<Diary Index Page> 2019年6月
Excelのリンクがブラウザから起動する (6月30日・日)
PCの設定を続けている。淡々とセットアップしたのは遠隔操作ソフトTeamViewerほかエプソンのドライバーを2つの複合機で合計15ぐらいとリコーTHETAにOultechのドラレコプレーヤーと画像編集ソフトPhoto Studio 18と3Dホームページデザイナーや楽譜作成ソフトMuseScore3などなど。
一昨日に新PCで仕事をしてみようとExcelを起動してセルに入れたサブフォルダのExcelファイルへのリンクをクリックした。今までのPCならExcelが起動するのだが今回はExcelシートがブラウザに表示される。「Excelで開く」タブがあるから支障はないが少しだけ時間も手間が余計に掛かる。
ネットで調べたりExcelの設定項目を見たが分からずFBに書き込むと何人かからアドバイスをもらった。が全て外れ。結局ヘルプから問い合わせをしてみたが返事は週明けだろう。ところが返信を受け取るOutlookが起動しなくなり今回2度目の「オンライン修復」を実行。その後もうまくいかない。
今日は元同僚K田氏のヒントで設定場所を発見。<OneDrive右上の歯車からOneDriveの設定−その他の設定−サイトコレクションの機能−歯車からサイトの設定−サイトのライブラリとリスト−"ドキュメント"のカスタマイズ−詳細設定>が効果なし。ここまでやって分からない。とりあえず諦める。
先日デスクを組み立てたときから腰が痛い。寝ていても腰の痛みで目が覚める。少し歩いた方がいいというわけで出かけてきた。とりあえず妻が行ってみたいと言っていた鳴門の神社。撫養街道に西から入って一旦過ぎてしまって路駐して市杵島姫神社。本殿は池の中の石垣の上に築かれていた。
続いて同じ名前で妙見山の北にある市杵島姫神社。ここも路駐。雨が降り出し車に戻ると妙見山への登り口がある。中高の同級生にして峠道ドライブの師匠BPQことI君が教えてくれた妙見山の3本目の登り口だ。ここを何度か車で下りたことがある。当時は草ボウボウだったが今日は難なく上がれた。
続いて朝行けば古代蓮の花が咲くという島田島へ。小鳴門橋を渡って鳴門スカイライン経由。11年前に寄った炭焼きの家の前を通って突き当たりまで行った。ここから右の海沿いの細い道から淡路が見える。ここも学生時代だったかJ社の頃にI君が教えてくれた道だ。フナムシがいっぱい。
次は先日の散髪のとき教えられた鯛料理屋を探しに高島。幸福の科学の近くと聞いたが分からなかった。雨が上がったので18時半頃にウチノ海公園の外周を歩いた。20分ちょっと。T本氏の自宅前も行ってみたり。夕食は先日も行ったあらし。帰りにマルナカに寄ったらJ社同期のM田君と会って立ち話。
小室直樹『天皇畏るべし 日本の夜明け、天皇は神であった』(ビジネス社)を読み終えた。途中で内容メモを2回書いたが後半はメモで書いたことの補足的な内容だった。その要点は幕末の王政復古から明治と改元される前に明治天皇が讃岐にあった崇徳上皇の神霊を都の京に迎えるところから始まる。
ここからは水戸藩の栗山潜鋒という学者が書いた『保建大記』の内容紹介といった趣き。崇徳上皇が白河法皇と鳥羽上皇から実権を与えられないまま天皇になり上皇になり乱を起こし破れ讃岐に流され怨念を抱いたまま死んだという話。この段で弟から兄へ皇位継承がなされ世が乱れたと解説する。
「皇位継承順位は『天倫の序に』依って決められるべきであって、上皇や天皇雖も、これを恣意的に変更する事は許されない」。天倫の序は長子相続法。さらに保元の乱で源義朝が父を殺しこれを命じた朝廷が倫理的に破綻したと。347年間行われなかった死刑が復活して武士の世が始まるのだと。
崇徳上皇の怨念「皇をもって民となし、民をもって皇となす」で武家社会となって明治の新政にあたり旧に戻すため神霊を讃岐から迎えたということか。さて本書は口述筆記だと思うが講談調で読みやすいが本筋の議論が何だったか分からなくなりがち。何度かメモを読み返し理解することにする。
新旧デスクの上は片付いたので新PCの設定を始めた。今回キーボードとマウスは買わなかったので古いものを持ち出し旧デスクの上に置いた新PCとモニター2台のうち右側のナナオEIZOをDisplayPortで接続。WindowsUpdateとDELLのBIOSのアップデートと諸々で再起動が4回だか5回だか。
旧PCのデータをNAS(LAN上のHDD)経由で移行させようにも新PCをNASにどう認識させるのか。システムのバージョン情報からPCの名前を確認し設定。さらにNAS側でリード/ライトの属性設定が必要だった。NASが読めるようになったので旧PCのIEのブックマークを新PCのEdgeにインポート。
ここからOffice 365にアクセスしてマイクロソフトOfficeをインストールしてすぐにOneDrive for Businessの同期。ブラウザFirefoxとGoogle Chromeもダウンロードしてブックマークを同期。ffftpのデータ移行で躓いたがネットで調べて「iniファイルに保存」のチェックを外しregファイル経由。
