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2022年2月

レヴォーグ試乗とドアハンドルプロテクター (2月28日・月)


フォレスターの6ヶ月点検とタイヤ入替でスバル論田店。先週の続きでWRX S4の冬タイヤやナンバープレートとリアスポイラー共着の車検との関係なども質問。レヴォーグのシートのことを訊くと「今ありますよ」と言う。え?また?最上位グレード2.4LターボのSTI Sport R EXだ。何とラッキーな。

藍住店からもうすぐ取りに来ると言うのだが今日も勝浦ローソン手前まで試乗させてもらった。往復45分。シートは断然こちらが楽だ。ただ足回りは柔らかいはずなのに先入観からか逆に硬く感じる。ダンプが多くて40km/hほどしか出せなかったが。スポーツ+でのエンジン制御はよく分かった。

フォレスターはオイル交換と先日のWRX S4試乗の後に注文していたドアハンドルプロテクターも付けた。母や客人が乗る後席ドアハンドル奥側に複数の傷があることを見つけていたのだ。特に右側。私しか運転しない運転席にも無数の小さな傷があって隠すためにも有用かと。4枚で工賃込9,240円。

今日スバルで話したのは異動した谷崎氏の後任の小儀氏。初めて会ったのに3月で辞めて県庁に転職するのだとか。残念。なおフォレスターのタイヤは溝が4mmあるからまだ大丈夫と。帰りに銀行を回って記帳したら10日前に申請した事業復活支援金100万円が振り込まれていて早さにびっくり。

ボンネット開閉とコーヒー豆の端数 (2月27日・日)


出掛けようと午後フォレスターのエンジンを掛けたところ一瞬だが異音がした。念のためボンネットを開けて中を見て閉めようとしたがロックされない。きちんとストッパーが噛まないようだ。受け側部分を押して油で指を黒くしながら10回ぐらい繰り返してようやく閉まった。

売ることを考えていたからフォレスターが拗ねたのか。これからこういう不具合があちこちと出てきそうな気もする。この作業で5分を要したがともかく急いで出発。先週日曜から禁酒していたが水曜に解禁したので大松のリカオーで日本酒一升瓶2本を買って散髪へ。鳴門のサカイに15時ちょうど。

終えてザ・コーヒービーンズ。100g単位で販売していると思うが端数で買えるか質問した。私の場合1回あたり大きなマグカップ2杯分で多分36~37gを使っているようで100gだと3回分に少し足りない。そういうときはブラジルでブレンドにするのだが110gあると助かるのだ。

レジは100gを1個としていて端数処理ができないらしいが対応してもらった。訊けばレジはSurfaceのWindowsソフトだが焙煎システムはWindowsXPだといった雑談も。総合グランドの前を経由して実家には寄らず。徳島税務署のポストに確定申告書を入れた封筒を放り込んだ。還付金は25,076円。

フォレスターの売却検討 (2月26日・土)


WRX S4に買い換えるなら今年の方が得だと考え始めてフォレスターの下取り額を予想したグラフがあることを思い出した。昨年8月の車検のときにスバル論田店から渡されていた。昨年8月時点で157万円。今年3月で130万円。そのグラフの数字を読んで経費節減効果をシミュレーションしてみた。

まず今年10月まで月約2.6万円の減価償却費が残っている。この残額がなくなり現金化するから3月に売れば151万円の経費節減効果になる。さらに来年8月の車検前までに税金や保険にタイヤなどが最低でも別途40万円。先日のバッテリーのように交換部品も増えるから経費はもっと掛かるだろう。

とするとコロナ禍で遠出もしないしフォレスターを持っている意味が薄れているから下取りではなく単なる売却でもいいのではないか。予想している今期の赤字額も経費節減効果151万円で埋められる。車が1台になっては不便なので何らかの対策が必要かも知れないが方法はあるだろう。

その上でWRXはコロナ禍が落ち着いた来年以降でいいかも知れない。参考までにフォレスターの買取価格をグーネットで検索すると176.3万円と出た。3月に175万円。4月から6月は170万。フォレスターを売却するなら半導体不足で新車が入手できず中古車が高騰しているという今がチャンスか。

WRX S4購入のタイミング (2月25日・金)


SUBARUの新型WRX S4の試乗で感じた接地感の高さはタイヤにもあると思う。245/40R18。太くて薄い。今のフォレスターXTは225/55R18。車の性格がタイヤサイズによく表れている。さてWRXで冬タイヤはインチダウンできると思うがフォレスターの17インチホイールは流用できるのだろうか。

フォレスターは冬にはスタッドレスタイヤに換えているが夏タイヤは一度も交換していない。それそろ期限だが交換すると10万円前後。冬タイヤも溝は十分あるが既に6シーズンも使っているからこれも交換が必要だ。合わせて20万円。それならタイヤ交換前に車を買い換えた方が得という気もする。

