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2017年12月

将棋をしたりの大晦日 (12月31日・日)


昨夜は0時前に寝たのに慣れない布団で目が覚めたら1時間眠られず。10時半起床。コーヒーセットを忘れたので車でローソンまでカフェラテを買いに行った。あとは甥にせがまれて隣の空き地でキャッチボール。長男に比べ上手くないのは7年になる彼の人生の1/3を病院で過ごしてきたから仕方ない。

甥の宿題の音読を聞いて午後もカフェラテを買い14時過ぎには買い物に出かけた。妻と母は食材を買い甥と私はマイケル2Fに行ったらそこは本屋。8月に続いてK氏夫妻とばったり。将棋盤1,200円を買ったが1Fに下りるとオセロなどもセットになった980円を見つけて結局後から返品に行ったり。

母が2Fベランダに風よけを付けて欲しいと言うからDAIKIに寄ったがサイズが合わず断念。風よけになるとも思えないので私は良かったと思ったが。夕方は買ってきたゲームで甥と将棋をやってみた。多分45年ぶりぐらい。さすがに勝ったが慣れない頭を使ったからか変に疲れてしまった。

18時過ぎに夕食。義妹が送ってくれたらしい肉で豚しゃぶ。夜は妻と母がお節の準備をしたり年越しそばを作ってくれたり。紅白歌合戦ばかり見て甥は21時半頃に寝に行った。今年は特に後半舞い上がったり落ち込んだりと苦しい日もあったのだが何とか生きてこられた。ありがとうございました。

鳴門に帰省して甥と焼き肉 (12月30日・土)


鳴門の実家にいる。上勝を出たのは15時過ぎ。母からの依頼で勝浦の道の駅でみかんを買おうとしたが全くなく偶然会った前総代K氏夫妻にご挨拶。隣の店で3,500円の10kg箱を買った。GSで給油に続いて洗車も。鳴門まで来てハローズでビールや焼酎を買い実家に着いたのは17時に近かった。

今回も甥1は塾の講習とかで来ておらず小学1年の次男のみ。いきなり抱きついてきたりして楽しい。混む前にと17時半に出て焼き肉へ。5人なので母の車を私が運転して帰りは母の運転。弟と母が並び向かって妻と甥と私。甥とは合間にじゃんけん勝負。確率の話をしたがまだ早かったようだ。

焼き肉屋は気づけば入口には行列。スタッフが足りないのだろう。18時半頃には満席になったか。ビールを注文しても10分かかったりして2時間近くいただろうか。ずっと何組もが並んでいた。実家に戻ってからテレビを見ているうちに寝落ちした私。甥は風呂に入り22時頃に寝に行った。

今回の帰省は2日ぐらい前から準備をしていた。といっても持って行くべきものを思いつくたびにまとめて置いていただけだが。それなのにコーヒーミルと豆を忘れてきた。やれやれ何をやっているのやら。弟と甥は6日ぐらいまでいると言うが4日は消防出初め式があるから3日には上勝に帰る。

『おしりリセットダイエット』 (12月29日・金)


前に腰が痛いと書いた。その折に相撲の股割りのようなことをすると楽になる気がした。前に偶然見たNHK「ためしてガッテン」で腰痛の原因の一つとして股関節の硬さが上げられていて気になっていたのだ。骨盤回りのインナーマッスルと股関節を鍛えれば解消する腰痛があるというのである。

そこでこんな本を買ってみた。中村奈緒子『おしりが変われば全身するっとやせる。おしりリセットダイエット』(主婦の友社)。要は骨盤に特化したヨガの本である。毎日3ポーズを1週間やって4週間分のポーズがプログラムされている。時間が1週間と区切られているので継続する意欲に繋がる。

初めてやったのが12月19日(火)。股関節やお尻と脚の筋肉がストレッチされているのが分かる。そして翌日もやると腰痛は消えていた。続いて金曜と今週の月水木とやったが身体が柔らかくなってくるのが分かる。とりあえず1週目のポーズだけを継続している。

ヨガのポーズでストレッチをしているだけかと思っていたが翌日お尻や脚が筋肉痛だったりする。これまでヨガは避けてきたが腰痛予防やダイエットに役立つなら十分な動機になる。やれる日だけと限定的だが継続していこう。筋トレのような苦しさがなく意外に気持ちいい。

消防年末警戒 (12月28日・木)


消防団の年末警戒を終えた。私は班長なので本当は26日の役員が担当する年末警戒にも参加すべきだったのだが今年は名西高校定期演奏会に行っていたので今日が今年唯一の参加となった。20時集合で消防車に乗ってアナウンスをして回り24時まで消防詰め所で待機する。

待機といっても鍋とビールを飲みながら。消防分団は男所帯なので鍋と言っても料理ができる人は限られていて材料を入れればいいようにできている。その食材を受け取るように総務部長N氏から昨日連絡を受け今日19時半前にT商店に行って来た。一旦詰め所に置いて帰宅。

