。商品そのものの性能に大差がない現代にあって製品選びのポイントはゴミになる部分が少なく分別しやすいものになると思う。これは時代の流れだし正しい方向だとも思う。
車は軽の中古4WDを買うことにしたがカタログを見ていると軽のエンジンスペックの凄さに驚いている。特に4WD車はたいてい3気筒DOHCインタークーラー付ターボ。最近の軽は装備が盛りだくさんで重くなっていて走行性能を確保するためエンジン性能も上がる状況らしい。
一般の軽の車重は900kgぐらいが多いようだが従兄弟から薦められた4ドアSUVのテリオスキッドは990kgもある。そんなわけで燃費は悪い。結局のところスタイルや走行性能や燃費などの何を重視するかによって選択が変わる。考え方は普通乗用車と同じなのだ。
それでも徳島で1週間過ごすと実家の近所に停まっていたニッサンX-TRAILが大きく見えて仕方がない。大きな車を買う理由は私たちの場合キャンプ用品を積み込むときだけだが今の実家の1,500ccセダンで用を為しているのだから結局のところコンパクトカーで十分なのだと思う。
それに上勝の集落に行くと道が谷に突き出たようなところもあって軽い車の方が道路に負担をかけずにいいと思う。そういうわけで2台目を買うとしてもやっぱり軽かな。4WDが条件だからせいぜい1500ccのインプレッサぐらいまでだと思う。私の指向も変わったものだ。
手元にある文庫本は奥付によると平成6年の印刷とある。だからJ社時代の末期に一度読んでいる。読んだことは覚えているがなぜ読もうと思ったのか動機を全く覚えていない。ジェフリー・アーチャー『ケインとアベル(上・下)』(新潮文庫)。ふと思い立って再読した。
1906年に生まれ猟師に拾われて育てられたポーランド人ヴワデクはドイツ軍に数年間も地下牢に幽閉され次はロシア軍によってシベリアに送られる。どうにか逃げ出し米国に移民として渡りアベル・ロスノフスキ男爵と名乗りホテル王として成功する晩年までの物語である。
同じ1906年に米国ボストンで銀行家の息子として生まれたウィリアム・ケインは実力で父の銀行の取締役になりニューヨークの銀行と合併し頭取になる。ケインとアベルの人生は銀行家と事業家として1929年の大恐慌で交錯する。そこから復讐と援助が重なり合って物語が進む。
細かなストーリーは忘れていたが2人の主人公の人生はそれぞれが凄まじいドラマで一気に読める。実はラストシーンは覚えていたし著者が仕掛けた謎も知っていた。それでも読み終えたとき私は号泣してしまった。これが文学の力かと感動を新た。凄い力を持った小説である。
徳島市沖浜にあるJ社の旧本社の北側には公園がある。この公園の北東角の道側にお地蔵さんがいる。今は松山にいるK氏はJ社に中途入社したばかりのころ夜お地蔵さんの前を歩いていて誰もいない後ろに向かって「付いてくるな」と叫んだと言う。何かがある。事故も多い。
だから当時の私はお地蔵さんの前を通らないよういつも迂回していた。でも今回10月28日にセルフうどんを食べに行くときうっかりお地蔵さんの前を通った。西から東へ。そしたら耳とこめかみの間ぐらいに圧迫されるような違和感があった。妻は耳が変になったと言う。
その日の夕方。上勝から北に大河原高原を越えて佐那河内村に下りた。妻は前から大河原高原あたりは霊的に曇っていてダメだと言っていたのだが今回は私も感じるものがあった。大河原高原から少し下りて多分ここ10年ぐらいで整地された大きな広場になっているあたり。
昼と同じように耳の前に圧迫感があった。傷つけられた大地の神が怒っていると妻は言う。ともかく私も霊的な何かを感じるようになったようだ。あるいは妻が感じている何かを察知しているだけなのか。いずれにしても沖浜のお地蔵さん周辺と大河原高原は行かない方がいいと思う。
11:40頃に家を出た。ところが実家のADSLルーターと無線LANアクセスポイントの電源を抜かずに来たことを思い出して一旦戻り機器の電源を抜き電話の外線を電話に直結しなおして再出発。早く出たおかげで12時過ぎに高速鳴門停留所に着いた。
ここから12:25発の高速バスに乗る。8月の帰省の時と同じ。前回と違い今日は9割の座席が埋まっていたこと。それに今日は高速鳴門から神戸空港まで1.5時間で着いた。神戸15:45発の飛行機で帰京。電車とバスを乗り継ぎ18時過ぎに帰宅し私たちがアジアと呼ぶお店で夕食。
さて補助金の件で会った元クラスメートは彼女なりに努力してくれていて木曜は20時過ぎに金曜は18時半頃電話を寄こした。1期目の赤字額やら会社設立前の個人事業時代の売上などについて事情聴取された。といっても手元にデータがなく私の回答はいい加減。
明日は彼女に出すデータをまとめなくてはならない。一方で10月末で我が社は期末を迎えているので決算処理もしないといけない。その前に1週間留守にして経理処理も溜まっている。帰京しても落ち着かない11月の始まりなのだ。
お昼前に母に送ってもらって鳴門にあるJ氏邸。昨日幼稚園で会った双子のT君Cちゃんと一緒に今日はJ氏邸の庭にある釜戸でバーベキュー。聞けば昨日の幼稚園でT君が帰るときに私がいなかったことでT君は泣いていたらしい。うれしいじゃないか。
妻がプレゼントしたものを説明するのに「大人の友だちがくれた」と表現したとも聞いた。ますますうれしい。そんな2人と遊びつつビールを飲んで炭火で焼いた肉や野菜を食べて。今日は暑くて食べているときはTシャツ1枚で過ごせたほど。遅れてT社長も合流。
帰りはT社長が送ってくれるというので車に乗っていたら偶然カメラマンのY氏と会った。かつてJ社時代に何度も川内のスタジオに行ってパッケージ写真を撮ってもらった。先日のデザインのB氏といい今日のY氏といい徳島時代の仕事関係の人に続けて会うのは何かの示唆か。
夕方帰り一眠りして夜は母を外食に誘った。前にY氏Mさん夫妻と行ったおしゃれな居酒屋まで歩いていったのだが満席でさらに歩いてイタリアン。昼からずっと食べている感覚でお腹いっぱい。今回の徳島では一応やるべきことは全てやれた。東京に帰ったら忙しくなる。
<Diary Index Page>
<Top Page>
© 2008 Takashi INAGAKI