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2021年2月

直線とカーブの運転速度 (2月28日・日)


先々週火曜。昼食がてらみかんを買おうとフィットで出掛けたとき町内唯一の信号待ちで後ろに某氏の車が付いた。信号が青になったとたん交差点内で私を追い越し福川で300m先を行く。ところがトンネル手前コーナーでブレーキを掛け減速。トンネル先の左コーナーで追いついてしまった。

私に峠道ドライブの楽しさを教えた中高の同級生I村君は勝浦川橋から勝浦に向かう堤防上を敢えて50km/hで走るのだと35年ぐらい前に言っていた。後続車が抜きたそうに付いてくる。堤防が終わりワインディングに入ってもI村君は50km/hのまま。抜きたがっていた後続車は付いてこられない。

それが気持ちいいと言ったのかかくありたいと言ったのか忘れたが以来私も真似るようになった。直線で速く走ることは誰でもできる。直線だけで速いヤツはバカなのだ。コーナーをいかに速くスムーズに抜けるかがドライブの醍醐味であり力点であろう。そういう考えをI村君から教えられた。

件の某氏には国道11号線で1年前に強引に割り込みされたことがある。横瀬商店街で杉屋前から4台を一気に抜くのを見たこともある。こうした無謀運転と直線番長なのは表裏一体なのかも知れない。直線では流れに乗りつつゆったり。コーナーは安全に素早く。車の運転はかくありたい。

消防分団総会 (2月27日・土)


昨年は徳島市まで行った消防分団総会。コロナ禍の今年は地元の月ヶ谷温泉で。18時集合で3分ほど前に行ったら直前にK浦氏の軽トラに抜かれ直後にY田君のバン。送迎バス最前列左に座ったら右隣にいた今日の総会を差配するN野総務部長から近いヤツほど遅いなと言われた。むむむ悔しい。

温泉では2F畳の宴会場のイス席で18:20頃から総会。18:40頃に奥の洋室に移動して懇親会。コートをハンガーに掛けて目の前に席に座ったら上席だったかも知れない。誰も気にはしないが。隣には徳島に出向中の役場F澤君。昨年末の夜警で泊まったとき婚約指輪を買っていると言っていた。

その彼が乾杯の挨拶で結婚しますと。阿南に住むらしい。向かいは先日も一緒にいたY田君。VRやプログラミングの話を教えてもらった。彼の原点を訊くと中学時代に父上のPCでゲームを解析したところに始まったと。そこから車のエンジンの設定プログラムも解読できるようになったとか。凄い。

温泉はトイレが工事中で遠いところまで歩いて行ったり。隣で宴会中の生実分団からM坂さんという方が来て初めて話した。2時間の飲み放題なのに予定より30分以上たった21時半解散。さらに街に行く人とBar IRORIに行く人がいてバスには8人だけ。Y山機械部長と話しながら帰宅。

有名人との知り合い自慢 (2月26日・金)


大阪のソフトハウスD社の社長室長E川氏とは担当者同士としてよく話をした。私が20歳代後半で彼が40歳ぐらい。先代から続く水産物商社の元オーナー社長だから料亭で政治家や官僚を接待することぐらい何ともなかったのかも知れない。そんな彼だが私は全く気を遣っていなかったと思う。

当時担当者同士で交流があったマイクロソフトの許斐部長はヤマハ発動機の元最年少取締役でホンダとの安売り合戦に敗れて辞任したという噂があり格が違っていた。ロータスの兼作管理部長はDEC出身でプログラムも書いて業務を自動化する優秀な人だった。それに比べてE川氏は親しみやすかった。

E川氏とは末広町での会議が終わり秋葉原あたりから飲みに行った後の駅のホームで飲んだことがある。東京駅か神田駅か。多分E川氏が買ってくれた缶ビールかカップ酒を手に駅のベンチに座って2人で飲んだ。家業の商社を追い出された話を聞いたのはこのときだったかも知れない。

一方で自分に気を遣わない私には含むところがあったのかも知れない。あるときソニーの大賀典雄社長がオーケストラの指揮をして話題だったコンサートで楽屋に行って話をしたと言う。ご近所同士の親しい間柄で「僕はそういう人間なんですよ」と。有名人との知り合い自慢に私は逆に幻滅した。

※検索したところ大賀典雄指揮・東京フィルハーモニー管弦楽団の演奏は1990年4月20日だった(2021年2月27日追記)。

プレオ+の6ヶ月点検 (2月25日・木)


実家のプレオ+の6ヶ月点検。今までは営業氏が取りに来てくれていたが担当が変わったので申し訳ないので私が持って行くことにした。昨年5月以来のみやこやでとり天うどん。ポイントでタダ。12:45頃着いてまずは散髪に。終えて14時半に実家を出たら末広経由で25分で論田に着いた。

