2009年4月

(4月30日・木)


世間はゴールデンウィークというわけで毎日更新してきた日記を休んでみることにした。再開予定は未定。たまにはこういうことがあってもいいと思うわけで。

暗闇 (4月29日・水)


部屋の電気を消してピンクフロイドを聴いていると前に書いた。ところが部屋の電気を消して気になるのが電気製品のディスプレイ。東京では部屋の中のライトなど気にならないほど屋外が明るかった。電気を消しても屋外の光が差し込んできていて真っ暗にはならなかった。

今は部屋を暗くすると目立つのはCDプレーヤーにHDRとビデオデッキさらにDVDプレーヤーの電源ランプ。ルーターにVoIPアダプタのランプも正面にありPCを付けたままだとディスプレイのライトが部屋中を照らすように明るい。2つあるハブやNASにプリンタのLEDライトも結構目立つ。

窓の外が星明かりだけの暗さだからカーテンを閉めれば十分暗い。そこに部屋の中のライトがとにかく目立つ。ファンヒーターの明かりも邪魔だ。何だか電気製品に囲まれて生活していることが思い知らされて少し白けた。せっかく山の町に住んでいるのにと。

電気がない生活を想像すると月や星には大いに関心を持ったことだろう。もし漆黒の闇の中にいたら私が何を感じるか実は少し興味がある。新月の曇りの夜に人里離れてキャンプをすればいいのだろうか。漆黒の中で得る感性が何かあるような気がするのだが。

就職の考え方 2 (4月28日・火)


最初の就職は流されるままで構わないほどで就職そのものを真剣に考えすぎることには賛成しない。ただし就職したなら仕事には真剣に取り組むべきだ。やりたいことではないとか本意な就職でないといった気持ちは捨てて仕事に関連する全てを吸収するべきだと思う。

そうすれば3年後にチャンスがある。もともと本意でなかった仕事であっても真剣に3年間取り組めば一目置かれるようにもなるだろう。そうなれば同じ業界の別の会社に転職もできるだろうし新卒から3年なら全く別の業界に転職することもできる。3年間の過ごし方で決まると思う。

20歳代後半は仕事が最も面白い時期だ。仕事の内容と人脈を掌握して自分で考え行動できる。会社の立場も業界の動向も考慮して動けば成果が実感できる。会社の立場から見れば社員が最も成長する時期に当たる。それだけにこの時代が人生を決定づけるような気もする。

でも30歳過ぎで壁にぶつかる。仕事はマンネリに陥りがちで自分の限界や会社の問題が見えてくる。人生の本当の選択はこの時期にあると思う。会社に留まり改革を指向するか転職するか趣味に生きるか。この選択の重さに比べれば最初の就職など何でもないと思うのである。

地元の産直市 (4月27日・月)


日曜日。地元のY氏やT氏から何度か呼び出しがあって出て行ったのが10時過ぎ。地元の産直市のボランピアである。作業をするものだと思って行ってみたら既に商品が並べられ売られていた。びっくり。タケノコ1本50円など。

K氏が杉の丸太からチェーンソーで椅子やテーブルを作っている。おがくずが豪快に舞い上がりまさに男の仕事で格好いい。丸太を組み合わせたテーブルも素晴らしいが私が気に入ったのは丸太から切り出した背もたれ付の椅子。家を建てられるようなことがあったら欲しいと思った。

午後からは山上の「射手座造船所」から船を下ろした。大きな方ではなくて小さな方。2tトラックにみんなで乗せて産直市に据え付けて。お店の方では地域の子供たちが行き交う車に手を振って客寄せをしている。多くの観光客の車が止まって買ってくれていた様子だった。

その後は細々した仕事を手伝い立ち話を繰り返しながら夕方からは公民館に集まって宴会。地元のタウン誌「CU」5月号に載っているお二人もいたので事務所から本を持って行ったりしつつビールを飲んで大いに酔っぱらった。「響」の練習は欠席。

就職の考え方 (4月26日・日)


ちょっとした知り合いの大学4年生と先日話をする機会があり就職活動の時期だという話題の中で何となくアドバイスをする形になった。彼は自分が何を仕事にしたらいいか分からないと言う。それに対して私が言ったことを改めて整理しておこうと思う。

やりたいことがないと彼は言ったが実際そんなものだと思う。ほとんどの人がやりたいことがあって就職しているわけではない。やりたいことを目指せれば幸せかも知れないが一生それで幸せかどうかは分からない。逆に流されて入った会社で仕事が楽しくなることは十分ある。

