2015年10月

メガネとカーナビ (10月31日・土)


鳥取から丹後半島を回り舞鶴から大阪経由で972kmを走ったときほとんどの区間をドライブ専用メガネを使った。単に眩しかったからだが新しく作った遠中近両用メガネと掛け替えても違和感がなかった。ただし夜になり対向車がなく眩しくないときだけは普通のメガネの方がよかった。

特に帰る途中の淡路の高速だ。とにかく暗い。対向車の光は見えないから室津PAで休憩したときにメガネを換えた。近視専用メガネではナビも見にくいとは思った。ナビと言えば今の車に装着しているシステムは地図が古くて途中から信用できなくなった。特に鳥取県内。

新しいバイパスができているのに旧道を通そうとする。それで肝心なところは妻がスマホでナビをするようになった。このカーナビの地図データを更新したのは3年目の車検のとき。2012年5月。まだ3年。もう3年。徳島ではしらさぎ大橋も上勝の正木トンネルも表示されない。

調べてみると有償での更新サービスは16,200円らしい。知らないところに行くなら更新しておいた方がいいように思うが16,200円の価値があるかどうか。スマホでのサービスもあるので今回のようにカーナビは補助的な使い方にしてもいい気もする。次の長距離ドライブの前に考えよう。

秋祭りのカラオケとPCへの出力 (10月29日・木)


先日の草刈りの後みなで飲んでいるとき地元のミセスの会の人が11月3日の秋祭りで踊ろうかという提案があった。ほかに出し物はないのでカラオケもやろうかという話にもなったが毎年春の敬老会で使っているPCを使ったカラオケシステムはネット回線がないからできない。

それが地元のN氏のカラオケ機を使うようT氏が段取りしてくれたようだ。昨日は地域の町興しグループ「1Q運動会」のメンバー3人とN氏宅を訪ね操作方法を教えてもらった。業務用で新品なら100万円ほどするようなシステム。電源のオンオフで独特の流儀があり失敗するとロックされるらしい。

操作は覚えたが問題はディスプレイがN氏宅のブラウン管TVしかないこと。歌う人用と操作用に2台欲しいが赤白黄色端子の出力をPCディスプレイには繋げられない。そこに上勝TVの機材USBビデオキャプチャーを介せばPCで見れるのではないかとS氏宅で飲み始めたときにT氏のアイデア。

今日それを試してみた。NTTドコモでもらったWindowsXPの古いネットブックを3年ぶりぐらいで起動しネットからドライバをインストール。モニターソフトはCDをネットドライブにコピーしてそこからインストール。ビデオ出力をPCに繋いだらあっさり成功。これで問題をクリアしてホッとしているところ。

伊根の船屋 (10月27日・火)


月曜に行った伊根の船屋は面白かった。丹後半島の東にある漁村だが南向きの小さな湾に家々が並んでいる。海に面した1Fは船のガレージだ。奥に向かって斜めに上がっていて船を海から引き上げられるようになっている。それが湾に面した三方に並んでいるのである。珍しい風景だ。

船屋は対岸からも見られるが最初に行ったカフェで紹介されて小さな船に乗った。家々は元は高台に建っていたのが湾の入口に島があり波がなく干満差も数十センチで便利だからと海沿いに下りて来て道を挟んで船屋と母屋が作られたそうだ。土地が狭く船屋は海に突き出しているとか。

船長は電話を受けて船着き場に引き返し別の客2人を乗せたり釣り客を対岸に運んだり。その分時間は掛かるがそれも面白い。船着き場に戻る前に小袋に入ったカッパえびせんを渡され空に投げるよう言われた。カモメが何十羽も船を追いかけてキャッチするのである。これは面白かった。

これで1人1,000円。私が乗った小さな亀島丸が小回りが利くし船長と対話もできるからお奨め。船を下りて湾を一望できる道の駅にも行ったが駐車場は満杯。スマホアプリSwarmで見ると土日は凄い人らしい。天橋立から近いので丹後観光の目玉ではないだろうか。ここは楽しかった。

伊根の船屋から舞鶴と大阪経由で帰宅 (10月26日・月)


7時半起床。若狭湾の西に位置する丹後半島の東端にある伊根という町に泊まっていた。奥伊根温泉「油屋」という旅館である。朝食後に私は温泉に入り9時半頃に出発。天橋立に向けて走り途中にある伊根の船屋という国の重要伝統的建造物群保存地区になっているところに行った。