この車の任意保険契約は1月に切り替えたものの私の保険で私が運転してもカバーできないと分かって次に2月には契約書に押した印が違うと書類を作り直した。そして6ヶ月点検で私が運転するのに保険が利かないと気づいたのが一昨日。慌ててT君に相談して母の車の保険を変えてもらっていた。

車は前回の点検時に担当営業氏が車庫に入れるときドアを擦ったと母が言う。左ドアと取っ手の塗装が剥げているが確証はないので到着すぐ傷のことを言ってコンパウンドで少し削ってもらった。待ち時間は今日もワークマン。でも全て春物になっていた。戻るとバッテリーが弱っていると言う。

走行距離が短いから始動時の負荷が大きいのだ。母一人でエンジンが掛からないと面倒だから交換を依頼した。でも充電サービスは保険で呼べるはずで交換はそれからでもよかったと思ったのは後の話。いやアイドリングストップが悪いと先日Y溝氏と話したばかり。帰りに気づいて機能をオフにした。

So-netのサービス終了で「響」URL変更 (2月24日・水)


一昨年12月に死んだ白神直之を偲ぶ会を今年5月に徳島男声合唱団「響」主催で行う予定だったが今のコロナ禍の状況では難しそう。Webサイトにはどう書いていただろうと火曜の夕食後に見に行ったら何とSo-netのサービスが終わってサイトが見れない。昨年9月発表で今年1月28日で終わっていた。

管理者を一昨年6月に団長に引き継いでいたので全く知らなかった。団長は平日は単身赴任の校長先生。自宅のメールは週末だけ見るがDMばかりで無視していたらしい。団長に提示した復活の選択肢は新規にプロバイダーと契約するか一番手っ取り早く簡単なのは私のサイトに引っ越しすること。

団長とFBメッセンジャーでやり取りして一番簡単な方法を選択した。また私が辞めたら再び引っ越しが必要だとリスクも説明したが次にあったら解散だと言われたので設定を始めた。ちょうどFBメッセンジャーでスパムが行き交い私のところに6通か7通来て皆とやり取りしている最中だったが。

設定は10分で終了。アクセスカウンターは無効になった。リンク先への連絡は団長にお願い。今日になってバーチャルメールアドレスを設定して団長と私宛に転送設定してサイト表記も変更。無効なリンク先も削除して諸々書き換えた。関係する方は新URLにブックマークの変更をお願いします。

料亭での接待政治 (2月23日・火・祝)


菅総理の長男が勤務先の東北新社の役員らと総務省の役人に接待を繰り返していたというニュースで思い出した。A社がパソ協から独立しようと画策していた頃に役人を接待するべきだと主張していた人がいた。私より15歳ぐらい年上で大阪のソフト会社ダイナウェアの社長室長だったE川さん。

E川氏は元は北海道で水産物を扱う商社の2代目か3代目の社長だと言っていた。それが東京の大手商社に乗っ取られ会社を追われてソフトウェア業界に入った。A社独立に際して対立していた通産省の課長を料亭に招いて頭を下げる。そうやって社会は動いているんだよと私に諭して言うのだった。

彼は料亭の場所も決めていた。部屋の見取り図まで用意して私たちは次の間に待機するという算段だったか。その話にマイクロソフトの許斐部長かロータスの兼作部長が乗ったのだと思う。でも私の上司であるJ社の社長もマイクロソフトの古川社長もそうした古いやり方は嫌いなはずだ

社長に報告すると案の定激怒。その計画はなくなった。一方で社長らと担当者が一同に集まって会議をしたことがある。私はJ社社長の指示を受けK氏とも一体だった。菊池社長とJ社の社長もベクトルが同じ。それでE川氏と兼作さんらの暴走が修正された記憶があるのだが料亭の話だったっかどうか。

火事の話と杉花粉 (2月22日・月)


消防分団の詰め所で14時過ぎからビールを飲んでいた昨日。突然防災無線の電源が入った。火事かと皆が緊張したのだが何のことはない15時の時報だった。時報を聞くような時間に通常は詰め所にいないので皆で驚いた。ボリュームも大きすぎた。そこから当時も飲んでいた9年前の火事の話になった。

今日は15時から妻がインストラクターさんとZoomで動画を撮影するというので電話線を抜いて防災無線の電源も切っていた。15:50になって表に出ると役場T君が消防団の法被を着て歩いてくる。八重地の畑で火事があり15:10に私たちの分団に待機命令が出ていて解除されたらしい。知らなかった。

火事の情報なら気づかないと困るのだが時報だったり私たちには関係のない案内が流れたりするので録画中やオンライン講座中に防災無線を切るのは仕方がない。防災無線からの情報を音か光を選択できればいいと思うが現実的には難しい。ともかく事務所にいたのに出動できず申し訳ない。

さて昨日は飲み始めてもテーブルの上に埃が溜まる気がしていた。畳の埃だと思うが花粉かも知れないという話もした。そこから花粉症や黄砂や排ガスの話題になったのだが今日は杉花粉の飛散が四国でピークというニュース。車は黄色い粉を大量に浴びせたようになっていた。私も朝から鼻水が。