会社に入っても3年間は勉強期間だ。会社は新入社員を戦力だと思ってはいない。手足として使われながら頭が使えるようになるのは3年目以降。ならば3年間は仕事人としての作法や思考を身に付ける期間と割り切ればいい。とすれば3年間はどんな会社でも構わないと思う。

大学4年生に必須なのは卒業することと正社員として就職すること。日本社会では未だに経歴のブランクは不利になるが今や最初の就職先は重要ではないと思う。正社員として就職すれば3年後にもう一度チャンスがある。やりたいことの選択は3年後で構わないと私は思う。

キャンプ用品 (4月25日・土)


キャンプ用品を買ってきた。テーブルとタープとクーラーボックスに寝袋。ホームセンターで安物ばかり。それにガスバーナー用の燃料2個。さらに荷物を運ぶのに本格的な台車を考えたのだが大きいので諦めてその代用として旅行用キャリーも。

記録によるとテントを買ったのは2年前の6月。東京の神保町だった。椅子は昨年5月に鳴門で買った。ここまでで二輪でキャンプに行っていた頃の装備まで戻ったわけだが昨年の2度のキャンプではテーブルやタープは一緒に行くベテランキャンパーさんにお世話になるばかりだった。

最初はそれで許されるかも知れないが何せキャンプである。自分のことは全て自分で賄うのが本筋だろう。いつまでも人頼みではいかんわけだ。それで徳島に引っ越したことでもあるし装備の充実を試みた次第。これで妻と2人だけでもキャンプに行ける。

いやバーベキューコンロは持っていないがこれはカセットコンロで代用しよう。あと足りないとすればランタンか。昔は持っていたのになぁ。今は電池式で妥協する。ランタンは通販サイトなども見ながらじっくり選んでみるつもり。それも一つの楽しみである。

車の発注 (4月24日・金)


フィットを買おうか迷っていると書いていたら「安くしてくれるホンダの営業マンを知っている」と実は2人からアドバイスをもらった。でも商談をしていた営業マンは私の友人に紹介してもらった人。浮気はできない。そんなわけでありがたい申し出は辞退していた。

ところが昨日書いたとおり商談は膠着。そもそも私から連絡すると言っていたのに来客中に何度も電話をされたら迷惑である。さらに車を見たいと連絡したのに10分後に注文書を差し出されて印を押す人はいないと思う。で値引き限度の最後通告。交渉の余地はなし。

友人が何台も買っている営業マンだから悪い人ではないと思うが何故こんな強引な営業をするのだろう。納品時期も二転三転。最初は2ヶ月待ちと言っていたのにGWに間に合うと言い出し5月に納品できる残り台数が話しているうちに増えたりする。策を弄する人を私は信用しない。

100万円を超える買い物だから気持ちよく買いたい。彼は私とは相性が悪かったのだ。そう思い別の会社に行くことにした。S子さんからも紹介されたが遠いのでT氏紹介のお店に。そしたら装備のグレードアップも含め2.5万円も値引きが拡大。腹をくくり即決で注文してしまった今日。

B氏とF氏と車のこと (4月23日・木)


水曜日。東京から4度目のB氏。我が家には3度目。夕食は2度目。さらに今回は泊まり。F氏とY氏に声を掛け今回も妻とB氏が料理。別の会合に行っていたN氏にも参加してもらい大いに飲んで食べた。B氏が横で寝ている中でN氏と妻と3人で諸々の相談。

木曜日。早く起きて妻が作った朝食をB氏と一緒に食べて10時にF氏宅。事前に届いていた荷物に諸々の細工。一部は軽トラで運びさらに一部は我が家へ。午後になりF氏の近所に再び赴き写真を撮った。コーヒーをいただきながら雑談少し。

午後は再度フィットを見に行こうと思い営業マンに電話をしたら不在。折り返しの電話で何と営業マンは上勝に来ていると言う。仕事熱心なのだろうけど強引だなぁと気分を悪くしながら仕方がないので来てもらったら注文書を差し出された。商談は進まず。

最後は値引き交渉にならざるを得ない。どうしても欲しい車なら仕方がないが買うこと自体に迷いがあって踏ん切れない。値引きは限界だと言うので私の気持ちにとどめが刺せない。そんなわけで自分が納得するまで商談は進めないことにした。我ながら面倒な性格である。

過去の記述 (4月22日・水)


この日記は書くネタがなくなると1年前や2年前など過去の記述を読み直す。今回も昨年4月の日記を読んでいたら21日に「徳島に帰る」というタイトルで書いていたのを見つけた。あれから1年。あのとき徳島に移住することだけは決めていたような気がする。不安を抱えつつも。

