2007年1月
健康保険の件でもしかして私の扶養家族にできないだろうかと思い母に問い合わせた。条件は年金額と仕送りの有無。結局扶養家族にできないというのが結論なのだが生活が苦しいと母は言う。
私にはそうは見えない。父が生きていた頃に比べれば年金は減っているが生活できない額ではないと思う。なぜ足りないのかが理解できない。固定資産税や車の維持費が必要なのだと言うが別の趣味の買い物に費やしているのではないかと想像している。
そう思うこと自体が悲しい。我が母のことであって今も腹が立つことも多いが希望は聞いてやろうと思っているのにこの件については納得できず。人種が違うか単なるバカか。そうでないなら私をいじめようとしているのか。
父の命日が近い。父は同じことで母に不満を持っていたと聞いたことがある。15年前。定年直前だった父の素行に問題があって私が呼び出し駅前の居酒屋で初めて2人で向き合った。そのとき聞いた話。嫌いだった父に飲み屋で逆に飲み込まれ父の言い分だけが記憶に残る。
当時は嫌悪していた父と今の私は同じ心境かも知れない。今になって父の方が正しかったような気さえする。私が母と対決することを父が望んでいるようにも思う。母とは今まで2度ぐらい縁を切ったことがあるが3度目も今は覚悟。
Windows Vistaの発売日。サポートが終了した98SEユーザーの私は買い換えるならVista PCにするつもりだった。ところがMSはXP Homeのサポート延長を発表。サポート期間はあと7年。それならXPでもいいのかも。少なくとも今のXPユーザーが乗り換える理由の一つはなくなった。
今ひとつ盛り上がらないVistaだが理由の一つはソフトの対応遅れではないか。たまたまHDDを買おうとしたがIODATAもバッファローもNASでさえVista対応と明記した機種がない。安くない買い物をしようする私にとってこれでは各社の対応状況をしばらく様子見するしかない。
J社からは今日Vista対応状況のメールを受け取りさすがJ社と感心したが内容を見るとVista世代のソフト以外はアップデートが必要なものばかり。しかもアップデートは直近の最新版だけ。6年前の一太郎11で十分な私はVistaのために一太郎をバージョンアップする気にはならず。
そう考えるとアプリケーションソフトのバージョンアップをしたくないからOSを変えたくない人もいるかも知れない。逆に言えばアプリ自体が最新版である必要はないということだ。つまりアプリにもOSにも双方をバージョンアップさせる力はなくなったということか。
ではOffice 2007はどうなのだろう。WPC Expoで感動したのだがあれ以降Officeの情報を見かけない。ということは所詮その程度のものなのか。CMも緩いしMS自体が脱力してしまっているように見える。
午後から電話工事。ISDN回線工事を依頼していたNTTからは配電盤を開けておくように聞いていたので管理会社に連絡していたけどNTT工事会社が来ず。13:30になって管理会社の担当が怒り始めて結局14時頃やってきた工事業者に怒っていたが気持ちは分かる。
そのNTTの工事は10分で終わり。その前後にビジネスホンの工事。私の部屋に固定電話と妻の仕事部屋にデジタルコードレスと寝室にアナログコードレスの合計3台を設置。見積段階では大したことないと思っていたが設定は2時間弱。簡単な作業でないことがよく分かった。
主装置はPCのような大きさで中はICやメモリが配置された基盤であって驚いた。ただし事前の電話打ち合わせで双方に誤解があって現場で変更した設定が一つ。ともかく仕事用に取得したISDNの1回線かつiナンバーの2番号は3台の電話機のどれからも出られるようになった。
2番号ながら1番号にかかった2つの電話に同時に出られるようにする設定が現場での変更点。そのせいでデジタルコードレスの設定が面倒になってマニュアル見ながら設定しようとしたけど妻が使わないというからヨシとする。ともかくビジネスホンの仕組みがよく分かった次第。
妻が仕事用のFOMA携帯端末を買い換えたのは先週のこと。これまでシャープのPDA(Zaurus)に入れた通信カードと携帯電話を接続してデータ通信を行っていた。ところがこの通信カードと新しい携帯端末とでは通信できないことが分かった。少し心配していたのだが案の定。
