2008年5月
明日から75歳以上に枯葉マーク(ではなく紅葉マークだっけか)が義務づけられるそうだ。母は70歳だが私が徳島に帰省したときは母が運転する車に一度は乗るようにして運転技術をチェックしている。枯葉マークは関係なく少々心配なもので。
運転技術の前に燃費は母の運転で11〜12km/Lらしいが私の運転で今回13.66km/Lだった。佐那河内や神山の狭い山道を20km/hで走っていたような状況でだ。次の給油では14.15km/Lに伸びた。淡路の高速や海岸沿いを走ったから延びたのだと思うが母とは大違いである。
なぜ母の運転で燃費が悪いか。観察したところアクセルとブレーキの踏み方にある。私は静かに加速するしエンジンブレーキを多用する。信号が赤ならブレーキに足を乗せながら惰性で走る。ところが母はアクセルを踏み込み3,000回転まで上げるしブレーキもタイミングが遅い。
特にブレーキは問題で前の車の停止灯が点いて1秒後にブレーキを踏んでいる。それまで加速しているから急ブレーキに近い。これでは燃費も悪くなるしそれ以上に危ない。車がないと生活に困るが後5年も乗れるだろうか。教習所の教官のように運転について注意はしてみたが。
今度は別の現代語訳で読んだ。梅原猛『古事記』(学研M文庫)。原著は1980年発行だ。最大の特徴は著者がアイヌ語を勉強して訳した点にある。大部分は定説に従ったらしいが本居宣長以来解釈できなかった言葉はアイヌ語を援用して意味が分かったと解説にある。
例えばアイヌ語で霊を表す言葉はカムイ・ピト・タマ・イノッ・ラマット・クルと6つある。カムイは神。ピトは人だが古代日本語の彦にあたる。タマは玉で魂。イノッは命。クルは黒や暗に対応する。梅原氏はこれらはアイヌ語から日本語が影響を受けたもので逆ではないとする。
著者はまた天孫降臨後の天つ神が征服王朝であるとした上で彼らの子孫はワタツミ神など国つ神系の娘と結婚していることを指摘している。神武天皇の東征の物語は縄文人またはアイヌ人の国を弥生人または朝鮮人あるいは漢人が征服していった物語ということなのだろう。
天孫降臨は古事記が完成したときの政治状況を表しているらしい。この時代の皇位継承は持統から文武も元明から元正も祖母から孫。天照大神がニニギノ尊を高千穂に下したのも祖母から孫で著者は後から挿入された話だと書いている。この解説だけでも読む価値がある。
携帯電話用イヤホンマイクがまた壊れた。徳島にいた5月7日に妻が使おうとして気がついた。買ったのが昨年10月2日だから今回使えたのは7ヶ月。壊れにくいと謳っていたソニー製だが前回が9ヶ月半。その前の製品は1年使えていたようだがメーカー名などはもう忘れた。
今回は家電店に行く用がなく壊れたままにしておいた。イヤホンマイクなしで使うと頭痛がするから通話することができない状態。それでもやっぱり電話はかかってくる。いちいち固定電話にかけ直してもらったり私からかけたり。
たまたま家にいる時間だったからよかったがやっぱり不便で今日家電店に寄って新しいのを買ってきた。過去の日記で数えてみたら7個目になる。今回はいつも行くヨドバシではなく交通費をケチってビックカメラ。買ったのは最も機構が単純そうで店頭で一番安い製品にした。
結局これも1年以内に壊れるのだろう。だとすると最優先すべきは価格だと思い。これからは携帯電話に接続したままにせずかかってきてから都度接続しようと思う。それまでバッグの中などに入れたままにしておくつもり。それで少しでも壊れにくくなればいいのだが。
『DASH村からワシが伝えたかったこと 三瓶明雄の知恵』には五右衛門風呂の作り方も載っていた。風呂釜は市販のものだが石を積み上げ土を固めて板を敷いてトタンで囲って風呂場を作ったという話が載っている。それで思い出したのが父の実家の五右衛門風呂。
父の実家の台所を出た北東角に離れとしてあった。裸電球1個だけだったのかも知れない中は薄暗く固めた土かコンクリートの上に簀の子を敷いたような床だったと思う。五右衛門風呂の底にも簀の子というのか木の板を沈めていた。それがないと足を火傷する。
