2013年11月
前夜は鉄板焼きを食べて土産物を買ってホテルに戻ったのが20:30頃だったか。ベッドに横になったら速攻で寝てしまった。私は2時間で起きたが妻が目を覚ましたのは24:30過ぎ。そこから2人で荷物をまとめて帰国の準備。26:30頃に再び寝ようとしたが6時前にはモーニングコール。
6:30に荷物を取りに来て7時過ぎにチェックアウト。送迎の車に乗ってホノルル国際空港ではスターバックスで朝食を取りハワイ時間29日(金)10:55発のデルタ航空便に乗って8時間強。到着したのは日本時間30日(土)14:20頃。モバイルWi-Fiルーターを返却してバスで羽田へ。
ハワイからの便が遅れると徳島行きの飛行機に間に合わない可能性があることを考え当初から羽田で1泊する予定にしていた。徳島便出発の第1ターミナルに大きなスーツケースを預け無料バスで第2ターミナルに行ってエクセルホテル東急にチェックイン。
行きの飛行機ではさほど疲れなかったが帰りの8時間は堪えた。ほぼKindleで『宮本武蔵』を読んでいたが座ったままではさすがに疲れる。ホテルで2時間ほど寝て羽田第2ターミナルのフードコートでフォーとスリランカカレー。ホテルにウォシュレットがあるのがうれしい。
前夜は22時半頃に寝て4時過ぎに表の喧噪で目が覚めた。米国の今日は感謝祭の休日らしく遅くまで飲んでいた人が多かったらしい。そこからまどろんで妻のスマホのアラームで5時40分起床。6:50集合で今日はkUALOA RANCHという自然テーマパークに行くのである。
馬を飼いたいと言う妻が選んだツアー。馬に乗って一列に自然の中を行くだけだが面白かった。当日妻が行列の先頭で申し込み私たちは9:15の回。その中で馬と人の相性や体格などを見ているのか呼ばれる順番はバラバラ。ただし乗馬すればグループは前後に誘導している。
後半で呼ばれた私の馬は勝手に歩き出してしまい事前に馬の扱いを説明した短いビデオを見ているのだがどうしていいか分からない。私の次に呼ばれた日本人女性の馬はもっと勝手な行動で。妻は最後に呼ばれたが順番は妻が最後から4頭目。私が3頭目。後ろに日本人カップルの2頭。
止まれと進めと左旋回右旋回の要領は分かった。ただ乗っていただけに近いが馬から下りると左の膝が笑っていて変な力が入っていたのだと分かった。面白い経験だった。10:30からは先住民の養殖池をボートで回るツアー。午後はホテルのプール。夜は田中オブ東京で鉄板焼き。
23時過ぎに寝て5時半には目が覚めた。7:10ホテル待ち合わせで迎えの車に乗って今日はシュノーケリング。ワイキキから北に向かってハナウマ湾というところ。火山の噴火でできたカルデラ湖が浸食されてできた湾らしい。1人7.5ドルの有料ビーチであり入場制限もあると言う。
妻が申し込んでおいたツアーで車には4組12人がいたが私たちはもう1組のご夫婦とガイド付なのである。チケット購入はガイドさんが割り込んで買ってくれるしビーチの説明もよくしてくれた。日本人女性だが若い頃に一念発起して機材買い込み始めたダイビングカメラマンだと言う。
魚はウヨウヨいた。ダイビングでもこれほどは見られない。珊瑚礁の深さは1mもなく油断すると珊瑚を蹴りそうになる。ウミガメも来るらしいが見られなかった。水温24〜25度らしく初日夜に買った薄い長袖ウェットシャツを着ていても寒くて30分を余して浜に上がった。
ホテルに戻り歩いて行ってバーガーを食べ午後はホテルのプールサイド。夕方はホテルの部屋で休んで夕食はホテル向かいのレストランでメキシカン。徳島では食べられないものにしようという選択。妻は21時過ぎに就寝。徳島にいるときより健康的な生活をしている。
前日は昼に4時間ほど寝たのに夜も24時過ぎにあっさり寝られた。5時前起床。妻も目が覚めたようで起き出すことにして本を読みながら6時半にホテルを出て日の出を見に行った。でもビルの方角だったから途中で諦めて朝食を取りに別のホテルへ。エッグ・ベネディクトというのを食べた。
それからホテルに戻って水着に着替えてワイキキビーチ。ホテルから遠い方に行ったけど水が冷たすぎて少し戻った。さらに場所を移してシュノーケリング。魚は10種類程度か結構いた。こういうときのために買っておいたオリンパスTG-2で水中撮影ばかり。まずまずよく写っている。