この通信カードは最近ファームウェアのアップデートを行っていない。今後対応する可能性はなさそうだ。仕方がないので通信カードは諦めよう。でもZaurusで通信できないのは困る。そこで代替手段としてFOMAのデータ専用通信カードを使おうかと検討を始めた。
昨日ドコモショップに行ったとき通信カードの料金を訊いてみた。ところが在庫がなく土曜日だから入荷予定も料金も分からないと言う。義母の元契約から機種変更できないかと考えたのだが何もできず。この件でショップの女性は裏に入って確認すること数度。それだけで20分。
このときは何もできないので諦めた。買うとすれば新規契約だ。ところが何も使わなくても基本料金月額1,350円かかる。それはもったいない。そんなわけでZaurusとの通信が必要なときは前の携帯端末にFOMAカードを差し替えて使ってもらうことにした。少し面倒なんだけど。
さて私の方はGPS付き携帯端末に興味を持って買い換えようかと思っていたが諦めた。私のPDAにも同じ通信カードを入れている。新しい携帯端末ではPDAで通信できなくなることは確実。それは困るので。
我が家の携帯電話は私のを除き妻の仕事用FOMA個人用movaと義母のmovaがある。義母の携帯はファミリーワイドという基本料1,500円のプランに入っていたが一人暮らしを始めたため電話を掛ける頻度が上がった。このプランの通話料は一般の2.5倍もする。
一方で妻は来月から2台を使い分ける必要がなくなるので仕事用FOMAだけにしようとした。ということは個人用movaが余る。そこで義母のmovaを解約して妻のmovaを義母名義に変えた。妻のmovaは契約期間が10年近くあって割引率が高いのである。
事前にドコモショップで必要な手続きを聞いて来て委任状や住民票や義母の保険証などを準備した。今回の手続きは義母の携帯番号を捨てて義母の携帯端末に妻の電話番号を移して名義を変えるという複雑なもの。結局ショップに出向いて諸々含め1時間もかかった。
帰宅して義母のiモードアドレスの設定。さらに妻の番号が変わったので電話番号帳の変更。途中で義母の端末をロックさせてしまい解除までに30分。午後はこの作業だけで終わってしまった感じ。やれやれ。
物入りなのである。すっかり忘れていたのだがコピー機を買わないといけない。業務用だから当然高い。そんなわけで散々悩んできたPCは後回しにしようと思う。多少不安定ながら動作しているPCがあるわけで急いで買い換える必要は実はない。
ところが私の現行PCのHDDはピンチなのだ。20GBのうち空き容量が1GBを切った。仕事のデータを置いてあるDドライブは50MBしかない。外付けHDDもあるがバックアップ用途なので全データを置くわけにはいかない。そこで新しい外付けHDDだけ先行させて買おうと思う。
2人で共有するのでNAS(Network Attached Storage)つまりLAN接続型にしようと思う。かつHDDの故障でデータが読めなくなることを防ぐためミラリーングなどができるRAID機種を希望。NAS単体と増設HDDでバックアップも考えたが多少安いものの設定が面倒そうだ。
今までは縁もあって周辺機器はIODATAばかり買ってきたがバッファローの方が安い。ようやく細かな機能を調べ始めたところ。今後の使用スタイルやPC内蔵HDDとの役割分担などを考慮しつつ。それにしてもNASのRAIDは高い。でもデータが飛んだらそちらの方が高く付く。
久々に書き下ろし原稿。目標は8,000字。火曜に何人かで集まり書くべきことをディスカッションして何となく見えたがテーマが2つあるだけ。問題は構成。この作業がないと書き始めて破綻することが目に見えている。メモを見ながら構成を考えて呻吟すること1時間。
ある程度見えたところで書き始める。ところが普段書き慣れない「ですます調」。内容が著作権法のことで調べ物もあって進まない。調子は出ないし構成に逆に縛られて流れが悪いし1,000字書くのに1時間半。6,000字までまけてもらって夜になってやっと5,000字。
朝11時過ぎにはエアコンの設置業者が来て作業。2時間近く。ベランダにはリビング用エアコンの室外機があって置き場所に迷ったが結局2つ並べて置いてもらった。私の部屋にあるこのベランダは灯油タンク置き場に使っているだけだからヨシとする。
