2007年6月

テントと夏の計画 (6月30日・土)


水曜に神保町でテントを買った。結局お店に勧められていた3万円程度のもの。それでも店にある中で2番目に安いタイプ。年1回程度の遊びに無駄ではないかと思わなくはなかったが雨で水没して風で壊れた記憶が蘇り真っ当なものにした。

以前書いたとおり夏のキャンプ用。7月に香川。ランタンや他の器具は徳島に戻りキャンプの直前に考えることにした。実家から鍋や毛布を持ちだそう。母に電話して車も借りる旨連絡した。

さらに大手紙デスクK氏からダイビングに行こうと誘われて乗ることにした。8月下旬の徳島。本当はお盆に行きたかったそうだが今年は映画「眉山」の影響か宿が取れないらしい。時期をずらして計画。

そんなわけで8月までに今年は徳島に6回も行くことになる。2月は父の3回忌。3月と4月は響の練習とGWの5月。7月のキャンプと8月のダイビング。妻も今年は4度。これは米国で受けたキヨミさんのセッションで言われた「田舎との縁が強くなる」の一環か?

さらに8月上旬には三宅島にドルフィンスイム。先日のシャスタを含め3ヶ月で4度の遠征。どれも誘われたものばかり。それがありがたいのである。だからみんなと楽しみたいのである。

広角のカメラが欲しい (6月29日・金)


シャスタで写真を撮っていてやっぱり画角は不満だった。広角側36mmではいかにも狭い。Burney Fallsでは滝壺と空の両方がきれいに入らないしCastle Lakeの雄大な景色が全く伝わらない。

さらにFine Pix F31fdの「顔キレイナビ」はサングラスだと人の顔を感知しない。炎天下。キャップを被りサングラスをした被写体は顔だけ黒くなる。これは仕方がないと思うのだが少し残念。

ちなみに今回のメンバーではFUJIFILMユーザーが多数派。いきなり落として壊してしまったヨシさんのカメラは私と同じFinePix F31fd。妻とリサさんが同じF5fd。サトコさんのオーラチェッカーはCanon PowerShot A640。フミコさんは私が譲ったPanasonic Lumix FX-01。広角28mm。

そしてヒロさんがRICOH GR DIGITAL。28mm単焦点F2.4。シャスタを写すならこれがベストだと思った。望遠なんてほとんど使わないし撮影は炎天下の日中がほとんどだ。

そうは言っても洞窟のPlute CavesではF31fdの高感度は威力を発揮したしサングラスがなければ顔キレイナビも活躍した。だから広角のがもう1台があればベスト。やっぱりGR DIGITALか。実はRICOH Caplio GX100(広角24mmF2.5)に興味津々。2台目ならKodak EasyShare V705(広角23mm)がいいと思ったり。思うだけなんだけど。

シャスタのガイド (6月28日・木)


シャスタでの感動は縷々書いてきたとおりだが私は行くまでシャスタについての知識を全く持っていなかった。サンフランシスコに行くことは聞いていたがその先について関心がなかった。言われるままに妻に付いていったらそこがシャスタだったというのが現実である。

今から思うとガイドがフミコさんだったことはとてもよかった。詳しい友人に連れて行ってもらった感じ。その通りなんだけど。彼女は朝1時間も遅刻したことがあるしPlute Cavesに向かう道を間違えて炎天下を10分余計に歩かされもした。プロのガイドなら失格だろう。

でも逆に機動的で自由度の高い行動ができた。彼女は真っ先に泳ぎ出すなど自分が一番楽しんでいて彼女につられて一緒に楽しめたと思う。妻とサトコさんが生でお互いのオーラを見た川は時間が余ってフミコさんが思いつきで立ち寄った場所である。ガイドブックはおろか地元の人でも知らなさそうな何もないところ。

そういう機動性のある行動でパワースポットから私たちが感じたものは大きかったと思う。もう一つサトコさんのオーラチェッカーの威力は大きかった。あれで私たちのエネルギーが可視化されたわけで。ニューヨークや東京でオーラチェッカーがどう作動したか早く聞きたい。

日本に戻ったフミコさんと会った妻によるとニューヨークに行った後フミコさんのカメラもオーラチェッカーになったらしい。そのカメラ「Panasonic Lumix FX-01」は私が彼女に譲ったものなのだが。いいなぁ。

電解水 (6月27日・水)


「何とか還元水」とは自殺した松岡元農林水産相が事務所経費として不要なはずの水道費を計上していた理由を問われて言ったキーワードだ。一般的には「電解還元水」と言うらしい。先週木曜に会ったハーブ栽培の社長はシャスタの水を電解水だから凄くいいのだと言った。

妻が信奉している鍼灸のE先生のところで電解還元水の効用を説いた本を先週火曜に斜め読みした。その本によると体を悪くする全ての大元は活性酸素にあるという。素人的な解釈をすると酸素(O)が過剰だと体が酸化して錆びるわけだ。酸化を防ぐには過剰な酸素に水素(H)を与えて水(H2O)にすればいいという理屈の様子。

水素イオンを作るには水を電気分解する。心許ない私の化学知識によるとマイナスの電極にはプラス電荷の水素原子が集まるはずだ。ところがこの方式は実はメッキの原理であってマグネシウムなどの金属分子が電極について電解能力が悪くなるらしい。

