2016年8月

家庭と恋愛 (8月31日・水)


失恋気分の昨夜は飲み過ぎた。一緒に飲んだ妻も飲み過ぎ今日は先日失念していた日赤・名護可容先生のMRI検査だったのに昼食も食べずに出かけていった。ともかく私は金曜から12日間も一人暮らしだ。ラーメン呑口と黒猫キッチンとスーパー杉屋のお総菜のローテーションがまた始まる。

私は食べ物にこだわりはないし今までは平気だったのに1年半もの間に断続的にこうした生活が続いたからか来週の食生活を想像して気が滅入っている。そこでキュートな女性と飲みに行こうと画策して昨夜はあの子はどうだろうなどと盛り上がったのだった。ただし話相手は妻である。

一緒に暮らし始めて16年以上。当初は喧嘩になるからお互いの仕事に口出しはしないようにしていたのに今や妻の事業のパートナーでもある。仕事仲間と家庭が一体化したような関係。別居したり離婚を考えたこともあったが最近は1年以上も喧嘩がない。関係が落ち着いてしまった。

そうであるなら家庭と恋愛は別にしてもいいんじゃないか。と私ではなく妻が言う。余命15年と考えれば家庭にこだわるのも固定観念に過ぎないのだろうか。とりあえず来週は似た仕事の友人2人を引き合わせるため街に行くことにした。キュートな女性ではなくオッサン2人なのが悲しい。

東北の台風と納車とムーブの下取り (8月30日・火)


伊豆諸島のあたりで発生した台風が沖縄近辺に行き勢力を強めた後Uターンして関東の東海上を北上し珍しくも東北岩手に太平洋側から上陸。上勝は台風一過の爽やかな気候である。昨夜からエアコンを止め窓を開けているが日中の湿度36%。このまま秋になりそうな気配だ。

夕方歯医者に行ってからスバル阿南店。納車は9月になると聞いたが我が社の決算の都合上8月中の方が都合がいい。そこで妻が別途ムーブに乗って阿南店に行き今日付で納車してもらった。今日から業務での使用を始めたわけである。ただしオプション品の取付があるので車はまた店に。

当初の契約では下取りを外していたが結局ムーブは売却した。さらに欠品のドライブレコーダーをオプション品から外したので注文書を作り直すことになった。万の単位で数字を揃えると言って寄越した数字だと値引き額が減ってしまうので生の数字にしてもらった。残金157,865円を支払い。

手続きを終えムーブと別れて妻と阿南市街。「安佳里寿し」という店へ。まずまずと言うべきか。私はノンアルコールビールにして車で早々に帰宅。さて妻が長期出張の来週中ここぞとばかりに飲みに行こうと画策したのに意中の彼女に断られヤケ酒気味のビール2本と焼酎8杯目だかの酔っ払い。

Team J-GRADとTak-In Rally 3 (8月29日・月)


T原君と私で始めたTak-In Rallyは同期のI瀬君が始めたジムカーナとともに後に創設したクラブ主催という形にした。クラブ名はTeam J-GRAD。ジムカーナ・ラリー・ドライブの頭文字だ。仕事で付き合いのあったBデザインさんと東洋紙業さんがタダでステッカーを作ってくれた

ラリーには競技者としても参加した。最初は同期入社で一太郎開発チームにいたM田君がオフィシャルを担当した神山コース。でもコマ地図で交差点の右折指示があってたった50mでチェックポイントを設けていたコースは速度修正ができないと猛烈に抗議した。ちょっと熱くなりすぎた。

先日M田君とも盛り上がったが一番面白かったのは高速のサービスエリアをゴールにしたコースだ。事前に小銭を用意しておくようにと指示があり意図が分からなかったのだがコマ地図に従い走ると高速入口。これだったのかと驚いた。できたばかりの徳島道上板SAあたりだったと思う。

あれは誰が作ったコースだったのだろう。ほかには部下のM川嬢と友人が参加したラリーの後部座席に乗った記憶もある。1996年頃か。ラリーに不慣れで苦労していたのをイライラして見ていた。沖浜から国道を南に行ったが記憶はそこまで。思い返せば楽しく遊んでいたのだなと感慨深い。

Tak-In Rally 2 (8月28日・日)


J社社員だけで始めたTak-In Rallyの第1回は私とT原氏の2人がオフィシャルをしたと思う。私が作ったコースは勝浦から持井橋を渡って加茂谷が第1チェックポイント。ここで専務室の鶴田さんが乗るインテグラのテールランプを見てシルビアと間違いT原氏に教えられた記憶が残っている。

このときは鷲敷から阿南を通って帰ってくるルートだったと思うが他のことは忘れた。私が作ったルートでは国道192号から川島で南に入り美郷に抜けカートランドがある旧美郷村内の山道を走らせるコースもあったはずだ。でもコマ地図作りに通っていたことをおぼろげに覚えているだけ。

販推にいたK橋君とオフィシャルをしたこともある。彼が松茂あたりのコースを作り私は後半の鳴門ルート。彼が作った松茂ルートの下見で一緒に行ったシーンは覚えている。K橋君とのラリーコース作りがあるからと夜何度も外出していた当時結婚していたから多分1993年秋だと思う。