この作業の間は業者さんも暑そうだし窓を開けていたら湿度が20%まで下がっていた。これで気温がもっと下がればインフルエンザだ。そんなわけで我が家では加湿器を使って湿度50%を維持するように努めている。この時期必ず風邪を引く私は外出時のマスクも欠かせない。
年末年始は意外に本が読めない。1月以上かかってようやく読み終えた。昭和一桁時代の物価から見た庶民の生活を紹介している岩瀬彰『「月給百円」のサラリーマン―戦前日本の「平和」な生活』(講談社現代新書)。
経済が落ち着いていた昭和9〜11年の物価を基準にすると概ね2,000倍すれば現代の物価に換算できるらしい。2,000倍以上に高騰したのは学費と土地代で銀座4丁目は1万倍とか。車は2,000倍するとGMやフォードなど外車が500〜700万円で昭和8年のダットサンは270万円。
大卒初任給は75円(15万円)。と言っても大卒自体がとても少ない。さらに給与所得者自体も少なかった。昭和4年の推測で給与所得者は就業人口の7%弱と紹介されている。給料は表題の通り月給100円が一つの目安。ただし最低課税所得が高くほとんどの人が無税だったとか。
今より土地が安くモノがなかったから年収1,200円(240万円)でも暮らせたのだろう。当時の雑誌記事も紹介されているが日本人の生活に対する考え方は当時とほとんど変わっていないと読んだ。戦前はいい時代だと言う人も暗い時代だと言う人もいるがそれは発言者の思想であって事実ではないように思ったのだが。
妻との間で仕事関係の文書をやりとりしていて夜また喧嘩になりかけた。理由は妻が送ってきたWORD文書に赤を入れたら妻が修正する方法を知らないというのが発端。WORDの変更履歴機能を使わず修正箇所を印刷して改めてWORDで入力し直すと言う。バカな。
今までもクライアントの法務から契約書の変更はWORDの変更履歴機能で送られてきていたと言う。それも全て打ち直していたと。信じられないと言ったらIT業界とは作法が違うのだと反論する。WORDの変更履歴は現代ビジネスマンの常識だと思っていた私は驚くやら呆れるやら。
IT業界の常識は社会の非常識なのか。ブログに書いたニュースリリースの配信方法の件もそう。IT系メディアではたいていメールで送って欲しいと言われる。FAXを拒否するところもある。一方で妻の業界はFAXどころか印刷した書類一式をアポを取り手持ちすると言うから全然違う。
会社のメールは自宅に転送して常にチェックするのもビジネスマンの常識だと思っていた。これは妻も実践していて寝るまで仕事をしている。でも世間はそうでもないのかも。私にとっての常識を疑ってはみたが私はやっぱり自分のやり方でやろうと思う。それにしても人それぞれか。
神楽坂のモツ屋でOB会。幹事はグルメな元取締役のT氏。今回はオーストラリアで寿司職人になるというラーメン屋T氏の送別会も兼ねたもの。急な集合なので御大B氏と流通のK氏とソフト大手K氏と合計13人ぐらいだったか。
行く途中に飯田橋で降りて迷ってしまった。住宅街も30分歩いてようやく到着。それはともかく久しぶりだと言っていたのは元営業のI氏。私は昨年10月に会ったが御大B氏は15年ぶりだったとか。あとは元営業でウィルス対策ソフト大手S社のK川の体重には大いに驚いた。
主役の寿司職人T氏が仕事をするのはケアンズという街。そう言えば15年前に1回目の新婚旅行で行った。一通り当時の旅行中のエピソードを思い出してしまった。さすがに15年前に比べると街も変わったと言うから大人になった今になってもう一度行ってみたい気もする。
飲み会の帰りは元営業I氏と同じ路線で話をしながら。同じ時代に京都で学生生活を送った先輩であって実家の問題などを話ながら。ビールと焼酎を飲んで今日もまた酔っ払い。
PCを買うにあたりVistaのタイプをどうするか悩んでいる。妻のPCはBusinessで決まりだが私のPCはHome PremiumにするかBusinessにするか。HDDの暗号化を行うBitLockerが使えるUltimateにも興味があるが前に書いたようにNECのミニタワーで選択できないのである。
でも調べると現在発表されているPCでNECと富士通にUltimate搭載モデルがない。そしたらPDAの師匠がVista間のアップデートプログラムが発表されたことを教えてくれた。追加料金はかかるが最初はHome Premiumにしておいて必要になってからUltimateにする方法もある。