ともかくこうして作った活性水素水というのか電解還元水というか電解水が体にいいということになる。そういう水が自然に湧き出ているのがシャスタということなのだろう。だからウンコが朝晩2回出るほど健康的だったのだと理屈で納得した次第。でもホントかなぁ。

アロマとオーガニック (6月26日・火)


先週木曜日に面白い人と会った。無農薬のハーブを栽培している会社の社長。聞いていたのはそれだけだったが話してみると凄い人だった。

ハーブや野菜をオーガニックで栽培しているがアロマオイルも抽出し高級ホテルに供給している。さらに超高級ホテルでの1回6万5000円といったアロマセラピーのプロデュースもしている。ところがこの人にかかれば一般的なセラピーのイメージも超越。数種類の香りから自分が好きな香りを選んだらそれだけで過去現在未来を言い当てたりする。

さらに話をしているうちに私の腰が悪いことも言い当てられた。見ているだけでオーラのような気を感じてくるのだとか。念を押すがこの人はセラピストではない。あくまでハーブの栽培販売会社の社長である。なのにアロマと経絡マッサージを利用した施術までする。

人間の健康というコンセプトでこの人にとってはハーブ栽培もアロマセラピーも足ツボ刺激もタイ式マッサージも同根なのだ。彼もシャスタには何度も行くらしいが電解質の水がいいのだと言っていた。私がシャスタの3日目からデジカメでピンクの光が見えたと言ったら「そういう場所なんです」とあっさり肯定された。

ともかく面白いのはシャスタ以来2週間でオーガニックに取り付かれたような巡り合わせ。これが時代の風なんだろう。

何もないこと (6月25日・月)


キャロルの家でのパーティでカオルさんの母上フサコさんと初めて会って話をした。沖縄の久高島に2度行ったことがあるそうだ。先日の日記に書いた女性といい久高島の話題が続く。岡本太郎『沖縄文化論―忘れられた日本』をお奨めしておいた。

そのこともあって「何もない」ことを考えた。『沖縄文化論』によると久高島の御嶽には何もないと書いてある。ただ小さな何もない空間。沖縄の他の地域には香炉だけはあるそうだが久高島の御嶽には三方か四方に枯葉に覆われたただの石が転がっていただけだと。

今回のシャスタでお清めしたような気分になったCastle Lakeにも人工的なものは何もなかった。草を刈った土の道があるだけだ。妻とサトコさんがお互いのオーラを生で見た場所もただの川だった。木がない小さな広場が伸びたようには見えたが人工的なものは何もなかった。

日本の神社も元はこんな感じだったのだろう。岡本太郎の言葉によれば霊的な力がある場所に目印の石が置かれ屋根が付けられ権威付けの大きな建造物に発展する。神から人間へのエネルギーの通り道だった1本の木は人間の意識が作り出した建物の背景にされてしまう・・・。

神聖で崇拝の対象になるべきものは神社などの人工物ではないと今回実体験として理解した。祈りとは本来は霊をも含めた自然と人間とのエネルギーの交換ではないか。それは人間の意識が作り出した物語や偶像やましてや宗教が対象ではないということだ。

建造物や偶像さらに物語や宗教は人間が生み出した文化としての価値は高いと思う。だがエネルギーの交換ができるわけではない。祈るなら「千の風になって」の歌詞のように自然の中で感じる自分の原始的な感覚にこそ意識を集中させるべきなのだと考えるようになった。

私の前世 (6月24日・日)


続いてキヨミさんのリーディングによる私の前世のこと。
・・・
私の最近の前世は1800年代のアフリカ。野口英夫のイメージが見えるが白人男性。試験管。医療または文明の役に立とうとする研究者。自国を離れ悪戦苦闘している。人の役に立つことが使命。多分現世の私はお金はツールで目的ではなく魂や人の縁が大事と思っているはず。

聖徳太子のような格好をした(そういう時代の)朝鮮人。論語か宗教?を教えている先生。しゃべらない堅い人で気難しいじいさんに見える。でも実はやりたいことが多かった。自分を出したかったのに表向きの顔で人の見方に合わせざるを得なかった。現世では前世の思いがあり人の見方を打破することや社会常識を覆すことをしたいと思っている。
・・・
こう言われると全て当たっているように思う。意外性はない。自分の考え方の源泉を知った感じ。私の感覚や生き方には理由があると思うことにする。これまでの生き方で構わないのだと確認しただけという感想。

私の未来 (6月23日・土)


サンフランシスコに着いてすぐキヨミさんのリーディングを受けた。本来は1人1.5時間だが妻と45分ずつ。エネルギーが混濁すると言われモーテルの部屋で1人ずつ。意外なことがいくつか。以下はメモの要約。
・・・
仕事では私は妻が扱っていない分野を広げる。どちらかというと堅い方。二足の草鞋で1つはオフィスの潤滑油的仕事。目標を持って楽しく仕事をするだろう。もう1つはコラム原稿。背の高いビルが見える。金融系。専門知識を生かして金融系のメディアでコラムを書いている。

三足の草鞋かも。小説の元になる気づきノートをつけている。奇異なことや登場人物をノートに書き留めて小説仕立て。広報の仕事とは直結していない。つなぎ合わせている感じ。小説なのか実体験なのか。書いているときは違うエネルギー。時間を決めて日常とは違う場でやる。