多分風呂釜の下から直に火を焚いていたと思う。風呂の外に焚き口があって枯れ枝や燃えるゴミをそこから放り込む。もしかしたら風呂の火を起こすのは子どもの役目だったのかも知れない。私が遊びに行ったときは従兄弟と一緒によく風呂を焚いた。
プラモデルの残りのプラスチックもそこで燃やした。強烈な臭いの煙が出て面白がっていたのだが今から思えば有毒だったかも知れない。風呂のすぐ脇に井戸があったがさすがに水道の水を使っていたと思う。風呂を焚くのでさえ手間がかかっていたことを懐かしく思い出した。
5月に入りAERAの購読を止めた。J社を辞めた1998年と福岡時代の1999年を除き創刊1年後の1989年頃からほぼ毎号買っていた。薄いから出張のお供に最適でいつも羽田空港で買って都内の移動中に読んでいた。ここ数年は宅配を受けていたので例外なく毎号読んでいた。
創刊のころの私は忙しくてテレビが見られず新聞も業界関連記事しか読んでいなかったから硬派なニュース誌だったAERAは社会の動きを知る唯一のチャンネルだった。でも最近は面白くなくなった。社会のトレンドを報道しているようでいて針小棒大な記事が多すぎる。
2000年頃はよくトレンドを先取りした報道があったと思う。他誌やテレビの後追い報道が多かった。でもスコアを気にしすぎたのか読者に迎合して下らない記事が増えたように思う。それに私がよく知る業界の記事があるとよく分かるのだが内容が薄すぎるし間違いも多い。
代わりに購読を始めた「勝谷誠彦のXXな日々」で紹介されていた「子ども格差」特集の週刊東洋経済を昨日買った。2週前の5/17号だが本屋では平積み。内容は評判通り子どもに及ぶ格差の実態がよく分かる。AERAではこういう骨のある記事を期待していたのだが。
『DASH村からワシが伝えたかったこと』 (5月26日・月)
日曜19時のテレビは日本テレビ「The!鉄腕!DASH!!」を見ている。と言ってもTBSと両方をHDRに録画して後から見ているのだが。お気に入りはDASH村。この本は妻の希望で買った。三瓶明雄・太田空真『DASH村からワシが伝えたかったこと 三瓶明雄の知恵』(日本テレビ)。
荒地だった田畑と山林1万2000坪を整備し廃屋を修繕し畑を作り山羊を飼っているDASH村。そこで野菜作りや伝統食作りを教えているのが著者の三瓶氏。この本は太田氏がインタビューした東京新聞の連載をまとめて加筆したものらしい。
内容は野菜の育て方から味噌や漬け物お菓子の作り方に三瓶氏の半生記。畑の作り方に野菜の育て方は相当に具体的なハウツーでとてもよく分かる。炭を作るための窯やかまどの作り方まで載っている。現代農業とは違う伝統的作業の話も随所にあって文化論としても面白い。
最も印象的だったのは初めて農業をするなら地元のプロに教えてもらえと書いてあること。三瓶氏自身が他所に行ったらその土地にあった別のやり方があるから人に訊くと言っている。そして野菜作りに失敗したらスーパーで買えばいいとも。内容も濃くじーんと来る本だ。
GWの最後に鳴門・岡崎の渡船を見に行った。岡崎から対岸の大毛島まで5分程度の無料船。車も多分2台ぐらいなら乗れそうだ。1時間に2往復ぐらいある。NHK「鶴瓶の家族に乾杯」で出ていたのだが「こんな渡船は知らなかった」と思っていた。
でも帰京してから徐々に思い出してきた。小学校低学年のころ我が家にはホンダのスーパーカブが1台。父に乗せられてあちこち行っていたのだが船にもよく乗っていた。まさか淡路に行っていたことはないはずだからバイクごと船に乗っていたのはこの渡船だったと思う。
私が物心ついたとき既に小鳴門橋はあった。大毛島に渡るメインルートは小鳴門橋なのだが当時は有料だった。そして小学校低学年のころに鳴門スカイラインが開通した。当時は島田島スカイラインと呼ばれていたが。父は私をカブに乗せてここに走りに行っていたのだと思う。
私の記憶の中では夜が多かった。夕食を食べた土曜の夜だったりしたのかも知れない。一度冬に行って帰ったら体が冷え切っていて母が怒っていたのを覚えている。急いで風呂に入れられた。あの渡船の思い出は私の中で父のスーパーカブとともにある。