ところがNIKKEI.NETの記事によるとBitLockerは「対応のBIOSを搭載したコンピュータ上で動作する」とある。つまりBitLocker非対応PCでUltimateにしてもBIOSが対応していないからBitLockerは使えないと読める。そうなるとUltimateにアップグレードする動機がなくなる。
師匠から最初にアドバイスしてもらったのだが市販の暗号化ソフトを導入するのが無難かも。さらに私はMedia CenterもExtenderも使わない。動画編集もDVD制作も市販ソフトを買えばよい。と思いつつヨドバシで情報を集めると一般的なHDD暗号化機能はBusinessにもある様子。
そんなわけでUltimateが欲しかったけど諦めて一旦はHome Premiumにしておこうと思ったものの結局のところBusinessにしようと思いつつある。それにしてもマイクロソフトのサイトには相変わらず情報がない。リンク切れまであって今回のプロモーションは酷いと思う。
今年初のヨドバシカメラ。妻の仕事部屋用のエアコンを買いに。これまで義母が使っていた部屋だがエアコンがなかった。買ったのはヨドバシ店頭で最も安い6畳用。43,800円と工事費1万円強。ところが店員さんと話したら工事費込み37,000円になった。
今日は次に妻の携帯電話。3年前に買った個人用のmovaは大丈夫なのに1年半前に買った会社のFOMAの電池が保たないとかで機種変更。店頭でNとPの中から3分で決定。N600i。おさいふ機能も音楽機能も何もないシンプルな機種。通話とiモードと辛うじてカメラは31万画素。
その代わり海外ローミング対応でATOK搭載。95gと軽い。こんな機種は知らなかった。余計な機能がなくて通話とメールができて軽いのが一番。さて機種変更の手続き待ちが1.5時間ありNECが開設したホームネットワークのショールームに行ってみたがイベントで中に入れず。
夕食はまた木曽路。正月に母と行って3,000円の券があったので。喫煙はフロントで可能と聞き禁煙席を予約したのに吸えず席を変えてもらったらビール3杯タダになった。雨のせいでヨドバシの人出はさほどではなかったが都心を歩き回って疲れてしまった。
木曜に会ったT氏に私とは何者かと訊いた。中高時代の別の友人I氏にも前に同じことを訊いた。人の性格はさほど変わらない。中学時代の方が性格がストレートに出ていて分かりやすいと思う。そんなわけで訊いてみたら・・・。
彼が見る中学時代の私は正義感が強かったんだとか。普段は何でもないのに損得ではなく何か倫理的な一線があってそれを超えると怒ったらしい。私はみんなが私と同じ考えを持っていると思い込んでいた。私の価値基準は正しかったからそれで良かったのだと彼は言う。
中学時代のクラス委員は議長・総務・書記の3つがあったと彼と話をして思い出した。1年4組の2学期の議長は彼T氏だった。それだけ当時から彼は大人で一目もニ目も置かれる存在だった。彼がリーダーで前にも書いたが私がNo.2の総務だった。
彼との比較で言えば特に私は敵を作らない性格だったと自分でも思う。妻が関わっている数秘術によれば人は使命を持って生まれてくるというから補佐役が私の立場なんだと思う。対して彼は企業家としては成功した。でも彼はもっと大きな仕事をするような気がしている。
中高時代の同級生だったT氏と中目黒で会ってきた。イタリアン。前回会ったのは2004年5月の渋谷。今回は妻も一緒。彼が副社長の会社が12月に上場したから今や億万長者だ。資産は10億を超えるはず。今回は私たちの会社設立祝いというわけで遠慮なくご馳走になった。
今回私が連絡したのは偶然が重なったから。一つは普段は絶対に見ない新規上場企業リストを偶然見て彼の会社を見つけたこと。もう一つは妻がエージェントをしている人の荷物に『7つの習慣』の単行本を見つけてそれは18年前に彼に奨められて私も買っていたこと。
彼は高校時代に米国に留学し帰国後は2年に編入したのに私たちと一緒の共通一次で900点以上を取った。そして1年だけ行った米国の高校卒業資格でその年に京都大情報工学科に入ってしまった。大学時代も何度も会ったが友人ながら私にとっては畏怖するような存在だ。