消防分団の畳入れ (2月21日・日)


先月水道管が破裂して濡れて向かいにある体育館2階で乾かしていた消防分団の畳を取り込むと先日の役員会で決めたのが今日。妻は顔ヨガ指導者養成講座4日目で12時過ぎに休憩に入り急ぎ昼食。片付けてコーヒーを淹れ歯を磨き着替えて詰め所に行ったのは13時から2分遅れ。

班長以上の予定だが偶然通りかかってT中副分団長に呼ばれたY田君を含め7人。そのY田君とN岡君が体育館2Fからロープに掛けた畳を降ろす。私が受け取り出口に運ぶ。それをH木分団長が受け取って表に並べる。詰め所ではT中副分団長とI本会計部長と遅れてきたN野総務部長がらが床板を釘打ち。

釘打ち班の作業が終わるまで待ってH木分団長が2Tトラックを持って来て荷台から畳を詰め所2階に上げる。Y田君が上げてN岡君が受け取る。机などを元に戻して意外に早く14時には作業が終わった。ただし畳の埃が酷い。4月下旬という気候の中で窓を開け放してビールを取り出して乾杯。

I本氏を除く6人で飲み始めN蔭君が来て途中で帰り最後はT中副分団長とN野部長とY田君と私。ビール500mLを5本飲んでY田君のビットコインやPCの話に感心してゲームのことを教えてもらい私も19時前に撤収した。詰め所を見ると23時を回ってまだやってる。私は帰宅してからは白湯ばかり。

カードケース (2月20日・土)


財布の中のカード類を整理して1軍から5軍に分けたと先日書いた。1軍は財布のカードポケット。2軍は財布の中ではあるけど領収書などを入れる領域。3軍はバッグの裏ポケットに入れているカードフォルダだが取り出すのが少し面倒。4軍は持ち歩く必要のないポイントカードなどでデスクの引き出し。

5軍はもう使わないカードで別の所に保管している。3年以上前から試行錯誤して来たが1軍から3軍が悩ましい。1軍は12枚。3軍は3年前に買ったカードケースに入れているが中央で開いて縦長に入れているからバッグの中で上側のカードが落ちてくる。そのカードをバッグから落としたこともある。

必要だったSUBARUカードが入った3軍ケースをバッグを替えたときに忘れてしまったのは1年前。こういう失敗を避けるため2軍を増やすと財布が膨らむし探しにくい。解決策を求めてアマゾンで探すと財布の中に入れるカードケースがある。2軍か3軍に使おうと1つ買ってみた。少し高めの2,499円

クレジットカードを入れて財布に差し込むと厚い。残念だがこれはバッグ背面ポケットの3軍に。518円分のギフト券があったので別途片面だけのビニール製748円を追加で購入。こちらが薄いので財布の中の2軍に。それでも財布は厚くなるが仕方ない。大事なカードを忘れて行くよりマシだろう。

『和菓子のアン』 (2月19日・金)


これも日経新聞のお仕事小説15選に載っていて読んでみた。坂木司『 和菓子のアン』(光文社文庫)。主人公は身長150cm体重57kgの体型が気になり男性は苦手という高校を出たばかりの女子。とりあえず仕事をしないととデパ地下食品街を歩いていて意外に求人が多いことに気づく。

その中から女性2人だけの和菓子屋でアルバイトをすることに。主人公のほかの登場人物は賭け事が好きな女性店長と元ヤンキーの女子大生。それに応募したときは非番だった背の高いイケメンただし心は乙女という3人。ここに客やデパ地下の他の店の人やイケメン君の師匠ぐらいしか出てこない。

4人を軸に5つある章によって登場人物が各2人か3人加わるだけだから話が分かりやすい。デパ地下での販売という仕事を通じて18歳が和菓子のことを学んでいくというストーリー。というより仕事そのものあるいは食品販売やデパートのことさらに社会のことを知っていくという物語だ。

文体は18歳女子の一人語りで分かりやすいし過剰な説明もない。どの章も和菓子の名前や賞味期限や食品業界の隠語を通した小さなミステリーだが物語にほとんど無理がない。私は和菓子はほぼ買わないしデパ地下にもほとんど行かないがこれは面白かった。とても良質でいい小説だった。

積雪と融雪剤 (2月18日・木)


1月上旬は水道管が凍るほど寒かったのにその後は暖かい日が続いていた。我が家では南にある山の上から3時間ほど日が差すようになり晴れている日はカーテンを開けるようにしている。太陽光で少しでも部屋の温度を上げようという作戦だが3時間しか使えない。それでも最近一月は比較的暖かかった。

それが昨夕から雪。ちなみにYahoo天気では上勝町に降雪予報はなかった。Wether Newsでは夕方3時間だけ降雪の予報があったが1mm程度だった。ところが深夜に掛けて降り続け駐車場に5cmの積雪。南の公園は全面真っ白で今日は近所の子らがが雪だるまを作り雪合戦をしていた。