子供はいても変でない。準備はある。男2女1の子を持つと約束されていた。2歳ぐらいの女の子が見える。東京での生活はテンポラリー。仕事は東京がベースだが田舎との関わりが強くなる。最終的には田舎に住む。生活に多くを求めずモノを手放している。そういう生活は妻の方が望んでいる。
・・・
意外なのが金融系の仕事ということ。IT?などの知識をTIPSとして金融・経済系の新聞か何かに書いているらしい。それに子供のことや田舎に帰るというのも意外。それを妻が求めているというのはもっと意外。それ以外は私もイメージしたことがあるがどうなのだろう。事実はどうなるかを楽しみに記録としておく。

シャスタの水 (6月22日・金)


シャスタに行って少し痩せた。行く直前の1週間でステッパーを使って運動したのが効いたのかも知れないがシャスタでは毎日何十分も歩いたしViViFYのオーガニック料理を食べていたからだと思う。夜は遅くとも0時頃に寝て朝は7時ぐらいに起きた。健康的な生活だ。

何より水はよかったと思う。天然の湧き水を毎日大きなペットボトルに汲んで飲んでいた。ViViFYのサチオさんがシャスタに引っ越す前に癌の奥さんに飲ませるため片道560kmを毎週行って汲んでいた水である。カリフォルニアのあらゆる水を飲んでシャスタに決めたそうだ。 ※写真は、Sacramento River Headwaters。中央の白いところが湧出口。手が凍えそうになりながら毎朝ここで水を汲む。

現地では気づかなかったが帰国して自宅の水を飲んで違いが分かった。水道水をフィルターで濾過して飲んでいるがまずかった。シャスタでは水道水も美味しいと聞いて結構飲んだ。ばななさんも「毎日平気で飲んでるよ」と言っていた。

食事は意外に量を食べなかった。それなのにウンコは毎日朝晩2回出た。やっぱり体の中の何かが変わったのだと思う。目に見えないエネルギーと水で体を内側から変えるという意味でやはりパワースポットなんだろう。サンフランシスコに戻って雑踏を見てゾッとしたが人間の生命には自然のエネルギーを受け渡しする機会が必要なのだろうと思う。

スピリチュアル (6月21日・木)


スピリチュアルとかパワースポットとかオーラとか書いているが何でもかんでもスピリチュアルに考えるのは間違っている。今回はツアー自体がパワースポットだからそんな気分になるのは仕方がないが。

例えばサンフランシスコからシャスタに向かってフリーウェイを走っていたときフロントガラスに鳥がぶつかった。サトコさんがこれは何を意味するのだろうと不安がった。ちょうどフミコさんが交通違反体験を話しながら時速100マイル(160km/h)以上でぶっ飛ばしていたとき。スピードの出し過ぎへの警告ではないかと私が言ったら納得していた。でも単にぶつかっただけだ。それに意味など何もないと内心では思う。

あるいはパワースポットではシャッターが切れなくなるという話がある。別行動のカオルさんと1日目18時過ぎにパワーストーンのお店の前で偶然会った。そしたらPanther Meadowsの入口でヨシさんがデジカメを落としシャッターが切れなくなったと言う。確かに他の機能は全て生きていてシャッターだけが使えない。でもそれは壊れただけだ。意味はない。ちなみにカオルさんには夜になって妻のデジカメを貸してあげた。

または子宮に例えられる洞窟Plute Cavesに行ったとき写真を撮ると光の粒がいっぱい写る。これはオーブで魂の光だと言う人がいるが単に舞い上がった砂粒にフラッシュが反射しているだけだ。食事会で私がそう言ったらヒロさんもうなずいていた。

さらに私が腰を痛めたのも意味はない。よく歩いて脂肪が落ちて腰回りのバランスが悪くなっただけだと思っている。Castle Lakeで泳いで冷えたからだと妻は言う。鍼灸のE先生は今週診療に行ったとき「飛行機や車の中で同じ姿勢でいたから筋肉が固まって歪んだんだ」と言った。そんなものだ。それでも不思議経験はあったが霊的なものかどうかは常に疑うぐらいでちょうどいいと思う。

オーラ (6月20日・水)


サトコさんのデジカメ液晶のピンクの光はシャスタに着いて3日目から表れた。サトコさんから何度もカメラを渡されて彼女を撮っていたからそれ以前に出ていたら気づいていたはずだ。最初に気づいたのはもちろんサトコさんでCastle Lakeのときだったと妻は言っている。

この日は南部のBurney Fallsに行って午後Castle Lakeの冷たい湖水で泳いだ。湖面に浮いて周りを見渡したときの爽快な気持ち良さは初めての経験と言っていい。素晴らしい体験だった。湖から上がって思ったのは沐浴かお清めをしたような気分だったこと。このときからピンクの光が見え始めたということは何かエネルギーを得たのだろうか。

ちなみにサトコさんのデジカメはみんなで「オーラチェッカー」と呼ぶことにした。この後原住民(インディアン)のおじさんからフミコさんが教えてもらっていたというパワースポットの川に行って妻がサトコさんをオーラチェッカーで撮影したときサトコさんは妻のオーラが生で見えたと言う。

ジェルのような質感で立体的なピンクだったそうだ。それが頭から肩まで浮いていると言っていた。そのとき妻はサトコさんの両肩の上にピンクの雲のようなふわふわしたものを見たのだとか。でも何故いつもピンクなんだろう。