もう1点N部長から今日連絡があってプロパンガスが切れたから交換するようにと。集合の20時前に行ってガス屋に勤めていたと言うM氏に話してやってもらった。地域の巡回は前総代K氏の運転。商工会長Y氏とお寺Y氏と一緒だが私は団歴が最も浅いためアナウンスは一人で。

今日の面子は他にK分団長とダビンチY氏と私の入団時の分団長O氏とお嬢さんが団員のK氏。21:20頃に戻って私は印鑑を取りに一旦戻り21時半頃から飲んでいた。皆で22時過ぎまでは長いと言っていたが酔ってからは早かった。洗い物もやって24時過ぎに解散。これで今年の仕事は全て終わったかな。

18年ぶりの喜屋武さん (12月27日・水)


本家松浦酒造場の社長が替わったとは既に書いた。徳島新聞12月19日付によると社長交代だけにとどまらず社名とブランドと社員を引き継ぎながらも別会社になったそうだ。旧松浦酒造を買収して新しいオーナーになったのが喜屋武さん。前に書いた通り私にとって心の上司と言っていい人物である。

その喜屋武さんが前の社長であるJ社同期の松浦素子さんと高鉾建設酒販事業部に挨拶に行った帰りに寄ってくれた。彼女は新会社の執行役員で営業を担当すると聞いていた。彼女からFBメッセンジャーで電話があったが気づかず11時過ぎに架け直したら改めて連絡が来た。事務所で10分ほど。

何というか喜屋武さんは相変わらずだった。話し方も雰囲気も何もかも。物腰は柔らかくて暖かい表情で。だけど仕事では丁寧だけどストレートに意見を通してくるんだろう。思い返せば仕事のできる人の典型的な人物だったかも知れない。意見は通すが表向きはいつも柔和で友好的なのだ。

徳島新聞の報道によると10億円規模の有利子負債があり売上4億円と。素子前社長も大変だったことだろう。同期の販売推進部I嬢が前から関わっていたがJ社の数百万ユーザーのデータベースを管理していた後輩で友人のM嬢も加わったらしい。それぞれの変遷を経て人生は面白いと思う次第。

名西高校定期演奏会 (12月26日・火)


16時過ぎに着いたS神歯科の治療を終え車を置いたまま銀行で記帳し東新町ハラダで時計を見て17時半前あわぎんホール。開場前50人以上が並んでいた。裏口から楽屋に入ると開演前に舞台衣装を着た女子高生たちが来て発声練習。それを見てから用意された弁当を食べ着替えて声出し10分ほど。

19時前に舞台袖。上手から入り演奏自体は気持ちよく楽しく歌った。会場は客がばらけて座っているから多く見えたが3部の入りか。楽屋から出るときと戻ったときにJ社の同僚で社長秘書だったK川A子がいて挨拶。2ステが琴の演奏でK川が学校で教えているらしい。凄いな。前に会ったのは2年前4年前

演奏を終えて会場は休憩。急ぎ着替えて客席に行った。せっかくだから最後まで聴こうと思ったのだ。後半はオーケストラ部による吹奏楽と管弦楽。オーケストラ演奏を生で聴いたのは出演者だった第九を除けば1984年か1985年12月の同志社大学交響楽団の定期演奏会に行って以来かも知れない。

各楽器に1人か2人のOBやOGがいるが技術も演奏も素晴らしかった。アンコールで何人かが楽器を置いて立ち上がったと思ったら彼女らが合唱。オケ伴奏での美しい女声合唱に私は泣いていた。こんな経験は6年前に京都で不来方高校の演奏を聴いて以来だ。素晴らしい演奏会で本当に感動した。

ハンガーラックと寝室の模様替え (12月25日・月)


年末になると片付けをしたくなるのは一種の日本文化だろうか。アマゾンで買ったハンガーラックが届いたので夕方から組み立てた。今あるハンガーラックに収まりきらない服だったり床やローボードの上に畳んで積んでいるジーンズを吊そうと考えたのだ。前後2段で高さも幅も調節できる2,900円。

私の寝室に置くのだが意外に幅があって目論んだ置き場所では今ひとつ。下着類を入れているローボードの引き出しと干渉しても都合が悪い。下着を入れた引き出しが最も使用頻度が高いはずで使い勝手も考えて結局ベッドを除いて全ての置き場所を入れ替えることにした。

ローボードの上に置いた縦長の鏡に向かうと今までは部屋の電灯を背に受けて実は具合が悪かった。でも新しい配置にすると部屋の電灯を横から受けるしベッドサイドのミニライトで正面から照らすこともできる。このレイアウトは意外に都合がいいかも知れない。