まだセットアップすべきソフトが25もあるのだが淡々とCDまたはDVDまたはネットからインストールするしかない。次の山場はShurikenが届いたら行うメールデータの移行。とは言え今回は左右のモニターに旧新PCを繋いで両方を見ながら作業ができマイペースでできるので楽。のんびりやる。
今朝JustMyShopからクーポンで3割引きというDMが来ていた。対象品を見ていてメールソフトShurikenを新PCに合わせて買おうと思っていたのを思い出した。パッケージのバージョンアップ版2,430円が1,620円。早速注文。デスク周りの片付けで出てきた雑誌やパンフレット類は3束にまとめた。
午後は2週間ぶりの診察に行く妻を日赤で降ろして三菱UFJ銀行。役員報酬を振り込んで次に西新浜マルナカに行き徳島の山歩き本3冊を買った。日赤に戻るとちょうど妻は診察が終わった頃。正面玄関でピックアップしてルピアで買い物。ようやく四国も梅雨入りらしい。雨の中を帰って来た。
妻の左手首はギブスが取れた。でも掌側だけのギブスを沿わせ包帯で巻いている。日常は装着しておいて風呂などで外すらしい。まだ痛むようで次の診察は1月以上先。全治3ヶ月ということか。妻の禁酒は祖谷温泉での1杯だけで継続中だが私は15日以降の日曜と金曜に休んだだけ。他は毎晩ビール1L。
さて新PCに合わせて弥生会計も買い直すのだがタイミングが難しい。今の弥生会計07のデータを税理士さんに送って最新版の形式にコンバートしてもらう必要があり新PC構築の最後の作業がいいわけでとりあえず現PCに今は使っていないモニターを繋いで弥生会計07専用機にしておこうかと考え中。
昨日注文したデスクが13時半には届いてしまい14時前から作業を始めた。まずは机の上の古い日経パソコンや車のパンフレットなどと下にある空き封筒など不要なものを動かした。今までのデスクは右に移動させ90度回してこちらを向けることにしたので使えなくなる引き出しの中も全て出した。
さらにPCやNASなどから電源やUSBやLANケーブルを外し一旦避難。現デスクを右の仮置きして新デスクの組立。掃除機を掛けながら埃を拭き取りながら。最初は抽斗なしを検討していたが5cmしか差がないので抽斗付。4個口の段ボールから部品を出し電動ドライバーが活躍してくれて約1時間。
ケーブルの長さを考慮してハブはあまり動かせずNASやHDDやUPSを旧デスクの上に置きPCは新デスクの下。とりあえずケーブルを繋いでPCの動作を確認して新デスクの配線ダクトにUSBケーブルなどを通してみたり。デスク上は完全に元に戻すのではなくて使いやすさなどを考慮して再配置した。
新デスクの空き段ボールは片付けたが不要な雑誌や左に置いていたサードワゴンや旧デスク上はまだ片付けていない。旧デスクの右袖引き出しの中を含めて全体的に配置を見直すつもり。日中がんばりすぎて夜になって腰が痛いので続きは後日。ゆっくりやる。新PCの設定は今週末になりそう。
スバル阿南店の閉店とPC納品とデスクの発注 (6月24日・月)
スバル阿南店が6月末で閉店すると4月に手紙が届いていた。担当店をどこにするかの問い合わせだったのだが営業氏の異動先が分からなければ回答できない。その担当営業T崎氏は相変わらずずぼらで電話も寄越さない。それで通りかかった昨日店に寄った。店長含めほとんど論田店に異動するらしい。
1995年にインプレッサWRXを買ったのが論田店で担当は岡本さんと言った。上勝に移住してすぐ論田店で当時のフォレスターに試乗したときの営業がK氏で今の阿南店の店長。昨日は8月が期限のフォレスターの車検について相談。さらに先日の傷の処理について。でもフィットで行ったので隔靴掻痒。
雑談の中で10年を超えたフィットの買い換えにダイハツOEMのジャスティを奨められた。一方で思い付いて母の車について自動ブレーキ付の軽自動車の相談。K店長は高齢者の新車購入に否定的。担当T崎氏は熱心にも今日ダイハツOEMのプレオ+の見積書をドアポストに入れて行っていた。134万円。
さて6月11日に注文して7月10日到着予定のPCが何と今日届いた。デスクを新PCに合わせて新調するつもりだったので慌てて今日アスクルで発注。現デスクは捨てるつもりが活用する手を思い付いていたので横幅140cmではなく120cmのものにした。徳島に出る用が夕方あり霊山寺横「元」で夕食。
間々田さんの芦屋での講演に付き添うため11:18発のバスに乗る妻を送って松茂。そのまま鳴門に行って2ヶ月ぶりの散髪。いのたにでラーメンを食べて実家。母曰く妻に言われたがあと2年は運転するつもりと。運転止めると認知症になると訴える。「あと2年な」と念押しすると「今のところは」と。
次に阿南のカメラのキタムラに寄ってから「響」団長と16時約束のコメダ珈琲阿南店。15分前に着いたが団長は15分遅れ。ノートPCでSo-netの会員ページを開け団長のクレジットカード番号を入力してもらった。続いてメール転送設定。団長の携帯メールには届かないようなのでPCメールを登録。