それより遡る2月に移住先を神山か佐那河内か勝浦上勝かと書いている。このときには頭で考えていたんだな。その後4月から神山を中心に回っていたが簡単に事が進まなかったことが今となっては良かったと思う。結局のところ上勝に移住する運命だったのだ。

もう少し日記を遡ると移住について1月にも書いている。夢と書いているが思考の方向は決まっていたような。当時は神山と書いているが上勝から鳴門も1時間少し。実際に日曜には鳴門や徳島から友人たちが来てくれたわけで当時想像していたとおりの生活が実現している。

やっぱり直接のきっかけは一昨年8月の焼山寺奥の院。徳島で感じた山の美しさについて「何かの示唆か」と書いているのも興味深い。Z嬢と母が偶然会った7月。シャスタ山のサチオさんの言葉。サンフランシスコで聞いた私の未来。全てが今に繋がっている。

どぶ川と犬のマル (4月21日・火)


ふれあい館でピザの生地を作っていたら早めに来ていた別の方と妻が鳴門のことを話しているのが耳に入った。家の場所を伝えているのだが私も加わって話を聞くと何と実家のお向かいのOさんだった。30年近く前に引っ越したそうだが土地はそのまま菜園にしている。

そのOさんのお母さんと息子さんと奥さんら。息子さんの歳を聞くと私より10歳上。お向かいさんだが私は付き合いがなかったので会ってもピンと来ない。でも息子さんのことで覚えているエピソードがある。先日もその話をOさん家族にした。

Oさん宅と実家の間にはどぶ川がある。前にも何度か書いたが台風が来るとそのどぶ川が氾濫する。一度Oさんが飼っていたマルという犬がどぶ川のこちら側に取り残された。朝になり台風は過ぎたが水が引かない状況のときにマルをタライに乗せてOさん側に引き渡そうと試みた。

あのときタライを持ち出してロープを付けてこちら側に渡したのがOさんの当時高校生ぐらいだった息子さんだった。こちら側は私を含め小学生数人がマルをタライに乗せようとするのだがマルが怖がる。何十分も悪戦苦闘したのだが最後にマルをどうやって渡したのかはもう忘れた。

棚田 (4月20日・月)


日曜日。妻は前日の夕方とこの日の早朝から準備をして8:45に出た。私は後から行こうと思いY氏/M嬢に電話をしたら既に上勝走行中と。わざわざ引き返してもらいピックアップしてもらい遅れて「ふれあい館」へ。この日は棚田の農家さんとお見合い。その前にピザパーティ。

9時からピザ釜で火興しが始まり私もピザ生地作り。11時前にはピザを焼き始めた。40秒で焼けるピザ釜。ここに至って私は食べるだけ。本当は午後のお見合いだけだったものを妻がピザを食べたいと言い始めイベントに昇格させてもらい多くの参加者がやってきた次第。

午後からは説明を聞き棚田へ。要は農家さんが持っている棚田の1枚を借りて米作りをさせてもらうのだ。と言っても体験農業といったレベル。農家さんは負担が大きいと思うが棚田の景観を守るための一種の広報活動とも言える。

もともと小松島の友人N氏が興味を持っていて一緒にやることにして多くの賛同者が集まった次第。私たちにとってはみんなで集まる口実のようなものだ。この日は夕方解散。事務所に寄ってもらい夜は地域の敬老会イベントの流れの方と一緒になって遅くまで。

FFと4WD (4月19日・日)


買おうとしている車はFF。徳島や鳴門の人は上勝では4WDが必須だと思い込んでいて私も同じだったがフィットに乗っているお向かいさんと話をして考えを変えた。私が住んでいるところから徳島寄りであれば4WDは不要ではないかと。

車に詳しい地元のT氏に相談すると冬の朝晩はFRだと厳しいらしい。できれば4WDの方がいいそうなのだが既に4WDの軽があるので凍結する時間帯は4WDを使うことにすれば済むと踏んだ。私たちの場合は道路が凍結するような時間帯に走ることはあまりないし。

夏でも軽は町内を走るために使おう。上勝の奥の方は道が狭いから小さい軽が向いている。それに勾配がきついところもあり3速ATで十分。町内であれば燃費は気にしない。4WDであることも好都合。2台あるなら役割分担させればいい。

2人が朝晩必ず車に乗るなら4WDの方が良さそうだけれど私たちはそうでもないので2台目はFFでいいという理屈。徳島までは燃費が伸びる道でもありむしろ2WDの方が都合がいい。FFなら価格も安い。さらにエコカー減税で税金も安いのである。