先日のM田君に言われて思い出したがこのときのゴールは鳴門の妙見山の駐車場だった。有料の鳴門スカイラインに鳴門公園側から無料時間に入って島に下りて走らせたと思う。これもBPQことI氏に教えてもらった道がベースになっている。コマ地図が残っていないのが残念だ。

Tak-In Rally (8月27日・土)


昨日来たM田君とTak-In Rallyの話になった。ラリーというのは交差点での方向と目印からの指示速度だけを記したコマ地図を頼りに走行する自動車競技である。オフィシャルがいくつかあるチェックポイントで待ち構えていて正しい速度で走った場合の時間と実際の時間差を測定して減点する。

コマ地図に正しく従って走行した場合の距離は予めオフィシャルは分かっているから指示速度と合わせて計算するとチェックポイント間の時間が分かる。その時間と競技者の到着時間の差を合算していき時間差が小さいチームが優勝だ。チームはドライバーとナビゲーターの2人が組む。

ナビゲーターが地図を見ながら走行ルートを指示しつつ走行距離と指示速度から時間を常に計算してドライバーに速度の上げ下げを伝える。私たちのラリーは徳島大学の学生たちがやっていたラリーをBPQことI氏に教えてもらって始めたもの。I氏と私と高校の同級生だったT原氏と始めた。

今はMetaMoJiにいるT原氏と私の名字から名付けたのでTak-In。始めたのは1989年か1990年か。最初はI氏に教えてもらった山道を参考にして私がルートを考えコマ地図を書いた。1回あたりJ社の社員の5台から8台ぐらいが参加していたように思うが実のところ記憶は断片的なのである。

自動車保険と18年ぶりのM田君 (8月26日・金)


昨夜は消防分団の役員会。12人が参加。9月にある防災訓練の連絡など。終えてビールを飲んだのは8人だったか9人だったか。ラーメンの話などで盛り上がった。22時過ぎに散会したがS氏N氏T氏がやってきて妻を含め5人で議論25時半頃まで。熱くなり飲み過ぎてしまい今日はしんどい。

さてフォレスターの自動車保険についてT保険事務所のT社長に連絡したら今春から社員として働いているM田君が手続きに来てくれた。M田君はT社長とJ社の同期で開発部でプログラムを組んでいた。奥様も彼と同期の開発部。私が退職して以来だと思うので会ったのは18年ぶりか。

彼がJ社の入社試験を受けたとき阿波銀行に勤めていた父上が私の父に話を聞いたんだと言う。知らなかった。帰りに立ち話をしたが今はMetaMoJiにいるT原君と私が創設したラリーにも何度か参加したとかで思い出話に盛り上がった。奥様は私たちが主催のジムカーナに参加していたとか。

肝心の保険はムーブと同様に車両保険がナシの場合だと年間の残り9ヶ月で20円しか高くならないとか。新車に車両保険は欲しいので結局数万円高になったが。ただ料率の係数はフィットよりも低い。アイサイトのおかげなのか比較的事故の少ない車ということだ。

『幻の漂泊民・サンカ』 (8月25日・木)


前に読んだ宮本常一『山に生きる人びと』で戦後までサンカと呼ばれる人々がいたことを知り興味を持って読んでみた。沖浦和光『幻の漂泊民・サンカ 』(文春文庫)。サンカとは家族単位で同じ村には数日から2週間程度しか滞在せず川魚漁や蓑作りで商売しながら回遊する人々を指す。

内容は文献調査が中心。サンカを語る上で外せないのが元新聞記者の三角寛が昭和に入った頃に書いた新聞小説だという。ここでサンカは説教強盗を働く社会悪として描かれ世間のイメージが決定づけられたらしい。これに対して著者は想像の産物であり全く実情を描いていないと否定的。

柳田国男も調べたようだが全貌を明らかにすることはできなかったようだ。記録には明治初期に主に島根や鳥取と広島あたりでサンカの記述が出てくるらしい。国民皆戸籍化の政策の中で流浪民にどう対処すべきか地方警察や自治体が政府に問い合わせたものである。

ここから江戸後期の飢饉によって村を離れた人々が回遊したのではないかと推測している。村の灰小屋に長くても数週間だけいて魚を売るなど商売するには村の人々の信用がなければできなかったと話すサンカの息子だったという老人の言葉を引くなどサンカを好意的に紹介している。

ベートーベン「第九」 (8月24日・水)


2018年はベートーベン「交響曲第9番合唱付」のアジア初演100周年らしい。第1次世界大戦のとき鳴門市にあった板東捕虜収容所でドイツ人捕虜たちが楽器を制作するなどして演奏したとされる。鳴門市は30年ほど前から「第九を歌う会」を組織して私の母は第1回から10年ほど出演していた。

第九アジア初演の地というフレーズは長く鳴門市で使われていたが徳島県も乗り出してきて今年1月に1800人の大合唱団を編成して演奏会を開いた。1800人と言っても中学生らが動員されたもので学校現場では不評のようだがそこまで強引にやっているのは飯泉知事肝いりだかららしい。