ところがPCメールに送られる番号を入力する必要がある。結局団長が奥様に電話してPCメールを見てもらい番号を入力。最後にFacebookの管理者変更。まず団長を管理者として登録。そこから自分で自分の管理者権限を削除。先日のCD-Rを渡して作業を終えて10分ほど「響」の状況について雑談。
コメダ珈琲では上勝M嬢が1人でやってきたので目礼。団長は17時から別の方と打ち合わせということで私は退出して通りがかったスバル阿南店。さらに19:11着のバスで帰ってくる妻を迎えに再び松茂。かつやで夕食を取って大雨の中を21時前に帰宅。このページ左に「響」へのリンクを見つけ削除。
『天皇畏るべし』メモの続き。教育勅語は「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」と謂う。「戦争が始まったなら必死になって国のために戦え」と天皇が一般臣民に下したが以前なら武士だけの勤めであり民は関係なかった。二重規範を一気に解消した天皇はまさにキリスト教的神であるということになる。
さらに大日本帝国憲法。近代憲法は主権者(君主や人民)と人民との間の契約だが大日本帝国憲法で臣民は契約の主体ではない。天皇が誓いを立てる相手は皇祖や皇宗や先代天皇の神霊。なのに日本人が憲法を守るのは天皇が命令したから。天皇は規範を作り出したのだからキリスト教的な神である。
教育勅語でも帝国憲法でも天皇が憲法を守れと命じている。憲法の正当性は天皇にあるのであって天皇の正当性が憲法に因るのではない。さらに「天皇は神聖にして侵すべからず」とあり法の上に存在する。英国では王の上に法があり法の上にあるのは神だけ。つまり天皇はキリスト教的な神である。
憲法政治を導入するにあたり「欧州諸国で憲法政治が成功したのは民心が帰一するキリスト教という基軸があったから」と伊藤博文は演説した。日本にはこれに代わる宗教がない。だから天皇を以て憲法政治の基軸にしようとした。天皇がこう機能するのはキリスト教的神の神格を有する証明である。
練習が楽しくないと気づいてしまい休んでばかりでは迷惑だからと辞めたわけだが「響」は人の集まりが悪く活動方針について日曜に会議をしたらしい。指揮者S神も歯科医師会理事で役職が付き時間の確保も難しくなるという話も聞いた。と言っても私にはもう関係ない。懸案はWebの引き継ぎだ。
もしコンクール情報の更新が必要ないなら急ぐことはないのだがWebの月額利用料が私のクレジットカードから支払われ続けるのは困る。だから変更手続きをしたいが団長のクレジットカード番号を電話で聞くのは憚られる。そこで昨日団長に電話。会ってその場で入力してもらうことにした。
私だけが管理者のFacebookページの変更も必要だがこれも2人で作業しよう。 その前に今日はメール転送設定の私のアドレスを削除。WebデータをCD-Rにもした。Web上のファイルは308個で10.4MB。古いデータを含めて730個74MB。20年間でこれだけのファイルを加工編集してきたわけだ。
CD-Rは2セット作りメールやFTPの設定情報も印刷してレーベルにした。T氏に担当を返したいが団長にデータさえ渡しておけば後は団で進めてくれればいい。さらに楽譜を使うことはもうないと思うので事務所デスク後ろにある本棚の下部を占めていた紙袋6つ分もの楽譜数十冊を自宅に移動させた。
小室直樹『天皇畏るべし 日本の夜明け、天皇は神であった』(ビジネス社)を読んでいる。「現人神としての天皇はキリスト教的意味における神であった」という命題をキリスト教や儒教や仏教や教育勅語を材料に証明するという体裁の本である。ところが難しいので途中までの要点をメモしておく。
キリスト教における「権威」は正当性の創造を指す。これは世のあらゆるものを創造しただけでなく正しいかどうかの判断も神の意志に依ることを意味する。権威は神の意志決定だから力(物事を為し得る能力)も創造し伴う。聖者は仏教では修行した人がなるがキリスト教では神が任命する。
仏教では法(ダルマ)は仏と関係なく決まるがキリスト教で社会規範の根本規範は神との契約で決まっている。神とキリストと精霊を同一とみるキリスト教の根本的教義である三位一体説に従えばキリストは神であり権威を有する。権威に伴い力も与えられるからキリストはどんなことでも実現可能。
仏教の論理は因果律。全ての結果は原因によって生じる。キリスト教の論理は予定調和説。誰を救済するかしないかは天地創造のとき決まっている。儒教では個人レベルは予定説で因果応報は機能しない。一方で国家レベルでは因果律が作用する。儒教ではよい政治をすれば国家が救われると考える。
中国の儒教において利の追求は悪いことではない。ただし不義な手段や利の独占は悪。しかも民衆には関係なく儒教は統治者たる君子にだけ機能する。儒教は政治主義で権力者だけを対象に仁義を説く。つまり民衆と権力者は別個の規範システムがあり中国は二重規範の社会であると言える。
