2013年4月
この日記は最近1日遅れで書いている。今日書くのは29日(月・祝)のことである。前夜は1時半頃に寝ただろうか。朝は甥(5歳)が「まだ起きないの〜」とやってきて「うるさい」と一喝したが寝られなくなって起きた。起きていきなりUNOである。
30日の予報が雨ということで弟は29日に上勝に行きたいと言う。まず弟たちが出発準備。私たちは遅れて犬のケースケの世話をしてから出発。弟たちとは月ヶ谷温泉キャンプ場で合流。裸足になって河原を歩いている甥(5歳)の足を洗ったりしてまずはシェアカフェ「一樹の?」。
上勝に頻繁に来ている歯科医のK嬢とお友達がいたのだが偶然2人とも弟の小中時代の同級生。母は覚えていたようで挨拶している。K氏やMぽんや次々知人がやってきて楽しい。次に湯っ足り「神田茶屋」。いきなり甥があめごの釣り堀で2匹をゲット。炭火で焼いてその場で食べて。
弟はここからビールを飲み始めたが甥が野球をしたいと言うので温泉近くの広場に行ってボール遊び。2歳もバッドを持つのでボールを投げると「あれ?」と言うばかり。それが2歳には楽しいみたい。16時頃解散して私は「響」の練習へ。途中で寝そうになったのでニトリの駐車場で仮眠30分。
28日(日)は鳴門の実家で起きたわけだが5歳の甥が遊ぼうと私の部屋に入って起こそうとする。何度もやってくるので仕方なく起き出した。お昼は母が作ったシチュー。午後は弟が東京から送った宅配便が届くのを待つとかで皆が動けず私は昼寝。
妻と母と甥(5歳)は近くのショッピングセンターに出かけ妻は甥のキャッチボールの相手もしたのだとか。あとは断続的にUNO。正月休みに一緒にやって今回も私たちとUNOをするのを楽しみにしていたのだとか。ただし幼稚園のローカルルールがあって面倒だ。
夕食は妻がスマホであれこれ調べて行こうとした魚料理店があったのだが満席で1時間待ちとか。結局のところ通りにあった焼き肉店へ。ちなみに私たち夫婦は実家から徒歩。車で行くと飲むことができないから。お店には25分ぐらいで着いたと思う。もちろん帰りも徒歩。
夜は少しだけ甥っ子とUNOをやって妻と弟と少しだけ話をして寝た。2歳の甥は正月休みはニコニコしてかわいかったのだが今回は自我が出始めたのかよく泣くようになった。一方で単語レベルで話し始めている。とにかく5歳児と2歳児の相手でくたくたになった実家だった。
昨日土曜はお昼過ぎに上勝を出て勝浦で昼食を取り一旦鳴門の実家。ここで妻を下ろし車を停め母の車で徳島市までUターン。徳島男声合唱団「響」の団員で27歳のY君の結婚式なのだ。徳島大学近くに最近できたヒルサイドクラブ迎賓館という式場。
団長や指揮者や「響」のメンバーが7人。新郎の友人で今は県外にいる元団員が4人。さらに新郎新婦ともにメンバーであって「響」指揮者が代表の混声合唱団の女性が9人。彼女たちとは演奏会などでときどき会うので知っている人も中にはいる。
新婦とも何度か話したことがある。ちなみに新郎は大塚製薬鷲敷工場に勤務しているが主賓の工場長は「響」指揮者と高校の同級生らしい。式の方は新郎新婦の登場の仕方が意表を突いた演出で驚いたり新婦の挨拶に涙したり。感動的ないい式だった。
終えて「響」の仲間とバーに行けば混声合唱団のメンバーもいて合流。同年代の彼女たちと話をして楽しかった。22時ごろ解散して私はJ社時代の同僚Y氏E氏N氏と。初めて会うA氏とご挨拶。さらに彼らの馴染みのおばちゃんの店で焼きそばを食べて25時。タクシーで鳴門。
久石譲『感動をつくれますか?』(角川ONEテーマ21)。3月の東京出張のときに大半を読んだ。宮崎駿「風の谷のナウシカ」「となりのトトロ」「もののけ姫」や北野武「HANA-BI」「菊次郎の夏」などの映画の音楽で活躍する作曲家だ。A社のボスが話題にしていたので読んでみた。
体裁は短いエッセイの集合だ。内容は作曲を手がける上での流儀だったり姿勢を自身の経験などを基に伝えようとしているものだ。映画音楽は数十曲を作曲するのだとか。苦しんでもまずテーマ曲を作ることの意義とか作曲期間の時間の過ごし方など心構えのような話も興味深い。
作曲は過去の集積の上に成り立つ芸術でオリジナリティは少ないと言う。だからオリジナリティがいかに重要かということが前半のテーマだと理解。後半はバリ島の音楽や日本人オーケストラを指揮した外国人指揮者の感想などを元に日本人気質と音楽性といった内容もある。
