2014年6月

今まで住んだ部屋 (6月30日・日)


上勝の今の部屋で住み始めて5年半。ふと気づくと実家で暮らした年月を除いて今まで住んだどの部屋よりも長い期間になっていた。今までの住居を思い出すと京都下鴨の下宿に2ヶ月。東京西荻窪の間借りで9ヶ月。京都堀川の共同トイレのアパートで2年。京都千本上立売で3年。

実家に戻り3年10ヶ月。結婚して徳島市昭和町8丁目の3LDKに2年。離婚して南昭和町5丁目の1DKに2年。川内のマンションを買って住んだのが96年1月から3年1ヶ月。福岡市西新に1年1ヶ月。東京都世田谷南烏山に4年少し。世田谷上馬で4年10ヶ月。そして現在の上勝で5年半。

こうやって思い返すとJ社に入社して実家から通った1988年から1992年も除くと東京で最後に住んでいた世田谷区上馬のマンションがそれまでで一番長かったのか。川内のマンションで3年も住んでいたことにも驚き。1年ぐらいのような感覚しか残っていないが。

そして意外に長かったのが京都千本上立売の3年だ。ワンルームマンション風だったが風呂はなく近所の銭湯に通った。本当は2年で卒業するはずだったのに留年して3年に延びた。どの部屋ももちろん覚えているが今の住居が最長なのは今までが根無し草だったということだ。

タッパー (6月29日・日)


シュノーケリング用グッズを調べていてタッパーというものを初めて知った。ウェットスーツの上半身だけのものだそうだ。通常ウェットスーツは全身を覆うもので背中にジッパーが付いている。それがタッパーは普通のジャンパーのように着られるものなんだとか。

厚さはダイビングで着るウェットスーツが通常5mm以上あるのに対して1mmとか1.5mmらしい。ウェットスーツを着るほどではないが多少の保温性を確保したいときに着るのだろう。パンツタイプもあるから状況によって使い分けることができそうだ。

ウェットスーツは重くてかさばるので旅行に持って行くには向かないがこれならいいかも。ハワイのハナウマ湾でも宮古島でも海の中に居続けると結構寒くなった。1時間近く海に浮いているわけだから仕方ないのだがタッパーがあれば真夏以外で海に入る場合も使えそう。

徳島の海水浴場なら水着だけでいいだろうし日差しが強ければ水着にラッシュガード。下半身はブーツとフィンを履いていて足首に日焼け跡がくっきり残るからラッシュパンツもあったほうがいい。浮力と保温性が欲しいときはタッパーも着る。そういう装備があれば完璧だ。

日本化する沖縄 (6月28日・土)


宮古島に行っての全体的な感想として相当に日本化していることが印象に残った。30年前に初めて沖縄に行ったときは見るもの聞くものが珍しかった。あるとき気づいたのだが当時は日本に返還されてまだ15年しか経っていないときで沖縄色が色濃かったのだと思う。

30年前に一番驚いたのはボンネットが錆びて穴の空いた車を何台も見かけたこと。たいてい米兵が乗っていた。高校時代以来の親友ニシノの下宿に泊まっていて食堂や商店も地元の店に行くことが多かったから観光化されていない沖縄を見ることができたことも一因だろう。

今回は観光で行ったのでディープな沖縄を見たわけではない。それでも地元の食堂の備品などは徳島あたりで見るものと何ら変わらず料理は別として沖縄らしさをあまり感じなかった。車で走っても標識など道路の感じも全く本土と違和感がなかった。

そうやって日本化していくことはいいことなのか悪いことなのか。日本化すること自体は悪くないとも思う一方で地元の風情は残しておいて欲しいと思う。言葉はさすがに分からず方言など文化においては地域の個性は残っていて欲しい。徳島にしても同じことが言えるのだが。

宮古島のホテル (6月27日・金)


宮古島で宿泊したのはリゾートヴィラブリッサというホテルだった。既に書いた通り元々はリゾートマンションとして建てられたものだと思う。造りがマンションそのものだ。近くに他に3つのホテルがあり連絡バスに乗って行き来できるようになっている。