教育勅語は天皇が「臣民よく忠によく孝に」と謂う。つまり日本にはただ臣民があるのみ。儒教は臣に対する規範であって民は関係ないので教育勅語を儒教的と捉えるのは間違い。 さらに中国では親子関係の孝が最優先だが教育勅語は忠すなわち君臣の公的関係が優先され儒教とは全く違うと言える。
祖谷温泉ホテルに行った10年前の印象はケーブルカーで川近くまで下りて入る露天風呂の湯がぬるかったぐらい。こじんまりした宿だとは思っていた。今回も同様でフロントロビーの小ささは思ったが一方でそれに比べてスタッフは多かった。若い人が多くて地元の人たちなのかも知れない。
駐車場から入るフロントは4Fに当たる。露天風呂に行くにはフロント裏から外に出てケーブルカーに乗る。片道5分。月曜夕方に露天風呂から出たときケーブルカーは上り始めて1分ほど。それが戻ってくるまで10分。タイミングによっては風呂から出てフロントまで15分以上かかる。
それが嫌で露天風呂には今回も一度しか行かなかった。大浴場は2F。宿泊は6Fだったから4F分を階段で下りる。これも面倒。しかも今回の部屋は5Fから別棟に移るようで平行移動にも時間が掛かった。部屋に風呂はない。古くはないから不快ではないが温泉ホテルにしては狭かった。
湯はぬるぬる。食事は美味しく刺身など海のものが一切出なかったことには好感が持てる。行き帰りを含めて秘湯感はあるので都会の人にはいいかも知れない。さて今日は妻の誕生日なので田宮のうな久で鰻重。ただ味も接客も今ひとつ。隣は学生3人組。学生の分際でと思ったが医学部生か。
24時前には寝たと思うが何度も目が覚め7:50起床。実質睡眠5時間弱。8時半から朝食を摂り露天風呂はケーブルカーの待ち時間が不確定なので内風呂に入って10時チェックアウト。四国では道後温泉とここだけという源泉掛け流しの祖谷温泉ホテル。ここに泊まったのは10年前に次いで2回目だった。
妻が顔ヨガの将来について2人に話をしながら狭い旧道から徳島道に乗り徳島IC経由で神山。まずは上一宮大粟神社。粟カフェで車を表に回して駐めて屋外テーブルでカレーの昼食。さらに移住前からときどき行く立岩神社。小川のせせらぎに癒やされた。この道でシカとサルとタヌキとウサギを見た。
次に石井経由で国府の気延山にある天石門別八倉比売神社。天照大神の葬儀があったと伝説があり11年前以来何度か行っている。都心に住んでいるN村嬢は東京の神田明神の巫女を経て石川県の神社に嫁いでいたこともあるとかで参拝の作法が堂に入っている。ここから名田橋経由で大麻比古神社。
ドイツ橋まで見て鳴門市街に入り17:20にあらし。急いで食べて17:50。まずは18:50発の飛行機で東京に帰るN村嬢を送り空港に18時。iPhoneの2人に私の撮影写真を転送してから18:33発のバスで大阪に帰る石川さんを乗せて18:20に松茂。疲れたが楽しかった。2日で470km。燃費12.4km/L。
7時過ぎに目が覚め8:27出発。仲之町で給油して駅前のアパホテルに9時半前。ここで泊まっていた妻と私は2度目の石川ななこさんを乗せ徳島空港。ここで東京から来たN村嬢と合流して徳島道で祖谷へ。まずは国道32号線沿いで祖谷そばの昼食。ここから賢見神社に行くのだがナビに従った。
でも道が狭く引き返したりして何とか到着したがN村嬢がトランクを開けようとしたら車庫天井の廃材にぶつけて。ともかく拝殿でお祓いを受け山道の階段を下りて彼女らは滝行をすると言う。妻に言われて水着も持っててきているとか。彼女らの滝行を見るのも失礼かと私は手前で待っていただけ。
続いてかずら橋。4人で渡ったがカメラを落としそうで写真を撮るのに苦労する。河原にも下りたりして次に奥祖谷二重かずら橋に行くには時間が足りず道を戻って大歩危峡の川下り。16時半発の船に乗った。再びかずら橋に向かってホテルには17時半前に着いた。
まずは温泉に行ったが戻りが私だけ遅れて夕食に10分遅刻。妻は5週間ちょっとぶりに生ビールを1杯。私は3杯。石川さんが2杯でN村さんが1杯。初めて会った30歳代のN村さんは声がきれいで理路整然と話す。大阪人ぽい石川さんとの対比も面白い。21時頃に風呂に行って祖谷から見る満月の夜。
昨日は15日組の消防点検。8人が参加。N岡氏とS氏は料理当番で残りM下氏が中央に行き消防車で分団長以下5人。うちN野君とY田君は新人で初めての点検だったか。2人とも父上とは飲み仲間だが息子とも一緒に仕事をするようになって感慨深い。分団長H木氏が丁寧に点検手順を教えながら。
消防車を運転したのは先月に続き志願した役場F澤君。偉い。マニュアルミッションに慣れるため2速でゆっくり。下りはクラッチ繋ぎっぱなしが鉄則だよ。Y田君のメルカリでの売買に驚いたり終えて飲みながら官官接待とノーパンしゃぶしゃぶの話にF澤君が食いついてきたり。2週間ぶりに飲んだ。
月曜は大阪と横浜から来るお客さんを車に乗せるので昨日夕方に雨が止んだところで水滴を拭き取った。こうしておけば乾くときれいになるだろう。ところが夜はまた雨。消防が解散した21時過ぎに再び拭き取ったがまた降ったのか24時頃に3度目の作業。今朝は屋根の鳥のフン1つ拭き取って。