三方を囲まれた湾に海に向け船のガレージがあり2階が住居という家が建ち並んでいる集落だ。妻が何かで見て行きたいと行っていた。本当は船屋で泊まりたかったが1泊1組限定なので別の旅館に泊まったわけだがここは楽しかった。まずは妻が調べた新しいカフェを目指して。

ここでの経験は改めて。10時前に着いていたのに遊んでいたら道の駅で12時。ここから舞鶴に行こうと天橋立を過ぎてガソリンスタンドで聞けば通常は一般道を使うというので海沿いを走って赤煉瓦倉庫群に着いたのが13:45頃。海軍カレーの昼食。赤煉瓦群を少し歩いて大阪へ出発。

妻が泊まる天王寺のホテルまで送ったのが17時ちょうど。そこから一人で阪神高速から淡路。鳴門の実家が19:02。2ヶ月ぶりに会った母と夕食をとり19:30発。上勝に57分で到着。そのまま秋祭りの獅子舞の打ち合わせに。4日間の走行距離は972kmだった。疲れたが楽しい旅行になった。

温泉と天橋立 (10月25日・日)


昨夜泊まったのは兵庫湯村という日本海側の温泉だった。夢千代日記の舞台になったらしい。この中にある「湧泉の宿ゆあむ」という旅館。朝7時45分頃起きて朝食後また温泉に入り9時半過ぎにチェックアウト。荒湯と呼ばれる源泉まで歩いていき散策してから車を出した。

目指すは天橋立。途中田舎道に「森ちゃんの隠れ家」というカフェを見つけて入りコーヒーを飲み天橋立に着いたのは12時半頃だった。駐車場を探して2度Uターンして駐車場700円。昼食をうどんを食べ元伊勢・籠神社真名井神社に詣りケーブルカーに乗って展望台。股のぞきなどやって戻りはリフトで。

天橋立の中を歩きたいと妻が言うので南側に回り駐車場代1,000円で神社まで。周辺を歩いて車に乗ったのが16時前。ところが今日は天橋立の東側に松明が焚かれ花火も上がるそうで混雑を予想。宿に行くのに1本道だから渋滞したら逃げ場がない。

そこで敢えて丹後半島を西に行き遠回りの道を選択。車のナビと妻のスマホの検索で道を選びながら結構飛ばして旅館に着いたのは17時半頃。まずは風呂に入り19時から食事で終えて再び風呂。明日は妻を大阪に送ってから上勝に帰る。大阪16時頃の予定なので上勝に戻るのは夜になる。

鳥取で顔ヨガイベント (10月24日・土)


今回の妻の出張は顔ヨガ講師の間々田さんをイベントに呼んでくれた鳥取ガスの招待だ。私の旅費は出ないがせっかく鳥取に行くので運転手として付いてきた。泊まったのは鳥取駅前のホテルニューオータニ鳥取。7時半に起き8時に食事を取り9時集合で常設の鳥取ガスのショールームへ車で5分。

11時からのイベントは臨時の大きなテントにいすが50席。大きな液晶テレビにプレゼンシートを表示させるがPCはバックヤードにあって会場が見えない。それで妻が会場のサポートをするため私がPC担当に。笑いが起こる中を講演は1時間弱。続いて書籍の販売とサイン会。

控え室で昼食をいただき午後2時から2回目の講演。合計120人以上が来た様子。本も売れたようだ。中には本は持っているがサインが欲しいから買い直したり2冊や3冊買う人も。ショールームの中に造られたモデルハウスや茅葺き家屋などの説明を受けたりして15時半には会場を出たか。

そこから因幡の白兎の伝説地である白兎神社と白兎海岸を見学して鳥取空港に間々田さんを送り妻と私は一路東へ。新しい道路も整備されていて1時間強の18時に今日の宿に着いた。温泉に入り夕食を取ったら寝てしまい夜また温泉に浸かったり。

鳥取 (10月23日・金)


鳥取市にいる。朝ゴミを出してから自宅近くを通ったのは8時41分。GSとスタバに寄って鳴門インターが9:51。垂水ジャンクションが10:50前。山陽道三木SAで最初の休憩をしたのが10:55。出発が11:12。中国道から鳥取道に入って2度目の休憩は最後のSAだ。でも鳥取道は無料で実際は道の駅。駐車場や合流で悩んだり。