ただし前からあるハンガーラックを含めて服をどう並べるか考えようとしたもののジーンズを吊るすために買ったハンガークリップが足りず今日は掃除と段ボールなどを片付けたところまで。それより10年も着ていない古いスーツが何着もあってこれら不要な服の処分も考えないといけない。

コートの購入 (12月24日・日)


昨日ダウンコートを買ったのだが今日もそごうで春秋用に使えると見込んで別のコートを買った。徳島にいると車で移動するからコートは着なくなっていたのだが先日の飲み会で街に車を駐められずS神歯科から10分弱歩く羽目になったとき寒すぎたのだ。これが直接の動機になった。

甥っ子と初日の出を見に行ったりするときも多分17年前に買ったはずの安いジャンパーとマフラーだけでは寒すぎる。そんなときにダウンコート。一方で「響」の練習会場に車を置いて銀行振込や夕食のため駅前まで歩くときも真冬はマフラーだけでは寒くてこの対策もあり。

最初はウールのものを探していたが値段が高いし脱ぐと荷物になるので今年はとりあえず見送った。途中からダウンを探し始めその過程で別種のものも発見してあれこれ見比べていたのだった。昨日8割方買う気になったものがあったのだが別のブランドによく似たものを見つけてしまい。

今日行くと年明け価格で3割引きと言われ決めてしまった。昨日買う気だったブランドの2/3になったので別途半額になったジャケットも購入。25年ぶりの新調だしクリスマスだから自分を許す。そんなクリスマスイブもおじさんには関係ないと今夜も「響」の練習。私らにはただの普通の日曜日。

名西高校での合同練習 (12月23日・土)


霜で真っ白だった車を暖め8:39に出発。26日の定期演奏会に向けた1度きりの合同練習で石井の名西高校なのである。5年半前に来たとき音楽室は左の棟だと学習したのだが男子高校生が迎えに来てくれていて正面棟の会議室に案内された。9:50集合で5分前に着いたが既に歌が聞こえてくる。

バラバラと集まってきた「響」のメンバーは13人。それにさっき迎えてくれた男子1人がベースに入り男声14人。女性は3列で30人弱いた。最前列アルトの右端の子の横顔がとてもきれいでソプラノ2番目にいた部長と思われる子の目を開け頬を上げた歌い顔がまた素晴らしい。

指揮は県合唱連盟理事長にして高校の4つ先輩で当時から知っているN氏。歌はさすが音楽科の子たちが中心であって透き通った無垢な声の美しさ。特に5曲目「Agnus Dei」のソプラノとアルトの掛け合いには油断をすると泣きそうになる。そんな女子高生との合唱を楽しんでつい頑張って声を出した。

12時に終え誘われて大学生3人と団長お奨めのセルフうどん「ふじい」。回転は早いが常時20人が行列。量が多くて団長の言う通り小にしておいてよかった。そこから徳島に戻りアミコの駐車場に駐め3度のそごう。とりあえず前回目を付けたダウンコートだけ買ったが今日もいろいろ物色して。

演奏会予定と歯の治療と妻のデート (12月21日・木)


「響」の本番が年をまたいで2つある。1つ目は26日(火)の名西高校定期演奏会での友情出演。2年前我が定演でやったJAZZ版ミサ曲を演奏する。2つ目は年明け14日のアンサンブルコンテスト。今までは2月だったのに県をあげての第九演奏会に配慮してということらしい。そんなわけで今日も練習。

その前にS神歯科。通い始めて2年である。左下奥から2本目の歯が1年前に抜け今はその奥の親知らずの延命措置。10月頃は直りそうだと思っていたのに今は数ヶ月後に抜けるのではないかという状況。S神歯科は本来木曜が休診だが今週は土曜が祝日だから今日も診察していたが他に患者はおらず。

S神歯科に行く前に大野橋のお店でジーンズとシャツを購入。S神歯科は17時半の予約だったが17時前に行ったもので時間が余り「響」練習前に先日に続きそごうにも寄った。今日はダウンコートを中心に見て回った。あれこれ試着だけして何も買わずに今日も撤退。夕食は駅前で毎度のCOCO壱番屋。

さて妻は今夜デートである。相手は仮に私がいなくて若ければ結婚したと広言しているT君。は私が邪魔したので今日は2人だけで街に飲みに。もちろん妻は私の家族だが彼氏ができれば妻も楽しいと思う。妻に倣って私もすっかりポリアモリーなのである。2人がそういう関係かどうかは知らないが。

スバルのリコールで5万円 (12月20日・水)


スバルが製造した車の完成検査を無資格者が行っていたとして調査結果を昨日発表した。この外部調査を詳しくは見ていないがスバル自身が最初に公表したニュースリリースには目を通した。100人以上いる検査員に4人の無資格者が参加しているというものだった。スバルは30万台だかをリコール。