田舎で乗る車は軽トラだと気づいて調べてみている。今まで軽トラはそれだけで1車種だと何となく思い込んでいたがトヨタといすゞ以外のスズキ・ダイハツ・日産・マツダ・三菱・ホンダ・スバルが販売している。ちょっとした驚きで各社のスペックを子細に見ている。
と言っても似たり寄ったりで決め手がない。グレードもメーカーによって設定がまちまちだから価格だけで判断できず。やっぱり軽専業メーカーの方がいいだろうかと思ったり。と言ってもスズキもダイハツも普通乗用車を売っているが。
軽トラで気になるのは荷台が空のときの動力伝達能力である。エンジンレイアウトが加重バランスを左右するが明記していたのは私が見た限りマツダとホンダとスバルだけ。ダイハツは乗降しやすいからと前輪が座席下にあるのだが下り坂のブレーキで前転してしまいそうで怖くなる。
でも全メーカーでパートタイム4WD車がある。これにも驚き。4WDのエアコン装着車で80万円〜90万円。燃費17km/L。このほかに普通の軽も見ているが装備が凄くて値段も150万円ぐらいするのがあったりしてビックリ。シンプルな軽トラにますます惹かれている私。
結局PCを注文した。DELL Inspiron 530。OSはXPの実用性より興味が勝りVistaにした。しかもUltimate。VistaはUltimateしか用意されていないのだが逆にそれが興味を引いて。実は一度注文したのだが翌日CPUが変わっていたので一旦キャンセルして再度注文した。
そのCPUはインテルCore2Duo E8400。友人などに聞いてDELLの品質が今ひとつ信用できずCPUのアップグレードは止めておいた。3年で壊れても諦められるように。メモリは2GB。HD 500GB。グラフィックコントローラNVIDIA GeForce8300GS(128MB)。
しかもディスプレイは22インチワイド。今のPCが14.1インチだから大出世だ。Office Personal 2007も標準搭載。これにPowerPoint 2007とAcrobat 8.1 StandardさらにスーパーマルチDVDにカードリーダーをオプションで付けた。締めて約13万円。
外形上このスペックで13万円は安いと思う。だから品質が今ひとつ信用できないのだが。とは言え現PCはWebサイトのプルダウンの文字が化けるしチェックボックスも崩れているしOSもウィルスバスターもサポート外なわけで頃合いだろう。と買った自分に言い聞かせているところ。
『古事記(下)』解説で興味深いのは雄略天皇の項にある「天語(アマカタリ)歌」を伝えた氏族「天語連」が阿波忌部氏と同祖だという記述。阿波忌部は大嘗祭に木綿や麻を貢上していたが阿波を本拠とする阿曇連(アズミノムラジ)も大嘗祭に海産物を奉仕していたと。
さらに阿曇氏は九州の隼人族を帰順させた神話を持っていて景行天皇が命じて倭建(ヤマトタケル)が行った熊曾(クマソ)平定と重なる。雄略朝で服属した伊勢国の豪族も阿波忌部と同祖であって伊勢には阿曇 系の海人集団も進出していたらしい。
さてGWの徳島で友人M嬢から私の誕生日祝いでこんな自費出版本をいただいた。林博章『日本の建国と阿波忌部〜麻植郡の足跡と共に〜』。大判で300ページを越える力作である。この本にはさらに阿波忌部と伊勢神宮あるいは皇統との関係について詳細に書かれている。
天皇が新嘗祭や大嘗祭などで穀物の豊作を祈る司祭であることと古事記に登場する唯一の穀物神・大宣都比売(オオゲツヒメ)が阿波国のことであることも含め古代神の舞台は阿波であると私はほとんど信じ始めている。問題なのは大和にいつ何故遷都したかだけではないだろうか。
次田真幸『古事記(下)全訳注』(講談社学術文庫)。この下巻は現代語訳と解説を読んで気になるところだけ原文と用語解説を参照した。兄弟での殺し合いとか兄弟での皇位の譲り合いとかのエピソードが多い一方で恋物語や文学的な歌が増えて面白くない。
古代には異母妹との結婚は普通のことで同母妹とは禁忌とされていたらしい。だから允恭天皇の皇太子は妹と密通して道後温泉に流されてしまう。それより気になったのは皇后に嫉妬された姫が吉備(岡山)に帰郷しそれを追った仁徳天皇が淡路の岬に立ち眺めて歌った歌のこと。