朝食を食べ過ぎたのでお昼はフルーツジュースの店に行こうと妻が言うものでバスに乗ってダイヤモンドヘッドのクレーターなどを回ってジュースを買って歩いてホテルへ。日差しが強くて短パンの膝から下が痛くなった。今日はビーチも含めて歩いてばかりいる。
ホテルで少し休んで17:30前に出てシェラトンへ。妻が義母と行ってよかったというショー。人類創世からポリネシアの歴史を民族音楽と踊りで表現する「Creations」。1時間ちょっとだが面白かった。ショーの前のバンド演奏で私の名前が呼ばれて「ハッピーアニバーサリー」と。
ステージで使った衣装や靴をホテルでもらった段ボール箱に入れて宅配便で実家宛に。そこからA社に行き午後は成田へ。妻は徳島から合流するのだが羽田行きが欠航して急きょANA便に振り替えて何とか間に合った。私は京成特急で17:20頃に着いた。
空港でトンカツを食べて飛行機は20時発。飛行時間は6時間45分らしい。これを書いているのは25日夜だが日本時間では26日の夕方。ハワイにいるのである。妻は6〜7回目らしい。私と結婚して以降の最近4年で3回目。私は19年前の社員旅行で行きそびれてハワイは初めてだ。
飛行機の中ではKindleで本ばかり読んでいた。吉川英治『宮本武蔵』。完全版という版をダウンロードしていたのだが1冊分は読んだかも知れない。面白い。機内食は2回出たから食べ続けている感覚で結局全く寝ることもなくホノルルに着いた。
ホテルのチェックインまで時間があるのでトローリーバスに乗ってからMai Taiというバーでビールを飲みながらサラダとポテトフライを食べた。ホテルに入ってまずは睡眠。日本時間26日の9時頃から14時頃まで爆睡。夜はサーフショップで買い物をしてカリフォルニアロールとキリン生ビール。
わざわざ演奏会場に最も近いホテルに泊まったのに急きょ朝練習することになって昨夜の練習会場にモノレールの終点まで。8時集合で6:40に目覚ましを掛けてたら指揮者が6時にメールを寄越して目を覚ました。1時過ぎに寝て3時過ぎから2時間寝られず2時間半しか寝ていないのに。
朝ホテルを出るとき1番目に演奏するお江戸コラリアーずの発声練習が聞こえた。彼らは7時から練習しているらしい。メールで起こした指揮者に憤っていたが我が団は練習時間でさえ負けているのだ。ともあれ練習を終えて皆で会場に移動し後は誘導されるままに着替えてリハーサルして。
本番で私は出だしで失敗して1小節歌わなかった。その後はうまく行ったと思う。ベースがよく聞こえたし決定的な破綻もなく演奏を終えて気分はよかった。終えて着替えてホテルに荷物を置いて千葉駅まで行って団長らと昼食を食べて再び会場で午後の混声合唱14団体を聴いた。
みんな上手い。ついあら探しをする。それほど完璧だが感動はない。そして表彰式で我が「響」は例年通り銅賞だった。最後に「大地讃頌」を会場とステージ上の審査員らが全員で大合唱。これが最も感動した。夜は団長とS氏Y氏と4人で鳥の店で大いに飲んで徒歩でホテルに。
朝4:20に目が覚めて2時間寝られず。お昼過ぎに上勝を出てモスバーガー川内店で昼食をとり14:45発の飛行機で羽田。「響」のS先生と同じ便で一緒にバスに乗って千葉中央駅。そこから近いのだがタクシーに乗った。1メーター710円。ホテルに荷物を置いてすぐ千葉市モノレール。
19時から最後の練習なのだ。PASMOカードがまたロックされていて行きは切符を買った。270円。練習会場はホテルのチャペル。大阪や茨城から集まった仲間や今日出演した大学生も合流して練習はみっちり2時間。指揮者はピンポイントで問題を指摘するが3曲を2回通した。
指揮者はいい感じだったと言うのだが今日初めて合わせたメンバーも実はいる。チャペルだから音も響く。本当にいい演奏ができているのだろうか。私個人は今までのコンクールで最も音に不安がない状態ではあるが本番では気を抜かずに演奏したいところ。
夕食の時間はなく練習前にコンビニで買った菓子パンを食べただけ。練習を終えて近くの魚民へ5人で行ったが後から来た団長とA氏の席がなく残念だった。生ビールを3杯飲んで23時前に解散。ホテルでネットが繋がらずiPhoneの手ザリングで初めて接続したところ。