そうした中でピッチ(音程)とリズムの正確さにとらわれがちな日本の演奏家への若干の批判もある。「うまさより『何を伝えたいか』が大事」と。創作者の思想とオリジナリティといった内容に留まらずアマチュア合唱演奏家でもある私が大いに共感できる本だった。軽く読める。お薦め。
敬老会を手伝うのは3回目だっただろうか。日程は風の便りで聞こえてきて手伝わなくていいのかと思いつつも誰からも連絡がなく今年は私は不要かと安心したり不安になったり。前日掛かってきた電話で訊いたら来て下さいと言うもので行ってきた。朝8時である。
まずは舞台となる木の台を地下の倉庫から搬出する。5×4で20個。1個運ぶのに2人掛かり。地下から運び出す組と体育館の上履きで受け取る組が必要だから10人ぐらいいないと回らない。今年は主に上の組で消防団の前々分団長らと並べていった。
次の役目は舞台周りで演題やマイクの出し入れ。上勝TVの技術担当T氏が音響全般を差配しているので私は彼の周辺のこと。その前にネットを利用するためにLANケーブルを事務部屋から体育館入口までの廊下を這わせガムテープで固定したり。計算が合わず張り直したりしながら。
出し物は多かったがマイクの組み合わせは割と単純だったので何とかなった。ただ終えてカラオケ用に持ち出していたディスプレイを事務所に片付けたとき腰を痛めた。スタッフは打ち上げで飲んでいて私も誘われたのだが17時からの「響」の練習へ。22:30頃帰宅。
事務所のプリンタを買い換えようと思っている。今使っているのはエプソンのカラーレーザー複合機。私たちの会社を設立して間もない2007年2月に購入した。友人が口を利いてくれてモニター品という名目だったので市価の半額ほどで買った。A3対応。給紙カセット3つ。
当時は妻が出版エージェントの仕事でゲラ確認のため大量に高速に印刷する機会があるということでレーザープリンタにした。A3対応は必要条件。当時はインクジェットプリンタでA3対応はなかった。ゲラをFAXでやり取りする機会も想定されていた。実際に結構活躍してくれた。
ところが昨今ゲラチェックはPDFでもできるし大量に何度も印刷する機会が減った。そして部品サポートは今年か来年で終わるらしい。それで先日メインテナンスに来てもらったサービスマンから買い換えを考えて欲しいと言われた。保守契約もできなくなると言う。
ちなみに保守契約料は年間59,000円。確か徳島に引っ越す前年ぐらいから保守契約をして年に1〜2度見てもらっている。でも今やA3対応のインクジェット複合機も売られていて価格は4万円台。印刷速度や量を求めなくなったわけだしインクジェット複合機で十分だと思うわけで。
主に妻が乗っている軽自動車を買い換えることにして装備品で困ったのがカーナビ。これまで乗ってきた17年目のダイハツ・ムーブのカーナビはJ社の後輩M嬢(妹)から譲ってもらったもの。その時点で中古だったから地図が古い。でも妻は徳島県内の道を知らないからカーナビは欲しい。
それでT氏にこれも相談したら新規に買えば10万円ぐらい。ただ今使っているカーナビで地図データを更新すれば使えるかも知れないと言う。地図データだけなら2万円程度だろうと。その線で検討することにしたら妻はHDDの容量が足りないと言い出した。
確認したら全体で300MB程度しかない。空き容量は30MB。では外部のオーディオプレーヤーを接続できれば解決するだろうとチェックすると外部端子がない。ただしメモリスティックのスロットはある。一方でジムで運動するときのために妻は携帯プレーヤーが欲しいと言う。
メモリスティックは調べてみると4GBで1,850円ほど。安いものだ。これを1個買って別途プレーヤーか。iPodかウォークマンだろうが片やメモリースティックなのでまずはウォークマンで調べてみようかと思っているところ。カーナビと携帯プレーヤーとで流用できればベストだと思い。
各方面から太ったと指摘される。指摘される以前に自覚がある。そこで数年ぶりにステッパーを持ち出して空き時間に運動しようかと考えている。考えいるだけで今日までに各3分程度3回やっただけなので効果はないのだが。ここに書くことで頑張ろうという意欲だけを示しているのだ。