融雪剤の塩は郵便受け横に出しておいたが車が傷むからと県道の橋の塩さえ嫌う人がいるからできれば撒きたくない。今朝S田氏とK山氏が除雪もしたらしく氷は昨夜早いうちに踏み固められたタイヤ跡だけ。それも夕日が当たってだいぶ融けた。明日の最低気温は-2度。もう大丈夫じゃないかな。

さて車の上の雪は1月には何日も載せたままだったが今回は午後に落とした。そしてコーヒー豆がなくなったのでやまなみ珈琲へ。そのままエマルジョンで激辛ハンバーグを食べて胃が燃えた感覚。帰宅して人の出入り口の氷が気になって明日朝の新聞配達さんが転ばないよう21時前に軽く塩を撒いた。

ETCカードの期限とカードケース (2月17日・水)


メインで使うクレジットカードは幾度かの変遷を経て昨年からはkyashとアマゾンカードを使っている。ガソリンの給油はシェルPontaカード。ヨドバシで買い物をするときは当然ヨドバシGOLDポイントカード。ETCカードはヨドバシに紐付けたものをメインに使っている。

だがフォレスターの交換オイル代が無料になるからSUBARUカードも持っている。それに合わせてETCカードを作ったのは4年半も前のこと。予備として持っていて使っていなかったら次回の更新はしないという連絡がカード会社から届いた。4月25日までに使うか申し込めばいいのだが。

それなら次はSUBARUのETCカードを使おうと思ったのだが財布の中にない。さんざん探してキーケースに入れていたのを発見。この機会に財布のカード類を整理した。カード類はバッグの中のケースとデスクに置きっぱなしのケースにもある。使うものと使わないものや頻度を考えて入れ直し。

ヤマダ電機などでポイントカードは持っているのにどこに入れたか忘れて出さなかったこともある。財布のカードポケットには限りがあるから1軍から5軍までに分けるような感覚。その過程で4軍に落としたカードもあるし1軍にしたものも。キーケースに入れたことも忘れないようにしないと。

『スポーツフロンティアからのメッセージ』 (2月16日・火)


先日の『スポーツのチカラ』とともに受け取った遠藤利明・馳浩編著『スポーツフロンティアからのメッセージー新時代につなげたい想い』(大修館書店)を読んだ。スポーツ立国推進塾での講義をまとめたものとか。読んでいると遠藤先生とか馳先生とか表記されていて著者が別だと気づいたり。

遠藤議員が序章で馳議員が終章を書き残り7章は別の7人が担当している。2章は東京五輪招致に至るまで何をやったかという検証。3章は分裂していたバスケットボールリーグを解散して新規にBリーグを発足させた経緯や協会運営のルール作りなどについて当事者が書いていてこれが面白かった。

4章でインテグリティという言葉を知った。スポーツにおいては薬物や八百長や暴力や不正や差別に対する高潔さ誠実さ清廉とか品位という意味らしい。第5章はスポーツと体育の概念を整理。指導者と生徒と教材としてのスポーツがあって教育的な働きかけの機能概念が体育だと説明している。

第6章で玉木正之氏がサウスポーなど言葉の語源からスポーツの意味を突き詰める。FIFAがサッカーの起源を中国と定義しているのは金満国に屈したからではないのかとかプロ野球は読売新聞が始める前からあったとか欧米を例にメディアはスポーツの主催者にはならないとか。意外によかった。

消防点検 (2月15日・月)


15日は消防点検の担当日。先月は漏水対応で消防団の仕事をした気になって15日の点検を忘れていた。今日は早々に準備をして18時集合の5分前には行った。その前に上階に住む役場K本君と偶然会って月末の総会出席の返事を聞いて。詰め所に行くと同い年S田氏がいる。今日は仕事が休みらしい。

ほどなく甲高いエンジン音。25歳ぐらいだっけY田君だ。昨年カワサキが250ccで4気筒エンジンのバイクを出して人気が沸騰しているらしい。今もレーサーレプリカに乗るH木分団長との会話で聞いてY田君が買ったことは知っていたが半年かかって年末に納車された。そのバイクNinja ZX-25Rだ。

次々集まる団員とバイクを囲んで雑談。そこから点検へ。3月で辞める66歳N岡氏が最後に運転しようと言ってくれたので私は後席。K本君とS田氏と。日浦のポンプのバッテリーが弱っていてセルが回らなくなってしまった。足で押さえてスターターを引いて何と一発でエンジンは掛かったが。

いつもガソリン供給を切ってエンジンが止まるようにしているので始動するときはチョークの横にあるピンをプッシュしてキャブレターにガソリンを供給してやるといいのだとエンジンを切ってからN岡氏に教えられた。草刈り機のシュポシュポと同じだと。消防団に11年いて初めて知った。

淡路で宿泊訓練 (2月14日・日)