このブリッサは計4つのホテルの中で最も料金は安いので妻が選んだ。元がマンションだからホテル内にレストランがない。昼食も夕食も連絡バスに乗るか徒歩で別のホテルに行く必要がある。ただしキッチンもレンジもあるから食材を買ってきて自炊するには向いている。

私たちが泊まったのは604号室で部屋は全室が東南東向き。海岸沿いにあり海が眼下に見える。隣のドイツ村という一群の施設はもう営業していないようだった。食事などはその施設を横切って最も近いホテルブリーズベイマリーナに行く。徒歩で10分程度。バスに乗れば2分程度。

このメインホテルの道向かいに屋台村があり初日の夜にライブを見た「琉球の風」がある。連絡バスは18時から22時頃まで25分間隔で運行しているから自由に乗降できる。日中は1時間に2本程度で予約をする。実質2日間は短すぎると思ったが十分楽しめた。1週間滞在しても楽しめると思う。

宮古島の車 (6月26日・木)


19日はレンタカーで島内を一周した。既に書いているように私が乗ったのはマツダのデミオ。緑色。ホテルで依頼すると6時間で6,000円とか当日返しで7,000円とか24時間8,000円なのに近所で借りて当日返し3,500円は破格だと思う。その分てーげー(いい加減)な対応でもあったが。

借りるときに車体の傷を確認する。ところが傷だらけなのだ。運転席ドアは2カ所が凹んでいるし傷もある。全て挙げれば20カ所はある。いちいち指摘したがスルーされて「大きな傷はないね」と言われた。不安になったが「てーげー」なのだろうと私もスルーすることにした。

島の外周の道路は5分に1台ほどしか対向車がいない。すれ違うのはたいてい「わ」ナンバー。見通しのいい2車線道路なのに制限速度40km/h程度で皆がゆっくり走っている。徳島なら皆が80km/hで走っているような道だ。人も自転車も車もいない道路だが私も+10km/hでゆっくり走った。

観光地やビーチの車はほとんどが「わ」。デミオが多いがフィットやヴィッツやノートもいる。スーパーには地元ナンバーの軽やレガシーなどもいた。30年前の沖縄本島ではボンネットに穴が空いた車を見て驚いたが宮古島は車種だけで言えば徳島とあまり変わらなかった。

シュノーケリングの装備 (6月25日・水)


妻の趣味であったダイビングを一緒にやろうとライセンスを取ったものの妻自身がパニックを起こすようになって最近は専らシュノーケリングだ。ダイビング用に買ったシュノーケルとマスクとフィンの3点セットにブーツがあればビーチで楽しめる。グローブも持っているし防水カメラもある。

昨年のハワイでラッシュガードも買って日焼け対策もできたと思ったが今回の宮古島では曇りだからと着ずにいたら背中が真っ赤になった。改めて日焼け対策の必要性を思い知らされてWebでいろいろと調べている。脚の裏も日焼けしたから下半身の対策も必要だ。

脚は妻がラッシュパンツを持っていたのでそれを使えば済むのだが調べているとラッシュガードの目的は日焼け防止と同時にクラゲ対策やケガ予防もあるらしい。なるほど。さらにシュノーケリング中の事故防止のためにライフジャケットを着るべきだという意見もある。

ハワイのツアーでシュノーケリングをしたときライフジャケットを着さされて鬱陶しいと思ったが不慮の事故を考慮すると仕方なかったのかも知れない。今さら面倒でライフジャケットを着るつもりはないが浮力を得るならウェットスーツか。薄いものとかないか探しているところ。

宮古島の日差し (6月24日・火)


先週のシュノーケリングで私たち夫婦は背中や脚の後ろ側が真っ赤になった。私はメインホテルのプライベートビーチでシュノーケリングをした後に背中に痛みを感じたので3回目にはラッシュガードを着たから背中はマシだが妻は水着の跡がくっきり付いてしまった。

先に書いたとおり宮古島は滞在中ずっと天気予報では曇りだった。特にシュノーケリングをした水曜の朝は空を見ると厚く灰色の雲があった。雨さえ降らなければいいなと思いながらビーチに行ったのだ。それで油断させられたところはあったと思う。

出発1週間ほど前に妻からラッシュパンツを買った方がいいのではないかと訊かれて私は脚だけなら大丈夫と答えた。そういう妻もラッシュパンツを持っているのに荷物には入れなかったそうだ。現地で日焼止めを塗るかと訊かれて私はいいやと思ったが普段は入念な妻も塗ってなかった。