この日記 (4月18日・土)


引きこもりの私である。Rちゃんのブログでそう書かれた。彼女は凄いアクセス数を稼ぐ四国のブログ女王にして四国放送のコメンテーターである。多くの人がアクセスしてきたに違いない。面白くない独り言の日記に来てしまった人のために改めてこのサイトのことを説明しておこう。

この日記は徳島から福岡に引っ越しした10年前に近況を友人に知らせようとして始めた。Webページを記述するためのHTML言語を勉強することも目的だった。当時は続けることを最優先して3行で始め後に4行まで許容し3年前から何故か4行×4段の形式をほぼ守って書いている。

当初数年間を除き最近は検索エンジンを拒否していたし積極的に人に言ってこなかったので読者は固定している。10年以上前の同僚の現職社員とOBが半分以上。それに仕事を通じて友人になった人や徳島男声合唱団「響」のメンバーと高校時代の友人がほとんどだと思う。

当初は友人に近況を知らせるためだったが毎日書くネタもない。それで最近は自分の行動とそのときどきの思考を記録しておく目的が強くなった。いわば人生の外部記憶装置である。だから最大の読者は将来の私。そういうわけで人が読んでも面白くないと思うのでお許しを。

やるでないで上勝! (4月17日・金)


上勝のリンク集を作ってみた。題して「やるでないで上勝!」。こちらに引っ越す前からいくつかサイトを見て回ったところ役場などにもリンク集はあるのだがブログも含めると全てを網羅していない。それなら自分で作ってみようと思い趣味の範囲で作業を始めたのが2月中旬。

町内では毎週末あちこちでイベントが開かれているのだがそれらを一覧して見たいというのは妻の希望。町内のブログを読んで告知があったときに要約してリンク集に載せて各ブログにリンクしておけば何より私たち自身にとって便利である。

そんなわけで2月中ぐらいには一応形にしてパスワードで管理した領域に置いておいた。それ以後は少なくともブロガーにはリンクのことを断っておこうと思っているうちに時間が経った。あまりに放置しすぎているので14日(火)になって思い切ってアクセス制限を解除した次第。

勢いで始めてしまったのだが始めた以上は続けることが最大の目的である。だから無理な拡張はしないつもり。私自身が嫌にならないような細く長い存在であろうと思う。そのためにもここには記事コンテンツは置かないつもり。あくまでリンク集に徹したいと思っている。

車の装備 (4月16日・木)


車の商談は特に進めず考えているところ。軽にすることも含めて。今は必要な装備が何なのかを考えている。その過程も買い物の楽しさなわけで。最初はあの装備も欲しいこの装備も付けたいと思っていた気持ちも時間をおくと冷静になれるし。

ちなみにオプション選択の方針で重視しているのは安全性。次に快適性。見た目や動力性能は気にしないことにしている。つまりライトやミラーは大事だがアルミホイールや一般的な標準品である泥よけやナンバープレートの枠などは全く不要というわけだ。

その検討の過程で知ったのだがアルミホイールはスチール製と重さに差がないらしい。アルミは軽く慣性力が小さいので運動性能が高いという理屈のはずが実は重量は変わらず単なるファッションなんだとか。また街中で見ると格好いい車ほど泥よけを付けていないことも発見。

泥よけとマットとナンバープレート枠は無条件で付けるものだと思っていたら違っていてちょっと驚き。フロアマットさえ社外品を後から付ける人がいるそうだ。知らなかった。そんな発見もあって15年ぶりに車に関心を向けるとそれはそれで面白い。

HONDAフィット (4月15日・水)


HONDAフィットは試乗してすぐに気に入った。1.3L/100PSという非力なエンジンに関わらずFF/1.03tの軽量ボディとCVTによって加速が実に気持ちいい。その後乗ったSUBARUフォレスター2L/ 148PS/ 4WD/1.47tの重さが際だってしまったほどだ。

フィットとフォレスターは値段差が65万円。もちろんフィットが安いがそれでもフォレスターに対しフィットは高すぎないか。値引きもフィットはたった8万円。元々の値段が違うとは言えホンダの強気に嫌気が差した。GWに間に合うと言うフォレスターに気持ちがなびく。

ところが帰宅して中古車をネットで調べている過程で気がついたフィットの見積の間違い。私はFFで見積依頼したはずなのに4WDになっている。加えてオプション品が何だか高いものばかりあれもこれも。まぁ不要なものは削っていけばいいだけのことなのだが。