今日はいっきゅう茶屋で昼食後ルーターの位置を変えたことで床を這っていたLANケーブルを天井に沿うように付け替えた。少しすっきり。それとフォレスターのレーダー探知機の接着性が悪く一度洗ったのだがやっぱり倒れるので夜になって製品に添付されていた両面テープで貼り付けた。
退職後90歳まで生きると年金とは別に夫婦で2,000万円必要だとの報告書を金融庁の金融審議会がまとめた。老後は公的年金だけでは足りないというのは消えた年金問題で大騒ぎになった12年前から常識だと思っていたのだがなぜかこれが問題になり金融大臣は政策に反映させないと国家で答弁した。
この件でK田氏が日経ビジネスのコラムをFacebookに投稿していてリンク先にあった報告書を斜め読みした。すると高齢夫婦無職世帯の平均貯蓄額は2,484万円あって年金で足りない分を補填しているという厚労省の資料があって不足額は月5万円だから30年だと2,000万円という理屈と分かった。
でも貯蓄がない場合は年金の範囲で生活するか働くか子に養ってもらうなど別の方法を考えるだろう。なるほど金融商品の普及を目指す結論があって年金不足額は後付けで資料を根拠にしたように読める。とすれば確かに報告書としては不適切。でも結論の政策提言は間違っていないと思う。
今からでも準備すべきなのに公的年金だけで生活できるよう政府に頼る一方の人は自立するべきだ。こういう人は政府を攻撃したいだけということか。人によって事情の異なる生活を平均値で論じることも無理がある。政府は情報を提供し環境を整えて個人が自由にすればいいだけのことだと思う。
用事の失念とWindows Updateと準備 (6月14日・金)
大阪出張に行く妻を送って松茂。帰りに今日付の振込で三菱UFJ銀行からみずほ銀行を回ってきた。消費税の前納分のためにまとまった額を引き出して帰りにゆうちょ銀行に寄って一部を納入した。これが15:20頃。帰宅して落ち着いてコーヒーを淹れてさて弥生会計に記帳しようとしたところで。
今日付の振込がもう1件あった。相手の口座がりそな銀行だから手数料の安いゆうちょ銀行から振り込むつもりが忘れていた。この時点で15:50。慌てて準備をして飛び出して車で2分の郵便局に向かった。その車中でゆうちょダイレクトを使ってネットで振り込みできたのではないかと気づいたが。
入金確認にはゆうちょ銀行のiPhoneアプリを3月以来活用しているのにネットで振込の経験がなく失念していた。大雨の中を行ったり来たり。何をやっているんだか。そもそも消費税納入のため郵便局に寄ったとき振込があることをなぜ思い出さなかったのか。全く自分のことが信用できない。
夜は月曜夜に使う予定のあるノートPCのWindows Update。何度か再起動してWindows 10の新しいビルドもインストールして2時間20分も掛かった。マイクロソフトアカウントの登録も。このPCを含めて持ち出すものを固めて置いて追加していく。自分が信用できないので準備も2日がかりだ。
中島らも『今夜、すベてのバーで』(講談社文庫)読了。中島らもと言えば1984年に始まった朝日新聞「明るい悩み相談室」を多分1988年から読んでいたしFM番組もよく聴いていた。独特の間を持った声が今も耳に残る。そしてアル中。階段で落ちて2004年に52歳で死ぬ前は足下も覚束なかった。
1991年3月に刊行されたこの本の存在も知っていたが今になって読もうと思ったきっかけは勝谷勝彦氏だ。アルコール依存症の末に肝性脳症で昨年死んだ勝谷氏のメール日記を長年購読していて死後もスタッフが継続しているが3月20日のメールに中島らもとの類似性の記述があって興味を持った。
8歳違うが同じ灘高出身。勝谷氏は開業医の息子で中島らもは歯科医の息子。実家は尼崎のごく近所らしい。エリートコースの同級生と異なり文筆業となる点も同じ。勝谷氏も意識はしていただろう。そしてこれは小説ではあるが中島らも本人の実体験を相当程度反映していると巻末の対談にある。
物語は35歳で入院した病院の中で進む。登場人物は患者数人と事故で死んだ親友の思い出とアシスタントとして雇ったばかりのその妹と医者。アルコール依存と薬物中毒の症状や薬や肝臓に関する詳細な記述。死がそこにある中で飲んでしまう心理描写にドキドキする。小説として純粋に面白かった。
左手首を骨折した妻は2週間ぶりの診察。16時半に日赤の玄関で下ろし駐車場に入れて合流した。期待はしていたが2本折れた骨の細い方がまだ着かないらしくギブスが新しくなっただけ。2週間後の診察で外れるだろうと言う。当面は不便だが仕方がない。妻の禁酒は今日で1月と2日。
診察は混雑していて終わったのは18時前。8年ぶりかというキョーエイ小松島店で買い物をして向かいのコーナン経由で3年ぶりと思われる焼肉団十郎。前回の骨折のときも来た思い出がある。妻はウーロン茶を飲み私はアサヒドライゼロ。ノンアルコールで今日で11日連続の禁酒。