実は近く旅行に行くのだがどのカメラを持って行こうかと考えていて改めて3機種を使って同じ被写体で試し撮りしてみた。今回は撮影画像サイズや画像ファイルの圧縮率も変えてみた。結論を言えば画像サイズも圧縮率も私が見た限りでは全くと言っていいほど差がなかった。
NIKON S6600の画質が悪いと書いた。確かに等倍では悪いのだがリサイズすると使える。NIKON P7100と比べるとリサイズ画質もS6600が劣るがよくよく見比べないと分からないレベルだ。私の場合プリントは行わずWebで使う場合も必ずリサイズするからS6600で十分かも知れない。
上勝TVのときS6600のホワイトバランスが変だと感じたが今日は問題なかった。むしろOLYMPUS TG-2 ToughがNIKONの2機種に比べて全体的に明るすぎる嫌いがある。露出補正をマイナスに掛けた方がいいかも知れない。そうすればTG-2をメインに使える。
TG-2は元々防水用に買ったが今回はこれをメインにしよう。実はメニューが使いやすくEye-FiカードでiPhoneへのデータ転送も容易なのだ。等倍画質は劣るが小ささを優先してS6600を予備として持って行こうと思う。サブとして割り切るならこれでいいというのが結論。
全日本合唱コンクール全国大会が次の日曜に千葉市で行われる。今日は徳島での最後の練習があった。今年は徳島県大会と四国大会があり例年になく仕上がりは早かったと思う。ところが早くに仕上がったからか四国大会以降で練習に来る団員がめっきり減ってしまった。
練習しない期間があると音程や歌詞を忘れてしまう場合がある。それより音程を維持したり正しく発声することが難しくなるデメリットが大きい。久しぶりに来た団員は音程を正しく保てず指揮者が檄を飛ばしている。しかも今日に至って来ない団員もいる。出演28人に対して今日で18人だけ。
元来は音と歌詞を覚えた時点が出発点だ。そこから完成度を高めるのが練習の目的である。ところが音と歌詞を覚えた時点で歌えるようになったと勘違いしているのか。ゼロ時点の団員が直前に参加したのでは何の前進もできないままでコンクールに臨むことになる。
今年からカテゴリー分けが変わり私たちは同声合唱の部。男声合唱では日本一のお江戸コラリアーずの直後に歌う。選曲は全く違うし女声との比較の中で銀賞の可能性を指揮者は言うが練習に来ない団員がここまで多かった団では無理だろう。ともかく私は納得できる演奏をしたい。
昨日書いた通りiPhone 5sのカメラ画質が意外にいいことに気づいてしまった。なるほどコンパクトデジカメの市場が急速に萎んでいるのも道理である。Facebookに載せる程度の写真であればスマホ画質で十分。妻もデジカメは全く使わなくなり専らスマホで撮影している。
でも私はもう少し画質を求めたい。ただし基本的に記録用写真だからデジタル一眼が欲しいとは思わない。ミラーレス一眼には少し興味が出てきたものの重くて大きいカメラは敬遠してしまう。結局のところ高級コンパクトが私には相応しいジャンルだと思っている。
10年前に使っていたCANON Powershot G1に愛着があって改めてバリアングルが欲しいと思った理由でもあるのだが当時は今よりもじっくり撮る傾向があったのかも知れない。だから重さやバリアングルの使い勝手でよかった。今はもっと手軽に撮りたくなって軽くて小さいカメラが欲しい。
今までの私の使い方からすると望遠機能はあまり必要ない。単焦点でもいいぐらいだが使い勝手を考えれば3倍ズーム程度で十分。次に買うとすればNIKON S7100より高画質で軽くて小さいものを希望。ソニーCyber-shot RX100IIが候補だがさすがに1年ぐらいは様子見するつもり。
10月に2台のデジカメを買った。NIKON COOLPIX S6600とOLIMPUS STYLUS TG-2 Tough。両機を何度か使ってみたので感想を記録しておく。まずS6600のスペックは凡庸でバリアングル液晶だけが購入ポイントだった。だから画質に期待していたわけではないが想像以上に悪いものだった。