そう言えば3日目の夜ViViFYではオーラチェッカーで青い細い光が縦横に見えた。サトコさんがサチオさんに訊いたところ青い光が出ている辺りは2Fに仏壇と癌で亡くなった最初の奥さんの位牌があると言っていた。関係あるのかな。

パワースポットとエネルギー (6月19日・火)


Wikipediaによるとパワースポットとは「地球上にあるすべての生命や物質の存在及び活動の源となるエネルギーが集中している特異な場所のこと」とある。「パワースポットに滞在すれば、誰でもその波動エネルギーを吸収することができるとされる」と書かれている。

これまで旅行の楽しさは人との交わりや異文化を経験するもので景観を見るだけの旅は邪道だと思っていた。ところが今回のシャスタでは異文化とは無縁だったし話をしたのも多くは日本人。それでも素晴らしい旅だった。それはシャスタがパワースポットだったからかも知れない。

景観を見て感じる気持ちよさは実はその土地のエネルギーを吸収しているのかも知れないと考えた。景色ばかり見る旅行には否定的だったが私は素直でなかった。旅を頭で捉えていた。気持ちよかったり開放感があるのならそれでいいのだ。考えるのではなく感じればいいのだ。

私には霊感はないし今回もエネルギーを感じたわけでもない。それでも開放感があったし何より楽しかった。それでいい。サトコさんのデジカメで見えるピンクの光は可視化されたエネルギーまたはオーラだと思うことにする。あの光はシャスタに行って3日目から表れた。自分では感知できないエネルギーをシャスタで得たということにしておこう。

シャスタツアー (6月18日・月)


今回のシャスタツアーは妻の友人カオルさんが大ファンのばななさんにメールを出したことから始まった。数秘術のキャロルをばななさんに紹介したいと思ったのだ。興味を持ってくれたばななさんはキャロルが来日したときにセッションを受けた。ばななさんの日記にも書かれている。

このときカオルさんと妻もばななさんに会っている。カオルさんの娘ミキちゃんとばななさんの息子M君は同い年で1週間しか誕生日が違わないそうだ。それで仲良くなりキャロルがサンフランシスコにいることだしシャスタに行こうとなったらしい。

そういうわけで飛行機やホテルとレンタカーなどの手配はカオルさんやフミコさんがやってくれた。と言ってもそれぞれの経済状況に合わせてホテルは一緒だったり違っていたり。でも一緒に遊んで食事をして楽しいツアー仲間だったと思う。

振付師でありダンス講師のサトコさんとも妻はキャロルのセッションで知り合った。このときのセッションは場所がなく私の自宅でやった。私は今回が初対面だったが5日間一緒にいて仲良くなった。私の知らないミュージカルの世界で生きてきて私より10歳近く年上なのにすっかり友人だ。サトコさんが帰国したら早速飲み会をやりたいと思っている。

シャスタツアーのメンバー (6月17日・日)


シャスタツアーのメンバーをイニシャルで書いてきたけど名前を覚えるのが苦手な私は混乱してきた。備忘録として改めて名前で紹介する。

グループは3つ。1つは私たち夫婦と私たちがエージェントをしているヨガのフミコさん。米国永住権を持っていて福岡育ちなのにメンタリティも行動も米国人そのもの。もう1人は宝塚歌劇団の振付や劇団四季でダンスを教えてきたサトコさん。ブロードウェイのミュージカル関係者から会いたいと言われていてサンフランシスコから今週ニューヨークに向かう。

グループ2つめは妻が以前仕事で知り合い友達になったカオルさん一家。英語とスペイン語が堪能で今はキャロルの本の翻訳をお願いしている。それと教育系大手出版社に勤めているご主人のヨシさんと4歳のミキちゃん。さらに世界中を旅している行動派のお母さんフサコさん。

3つめは作家のよしもとばななさんのグループ。ご主人でロルファーのヒロさんと息子のM君と秘書のリサさん。それにハワイから来たチホさん。20歳代の学生さんでタレントのRIKACOに雰囲気が似た素敵な女性だ。運転はリサさんだがカオルさんグループの運転は『パワースポット、シャスタ山の歩き方』の著者でガイドのミサオさん。

サンフランシスコで前世や未来をリーディングしてくれたのはキヨミさん。背が高い綺麗な人だった。サンフランシスコの鮨店「KABUTO SUSHI」を売ってシャスタでオーガニックレストラン「ViViFY」を開いたのはサチオさん。癌を克服して店で働いている奥さんがアヤコさん。それとシャスタが気に入りViViFYで働き始めてしまったミヨさん。ニューヨーク育ちの33歳。フミコさんと逆で米国育ちなのにメンタリティや行動は日本人。よく気がつくかわいい子だった。

帰国 (6月16日・土)


17:30頃帰宅した。今朝は8:30にサンフランシスコのホテル「PARC55」を出てタクシーで空港。出国手続きに時間がかかるとシャスタのガイドMさんが言っていたということで早めに行ったのに手続き開始前。

ほどなく手続きが始まったが重複予約の恐れがあるとかで翌日搭乗に変更すれば1人450ドルももらえるらしい。一旦は通常の手続きをしたが急ぐ用もない。2人で10万円。ただホテルで寝ていて手に入るとすれば効率のいいアルバイトだ。そんなわけで後から申し込んだ。搭乗直前まで行っておくのだが結局私たちの名前は呼ばれず。期待が高まっていただけにガッカリ。