それでもSUBARUの営業マンが真摯な態度だったものだからホンダの営業マンに何だか相性の悪さを感じた私。最初に営業マンを紹介してくれたK氏にそのことを伝えていたら販社の休日に新しい見積をFAXしてきたのだが。さてどうしたものか。

『情報モラルの基礎知識』 (4月14日・火)


朝から6,000字の原稿仕事。大まかな構成案と資料を送ってもらっているので問題ないと思いつつ取りかかってみると意外に難儀。過去に書いた原稿ファイルをいくつも読み出し他のサイトで数字を確認しつつ何とか今日は内容で1/4程度。分量で半分。後から削らないと。

原稿と言えば昨年11月から12月の引越前に書いていた原稿が本になった。新入社員を主な対象として作られたから3月に発行されていた。社団法人コンピュータソフトウェア著作権協会『ネット時代のビジネスマナー 情報モラルの基礎知識』(ダイヤモンド社)。

『ニュースで追う著作権・商標権』など「早わかりブックス」シリーズとして知的財産関連のミニブックが同時に4冊発行された。そのうちの1つ。著作権に重きを置いているがプライバシー権などネット利用における法律知識と個人情報保護やセキュリティ問題を浅く薄く網羅している。

早速J社が新入社員教育で使っているという話を聞いた。著作権に関して敢えて専門の深いところに踏み込まずに作った本。新入社員が全ての知識を理解するのは難しいかも知れないが専門知識の取っかかりにはなると思う。お求めの場合はダイヤモンド社まで。

N君と鯉のぼりと地元出身の後輩S嬢 (4月13日・月)


土曜日。広島からJ社時代の後輩N君が車でやってきた。J社を辞めた後スキーのインストラクターや吉野川でラフティングのガイドをやったりマイクロソフトに勤めたりして今はトラックの運ちゃんという自由人。自由人過ぎて周りからいつも心配されている。

妻と3人で飲んでいたら地元の2人が参戦。最後はいつもの2人で遅くまで。日曜は近所の方の家で鯉のぼりを上げるのを手伝った。そのまま家に上がってお鮨などをいただいたものの二日酔い気味でビールは辞退。ビールは飲まなかったので車に乗って夜は「響」。

さて土曜の夜に話をしていて知ったのだがJ社の後輩だったS嬢が何と上勝の私が住んでいる地区の出身らしい。Y氏はS嬢のお兄さんと仲が良いのだとか。そう言えば時間差で電話攻撃されたときに最初に電話してきたのがS嬢だった。後に彼女が結婚するY氏とも一時よく遊んだ。

J社時代に神山の人は知っていたが上勝出身の人は知らなかった。神山出身者は同期入社だから知っていただけか。人口は現在2,000人だけだから知人がこれ以上いるとは思わないが共通の知人がいる人なら10人ぐらいはいるかも知れない。

SUBARUフォレスター (4月12日・日)


車のカタログをもらってきたのはスバルのフォレスターとインプレッサや日産エクストレイルなど。いろいろ考えてスバルの水平対向エンジンに勝る選択はないとSUVなら候補をフォレスターに絞った。13年前にインプレッサWRXを買った営業マンに会いにお店にも行った。

その営業マンはたまたま病欠して会えなかったが若い営業マンと話をし彼に好感を持った。妻とも2度見に行き3度目に行ったとき試乗した。値段が高いのでターボ車を諦めてNA車に乗ったがこれが重い。国道を飛ばしながらもゆったりした気分で走るには向いているが。

中古車も検討したが車に詳しいT氏に相談してリスクが高いこともあり諦めた。中古車なら1年落ち程度のものを奨められたが新車の値引きでどうにかなりそうなレベルであって今ひとつ。元々の価格がやっぱり高すぎるのだ。そんなわけで今度はHONDAフィットはどうだと思い立った。

フォレスターかフィットという発想も極端だと思うが。そしたらお向かいさんがフィットを停めているの見つけて話を聞かせてもらった。旧型ながら雰囲気は分かりホンダのお店に行ってフィットにも乗ってみた。そしたら車は素晴らしかったのだが・・・。

生活費の比較 (4月11日・土)


1月から3月の水道光熱費と通信費をまとめ昨年の東京時代と比較してみた。こちらでは事務所と自宅を合算し一方で現在はIHでガスがないので昨年の数字は電気代とガス代を合計して比べた。通信費は電話代とネットに要した費用の合算である。