日赤の外来待合室を歩いていたら青いユニフォームの3人が出てきた。何気なく見たら1人は臨床検査技師として働く高校の2つ後輩の女性。私の同級生の救急救命部長F君や産婦人科部長M嬢の話などを2分ほど。マスクをしていて目元しか見えなかったがしわが増えた。お互い様だが。
さて5月に地元の皆で飲んだとき私が独占して話をしていたY嬢が月曜の夕食前に挨拶に来た。引っ越すと言う。姓も変わっている。今日は3Fの階段にいた彼女に1Fから声を掛けた。引っ越しも離婚も実は5月に聞いていたが1月経って全て現実として行動している。人のことながら人生は面白い。
3月以来検討していたPCは8,000円割引が昨日で終わったのでDELLのサイトを確認してみると100台限定で割引が2.5万円になっている。今までのメモを見ると例えばビデオカード無料アップグレードとあっても結局総額が高く割引2万円だったりしたので20%よりは小さいがもう妥協することにした。
今まで何度もカートに保存しているが改めて構成を確認して注文。ところがクレジットカードのセキュリティコードが入らない。試行錯誤の末に日本語入力モードだとダメだと分かったから半角で入力したがエラーになって先に進まない。電話して営業部から折り返し電話でカート内容をメール。
30分待って見積書がPDFで来たので印刷して発注書に書き換えチェックリストとともに押印の上FAX。何とも原始的な。ただし営業担当を介したので税抜価格の百円の位が切り捨てられて518円安くなった。144,720円。17時半過ぎに電話があってクレジットカード番号などを伝達して手続き終了。
ミニタワー型Precision 3630。Core i5 8500 3.0GHz CPUにメモリは妻と同じく奮発の16GB。HDD 1TBでDVD+/-RWドライブ。ビデオカードはインテル内蔵。Windows 10 Pro 64ビット。5年間の翌営業日保守とHDD返却不要。ただしCPU不足で納品は通常より10日ほど遅れ1月かかるらしい。
運転用にサングラスを買った。メガネの上に掛けるオーバーグラス。このタイプはSUBARUのオンラインショップで紹介されて知ったが私のメガネとはサイズが合わない。それで土曜に調べて偏光レンズでサイドの視界も確保できるタイプを見つけてポイントが溜まっていたヨドバシ.comで注文。
東京烏山時代に度付きサングラスを買ってなくしたと思って出てきたときには既に度が合わない。2011年にはマルナカのショップでクリップで留めるタイプを買ったがクリップが視界に入って邪魔。 ドライブ用レンズのスポーツ用メガネを2014年11月に買ったが 翌年書いているように意外に不便。
外出用の黒メガネは昨年新調したレンズが表も裏もブルーライトカットで紫外線を防いでくれる。でも夏の屋外ではやっぱり眩しい。昨日もスポーツメガネに換えると眩しさが減って目は楽。でも遠近両用でないので今度はナビの文字が読めない。 それで倉敷市内の信号待ちで再び黒メガネに戻した。
買ったオーバーグラスは今日届いた。4,700円。スモークレンズ。 今日の晴れ間に使ってみたが必要十分。メガネの上に掛けるから見た目が大きくてごついが運転の間と割り切れば平気だ。ソフトケースが付いていたがハズキルーペのような強度はないようなので専用のハードケースも注文した。
9:50に出て岡山に遊びに行って来た。ローソンでカフェラテを買い府中湖PAで休み倉敷。渋滞が始まってすぐ芸文館地下駐車場に車を駐めて美観地区を歩いたがこんな大規模なエリアだと知らなかった。つね家という店で昼食を取りアイビースクエアでソフトクリーム。人も多いが天気がよく暑い。
続いて妻が行きたいと調べていた吉備津神社に向かったが駐車場が分からず先に吉備津彦神社。拝殿から本殿まで長い。大きな社にびっくり。摂社も順番に参拝。そこから直線的に向かって大きな吉備津神社の駐車場に入り工事中の山門をくぐり参詣した。山の斜面に築かれた神社群の大きなこと。
ここを16時過ぎに出てさらに30km北へ。狭い堤防道などを通って石上布都魂神社。駐車場には私の車だけ。石段と山道を登って本殿を参りさらに10分掛かるという奥の院へ。ここも結構な山道だが竹の杖を突きながら。風が気持ちよく爽快な気分。帰りに小学高学年男子と家族とすれ違った。
山陽ICから山陽道に乗り吉備PAで休み児島ICで下りて鷲羽山。私が幼い頃に行ったのかずっと気になっていて夕日を見ようと寄ってみた。18:50頃に着き山道を登り山頂に行った19:10頃に夕日が雲に沈んだ。ふく仙という店で天ぷら刺身定食。22:15頃帰宅。432km。燃費13.7km/L。12,200歩。
昨日は雨で湿度が高く事務所では今季初めてエアコンの除湿機能を使った。77%が65%まで下がったが今日はさほど暑くなく湿度も高くないので窓を開けている。最近は日中たいてい窓を開けていて夜になると寒くなってくるので閉める。そういうわけで屋外の音がダイレクトに聞こえる。
火曜は朝トラックが来て何かやっていると思ったら引っ越しだった。事務所と自宅を何度か行き来しているとき見かけた男性が新住民か。夕方だったか今度は女性がいたから挨拶した。昨年3月に町内に引っ越していって空いていたお隣さん。新しい人はどちらかが町内と言ったか男女で住むらしい。