画像を縮小すれば使えるが等倍では解像感が悪く滲んだように見える。上勝TVでも使ったときはホワイトバランスも変だった。昨日のウォーキングイベントでは液晶画面を引き出すのに手間取って利点のはずのバリアングルで操作性が損なわれてしまうという経験をした。
一方のTG-2は画質はS6600よりも良い。スペック上は当然の結果だが秋祭りの宵宮で手持ち夜景というシーンモードを使ってみたら解像感は損なわれるものの雰囲気のある写真になった。無線でスマホに画像を転送するEye-Fiカードも使い勝手がよく普段撮りに活躍しそう。
撮影画像を見比べて驚いたのがiPhone 5sの画像が意外にきれいなこと。画質順に並べると2年前のNIKON P7100が最もよく次にiPhone 5s。続いてTG-2そして7年前の富士フィルムFINEPIX F31fd。S6600は横向きに撮らざるを得ないような撮影場所に困る場面でのみ使うことになりそう。
私が住んでいる傍示という地区には山の上に船がある。6年前に東京芸術大学教授でアーティストの日比野克彦さんと地元の人たちが制作したものだ。私の移住前だが折に触れて話を聞いている。この船を使って結婚式をやったこともあるし修繕作業に参加したこともある。
今日はこの射手座造船所を使ったイベント。2年前に続いてウォーキング。私は9月に下見をしていた。日比野克彦氏は前日来てご近所のYさん宅に宿泊。昨夜はそこで宴会があり私は風邪で欠席したが妻は参加していた。妻は24時過ぎに帰宅したが聞けば朝4時まで飲んでいたとか。
今日は8時集合。何をやったかと言えば徳島市などから来た方々の駐車場案内と一緒に歩いただけ。気分が悪くなるとか怪我する人の対策で救護車が伴走していて私は連絡係のようなもの。特に出番もなく単に歩いて休憩所でお茶を飲んだり皆と一緒に楽しんだだけだった。
海が見える444mポイントからは霞んでいて海は見えなかった。船まで戻ってそば米雑炊と山っこ餅を食べて後はスタッフと撤収。テントを畳んだりのぼりを片付けたり。山道を4kmぐらい歩いたから疲れはしたが天気もよく楽しめた。気になっていた風邪はほとんどよくなった。
中高時代の友人I氏が電話してきたのが日曜。横浜に家を建て兄上は米国だったか。母上も3年ほど前からI氏のところ行っていて空き家になった実家の荷物を整理するため来徳すると言う。レコードを処分するが要らないかと言うので今日午後引き取りに行ってきた。
何度も書いているが彼と兄上のコレクションからピンクフロイドとイエスを教えられて私はプログレ好きになったのだ。そのコレクションである。感慨がある。業者さんが来るまで15分ほど立ち話をして引き取ったLPは一旦自宅に運び込んで数えてみたら157枚。ほかにSP盤が約30枚。
大きな段ボール2箱は場所を取るので即座に近所のN氏に電話して彼の自宅に持ち込んだ。アナログレコードを聴く環境がある素敵な仕事場を持っているのだ。そこで1枚1枚おおざっぱな分類をしながら2人で確認。1970年代の洋楽を中心にホール&オーツや戦国自衛隊のLPなども。
イエスは2枚でピンクフロイドも3枚だけ。「狂気」などはなかったから兄上が本当に好きなアルバムは含まれていないと思われる。それでも70年代ロックが好きな私たちには驚喜のコレクション。保存状態も素晴らしかった。N氏宅で2枚ほど聴いた。また聴かせてもらいに行こうと思う。
暖かくしておきたいと書いたばかりなのに風邪を引いた。昨日朝起きる前に少し喉が痛かったが銀行で手続きが長引いたときに再び喉が痛いと感じ始めた。車に置いてある水を取ってこようと思いつつ既に入口のシャッターは閉まっていたので諦めていたら喉の痛みは本格的な風邪だった。
その夜は構わずビールを飲んだが今朝は鼻水が止まらない。午後ミカンを買ってきて食べて夕方には徳島で振込と「響」の練習。コンクール全国大会まで3回しか練習がないから風邪だといって休むのもどうかと思い。そんなわけでビールは抜いて白湯ばかり飲んでいる夜。
さて毎日計っている体重は8月から10月までは大きな変化がなくなっていた。週単位でも有意な変化を読み取れないレベル。10月までなら1日に3回計って最も重い夜でも標準体重を上回ることはなかった。それが11月になって夜は標準体重を上回るようになった。