油断があった。水曜朝の灰色の雲は昼には青空に白い雲が浮かぶ状況になっていた知れない。少なくとも上半身用のラッシュガードは着ておくべきだった。何にせよ南の島の日差しを甘く見ていた。そういうことを反省してまた南の島で完全防備のシュノーケリングをしたいと考えているところ。

「ルーズヴェルト・ゲーム」 (6月23日・月)


昨年の流行語「倍返しだ」の元となったドラマ「半沢直樹」と同じ池井戸潤の原作で同じ枠の日曜21時から放送されていた「ルーズヴェルト・ゲーム」を毎回見ていた。電子部品メーカーの窮地を唐沢寿明演じる社長が乗り越えると同時に企業野球部のライバルとの戦いの物語だったりもする。

原作を読んでいないのでストーリーは知らなかった。初回を見たら唐沢寿明の社長と江口洋介の専務が対立する会議の場面があって「白い巨塔」かと突っ込みを入れたし大ヒットドラマ「半沢直樹」とキャストもスタッフも相当重なっていて二番煎じの危惧もあった。

でも最終回まで見た感想は面白かった。企業としての存亡や野球部のピンチが同時進行するが主人公である社長が野球部の努力とそれを応援する社員との一体感を経験して力を得るというストーリーは単純だが感動もした。後半の回は結構な確率で涙が流れた。

多分J社で経験したことを思い起こさせられたのだと思う。J社に野球部はなかったが皆と努力して苦難を乗り越えたという経験はある。みんなとの一体感があった。それが企業の力の源泉だというメッセージが私には理解できた。そう。仲間との一体感が力の源なのだ。いいドラマだったと思う。

徳島県合唱祭 (6月22日・日)


徳島県合唱祭で演奏してきた。曲は「うたを うたう とき」と「黒い王様」(クレーの絵本第2集より)。「うたを うたう とき」は今年のコンクールの課題曲。ただし既に2009年の定期演奏会で歌っているし楽譜は見開き2ページだけなので思い出すのは簡単だった。

問題は2曲目。3月の総会以降は練習が週に1回になって3曲の音取りから始めたものの圧倒的に時間が足りない。総会以降の練習に私は皆勤だと思うのだが追いつかない。歌詞を付けたのが直前2回の練習からだと思う。私のパートはルとルンとラがほとんどだから楽と言えば楽だったが。

ただしルとルンの区別は完全にできずに歌った。もう一つ音程で同じリズムでシラファとシラソの2カ所があって先週の練習で完全に混乱。録音していたICレコーダーの音を昨日自宅で聴いて楽譜も確認して何とか歌い分けることができるようになったような次第。

今日は12時過ぎに上勝を出て徳島市文化センター。13:15から団長と指揮者と3人で各団に割り当てられたチケットもぎりを15分間。3人で青少年センターに行き私はカレーを食べ。皆で最後の練習をして15:25頃から本番。阿南と異なり文化センターの響かなさにビックリ。何とか歌えたが。

宮古島の天気 (6月21日・土)


宮古島の天気予報は1週間前から毎日チェックしていた。iPhoneで見るヤフー天気のサイトだ。それによると私たちの滞在期間中は全て雲に雷マークが付いている。これは雨に降られるかも知れないと少しばかり覚悟していた。宮古島に行ってからも頻繁に予報をチェックした。

滞在中は雲に雷マークは変わらなかった。降水確率は40%か50%だ。30%のときもあったが60%や90%の時間帯もあった。普通の感覚なら40%でも雨は降るだろう。ましてや60%なら短時間でも降雨は確実だと考える。90%なら普通は雨だ。ところが滞在中に雨は全く降らなかった。

ヤフー天気による現在天気が雨という状況を3回も見た。でも雨は降っていない。小さな島であって地域によって違うことは考えにくい。最高気温28度に最低気温27度と1度しか変化がない予報の日に午前10時の現在気温が30度という表示もあった。訳が分からない。