完成検査は車検と同等でリコールの対象は未車検の車だ。ただし担当営業氏が報道直後に連絡してきた話によるとリコールに期限はないらしい。そして12ヶ月点検などに合わせて行えばスバルがユーザーに5万円を支給すると言う。でも12ヶ月点検を終えたばかりだった私は対象外だと思っていた。

ところが先日のタイヤ交換のときに話をするとリコール検査を24ヶ月点検に合わせれば5万円を支給すると言う。何と私も対象だった。喜んでリコールを来年にすることにした。そもそも今回の不正問題は時代遅れの法律によるものであって問題はメーカーではなく国交省にあると思っている。

形式的には違法なので今回のリコールは仕方がないのだがバカな話だと思う。有資格者というのもメーカー独自の資格だと聞くと謝罪会見さえ茶番に見える。そんな意見は飲み込んで来年9月に24ヶ月点検を受けただけで5万円がもらえるというラッキーな状況にただただ感謝しておくことにする。

パンダのぬいぐるみ (12月19日・火)


東京の上野動物園で6月に生まれたパンダのシャンシャンの一般公開が始まったと今日はそのニュースばかり。1日あたり400組限定で抽選で選ばれた人だけが見物できるのだとか。このニュース自体に興味はないのだが日本に初めてパンダが来た頃の思い出を書き残しておこうと思う。

当時の田中角栄首相の中国訪問によってなされた日中国交正常化を記念して贈られたパンダ2頭が巻き起こした騒ぎは今回どころではなかったと思う。カンカンとランラン。調べてみると1972年10月らしい。私は9歳。小学校3年生だ。よく覚えているのは家にあったパンダのぬいぐるみのこと。

高さ20cmほどの小さなパンダのぬいぐるみが2つあった。小学校の家庭科で縫い物の実習として私が作ったような気もするのだが小学校3年や4年でそれはないだろう。母が手芸店に行って買って来たものに綿を詰めて縫ったのかも知れない。母が作ったはずだが私も少しは手伝ったのか。

このぬいぐるみは父の車の後部座席後ろに置いていた。家族で祖谷のかずら橋に初めて父の運転で行ったとき道路工事で何十分も待たされた。そのとき後続車の20歳代だろう女性3人か4人組がどこで買ったのかと訊いてきたような。注目を浴びたパンダが恥ずかしかったような気分だけが残っている。

※昔のアルバムのデジタル化過程で祖谷のかずら橋に行ったのは1972(昭和47)年11月5日のことと分かりました。私は小学3年生でした。(2020年6月19日追記)

持ち歩くものを減らせないものか (12月18日・月)


バッグを選ぶとき普段の物が入るかどうかが第一の基準だと思っていたのだが昨日そごうで物色していたからだろう今朝方の夢の中でふと思いついた。そもそも物の方が不要なのではないかと。持ち歩くべきものは携帯電話とiPhoneと財布だけで十分なのに今や諸々その他のものが多すぎるのだ。

例えば手帳。会社口座の振込額を毎月書いて銀行に行くのだが代用手段はいくらでもある。その他のメモに使うのは年に1回程度。名刺入れも年に1度使うかどうか。ミニ三脚は5年間で1度も使っていないはず。360度カメラも使ったのは最初だけ。ほかにティッシュにペンにサングラス。

問題は財布だ。あらゆるカード類が入っている。東京の店のものまである。考えてみればキャッシュカードも不要。会社から現金を受け取るから預け入れには使うがATMで引き出したのは10年間で1度ぐらいしかない。今やコンビニでもクレジットカードで支払っているので現金もあまりいらない。

財布が薄くなれば上着の内ポケットにも入るだろう。iPhoneと携帯電話ならどうにかなる。その代わり出かける用件別に持ち出し物セットを作っておく必要がある。それだと持ち出すことを忘れるから結局いろいろ持ち歩いていた方が確実というジレンマ。堂々巡りで結局は今のままという結論か。

第九練習からコート物色と妻の帰宅 (12月17日・日)


昨日まで3日間ビール抜きで夜は寝付けず眠りが浅い。深夜に何度も目が覚め眠れぬまま今日は朝10時に起き出し11時過ぎに出かけた。第九演奏会の練習なのだ。会場のアスティに着くと中学の同級生で城ノ内中学の教頭F本が生徒を並ばせている。J/Z家のCちゃんがいるはずとF本と話ながら探したが。

人が多くて分からなかったのだが会場に入ってきたときに見つけて声を掛けた。休憩のときにも会った。県教委でこのイベントを担当している我が団長とも話したし高校の先輩で合唱連盟理事長N氏や元メンバーS氏とも挨拶。2月から復帰するというM木氏とも駐車場に歩きながら雑談少し。

練習終わりが15時半。次の「響」の練習は18時から。とりあえず車を練習会場に置いてそごうをぶらぶら。25年前のものしか持っていないから買い換えようかとコートを見て回ったがあまり種類がなく今ひとつ。バッグも見て少し心を動かされたが東京で買ったばかりなので今日は自重した。