そして県内で唯一音楽科がある名西高校に教頭として今年赴任した我が「響」の団長には第九演奏会を進める県と学校の橋渡し役も求められている様子。そんな団長に出演を打診されたのが5月頃だったか。でも第九には縁がない。もちろん楽曲は知っているが歌ったことがない。

ただ鳴門市出身の合唱人として第九が歌えなくていいのだろうかと気になってはいたのだ。それで消極的に承諾していたのだが日曜に団長から楽譜を渡されたので音取りデータをICレコーダーに録音したところ。聞き込めば音は覚えるだろう。まだ出演者募集中の演奏会は来年2月12日。

Polestarと空港で河村先生 (8月23日・火)


火曜は産直いっきゅう茶屋が休みなのだ。つまり昼食難民になりかねない。隣町の勝浦に行けばラーメンがあるが夕方に妻を空港まで迎えに行く用があったので一旦帰ってもう一度行くのも面倒。そこで時間をずらした13時にCafe Polestarに行ってみた。

いつも混んでいるし県道を奥に向かうのも遠い気がして久しぶり。前に行ってから1年以上かも知れない。ここでカレーを食べて一旦戻って14時半頃に出てまずはS神歯科。今日は混んでいて1時間掛かった。そこから川内の旧ナカイで切れいていたリビング側の蛍光灯を買って徳島空港へ。

そこに見知った方がいる。「響」で一緒に歌っていた徳島大学の河村教授だ。奥様を迎えに来ていたらしい。前に新聞で見た記憶を辿って話を伺うと今年度から徳島大学理工学部の学部長である。2年以上は工学部で今年の1年から順に理工学部になっていくんだとか。

空港を出たのが17:15頃で国道は川内から渋滞。しらさぎ大橋から末広大橋を経由してみたが結局渋滞。さて納車は9月と言うことは書いたが経費計上の都合上8月がいい。この点の確認を税理士さんにメールしたり。来週は予定が立て込んでいるので妻と車の利用分担について話し合い。

東京の台風のUPSバッテリ交換 (8月22日・月)


975hPaの台風が南から正午過ぎに千葉に上陸して北上した。今日の夕方の飛行機で帰ってくる予定だった妻は昨夜の段階で予約を変更していた。東京にいつでも泊まれるオフィスのある利点だろう。私も妻を迎えに行く時間に合わせていたS神歯科の予約を明日に変更してもらった。

NHKはずっと台風のニュースを流しているがこちらの午後は快晴で九州や紀伊半島に上陸する場合でも雨や風があって不安とワクワクが混在した気持ちになるのに変な感覚だった。夕方から夜にかけて少し降ったが8月に入ってから今日を含めて多分3回。こちらでも雨が降って欲しいと思う。

さて8月12日だったか私のPCを繋いでいるUPS(無停電電源装置)が警告音を出し始めた。バッテリ劣化による交換のサインらしい。警告音はオフにしたがバッテリが劣化しているのではUPSの機能が果たせない。即日注文して14日に届いたものを今日になって交換した。

UPSの出力側はPC以外に何の電源を接続していたのか忘れたがただ元に戻した。UPSは停電が長引きそうならPCの電源を落としてスマホ充電用にと考えている。今日はさらにDVDの家内制手工業20枚制作。妻のPCのデータバックアップとWindows Updateなどメインテナンスも。

レーダー探知機 (8月21日・日)


スバルの営業マンに教えられてレーダー探知機を調べ始めたのだがよく理解ができず戸惑っている。そもそもレーダー探知機を自分の車に搭載したことがなく基礎知識がない。「響」の仲間である小学校教師S氏の車に乗ったとき阪神高速でピーピー鳴るので話したことがある程度の知識。

S氏の車にあった探知機の印象からレーダーを文字通り探知するのだと思ったら最近の機器はオービスなど機知の場所が登録されたデータとGPSデータを照合して警告するものらしい。これに加えて移動式のスピード測定器に対応する機種があるといった案配。

それに設置場所がダッシュボードの上かミラー取付かといった違いがある。ドライブレコーダーと連動する機種があるというから便利そうかと思ったがレコーダーの画面にレーダー位置を表示するだけだったり。あまり有効な連動ではないように思うのだが。

2万円前後のものが多いようでスピード違反をやったと思えば高くないとは思うが本当に必要なものなのかどうか。私がスピード違反で捕まったのは90年頃の加賀須野大橋南と中央高速の岐阜県警だけ。後者はパトカーだから探知機では防げない。どうしたものかと検討を続けている。

スバルでレーダー探知機とナンバープレート (8月20日・土)


結局ベッドの脚敷はコーナンに行って別のゴムを買った。続いてスバル。お客さま感謝デーで純正品を安く買うことができるというのでサンシェード。フィット用に買ったものは1,000円もしなかったが熱でヨレヨレして畳むのが面倒なのでSTI製を買った。15%引きで1万円。ちょっと調子に乗りすぎ。