新聞やテレビの予報で夕方から雨と言っていた日もやっぱり降らなかった。宮古島に頻繁に行っていたH場氏によると天気予報は当てにならないそうだ。私たちは観光に行ったので雨予報が全て外れたのはありがたいのだが海洋の天気予報はそれほどに難しいのだろうか。これには驚いた。

宮古島から帰宅 (6月20日・金)


前夜は23時頃に寝て6:45の目覚まし時計で起きた。サッカーのワールドカップ・ブラジル大会でギリシャ戦を7時からNHK BSで。0対0だったが。ハーフタイムはベランダに出て朝日を受けて身体の前側を少しだけ焼いてみたり。後半の途中で妻が起きてきて試合終了とともに荷物の整理。

チェックアウトして9:45の送迎バスに乗って空港へ。14分ぐらいで着いた。お土産はここで買って搭乗口。土産物店の面積は徳島空港の5倍ぐらいありそうだが待合室は同じぐらいか。修学旅行生たちがやかましい。11:20発ANA1722便で那覇空港。

宮古島から那覇は50分。那覇空港は3日前にも来たから勝手が分かってきた。3Fの沖縄料理店でソーキそばとゴーヤチャンプルーを食べた。妻はタコライス。ゲートに向かったらここでも修学旅行生の行列。観光地の空港は飛行機に慣れない旅行者が多いため早めに動かないといけない。

14:05発ANAで高松。時刻表では1時間45分のフライト。車で高松空港を出たのは16:20。ふと思い立って高速を使わず193号線塩江経由。しらさぎ大橋経由でマルナカまで2時間。塩江経由でも高速経由より25分かかる程度と分かった。夕食は小松島で焼肉を食べて21時頃に無事帰宅。

宮古島一周 (6月19日・木)


昨日のシュノーケリングで日焼けしたふくらはぎが痛くて仕方ない。シュノーケリング3回のうち妻は一度もラッシュガードを着なかったから背中も痛いらしい。疲れた上にビールで酔っぱらって20時半には寝た。22時頃起きたけど1時間ほどして朝まで寝たり起きたり。

今日は9時に近くまで歩いてレンタカーに乗り島内一周。妻の計画では他のシュノーケリングポイントを楽しむつもりだったらしいが背中やふくらはぎが痛くて断念。それでもシュノーケリングポイントのビーチを見学しながら岬など観光地を回った。

昼は宮古そば。近くにあるダグズコーヒーにも寄った。東京時代に仕事で付き合いのあったH場氏が創立に参加したと聞いていたダグズバーガーの姉妹店だ。今は関係ないというのでバーガーは避けてコーヒーに。FBメッセージで「今いる」と彼に言ったら店長によろしくと言うので女性店長さんに挨拶した。

レンタカーは18時まで借りていたが17:11ホテル着。8時間で131.8km。ちなみにマツダ・デミオ。3,500円は安かった。ガソリンは172円/L。シュノーケリングセットや水着などは段ボールに入れ宅配に依頼して夜は鉄板焼に行くつもりが満席で日本料理。そんな妻の誕生日。

宮古島シュノーケリング (6月18日・水)


慣れないホテルなので何度も目が覚めたが7時頃起床。そのまま部屋にいて施設内の循環バスに乗ったのが10時前。私が泊まっているホテルから一番遠いビーチへ。タオルを借りてシュノーケリングのスタート。ビーチの右に入ったが魚はあまりいない。

ツアーで来ているカヌーやシュノーケリングのグループを見ているとビーチの左側に行っている。彼らの行動を見てポイントを把握して私たちも左側に行ってみた。なるほどハワイで見たほどではないがまずまず見れる。写真も結構撮った。

ビーチハウスで焼きそばを食べてビールも飲んで12時半過ぎのバスでメインホテルへ。ここのビーチでもシュノーケリング。一瞬カメも見たが透明度が悪いのでさっさと撤収。部屋に戻ってすぐ近くの小さな砂浜から今日3度目のシュノーケリング。

ここもまずまずだったが背中や脚の裏側ばかり焼けてしまった。夜はH氏が Facebookで教えてくれた店も候補だったがホテル施設内で。一旦行った店が開店前でホテルのバーでビールを飲んで時間をつぶして向かいの「すし屋のかつ勘」。近くを散歩して20:15頃に部屋に戻った。

宮古島 (6月17日・火)