S4を買うなら年次改良を受けたC型が出る来年がいいと思っていた。来年はフォレスターの7年の車検もある。でも会社としてはフィットの車検が今年だからS4は今年買っておかないと4年後の車検が同じ年になってしまう。いやフィットは今年13年の車検だからこちらの方の買い換えが先か。

ただ世界的な半導体不足で新車の製造数が落ちていて中古車の価格が爆上がりというから今の方が下取り額は高いかも知れない。でも出たばかりの新型では値引きが期待できない。それでも下取り額の下落の方が大きいだろう。タイヤ交換も含めて考えると今年買った方が得になる気がしてきた。

徳島県事業継続応援金 (2月24日・木)


前に書いた徳島県事業継続応援金の申請受付が今日から始まったので早速取り掛かった。オンライン申請ページを見るとだいたい国の事業復活支援金の申請で使ったデータを流用できる。足りないのは代表者の身分証明書ぐらい。これは妻の運転免許証をスキャンしてデータ化。

要件は今年1月または2月の売上が過去3年の同月に比べ30%以上減少している場合。過去の売上表からデータをピックアップして今年1月と2年前の1月を選択した。支給額は2年前の1月と2月の売上合計から今年1月の売上の2倍を引いた額だが最大で40万円。満額40万円が支給されるはず。

データは新たに2年前の1月の売上台帳をPDF化したが後から事業概況説明書に数字がある場合は不要という注意書きを見て余計な作業だったと思った。でもやっぱり必要だった。あるいはゆうちょ銀行の支店コードは「通帳記号を入力してください」と書いてある。記号番号の記号かと思えば3桁だと。

口座名義も全角カナと注意されたがカ)の括弧が余計だったらしい。そういう齟齬があちこちに。資本金欄も枠外に000とあるから300万円なら3000だがコンマがないから不安になったり。ただし申請自体はスキャンを含めて1時間。総じて簡単だった。一方で国の事業復活支援金は振込準備中と。

※徳島県事業継続応援金は3月7日に入金された。

フォレスターのパーツとウォッシャー液 (2月23日・水・祝)


WRX S4を検討しつつフォレスターのことも考えていて気になる横揺れ低減に期待してSTIのサイトを見るとダンパーセットがあった。でも工賃を入れたら4本分で20万円を超えそうだ。コイルスプリングだけもあって4本で4万円。工賃は高いだろうが15mm低くなるから効果があるかも知れない。

車に関する投稿サイト「みんカラ」で私が乗っているSJフォレスターD型についてのSTIスプリングのレビューも読んでみたが効果はよく分からない。というわけで先日スバルにこの件を訊きに行ったのだったが営業の丸岡氏は大して変わらないだろうと。工賃含めると10万円になると言うので止めた。

さて先日お向かいのY溝氏が冬用タイヤのホイールをスバルで買ったら中国製だったと怒っていた。サイズが225/40R18だと聞きサイトで確認。事故で買い直したインプレッサSTIスポーツだったのかと今日洗車していたところに行って話し掛けた。結局違ったのだが寒空で1時間近くも話し込んだ。

その中でライトを点けてウォッシャー液を出すとヘッドライトにも吹き付けられる機能を最近知ったと言う。LEDで熱を持たないから雪を溶かすためだろう。感心していたらフォレスターにも同じ機能があった。iPhoneで動画を撮って確認。先日の表示設定に続き6年目にして初めて知って驚いている。

『恐山:死者のいる場所』 (2月22日・火)


友人ニシノがブログに般若心経を読んでいると書いていた。それに関するFacebookのコメント欄で提供された般若心経をカートに入れたら推薦されたのだと思う。南直哉『恐山:死者のいる場所』(新潮新書)。芸能山城組の音楽は聴いてきたが恐山についてよく知らない。興味があって読んだ。

著者は現地にある恐山菩提寺の副住職。死の意味を考えて曹洞宗本山の永平寺で修行僧を20年もやって現職に就いた。恐山と言えば死者の霊と交信するイタコで知られるが寺は一切関知していないらしい。管理もしないが禁止もしない。それでも参拝者が死者と話せたと喜ぶ実例は数多くあると。

第1章は講演を元にしているから恐山に来る人々の悩みの本質などの話が分かりやすい。第2章以降は生者にとっての死者の意味を考える著者の論考の趣で難しくなる。恐山に幽霊はいないが死者はいると断言する。それは生きている人が突然断ち切られた死者との関係を求めて来るという意味として。

かつて師匠から問われた死者はどこに行くかという回答が興味深い。死ぬと人は大事に思っていたところに帰るのだと。それは人かも知れないし仕事かもしれない。2011年3月11日の後に書かれた「あとがき」が死者と生者の関係を考える上で分かりやすかった。著者の思いが強い本だが勉強になる。

SUBARU新型WRX S4の試乗 2 (2月21日・月)