飛行機ではKさん家族と一緒。今回は映画「主人公は僕だった」「ロッキー・ザ・ファイナル」と実在の高校教師がモデルになった「フリーダム・ライターズ」の3本を見た。と言っても「主人公は僕だった」の途中30〜1時間寝たのだが。ロッキーだけは別格だ。ストーリーは単純だが映画は良かった。

そんなわけでアスファルトとコンクリートの東京生活の再開。シャスタや人について書きたいことがいっぱいある。明日から徐々に。

シャスタ〜サンフランシスコ (米国6月14日・木)


約束した8:30ピッタリにFさんが来た。前日夜の食事会でCastle Lakeにばななさんが行っていないと聞きFさんが誘って再び高地の湖。今日はスラックスとジャケットだったが率先して足を入れみんなから笑われた。ばななさんもご主人もハワイから来たばななさんの友人でフリーダイバーのCさんも泳ぐ。Fさん指導で15分ほどみんなでヨガ。

一旦ホテルでチェックアウトし四度「ViViFY」。昼食には早く徒歩で買い物。シャスタのパワーストーンをいくつか買った。腰痛の腰に当ててみたら確かに楽になる石がある。そんな選び方。昼食は再度合流したばななさん一行と一緒。うどんを食べた。妻はばななさんの拍手を受けながらFさんSさんから誕生日のメッセージカードをもらってんの。
※写真は、Plute Cavesで道を間違えたときに撮影したMt. Shasta。

ばななさんのご主人はロルフィングという体の歪みを直す人で食後に腰痛の簡単な施術をしてもらった。少しスッキリ。ここで一行と別れるのだがViViFYの大将と癌をシャスタで克服した奥さんたちと写真を撮った。最後にばななさんとハグして少し感激。

13過ぎにシャスタを出てサンフランシスコまで350マイル(560km)。東京大阪の距離を一人で運転してガイドもやってくれたFさんに感謝。サンフランシスコではViViFYの大将から預かったシャスタの水をSさんが旧知の人に届け18時にチェックイン。ところが部屋が空いていない。

仕方なくミールクーポンで夕食を摂っていたらFさんが合流。そのままKさんも合流。20時前にキャロルが合流して5人でビジネスミーティング。21時半頃解散。ホテルのネットは24時間12.95ドルの有線LAN。高い。金曜午後の飛行機で帰国予定。

シャスタ 3 (米国6月13日・水)


13日はFさんがブログを書くために8:30に来ると言っていたのに遅刻して9:30過ぎ。レストランで朝食。私たちは既に食べていたのでスープとコーヒーのみ。それから車で1時間強の場所にある滝を見に。映画「スタンドバイミー」の舞台になった小さな街も通過。滝壺の脇でゆったり。 ※写真は、工事渋滞の中1時間かけて行ったBurney Falls。滝壺の岩の上で思い思いにのんびりする。

シャスタで水着を取りに戻りFさんとSさんが泊まっている「ViViFY」ゲストルームも見せてもらった。出ようとして車がスタックしたのはご愛敬。今度はCastle Lakeという高地にある湖。ビーチサンダルで入るが足が凍りそうだ。でも徐々に入って結局泳いだ。冷たい水が苦手だという妻も一緒。山に囲まれた透明な湖で浮かぶ爽快感に感激。

帰りにシャスタ山とベビーシャスタ山が見えるポイントで車を停め写真を撮ろうとしたら面白い現象が起こった。Sさんのデジカメ「キヤノンA-640」の液晶でSさんにピンクの光が降り注ぐように見える。液晶の不具合だろうと思ったがフレーミングを変えてもSさんの真上に必ず来る。白いTシャツに反応したのかと青いタンクトップのFさんが入っても同じ。さらに黄色いパーカーの妻が入ると妻に一番濃くピンクが降り注ぐ。

次に以前Fさんが原住民に教えてもらったパワースポットという川辺に行ってデジカメを見るとSさんが1本の木と川の中の1つの石にだけピンクの光が見えると言う。特定の木や石に生命エネルギーがあるということか。何なのだろう。

夜は19時に三度「ViViFY」。Kさん一家やばななさん一行と夕食会。大将が張り切った料理はここが米国かと思うほど美味しかった。今回の日記は突然の腰痛で深夜に起き出した日本時間14日夜にアップする。

シャスタ 2 (米国6月12日・火)


夜は飲みながら話し込んで今日も朝書いている。昨朝は遅れて9時半頃Fさんが迎えに来てくれて湧き水を汲む場所に行った。ペットボトルに入れるのだが冷たくて手が痛い。次にシャスタ山中腹の湿地帯。素晴らしい景観と残雪の中を歩きここにも伝説のある湧き水がある。
※写真は、残雪のPanther Meadowsから臨むMt.Shasta。岩石、雪、湿原と変化する山道の先に伝説の湧き水がある。

昼食を湧き水ポイントの横のベンチで食べ午後は洞窟。連続した洞窟があって最奥は真っ暗。それでも隣の州まで続いているらしい。石と舞い上がる砂で歩きにくい。原住民が儀式をしただろうと想像できるところがいくつかある。Fさんは波動を感じると言うが私は何も。
※写真はPlute Cavesの4つめの入口。この奥は暗黒で皆が「死を感じる」と異口同音に言った。