宮古島に来ている。沖縄である。上勝を出たのは7:55。鳴門インターから高松道に乗り高松空港に着いたのが10:15過ぎ。うどんを食べて11:45発の飛行機に乗った。那覇着が13時半頃。ここでルートビールとハンバーガーを食べて2時間待ち。15:45発で宮古島に。

昨年夏に徳島の海でシュノーケリングに目覚めた妻の要望である。昨年11月のハワイに続いて海を目的にやってきたというわけだ。シュノーケリングの3点セットは既に先週木曜に小包で送っていた。天気予報は曇り。雷マークも付いている。予報レベルだが最高気温28度に最低気温27度だったりする。

到着したときは30度。空港についてから送迎バスでホテルへ。私たちはリゾートマンションを転用した滞在型ホテルに泊まっている。17時過ぎにチェックインして18時過ぎに15分ほど歩いて地元の定食店「キッチンみほりん」。テビチーや海ぶどうや沖縄らしいものばかり食べた。もちろんビールはオリオン。

すぐ近くで島唄のライブを見てホテル本館でオリオンビール缶を買って真っ暗な道を歩いて帰った。ちなみに22時に28度で湿度89%。体感温度33度だそうで蒸し暑くてじっとしているだけでも汗がしたたり落ちる。それでも日本語が通じて円で支払いができてNHKも報道ステーションもやっている。

Googleストリートビュー (6月16日・月)


Googleストリートビューに我が上勝町が登場した。これを見始めたら止まらない。私が住んでいる傍示という地区の県道からの入口から見て行って私が住んでいる町営マンションを通ってMちゃんちやHさんちの前を通る。軽トラとすれ違うのだが誰かは分からない。

そのまま射手座造船所の方に行ってみた。1クリックで進める量は限られているから多少イライラする。ときどき軽トラとすれ違う。そのまま日浦という地区の方に行ってみた。友人T氏の工場の前に軽が駐まっているのが分かる。彼の自宅や消防ポンプ置き場などを確認。

途中から地図を見てジャンプしたのだが奥の奥にある造成地までGoogleの撮影車は入り込んでいたららしい。北斜面の道には雪が残っている。真冬だったのか。しかも県道沿いの「たぬき市」が空いているから日曜日。かつ妻の車がないから彼女が出張のときだ。

1月19日か26日だろう。Cafe Polestarでは中の2人が見える。それにしても傍示は庄司屋と呼ばれる地区まで行っているのに鶯地区には行っていない。その点は中途半端な印象だが見知った場所を見ることができて金曜の夜の時間を潰した。

サッカーW杯と草取り名人 (6月15日・日)


サッカーのワールドカップ。ブラジル大会での日本の初戦が今日朝10時から始まるのでテレビで見た。コートジボアール戦。結局2対1で逆転負け。始まる前と終わる前にはドキドキしたが負けてしまえば仕方がない。夜は特にニュースを見ることもなく。

勝浦川は今日が鮎漁の解禁日だそうで昨日もその話題が多かった。私は釣りには興味がなく午後になり昨日の畑の道路側にある草抜きに行って来た。Hさんが昨日朝5時から一人でやってくれたというので。15時から16:15頃まで。通りかかる何人かに声を掛けられながら。

その草抜きには秘密兵器を投入した。勝浦の大久保鍛冶屋製「草取り名人」。長さ40cmぐらいある大きな針をJ字というよりU字近くに曲げた代物だ。木の柄を持って土を掘るように使う。そうすると土がほぐれて草が根ごと抜けるのである。金曜夜に持って来てもらっていた。

畑を耕す作業ではHさんの2割ぐらいしかできない私だが草抜きはこの道具のおかげで同じぐらいの量をこなせた。ただHさんはじめ地元の人は初めて見たという人ばかり。ちょっと意外。勝浦と上勝では農業文化が違うのだろうか。夜は「響」。先々週ほどではないが今日も疲れた1日だった。

草抜きと野仕舞い (6月14日・土)


私が関わらされている集落再生プロジェクトで3月に植えた芝桜。周辺の草を刈らないといけないということをH氏と先週来話をしていた。大量のイチゴをもらった木曜に話して私の都合で火曜に電話したら海で釣りをしているということで水木は雨さらに金曜もダメで今日になった。