先日淡路島に行ったとき「淡路青少年交流の家」という案内標識を見た。高校2年のとき合唱部の合宿で行ったのは「淡路青少年自然の家」だったと思う。多分改称したのだろう。この施設には高校1年のとき宿泊訓練にも行っている。今から思うと何を訓練したのだろう。集団生活の訓練か。

1学年12クラス530人を超えていたと思うのだが全員で行ったのだろうか。朝は7時か8時に集合して国旗掲揚から始まった。多分代表者が選ばれてポールに国旗を揚げるのだが所作が軍隊式で練習のとき何度もやり直さされていたのを見ていたような。私が消防出初め式でやったのより複雑だった。

オリエンテーリングもやった。地図を持って田舎道を歩く。周りはたまねぎ畑で臭い。あの経験で淡路島と言えばたまねぎだと刷り込まれた。1班あたり男女混成で10人近くいたような気がする。どこかの班だけがやたら遅くゴールしたような。最後の夜はキャンプファイアーだったと思う。

友人K元がギターを持って歌ったはず。スタンドマイクで声は拾うがギターには実行委員だった同級生がしゃがんでマイクを向けていた。でもK元が全方向を向いて歌おうとスタンドマイクを中心に回転するから彼が振り回される。私の記憶はこれだけだ。嫌々参加したような気分だけが残っている。

メールの作法 (2月13日・土)


ある人物と仕事関連でときどきメールのやり取りがあるのだが先日こんなことがあった。そのK氏から私だけを宛先にメールが来たから関係するO氏をccに入れて返信した。ところが次にK氏から来た返信からはO氏が外れている。わざと外したわけではないのだろうがこれでは情報共有ができない。

普段コミュニケーションの大切さを説く彼に電話で思わず説教してしまった。O氏が外出していたからと言うのだが理由になっていない。関係者が後からやり取りを追いかけられるメールの利点を殺してなぜ個々に送っているのか。「全員に返信」をするよう強く申し入れた。

早い段階で社内メールのシステムを自社開発して導入していたJ社でも当初はトンチンカンなことを言う人がいた。これは又聞きなのだがメールで連絡していると会議で言ったところ開発部門の幹部だったM本氏が「送ってきたなら送ったと電話なりで言ってくれないと分からない」と言ったとか。

この話を聞いてバカじゃないかと思った。当時の彼は40歳ぐらいだったと思うが20歳代の社員からすると老害と感じた。歳を取ると新しい機器なりビジネスの流儀に取り残されがちなのは分かる。でも仕事をしている以上は意識してルールと作法を身につけるべきだろう。と自戒を込めて書き残す。

サルと消防分団役員会 (2月12日・金)


16時過ぎに自宅と事務所を往復した。と言っても同じマンションの102号と101号。ふと目の前の駐車場に出ると斜め向かいの空き家の横にサルがいるのが見えた。事務所に戻って妻に伝えiPhoneを持って廊下の端から写真を撮るとサルは空き家の屋根に登った。と左にある畑にもいると妻が言う。

道路まで出てみると草の向こうの畑に1匹。公民館の前にいたA氏の奥様に声を掛けて3人で確認。さらに消防分団詰め所裏の山を3匹が登っていく。そのうち最初に見たヤツだろうか大きなサルが倒れて横になった竹に乗ったままこちらを覗って再び山に入って行った。

中学の同級生F田氏の家あたりまで下りて来たと聞いたのは5年以上前だがとうとうここにまで来た。夜中に山から枝の折れる音がするのはこいつらのせいだ。向かいのY溝さんにも伝えておかないと。畑を荒らされていることだろう。近所の小さな子らも遊ぶから注意してあげようと思う。

夜は19時半から消防分団役員会。分団の詰め所は畳を上げてまだ乾かしているので今日は向かいの公民館で。総会の諸々を決めて分団長会を経た連絡事項が多数。上げたままの畳を片付ける日程と次回5月の役員会を決めて21時前に解散した。コロナ禍であって飲むわけでもなくあっさり散会。

「だからジジイは」 (2月11日・木・祝)


東京五輪組織委員会の森喜朗委員長の女性蔑視とも取れる発言で世間は大騒ぎだ。発言全文を読んでみたら一言挨拶を頼まれつらつら話し始め与太話をしたのが言わずもがなの発言に繋がった。今のヒステリックな批判の風潮には与したくないが与太話をした時点でこの老人は終わっていると思う。

この件について古い友人ニシノが<「だからジジイは」と言われないようにするために>とブログに書いた。私に当てはめると(1)の怒は母に対しては発露することがあるのだけど他人にはまだ抑えている。(2)の長話はあまりない。(3)の話をあっちこっちに持って行かないというのは大丈夫なはず。

でも(4)の同じ話を繰り返さないというのは今や怪しい。(5)の相手の話を自分の話に変えないというのは実はある。反省したことがある。これは若くてもやるヤツはいる。怖いのは今までは大丈夫だったのに歳を取って出始めることだが若いときから傾向があった人は歳を取ると強まってくるだろう。