火曜夜は久しぶりにこはくの天使で夕食を取った。客は私1人なのでセルフ焙煎の集客やら不登校について話しついでにコーヒー豆も購入。日本で初めて仕入れたとマスターが言うネパールを買ってみた。100gがグァテマラは430円なのに1,000円もするから200gだけ。やや苦みが強いか。
水曜は14:45着の飛行機で東京から帰って来た妻を迎えに徳島空港。小松島出身で結婚式にも出たY城氏が北海道からのお客を迎えに来ていて立ち話。今日は夜になって裏の川でホタルを探した。川面が見えない西の駐車場から何匹か高く飛んでいるのを見た。ここで見たのは9年ぶりぐらいかも。
徳島男声合唱団「響」は辞めたが問題はWebである。「響」のWebサイトは1998年頃から20年にわたって私が担当してきた。東京時代の合唱に参加していないときも団長からメールでデータをもらい更新。これを引き渡さないと本当に辞めたことにならない。というわけでSo-netのサイトを確認。
その前に団長に電話したのが昨夜。日曜にメールを送っていたがPCからだったからか届いていなかったらしい。宴会が始まる直前だというタイミングだったが辞めたと伝えると団長は「そう」とだけ。これも予想したとおり。そして今日はSo-netで登録情報を変更。住所や電話番号を団長の自宅にした。
JustNetが2002年8月にSo-netに買収され2003年4月20日にWebの移行をやったらしい。後に会員資格をネット接続のないコンテンツのみ利用コースに変更したのだと思う。それ以降は月108円。この料金の支払いも私から団長に変更したいがクレジットカード番号が必要だから会う必要がある。
当初からJustNetだったかどうか記憶はないがWebは元々ベースのT氏が作成したものだ。それを引き継いだので次はまた彼に戻したい。団長を含めて3人で会って一気に手続きをするのが楽だと思うが今日はとりあえずログイン情報やFTPアカウントなど必要なデータ類を整理したところ。
村上篤直『評伝 小室直樹(下):現実はやがて私に追いつくであろう』(ミネルヴァ書房)の最後の2章を読み終えた。上巻では小室直樹の論文やゼミでの議論も採録されていたり学術的な面白さもあり下巻になると一般書籍の出版と私生活のドタバタで人となりの分かる伝記という印象だった。
ところが最後から2つ目の章はミステリー小説の趣き。会津生まれで大学進学で初めて京都に行ったとき幕末の会津藩主にして京都守護職の名を出して「その節は容保公がお世話になりました」と挨拶したほど会津魂の強かった小室直樹。この章では少年兵の白虎隊が自決した飯盛山から始まる。
ここから慰霊碑に17歳で死んだと名が刻まれている宗像虎四郎が小室の曾祖父ではないかとの推理が展開される。死んだのではなく撤退の末に生き残ったのではないかと。「人格には、あるシステムの統一性があって、これに反する行動がなされることはない」と小室から学んだ方法論を使ったと。
資料から会津での戦況とともに虎四郎の行動を追い自決しなかった可能性を指摘する。一方で小室の曾祖父は戸籍によると爲田寅藏だが位牌の名は寅像。戒名は徳堂宗堅居士。宗像虎四郎と寅像。小室直樹は生き残った曾祖父の思いを受け継ぎ会津の汚名を雪げと育てられたのではないのかと。
村上篤直『評伝 小室直樹:学問と酒と猫を愛した過激な天才』(ミネルヴァ書房)によると小室直樹の出生ははっきりしないと言う。私生児として生まれ叔母に育てられた。福島の会津出身。高校の同級生に自民党から民主党に移った元代議士渡部恒三がいる。1951年に京都大学理学部に入学。
数学科に進み弁論部を作り議論を戦わせたが経済学に目覚めフルブライト留学生で米国に行く。学問として進んでいた数学と経済学を修めこの方法論を遅れていた社会学や政治学への応用を試みたのが小室直樹の発想らしい。京大を出て大阪大学の大学院に行き人間関係もあって東京大学大学院へ。
ここで自主ゼミを開き宮台真司らを教育。住居は農学部の古い寮から4畳半一間のアパートに移ったがゴミが堆積して鼠の死骸まで出たと。閃きを得ようと断食しては救急車で運ばれたり散歩も来客があっても下着1枚だったとか客に酒を注いだコップが洗われたものか不明だとか滅茶苦茶な生活。
天才過ぎて学者として職を得られず一方一般書籍がバカ売れして出版社が拉致し合っていたらしい。部屋に電話がなく編集者は直接訪問するか電報を使った。1980年代の話である。生活を心配した編集者らが相手を見つけて結婚したのが55歳。2010年没。改めて小室直樹の本を読み直そうと思う。
村上篤直『評伝 小室直樹:学問と酒と猫を愛した過激な天才』(ミネルヴァ書房)。上下2巻をほぼ読み終えた。分厚い2冊で計1,500ページもある。うち約250ページが注釈と索引で短い文を重ねて改行も多く読みにくさはない。著者の村上氏は文章のプロではなく愛媛出身東大を出た弁護士だ。