私が現地に行ったのは12:55頃。Hさんは朝5時から2時間ほど道路際に草抜きをしてくれていたらしい。午後の作業はハート型に囲いを作った内側。芝桜があるから草刈り機を使えず全て手作業。昨夜このために大久保鍛冶屋から草の根ごと取るための道具を買っていたが。

やり始めて分かったのだが途方もない作業だ。面積は小さいのにびっしり生えた草を抜いていくのは骨が折れる。ずっとしゃがんでいるから腰が痛くなる。結局17時前まで。2人で4時間も掛かった。本業の方には軽作業なのだろうが慣れない私はクタクタになった。

ただ最後の30分を通りかかったHさんが手伝ってくれビール(第3の)を飲み始め。Hさんが帰ったら今度は通りかかったY氏がビールを下げてやってきて。さらに通りかかったTVディレクターN氏が写真を撮っていき次にY氏とN嬢が通りかかり「結婚します」と挨拶を受けた。こういうのが楽しい。

除湿と扇風機 (6月13日・金)


一昨日から事務所でエアコンを使い始めた。と言っても除湿機能だ。ファンヒーターでの暖房は4月下旬で終わり以後ときどきエアコンで暖房にした日があったように思うが暖房を使わなくなったのは5月中旬。おそらく東京や徳島市に比べて季節は1〜2ヶ月遅れている。

6月に入って外気が暑くても部屋の中は涼しい日があった。逆もある。今年は6月3日に梅雨入りして毎日のように雨が降っている。特に上勝は湿度が高く最初の年はカビが生えたものも多かったから除湿だけは気にしている。あまりに雨が続いたので除湿を始めたわけだ。

ちなみに自宅では雨が降っている日は冬でも除湿器を使っている。半日でタンクが水で一杯になる。事務所は広いし空気の動きもあるから年中除湿しているわけではないが梅雨の季節は仕方ない。ただし今日は晴れて湿度50%。日中は部屋の中の方が温度が高かったから窓も開けた。

そして扇風機も掃除して今日から使い始めた。これまでも使いたい日はあったのだがホコリを被っていたから掃除をしてからと思っていたのだ。外に出れば十分暑いが事務所でもようやく夏が来た感じ。夜は長袖を着る日もあるがTシャツ1枚で過ごせるぐらいになってきた。

ベルト (6月12日・木)


15年前に福岡で買ったベルトが使えるようになった。それで家にベルトが何本あるか数えてみた。どこかに隠れているものがあるかも知れないが私が見つけたのは7本。スーツなどで使うものは1本だけ。それにベルトの穴の金属が外れたり布が解れたりして外では着けられないものが2本。

残り4本のうち現役は2本だけで他の2本は古すぎて使っていなかった。古すぎるという意味は短すぎたということだ。それがふと思い立って着けてみたら何と15年前に買って無用の長物と化していたベルトが難なく使えるようになっていたというわけだ。

6月に入り1日で最も軽い昼食前の体重は60kgの前後0.4kg以内。夕食2時間後には61kgぐらいから最高61.8kg程度。体脂肪率は計る日時で大きくぶれるが14%台後半から16%台前半。昔のベルトが使えるようになったということは腰回りは15年前程度にまで戻ったということか。

最近は腹横筋に力を入れて腹を凹ますドローインを意識するため20年ぐらい前に買ったジーンズを部屋着にしているがウェストをさらに締めようと今日は15年前に買ったベルトの穴2つ分5cmをカットした。今まで捨てずに良かったと思いつつ次に太ったら本当にもう使えない。

叔父 (6月11日・水)


もう1月以上前だが神戸に住む叔父が亡くなった。携帯電話に残る母からの着信が5月6日だからその日か前日だと思う。父は7人兄弟の次男だったが亡くなった叔父は四男。兄弟7人のうち父が最初に亡くなり今回の叔父が2人目だ。香典を母に託して葬儀には行かなかったが。

この叔父とは父の通夜で初めてまともに話をした。そのときに話した内容は既に書いているが叔父から聞いたエピソードはもう一つ覚えている。私が小学3年か4年の頃だ。3〜4歳の弟と父と叔父と車で岡崎海岸に泳ぎに行こうとしたときのこと。