夕方になり温泉。これはワイルドだった。シリカという鉱物の粒子でお湯がヌルヌルする。肌を掻くとダメらしい。鉱物の繊維が肌に刺さり炎症を起こすからと妻が推測。風呂は個室のバスタブでヌルヌルに浸かりサウナで体を暖め外に出て冷たい川に入る。これを3回。サウナと川は男女共用。ここでは男女問わず水着の人もいれば素っ裸の人もいる。
※写真は、Stewart Mineral Springs。屋外の冷たい川。

夜は再び昨日のお店「ViViFY」。休業日だから申し訳ないのだが温泉デトックスのあと普通の食事を摂ったのでは意味がないと言われ納得。友人の一員としてまたご馳走になった。そんな一日。

シャスタ (米国6月11日・月)


日本時間火曜夜に書いている。こちらは火曜早朝。昨夜LANが使えずダイアルアップで悪戦苦闘して諦めた。今朝になり無線を試したらあっさり接続。サンフランシスコから車で4時間走り今は米国有数のパワースポットであるシャスタ山の麓にあるコテージに泊まっている。
※写真は、私たちが泊まったMount Shasta Resortのロッジ。1LDK、
80m2ほど。広い敷地に点在しゴルフコースにも隣接。


我が社所属Fさん運転の車で振付師のSさんと4人で行動。Fさんはシャスタ山ガイドもできるから案内してもらっている。Kさん一家は本も出している別の日本人ガイドMさん運転の車。ばななさん一行は事務所スタッフRさん運転で子供がいる2家族が2台で行動。

シャスタに着いて私たちは車を停め線路を20分歩きモスブレーの滝を見に。Fさんは冷たく流れが速い川を水着になって泳ぐ。ミス・ターザンと呼ぶことにする。夕方から日本人夫婦が経営するレストラン。ご主人は振付師Sさんの古い友人で以前はサンフランシスコ有数の鮨屋をやっていたらしい。

ところが奥さんが癌になり5度転移し医学では治らない状況になって水がいいシャスタに来たそうだ。それから1年数ヶ月。検査はしていないが体調はいいんだとか。レストランでは無農薬無添加物の食事だけを出す。豆腐もチーズも手作り。今回は友人としてご馳走になった。
※写真は、ジャパニーズ・オーガニック・レストラン「ViViFY」を正面から。カウンターを入れ30席ほどとテラスにも20席弱ある。

今回はFさんやキャロルのスピリチュアルな仕事を知っておくために来た。とは言え誰もがシャスタでは奇跡が起きると言うから私も素直に受け入れてみようと思う。

サンフランシスコ (米国6月10日・日)


11時(日本時間am3時)頃到着。座席ごとにある液晶で映画を2本(「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式!」「それでもボクはやってない」)見て一睡もせず。同じ便だったのは我が社のタレントFさんと宝塚などで振付をしてこられたパワフルな女性Sさん。空港からはFさんが借りたレンタカーで移動してモーテルにチェックイン。

続いて私たちは45分ずつスピリチュアルカウンセリングを受けた。私の未来のイメージや前世が見えるという日本人女性Kさん。5分で本物だと分かった。この人は凄い。詳しくは後日。

その後スーパーでシャンパンなどを買ってキャロルの家でホームパーティ。参加したのは同じ便だった私たち4人と前日入りのキャロルの本の翻訳者Kさんとご主人と母上と4歳のMちゃん。作家のよしもとばななさんとご主人と息子のM君ら。さらに明日からのツアーガイドのMさんご夫婦。それとキャロルの友人に息子夫婦と孫達ら20名超。

繋がっているのは全て女性。私はKさんやばななさんのご主人と話すばかり。あとは金髪の3歳たちと紙飛行機を飛ばしたり。途中からビール酵母が胸につかえた感じ。そういうわけで徹夜明け日本時間13時にやっと寝ます。それと妻の携帯が使えてません。用件はメールで。

渡航準備 (6月10日・日)


午後からバスで成田に行き米国サンフランシスコ。飛行機は17時発で夜アップできないのでこの日記は午前中に書いている。PCは持参するがホテルの環境やスケジュール次第でアクセスできない可能性も。そんなわけでこれから1週間の日記は不定期になるかも知れない。

昨日は夕方になってようやくPCのセッティングを見直した。念のためダイアルアップの方法を調べておいて仕事に必要なファイルをコピー。現地サンフランシスコは日本から16時間遅れ。デジカメにも設定。

電話の設定も。自宅の電話機には留守番機能がない。普段は不在時の着信を妻の携帯電話に自動転送している。今回妻の携帯は持って行くから全ての電話を国際転送するのも大変だ。そこで私の携帯に転送して海外出張中であるメッセージを流そうということになった。

ところが携帯側の設定方法が分からない。私や妻の旧fomaで試したがダメ。留守電機能付個人用FAXをISDN回線に直結してみたが使えない。結局マニュアルを見てfoma端末の「おしゃべり機能」というので設定すると分かったのだけど。2時間も悪戦苦闘した。

そういうわけで私の携帯も通じない。荷造りは夜のうちにできた。これで準備は整ったはずだけど。

『なんくるなく、ない』と沖縄 (6月9日・土)