まず水道は現在のところ毎月定額である。おそらく基本料金内なのだと思う。それでも7割から8割になった。電気代は8割前後。ただし3月だけは9割。上勝での電気代は2月比1,000円減だが東京では3,000円減でこれが影響した。東京での3月は暖房が減ったのだと思う。

意外だったのが灯油代。今年は4月にタンク半分程度買い足した分を含めてもほぼ同じ(99.8%)。事務所は広いワンルームだし自宅でも使ったのに東京時代の灯油代が高かったのかも知れない。さらに通信費は東京に頻繁に電話をするのに7割に減った。

東京時代はFAXを含め3回線とADSL。今はFAX含め2回線と光。さらにIP電話。回線数が減ったこととADSLが高かったのだと思う。それに発信はIP電話を使っていて安くなった。ちなみに水道光熱費と通信費に家賃を含めると東京時代の36%前後になる。

運転免許の更新 (4月10日・金)


運転免許の更新のため午後から車で徳島市大原。前に来たのは今年1月の住所変更手続き。東京に住んでいたときにも来た記憶があるのだが再発行のためだったような。たまたま徳島にいて車を運転していて気づいたのか。紛失したはずの古い免許証は後に出てきたのだけど。

当時は東京への住所変更をしていなかったのかも知れない。ちなみに前回の更新は5年前の2004年。東京の江東運転免許試験場。この日記の過去の記述を検索するとその前は2001年。以前は更新期間は3年で後に5年になったのか。全く記憶がない。

免許の色は2001年までは金色だったが帰省後に東京に戻るときのスピード違反で2004年の更新で青になっていた。その後に車を運転したのは徳島に帰ったときだけだから事故もなく違反もなく今回から金色に復帰した。ちょっとうれしい。

優良運転者講習は30分。実質25分。ここ数年の道路交通法改正ポイントの説明とテレビ朝日が放送した後部座席シートベルトの重要性が分かる数分のビデオを見ただけ。なるほどシートベルトがないと前席の人の頭にぶつかり危険ということはよく分かった。

今の車 (4月9日・木)


2台目の車を買おうかと思い調べ始めて15年ぶりぐらいで車の本を買った。今はWebで調べられるが網羅性に乏しい。基本的な情報を仕入れるには本に勝る媒体はないと思う。ともかく雑誌で調べ始めて分かったのが昨今の車の大きさだ。

例えばSUBARUインプレッサは何と3ナンバー。横幅や長さを調べると今のミニバンはほとんどがクラウンを上回っている。確か1600ccでデビューしたマツダロードスターの現行モデルは2000ccになっている。15年ほどウォッチしてなかった間に車の世界は様変わり。

買った本の冒頭に書いてあった総論を読んで納得した。昨今は欧米市場向けと共用で開発した車ばかりでサイズが大きくなっていると。車が売れないと自動車会社は嘆くが理由は日本に合った車を開発していないからだと。日本向けだけのクラウンは少なくとも売れていると。

確かに私が20代の頃に人気があったトレノやレビンといった類の車はないように見える。ほとんど全ての車種が大型化していてスポーティ車は高額。若者の車離れはメーカー自身が起こしているようにも見えるし軽が売れるはずだとも納得した。

普通車 (4月8日・水)


2台目の車として最初は軽トラを買うつもりだった。鳴門の従兄弟が使っているのを譲ってもらって。4WDのダンプ型で今年が買い換え時期だと従兄弟が昨年言っていた。ところが1年勘違いしていたらしく車検を通して少なくとも今後1年間は使うと言う。目論見が外れた。

とはいえ私も軽より普通車がいいと思い始めた。軽トラがあると便利そうだが今のところ軽トラでなければならない理由は私たちには特になく。いずれにしても1台では不便なことは確か。毎日車で外出するわけではないが妻と用の時間が重なるとどうにもならない。

一方で調べてみると普通車は税金などが高い。なるほど軽の維持費が安いというのはそういうことか。とは言え鳴門まで行くのにもう少しゆったり走りたい気もする。今の軽では3速ATのミッションでエンジンを4,000回転までブン回して一生懸命に走っている感じなわけで。

そんなわけで2台目。妻は荷物が多く載せられてできるだけ小さな車と矛盾したことを言っている。さらに妻の希望でAT車。スポーツタイプでない着座姿勢のものだと言うのだけれど。2台目を私専用にするなら何とでもなるのだけれど。

鹿を殺すということ (4月7日・火)


日曜日に誘ってもらった鹿の解体で聞いた話は考えさせられる内容だった。猟は楽しみとして行っているもので鹿肉や猪肉を求めているわけではないらしい。獲物は重く運搬が大変。だから仕留めた獲物は山に置いてこようという気になるときがあるという話。