話題は3人のプロフィールの復習からスピリチュアルなことや仕事のことに中高時代の思い出。彼とは中高が一緒だが同クラスだったのは中学1年だけ。1年4組。実験的だった男だけのクラス。私の人生で最高のクラスだった仲間である。それだけで心から信頼できる友人である。
今週Windows Vista PCが各社から発表された。前にも書いたが比較検討するのも面倒なので購入PCはNECに決めている。TV機能は不要だし大きさも気にしない。それより拡張性を含めた将来性に重きを置く。そうなると必然的にこのモデルになる。
現行のXP機のほとんどは最大搭載メモリ容量が2GBだと思う。Vistaは1GBが必須というから最大容量4GBでないと拡張性が心許ない。そこで最大4GB機で2GBを搭載するつもり。HDDはNASを買う予定なのでどうでもよい。買い換えが利かないCPUは最速のものにする。
肝心のVistaはHome PremiumがいいのかBusinessがいいのか判断できずにいる。上記モデルでUltimateが選択できないのは個人用だからか。私と妻のPCをそれぞれUltimateとBusinessの組み合わせにするかHome PremiumとBusinessの組み合わせが妥当のように思えるが。
そもそもUltimate特有機能の内容がよく分からない。Vistaはイメージ先行で具体的な機能紹介が弱いように見える。マイクロソフトのWebページも情報が少なく中途半端な印象。必要とする周辺機器は決まったので考えるのはOSのタイプをどうするかだけなんだけど。
徳島男声合唱団「響」のメールアドレスを変えた。このアドレスに送られるメールは団長と指揮者と私の3人に転送するように設定している。普段は転送先の個人アドレスで見ているが先日「響」のアカウントで受信したら約2ヶ月で1,500通もの迷惑メールがあった。
この間で迷惑メール以外は10通弱。つまり99.5%が迷惑メール。プロバイダで調べたらアドレス変更は1回目は無料とあったので変えてみた。ちなみにso-netのアドレスはJustNet買収によって2002年8月30日に変わり移行手続きを2003年4月20日にしていたらしい。
団長と指揮者に相談したら指揮者から「これからのセキュリティ対策として銀行の暗証番号を頻繁に変えたりするのと同じでメールアドレスも時々変えるというのも必要な作業のように思いますね」と返事が来た。意外な発想だが鋭い指摘だ。本当にそうかも知れない。
自宅ではShurikenを使っているので迷惑メールはある程度分けられている。それよりPDAで受信するときに困る。迷惑メールならマシだがウィルスに感染する危険がなきにしもあらず。そう考えるとメールアドレスを変えるという考えも本当に必要な時代になるのかも知れない。
友人が自宅に来て3人で宴会。妻がおでんを作ったほか事前にちくわとか諸々送られてきていて食材はいっぱい。新宿から18:02に最寄り駅着と連絡があり順路をメールして18:30頃に宴会はスタート。
6時間飲み続けた。私は間に日本酒を1合ほど。妻は燗にして2合ほど。それがあっても3人で発泡酒500ml缶を16本。一昨日来喧嘩していた私たち夫婦は直前に和解していたものの細かなことに反応して一触即発。それより酔いもあってちょっとしたことで心が揺れて泣くヤツ多数。
酔って面白いのはエモーショナルになること。私など卒業論文を一番に出したというゲストのエピソードを聞いて泣けてくる。既にこの話は3度目ぐらいなんだけど。なんか今日はそれほど皆が涙モードで。
24:30頃に表に出て2分待ってタクシーが来てゲストをお見送り。妻は酔っぱらってフラフラしてダウン。片付けは途中から私。ともかく6時間飲んで語ったと思う。自宅だから緊張がなくすぐに酔っぱらうのが難点ながら発泡酒2.5リットル+日本酒1合は飲み過ぎだったかも。
まぁこんなバカな飲み会があってもいい。ゲストの気持ちに少しは役立てているのならそれで良し。
実は夫婦喧嘩の真っ最中である。喧嘩自体は土曜日午前中だけだったかも知れない。今は一方的に私の気持ちが収まらない。喧嘩の原因については了解したがそれを契機に妻のイヤなところをいろいろと思い出して普通に話せなくなってしまった。
同居してもうすぐ7年になる。当初は1〜2ヶ月に一度大喧嘩をした。マンション中に響いただろう声を上げあった。当時食卓に使っていたミシン台の天板に拳で穴を開けたこともある。他人同士だから習慣や考え方の微調整のため当時の喧嘩は必要な通過儀礼だったと今は思う。