試乗した新型WRX S4の細かな印象を記録しておく。運転席には何も考えず入ったが乗りにくさはなかった。ただフォレスターが高いからだろう座面の低さにびっくり。シートを最大に高くして運転を始めるとすぐ慣れたが。またアイドリング中なのにエンジンを掛けようとしたほど車内は静かだ。

速度計などは液晶だから張りぼてのようで安っぽく見える。ただ何パターンか変えられナビまで表示できる。ハンドルは太め。シートヒーターはナビ用の大きな液晶をタッチするが物理スイッチがないので不便だ。後席は前モデルのときのようにフェンダーを蹴飛ばすこともなく乗降性は悪くない。

運転席シートを上げて前寄りにしていたこともあるが後席の足元の広さにびっくり。フォレスターほどではないが十分でこれは意外だった。座面も広くなったらしい。頭上も私が座った限りは余裕。試乗車は白。タイヤ回りの黒い樹脂パーツは気にならず実車を見ても格好いいと思った。

フォレスターのエンジンFA20ターボはアクセルを踏み込むと途中からググッと加速するがWRX S4のFA24ターボはリニアにパワーが出ている感じ。私にはこの方が向いている。勝浦のコーナーで感じた接地感の高さは別次元だったしローソンで折り返したときも変な横揺れはない。来年に買えるかな。

SUBARUの新型WRX S4の試乗 (2月20日・日)


イマジンの結婚式の日に飲み過ぎ翌日から禁酒し金曜に少し飲んだだけだったのに昨夜はまた飲み過ぎた。今朝アクエリアスを飲んだが気分が悪く昼食抜き。15時になってスーパーに行きあんパンを買ってポカリと一緒に食べてスバル論田店で相談会キャンペーンをやっているというから行ってみた。

フォレスターのコイルスプリングやWRX S4のシートについて質問していたら試乗しますかと言う。え?あるんですか?この後予約は入っていないと。展示車の予定も訊こうと思っていたのに既に試乗できるとは。3段階に変えられる足回りの硬さの特にコンフォートの乗り心地を確かめたかったのだ。

営業の丸岡氏と話をしながら路面が荒れた勝浦ローソンまで往復した。旧型のときは内臓が揺さぶられたが全く違った。スポーツでさえ全く不快ではない。ただしオプションのレカロシートは背中両脇のサポート部が大きく窮屈に感じる。標準シートも背中両脇は同様だと聞きそれだけが残念。

でも乗降性は問題なし。トランクも十分広い。丸岡氏も買おうとしていると言うので色について話をすると店長の車がサファイアブルーのBRZだから見に行こうと社員駐車場へ。前に話した新人N村氏は赤のBRZでエアロてんこ盛り。店長とも話してスバル車模型が入ったガチャをもらってきた。

消防分団総会と詰め所で飲み会 (2月19日・土)


昨日の事業復活支援金の申請は分かりやすかった。申請後のアンケートにもそう書いた。以前は銀行口座の読みで引っ掛かったが今回は説明があったし自動で修正もされた。システム構築側が学習してくれているのが分かったし複数ページにまたがるPDFも1枚ページずつ用意するなど私も対応した。

さて今日は消防分団の総会。当初は月ヶ谷温泉で開催して懇親会も行う予定だったがコロナ禍の状況から先日の役員会で決まった通り隣の公民館で飲食なしの総会のみ。18時開始。3月で退任するH木分団長が挨拶して今年度の活動内容と決算が承認され4月からの新しい役員人事も全会一致で正式決定。

65歳超のK氏とA堵氏さらに活動に来られないN田氏とS蒲君に役場を退職するS本君の5人の退団も報告された。4月からの分団長T中氏と副分団長N野氏の挨拶があり25分で終了。退団するS本君とは座布団を片付けながら話。雨の中を戻って夕食にお好み焼きを食べたが消防詰め所で飲んでいる様子。

それで20時頃に合流した。新婚N岡君が21時に帰ったが20歳代のY田君N野君T口君と30歳代K山君に次期分団長T中氏。飲むのは久しぶりのY田氏と本団副団長T口氏と昔話やエロ話や。Y田氏の軽トラの自作シフトノブを外販すれば売れるはずといった話。24:45解散。ビール2.2L飲んだ。

商工会で確認を受け事業復活支援金を申請 (2月18日・金)


10日前に準備していた事業復活支援金の資料一式を出張用バッグに入れて路肩に雪が残る県道をフォレスターで走って商工会に14時半。指導員1人とアシスタントの女性1人だと思っていたらもう1人。その方に指導員さんが指示をするのだがきょとんとしていて今日のアポを認識していない様子。

休憩室のようなスペースのソファに案内されて大丈夫かなと不安になりつつ資料を出して話をすると丁寧な方でホッとした。2年分の法人税申告書や3年間の月別売上台帳と通帳10冊近くを見てもらった。詳細に照合するのかと思ったら対象月の売上や記帳があるかを確認した程度だった様子。