この本の存在だけは知っていた。よしもとばなな『なんくるなく、ない―沖縄(ちょっとだけ奄美)旅の日記ほか』(新潮文庫)。『沖縄楽園』というムックで「沖縄の素顔に深く迫った本」として取り上げられていたと「 ニシノ説」にある。このムックで紹介された5冊の中で西野浩史『沖縄に恋する』と岡本太郎『沖縄文化論』の2冊は既に読んだ。

そしてこれは3冊目。何回かの沖縄旅行をネタにしたエッセイ集。前半は雑誌などに寄稿したもののようで読めるのだが後半はタイトルの通りの日記だった。現地のことを知らないと今ひとつ分からない。

一方で妻の知人の女性が東京での仕事に疲れ久高島で暮らすという話を先日聞いた。久高島は沖縄本島近くの小島である。厳粛で神秘的な神事が残っていると『沖縄文化論』で紹介されている。彼女もこの本を持っていたらしい。

久高島には私も行ってみたいが観光地化を促進するようで実は気が引ける。神秘は神秘として置いておいた方がいいような。神事でなくても沖縄は何もないごく日常がいいのだと思う。3冊とも沖縄の魅力をそう書いていると私は読んだ。

有楽町ガード下 (6月8日・金)


PDAの師匠にして大手新聞記者のM氏と4ヶ月ぶり。前回はM氏の同僚Sさんと私の妻も一緒だった。今回妻は米国渡航前で仕事が忙しく欠席してM氏と2人。そう言えば出張準備を何もしていない。本当に何にも。

さて今日は有楽町で待ち合わせM氏お奨めの新幹線高架下。お店の中には何席かあるがメインは道の上。通行人が横を通るビールケースをテーブルにした路上。オヤジ臭い飲み屋なのに客の半分は若い女性グループという不思議。

それよりM氏に紹介された大将。60歳前後なのだが東北大学男声合唱団出身。私が徳島の男声合唱団で先日「阿波」を演奏したと言えば大将は「ドンタントーンドンタントーン」を歌い出し昨年OB会団体で東京初台オペラシティで「阿波」を演奏したと言う。ベースなんだとか。

その演奏会には作曲した三木稔氏も来ていたし昔から「阿波」は何度も演奏してきたと言う。徳島で全曲演奏されたのが今年が初めてだというのは信じられないだろう。私は男声合唱の周辺にいるだけだが少し感動。連れて行ってくれたM氏に感謝。東京で何かあったら一緒に行こうね。>響の人たち

針治療 (6月7日・木)


針治療に行ってきた。妻が昔病院で椎間板ヘルニアだと診断された腰痛を針だけで直してもらったとかで以来信奉しているEさん。結婚後私も何度か連れて行かれて針を打たれてきた。東京郊外の1ルームマンションで一見怪しげなのだが効果は大きい様子。

妻は私の友人にも紹介し彼は何度も通っている。その友人が別の同僚を紹介しているとも聞いた。今回の私は特に自覚症状はないのだがEさんに来いと言われて3年ぶりの定期検診の趣。手指がしびれると言う義母の治療のおまけみたいなもの。

治療は経脈の通電を調べてPCに表示させる。電位の高低から悪化している内臓を推測して当たりをつけてツボに針を打つ。針は例えばくるぶしの数センチ上に打つとふくらはぎの奥がズンズンしかかとや足指の付け根がビリビリする。針の刺激が経脈を伝わっている証拠である。

同じ経脈にあれば肩こりが歯や大腸に表れる。あるツボで効果がなく別の内臓のツボに打ち直すこともある。今回の私は副腎と心臓と目が悪いと言われ義母とあわせて3時間もかかった。肝臓の治療も少し。体中に刺激を受けて帰宅後はいつものことだが怠く微熱状態。

1982年6月13日 (6月6日・水)


もうすぐ25年になる。1982年6月13日。入学したばかりの大学を休学して受験をやり直すため悲壮な決意で東京に引っ越した日。当時の私はどの大学に行くかが大きな大きな問題だと思い込んでいた。入学した大学には既に友人がいて京都では受験勉強ができないと思っていた。

多分23時頃出発の夜行列車で行ったと思う。俗に言う人民列車。堅い直角のシートで8時間ぐらい乗っていたはず。住んだのは杉並区松庵。西荻駅徒歩3分。ここの思い出は既に何度か書いた。13日のことは覚えていないが14日のことは比較的覚えている。

隣の美容院が預かってくれていた引越荷物を受け取りに行って運んでいたら貧血を起こしたこと。京都から運んだ自転車でその夜に友人ニシノ説論者の下宿に行ったこと。帰りに迷って気づいたら井の頭公園の池のほとりに出てしまったこと。帰宅したのが23時半頃だったこと。

結局受験に失敗して京都に戻ることになるから恥ずかしい1年なのだが自分の人生と真剣に向き合った1年の象徴的な日なのだ。夏の甲子園で池田高校が優勝し中森明菜がデビューしてあみんの「待つわ」がヒットした年。あれから25年を無事に生きてきたことに感謝する。

年金問題 (6月5日・火)


統合できていない年金記録が5,000万件あると話題になっている。払ったのに年金がもらえない人も実際にいるらしいから大問題だが新聞などによると年齢を誤魔化して就労していた人や偽名だった人の記録もあるらしい。そういう人はもらえないのだとか。当然だろう。