その後も夫婦喧嘩はある。しかし何度も繰り返すうち全く口を利かない日数は減ってきた。仲直りのコツを掴んだような感がある。ところが結局コツによる仲直りは表面的であって内奥に積み残した気持ちがあることに昨日になって気づてしまったような感じがする。
1年目の頃は喧嘩は多かったが言いたいことは言い合おうと取り決めた。我慢して澱を溜める方が良くないという共通認識があった。今は深い部分で分かり合えるようになり気持ちの対立は浅いところにあるとは思う。しかし最近は言い合うことを疎かにしていたかも知れない。
夫婦は常に微調整が必要なのだろうと思う。言い合うことも微調整もできなくなったら終わりだろう。関係の発展は微調整の上で気持ちが溶けてこないと難しい。今回の私はまだ微調整にも至っていない。
朝から業者が来て寝室の水漏れ確認工事。雨が降ると窓際のコーナーの床が濡れる原因特定のため。部屋全体に巨大な透明ビニールを被せ壁を剥いでいく。ウォークインクローゼットの中も一部を運び出し床をめくり壁を剥がす。
ベランダからホースで水圧をかけて調べた結果お昼前には浸水箇所が特定できた。表から見ると防水パテが塗られていて見た目には全く分からない。一度防水処理をした箇所でもある。次は内側から薬剤を詰め改めて防水処理をするのだとか。
今日は剥がした壁を白い厚紙で覆っただけで別の日に防水工事。さらに間をおいて浸水テスト。最低2回はかかる。そして問題はコーナーにカビが生えた絨毯の張り替えである。私は部分的につぎはぎするだけで構わないと言っているのだが業者は全面張り替えしたいと言う。
全面を張り替えるにはベッドやタンスほか家財道具全てを運び出さないといけない。業者がやると言うがタンスの中は下着もあって私たちの作業も多い。私たちが退去するときでいいではないかと言えば不動産会社は大家さんへの補償として今やってしまいたい様子。
今までも何度か電話でやりとりしてきたのだが今日も平行線。のらりくらりの担当者が次は何と言ってくるだろう。
私は座ったまま全てに手が届く環境が好きだ。今回の模様替えで考えたのはラック類を周りに配し書類が手を伸ばせば引っ張り出せる仕事環境である。一般のオフィスで難しいだろう私にとって贅沢な環境を構築しつつある。
座ったまま全てに手が届く環境は高校卒業後から作り上げていた。西荻窪に住んでいた3畳の間借り時代はこたつの周りにカラーボックスと水屋を配しトイレ以外立ち上がらずに生活できた。部屋が狭かったから必然でもあったのだがこれが後の私を決定づけた。
子供時代に冷蔵庫だかカラーテレビだかの段ボール箱に入口を作り中にマジックで計測器を描いて基地と称して遊んだ記憶がある。狭くて独立した空間に憧れる嗜好は当時からあったのかも知れない。というより単なるずぼらだと思う。でもそれで落ち着くのだから仕方ない。
そんなわけで今これを書いているデスクも必要な書類は立ち上がらずに手に届く。デスクの向こう側に本棚があるが必要な本は手元に置いて本棚に戻さなくなるような気もする。それはそれで良い。美しさより効率。見た目より楽さ。これが私の行動原理。花より団子なのである。
音楽に興味を持つ高校時代。勉強をしなければならない高校時代。小学校6年生ぐらいからラジオを聴いていた「ながら族」の私は音楽を聴くことで勉強の効率が上がるというこの本を見つけて愛読した。1980年発行の泉山中三『頭がさえる サウンド勉強術』(ゴマブックス)。
著者は当時東京音大講師。心理学や音楽療法が専門でBGM研究の第一人者だと紹介されている。音楽の効用などを説いた章とは別に「一夜づけを乗り切る」「眠気を覚ます」「落ち込んでいるとき」など9つのパターンでそれに合う音楽アルバムがリスト化されているのが特徴だ。
眠れない夜には興奮した脳レベルにあったハードロックがいいらしい。ディープパープル「ライブ・イン・ジャパン」や「レッドツェッペリンIV」などがリストにある。つまり当時の名盤が9つのパターンに分けて紹介されているようなもの。大学になってLPを買うときこのリストを参考にした。
今リストを見ていて気づいたが私にピンクフロイドを教えてくれた友人I君がこの本を元に多分I君の兄上のLPコレクションからカセットにダビングしてくれたのだと思う。ニールヤング「ハーベスト」やジャクソンブラウン「プリテンダー」などはカセットで聴き込んだ。