記録を調べると以前ステッパーを使っていたのは2007年6月から9月。当時は曖昧に書いているが6月4日に66kgあった体重は7月2日に65.6kg。8月2日には64kgと1月が経ったあたりから急減し始め2ヶ月で2kg減。さらに9月24日には60.4kgと3ヶ月半で5.6kg減少している。
つまり効果絶大なのだが運動量もそれなりに必要だ。記録を見ると当初は800歩から始めて6月中は1500歩程度。歩と言っても左右で1歩だから実際には倍の歩数になる。7月以降2000歩を超えたあたりで体重が落ち始めている。8月は2600歩などコンスタントに2000歩以上。
2600歩は10分やって3分休憩を繰り返して1時間程度だったと思う。それも2〜3日に1回だけだからやろうと思えばできる。問題はやり始めるまでだ。どう動機付けするか。このままでは太る一方だと分かっているがそれでもいいじゃないかという悪魔の声が消えないのである。
朝5:33。地震で目が覚めた。淡路が震源だが上勝は体感で震度2程度。今夜は上勝TV第29回の配信日。前回はゲストが7人ということで準備を早めにやったが今回はゲスト2人。本格的な準備を始めたのが今日の午後。Webサイトのリンク先も14時を回って設定し始めた。
今日のテーマは「いっきゅう茶屋」。上勝の県道沿いにある産直市で2Fは喫茶スペースになっている。妻が出張でいないときなど昼食はここで食べることが多い。いっきゅう定食という野菜のご飯やカレーが400円。いっきゅう定食はベジタリアンにも安心して食べてもらえる。
ゲストは神奈川出身で上勝に10年いるというMちゃんとNちゃん。Mちゃんは東京農大出身で地元の「ほーじーず」というバンドでバイオリンを弾いている。バイオリンが格好いいのだ。Nちゃんは埼玉生まれで京都大学農学部修士。ウィットの利いた話が面白い素敵な女性だ。
2人とも超近所に住んでいるので女性4人の女子会のようなUstになった。タイムラインも結構書き込んでくれたように思う。上勝といえば「いっきゅう茶屋」はランドマークでもあるので馴染みのある方からの書き込みで盛り上がった。とりあえず4月は終わってホッとしているところ。
主に妻が乗っている軽自動車を買い換えようと思っている。上勝に引っ越すときに鳴門の従兄弟から紹介されたダイハツ販売店で12万円で買った当時12年落ちの中古ダイハツ・ムーブ4WD。私たちが買って4年半。今や17年目。今年8月で丸17年の車検を迎える。
さすがにガタが来ている。しかも重い4WDで3速AT。つまりスピードが出ない。上勝は山だから4WDが必要だろうと販売店の若社長に言われ私もそう思ったが住んでみると実は2WDで十分だと分かり買い換えを考えているのはFFの4速ATまたはCVT。5ドア。
私は新車を買って長く乗ることを考える。だが妻は安ければいいと考える。私は安全重視でABS(アンチロック・ブレーキ)は必須だと思う。妻は雪の日は超スローで運転するから大丈夫だと言う。それで地元で自動車修理を手がける友人でもあるT氏に相談した。
T氏のアドバイスもあってコストパフォーマンスが最大になる3年落ち程度の中古車を中心にABS必須を条件に探してもらうことにしたのが先週。早速3年落ちで理想の車が見つかったのだがオークションで価格が高騰したらしく断念。改めて7月までに探してもらうことにしている。
高知で土日に歌いすぎた。喉の調子が悪い。月曜から喉が少し痛く声がかすれ気味。妻によると夜はいびきが酷いらしい。よほど疲れたのだと思う。木曜になっても喉の調子は相変わらずで水曜は夕食後に寝てみたのだが疲れが取れた気がしない。
水曜は「こめこめ踊り」の上勝シスターズの皆さんが花見に誘ってくれて棚田で有名な樫原に行ってきた。上勝シスターズのメンバーの1人で樫原の棚田での米作りに参加させてもらっていたときの農家のTさん宅。皆さんは正木まで花見に行っていたそうで始まりは1時間遅れになったが。
そこで弁当をいただきビールを1本飲んで15時過ぎまでいただろうか。今まで縁がなかった方々とも大いに話ができて面白かった。この夜に早く寝たのは昼にビールを飲んだこともある。木曜はのど飴をなめてみたりもしたけどそれで調子が元に戻るほど簡単なものでもない。
今まで合唱のコンサートに出演して一番疲れが大きかったのは3年半前にあった「響」の定期演奏会だと思う。歌った曲が多くて覚えるのが大変だった。終わってから燃え尽き症候群のようになった。でも思えばあれば精神的な疲れが大きかった。体力的な疲れは今回が一番大きい気がする。