月単位で見ると9月が最も体重が低かった。そこから徐々に増加傾向。筋肉量も増加しているから構わないのだが体脂肪率は横ばい気味。秋は動物として脂肪を溜め込む季節なので気にしないことにしているが。それより寒くなって1日3回も計るのが面倒になった。どこかで1回にしたい。
そう言えば3年前にも行った銀行。まだ抱えているマンションの住宅ローンについてどういう経緯か最近は3年ごとに固定金利の手続きをしている。口座があるのは川内支店だが融資業務を引き継いだという別の支店。東京出張に行く妻を空港に送った帰りの今日午後に寄ってきた。
担当は以前ならベテラン女性行員だったが今回は20歳代の男性行員。一生懸命さに好感が持てたので話を聞いた。金利は基準金利から延滞がないので0.3%引き。さらにクレジット機能付カード契約とカードローン加入で0.1%引きというので契約することにした。どうせ使わない。
さらに投信積立契約で0.1%引き。これも契約することにした。最低の月1万円。元本割れリスクがあるとしても期待値はほぼ積立額と見込める一方でローン金利が0.1%下がる効果を重視した。そんな手続きで14:25頃に行ったはずが終わったのは2時間後。やれやれ。
さて手続きの最中に衝立の向こうで担当者の先輩らしい女性行員がしきりに電話で問い合わせている。どうも私が東京に行ったときの住所変更記録がないらしい。私には最後まで説明がなかったが客に聞こえるところであれこれ言われるのは気分が良くない。田舎銀行の悪いところだ。
先週の天気予報によると今週月曜から急に寒くなるというので金曜日に灯油を買っておいた。最も近い農協のガソリンスタンドは日曜が休みでこの日に急に寒くなったら困ると思ったのだ。事務所にも自宅にもエアコンはあるからファンヒーターがなくても当座は大丈夫なのだけど。
結果として日曜に寒くなることもなかったし月曜も表は寒かったが部屋の中は20度程度はあった。それでも天気予報では今日朝の最低気温が2度。これは石油ファンヒーターを使うことになるだろうと思い月曜午後に灯油を入れた。事務所と自宅のファンヒーター2つ。
月曜は試運転だけ。今日は寒く昼間の屋外は12度ほど。ただ室内は18度あり夜になって少し使っただけ。ちなみに昨年の灯油購入日を経理資料から調べてみたら11月11日。昨年の方が今年より寒かったと思うのだがエアコンだけで凌いだのだろうか。
石油ファンヒーターは4月に入るまでは使う。5月になっても寒い日があれば使うかも知れない。最低でも5ヶ月だ。平野部とは違う山の町の長い冬が始まるのである。若い頃は敢えて初冬でも薄着でいたりしたが抵抗する気はもうない。素直に暖かくしておきたいと思う。
スマホを3年前のiPhone4から最新のiPhone 5sに換えて1ヶ月。設定に多少の時間は取られたがそれでも移行はスムーズだった。実際に使ってみて思うのは薄さと軽さ。時間が経つほどに軽さを感じる。iPhone4は今も睡眠時のアプリSleep Cycleで使っているので違いがよく分かる。
ただし縦長になったので左手の親指が画面の下から上に届かないときがある。米国人の手のサイズに合わせたのではないか。それでもAndroid端末に比べれば小さい。iPhoneは大きさを重要な機能だとして大型化に向かわないという記事を読んだことがあるがとてもよく理解できる。
もう少し大きな端末が欲しいと思いつつ操作性は損なわれるかも知れない。むしろiPhone 5sは小さくて軽いからガラケーから機種変更にしても良かったとも思う。バッテリーの持ちもいい。電話用のガラケーとネット用のiPhone 5sの2台持ちにする理由は以前より減ったと思う。
いっそ今からiPhone 5sを一旦解約してガラケーから機種変更で新たに契約しようかと考えてもみた。2年で4万円ほど安くなるはず。ところが改めてシミュレーションすると機種変更した場合の通話料金を忘れていたことに気づいてしまい差は1万円台。やっぱり2台持ちでいいという結論。
今回のゲストはT君とN君。Iターンの農業青年だ。元々10月配信で出てもらおうとT君に声を掛けていたのだが当日は地元の祭りで当家(とうや)だということで1月延期していたのだ。T君とは9月末に打ち合わせ済み。彼が信頼しているというN君も一緒に出てもらうことにした。