「おしてるや難波の崎よ出で立ちてわが国見れば淡島オノゴロ島アジマサの島も見ゆサケツ島見ゆ」。このうちオノゴロ島はイザナキが結婚した島。淡島は2番目に生まれたが数に入れないとされる島。アジマサ島もサケツ島も空想の島と解説されているが本当だろうか。
淡路島の洲本の南から見れば友が島(和歌山)と沼島(淡路)と伊島(徳島)が見えるはずだ。南東から見れば沼島と伊島と大毛島(徳島)が見える。いや海面が今より高かったとすれば鳴門の妙見山だって徳島の城山だって島だったろう。この位置関係がとっても気になる。
天照大神を襲名したうちの1柱の神の霊から神山に呼ばれていると妻が言い出している。文字だけで読めば気が触れたと思わざるを得ないが本人は普通の状態にある。元々巫女体質で霊感があるので何か特異な感覚をこう表現したのだろう。本人はまともなので心配はいりません。
というか実は私にも少しだけだがこの感覚が分かっているような気がしている。というのは4月29日に行った神山の立岩神社で私も何かを感じてしまったのだ。立岩神社のご神体である巨石にも周りの小さな湿地にも感動を覚えたがそれは車に戻る途中の参道で起きた。
何ヶ月前からか後頭部がザワザワすることが時々ある。時間も場所もバラバラで何の脈絡もなく突然感じるから私は何か霊的なものだと解釈している。1月に1度のこともあるし1日に2度ほど感じたこともある。意識をザワザワに向けても平気だが1秒で消えることも数秒続くこともある。
たいてい後頭部の右か左の狭い範囲だが立岩神社では歩きながら頭全体と肩そして背中から腰にまで来た。それで手を広げて大きく息をした。10秒ほど続いただろうか。アマテラスかどうかは知らないがだから妻の言っていることは何となく分かる。もしかして私も変?
GWの徳島で私は何度も道に迷った。佐那河内村や神山町の狭い裏道なら仕方ないが徳島市内の大通りでも何度も分からなくなった。徳島を離れて9年強。この間に道路拡張や周辺店舗の入れ替わりなどがあったとは思うがそれにしてもこれほど道を忘れるものか。
例えば鴨島から徳島まで信号なしで走れる吉野川南岸にどこから入ればいいか忘れていて192号線をイライラしながら走るしかなかった。大道から北進して徳島駅西の体育館前に出る道も分からなかった。このときは行き過ぎて192号に合流して佐古駅まで行ってしまった。
昔から名田橋付近は理解していなかった。鮎喰川と吉野川が合流するから堤防沿いを走っていると道が逸れていたりする。今回は鳴門から吉野川を渡って広くなった田宮街道を多用したが当時は狭くて敬遠していた通りだから途中で分からなくなってしまうのだった。
神山の立岩神社の霊気で方位感覚が狂ったのだと妻は言う。そんなことはないだろう。むしろ当時は夜に走っていたところ今回は明るかったといった感覚の差だと思う。それより単純に道を忘れた面も大きい。全て把握していたはずの鳴門の島田島もすっかり忘れていたぐらいだし。
徳島に移住するかどうか本当は分からないが仮に引っ越したら車を買わなければならない。インプレッサWRXを売って6年。車への興味は封印してきたが最近は街行く車を見て欲しい車を探している。ところが乗りたいと思うような車が今のところ全然ない。
それでも一応考えてみた。まず買う車が1台か2台かによって候補は変わる。徳島で暮らすなら普通は2台。現実的に外車を除くと妻用の車の条件はオートマ(AT)のコンパクト。そうなるとフィットあたりか。燃費重視でプリウスにも興味があるがだったら軽で構わない。
私専用に買うとするなら以前ほどスポーツタイプにこだわらないがマニュアル(MT)は条件。やっぱり興味があるのはインプレッサだが2人が通勤に使うのでなければ1台で十分かも。妻も乗るからATが条件だがそうなると興味があるのはトヨタハリアーとか日産ムラーノ。
でも神山の山道には大きすぎる。日産X-trailは汚れた荷物が積めて興味あり。コンパクトな4WDで汚れた荷物が積めて燃費の良さを条件にするならベストは軽トラだ。ただし2人乗りは不便だからそうなると4人乗りの普通の軽(AT)と私用に軽トラ(MT)の2台というのがベストかも。