9つのパターンのリストそれぞれにロックとクラシックとポップスとムード派の4つのジャンルがある。このリストを見て今まで知らなかった名盤を新しく聴いてみるのもいいような気がする。
本棚の整理をする中でリスト化していなかった本が出てきた。主に90年代に買った経営系やマーケティング関連の単行本。どうもJ社入社前から買っていたらしい。ただし読んだ記憶がないものがほとんど。積ん読だけで7回の引越に帯同させていた本が10冊を超える。
99年の福岡D社時代に買った本も多い。J社時代は組織論が多いがD社ではマーケティング系。D社時代は読んだはずだが内容を覚えていないものがほとんど。J社時代は理論のものが多くて興味が持てずD社時代は実践的なものが多くて読んだけど忘れたというパターン。
今回は趣味のバイクや音楽の本が出てきてリスト化できたのがうれしい。読んで役に立った本は今でも感動を覚えているもの。バイクで☆5つ付けた2冊は繰り返し読んで学んだ。読んだことを実践して感覚を身につけたという意味でも思い出深い。
そして高校時代に買って12回の引越を経て残った唯一の本が「頭がさえるサウンド勉強術」。勉強するときに聴くと効果が出るという音楽をクラシックやロックなどから選び解説したもの。数学にはテクノで一夜漬けにはバロックだと表紙にある。この本のことは改めて書くことにする。
ホームオフィス計画その2なのである。先日は本棚を動かし本を整理したが今日はラックの移動と新しいラックの組み立て。私の部屋の隅でプリンタやFAXの台として使っていた3段ラックがデスクと5mmほどしか違わないのでサイドテーブルにするため移動させた。
もちろんプリンタもFAXも退けなくてならない。それより最下段の周辺機器類が大変。ADSLモデムとスプリッターにルーターと無線LANアクセスポイントさらに外付HDDとCD-R/RWドライブとメモリカードリーダー。これらのUSBやLANや電源のケーブルがごちゃごちゃ。
しかもラックの最下段だから手が届かないもの多数。ケーブルを引っ張って引き寄せたり。これにホコリがあるから取り出したらまずは拭く。その上で床に掃除機をかけ事前に最下段だけ組み立てておいた新しいラックを置き再び周辺機器類を設置接続していく。
全6段の新しいラックは当面は最下段だけ。今回ラックを置いたところから新しい電話回線が出てくるし回線収納装置やコードレス親機などの設置を決めてから組み立てる予定。完成は1月末ながら今回の作業で転用したサイドテーブルの具合がなかなか良くてちょっと満足。
ホームオフィス化計画の次の山場は1月末の電話工事。続いてWindows Vista PCとコピー機の購入。これは2月になってから。妻のPCは今は無線LANだがVista PCはデスクトップの予定だから電源コンセントに差し込んでLANにするPLCを導入しようかと思案しているところ。
昨日から本棚の整理を始めた。まずは妻の本や文具が置かれたラックを妻の部屋に移動。次に不要な本を入れていた3段重ねの衣装ケースをラックの跡に移動させ中身を吟味。そして本棚の中から不急の書類やアルバムを抽出して衣装ケースに詰め込んだ。
ここまで来れば本棚の中を出し移動させ再び詰めれば終わる。だがせっかくなので捨てるには忍びないが読まないだろう本をさらに整理することにした。別の空の衣装ケースがあったのでここに入れて妻の部屋のクローゼットへ。これで本棚のスペースに余裕が出るはず。
ついでに私の部屋のクローゼットを占領していた妻のアルバムの類とワープロを妻の部屋へ。これでコートも入れられるほどスペースが空いた。ここまでが昨夜の作業。今日は掃除機をかけながら空になった本棚を70cm平行移動させて本を元に戻す作業である。
スペースに余裕ができたので改めて本を分類整理。中棚を上げたり下げたり。余裕があると言っても全ての棚が埋まり1/3は奥と手前の2段になっている。本棚を移動させて空いたスペースにはコピー機を入れる予定。なかなかスッキリ整理できて心地よい筋肉痛で今日は満足。
米国でFinePix F40fdが発表された。最大の変更はxDピクチャカードに加えてSDカードにも対応したこと。xDだからと敬遠していた人を取り込むには有効だと思う。もう一点1/1.7インチだったCCDが1/1.6と大きくなって630万画素から830万画素になったがこれはどうでもいい。