明日イベントがあって妻が鳥取に行くというので私は運転手。昼食で時間調整をして14:20に鳥取空港に来る間々田さんを出迎え。鳥取空港駐車場は無料である。無事ピックアップして3人で鳥取砂丘へ。小学校3年か4年のとき家族で来たが足を踏み入れたのは今日が最初だ。

妻と間々田さんはラクダに乗ったり写真を撮ったり。駐車場でソフトクリームを食べ浦富海岸という奇観を見に東へ。あちこちで車を停めて上からだけ。本当は遊歩道を降りていくと楽しそうなのだが時間がないので断念。ホテルにチェックインしたのは17:10頃。

妻と間々田さんは明日のイベントで呼んでくれた方と食事へ。私はホテルで聞いた店を何件か見て一人で行ったのが一慶という店。カウンター7席の店で3人組と2人組のサラリーマンの横で。みな標準語でみずほ証券と損保ジャパンの人だった様子。2軒目は交差点のバルで飲んでいたら2人が合流。ホテルに戻ったのは22時半頃か。

おぐちゃんと鍋ちゃん (10月22日・木)


出棺を待っているときZ嬢が小椋知子さんに初めましてと挨拶している。訊けばおぐちゃんが辞めたのは91年4月10日付だが3月から会社には行ってなかったと。一方Z嬢が入社したのは91年4月。私の友人のこの2人が初対面だということにびっくり。金子さんが辞めたのは94年と言っていたか。

滋賀から来た金子さんを徳島駅まで送る前にK氏の車にZ嬢と金子さんが乗り神戸ナンバー黄色のアクアで来たおぐちゃんと私の3台で阿南駅近くのレストランへ。古い喫茶店。ホテルの1Fらしい。おぐちゃんも中学時代に父上を亡くし男子3人の母だが早くにご主人も亡くしたと聞いていた。

さらにおぐちゃんの長男は陸上長距離選手で鍋ちゃんの長男は競歩の選手。お互い陸上雑誌で名前を知っていて母親同士が年賀状のやり取りをしているのを見て驚いたことがあると。鍋ちゃんがFacebookに書いていた全日本大学駅伝に出る京大生とはおぐちゃんの息子のことだったのか。

ふと気になって改めて見ると鍋ちゃんがFacebookを始めたのが昨年8月。そこから合唱を再開していた。我が「響」定期演奏会に来てくれたことを含め合唱つながりでそういう話をもっとしておけばよかった。私もいつ死ぬか分からないから好きなことをしようと妻と話をしているところ。

米田由美子さんの告別式 (10月21日・水)


上勝を9:40前に出発。阿南に出勤するS氏の車が出たから後ろを付いて行っていたら忘れ物でもしたか彼はすぐUターン。私も数珠を忘れたとUターン。日亜化学前の信号でダンプを挟んで追いついたが私は途中で右折。11時から阿南セレモニーホール『サンセリテ』で告別式なのだ。

40分で到着してロビーで待っていると私の名を呼び近づいてくる女性が。元同僚だと分かったが名前が出てこない。何とか思い出したのは金子さん。後で聞けば94年に辞めて今は滋賀に住んでいるとか。朝5時に出てきたと言っていた。小椋さんも宝塚から。K氏の車でZ嬢も来て立ち話。

鍋ちゃんの息子は陸上部の大学1年と野球部の中学2年。喪主である米ちゃんの挨拶によると鍋ちゃんは2年半前に倒れたものの息子が成人するまでは生きると懸命のリハビリで生活できるようになったのだと。ただ家族は鍋ちゃんが朝起きてくるたびに今日も生きていたと思う毎日だったと。

それが月曜朝に家族の前で意識を失ったそうだ。徳島少年少女合唱団の定期演奏会にOGとして出演するSerenitatis Ensembleメンバーは前日夕方も一緒に練習したと言っていて突然すぎると思ったが米ちゃんによると覚悟はあったということか。それにしても悲しい。51歳だったそうだ。

米田由美子さん (10月19日・月)