「響」の練習が20時半に終わり応神の東大でラーメンと餃子を食べ取って返して徳島駅。迎えの車で大混雑で一旦S神歯科に待避した後そごう前に路駐して大阪からバスで帰ってきた妻と合流した。22時半頃に帰宅。今日はビールと焼酎も解禁したら今度は元気になってしまい寝られない。

新旧の石油ファンヒーター (12月16日・土)


事務所の石油ファンヒーターを買い換えた。今まで使っていたものは上勝に引っ越した朝に鳴門の実家から車で田宮のヤマダ電器に寄り買ったもの。コロナFH-iX578BYという型番だった。エラーが出て何度か修理に出し昨年もヤマダ電器に持ち込んだばかり。今回もE4というエラーで運転が終わる。

エラーが出ない日もある。出るときは1時間おきに2回だったり最大5回ぐらいの日もあった。音も鳴るが気づかないと運転が終わっていて寒くなっていたりする。2008年12月23日に買ったから平均15時間/日×5ヶ月/年×9年間使っていたことになる。上勝の寒い冬に十分働いてくれた。

新しく買ったのは同じコロナのFH-WZ5717BYという機種。ヨドバシでコンクリート室内20畳対応という最も強力そうなものを選んだ。9年前に比べて機能は増えたようだがどうでもいい。壊れなければいいのだが酷使していれば修理に出すこともまた起こりえるとは覚悟はしている。

とりあえず灯油を入れ試運転。古い方にも少し灯油を足した。これがなくなればお役御免になると思う。実家にでも持ち込むかと考えたが今日だけでE4エラーが5回。処分するしかないか。ゴミステーションに持ち込んで相談してみることにする。9年間の毎冬5ヶ月間ありがとう。

冬タイヤ装着とPCメンテ (12月15日・金)


11時半目標だったのだがタイヤを積み込むのに時間がかかり11:50頃に出た。こはくの天使で昼食とコーヒー豆を買ってフォレスターのタイヤをスタッドレスに交換するためスバル阿南店に13時半。ホイールロックセットが車にないと言われた。とりあえず今日の交換はできたのだが。

タイヤ交換は14時半に終わり1件の振込のため徳島のみずほ銀行へ。日中なのに渋滞続きで駅前まで40分もかかった。その前に三菱東京UFJ銀行で150万円を引き出し上勝まで戻りゆうちょ銀行に入金。来週納入する予定の消費税や法人税の原資にする。17時前に駆け込みで灯油を購入。75L。

スバルにいるとき地元の町議H氏からPCがネットに繋がらなくなったという電話を受けた。夕食に呑口でラーメンを食べた後に訪問。ルーターとハブと無線LAN APの電源再投入でも接続できずPCの無線LAN設定を見ると切断されている。接続を実行してSSIDのKEYを入力したらあっさり接続。

難しい話ではなくよかった。一方で帰宅後K氏からキーボードを使わないから外しておいていいかという電話。そんなこと考えたことがないし聞いたこともないが大丈夫なんだろうか。PCの使い方は人それぞれだと思い知る。一人暮らしの週末だが今日もビール抜き。それより腰が痛い。

飲み過ぎた昨夜 (12月14日・木)


昨日は事前に書いていたものをアップしたが実は日記を書くような状態ではなかった。また酔っぱらっていたのである。歩けないほどに。消防分団の役員会後に飲んで解散したのが24時半頃。さらに私の事務所に移って分団長とT氏と3人で飲んでいた。解散したのは3時半前だったはず。

役員会の議題は26日から30日の年末特別警戒と1月4日の消防出初め式のこと。飲み始めてからの話題は4年務めたK分団長が3月で退任した後の役員人事の話やら。22時を回り徐々に人が減り事務所に来てからの話題は覚えていない。脚がふらつき私はひっくり返ってばかりだったのは覚えているが。

昨日は11時過ぎに出てゴミステーションを経由してモスバーガーで昼食後に妻を空港に送ってきた。そのまま鳴門まで行って散髪。実家に寄ったが母は不在。徳島に戻りS神歯科に車を駐め三菱とみずほから振込を合計6件。歯医者までまだ時間があったので隣にあった池田で腕時計を見て。

今日は昨夜飲み過ぎたから勝浦のみやこ屋でうどん。午後から夜は経理の仕事。税理士さんから弥生会計のデータが特急モードで戻ってきたのが先週金曜。決算書類が届いたのが昨日。会社の経理も通常業務に戻ったところ。日曜までは1人ぐらしなのだが今日はさすがにビールを抜いて夜もコーヒー。

合唱コンクール全国大会雑感 (12月13日・水)