さて車は5月末契約8月上旬生産で納車は8月下旬と聞いていたが9月第2週になりそうだとか。しかも注文していたドライブレコーダーの生産が終わってしまい契約書を作り直す必要があるらしい。それでドライブレコーダーは別の純正品にするか市販品にするかの選択を迫られている。

聞けばレーダー探知機連動製品もあると言う。何だか話が噛み合わないと思ったら今の探知機はGPSも液晶画面も付いているんだとか。営業さんの車に乗って最近の探知機事情の説明も受けて興味を持った。ドライブレコーダーの必要十分条件も聞いたので市販品から調べてみようと思う。

肝心の納車はまだだが8月19日に登録済みというので任意保険の変更用に車検証のコピーをもらってきた。ナンバーは指定しなかったので気になっていたが前のインプレッサWRXのナンバー「78-62」の並びを変えただけの「72-86」と。この偶然は何なんだと笑ってしまっている。

ベッドの脚用ゴムとルンバ (8月19日・金)


仕事で東京に行く妻を送って徳島空港。受付カウンターには長い行列。夏休みに奥さんと子が遅れてUターンしていると思われる。ここから北島のフジグランに行って甥の七五三の写真を受け取ってきた。帰ろうとしたら追いかけて来られて「お渡しする写真がまだありました」と。

銀行に寄ってから小松島のコーナンへ。私のベッドの下にルンバが潜り込めないので脚に敷くゴムを買って来た。2枚重ねて入れるようになったものの部分的に引っかかるところもある。必要な数を買って来たはずがヘッドボードにも専用の脚が2本着いていてこの分を買い忘れた。

それよりゴムを2段に重ねるとベッドの重みで一部が凹む。全体的に同じ加重が掛かるのなら問題ないがベッドの中央部が重いはず。しかも中央部の脚にゴムを挿入するのが難しいので面積の大きいゴムを買って来たから余計に凹みが大きくなっているように思う。

凹みが大きいからベッドの底が下がってルンバが入りにくくなる。つまりゴムではなく木などの堅い素材にした方が良かったかも知れない。それでもルンバのおかげでベッド下はだいぶきれいになった。ルンバに存分に働いてもらうための環境作りに励むとしよう。

井岡の茂ちゃん (8月18日・木)


井岡の茂ちゃんこと井岡茂晴さんが亡くなったと聞いたのはいつだったのか。S氏に訊いたら7日のBBQの席だったらしい。私は酔っぱらっていたのだ。でもショックを受けたことだけは覚えている。数日見かけないと誰かが気づき妹に当たるMさんが家に行き数日前に発見されたと聞いた。

近所の人は博士と呼んでいた。物知りだったそうだが癖のある人だった。私たち夫婦は移住して間もない4月に誘われて鹿の解体を見せてもらった。その後も何度か宴席で一緒になりT氏の工場で会ったこともある。つい最近支所辺りで見かけたような気もするのだが。

数年前に奥様を亡くし長男さんも同じ頃に亡くしたと聞いた。茂ちゃんは昭和9年生まれで長男さんは昭和38年生まれ。私の父と私の生まれ年と全く同じ。次男さんは私の弟より少し上だから昭和42年か43年生まれのはずだ。それを知って時代が分かり会うとよく話をした時期がある。

人より早く車を買ったと言っていた。トラックに乗って大塚製薬の運送業務を請け負っていたとも。鳴門の岡崎海岸で女の子と話をしているとき海に浮いた死体を発見して大変だったという話も聞いた。亡父と同じ年生まれの茂ちゃん。思い出すとやっぱり悲しい。

マウスピース (8月17日・水)


左下奥から2番目の歯が浮いてぐらついてS神歯科に通い始めて既に8ヶ月。歯周病である。こんなに長く掛かるなら近所の勝浦の歯医者にしておけば良かった。「響」の練習のときや妻を空港に送った帰りなどに寄っているが1週間から10日に1回の歯医者通いは面倒な気分だ。

行けばレーザーを当て消毒などをしているが歯のぐらつきが治らない一因は私の歯ぎしりにあるように思う。自分では自覚はないが明け方に歯ぎしりをしているらしい。そして浮いた歯を自分で強く揺らしているのである。引っかけて強く動かして痛みで目が覚める。

歯ぎしりが多いことは以前に話したことがあって歯が治ったらマウスピースを作ろうとS神は言っていたのだが考えてみれば浮いた歯に当たらないよう間に挟んでおけば歯ぎしりで痛みを感じることもないのではないか。そう私から提案してマウスピースを作ってもらったのである。

上の歯に装着するソフトタイプ。浮いた歯に当たる部分はハサミで切り取られた。初めて付けて寝たのが昨夜。奥歯を噛みしめていて何度か目が覚めた。もちろん違和感はあるがいずれ慣れると思われる。これで歯が治ればありがたいのだが身体はあちこちガタが来ているのである。

オリンピックと高校野球 (8月16日・火)