それでも過去には猟が生活の糧だった時代があるはずで獲物を山に打ち棄てるのは先人に対して申し訳ないという気持ちがあると。だから獲った以上それを食べるべきなのだと。現代の猟はレジャーだけではなく有害獣の駆除という側面が強いがそれでもなお食べるべきと。

それは内臓を取り出して皮を剥ぐ前に一服して酒を飲むことの意味にも通じる。山の神への感謝の儀式という間。地域によっては耳を切り山に供えるらしい。そういう山の恵みへの感謝という風習が残っているからレジャーに徹しきれない心があるのだろう。

私は猟にしても解体にしても何もできない。それでもなお。それだからこそ。獣を殺すことと私たちの食を現実として意識している人に尊敬の念を持った。先人への敬意や自然への感謝を知識としてではなく本当の意味で教えられている日々なのである。

鹿の解体 (4月6日・月)


日曜日。母らが帰った夕方。疲れてウトウトしていたら呼び鈴が鳴った。地元の誰かが来た。と思ったら徳島のK氏。伊島の魚を持ってきてくれた。子供たち2人もやってきて雑談しばし。K氏が帰ってしばらくすると今度は妻の携帯が鳴った。先週の宴会で初めて話をしたI氏から。

「鹿を解体するのを見るか」と。妻が「猟は無理でも解体するのを見てみたい」と言っていたらしい。慌てて準備をして軽トラに付いて奥へ。ほどなくさっき撃たれたばかりの鹿が軽トラで運ばれてきた。メス。頭を3発撃ち抜かれている。2人で下ろし坂で股からナイフを入れる。

腹の皮を喉まで切り次に肉を裂いて内臓を取り出す。子宮には30cmぐらいの白い子がいた。肋骨はナタで割く。内臓はきれいに外れタライに入れて。内臓が外された腹腔の血を水で流しボディは納屋に運ばれ頭から吊り下げられた。ここで酒。これは山の神への感謝なのだそうだ。

しばし飲んで皮をナイフで剥ぎ取り肉を削ぎ一部はそのまま網焼きに。表で外した肝臓と心臓も食べた。さらに肉を骨から外す加工の中で雑談。外した骨についたままの肉はそのまま犬の餌にするらしい。雑談の中でI氏や2人のN氏からいろいろと教えられたことは次の機会に。

桜 (4月5日・日)


金曜日の夕方。事務所から見える桜の下の東屋に人々が集まってきた。よく見ると私がボランピアをしている小屋作りに参加している同じ地区の人たち。ほどなく部屋の呼び鈴が鳴りN氏が誘いに来てくれた。私はすぐに行って妻は遅れてビールを持って。

日が暮れかけて投光器を持ってくる人がいて私の自宅ベランダから電源を取って桜をライトアップ。桜が咲いて10日ほど経つが最近は寒くてまだ散らずに持っている。ほどなくY氏が七輪を持ってきて魚を焼いてくれる。夜桜を見ながら大笑いしながらのビール。幸せだなと思う。

日曜日。妻が参加する「着物で遊山箱」というイベントに鳴門の母に徳島の叔父夫婦と友人Y氏/M嬢夫婦が参加してくれた。桜の下でお弁当を食べたのだが今日は寒くて母と叔父夫婦は早々に撤退。着物の着付けショーを私は一応最後まで見て母たちと合流。

一旦自宅に寄ってから2台に分乗して射手座造船所を見学してさらに上勝の海が見えるポイントに。ちょうど通りかかった地元のY氏ご夫婦とご挨拶。町内はどこも桜が見頃で母も叔父夫婦も喜んでくれた。午後は暖かくなり桜見物を堪能。15時半頃解散。実は夜に突発イベントが・・・。

車 (4月4日・土)


12年落ちの軽「ダイハツMOVE 4WD」の燃費のばらつきについて一つの法則を見つけた。14.5km/L前後という場合が多いが16km/Lぐらいの場合は妻がよく運転したときだった。もし妻だけが運転していたら17km/Lぐらいまで伸びそうな感覚。

結局のところ3速ATの3速がカバーするのは平地では40km/h以上の速度であって速度が高くなるほどエンジン回転が上がり燃費が悪くなるという理屈だと思う。上勝−徳島の県道約25kmを私は妻より10〜20km/hほど速く走る。それが燃費を悪化させているような。