東京で合唱コンクール全国大会の室内合唱部の部を聴いて感じたことを記録しておく。合唱そのものの技術はさておき舞台をどう活かすかという観点は必要だと思った。会場に声を届けようとステージ前の方で歌うより今回の東京芸術劇場は奥で歌った方がより響いていたような気がする。

最初に歌った広島の室内合唱団“零”が全く響いておらず私は1F席ど真ん中を取ったことを少し後悔した。もっと後ろの方で聴くべきだったと。でも他の団体では十分に響いていたのは団体の演奏技術の問題だったかも知れない。それでも広く奥まで使い半円状で歌った団体の響きがとてもよかった。

パイプオルガンもあるこのホールは日本の曲より西洋の宗教曲の方が合っていたように思う。そういう意味で選曲もとても大事だと感じた。その上で1曲が長すぎると飽きる。自由曲を2曲にするなど工夫も必要だと思う。だからと言って曲想の違う自由曲を組み合わせるのもどうだろうか。

京都のアンサンブルVineは自由曲が3曲あって立ち位置も曲の感じも違ったし3曲目は動きまであった。何でも歌えると誇示するような選曲は面白くもあったし私は総合力で1位だと思ったもののやり過ぎの感。とにかくホールの性格を理解し選曲と立ち位置。意外にこれが重要だと思った次第。

JALからヨドバシに決済カードの切り替え (12月12日・火)


ヨドバシカメラのクレジットカードGOLD POINT CARD+の利用明細についてメールが来たのでWebで確認してみたところ12月27日に引き落とされる利用額を見てびっくり。買い物が過ぎるとは書いたがまさかの金額。明細を見ると友人K氏用のPCなども含まれていてそれを除けばだいぶ減ったのだが。

ちなみに11月27日引き落とし分は今月の3割弱。でもヨドバシでの買い物はもちろんアマゾンで買う本やCDさらにデパートからコンビニに至るまであらゆる買い物とCOCO壱番屋はじめ飲食代とか会社の備品など使えるときには全てヨドバシのカードで支払っているので内容を見ると全て納得はした。

上勝に移住以来JALカードを主にしていたが無料航空券が必要なら妻のマイレージを使えばよく最近はヨドバシをメインにしていた。そう書いたが今回まだ中途半端だと気づいた。マイクロソフトOffice365や東京のネットプロバイダIIJやNTTドコモなど月3万円分の支払いがJALカードのままだった。

そこで決済カードを全て切り替えている。放置状態で11月に年会費を引き落とされたJALショッピングマイル会員は電話で解約することにし年3,900円のヨドバシプレミアム会員に加入。ヨドバシで12月中に30万円買うと通常の11%に加えボーナスポイント1万が付くというし。いや無駄遣いは控えるが。

1Qの紺屋町での宴会に合流 (12月11日・月)


土曜は徳大リークラ定期演奏会を終えて紺屋町。仲間たちは上勝出身の有美ちゃんのバー・グラスホッパーにいるというので20:20頃に合流した。18時から飲んでいる皆とシラフの私。とても追いつけないままビール3杯飲んで仕事帰りのS氏が遅れて来たところで皆はカラオケに行くという。

2軒目がカラオケならパスするつもりだったが合流した後なので付いていった。いきなりY氏があのねのね「つくばねの唄」を歌い爆笑。入口近くの妻の隣に座っていたらT氏が席替えだと言い出したり。私は平井堅「ノンフィクション」を歌ってみた。原曲よりキーが低く調子が狂う。

2時間で出てシラフのS氏の車で3人が帰り残り4人でN氏お奨めの富田町のバー・ランボオへ。ここで妻がT氏に絡み始めN氏も参戦して毎度の口論。続いて紺屋町のラーメンに行ったが直前に妻が怒り出し1人で金比羅タクシーに行ったらしい。何に怒ったのか誰も分からず翌朝の本人も覚えておらず。

N氏T氏とさらに屋台でビールを飲み代行を呼んでもらいT氏は1人で街に消えN氏と2人で街を出たのは2時半過ぎか。妻は1時間半待ちの金比羅タクシーを諦め車まで行ったようだが代行を待ちきれず駅前からタクシーに乗ったらしい。3時半前に帰り寝たのは4時。午後も使い物にならなかった日曜日。

徳島大学リーダークライス定期演奏会 (12月10日・日)


土曜は秋祭りの農村舞台や出店などをやっていた1Q(いっきゅう)委員の飲み会があった。私は誘われてはいたが委員ではないため参加を逡巡していたところ徳島大学の混声合唱団リーダークライスの定期演奏会があってそちらに行くことにした。1Qの飲み会には遅れて2軒目から参加。

15時半頃に出て我々の定演会場でもあった田宮の教育会館。そもそもリーダークライスの定演に行こうと思ったのは例年観客が極端に少ないと指揮者S神から聞いたからだ。「響」で歌う学生君もいるのに客が少ないのでは気の毒かと思い今年初めて行ってみた。「響」の仲間は4人。17時開演。