弟がひきつけを起こして通りかかっていた鳴門消防署の前に車を駐めて弟を救急車に乗せたという話だ。そのとき対応した消防署員が偶然にも父の同級生だったという話だと思う。私は車に乗っていたとき弟がひきつけを起こして消防署の前で停まったことだけは覚えている。

あのとき同乗していたのが神戸の叔父だったのかと父の通夜の席で分かったわけだ。叔父は父の兄弟の中で最も格好よかったと思う。背も高かった。叔父の2人の息子のうち次男とは東京で何度か会って年賀状のやり取りだけはしている。また彼と会って叔父の話をしてみたいと思う。

東欧諸国 (6月10日・火)


セルビアに何故か引っかかるのか考えてみた。あまり知らない国だが何となく美しいという印象があるからだという気がする。欧州にあるがいわゆる東欧にあって神秘的な印象があるのも理由かも知れない。クロアチアやボスニア・ヘルツェゴビナなどにも何故か私の印象はいい。

改めて調べてみるとセルビアは首都ベオグラードがある旧ユーゴスラビアの中心地だ。ユーゴスラビアからは1990年以降の内戦を経てスロベニアとクロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナとモンテネグロとマケドニアが独立した。コソボ自治州を含め戦争のニュースはまだ記憶に新しい。

地図を見ると旧ユーゴスラビアはギリシャの北にありアドリア海を挟んでイタリアの東。北にはオーストリア。東にハンガリーやルーマニアとブルガリア。なるほど確かに全く知らなかった位置関係だ。最近はロシアへの印象も良くなっていることもあり関心は向いているのかも知れない。

東欧と言えばジェフリー・アーチャーの小説『ケインとアベル』でアベルが生まれたポーランドにも興味がある。西欧と違いあまり情報がないだけ惹かれる。海外旅行にあまり興味はないが行きたい国があるとすればポーランドやセルビアなど東欧かも知れないと感じている。

セルビア洪水とTシャツ (6月9日・月)


バルカン半島が大洪水に見舞われている。先週偶然NEWS23で見て知った。Jリーグ名古屋グランパスのサポーターがセルビアへの寄付を募り始めたと。セルビアはストイコビッチ前監督の母国なのだ。セルビアだけでなくボスニア・ヘルツェゴビナやクロアチアも被害を受けている。

私がニュースで見た前後からFacebookではセルビアへの寄付を募る情報が頻繁に流れてくるようになった。平均月収5万円というセルビアから東日本大震災のときは1月で2億円が日本に寄付されたらしい。その恩返しをしようという呼びかけだ。

これまで私はこうしたときに寄付などしたことはなかったと思う。でも何故か今回は気になった。NEWS23ではTシャツの販売を寄付に当てているサイトのことも紹介されていて検索してみた。フリーデザイナーを世に出すためのサイトのようだ。その志にも少しばかり動かされた。

私が持っているTシャツは下着用かボロボロのものばかり。Tシャツならあってもいいなと思い買ってみた。それが今日届いた。セルビア情報局というFacebookページも見るようになった。大使館でも寄付を募っている。Yahooネット募金からも寄付ができる。

妻不在時の外食パターン (6月8日・日)


2週続けて妻が金曜午後から月曜午後まで出張でいない。いつもは妻が作った料理を食べているし特に最近はダイエットを考慮して考えられた食事だったが一人になると外食になる。ありふれた日常だが将来のために私の行動パターンを記録しておく。

一人で外食する場合たいてい上勝の産直市「いっきゅう茶屋」の定食450円が定番になる。私が行くとお母さんが「妻出張?それとも喧嘩?」と訊いてくる。実際のところ私が一人でいっきゅう茶屋に行く理由はたいていどちらかだ。先週も今週も日曜昼に行ったような気がする。

Cafe Polestarは混んでいる可能性がありあまり行かない。温泉も敬遠。シェアカフェも遠い。上勝の奥に行くより徳島方面に行く場合が多く結局何かのついでに寄る勝浦のラーメン屋が次の定番だ。呑口または美渓。つばめ食堂に行くこともあったが最近はあまり行っていない。