金曜朝ネットに接続できなくなった。プロバイダを疑いPDAから携帯電話経由で調べたが特に情報がない。問題はルーターかADSLモデムか。何度かルーターの管理画面から直接操作し接続はできたが今も断続的に切れる。そんなわけで日記が更新できなくなるかも知れない。
さてPCの購入でまた迷っている。DELLにするとWindows XPも選択できる。でも妻のサポートの必要性とPC業界にいる以上最新OSを使いたいとも思うしXPでもOfficeは2007しか選択肢がなくそれならVistaで構わないと思いつつ。ただVistaでは他のソフトで使えなくなるものがある。
例えば花子フォトレタッチ。Vista版はあるが7,350円の花子2008を買わないといけない。花子2008本体は使わないのに。さらに楽々はがき。それとDigiOnSound。どちらもVista版はあるが有料だ。使うのは年に1〜2回だから現行98SE機を楽々はがきとDigiOnSound専用にしようか。
Shurikenと一太郎/ATOKは私が持っているバージョンでVista対応にアップデートできるから構わない。弥生会計もVista版が手元にある。それにしても楽々はがきはともかくDigiOnSoundこそハイスペックが必要だから最新PCで使いたいソフトなのだが。そんなわけで悩む悩む。
最近テレビ東京で続けざまに邪馬台国阿波説の番組が放送されている。先日の番組では卑弥呼の墓として私たちがGW中に行った国府町の気延山が紹介されていたもので妻は鳥肌が立ったと驚いていた。ただし墓の場所は時間がなくて私たちは行かなかったところだったが。
中国の史書『魏志倭人伝』に書かれている邪馬台国の女王・卑弥呼と『古事記』『日本書紀』にある天照大神(アマテラスオオミカミ)は同一人物だという説がある。アマテラスが字のごとく日の神であるが卑弥呼を日巫女と書けば説得力はある。
さらにアマテラスの天石屋戸隠れで世の中が暗闇になったのは日食によるものと言われているが日本で日食があった3世紀と魏志倭人伝の時代が一致するのも理由である。気延山の神社にはアマテラスの葬儀次第の文書が残っているらしいから卑弥呼の墓も本当かも知れない。
さて昨日も書いたが古代神は官職名で実際には何人もがいたと妻が新説を唱えている。歌舞伎役者や落語家が名跡を襲名するようなものか。そう考えると古事記上巻で何代にも渡る神の世に天照大神が登場することも説明がつく。古代史は結構なかなか楽しめる。
次田真幸『古事記(中)全訳注』(講談社学術文庫)を読んだ。中巻は神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイハレビコノミコト)つまり初代・神武天皇の東遷から始まる。高千穂宮から筑紫を経て紀国に至り熊野から八咫烏(やたがらす)に導かれて大和に入る。
これから15代の応神天皇まで各天皇が何をやったかの記述が続く。2代・綏靖(すいぜい)から9代・開化(かいか)については誰を娶り子供は誰でどこに住んで御陵はどこという記述だけで面白くない。ただ上巻と違って地名がはっきり書かれ物語の現実感は増してくる。
文学的要素も多い。有名な倭建(ヤマトタケル)命の熊曾退治や東国征討などには恋の物語もあって詠まれた歌は情緒的だ。神功皇后の新羅遠征や応神天皇時代の百済朝貢とか朝鮮との関係が深まるのも面白い。殺し合いの記述が具体的で古代皇統は殺人史とも読める。
さて妻が古代の天皇は官職名であって例えば137歳の神武も複数の王がいた王朝だと言っている。確かに年代が変な景行天皇と倭建や応神天皇と仁徳天皇の関係は説明がつくかも知れない。読んで分かったが古事記は解釈はあっても真実は分からない面白い世界である。
キャンプではJ家の双子の4歳T君とCちゃんも一緒だった。ちょうど1年前から何度か会っているけど私たちのことを覚えていたかどうかは不明。まだ覚えられないと思う。今はまだ記憶を都度上書き更新しているところだと思うのだけど今回も最初から全開で仲良くなった。
丸3日間を一緒にいたので2人の性格も少し分かってきた。4歳と言えども個性がはっきりしていて子がない私たちにはとても面白い。特に双子の2人だから性格の違いがよく分かる。喜んだときの表現や拗ねたときの表情を見ていると私もつられて童心になってしまう。