上勝の諸先輩方を思い浮かべると多くの人は大丈夫だ。M本氏などは森氏と同年代なのに去年書いたように人の話をよく聞く方で私は尊敬している。でも60歳代で全ての項目に当てはまる人もいる。ニシノが注意喚起したとおり私も気を付けておきたい。「だからジジイは」と言われないように。

『駅物語』 (2月10日・水)


昨年の日経新聞土曜版で「お仕事小説」として15冊が紹介されていた。そのうち『半沢直樹』シリーズや『これは経費で落ちません!』などテレビドラマで観たものは敬遠して以前どこかで聞いたことがある3冊を買っていたのだがその1冊を読み終えた。朱野帰子『駅物語』(講談社文庫)。

物語の中で社名は架空のものに変えられているが要はJR東日本の東京駅が舞台である。大学を出て入社し東京駅に配属されたばかりの女性が主人公。駅員になるのが夢だった弟が1年前にぜんそくの発作で亡くなり自身も東京駅で倒れた。そのとき助けてくれた5人の乗客を仕事をしながら探す。

鉄道オタクなのを隠している同期の暗い男や上長に嫌われているパワハラの教育係や見つけ出した恩人たちそれぞれが抱える悩みや人生に主人公自身が関わっていくという物語。東京駅は何度も乗降したことがあるから仕事の大変さはよく分かる。いろんな人がいるということも何となく分かる。

中央線の1番と2番ホームを主な舞台に事件と言うほどでもないが毎日こういうことが起きているのだろうと想像できる小さな非日常が積み重なり弟が死んだのは自分のせいだと苦しむ主人公と職場の人たちの関係が徐々に変化していく。泣けるほどではなかったが読後感は悪くない。いい物語だった。

悪意の取材 (2月9日・火)


昨日あるきっかけで思い出してしまった。J社の一太郎Ver.4のバグ騒動が落ち着いた頃にあった取材のこと。月刊プレジデントだ。記事はJ社に対して悪意に満ちたネガティブなものだった。ユーザーをないがしろにしたバグ問題を起こした直後だから社会の見方の一つだったのかも知れないが。

覚えているのは記事よりも取材そのもの。いや当日のやり取りは全く記憶にないのだが取材者がいる部屋に入った瞬間のことを鮮明に覚えている。場所はJ社沖浜第1ビル。正面玄関脇にあるガラステーブルのミーティングルームD。私は社長と2人でその部屋のドアをノックして入室した。

相手は2人いてテーブルの向こうに立って中庭を見ていたようだ。振り返った2人から私は悪意を感じ取った。嫌な空気。取材後に社長も同じ感想を口にしていたから余計に覚えているが瞬間「しまった」と思った。取材は社長秘書T山さんが受けていた。私が関与していなかったことを後悔したのだった。

当時の名刺を探してみた。日本大学講師という肩書きの青野忠夫という人物。検索すると1923年生まれ。メモに1989年12月1日とある。当時66歳。長田という編集者が同行している。この経験もあって広報部門の提案をしたのだと思う。人の意図は感じ取ることができると知った貴重な経験である。

すず製の酒器 (2月8日・月)


先日読んだ『教養としての日本酒』には酒に合わせた酒器も紹介されていた。香り高い酒にはワイングラスまたは磁器や漆器。軽快でなめらかなタイプには細長い形状のビアグラスや青竹。コクのあるものには陶器やワイングラスで熟成タイプには透明なブランデーグラスや白磁といった具合。

その中で素材として錫が挙げられていた。温度をキープでき錫に入れた酒はまろやかでやわらかく感じると。錫には水や酒の酸化を遅らせやわらかくする作用があるらしい。普段は妻が持っていた小振りのグラスで飲んでいる。飲み口が複雑な多角形で高そうではある。でも錫という素材は面白そう。

調べると能作という会社が錫製ぐい呑みを作っている。今のグラスが満水200ccだから小さすぎるのは敬遠して藤巻百貨店の情報も参考に「Kuzushi - Yure - 大」という商品を選んでみた。5,500円。公式ショップもアマゾンも送料がかかるがヨドバシだと無料。しかも全額ポイントを使ってタダで。

ゆらゆら揺れるというのが不安だったが底は本当に半球だ。もちろんひっくり返ることはない。今夜から使って今までのグラスと飲み比べてみたがまろやかだと言われればそんな気もするがよく分からない。ずっしりした重量感と銀色なのに陶器のような風合いが良い。飲み過ぎないようにしないと。

※満水容量は175cc。半分ほど入れて75cc。5杯で2合ちょっと。6杯で2合半。(2月9日追記)

「麒麟が来る」 (2月7日・日)