3ステから来た我が団長に聞くとホールの収容人数は800人らしいが客は50人にも満たない。演奏は大学歌に続いてコンクール演奏曲が第1ステージ。意外と言っては失礼だが上手い。男の数が多くアルトが若干弱いとは思ったがどの曲もしっかり歌い込んで曲作りをやってきたことが分かる。

3ステは劇仕立て。4ステは途中から寝てしまったが心地よかった。ロビーコールを少し聴いて団長を乗せ田宮街道。1Qの皆はリトルコーリアに行っているから私はハワイという店でステーキ。団長をヤマダ電器で下ろし街に行ったが駐車場が満杯でS神歯科に置かせてもらい歩いて20:20頃に紺屋町。

音楽の感動の源泉は高周波音にある (12月8日・金)


芸能山城組の山城祥二こと大橋力氏の日経新聞「人間発見」の記事には興味深いことが書かれていた。「輪廻交響曲」を制作してLPと誕生間もなかったCDで聞き比べるとCDは「お酒だと思って口にしたらアルコールが入っていなかったみたい」というのである。原因は高周波成分のあるなしだ。

CDは音をデジタル化するため44.1kHzでサンプリングしている。表現できる音は22.05kHzが上限。人間の可聴域と言われる20kHzをクリアしているに過ぎない。CDでは約22kHzより高い音域の音は全てカットされている。MP3やwmaなどネットで使われる音形式の再現できる音域はもっと狭い。

大橋力氏はバリ島のガムランによって高周波成分を含む音を聴くとアルファ波が強く出ると1991年に米国音響学会で発表したらしい。さらに喜びなど情感をもたらす神経物質ドーパミンやエンドルフィンが高周波を含む音を聴くことで分泌されることが後に科学的に確認されたという。

このことは仮説として前に書いたことがあると調べてみると2000年だ。それを元に2003年にも書いていた。それは仮説ではなく既に実証されていたのだ。詳しく知ろうと『ハイパーソニック・エフェクト』と『音と文明―音の環境学ことはじめ ―』の2冊をアマゾンで注文。合計12,000円。

芸能山城組 (12月7日・木)


電波新聞社の記者で「マイコンBASICマガジン」の編集長でもあった大橋太郎さんが日経新聞「人間発見」に大橋力氏の記事が掲載されているとFacebookに書いていた。おじさんに当たるらしい。読み飛ばしていたが改めて見てみると大橋力氏は山城祥二氏の本名だと書かれている。

山城祥二氏は「芸能山城組」の創設者だ。地声合唱団と呼ばれていたがジャンル分けが難しい。劇団かも知れない。初めて知ったのは高校2年か3年の音楽の授業。川人先生が聴かせてくれた。バリ島のケチャをモチーフにしたアルバムだった。時間を置かずそのLPを買いに行った。「恐山」だ。

高校時代の私はピンク・フロイドとビートルズに次ぐほど聴いたかも知れない。1980年代の京都大学には関西山城組と称する団体があった。百万遍の交差点を通るたびに公演告知の立て看板を見かけた。未来都市を舞台にしたアニメ映画「AKIRA」の主題曲も芸能山城組による演奏だ。

会社に入って「輪廻(りんね)交響楽」のCDを買って深夜のドライブでよく聴いた。お経や具象音が混じりこれもプログレッシブ・ロックだったと思っている。妻の留守中にCDを聴いて再び感動している。一方「恐山」はLPでしか持っていない。改めて聴き直したいと思い中古CDをアマゾンで注文したところ。

柏木元教育長と再会 (12月6日・水)


上勝町の教育長だった柏木さんが退職されたのは3年ほど前だった。テニス大会にも参加していて私は3日前のテニスは忘れているのに当時のことはまだ覚えている。それは何と2012年5月。会えば立ち話をしていた。最初は通っている歯医者のS神から私のことを聞いて声を掛けてくれたのだと思う。

退職されたとき特に挨拶をしないままだったことが少し気がかりだった。ところが今日そのS神歯科の待合室で再会した。今日も洋服の青山で買い物をしてから会計は後回しにして行った歯医者は込んでいて待っていたら柏木さんが来られた。10分近く話をしていたと思う。

何度か「響」の演奏会にも来ていただいた。そんな話題の中で姪の息子が団員だと言う。誰かと聞けば東京電力に就職したと。N濱君のことか。ということは姪というのは柏木M代さんではないか。高校合唱部の同級生だ。2009年の合唱祭で再会して息子が我が団で歌っていると聞かされ驚いたときの。

話から推測すると柏木教育長はM代さんの父上の弟に当たると思われる。応神中学で彼女を教えたこともあるらしい。最初は身内ということで彼女の名前を呼ぶことができなかったというエピソードも。徳島は人脈のレイヤーが一層しかないとは私の説だがその一例がここにも。