3日目の夜だったかT君と手を繋いで一緒にトイレに行った。私が小学生の頃6つ違いの弟にオシッコをさせていたことを思い出した。その日の夕方だったか2人と大きなボールでキャッチボールもやった。2人の元気についていけず疲れるのだが本当に心から楽しかった。
帰京してから私たち夫婦はT君Cちゃんごっこをしていたりする。多分私たちは親の気持ちより子の気持ちに共感できているのだと思う。一方で2人の成長をときどき会う立場で楽しみにしている私たちの心境は祖父母に近いような気もする。ややこしい私たちだ。
徳島から帰ったら4月に受験した2アマ国家試験の結果通知が届いていた。合格である。受験後に得点予想を書いたが正解が公表されていたので改めて自己採点してみたら無線工学で配点1の1問を間違っていて満点125点中119点だった。電波法規は予想通り125点中120点。
この合格を受けて免許を申請した。正確に書くと「第2級アマチュア無線技師従事者免許証」の申請である。総務省のWebから用紙を入手し名前などを記入して写真と昨日買ってきた1750円分の収入印紙を貼り住民票を添付し返信用封筒を同封して簡易書留で今日郵送。
今回の手続きの過程で知ったのだが新規申請に必要な写真は4年前まで2枚だった。電波法規で間違った唯一の問題である。あの問題は4年前の手続変更を周知するためだったのかも知れない。受験前に先走って申請手続を調べておけばよかった。思い出すと今も悔しい。
満点は逃したが合格は合格だ。素直に喜ぼう。さてGWに行って思ったのは仮に神山で開局するならHFしかあり得ないということ。あまりに山深くVHFの電波は徳島市にさえ届かなさそうで。山頂に行けば愛知ぐらいまで飛びそうだが。むしろHFでの遠距離通信に価値を見いだそう。
ガソリン税の暫定税率が3月末で一旦廃止され国会の延長決議を経て5月から復活した。4月の1ヶ月間は暫定という名の実質恒久税が中断したため例外的にガソリンが安かった。さらに世界的に原油価格は高騰しているから4月から5月の価格差は25%に及んだ。
6年前に車を売った私は普段ガソリン税には興味がない。当時も必要だから乗っていたのであって国家政策や市場原理で決まるガソリン価格がいくらなのか気にしたことさえなかったと思う。実際のところ今になって当時の1リットル価格を全く思い出せない。
今回の帰省では4/28から実家の車を使ったわけだが元が満タンだったわけではないので4/29夜に給油した。このとき125円/L。次は淡路島行きで高速を使う前日の5/2に給油した。既に157円/L。母に満タン返しするために帰京する前日の5/7に3度給油した。やはり157円/L。
1円にこだわる人もいるようだが燃費12km/Lで160円/Lと仮定すると12km/160円。つまりガソリン1円分の走行距離は75m。1L当たり1円違ったとして50Lの給油で50円=3.75km分しか得にならない。1円安いGSでも往復4km走ると損をするわけだ。この数字は覚えておこ。
私たちが行ったキャンプ場は管理人がいるわけではなく海水浴場隣接のスペースに勝手にテントを張っている感じだった。もちろん予約などはない。ただトイレや洗い場があってボランティアの人が清掃などをしてくれているようだった。
さてテントの密集具合は鈴鹿8耐のレベルには及ばないが3日午前で新たな設営スペースはほぼなくなっていた。それで端から端まで歩いてみたらテントはどれも大型のもので私のテントは最小サイズだった。なるほどファミリーキャンプはこういうテントを使うのか。
でも昔テントをバイクに載せて移動していた私は収納サイズの小ささも重要なポイントだった。それに風を受けて壊れた経験もあるので背の高い大型のものには抵抗がある。背が低く風雨に強くてさらに収納サイズがコンパクトで軽いのものがやはりいいと思う。
ただ欠点はテントの中で立ち上がれないこと。いずれ年に2回もキャンプに行くようになればテントは寝るだけと割り切って日中を快適に過ごすタープを買おうと思う。風が強まればタープだけ畳んで狭いテントで過ごす夜も野趣があっていいものだと思うわけだ。