書類の確認は10分で終わり事前確認用申請IDを渡してオンラインで処理してくれるのを待つこと10分。計25分で終了。事務所に戻って早速オンライン申請に取り掛かった。最初に申請IDが通らず不審に思ったら入力したのは事前確認用で商工会が確認したことを示すのだろう15桁のIDが届いていた。

後は確認事項にチェックを入れたりファイルをアップロードしたり。必要なファイルは10日前に用意していたから選択するだけ。30分程度で終わったと思う。さて一方で昨夜徳島県事業継続応援金なる制度を見つけた。まだ準備中ながら公開された情報を元に計算すると最大の40万円に該当しそう。

サウナ (2月17日・木)


サウナに初めて行ったのは小学4年か5年の頃だと思う。家族旅行で行った温泉宿にサウナがあって父に連れられて入ったように思う。そのときサウナの後に水風呂に入るということは教えられた。でも『医者が教えるサウナの教科書』によると外気浴までやって1セットということだ。

この本で紹介されていた「サウナイキタイ」で徳島のサウナを検索すると意外に数は多い。何軒か銭湯もある。でも多くは外気浴ができない。外気浴までできる施設は田宮や小松島立江や鳴門にあるあらたえの湯に論田のえびすの湯それに川内のあいあい温泉といったスーパー銭湯。

神山温泉と相生のもみじ川温泉と木沢の四季美谷温泉にもある。父に連れられて初めて入った小学生だった私は我慢比べのようなサウナにも水風呂にも懲りて敬遠するようになっていた。この本によると5歳以下は医学的に不可で10歳以下も正しい知識を持った大人の管理がないと危険らしい。

私は大人になって温泉にサウナがあると入ることもあったが水風呂には入ったり入らなかったり。外気浴など考えもしなかった。でも徳島にもこれだけ施設があるなら少し見直して行ってみてもいいなと思った。何事も正しい知識が必要ということだ。

『医者が教えるサウナの教科書』 (2月16日・水)


サウナ好きという元同僚Y内氏がFacebookでリンクしていたダイヤモンド・オンラインの著者インタビューを読んで興味を持って買ってみた。加藤容崇『医者が教えるサウナの教科書――ビジネスエリートはなぜ脳と体をサウナでととのえるのか?』(ダイヤモンド社)。

著者はがん研究者の慶應大学医学部特任教授。当初は懐疑的だったのに熟練者に連れて行かれてサウナの効果に気づき論文を読み漁って科学的に解明したと説明している。正しい入り方はサウナから水風呂に行き続いて外気浴までやって1セット。それを3~4セット。それで「ととのう」と。

そのメカニズムはサウナと水風呂に入ることで心拍数や血圧が上がったり下がったり。自律神経のうち交感神経もリラックスすると出る副交感神経も外気浴を含めて上下する。さらにホルモンであるアドレナリンとノンアドレナリンがサウナと水風呂で上がって外気浴で下がるものの2分ほど残る。

副交感神経が優位な外気浴でもアドレナリンは残る。熱かったり冷たかったり身体の危機に接して働く体内メカニズムを利用して「相反するものが同居しているから研ぎ澄まされているのにリラックスしている」という状況になるのだと。そのほか効果なども詳しい。論理的な説明で勉強になった。

下関にあるZ嬢の親戚の居酒屋 (2月15日・火)


松川美鈴さんの結婚式に向かう途中下関のZ嬢の親戚宅に寄ったと書いた。このとき夕食は敷地内にある居酒屋でご馳走になった。その親戚宅には子がおらずZ嬢を随分かわいがっていたようで私たちも大歓迎された。それでお世話になったし福岡に引っ越してからもう一度行ってみようと思った。

福岡にいたのは1999年2月から2000年3月までで車で徳島に帰る途中だったはずだが日記に記録がない。徳島からの引っ越し荷物はサカイの混載便を使ったから急ぐこともないと福岡に入る前に寄ったのかも知れない。下関駅近くのホテルを予約してチェックインした後に車で探しながら行った。

当時はナビもスマホの地図もない。暗くなった田舎道を何度も行ったり来たりして住宅や田畑の中で探し当てた。突然訪ねたがまた歓迎してくれカウンターでビールを数杯。泊まって行くよう何度も言われたが荷物も置いてきたから酔ったまま車でホテルに戻った。そう言えば6年前にも探して行った。

Z嬢によるとその時点で既に経営を別の人に譲ったと聞いていたし日中だから開いておらず外から見ただけ。このときより時間は遡るがZ嬢の父上が亡くなったとき葬儀に来られていたはずなのに挨拶をし損ねた。山口ナンバーの車を見てこの方だと後から思っただけ。それがもう7年も前だ。

サーバーの動画と三菱UFJの電子証明書 (2月14日・月)