米田由美子さんが亡くなったと18時過ぎにFacebookのメッセージで知った。旧姓・鍋島さん。私とJ社で同期入社だった。一度2人で食事に出たこともあった。徳島市川内に実家があり私らと同期仲間の米田君と結婚した。同期と言っても彼女は昭和39年生まれ。51歳になったばかりだった。

Facebookで繋がってから彼女が徳島少年少女合唱団の出身だということを知った。「響」の指揮者が代表の混声合唱団 Serenitatis Ensemble(セレアン)の女性メンバー数名が少年少女合唱団時代の仲間だそうで今年5月にあった「響」定期演奏会も見に来てくれていた。

セレアン指揮者の誘いに子供の野球チームなどがあって今は阿南のPTA合唱団で歌っているがいずれお世話になるかも知れないといった内容のことを答えていた。8月にはNHK学校音楽コンクールに徳島県代表となった母校である川内北小学校や城東高校の演奏が楽しみと書いていた。

2年前に亡くなったJ社時代の先輩生原佳子さんのときも上勝の東ひとみさんのときも衝撃だった。当時56歳と53歳と言ったか。お二人とも私の先輩だったが鍋ちゃんは同期で年下だ。51歳で死んなければならなかった鍋ちゃんの心情や残された米ちゃんのことを考えて今日は沈んでいる。

2台のディスプレイの設定 (10月16日・金)


メガネを換えてからPCディスプレイを見るとき前よりはマシだが目は疲れる。そう言えばディスプレイを買い換えたタイミングから後だと気になり始め2台の位置を入れ替えてみた。元々メインで使っていたDELLを再び正面に置き直しナナオを正面右にしてサブ機としてみた。

ナナオディスプレイの台は円形なので正面に置くと一部を机からはみ出さざるを得なかったのだが右にしたことで机のコーナー近くを使えるので実は好都合。さらに弥生会計を正面にしていつも右に表示させるEXCELの予算表は縦を長くしたいから画面の大きなナナオの方が向いていた。

でも2台で色が合わないのが気になって設定をあれこれ変えた。輝度は低めにしてコントラストは中間ぐらい。ディスプレイごとに色温度やRGBそれぞれのレベルを設定することもできる。それらを変えてみたが2台の色が一致するには至っていない。

今の私には文字が小さすぎるのかとWindows表示を125%にしてみたがウィンドウ自体が大きくなるから却下。メールソフトShurikenの本文領域だけ文字サイズを1ポイント大きくした。改めてナナオの画面を見ると解像度が高いためか文字が微細過ぎるような気もする。試行錯誤が続きそう。

新しい遠中近メガネ (10月15日・木)


妻が今度はバスで大阪出張に行くので水曜は松茂のバス停まで送っていった。ちょうど15日付の振込が8件あったので銀行回り。そして今日は新しく作り直したメガネの受け取りで夕方徳島に行った。新しい丸型フレームに遠近両用レンズ。これまでのメガネと違うのは中距離を重視した点だ。

早速運転してみたが遠距離はピントの合う範囲が狭い。運転は正面を見たまま看板や駐車中の車などを目線だけ左右に動かし一瞬だけ見るものだが真正面以外のピントが甘い。上下も狭い。夕食に行ったこはくの天使でiPhoneの画面を見たが近距離も焦点が合うのはピンポイントだ。

問題はPCディスプレイの見え方である。PCで目が疲れるから換えたのが元の動機。近近レンズでは焦点が近すぎて交換した。早速試してみたが焦点が合う領域は左右に幅がある。上下はもっと広く使える。24インチディスプレイの縦半分なら顔を動かさずに目線だけで文章が読めるほど。

2台のディスプレイも位置と向きと仰角を調整した。まだ慣れず目も疲れがちだがPC作業をするなら断然このメガネの使い勝手が良い。運転にはスポーツ用フレームにドライブ用レンズを合わせたメガネがあるので掛け替えれば済む。しばらく運転を含めてこのメガネだけで生活してみようと思う。

テニス大会での反省 (10月14日・水)


テニス大会の2試合目の途中で気づいたのだが私はそのときまでTシャツを裏表逆に着ていた。右の裾に白いものが見えるのでジャージのポケットが出ているのかと何度も気になっていたのだがよく見るとTシャツのタグだった。出がけから焦っていたのだろうか。

大会でそれなりに真面目にプレイしてみて勝つための課題があるとすればボレーだと思う。ダブルスなので前衛の役割もあるのだけど私はボレーチャンスで5度に1度しか決められなかった。残りの半分はネットに掛けたり失敗して半分は相手に拾われた。