テントを撤収してキャンプ場を出た6日午後も淡路島を観光した。まず北に向い北端震災記念公園。ここは95年の阪神淡路大震災のときに現れ国の天然記念物にも指定された野島断層の一部を覆って保存してある震災記念館。被害を受けた民家もそのままの状態で見学できる。
あの大地震によってこの断層は土地の片側が1m近くずり上がり横にも1m弱ずれている。その様子がリアルに分かるし地震に関する様々な情報が展示され震度7を体験できるコーナーもある。当時の映像が繰り返し流されていて見ているうちに涙が出てきた。500円の価値はある。
次に南部のおのころ島神社。イザナギとイザナミが結婚して国造りを行った島とされる山にある神社。南淡路の内陸にある小さな山なのだが縁起書によると古代は大きな入江に浮かぶ島だったらしい。ただ鳥居だけは目立つが霊威があるような神社ではない。
最初に生まれた蛭子(ひるこ)が障害児だからと海に流したのに子育ての神と祀られる伊弉諾神宮もそうだしイザナミは黄泉の国で腐敗するのに健康長寿の神とされるおのころ島神社もそうだし神社とはいい加減なものだ。そういう神社に霊験などないと思うのである。
キャンプ中に風呂は「パルシェ香りの湯」という温泉施設に1度だけ行った。丘の上にあって眺めが良い。温泉以外にも施設があるようで凄い人出だった。3日夜に行ったZさんは洗い場の順番待ちで裸で列に並んだと言っていたが4日午後はそこまで酷くはなかった。
4日は温泉に行く前に少しだけ島内を車で回った。まずキャンプ場近くにあった伊弉諾神宮。淡路から始まり日本国土と八百万の神々を生んだイザナギ尊とイザナミ尊の夫婦を祀る。それでこの神社は縁結びや子育ての神なんだそうだ。
でも本当だろうか。古事記によるとイザナギは死んだイザナミを迎えに黄泉(よみ)の国に行ったとき腐敗した姿のイザナミに追いかけられて辛うじて逃げ帰ったのだ。また夫婦の最初の子「蛭子(ひるこ)」は今風に言えば障害があって海に流したと書かれているのだけど。
さてこの日は馬を見にカントリーメイツ牧場も目指したが迷いに迷って「あわじ花さじき」の渋滞に嫌気して諦めた。それで別の乗馬施設に寄ったら20分5,000円に恐れをなし改めて北端から牧場に行ってみた。結局何もしなかったのだが。この日の淡路観光は今ひとつ。
帰京した。帰りも高松経由。高松14:50発なのだが余裕を取って10:20に実家を出て松茂10:48の高速バスに乗りゆめタウンでリムジンバスに乗り換え12:30に高松空港に着いた。時間があったので空港ビル内を探索したが徳島空港より少し大きい。ソウル直行便もある。
ちなみに預けた手荷物の重さは私のが9.5kgで妻のが7.5kg。別途本や衣類などを送った宅配便が10kgぐらいあったかも知れない。客席に持ち込んだリュックを計らせてもらったら私のも妻のも4kgだった。PCや木酢液のボトルが重い。
羽田から自宅へはバスに乗りターミナルからはタクシー。17:30頃自宅に帰った。12日ぶり。ルーターの電源を抜いていたことを忘れていたり外付けHDを接続したりしてネット接続までに30分。12日ぶりでマウスの感触やPC画面が前と違うような変な感じ。
さて19時を回って隣町の名西酒蔵に行った。徳島で会った神山町長はここの大将に紹介されていたのでそのお礼。もちろんビールを飲んでフィッシュカツやレンコンほか徳島食材も堪能した。店内で私と妻と大将は徳島弁だがGWの神山が遠い昔のようにも思う。
朝は仕事で北島。帰りに高速バスターミナルで土産物を買い鳴門の玉一でうどんを食べた。セルフ店なのに茹でが間に合わないらしく15分待ち。次々来る客に断る奥さんがパニック状態。午後はスーパーで夕食の材料を買い段ボール箱をもらい荷造りしてヤマトに持ち込んで発送。
今日はそのまま島観光。オノゴロ島が鳴門だと仮定しての探索。大毛島の内海経由でスカイラインに乗り脇道に下りる。かつてBPQ氏に教えられ車で走り回った界隈なのに全く道が分からない。そのうち島田島で変な看板を見つけ車を停めたらおじさんに手招きされて話をした。