T君は私たちの地元の秋祭りで獅子舞をやってもらったり交流があったがN君は7月頃に初めて会っただけ。10月に打ち合わせもして内容については不安はなかった。ところがパーソナリティのT嬢がしゃべると咳が出ると前日言ってきて一旦は欠席してもらおうという話になった。
でもT君のお茶のパッケージを持って来てもらってT嬢と話をしていたら大丈夫そうで本番にも来てもらうことにしたのが15時頃。番組としては全く問題がなかった。さらに今回は新兵器を投入した。先月に使おうと思って失敗してファームウェアアップデートで解決した機材である。
これが配信時に音声ノイズが全くなく驚いた。映像もきれいになったとコメントがあった。HDMI出力の効果なのだろう。カメラ操作の自由度を上げようとしたのだが思わぬ効果があってよかった。終えて反省会で機材の配置の新しいアイデアもあって次もまたチャレンジするのである。
結婚をしてから年賀状は一応出すように意識はしている。結婚してすぐの頃は2人の写真を撮って近所のラボで年賀状にしてもらっていた。ただし出さない年があったような気もする。上勝に移ってからは毎年出しているように思う。と言っても親戚や昔の友人に送っているだけだが。
たいていJ社のソフト「楽々はがき」でレイアウトをしてデータをカメラのキタムラに送る。印刷された年賀状は阿南店受け取りにしておいて友人S氏に持って帰ってもらうというパターンが多かった。用意されたレイアウトでは名前などの記述が満足できなかったのだ。
ところが先日郵便局で手にしたパンフレットを持ち帰って見ていると名前レイアウトのパターンにいいものがあった。しかも10月末までに申し込むと少し安い。写真やイラストは限られているからベストだと思うものはなかったのだが妥協しよう。
これでノルマがあるという地元の郵便局員Y氏から買うことができるようになった。そんなわけで注文したのが10月中旬。つい先日はがきが届けられた。こんなに早く準備したのは初めてだと思うが宛名書きは例年のごとく多分ギリギリになるだろう。
チープ・トリックのアルバムCDを10月末に2枚買った。チープ・トリックは1970年代後半から1980年代にヒット曲が多かった米国のロックバンドだ。Facebookで中学時代の友人H比野君がこのバンドのことを書いていて懐かしくなってつい買ってしまった。
1枚はLPでも持っている「オール・シュック・アップ」。ハードロックだ。今まで私が買った初めての洋楽だと思い込んでいたが発売は1980年ということだから記憶違い。私が持っているLPやCDをまとめたページの先頭に書いていたが間違いに気づいたので修正した。
もう1枚は「ドリーム・ポリス」。これは1979年発売らしい。つまりこのヒットがあって次のアルバム発売と同時に購入したのだと思う。LPでは持っていないはずなのだが聴いてみると全曲知っている。大学になってレンタルレコードで借りてダビングしていたのかも知れない。
ディープ・パープルのベスト盤「パープル・ロール」も同じ頃に買っているはずだから当時の私はハードロックに傾倒していたのかも知れない。ピンク・フロイドもビリー・ジョエルも聴いていたけど。チープ・トリック。このハードロックが懐かしくて音量を上げて聴いている。
発売されたばかりの「周波数帳2014-2015 」なる本を買った。少し前にアマゾン・マーケットプレイスで何かの本の付録だったらしい周波数帳を買っていたのだが徳島の項目は少なかったので分厚いものを買い直してみたわけだ。1,718ページ厚さ65mmに1720gだと報道されている。
2部構成で1部は消防や航空など分野別。2部は低い周波数から順に網羅されている。先日放送波をスキャンしていてテレビ音声でもなさそうな音楽放送を見つけたのだがこういうときは周波数順の2部で探すと便利だ。ちなみに161.75MHz/FM。国際VHS放送という周波数だった。
データベース化されたCDも添付されていて検索するにはこちらが便利だ。例えば「上勝」で検索すれば町内建設会社の業務無線周波数などが出てくる。「勝浦」で探せば防災無線なども分かる。怖いのは「勝浦川沿い徳島市新浜のオフィス盗聴波」なる周波数も記載されていることだ。