顔ヨガのインストラクター養成講座は今はZoomを使っているが予め短い動画を見ておいてもらうようにしている。その動画は1年半前に作成してWebページも作った。講座が終われば見られないようIDとパスワードで制限も付けた。ところが昨夜から相次ぎページが見られないという連絡を受けた。

よく聞けば動画が再生できないらしい。私のPCでも同様だ。HTMLを見直しサーバーの障害報告がないか見たが問題はない。設定が変わったという情報もない。何度か試すと10分ぐらいで再生が始まるがこれでは使い物にならない。緊急避難的に別のサイトで見てもらうことにして継続調査とした。

一方で土曜日に三菱UFJ銀行から電子証明書を更新せよというメール。早速ネットバンキングのBizSTATION Lightにアクセスしようとすると普段使っていないからワンタイムパスワードが通らない。何度か試して時間がずれていたのか言われるままに2回続けてパスワードを入れて何とかログイン。

ところがWebに情報がない。改めてメールを見ると期限の28日前から更新できると書いてある。土曜は29日前だった。結局今日まで待って電子証明書を更新。再ログインすると更新情報がまだ残っていてUIが今ひとつ。文句も言いつつこんなに戸惑うことが多くて10年後が不安になっている。

松川美鈴さんの結婚式 (2月13日・日)


イマジンの結婚式のことを書いていて1996年に上司としてスピーチした披露宴を思い出した。最も優秀な部下だと前に書いた松川美鈴さんの披露宴。ご主人は出光興産に勤めていて2人とも九州大学の出身。だから結婚式は福岡のホークス本拠地スタジアム横に建つシーホークホテルで行われた。

広報チームから部下のN藤嬢とZ嬢の3人が出席。Z嬢のご主人でキャンプ仲間だったJ君運転の車で向かった。途中下関にあるZ嬢の親戚が経営するマンションの空き室で宿泊。その方が経営する居酒屋でフグ刺しなどをご馳走になった。「人はいつか死ぬ」が口癖だというZ嬢のお祖父さんにも会った。

シーホークはロビーがジャングルのようだった。上司としてスピーチしたのはZ嬢に続いて2人目だが少し緊張したように思う。何を話したかは全く記憶にない。夜はホテルの予約をしておらずこの11月24日は大相撲九州場所の千秋楽でどのホテルも満室。仕方なく中洲のラブホテルに泊まった。

夜は中洲でラーメンを食べた記憶はある。翌日の帰りは大分に向かったと思う。11月だがぽかぽか暖かく後席で寝て起きて何かを言ったらZ嬢に叱られた。長距離を運転してくれているJ君への配慮が足りなかったと反省。多分フェリーに乗って愛媛から帰ったのだと思う。

イマジンの披露宴でのスピーチ (2月12日・土)


イマジンの結婚披露宴でのスピーチで私はほとんど緊張しなかった。ただ酔いかけた方が滑らかに話せるかとウェルカムドリンクでビールを飲んだためか途中で口の中が乾いてしまいそれが少し焦りを生んだ。全体の3/4まではスムーズだったのに最後の最後で言いたいことをすっ飛ばしてしまった。

一昨日5度ぐらい時間を計りながら話してみて内容を頭に入れながら省きながら9分半まで短縮させた。でもラストの落ちが決まらず前夜考えたことは口に出して練習しなかったことで飛んだのだと思う。さらに前夜寝ながら練ったつもりが口の乾きもあってうまく伝えられなかった。ちょっと悔しい。

ただ終えてRize & WinでN野氏とT中氏から大いに褒められたからヨシとしよう。消防詰め所に移ってからも私のスピーチは事実をいくつも積み重ねて人物像を表現したものだとN野氏の論評を受けた。方々に散らばった話を最後に収斂させていった流れも良かったとT中氏からも評価してもらった。

ただイマジンと話した水曜からずっと頭の中で構成と表現を反芻していたもので役目は終わったのに今もまだ考え続けている。明日やったらもっといいスピーチができただろうがそんなことを考えても仕方がない。でも悔しいから言い飛ばしたところも含めて内容を文章にしておこうかと。

イマジンの結婚式 (2月11日・金・祝)


昨夜はスーパードライ350mLと日本酒1合ぐらいを飲んで寝ようとしたのに今日のスピーチ内容を反芻しているうちに5時近く。2時間半だけ寝て7時半に起き白いネクタイを締め8時半のバスに乗った。和服の若い女性は後から聞いたら新婦の姉上。そのご主人N倉君とは久しぶりだが添乗員のよう。

9時半前に前川の式場に着いた。ここは「響」Y田君の結婚式以来2度目だ。見知った人も多いが知らない人も半数ほど。案内された4Fの結婚式場はブラインドが上がると日が当たって暑い。汗をかきながら人前結婚式をT中氏N野氏とともに2列目で。イマジンがにやけたり顔を赤くしているのが面白い。