報道によると97年に年金が1つの番号に統合されたらしい。それ以前の複数番号時代で宙に浮いている場合が多いとか。転職が99年の私は大丈夫だろうけど妻は97年以前に何度も転職している。でも転職の合間の国民年金も過去に遡って払い込んだことがあるのだとか。

社保庁の仕事は杜撰だけど5,000万件が一人歩きしていて嫌な感じ。受給開始前に統合作業はしていたらしいから私はそれでいいように思う。不信に思えば問い合わせばいい。それで払ったのに受給がないなら問題だけど5,000万件はそういう件数ではないはずで。

誰もがお上に頼りすぎてきた一面があると思う。何でも政府や自治体がやってくれるという依存性。拉致や耐震偽装の問題を見れば国民の生命財産を守るはずの政府が完璧でないと分かるはず。それなのに政府が全てお膳立てしてくれると思う方がどうかしていると思うのだが。

ステッパー (6月4日・月)


週末には米国に行く。体調を整えておかないといけない。それに8月にはダイビングに行くことになった。機材を背負っただけで息が上がるようでは困る。そんなわけで運動を始めた。まだ今日からなんだけど。

2年前に買ったステッパー。毎年夏前に3週間ほど使うがそれだけ。確かに効果はあるのだけれど3週間経つと体重は徐々に戻る。そして減った分も上回る。

今日は体重を計っておいた。ついでに昨年までの健康診断のデータと比較した。そしたら昨年から1.5kg増。一昨年からは4.5kg増。どうりで礼服が着られなくなったわけだ。

ステッパーは結構きつくて毎年最初にやるときは10分で音を上げる。カウンターは500。約1,000歩分。徐々に増やして休憩を入れながら1,500カウント約40分を週に3回程度で継続するのが当面の目標。

ダイビングに行って息が上がらないようにしたいし体に付ける重りも少なくしたい。2ヶ月でどれだけできるか今回は3週間で止めないようにしたいと思ってはいるのだけど。

『チエちゃんと私』 (6月3日・日)


月曜発行のAERAは我が家には前日の日曜朝に配達される。その6/11付AERAでよしもとばななが特集されている。「特に届けたい読者」は「感受性が強くなりすぎる16歳から22、23歳くらいまでの人たち」と著者がインタビューで語ったとAERAにある。やっぱり私は範疇外なんだ。

と思いつつ買っていた最新刊を読んだ。『チエちゃんと私』(ロッキング・オン)。今回の作品もターゲットは20歳代の女性なのかも知れない。が主人公は著者の執筆時の実年齢と同じ42歳。物語は7つ下の「従兄弟」の女性との同居で感じる心の動き。今回私は結構共感できた。

「全てのことが(略)毎回少しずつ違っているのに、広すぎてこわいから、人間はいつでも固定させて、安心しようとするの。知っていることの中に」。「人は毎日を自分でこねあげて作りだしている、生は激流のように流れている、そこから何を取り出してどの流れに乗るのか」。

考えるのではなく感じればいいのだということ。世間から見た自分ではなく自分が素直に感じる自分から見れば日々の生活も人生も楽しいということ。この小説のテーマを私はそう読んだが20歳代の私なら逆に分からなかったような気もする。

疑惑のウィルスバスター (6月2日・土)


私のPCに入っているウィルスバスターは5月31日で期限が切れた。それでもパターンファイルは6月1日午前にもダウンロードできた。「期限が切れています」と表示されるポップアップは5月31日と6月1日にも出ていた。告知には前後1日の余裕を持たせているのかも知れない。

6月1日夜にもパターンファイルがダウンロードできた。ところがこの後からPCが不調に陥る。ブラウザでローカルディスクにアクセスできなかったりブラウザ起動だけでフリーズして勝手に再起動したり。そんなことを繰り返していたら「パターンファイルを元に戻します」とウィルスバスターがメッセージを表示した。

怪しい。ウィルスバスターの存在を主張するためわざとPCを不調にさせたのではないか。契約更新しておこうと私に思わせるために。でなければこのタイミングはどうしたことだ。

一方で妻のPCのウィルスバスター2007が体験版のとき「ウィルスを検出しました」とメッセージが出たことがある。検索したがそんなファイルもなくウィルスは出てこなかった。これもウィルスバスターの自己主張ではないのか。確証はないが少し疑っているところ。

『佐賀のがばいばあちゃん』 (6月1日・金)


島田洋七『佐賀のがばいばあちゃん』(徳間文庫)。もう十分に有名すぎるほど有名な本だが何となく買ってしまった。著者が小学校2年生のとき騙されて広島から佐賀に連れて行かれてから中学を卒業するまでの物語である。

磁石を引いて歩いて金属を集めそれを売ったり川に流れてくる野菜を拾って食材にしていたばあちゃんとの貧乏生活。「あんまり勉強するな!勉強すると癖になるぞ!」といった語録とともにばあちゃんと当時の周りの人の優しさのエピソードである。

233ページあるが一文ごとに改行されているし会話文も多いから紙面はスカスカだ。通勤の往復で読める。それに本で読むより著者の話をテレビで聞く方が面白い。これは話術を含めて楽しめる話だと思う。

そうは言っても話自体は泣ける。電車の中で泣きそうになって慌てたこと何度か。気軽に読めて感動できる。続編はもう買わないと思うけどその実興味があったりする。

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© 2007 Takashi INAGAKI