引退して趣味で炭を作っている人で市販の炭より3倍持つと言っていた。それでついつい木酢液を購入。1,000円。大塚製薬のホテルにも寄ってレストラン。ホテル南海の跡地だが建物は新しく造った様子。鳴門大橋や淡路の眺望は素晴らしい。コーヒーは意外に安くて400円。
次に前日地図で見つけた阿波井神社を探しに島田島を行ったり来たり。今日は地図を持たずに出たので全く分からず地元の人に聞いたら堂浦から船で行くのだとか。渡船場まで行ったが諦めた。それで思い出しNHK「家族に乾杯」で出ていた岡崎の渡船を見て帰った。
夕方キャンプから戻った。行ったのは淡路島。西側中部にある海水浴場で道路との間の芝生スペースにテントを張った。誘ってくれたJ君/Z嬢は場所取りで2日から行っていて私たちは3日8:10に出発。高速道路は代金をケチって鳴門大橋を渡った2区間だけ。9時頃に現地着。
着いたときには幅数十メートル長さ数百メートルある芝生エリアはテントで一杯。J&Z家のお陰で私たちのテントスペースは確保してもらっていたが急いで設営しようと焦りと暑さでびっしょり汗をかいた。急いだ割に初めてのテントで設営まで30分ぐらいかかった。
3日午後にはY氏/M嬢夫妻が到着。2泊して5日朝撤収。4日午後はT氏が来て1泊。5日午後に撤収。私たちは3日9時頃から6日11:30頃まで3泊した。私はキャンプ自体が10年ぶりだが同じ場所で3泊は初めての経験だった。一度落ち着くと撤収が面倒になるし4日間フルに楽しんだ。
天気は3日が30度ぐらいあったが夜は毛布1枚では寒かった。4日は暑く夜も気温が十分あった。5日は少し雨が降り涼しく夜は冷えて毛布を2枚着た妻も寝袋の私も寒くてあまり眠れなかった。今日6日は晴天で風が涼しく過ごしやすかった。しばらくキャンプのネタを続けるつもり。
午後になり今回4度目の神山。昨日母を待たせ寄ったNPO事務所から連絡があり再訪した。そこの理事長といろんな話をして制作中のWebページも見せてもらった。内容はオープンしてのお楽しみだが面白いアイデアに感動した。地方の活気はリーダー次第だということを実感。
大阪から転居してきたご夫婦の家にも連れて行ってくれた。狭く急な坂を上った山の中腹にあって向いの山に数件の民家が見える。ご自分で作ったというログハウス風で白い犬が1匹。裏山に栗の林。素晴らしい。10畳以上あるテラスでお茶を飲んだ。
午前中は鳴門で買い物。明日からキャンプに行くのでその準備。まずはホームセンターに行って980円のイス2脚と銀マット大と小。夜は毛布で済ますつもりだったが1,280円の寝袋も1個だけ購入。続いて100円SHOPで調理用品や軍手などを買った。
飲料用水は近所の巨大なショッピングセンターで。2リットル×6本ケースが498円は安い。カセットコンロや鍋などは実家のものを使う。さてキャンプにPCやPDAを持って行けないわけではないが面倒なので実家に置いていく。そういうわけでこの日記は5日までお休みします。
妻が母を誘って今日は3人で神山。食べ物ガイド本を忘れて取りに帰って10時出発。まずは妻が行ったことがない神山森林公園。私も15年ぶりぐらいだが木が育ち広大だった芝が狭くなった印象。情けないことに山道で付けたヘッドライトを消し忘れ場内放送で呼び出された。
次に神光寺のぼり藤。先日新聞で紹介されていて一昨日通りがかったが今日は境内まで行って観賞した。昼食は12時過ぎに神山温泉横のホテルで。このGWで2度目。裏の公園を散策して道の駅に寄り一昨日の代金を支払った。山菜そばと月見そばで1,130円。これですっきり。
この後雨が降り始め岳人の森では本降り。シャクナゲの開花は一部ということでUターン。神山工芸村でコーヒーを飲み店の人に教えられて帰りに寄ったのが「上分花の隠れ里」。急坂の上に住むご夫婦が道に植えたツツジなどが咲き素晴らしい。車の中から楽しめ雨でも平気。
さらに国道沿いのギャラリーで木製品や和紙を買ったが時間があり文化の森に行った。神山から30分弱。ここにある徳島県立図書館は大学を除く公立図書館の蔵書数で東京大阪横浜に次ぐ4位とか。確かに徳島関係の書籍だけで2万冊近くあり驚いた。夕食はムッシュ藤田で。
<Diary Index Page>
<Top Page>
© 2008 Takashi INAGAKI