私は徳島男声合唱団「響」のWebを担当していてその流れでFacebookページも作成して管理している。だから「響」 で何かイベントがあると写真を撮ってFacebookページにもアップするようにしている。こんな地方の男声合唱団にもファンがいてくれるので地道な広報活動である。
リアルタイムに更新しようとiPhoneを使う。電波状況なのかFacebookの問題なのか写真がアップロードできずイライラすることも多い。高知に行った土日の間に「響」Facebookページは3回更新。私は6回更新していた。個人アカウントは更新が多かったが普段あまりアップしないから許して欲しい。
一方でツイッターは「響」のアカウントはないので個人アカウントで気分次第。ところが作曲家の松下耕氏は結構頻繁にツイッターに書き込んでいる。今回の高知の前夜祭での各団体の出し物は全て写真付でツイートしていた。なので私も全てリツイート。
月曜に高知から飛行機に乗る際のツイートにはメンションをした。そんなことで私を認識してくれフォローしてくれたのだと思う。それはともかく今や日本を代表する作曲家と言われる先生がSNSを駆使して情報を発信し続ける姿勢は素晴らしいと思う。改めて見習わないといけないと思う次第。
高知の演奏会の打ち上げではピアニストの大澤宣晃氏にもビールを注ぎに行った。3月に徳島であった練習の際この大澤さんのピアノを聴いて涙が流れた。それほど感動的な素晴らしい演奏に感謝を言いに行ったのだ。合唱にさほど熱心でない私は酔わないとなかなか言えない。
しばらくして私のテーブルに大澤さんが来て皆で写真を撮った。そして許可を得てFacebookで友達申請もした。松山在住で3年前の演奏会後の打ち上げの挨拶では地方で活動することの苦悩に少し触れていた。感動的なステージで演奏できて幸せだったとも。
3年前は朝の練習でピアノを弾きながら泣いていたし本番中は涙を堪えていた表情を覚えている。今回の本番中は指揮者の松下耕氏同様泣いていなかったが打ち上げの最後に皆と別れる段になって泣いているのを見てしまった。繊細で素直な芸術家なのだろう。
松山は徳島より少し大きいし芸術活動も盛んだと思うがそれでもこれほどの才能が地方で活動することは難しいような気もする。ともかくピアノ演奏で感動したのは大澤さんが初めてなので何かまた縁を得て一緒に演奏ができたらいいなと思う。それほど彼の演奏には感動したのだった。
日曜に高知で行われた演奏会で私は4曲目冒頭から泣いていた。左隣は男性だったが右隣はアルトのきれいな女性だ。震えた声を出すのは恥ずかしくもあり音楽上よくない気もして何度か歌うのを止めた。後で訊くと「響」の団長は冷静に歌ったらしいが指揮者Sは泣いていたらしい。
打ち上げで乾杯の音頭をその指揮者Sが行った。中高生たちの演奏に涙が出たと言ったところ作曲者の松下耕氏が「本番でもうぉんうぉん泣きながら歌ってましたよね」と突っ込んだ。それに対してSが「前回は歌えなくなったけど今回は泣きながら歌えたから成長した」と返して大いに受けた。
打ち上げでは松下耕氏がいいことを言っていた。「仕事を離れ利害なく集まり歌える仲間がいることは素晴らしい」と。「歌いながら泣けるほど歌詞の意味が分かる歳になった」ということも言っていたような気がする。「四国の仲間の歌を東京の人にも聴かせたい。次は東京で演奏しよう」とも。
松下耕氏は私の1歳上だ。国立音楽大学作曲科を主席で卒業したらしい。私は熱心な合唱人ではないので3年前の演奏会では話をしなかったが今回は打ち上げでビールを注ぎに行った。私を認識してくれたようで今日はツイッターでフォローしてくれた。恐れ多いがちょっと嬉しい。
9時にホテルを団長と出発。9:40から単独ステージ練習。以後は単独ステージや男性合同演奏や全体の練習とリハーサルが断続的に。開演は14時。松下耕氏を招いての「耕さんと四国のゆかいな仲間たち」による春爛漫ジョイントコンサート第4回の開演だ。
「響」単独ステージは「北海盆唄」と「会津磐梯山」の2曲。既に2回ステージで演奏しているが練習では音程が悪いと指揮者の檄が飛ぶ。演奏はまずまずと思ったらベースが1拍ずれてバリトンが歌えなくなるアクシデントがあったのだとか。テナーの私は全く気づかず歌っていたが。