小室直樹の著書は『ソビエト帝国の崩壊―瀕死のクマが世界であがく』(カッパ・ビジネス)を読んだ。1980年発行だから私は高校2年。なぜ買ったのか全く記憶にないが30万部を超えるベストセラーだったそうだ。1989年のベルリンの壁崩壊の10年も前に予言していたと1990年代にも話題だった。
内容はもう覚えていないが面白かったのだろう。1990年代の『小室直樹の中国原論』(徳間書店)『数学を使わない数学の講義』(WAC)『痛快!憲法学』(集英社インターナショナル)を買って書棚にある。さらに『天皇畏るべし 日本の夜明け、天皇は神であった』(ビジネス社)を先日買った。
テレビで田中角栄擁護論をぶち検事を殺せと叫んだといったお騒がせ人間の印象もある。一時期「週刊プレーボーイ」で連載ページもあって読んでいた。その背景にあった学者としての履歴と天才ゆえの破天荒さがこの評伝を読んで初めて分かった。小室直樹ファンとしては必読だと思う。
iPhone7のWalletにSuicaを登録したわけだが自動改札を通るときはiPhoneを起動する必要はないらしい。エクスプレス設定というのがあってオンにしておけば構わないと。自動改札機がない徳島では使えないが出張時に忘れてはいけないのでデフォルト設定のオンになっていることを確認。
さて買い物でApple PayのSuicaを使うと小さな問題のあることも分かった。例えばローソンで支払うときポイント付加を求めるならポイントカードを兼ねるシェルPontaカードを財布から別途出さないといけない。それなら最初からシェルカードを出して支払も済ませた方がスムーズだ。
杉屋でもポイントカードを別途財布から取り出すハメになった。それならヨドバシカードに紐付けて前に作ったkyashを財布から出して支払えばいい。 領収書を受け取って財布に入れるのも二度手間になる。私のiPhoneケースのポケットに入れればいいが帰宅して忘れないようにしないといけない。
こう考えるとiPhoneでSuicaを使うのは都会の電車やバスの自動改札で使うのが最も有用という当たり前の結論になってしまう。ポイントカードを持ってなくて領収書が必要な買い物もしないセブンイレブンやファミリーマートでは使えるかも知れない。支払手段が多いのも面倒ではある。
2班に分かれた消防点検で私は15日組だから昨日は家でいた。と20時を過ぎて28歳N蔭君から詰め所へのお誘いの電話。若者ばかりに私の同級生F田氏がいるというので自分のビールを持って行った。ちなみに日曜から飲んでいなかったので禁酒6日。禁酒の理由として妻の骨折についても説明。
20歳N野君やK山氏にN岡君と遅れていつものT中氏。F田氏が山歩きをしたいと言うので訊いてみると山登りではないらしい。そこからコーヒーミルやら私が持っているキャンプ用品についてとかそんな話。最近は少しでも歩いたときは腰痛がないから興味を持ってしまった。
さて団長と指揮者に「響」を辞めると夕方メールした。夜になって指揮者から怒りのメール。会って言えと。ごめん。怒りの理由がそこにはないとも分かっているがコンクール前に早く言おうと気になっていたのだ。私の気持ちと団の運営のバランスを取ったつもりだがそれは自己満足。
これで毎週片道1時間弱かけて練習に行かずに済むと思うと正直ホッとしている。ただし家に毎日いては妻も気詰まりだろうからF田氏と一緒に山歩きをしてみようかという気になっている。東京を離れて10年ですっかり足腰が弱くなったと自覚しているので今後は歌うよりも山歩きかと。
iPhone WalletにSuicaアプリを登録して支払 (6月1日・土)
先日書いたようにiPhoneにSuicaを登録してみた。JR東日本の「Apple PayのSuicaをはじめる」を見ながらSuicaアプリを入手。起動して記名Suicaを選択して名前などを順に入力。最後にクレジットカードの登録でヨドバシのカード番号などを入力した。ここまで約5分。あまりに簡単で拍子抜け。
iPhoneのWalletには以前登録したJALカードもあるがSuicaを優先使用の前面にすることもできた。今日は昼前から25分停電したので勝浦へ食事に行き早速ファミリーマートで使ってみた。電子マネーでと伝えると「電子マネーは何ですか」と訊かれたのでスイカと答えリーダーにかざすと支払完了。
続いてスーパー杉屋で買い物771円。店は空いていてレジにはおばちゃんじゃなく若い女性だからチャンス。ところがリーダーが読み取らない。「実は初めてなんです」と言うと「私も経験がなくて」と彼女。 何度かやり直した末リーダーの液晶表示面ではなくボタン状の下部にかざすと気づいた。
2人とも初体験だと上手くいかない何ごとも。最初に1,000円チャージしていたが残金31円。帰宅後3,000円を入れたのだがチャージはWallet内のSuicaじゃなくて別のSuicaアプリを起動して実行すると知った。この歳になっての初体験は戸惑いながらも彼女の協力もあって無事終了。Apple Pay便利。
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© 2019 Takashi INAGAKI