リオデジャネイロ・オリンピック真っ最中だ。時差が12時間あるから試合はたいてい深夜。ほとんどの試合は日中の録画番組で観ることになる。今回は柔道が面白かった。銅メダルが多かったが組み手争いで負けてなく柔道らしい柔道の試合が多かったような気がする。

7人制ラグビーは初戦でニュージーランドに勝ったのは驚いた。フランスにも勝って4位。凄い結果だと思う。錦織圭がナダルに勝って銅メダル。96年ぶりだとか。まだ試合は続くが興味を持って観ているところ。卓球も凄いラリーを見て楽しい。男子は銀以上。女子は今日見ていた。銅メダル。

一方で高校野球の徳島県代表は鳴門高校。実家から1.5kmほどの距離にある。鳴門工業高校改め鳴門渦潮高校は500mぐらいで私には馴染み深いし池田が一時代を築いたとは言え徳島の名門と言えば徳島商業と鳴門高校なのだ。その鳴門高校が勝ち進んでいる。

1回戦は開会式直後。夏祭り準備の竹切り後にテレビで観た。2回戦は13日で夏祭り本番直前にあった。奈良の智弁相手で名総代A氏の挨拶で結果を知って驚いた。そして今日はテレビで。8回表で11対5になりシャワーに行き戻ってきたら11対9だったが勝った。次の明徳戦も楽しみだ。

祭りの片付けと渇水 (8月15日・月)


1日遅れの日記になってる。13日に夏祭りがあり25時に解散したのは翌14日に片付けがあったためだ。9時半の集合時間に集まったのは1Q委員のS氏N氏と委員長の妻に委員ではないH氏と私。ところが夜露に濡れたテントはそのまま置いていたが6本ある脚を畳むのに6人が必要らしい。

それでS氏が電話をしてY氏に来てもらい6人。さらに住宅1FのT氏が出てきてくれて7人。ところが脚を畳むためのボタンが飛んでしまっているところがある。S氏が昨日から持っていた部品をH氏が使い回して何とかなったが逆に6人同時にいる必要はなかったのかも知れない。

ともかくテントは畳み私はY氏の軽トラに同乗して役場倉庫に返却し11時頃には帰っただろうか。ゴミを捨て発電機用ガソリンを補給するS氏N氏班は役場隣のスタンドが休業していると電話すると勝浦まで行ったようだ。ゴミが少なかったのは前夜に処理してくれていたのだろうか。

この日も暑かったが雨が降らない。もう2週間か3週間近く降っていないと思う。今日も予報は15時頃から18時頃まで雨マークで降水確率50%。正午頃には雷も鳴ったが雨は降らなかった。雨雲レーダーを見ると午後は上勝の東をかすめて行き夜は南を流れて行ったようだ。

傍示お盆の集い (8月14日・日)


昨日は日記を書く時間もなかった。10時集合。夏祭りの準備で体育館下の倉庫から荷物を取り出したり役場にテントや発電機を取りに行ったり。私はO嬢ご実家の軽トラに乗って。1Q委員のY氏S氏T氏O嬢と委員長の妻に私の6人で昼食はいっきゅう茶屋でカレー。私のご飯の量は普通盛り。

午後は地域の人も集まってきて会場の設営。テントを立てたり舞台を運んで組み立てたり音響機材をセッティングしたり提灯を会場全体に吊したり。新しく買った蛍光灯をテント側と住宅側にくくり付け電源ケーブルを我が事務所の屋外電源へ繋いだり。15時には準備はほぼ終わったか。

まずはスタッフ用ビール。私は諸々やって一旦引き上げシャワーを浴びて17時頃に会場へ。金魚すくいのY氏にビールをあげたり写真を撮ったり。5人でのビール一気飲みに参戦したが冷たすぎて飲めず多分最下位。既に酔っぱらっているのでお祭り最中のことはよく覚えていない。

竹組の流しそうめんをやって製作者Kさんの片付けを手伝ったのは覚えている。打ち上げ花火を回収して再セットする役もやった。21時過ぎに終わって怒濤の撤収の後24時まで公民館で打ち上げ。続いて事務所で25時まで。妻を除いて男ばかり8人か9人。最後はポカリとお茶にしておいた。

阿波おどり渋滞とドライブレコーダー (8月12日・金)


東京から帰ってくる妻を迎えに徳島空港。15:10と聞いていたのに今日の到着便は14:55。ちょうど間に合ったぐらいだったが。8月12日と言えば徳島市阿波おどりの初日に当たる。空港に迎えに行く途中で既に徳島市行き車線は混雑していた。

妻を乗せて上勝に向かい出すが吉野川大橋の上で渋滞。市民病院前の右折車線がはみ出すことはあるが時間的には早すぎる。車線変更して左を通ると右車線には故障車が止まっていた。暑くてエアコンを全開にして渋滞にいれば故障することもあるだろうが。

続いて徳島本町交差点前でも右車線が渋滞。右折車が多いことは分かっていたが徳島新聞前で中央車線から右に割り込もうとする車が流れを止めていた。右折ポイントはもう少し先だから流れの中で車線変更をすればいいのにナビに頼って不安になったのかも知れない。