中央に寄りすぎて脇を抜かれたこともあった。分かっていたのに犯した失敗だ。一方サーブは半分ぐらい入るようになったと書いたのに試合で第1サーブが入ったのは1回か2回だけだった。ことごとくネットに掛け後半はオーバーしがちで全く役に立たなかった。

しかも昨年のテニス大会を前にダブルスの戦術本を買っていて理論を勉強しようと思っていたのに本があることさえ忘れていた。80歳のA氏を見ていると相手のコースを予測したポジショニングが素晴らしい。動き回らず頭で戦えるスポーツでもある。理論の勉強も改めてやろうと思う。

日経K氏と (10月13日・火)


日曜にテニス大会が終わって夜は徳島に行った。日経新聞で20年前から3年間徳島支局長だったK氏が奥様と遊びに来て飲み会があったのだ。テニスの後シャワーを浴びて連絡を待ったが来ないのでS氏宅のテニス打ち上げに参加したのが17時過ぎ。K氏に電話して家を出たのが18時前。

紺屋町の六右衛門という居酒屋に着いたときテレビ局のK氏と日経徳島支局の当時のアシスタント2人。T見嬢とS井嬢。奥様は母上と眉山観光中をして夕食をとって遅れて参加。前にサイパン室戸で一緒にダイビングをした仲間でもあるが何年ぶりだろうか。

ビールを何杯も飲んだが隣にマチアソビに来た大阪の女性6人組が喧しいので店を出た。2件目はバーBARATEI。奥様は先に帰って4人で飲んでいるとき徳島のある人物評を巡り妻がエキサイトして徳島のK氏を叩いてK氏が怒り出し。その後謝って仲直りはしたはずだが妻も私も飲み過ぎた。

4人で大道の角まで行きホテルに帰るK氏を送り徳島のK氏とも別れ妻とロングバーへ。ここでも喧嘩になりかけたが松浦マスターが話をしてくれて最後は静かに飲むことができた。ロングバーを出たのが2:50頃。鳴門の代行さんを呼び出し3時半過ぎに帰宅。月曜は飲み過ぎを夫婦で反省。

テニス大会 (10月12日・月・祝)


昨日あったテニス大会に出場したのは6組12人。私が参加するようになって最も少ない。3組ずつAとBのリーグに分かれ総当たり2試合をしてAB各グループの1位同士2位同士3位同士が最後に試合をする。各組いずれも合計3試合だ。私たちが12:50頃に行ったときには全員が揃っていた。

クジを引きリーグ分けと試合順が決まり私たちはAグループ。皆で整列して開会式をやり私たちは3試合目。相手は優勝することになる80歳の町議A氏と女性Y田さんペア。相手は上手いと分かっていたので縮こまったかも知れない。3ゲーム先取で勝ちが決まるが1対3で敗れた。

それでも妻がサービスをした4ゲーム目にデュースを5回以上繰り返しアドバンテージも何度か取ったのに最後は疲れ負け。私たちの2試合目は6日に練習をしたコーチS氏とO嬢のペア。慣れた相手なので気軽に打てたこともあって3対0で勝利。これで1勝1敗のA組2位。

B組2位は男性同士Y氏とT氏。妻がクレームを付け1ゲーム目は左手で打ってもらっていたこともあり3対1で勝利。昨日一緒に練習したF氏とM嬢ペアが2位。私たちが全体の3位でS氏O嬢ペアが5位という結果。全員が顔見知りだからワイワイと楽しくプレイができた。

テニスの練習 (10月10日・土)


上勝町テニス大会は明日11日。コートの改修が終わり大会に向けて練習を再開したのが1週間前の10月3日。6日にもコーチS氏が予約してくれて練習したのがF氏とO嬢の4人。19時からの練習で路上の気温計は16度。当初は長袖だったが結局は半袖Tシャツで走り回った。

妻が出張から戻ったのが7日で翌8日から今日まで3日連続で練習をした。大会には妻とペアのダブルスだ。全く練習ができていない妻の希望で3日連続となった。8日の練習は20時から。若いH君と3人。昨年の大会で母上と組んで優勝したほど上手い。彼1人対私たち2人でストローク。