11時から2Fで披露宴。開始早々に私のスピーチだが内容は後日改めて書くことにする。乾杯をしたM本君や109U主催者だったM口氏らの席に行って話をしたり。コロナ禍でテーブルにはアクリル板。2席横の人にも声が通らない。終わったのが13時半頃。皆と話をしてバスに乗って帰ったのが15時前。

着替えて列席者だったN野氏の奥様に送ってもらいRize & Winでビールを1杯。16時半頃に鶴居商店で食材を買い通りかかったK端建設の軽トラに乗せてもらい消防詰め所。T中氏N野氏と写真のI本氏氏も来て新郎新婦まで呼び出し24時まで飲み続けていた。ビール4Lほか久しぶりの酔っ払い。

スピーチ原稿と消防分団役員会 (2月10日・木)


先月禁酒して1日飲んで再び飲んでいなかった。13日間と17日間。でも明日の披露宴でビールも飲む。練習しておかないとと昨日はスーパードライ350mLを2本と日本酒を2~3合。いきなり飲み過ぎた。安静時心拍数は65に跳ね上がり眠りも浅い。働かない頭でA社K氏と原稿の打ち合わせ50分。

さらに明日のスピーチ原稿の作成。原稿と言ってもキーワードを書いたメモだけ。それも見ずに話す。ただ全体の構成を考えるためのメモ。新婦のことはあまり知らないから昨年の町長選挙戦で父上のことを書いたFBの投稿を使おうかと。午後は声に出して話してみると11分を超える。これは長い。

19時半からは消防分団の役員会。4年目のH木分団長が退任して本人は抵抗したものの全会一致でT中副分団長が昇格。子の送迎で大変なY山機械部長は留任してN野総務部長が副分団長に。私は通信班を新設して班長になるはずがM下総務班長が出初め式の出席が難しいと言って人選が難航。

新規1人の班長はK山君になったがいきなり総務はかわいそうだと結局私が手を挙げて2人で総務班長をすることになった。そのほか連絡体系や点検日の割り振りで難渋し総会は飲食なしに決定。最後に炭酸製造機購入のことで私が反対して1Lボトルを買うことに。1時間45分と長い会議になった。

イマジンの結婚 (2月9日・水)


5年前に徳島市から上勝に移住して来て私を大いに驚かせたイマジンことY崎氏が明後日結婚式を挙げる。奥様は町長のお嬢さん。と披露宴で私に挨拶をして欲しいという依頼。本当は1年前に予定されていたがコロナ禍で延期されていた。昨年1月に驚愕の依頼を受けたと書いているのはこのことだ。

入籍したのは2019年12月21日だとか。実は婚姻届の証人欄に署名捺印したのも私。客人2人と楽しい話をしたと書いているのは新郎新婦のことだ。なぜ私なのだと思わなくもない。でも彼が関西から徳島に移住した後ツイッターで知り合って上勝に移住するに至る私は遠因の一人ではあるのだろう。

ともかく結婚式でのスピーチ内容を考えなくてはならない。1年前に少しシミュレーションしてみたものの一人で考えても仕方がないので本人に今日インタビューしてきた。出席者や進行などを教えてもらうのが目的だったが新郎新婦と乾杯音頭のM本君以外でスピーチするのは何と私1人だけと言う。

披露宴では過去に5~6人の友人挨拶をしたし1996年には上司としてスピーチしたこともある。何よりJ社で最大260人の記者を前に発表会の司会もしていたから人前で話すことには緊張しなくなっていた。でも全て25年も前のこと。そうした場慣れしていた感覚がリセットされている。落ち着け私。

断水と事業復活支援金の準備 (2月8日・火)


貯水槽の清掃とかで11時から断水。ギリギリまで水を使おうと思ったのに2分前に出なくなった。貯水槽を見に行ったら車が1台。これがいなくなったら終了だろう。と向かいのY溝氏から声を掛けられ冬タイヤ用のホイールが中国製だったという愚痴を聞く。さらにスバルの対応の悪さについて。

さて先日の診療について請求書が届くのかと思っていたが一向に来ないので昨日問い合わせ自分で支払いに行くことになった。診療所に14時半。日本酒と鳴門でコーヒー豆も買って 書類の多さに恐れをなしていた事業復活支援金に必要な資料として徳島法務局にも寄って履歴事項全部証明書を取得。

ほかの書類で懸案は2つあって1つは2018年11月からの売上台帳で3期分しかデータがない弥生会計から復活できるかどうかという点。これは過去のバックアップデータをダブルクリックしたら弥生会計で復元できた。該当の1年間各月の売上を印刷して最新のデータを改めて復元して元に戻した。

もう1つの懸念は2018年11月からの入金が確認できる通帳を全て準備するのだが住信SBIネット銀行の履歴に制限がないのだろうかという点。これは問題なく印刷できた。そもそも口座を作ったのが2年前だった。支援金の振込先通帳や宣誓同意書や対象月の売上台も準備して書類は全て整ったはず。