いずれにしても事故が増えそうな交通事情。新しく買った車にはドライブレコーダーを付けたが今のフィットにも装着しようかと考えている。後部にも付けた方がいいとT氏からアドバイスを受けたが馴染みのないメーカーも多く新車の使い勝手を見てから考えようと思う。

山の飲み会と高校クラスメートとBBQ (8月11日・木・祝)


水曜夜シャワーを浴びてビールを飲み始めた21時頃S氏が来て飲みに行こうと言う。急いで着替えて山の上のT氏の工場へ。同級生F氏がいて4人で乾杯。コンロで焼くウィンナーなどをいただく。先日のBBQもそうだったがふと集まって飲んで話して幸せな時間だ。24時過ぎに解散。

今日は12時過ぎに女性から電話があった。すぐ代わった相手は高校のクラスメイトK。京都大学工学部から経済企画庁に入った内閣府の官僚。上勝でバーベキューやっているから来ないかと言う。今は出向して長崎大学経済学部教授と。電話の女性は別グループにいた樫原のTさんだった。

行ってみると大人数。関係を聞くとKの奥様の実家の父母兄上さらに奥様の兄上の奥様とその父母上ら。訳が分からない姻戚関係。しかも彼ら全て開業医。Kの奥様は10歳下の城東高校出身でご実家は徳島駅前の大櫛耳鼻咽喉科。ここの若先生の奥様のご実家が松茂町の芳川病院とか。

勧められるまま鰻や鮎をいただき実家は撫養だと言う芳川病院の母上と話をした。さらに上勝「山挨」の長男さんもいてご挨拶。Kは政府広報室で海外広報担当のとき上勝を海外に紹介した縁がありいろどりオフィスを見たいというので案内してA君に対応してもらった。最後は川岸で雑談。

皆でBBQ (8月10日・水)


7日(日)の続き。草刈りを終えシャワーを浴び17時過ぎに隣の公民館に行ったら妻とO嬢がBBQの材料を既に用意してくれていた。勧められるままビール350mLを開け準備に取りかかる。当初は東屋に座ろうという案だったようだが子供がいる1F西の方の部屋は窓を開けているから煙が心配。

結局BBQコンロを持って来たT氏らと相談して駐車場入口隅でやることにした。ここならパイプ椅子も置くことができる。体育館からパイプ椅子を役場の若手2人が運び出してくれ私は事務所から折りたたみテーブルやランタンに火起こし用送風器などキャンプ用品を持ち出した。

熱中症になりそうな日中の作業を終えて自然の風に当たりながらビール。乾いた涼しい風が心の底から気持ちいい。米国シャスタ山の湖Castle Lakeで感じた爽快感に似た感覚。会議に行ったN氏はすぐ戻って来て奥様と住宅のY氏家族に近所のM嬢も来て総勢最大子供含め15人だったか。

そしてBBQコンロでどんどん焼きどんどん食べてのバカ話がめちゃくちゃ楽しい。暗くなると今度は寒くなってきて片付けて21時頃に事務所に8人で移ったような。妻が役場の新人君を横に侍らせ好きな女性のタイプを訊くなど。N氏とO嬢は先に帰ったが24時半まで大いに飲んだのである。

竹切りと草刈り (8月9日・火)


7日(日)は地元の夏祭り準備で朝から出役(でやく)だった。まずは9時集合で竹切り。T氏と妻とO嬢は別班で買い出し。竹切り班はY氏とN氏とS氏と私。現場は急な坂道沿いにある山。Y氏が山に入り草刈り機でスパッと切っていく。私が抜いて下の坂道に落としていく。

それをS氏が並べN氏が長さを揃え枝を打ち再びS氏が軽トラに載せていくという作業。でも切られた竹を落とそうにも木や倒れた竹が邪魔になって引っかかりうまく行かない。落ちないよう足を木に置き別の木を片手で掴み竹を運ぶ。つい下にいるS氏に引っ張って欲しいとお願いする。

上の作業が終わり道路に下りたらS氏が木陰に座り込んでいた。塩飴と水を上げたが日が当たっているところは危ないほどの暑さだったのだ。作業を終え軽トラの後ろに乗り竹を監視しながら戻って4人で昼食。いっきゅう茶屋でカレー。少し休んで開幕第1試合の鳴門高校が勝った試合を観戦。

午後は出店のメニューなどをN氏が書き始め私は買い出しから帰ってきたT氏と新しい蛍光灯の組み立てに参加。15時からは私とS氏で会場の草刈り。住宅のK氏も参加してくれN氏も合流。作業は16:45頃に終わったと思う。その後はBBQなのだが楽しかったこのことは明日にでも。

甥たちと実家で花火 (8月8日・月)


祭り準備で屋外作業をやった日曜のことは改めて書くことにする。その日の夜はバーベキューで2次会に事務所を開放して24時半まで飲んでいた。妻は明け方に2度ほど吐いていた。体調が悪かったのかも知れない。私はそれほどではないがスッキリしない目覚めのまま11:45頃出発。