上手いから返球が悪くても返してくれて走り回らなくてもショットに集中できる。しかもボールは速いからフォームができていないと返せない。交互にボールが来るから疲れも少なく濃い練習になった。9日は19時から地元の若手N君と3人。ここでも1対2。レベルは私たちと同じぐらいで楽しめた。

そして今日は13:30からF氏夫妻と私たちの4人。乱打から始まり何度か休憩を挟んでゲーム形式も。フォアハンドは一昨年レベルまで戻ったか。バックハンドは昨年レベルまでもう少し。サーブが半分ぐらい入るようになってきた。明日の大会は13時から。6チーム中3位ぐらいに入ればいい。

歴代メガネ (10月8日・木)


今まで何本のメガネを使ってきたか思い出してみた。最初は小6卒業時に作った銀縁。卒業アルバムで確認すると高校卒業まで同じメガネだったように見える。片方のツルを持ってクルクル回していたから壊れたのだが6年間も使っていたのか。高校で買い換えたか記憶がない。

その後も写真で確認するといろいろ思い違いがある。大学2年の83年には流行っていた茶色セルの大きなフレーム。この頃は度付きサングラスも持っていた。大学時代の途中85年か86年頃には銀縁の大きなタイプ。レンズは薄い茶色が入っていた。入社後も89年時点ではこれを使っている。

91年と94年のアルバムにはジョンレノンを気取った金色の丸型フレームだ。その後は卵形の銀縁。これが腐食して皮膚がかぶれたのだろう。そして99年1月頃に鳴門の妙見山の方でオープンしたばかりの店で緑淵でレンズ下を糸で支えるメガネを買った。これが福岡で壊れたのだと思う。

2002年8月に東京で買い換えてこれが壊れ現在のフレームにした。東京では烏山の同じ店で2000年頃に度付サングラスを買っていた。現在のフレーム交換されて同じ型で2本目。さらにスポーツ用を昨年買って今月さらに新調。中高で1本だったとすれば9本。サングラスを入れれば11本。

妻の帰宅とメガネレンズの交換 (10月7日・水)


9月18日(金)に出て19泊20日だった東京出張から妻が帰ってきた。19:30着の飛行機を迎えに行き夕食は蔵本にある潦(にわたずみ)に。何年か前に行ってこんな美味しいトンカツは初めて食べたと感動した店である。さて妻を迎えに行く前にメガネ店に寄ってきた。

新しく作ったメガネで焦点が合うのは測ってみたら30cmから60cm。ぎりぎり70cm。私のベストポジションはディスプレイとメガネの間が76cmから80cm。椅子に深くもたれると100cm超。メガネの焦点距離と合わないのだ。でもお店では6ヶ月以内に一度だけレンズ交換を認めてくれている。

そこで中近レンズなども試したが聞けば遠近への交換も可能だと言う。それで奨められたのが中距離が広いというタイプのレンズ。値段は高いが今までの遠近と中近のいいとこ取りだと言う。メガネをPC用と運転するときなどで掛け替えるのも面倒だから遠近で検討することに。

懸念は丸フレームで縦が長いため首の上下動が大きくなること。ただテストレンズで見ると80cmでも100cmでも5m先でも今の遠近レンズより具合がいい。これで合わなければ今のフレームに中近レンズを装着することも考えよう。ということで注文してきた。差額で12,200円也。

新しい近近メガネ (10月6日・火)


昼食を勝浦で食べ終わったときメガネ店から電話がありPC専用に買った近近メガネを受け取ってきた。銀行にも寄りコーヒー豆も買い戻ったが15時頃。新しいメガネでPCの前に座っているのだが実のところ具合が悪い。理由は近近過ぎて焦点の合う奥行きが狭いのだ。

スペック上は40cmから1.5mの範囲で合うレンズ構造だが実際は30cmから60cmでしか使えない。真剣に文書を書くときなどキーボードに手を置いて姿勢を正すとちょうどいいが椅子にもたれると文字がぼやける。フレームの縦も大きいので距離に合わせて顔の上げ下げが大きくなるのも一因。

慣れの問題もあるだろう。今までは縦が短いフレームだから顔の上下動は小さくて済んだがディスプレイに近づくと 顔を上げてレンズ下方領域で見る癖がある。それが新しいメガネでは真っ直ぐかやや下を向いてレンズ上方領域で見るとちょうど良く姿勢が変わってしまった。