群馬の高崎 (2月7日・月)


群馬県には行ったことがないと書いたが一泊したことを思い出した。高校で知り合って合唱部にもいた同級生のT田が三洋証券の高崎支店にいるとき泊まりに行った。彼は最初の赴任地が京都で私は学生だったが頼まれて証券口座を作ったこともある。取引は何もしなかったが。

高崎経済大学出身だから土地勘があるだろうと2番目の勤務地が高崎になったのだと思う。私はJ社にいて出張で東京に行ったとき金曜の夜に行ったのだと思う。普通なら群馬にまで行こうとは思わないがT田が近いとか何とか言ったのだろう。電車に乗って高崎に着いたのは23時を過ぎていたと思う。

証券マンの彼は映画「ウォール街」のビデオを流した。いつも観て仕事をする上でのテンションを上げているのだとか。でも話をしながらだから内容は入ってこず眠くなって25時頃には寝たように思う。缶ビールを飲んだのは1LDKか2LDKのリビングだったと思う。覚えているのは以上が全て。

翌日どうやって帰ったかも記憶がないし街の雰囲気も駅の様子も何も覚えていない。でも泊まったのは確かだから群馬は行ったことがある。温泉も多いと聞くしSUBARUの工場もあるしいつか改めて行ってみよう。本当は東京に住んでいるときにもっと旅行に行っておけば良かったのだが。

司馬遼太郎『峠』 (2月6日・日)


昨年秋の日経新聞土曜「リーダーの本棚」でKDDI出身の千本倖生氏が挙げていたので買って昨日ようやく読み終えた。司馬遼太郎『』(新潮文庫)。上中下3巻。解説によると昭和43年5月まで毎日新聞に連載されていたらしい。『竜馬がゆく』の半年後でこの後『坂の上の雲』が始まったそうだ。

主人公は幕末の越後長岡藩士の河井継之助。江戸に行きたいと何度も願い出るところから始まる。江戸で塾に入るが毎日のように遊郭に行く。黒船警戒のリーダーになれば戦国期の装備で守れるわけがないと途中で遊郭に上がり込んで職場放棄。真理とは何かを追い求め不合理なことはやらない。

福沢諭吉との会話で人物像が浮かび上がるのだが合理主義者なのに藩士の立場を越える発想はしない。藩主と領民を守るのが藩の侍の仕事だと。大政奉還で国中が混乱に陥ったとき事なかれ主義の世襲家老では藩を守れないと運動し藩主親子に気に入られとうとう家老筆頭に上り詰める。

官軍に付くか会津に味方するか。自身の力量で蓄えた軍事力を背景に中立を守ろうとするのだが。幕末の北越でこんなことがあったとは知らなかったし河井継之助という長岡藩の家老のことも知らなかった。今年は映画が公開される。侍のあり方やリーダーとは何かを考えるいい小説だった。

キャロル・キングとアデルのCDとリッピング (2月5日・土)


昨日ふとキャロル・キングの1971年の名作「Tapestry(つづれおり)」をアマゾンで聴いた。でもCDを持っていない。知っている曲はある。ベストアルバムをレンタルしてカセットにしていたのだろうか。昔から女性ボーカルが好きではなく聴いていたのはジャニス・ジョプリン「パール」ぐらい。

でも5年前に後輩のY川嬢に教えられてアデルの「25」を買ったり最近は女性ボーカルも聴く。時代の名作は持っておこうと「Tapestry」をカートに入れた。一方アデルは新作が出たらしい。自身の年齢をアルバムタイトルにしているがついでに買おうかと思った新作「30」の評価が二分している。

それなら前々作「21」にしようとTapestryと一緒に注文。今日届いてまずはリッピング。Exact Audio Copy(EAC)を使うのだが最初CDがイジェクトされ戸惑いつつ。方法を忘れ以前の日記を参考に。思い出した手順を改めて書き残すとまずFドライブにアーティスト名とアルバム名のフォルダを作る。

EACの左のCMPアイコンでフォルダを指定しWAVEとFLAPで取り込む。フォルダのプロパティを音楽からテキストに変えFLAPだけをミュージックのMusic Centerにコピー。Music Centerを起動してフォルダごとドロップ。FドライブからNドライブにもコピー。定期的にCDを買わないとまた忘れそう。

卒業論文のPDF化 (2月4日・金)


大学の卒業論文をデジタル化したいと思いつつ一太郎データがあるはずと逡巡していた。でも後半の「付録」と題された21ページのグラフや回路図にデジタルデータがないことを思い出した。本文は違法コピーの一太郎Ver.3で書いたが当時グラフをデータ化するEXCELも1-2-3もMultiplanもなかった。