14時発便で福岡出張に行く妻を送って徳島空港。時間がないので昼食は空港に着いてから鳴ちゅる。妻を見送って実家に寄ってみたら弟と甥2人はバッティングセンターに行くところだと言う。私は一旦徳島に行き歯医者でマウスピースと作ってくれと言って再び実家。

今度は花火を買いに行くと言うが甥8歳は弟と歩いて。甥5歳が車で行きたいとせがむので仕方がなく私も付き合って近所のハローズ。夕食は母が作った唐揚げとポテトサラダを食べて夜は花火。NHKニュースで天皇陛下のお言葉を聞きながら寝てしまった弟が出遅れ19:40頃から。

打ち上げ花火は買わなかったがネズミ花火の音にびっくり。近所迷惑ではないかとヒヤヒヤしつつ990円の花火セットは甥たちだけでやるから1時間もかかった。3人は明日早起きして高校野球を見に甲子園に行くらしい。甥がシャワーに行った間に実家を出て上勝に帰宅。

プリンタ (8月7日・日)


修理に出したエプソンのプリンタEP-707Aが土曜に戻ってきた。アマゾンで買ったものなのだがヨドバシカメラに修理依頼したところ往復送料3,000円だけで済んだ。しかもヨドバシのアフターサービスポイントを使ったので実質タダだった。ヨドバシの対応に感謝。

原因はプリンタヘッドの異常でメーカーが修理したらしい。ところがWindows 10へのアップグレードが悪かったかも知れないと一旦プリンタドライバを削除したのが災いしたか私のPCから印刷できない。プリンタドライバの再インストールを試みるも何度やっても途中で止まる。

その過程でプリンタの無線LAN設定ができていないことに気づいてSSID対応キーを入力。もしかしたらプリンタ自身が新品になって返ってきたのだろうか。さらにプリンタドライバを削除した7月26日以前の状態にコンピュータを復元してみたがそれでも元には戻らない。

もう一度ドライバをアンインストールして再セットアップしてみたら若干進んだがやっぱり印刷はできず。一方メインプリンタでWindows 10にアップグレードしたことで使えなくなっていたPX-M5041Fにはメールで送ることができる機能を使って印刷できるようになった。これで妥協するしかない。

鳴門から上勝へ (8月6日・土)


24時過ぎには寝たはずなのに実家の布団で何度も目覚めて起床したのは8時半。朝はコーヒーを飲んだが気分が悪くてテレビを見て過ごした。リオデジャネイロ・オリンピックの開会式だ。何となく入場行進を見始めて次はどこだろうと妻と言いながら2時間近く掛かったのではないか。

その間に甥たちは宿題など。やる気のない甥5歳に昨夜聞いてみたら勉強は嫌いと答えていた。勉強が好きと答える子供はいないだろうが。11時半頃に出て北島でお好み焼き。前に行ったことがある。私と妻は新浜で筆耕をしてもらった認定証を受け取ってから上勝へ。

弟は母を実家に送ってから甥2人と上勝へ。妻は仕事で居残って私だけで15時前に行ってみたら甥2人は月ヶ谷温泉近くのグランド下の川で水の生物を見ていた。そこからグランドに上がってボール遊び。熱中症予防で屋外の運動は原則禁止と天気予報で言っていた炎天下なのだが。

少年野球チームの甥8歳は炎天下で弟からノックを受けている。私はベンチでいたがせがまれてやや日陰の木の下でノック。甥は走り回ってゴロをキャッチ。甥5歳は木の下でバッティング。前回までと異なりボールに当て意外に飛ばすのである。組み合わせを弟と交代しながら16時半まで。

鳴門 2 (8月5日・金)


エアコンがある部屋という制約から1階で24時前には寝たと思う。朝は甥8歳が起きてきたので目が覚めた。ブラジルオリンピックのサッカー日本対ナイジェリアをテレビ観戦。4対5で負け。終了前に甥5歳を連れて私がいつも行っている散髪屋へ。

今日は七五三の写真を撮るというのだ。散髪の横から妻と2人であれやこれや。終えて母を含めて4人であそこ食堂。弟と甥8歳は撮影用の服を買いに行って写真スタジオで集合。北島のフジグラン。甥5歳と甥8歳も貸衣装で羽織袴やらスーツやらを着て。

弟は上はポロシャツを着てきたのに下が短パンで何やってんだか。私にしてもスラックス持ってきたのにボタンが留まらないほど昔のもの。結局私と弟は下が写らないようにして6人で。あとは甥2人だけで撮ったり甥5歳だけの写真だったり。

待ち時間も長く1時間半で疲れてしまった。甥8歳にトイザらスでラジコンカーをねだられたが弟がダメと言い泣きべその甥と妻と母と先に帰った。夜は手巻き寿司。甥たちが寝てから甥のプレゼントについて弟の考えを聞いたことをきっかけに家族の話を諸々。

鳴門 (8月4日・木)


妻と13時過ぎに出て勝浦の呑口でラーメンを食べスタバでコーヒーを買って鳴門。15時前に着いて母の話を聞いて弟に電話するとルネッサンスリゾート横の海水浴から帰るところだと言う。16時頃に戻ってきた甥たちはまた背が伸びていてびっくり。