小松島のモスバーガーまで行ったこともある。夜は開いている店が少なく呑口のラーメンや餃子が多い。徳島からの帰りだと小松島食堂だったり立江寺の近くにある「こはくの天使」まで回り道する場合が多い。ちなみに明日の昼は決めている。美渓のラーメン肉小ニンニク生卵トッピング。

ソーシャルメディア・ミートアップ (6月7日・土)


徳島市の中心商店街である東新町で午後からあった「Socialmedia Meetup! in TOKUSHIMA vol.01」というイベントに行って来た。上勝TVの配信を手伝ってもらったこともあるUST配信界の有名人ノダさんの企画。カバヤ広報部長や広島の山下ミカさんなど名の知られた方が来られた。

現場に行かずUSTで見ようかと思っていたがネット配信スタジオを運営するパンダスタジオの高松の担当者A嬢から行かないのかと問い合わせがあり参加申込をしたのが昨夜。ちなみにA嬢は徳大工学部からIBMで勤めていた中学のクラスメートだ。3年前の同窓会で33年ぶりに会った。

行ってみたら見知った方々がチラホラ。J社同期のI嬢やスタッフN嬢にTekoge氏さらに老舗プロバイダT社長と弁護士T氏や子連れのU嬢ら。会場は3年前にUST Todayの配信をした場所。ただ暑くて2Fは冷房が効いているというのでA嬢と移動してiPhoneからツイートしながらUST画面で見た。

13:30から結局15:30。皆さんの自己紹介などは知っている内容が多く前半はつまらなかったが後半は参考になる意見が聞けた。FBページの「いいね」数に意味はないとか何気ない地元の風景に反響が大きいといった内容。2部もあったが皆と別れて1部で撤退。こはくの天使で早い夕食。

草刈り機 (6月3日・火)


ハイエースの最高級グレードを買い後部には自転車を固定する器具まで取り付けた鳴門の従兄弟が夜に泊まりに来るはずだったのだが腰痛ということでキャンセルになった。明日15:15からNHK全国版で再放送される番組を見て上勝を自転車で回ろうと思っていたらしいのだが。

午後は経理の仕事をしていたら表から草刈り機の音。見れば案の定S氏。同じ住宅にする同級生だ。切りのいいところまで片付けて私も草刈りに参戦した。多分昨年10月に混合ガソリンを満タン入れてから使っていなかったので動作するか不安だったがあっさり始動してくれた。

草刈りは建物や塀沿いを中心に30分ほどで退散。そこから草刈り機のメインテナンス。昨年チップソー(歯)を外しグリースを塗ったのだが購入したときM商事に言われた箇所ではないような気がしていた。地元のY氏に言ったら横に付いているネジを外すのだと教えられてから約1年。

でも付属の六角レンチでは外せずドライバーでも無理。それで手持ちのレンチセットを持ち出してネジを外し。グリースはアタッチメントの先端を挟みで切って穴を開け。草刈り機にグリースを流し込んだというよりも押し込んでみたのだが。これでいいのだろうかとやや不安。

炎天下テニス (6月1日・日)


この土日は全国的に晴天で気温が高かった。5月なのに各地で30度を超え35度を記録したところもあったらしい。上勝は山なので徳島ほどではないはずだが表に出るとやっぱり暑く温泉入口にある気温計は14時に33度。そんな中で14時から2時間テニスをやってきた。

といっても2人だけ。もともと予定していたこの時間に2人だけだから火曜夜に延期したのだが私はそちらに参加できず主催していたS氏に話をして2人だけで決行してきた。2人だけだから苦手なバックハンドの特訓を依頼したのだ。まずは理論を教えてもらい。

それで球出ししてもらってバックハンドで打ち返すのだが確率1割が4割ぐらいにはなったかも。ボレーも普段は練習をしないから今日は球出ししてもらった。フォアーハンドとバックハンド。何となくコツは分かった。こちらは3割が7割ぐらいになった。

終えてシャワーを浴び徳島で「響」の練習。合唱祭まで練習は3回しかなく未だに音取りをしている状態。指揮者から午後メールで檄文が届いた。来ない人は辞めろと。そんな指揮者の焦りもあってか休憩なしで2時間45分。昼のテニスで疲れたところに立ちっぱなしでヘトヘトになった。

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© 2014 Takashi INAGAKI