1部の最後には過去に報告された盗聴波一覧が200件以上載っている。この周波数をメモリに登録してスキャンすれば住宅外などで盗聴電波を発見できるかも知れない。盗聴電波発見業者をテレビでたまに見るがある程度の知識があれば装備は安価で済ませられるのかも知れない。
今日は朝9:30集合でN氏と2人でテントを小学校に返してきた。テントの重り20kgを6個も。折りたたみ式コンテナはごみステーションに返却。10時には戻っていた。さて3日にあった地元の秋祭りで私がやった仕事は獅子舞用の音データを入れたICレコーダーを1度再生させるだけだった。
もちろん準備や片付けなどは行ったが4回目にして要領も分かってきたので効率よくできたと思う。それはともかく今年の祭りで感動したことがある。雨が降らなかったことだ。前々日の天気予報では午後から弱雨だったし前日でも15時頃は雨となっていた。
当日朝の予報では降雨確率40%。15時以降が50%。13時頃だったか私が契約しているウェザーニュースが「ポツポツと降らせる雨雲が上勝町に接近中」とiPhoneにメッセージを出した。実際ポツという程度の雨粒はあった。それで急ぎ獅子舞の用意をしたが始めたときには降ってなかった。
お神輿が帰って来る頃は周りの山が曇って雨に包囲されているような感覚だったが神社の境内は降らなかった。片付けの最後に机を運ぶときに降り出したかも知れないが私は濡れていない。打ち上げも終わり24時頃は本降りだったから祭り日程中に降らなかったのが奇跡だと感じた。感謝。
2日は秋祭りの宵宮。朝から餅つきをやっていたのだが私は前夜のビールが悪かったか全く起きられず午後から参戦。14時過ぎに神社に行って提灯の準備に参加。その後テントの設営や机の運搬や。斜めになった机を平らにするため脚の位置の土を掘ったり。
一旦戻って厚着にして夜は消防団で花火の警戒。新しく買ったオリンパスのデジカメの設定を変えながら撮ってみたら意外にうまくいったかも知れない。花火の後は消防団で慰労会だが前夜からの疲れもあって23時過ぎに撤収。結構寝ているのだが体調が今イチ。
3日は10時過ぎに神社へ。早々に賄いの巻き寿司を食べ始めて少しエネルギーが回復したか。午後の獅子舞の音響を担当したので確認を少々とリハーサルなどもやっているうちにお神輿が出てだんじりを移動させる手伝いをやって。そうこうしているうちに獅子舞の出番になり。
写真も撮ったがオリンパスはバッテリー切れ。GPSが悪かったらしい。お神輿が戻って16時頃から怒濤の撤収の後に18時頃からはスタッフで打ち上げ。20時過ぎまで。日本シリーズで楽天が優勝する瞬間は徳島から来たM君と見た。雨は降ったが祭り中はほぼ持ったので本当に良かった。
(この日記は2日午後にアップしました)
木曜は第3回ICT(愛して)とくしまフォーラムに参加してきた。目当ては津田大介氏の講演である。前にも書いたが津田氏と言えば著作権について私とは立場が異なり以前は敬遠していたがツイッターでフォローして何冊か著書を読むうちに興味を持つようになっていた。
フォーラムの第1部は表彰式。大賞は美波町のインターン生が作ったアプリ。インターンを受け入れたのはサテライトオフィスとして名が知られるようになったサイファーテック社。ここの吉田社長はJ社の後輩にあたるが昨日初めて話した。彼は私のことを当時から知っていたようだが。
ソーシャルメディアに関する津田氏の講演は面白かった。終えて沖浜のドコモショップでiPhoneの充電をしコーヒーワークスで時間を潰し徳島駅前の居酒屋で松山から来たK氏と合流し生ビール1杯だけ飲んで近くの「とくさん」。N氏が声を掛けてくれて津田氏と県庁の皆さんらと宴会。
著作権の話で前は嫌いだったと酔っ払って本人にも言った。自分をいつ知ったかによって相手の反応が違うと津田氏。2軒目にも7人で行ってA社のボスの話なども。支払はうちで持ったが25時半頃まで飲んでいたような気がする。一緒に飲んでいたY嬢を送って代行で帰宅。
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© 2013 Takashi INAGAKI