会計データ (12月5日・火)


2017年10月期の弥生会計のデータを税理士さんにメールで送ったのが昨日。10月中にだいたいは見直したがミスはまだいくつかあるかも知れない。秋祭り以降気力が低下していて最後は何のチェックもせずに送った。問題があれば質問が来ると思うのであとは税理士さんに任せよう。

税金は国税と県税と町税がある。それぞれ徳島税務署と徳島県税務事務所と上勝町税務課から納付書が送られてくる。はずなのに昨日データを送った段階で税務署からの納付書がない。無くしたと思い込みさんざん探したが見つからない。それで今週いっぱい待とうと税理士さんから言われていたら。

今日になって届いた。3つの納付書を郵送。最終決算は12月中旬にまとまると思うが私が整理したところ売上は前期比-1.26%と大健闘だった。10月末段階で-1.5%と書いたが若干の上乗せがあった。経常利益は今のところ-36.5%。減益だがそれでも上勝でなら1人を十分雇えるだけの額がある。

弥生会計のデータを送ってしまったので税理士さんの作業が終わるまで今期の経理業務はお休みだ。ちなみに今期11月の売上は昨年11月の1割増し。本気で人を雇うべきかという話を妻と昨夜したところ。昨年もそんな話をしていたのに1年経って振り出しに戻る。さてどう考えたらいいものか。

こんな日 (12月4日・月)


昨年9月に書いた3回連続の原稿があってアップしようと準備したけど止めた。固有名詞が入りすぎていた。時間が経ったし差し障りはもうないと思うがまだ少しリアリティを感じてしまう。となると今日は書くネタがない。夜は録画していたTBSのドラマ「陸王」を4回分続けて見た。それだけ。

仕事もしたし妻とも話をしたし諸々のことがあったがいろんなことに疲れた。今年は何だかそんなことが多い。それも生きている一つの証拠だと思うことにする。そんなわけで今日も一日を楽しく元気に生きられたことに感謝して。26時過ぎに就寝予定。こんな日もあるさ。こんな日ばっかりだ。

テニス大会 (12月3日・日)


本当は10月に開かれるはずだったテニス大会に行って来た。10月は衆議院選挙の投票日で役場職員が出られないから優勝も夢ではないなどと言う人もいたが台風接近で中止になって今日に延期されたのだ。11時頃に起き出して昼食をとり準備を急いでコートに着いたのは始まりの13時の10分前。

昨年の大会から結局一度もラケットを握ってなかった妻と私。ケガをしないよう無理しないことを確認して開会式に続いて試合。参加者は少ないと想像していたのに8チームがいて4チームずつ2つのブロックに分けられて総当たり。決勝はブロック1位同士で戦う。

予選は1試合4ゲームのみ。太陽が出ていると暖かかったが曇ると寒い。最初のゲームでは途中Tシャツだけになったが最後に見ていたときはジャンパーにマフラーもしていた。肝心の試合展開がどうだったか既に全て忘れたが写真に撮っていた対戦表を見直すと1勝2敗でBブロック3位だった。

帰宅後シャワーを浴び対戦表を地元サークルのFBグループにアップしてから「響」の練習へ。いつもより15分早く終わって帰りにかつやで夕食。ある問題について妻にメッセージを送って帰宅後に口頭で意見を聞く。何もしないことにした。ビールは飲んでいるが疲れて眠くて仕方がない。

酔って記憶がない (12月2日・土)


昨日は月に1度の消防点検。8人いたが4人が帰り残りのメンバーで飲み始めた。N部長といつものS班長に役場3年生のT君と私。秋祭りに向けた準備でよく話をしていた面子だった。本団役員懇親会を終えた分団長が20時半頃に合流して22時半頃まで。そこからT君が事務所に来て妻と3人で芋焼酎。

そんなわけで昨日は日記を書くことができなかった。今日午後にコンポストに歩きながら消防団で聞いてきた話題を妻に話すと既に昨日のうちにしゃべっていたらしい。帰宅して途中からの記憶がない。こんな話をT君としたと妻が言う内容を私は全く覚えていない。あぁまたやってしまった。

それでも昨夜の私は会話に加わって普段通りの話をしているのである。特に変なことを言ったわけでもないらしい。酔って記憶がない場合でも私なりに自分らしいことを話している。とすれば酔ったときの言動は自分の普段の考え以外のものにはならないのではないかという最近の問題意識。

酔ったときの言動など信用できるはずがない。と先日会ったニシノは指摘した。でも酔った勢いで普段はしない言動を思い切ってしたときは前後の記憶がなくても覚えているのではないのか。そんな経験もあるのだが時と場所と人に依るか。ニシノの指摘が正しいだろうと受け入れてはいるのだが。

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© 2017 Takashi INAGAKI