最初の休憩前に中高生100人近くによる演奏を聴いたら素晴らしくて感動の涙。男性合同の「八木節」は楽しく歌えた。そして混声合唱の合同曲「この星の上で」。3年前はステージで泣きながら歌ったのだが結局今回もそうなった。4曲目冒頭のソロに感動して涙。
それまで汗が目に入り痛かったのだが涙で目の痛みが消えステージだから拭うわけにもいかず涙と汗を滴り落としたと思う。5曲目前奏のピアノも素晴らしかった。アンコール最後で皆と一緒に歌っていることに感動してまた涙。隣の人と自然と手を繋いで。歌い手として感動した舞台だった。
10時頃に上勝を出発。軽で妻も同乗。国道沿いでうどんを食べて「響」団長宅。妻は帰ってここから団長と徳島大学。学生を乗せて一路高知へ。明日本番の演奏会の最後の合同練習なのである。一旦ホテルにチェックインして本番の会場でもある練習場。
16:40から男声合唱の練習。続いて舞台で作曲家の松下耕氏指揮での練習。リズムを確実に刻むという練習を繰り返した。耕氏の指示で演奏が劇的に変わる。女声の練習に続いて混声の全体合唱。3年前は気持ちを強調していたけど今回は技術的な指示が多い。
2時間半の予定が1時間半で終わり皆や団ごとに写真を撮り宴会場に移動。私たちは高知の人に案内されて途中まで徒歩。せっかくだからと路面電車にも乗った。座敷の宴会場に100人ぐらい。松下耕氏の乾杯で始まり各合唱団が順に出し物を披露する。
「響」は4月末に結婚するY君と彼女を舞台に上げて「てんとう虫のサンバ」。もちろん男声4部合唱。最後の「口づけ」コールにY君は団長に駆け寄ってブチュー。耕氏も絶賛。終えて5人で歩いてはりまや橋も渡ってみた。明日は本番。気合いを入れて頑張ろう。
(3月上旬に書いたままアップし忘れていた日記を発見。もったいないのでアップしておく。)3月4日かちどき橋で人と合流して川内に行き徳島最大の企業を訪問した。元々ツイッターで知り合った人なのだがFacebookで繋がり彼がコメントしてくれたことが縁で話を聞こうということになったのだ。
でも今までツイッターユーザーとして接していたから実は彼の会社での立場は全く知らなかった。言われた部署に行って名刺交換したら何と。上司が同席すると聞いていたが肩書きを見てびっくりした。話をしているうちに20年以上前に何度かお会いしていることが分かってきたが。
3月6日は友人にして県議会議員N氏を小松島に訪ねた。上勝では4月に町長選挙がある。田舎でいると政治に関わらざるを得ない状況になり得るので地方政治に関するレクチャーをお願いしたのだ。と言っても彼が政治家になった理由とか古事記の話とか雑談がほとんどだったが。
町長選挙だが3期努めた現町長は退任し役場の総務課長が立候補する予定だという。この元総務課長H氏とは高丸山登山や薪割りイベントほか役場でも話をしているから知っている。ただし気になるのは風力発電に対する態度である。これだけは事前に表明して欲しいのだが。
一昨日の徳島新聞にミュージカル「ぞう列車がやってきた」の上演を目指すグループの話が紹介されていた。このミュージカルは太平洋戦争中に全国の動物園に動物を殺すよう軍から指示があり何頭もの像やキリンなどが射殺された実話を元にしたものだ。
戦後になり名古屋の東山動物園だけで生き残った象を見るため全国から子供たちが列車に乗ってやってきたという物語だ。改めてWikipediaを見ると動物園や軍の関係者にも動物を助けるために行った努力が見て取れる。戦後の像列車の運行に至る経緯も感動的だ。
このミュージカルは合唱団として参加したことがある。確か明石海峡大橋開通記念で徳島県が制作したミュージカル「架けろ!駆けろ!YATTOSEY」と練習が同時進行だったような記憶があるので1997年だったか。男声合唱が足りないからと「響」メンバーが駆り出されたのはいつものことだ。
ミュージカルと言っても演じるのは一部の人だけで私たちはただ歌えばよかった。歌は難しくなかったと思うが練習にさほど行ったわけでもないので最後は苦労したような気がする。合唱団には小学生も多かった。すばらしい演奏ができたはずはないが物語に感動してよく覚えている。
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© 2013 Takashi INAGAKI