実験データはオシロスコープから直接印刷するようなこともできなかったはずで数値をグラフ用紙に手書きでプロットして雲形定規で結んで描いたのだと思う。理論値は相棒の大道君がBASICでプログラムを書いてNECのPC-9801VM2かVX2からドットプリンタに出力したように思う。

キャプションは一太郎から印刷。それをグラフとともに紙に貼ってコピーを繰り返したはずだ。とすれば付録21ページのグラフや回路図のデジタルデータはない。それならとスキャンに取り掛かった。全部で47ページあるから章単位でファイルをまとめることにしてリンクするページをまず作成

当初カラーでスキャンすると容量が大きくなり過ぎ8bitグレーに変えてやり直し。240dpi。両面印刷された2ページの論文要旨も含め全49ページ。スキャンは1時間ほどで終わった。今さら読んでも何のこっちゃだが36歳で亡くなった大道君との思い出でもありデジタル化できてホッとしている。

旅行の計画 (2月3日・木)


死ぬまでに東北地方を旅行したいと思っている。東北は福島県以外に行ったことがないのだ。それでガイドブックを買おうかと思ったのだがまだ早い。ふとアプリがあるのではないかと検索すると「るるぶ」を見つけた。もう一つNTTドコモの「ご当地ガイド」。この2つをダウンロードした。

徳島や四国を指定して内容を見るとるるぶは大きな観光地だけ。地域について大きく知るにはいいかも知れない。一方ご当地ガイドは徳島県でもエリアに分かれて名所や名産に地域料理の紹介もある。でも大浜海岸や月ヶ谷温泉まで載っていて取捨選択が必要かも知れない。

東北には行きたいが例えば長崎は中学の修学旅行で行っただけだし佐賀は福岡時代にドライブしていたら県境を越えたことがある程度。岐阜も中央高速でパトカーに停められはしたが通り過ぎただけだし群馬も行ったことはないと思う。というわけで東北の前に近場から攻めようかと考えてみたり。

いずれにせよ一人で気楽に行くつもり。宿は当日の午後に決めるぐらい行き当たりばったりがいい。ただそうした旅行に慣れていないので練習として車も人も少なそうな山陰あたりから行こうかと。いつ死ぬか分からないのでWRXを待たずにフォレスターで行こう。コロナ禍が収まればだが。

事業復活支援金 (2月2日・水)


Facebookで元社員だったK瀬嬢と岐阜高山の元同僚A川氏が書いていて事業復活支援金という制度を知った。昨年11月から今年3月までの単月度売上を過去3年間の同月と比較して売上が50%以上減少していれば年間売上1億円以下の企業だと最大100万円の補助が受けられるという。

それで昨日ようやく昨年11月からの今期の予算実績表を作成したら1月までの3ヶ月の合計売上は前年比50.7%と激減。事業復活支援金に該当する月もあるので今日EXCELで改めて売上比較表を作った。11月から1月まで3ヶ月の3年間の比較9つのうち5回で売上が50%以上減少していて余裕で該当。

商工会で事前確認を受けると申請書類が減るので今日電話した。確定申告で忙しく金曜だけ受け付けているがセンチュリープラザのサポート会場だと早く進むと言われ事業復活支援金事務局ページから辿ると再来週まで予約は満杯。と商工会から電話があってサポート会場は相談だけらしいと言う。

結局商工会で対応してくれることになり書類の準備時間が欲しいので再来週18日に予約した。2018年11月の売上簿も必要なのだが3年でデータが更新される弥生会計には残っていない。過去のデータを読み込んだらいいのだろうか。用意すべき書類が多くて今日は呆然としている状態。

メールのマナーと不具合 (2月1日・火)


A社K氏と第三者が書いた本の原稿について打ち合わせ。K氏は不満を持っていた様子だが私は構成も文章も悪くないと思う。出来の悪い当初原稿の印象を引きずっているのだろうと。その後メールのccについて議論。以前も同じことを言ったはずだと調べるとちょうど1年前だ。

私は1988年の日経MIXや1990年代のNIFTY-Serveからメールを使ってきた。インターネットではなくパソコン通信だがメールの有り様は似たようなものだ。だからメールの作法の変遷も分かるし何より使い慣れている。でも今まで敬遠してきた60歳代には難しいのかも知れない。やや同情もする。

さて次にA社の事務局長N川氏に電話。昨年末あたりからだったか年明けからかA社のアカウントでメール送信がうまくいかない。受信は問題ないが送信ができない。全くできないわけでもなく送受信を繰り返していると突然送信できたりする。再現性を掴めないまま手がかりなく連絡してみた。

電話で相談しながらPOP befor SMTPを「しない」に変えてSMTP認証にした上でパスワードも変更してみたが現象は変わらず。送信できないエラーを繰り返し数分経って実行すると送信できたり。原因は分からず。マナーや運用ルールだけでなくメールの扱いはときに難しい。

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© 2022 Takashi INAGAKI