夕食はじゃんじゃかという焼き肉屋。いつも予約も入れられないほど混雑してるがお盆前の平日だから当日でも予約ができた。ビールを飲みたいから徒歩で。後から調べると2.8kmあったらしい。妻と8歳の甥と一緒だったが汗だくになった。

お店は全て個室でタブレットから注文できていいのだが前に行った焼き肉屋の方でいいかも知れない。帰りは甥2人も一緒。甥は店で景品としてもらった水鉄砲で撃ち合いながら。私も何度も水を掛けられ。途中の公園で水を補給しコンビニで飲み水を買って。

今夜はバレーボールの試合だったが人数は足りていそうだったので鳴門に来たが往復5.6kmを歩いてくたくただ。夜は甥8歳が少年野球でやったホームスチールの話を聞いた。バッターが打てないことと2アウト2ストライクだったから自分で判断で走ったと聞き凄いなぁと思ったのである。

日赤の医師2人 (8月3日・水)


妻は徳島に戻っても仕事に忙殺されている。全国のインストラクターからWeb用の資料を送ってもらったら文字化けしそうな半角カナや絵文字入りが多くて書き直しているのだとか。でも今日は午後の電話に平謝りで何かと思えば忙しすぎて徳島赤十字病院の診察日なのに失念していたらしい。

昨日書いた植田珠水は30年も前に亡くなったが徳島赤十字病院には同級生が現在2人勤めている。今日妻が診察を受ける予定だったのは名護可容さん。植田珠水と同じく中学3年のときのクラスメート。今調べてみたら第2産婦人科部長らしい。全く面影がないので困惑しているのだけど。

もう1人は福田靖氏。中学時代のクラスは覚えていないが高校で3年間同じだった。その後も同窓会などで何度か会っている。救急部長・集中治療科部長・高度救命救急センター長という肩書きだ。Facebookを見ていると災害派遣や研修などで全国各地に行っていて本当に頭が下がる。

中学時代の名護さんと言えば休み時間にピンクレディーを踊るようなひょうきん者だった記憶があるが妻は患者として医師の彼女を信奉している。今日も大事な診察日を忘れていた情けなさと日を変えてくれた名護先生の優しさに泣いていたほどだ。夫婦ともども感謝している。

植田珠水さん (8月2日・火)


昨日の消防点検の後に皆で飲んでいるとき剣山スーパー林道の話になった。今は表土が流され尖った石が剥き出しになっていてわだちも深くまともに走れないという話題だった。そんなときいつも一緒に飲んでいるS氏が植田珠水(たまみ)さんも死んだもんねと言う。

植田珠水は中学のときのクラスメートだ。3年のときは同じクラス。2年のとき担任だった国語の細川たいまん先生が本人を前にして実家は小松島の「まるきん食堂」でお兄さんの名前が純生と書いて「すみお」だと言ってクラス中で大受けした記憶があるから2年のときも一緒だったかも知れない。

バスケットボール部でも一緒だった。明るく元気で楽しいヤツだった。S氏は城南高校でクラスメートだったらしい。ウエタマと呼ばれていた彼女は後に小松島の赤十字病院で看護婦だったときスーパー林道で事故を起こし谷底に落ちて死亡したのだ。私がまだ大学生の頃だと思う。

昨日一緒にいたT氏によるとスーパー林道の側溝に脱輪して何とか脱出した勢いで谷に落ちた女性2人組がいたと聞いていたそうだ。1人が死亡し1人は重傷を負ったはずだとT氏。彼女が死んで29年か30年になるはずだ。地元の仲間がウエタマのことを思い出させてくれた。

妻の帰宅と消防団と子猫 (8月1日・月)


先日治療してもらった右下の歯は痛くないのだが今日になって治療歴8ヶ月の歯の具合が悪い。寝ていると浮いてきて明け方に歯ぎしりして自分で歯を揺らしているのである。痛くて目が覚めるときもあるが今日はじわじわと痛みが来た。その前に歯ぎしりが原因しているとは思うのだが。

元々行くことになっていた歯医者に15時半前。中学の同級生なので気安いのだが今日は何も無駄口を叩かず。そのまま徳島空港に行って妻を出迎えた。10日ぶりである。今回の不在期間はプリンタの不具合やら問題があって落ち込んでいたので正直に言えばホッとした。

そのまま15分遅れで消防団の点検。勝浦川橋を渡るときに遅れそうだと妻から分団長に連絡してもらい詰め所を通過したのが10分遅れ。何とか着替えて15分遅れてで行くことができた。それより県道からの入口で生まれたばかりと思われる子猫2匹の間をすり抜けて。

皆も知っていたらしい。生まれて1〜2日ぐらいではないか。最初は鳥がいると思ったほど小さい。近づいても逃げず直前に子猫だと分かったほど。そんな話から5人のちの6人でバカ話を含めあれやこれやと盛り上がったのである。22時半頃解散。こういう飲み会が楽しい。

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© 2016 Takashi INAGAKI