ちなみに上勝−徳島間で勾配のある山道は10km弱のはずで残る15km強は平地に近い。しかも信号は確か4つだけ。25km走って信号待ちはたいてい1回ぐらいだから低いギア比で走れるパワーのある車なら今の軽よりむしろ燃費は伸びる可能性があるような気がしている。

1台では何かと不便で思い切ってもう1台買おうかと考えたり。1.3Lのコンパクトカーで十分なのだがキャンプ用品が積めるだけの荷室があること。お客さんの送迎もしたいので後部座席もそれなりに必要で4ドアを希望。反する条件の何を優先させるのか。うーん難しい。

軽自動車 (4月3日・金)


12年落ちのダイハツMOVE4WDに乗り始めて3ヶ月強。ガソリンを入れる度に燃費を計算しているのだが14〜16km/Lといったところ。セルフのGSを使うことが多いので給油量にばらつきがあり正確には分からないが14.5km/Lという場合が多い。

高々14.5km/Lかとも思うが勝浦から2速固定でないと加速しない上り坂が何カ所かあるので仕方ないと思っている。それより国道を60km/hで巡航するとエンジンは4,000回転近くで音がうるさい。4,000回転での巡航とは250ccのバイクを思い出すほどだ。

乗り心地も悪い。勝浦や徳島の県道はアスファルトが荒れていて振動も強い。タイヤの小ささと12年経ったサスペンションのへたりもあると思う。でも最大の不満はガソリンタンクの小ささ。満タンで25L程度ではないか。安全を見ると走行距離250kmぐらいで給油しないといけない。

徳島駅まで往復すると60km強。町内も走るから感覚的に徳島を3往復すると給油が必要。町内だけでの使用なら構わないが徳島や鳴門に頻繁に行く私にとって軽では面倒だというのが現在の認識。次に買うとしたら小さくていいから普通車かなと思っている。

『徳島県 地学のガイド』 2 (4月2日・木)


徳島県 地学のガイド』は徳島の地層観察のガイド本だ。説明は平易だが単語が難しい。これまで全く興味を持っていなかったジュラ紀や白亜紀など年代のことや化石の名前が頻出する。それらを手がかりに地層を解明しているのだから仕方はないのだが。

詳しく理解はしていないがそれでも徳島の河川沿いで地層が違うことは分かった。神山や佐那河内の鮎喰川・園瀬川の北は三波川帯。南は御荷鉾緑色岩類。勝浦・上勝の勝浦川沿いの地層は秩父帯。鷲敷・相生の那賀川沿いは四万十帯。だから山の表情が違うのだろう。

もっと面白いのは吉野川以北の和泉帯だ。和泉帯の阿讃山脈はアジア大陸東南辺の海底に崩れ落ちた土砂が堆積して後に隆起したものらしい。さらに吉野川が運んで堆積した徳島平野の砂礫は深さ300mにも及ぶ。山からいくら土を運んでも川は埋まらず四国山地は高いまま。

その理由を著者は私見としながら中央構造線の活動によって吉野川河口付近が沈降しているからだとする。しかも四国の中央部は今も隆起しているらしい。つまり中央構造線で大きなずれが起きたら徳島平野は津波ではなく物理的に海面下になるかも知れないということか?

『徳島県 地学のガイド』 (4月1日・水)


上勝に昨秋来たとき驚いたのが山の険しさだった。それまで見ていた神山や佐那河内の山と明らかに違う。上勝にある落差60mの灌頂の滝に行ったときは周辺の山の地層が縦に走っているように見えた。それで徳島の山はいったいどうなっているのかと興味を持った。

で買ったのがこの本。奥村清・監修『徳島県 地学のガイド―徳島県の地質とそのおいたち』(コロナ社)。響の仲間である高校の地学教師A氏に教えてもらった。徳島県内の地層観察ポイントが15ルートに分け詳しく紹介されている。興味を持った箇所だけ飛ばし読んだ。

徳島の地層は北から和泉帯・三波川帯・秩父帯・四万十帯と大きく4つに分けられる。これらは南北の幅は狭いが東西は近畿から九州まで伸びる地層帯らしい。四国山地は太平洋プレートが日本の下に沈み込むとき海底の堆積物が押しつけられて山になったそうだ。

その年代と風化によって地層帯が違う。吉野川以南の三波川帯は関東山地から細長く伸び南は佐那河内・神山の国道438号線付近まで。それ以南は断層を境に御荷鉾(みかぶ)緑色岩類が南北5kmの狭い範囲にあり南は断層を境に秩父帯となる。(続く)

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© 2009 Takashi INAGAKI