NHK大河ドラマ「麒麟が来る」が今日終わった。昨年は濃姫役の沢尻エリカが薬物で捕まって収録のやり直しやコロナ禍で撮影が止まったりして最終回が2月にずれ込んだ。主人公は日本史上最も有名な裏切り者とされる明智光秀。本能寺の変に至る光秀の心の動きを追うといった物語だったと思う。

ドラマの都合で登場する架空の人物はつまらなかったし長谷川博己が演じた光秀はイメージとは違う爽やかさで少し物足りない。染谷将太は最初イメージが違いすぎて戸惑ったが最後はもう信長にしか見えなくなってきた。川口春奈の濃姫もよかった。でも一番よかったのは本木雅弘の斎藤道三だ。

道三の最後のシーンはドラマティックに過ぎて嫌いだが戦国時代の最大のヒーローだと思う。2年前に読んだ司馬遼太郎『国盗り物語』の影響が大きいことは自覚しているが。その『国盗り物語』も後半の主人公は実質的に光秀だったが描かれ方が全然違った。ただし全体を通せば今ひとつ。

最終回は見応えがあったが光秀は生きているとほのめかして終わったのは後味が悪い。恨みとか精神を病んだとかではなく信長の暴走を止めるのが役目と描いた視点はよかったが。一昨年の「いだてん」よりはマシだが歴代の大河ドラマの中では中の中といったところ。今ひとつ没入できなかった。

『スポーツのチカラ』 (2月6日・土)


仕事上のボスであるA社のK氏が最近eスポーツへの関心を強めている。もともとラガーマンだから関心はスポーツ全般にも及ぶ。そのK氏から送られてきたから半ば仕方なく読んでみた。遠藤利明・松瀬学(取材構成)『スポーツのチカラ~東京オリンピック・パラリンピック戦略』(論創社)。

著者は山形選出の衆議院議員。東京五輪開催が決まった後の2014年4月発行。冒頭はスポーツとの関わりや選挙の話など自伝的。今はコロナ禍で1年延びた五輪開催の是非や組織委員会の森喜朗会長による女性差別発言などが話題な折だがスポーツ振興に関する啓発の書といった趣きである。

2006年のトリノ冬季五輪でメダルが1個だけだった反省から国の責任でスポーツを振興する必要があった。そのためには1961年制定でアマチュア前提のスポーツ振興法を改めスポーツ基本法が必要。統合的に推進する役所もいるが行政改革に逆行する新省庁の設置には国民の熱意の高まりが不可欠。

そのための五輪誘致だと。スポーツ基本法を超党派の議員立法で成立させるまでの裏話と条文の解説は知らないことばかりで面白かった。スポーツに関して国民は権利を有し国や自治体には責務があると。最後は山口香氏との対談。スポーツ庁設置前で終わっているから続編を読みたいぐらいだ。

マスクとアルコール消毒とじんましん (2月5日・金)


マスクは上勝に籠もっている日常ではほとんど使わないが先日の淡路島ではホテル内でも部屋以外は着けないといけなかった。食事に行くときも風呂に行くときさえも。2度ほどマスクを着けずエレベーターで1Fに下りてから取りに戻ったりもした。仕方がないとは言え面倒なことだ。

屋外の水仙郷に行ったときもマスク着用だ。山道だから息が苦しい。淡路島とは言え非常事態宣言下の兵庫県であってマスクをしていない人は皆無だった。これが隣町の道の駅だとマスクをせず家族としゃべりながら商品に触れるおばちゃんがいたりする。つい非常識なと不信の目を向けてしまう。

でも今回の一泊旅行でいちばん閉口したのがアルコール消毒だ。ホテルのレストランに入るときも水仙郷でさえアルコール消毒。上勝に帰ったときは手が荒れてカサカサになっていた。しかも夜は身体のあちこちが痒い。夜中にも2度起きて脚にムヒを塗ってようやく寝ることができた。

妻は午後に下痢だったと言うから朝食の何かでアレルギーが出たのかも知れない。でももしかすると湿度が低かったことも影響しているような気もする。温泉に何度も入って皮膚の油分がなくなって乾燥した空気。そうだとすると冬でも湿度60%を下回ることがない上勝のありがたさを思う。

みずほ銀行の個人口座 (2月4日・木)


昨日は淡路からの帰りにまた銀行を巡ってきた。まずみずほ銀行の個人口座のうち使っていない方の現金を三菱UFJ銀行に移そうと算段。まず残高519,518円を引き出そうとしたらできないとATMから言われた。それならば482円を入金して52万円にした上で引き出そうとしたがやっぱり同じ。

引き出し限度額があると気づいて2万円を残し50万円を下ろして三菱UFJ銀行に行って預け換え。続いて三菱UFJ銀行の法人口座から50万円を引き出してマルナカのATMから徳島銀行に預け換え。家賃と水道代と新聞購読料は徳島銀行から引き落とされるのだが残額が1ヶ月分しかなかったので。