顔を上下左右に振って焦点が合う領域は格段に広くなった。問題は奥行き。とりあえず目から2台のディスプレイまでの距離を均等にして画面に仰角を付けた。いっそ遠近レンズに替えようかと思ってみたが丸型フレームだと遠近で顔の縦振りが大きくなるだろう。どうしたものか。

壁画の清掃と草刈り (10月4日・日)


土曜夜はラグビー・ワールドカップの南アフリカ対スコットランドの結果が気になり3時まで起きていた。今日起きたのは11時過ぎ。お昼前にT氏から電話。地区の道路沿いの壁に書かれた絵を清掃しているから来ないかというお誘いだ。とりあえずいっきゅう茶屋で昼食。

13時半頃に合流したときには作業はほとんど終わっていた。私がやったことはトンネル手前の壁に水を掛けて泥を流したぐらい。その後は射手座造船所に移動しての草刈り。船の裏側を私は西から。20歳代のY君が東側から。これも終えてお茶を飲んでいたときに15時のチャイム。

今日は「響」の練習があるから行こうと思っていたが午後から作業をして疲れたこともあり誘われるまま公民館での反省会へ。350mLの第3のビールを6本か7本ぐらい飲んだような気がする。といっても正気を保ったまま19時頃に解散したか。結構楽しく話ができた。

戻ってシャワーを浴びたらそのまま裸のまま寝てしまい起き出したのが21時過ぎ。1時間半ほど寝ていた様子。幸い風邪を引いた様子はないものの夜はコーヒーを飲んでパンを食べて日曜の終わり。今週水曜に妻が戻ってくるから外食生活も一旦は終わるはず。

改修されたテニスコートとラグビー対サモア (10月3日・土)


10月に町内テニス大会があるというのに会場になる町に唯一のテニスコートは8月中旬から改修中だったらしい。確かに酷い状況だった。ハードコートを突き抜けて草が生えていてそのためにひび割れもあちこちで起こっていた。ボールがイレギュラーバウンドすることも多かった。

そのコートの改修が終わって初めての練習。コーチS氏が声を掛けてくれて今日の夜行ってきた。でも結局コートに来たのは2人だけ。短いストロークの練習から始まってラリーやボレーの特訓にサービス。道路上の気温計は16度だがすぐに半袖になった。動くとやっぱり暑い。

今年初めてやったときは全く距離感が掴めなかったほど酷かったが今日は少しマシだった。でもフォアーもバックスウィングも昨年には劣る。一昨年よりヘタなことには変わりない。あと1回か2回練習してテニス大会だが楽しむことを主体にしよう。

そして今夜はラグビー・ワールドカップ・イングランド大会で日本の第3戦。南アフリカに勝ってスコットランドに負けての対サモア。終わってみれば26対5で勝利。決勝トーナメント進出には続く南アフリカ対スコットランドの対戦が重要なのだがテレビでやってない。大いに不満。

利さん (10月2日・金)


1999年1月に設立されたばかりのD社に私が入社したのは2月だったか。福岡で1年いて2000年に東京に引っ越したが赤坂見附に事務所を移転した後に入社したのが鈴木さんだ。この姓は養子に入った後のもので元の名前は違うと聞いていた。いずれにしても名前は利さん。「とし」と読む。

当時D社の製品の販売をお願いしていたイージーシステムズに勤めていた羽場さんが今年最初頃に偶然会ったとかでFacebookで利さん写真を見た。そしてFacebookに利さんもやってきて10年ぶりに話をするようになったのが先月。投稿している写真は相変わらずきれいなお姉さんが多いが。

D社には1999年に入社したが2003年4月からはA社と兼務で契約社員になっていたからメディアキャラバンを何度もやった製品「DigiOnSound」以外での思い入れが実は浅い。福岡では1年しかいなかったし東京では途中から契約社員だったので社員との交流も多くはなかった。

そんな中で利さんは東京オフィス勤務になった社員としては私を除けば阿部さんに次ぐ3番目ぐらいの社員だったと思う。そんな彼と10年ぶりに繋がってみたら今やインプレスのCar Watchで記者をしているとかで昨日発表のトヨタ・クラウンの記事も彼の執筆でびっくりしたところ。


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© 2015 Takashi INAGAKI