一方バレンタインジャンボ宝くじというのがあるとツイッターで知って買ってみようと思って昨夜みずほ銀行の口座にログインした。銀行口座と宝くじのサイトが統合されていて残高照会ページに行くと2つある個人口座の状況が分かる。と振替というメニューがあるではないか。

使っていない口座から2万円を振替するとあっさり移って残額が0円になった。もっと早くやっておけばよかった。この残金0円になった口座は解約しようと思っていたのに0円なんだからいつでもいいわけで動機がなくなってしまった。とりあえず整理できたからヨシとする。

ホテルニューアワジから水仙郷 (2月3日・水)


0時過ぎに寝たと思うのだが体重が掛かるお尻の両側がヒリヒリと痛い。多分温まった風呂の中で掻いて温泉成分がしみ込んだような。何度も目が覚め寝た気がしない。それで朝の風呂は止めて部屋でシャワーを浴びて温泉成分を洗い流した。生活に支障はないが風呂に入りすぎるのも考え物だ。

9時に朝食。量は少なめ。客が少なかったからか妻によると部屋はアップグレードされていたらしい。ベッドも1人掛けソファも各3つあったからスーペリア洋室か。11時まで滞在できるのだが結局チェックアウトは10時頃。ホテルニューアワジプラザ淡路島。鳴門からも見える風車が目印だった。

ホテル前で写真を撮ってから灘黒岩水仙郷に行った。私が小学3年のときに父が運転して家族4人で行っているはずだが記憶は蘇らなかった。後に50枚も集めることになるペナントを初めて買ったのがここだったはずなのだが。1人600円。遊歩道を山に上がって降りるが咲き乱れるほどではない。

さらに思い立って淡路最南端の鳴門岬に行ってみた。ここまで来たことがあったかどうか。高速に乗って鳴門北で下りて今日も実家に寄って大晦日に食べて冷凍してもらっていた肉を回収。朝食は旅館にしては少なかったというだけで普段は1日2食なので昼食は抜き。普段より早く18時からすき焼き。

南あわじ (2月2日・火)


124年ぶりの節分という2月2日に特に意味はないが淡路に来て泊まっている。本当は先週の予定だったが動画編集の仕事があることを妻が忘れていて念のために1週間延ばしていた。ただ温泉に入って食事をするだけ。首都圏や大阪に兵庫も非常事態宣言の延長が発表されたが淡路は関係ないだろう。

上勝を12時過ぎに出てモスバーガーで昼食。間人温泉で買って来ていたへしこを実家にも持って行った。時間があるので高速には鳴門北インターから乗ろうと桑島経由。DAIKIで妻が買い物をしてローソンでビールと水を買って高速に乗ったのが15:22。ホテルに着いたのが15:48。近い。

部屋からも大浴場からも正面に大鳴門橋が見える。露天風呂は風が強いが鳴門海峡を一望できて妙見山も見えた。17時前に部屋に戻ったが17:34の日の入りを見ようと再び風呂へ。露天風呂には後から2人。でも雲に隠れて内風呂に戻った。18時の10分前に行ったレストランで夕食はフレンチ。

と言ってもこれは箸で食べる和食だろう。客は小さい子ども連れ1組のほかカップルが2組。非常事態宣言下でアルコールは19時でラストオーダーというのでビール4杯ずつ飲んでしまって酔っ払い。夕食後三度風呂。夜は買ってきておいた缶ビールを部屋で。23時に今日4度目の風呂。内風呂だけ。

『教養としての日本酒』 (2月1日・月)


日本酒について昨年から飲むようになったが知識は曖昧だ。そんな自覚があって新聞広告で知り買った。友田晶子『 ビジネスエリートが知っている 教養としての日本酒』(あさ出版)。醸造アルコールはコスト削減目的かと思っていたら腐敗防止や辛口に仕上げたり香り付けのために使うのだとか。

純米と付けば原料は米と米麹だけで醸造アルコールは含まない。吟醸酒は精米歩合が60%以下で大吟醸酒は50%以下。特別純米酒や特別本醸造酒は60%以下で本醸造酒は70%以下。アルコール発酵を担う酵母は明治以来今では大半の蔵が日本醸造協会から提供を受けていると。

発酵の始まりに使う酒母作りに乳酸菌を使うが速醸酛と言われる人工培養のものではなく蔵特有の自然のものを取り込む伝統手法を生酛(きもと)造りと呼ぶ。生酛造りの蒸米を櫂棒ですり潰す山卸の作業を簡素化したのが山廃。いろんな銘柄で山廃という文字があったが山卸廃止酛の略だったのか。

日本酒度は甘味成分の数値でマイナスだと甘口。プラスの数字が大きいほど辛口。ただ酸度やアミノ酸度の組み合わせで甘味は変わると。前冬の酒を涼しい蔵で一夏寝かせて秋に飲むのが「ひやおろし」。酒8水2で割った燗酒もお奨めと。4タイプに分けて合う温度や酒器の紹介まで。勉強になった。

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© 2021 Takashi INAGAKI