感度の最高が3200から2000に変わっている。撮影枚数も560枚から300枚とスペックダウン。デザインは相変わらず。広角も36mm。新規に買う人はいいだろうが買い換えユーザーは触手が動かない。F31fdユーザーの私はガッカリしたというかホッとしたというか。
さて正月に写した写真を富士フィルムのネット経由で現像した。3日の夜に注文していたら6日に届いていた。少し暗めのヴィーナスフォートでライトアップされた噴水などを背景に人物を撮った写真は普通ならブレるか背景が暗くなるだろうところ完璧に写っている。
よく撮れていると画面で見て思っていたがプリントした写真もきれい。特に高感度撮影時のノイズはプリントでは消えている。そういう処理を施しているのかも知れない。そんなわけで我がFinePix F31fdに改めて感心しているところ。ということでF40fdはパスなのである。
我が家の暖房はリビングで石油ファンヒーターを使っている。寝室はエアコンを使うが私の部屋はリビングに面しているのでファンヒーターの熱に頼っている。そんなわけで灯油を買う。先般買ったときは義母のマンションの大家さんが経営する燃料店から買った。
タンクは2つある。昨年12月にタンクに穴が空いたか灯油が漏れていたから大家さんから買うときタンクも1つ配達してもらった。ところがこれが誤算だった。そのことに今日気づいた。
18リットル入りポリタンクからファンヒーターのタンクに灯油を入れるのに昨シーズンから電動ポンプを使っている。タンクの口に差し込んで固定しておいてレバーを回すとホースの先から灯油が抽出される。ところが新しく配達されたタンクに電動ポンプが固定できないのである。
妻と灯油注入の作業をしていてタンクを差し替えようとして「あっ」と声が出た。要は新しいタンクの口が広いのだ。ポリタンクにもいろいろあるのだと初めて知った。困ったなぁ。妻は大家さんにタンクを換えてもらうと言っているのだが。うーむ。
NTTから電話があった。年末に申し込んでいた光ファイバーの途中経過報告。代理店が進めようとしているけど管理会社で止まっているというだけ。説明によれば8月に調査は済んでいて私より1週間前に申し込んだ人がいるが管理会社に提案している状態だけということの様子。
マンションの場合は理事会の承認なども必要で半年ぐらいかかる場合があると言う。東京電力のホームコースにも申し込んでいるんだけどこれも理事会の承認がいるのならマンションコースの方が可能性も高そうだし料金も安いし。
マンションコースで6人以上の契約が見込める場合などと書いてあるのは戸数を指していると説明された。我がマンションは17戸だから8戸以上の契約が見込める場合に相当するはず。そうなるとホームコースとますます料金の差が開く。
しかし分譲マンションにあって私は賃貸。しかも何ヶ月もかかるということにうんざり。でもホームコースで直接電線を引き込むよりは料金も含め有利なこっちに絞って待った方がいいのだろうか。
先日のこと台場の巨大なペットショップに行ったことは既に書いた。大きなショッピングモールは人も多いが犬と一緒に歩く人も多くいてビックリ。そのペットショップの大きさにも驚き。
ゲージに入れられた子犬子猫のかわいさに妻と母と義母が歓声を上げながら見て回り私もついついゲージに顔を寄せる。昔飼っていたセキセイインコや文鳥に亀もいて見ているだけで楽しい。
それよりビックリなのはペットフードの数の多さ。私がよく行く近所のスーパーのお菓子売り場より大きい。ペット用ケーキやお節料理の重箱まであった。こういうのを買う人もいるということか。
もっと驚くのはペット用の袴や着物まであったこと。買い物に来ている人が連れているペットでジーンズを履いている犬も見た。胴体だけを洋服風の布で覆った犬を見ても呆れていたが胴から後ろ足まで覆うズボン風のものを着せるとは最早それは虐待ではないのか。
私の自宅の近所にも犬を散歩させている人は多い。誰もが糞を処理するマナーは持っている。でも犬に服を着せるとはそれは生き物に対するマナー違反だと思う。飼い主は自己満足で身勝手なのだろうなと思う。ペットショップで嫌なものを見た感じ。
弟が四たび来て母を車に乗せて空港まで送っていった。お昼はお節の残り物を中華風に妻が調理。夜はカレー。午後になり義母と3人で近所の氏神様に初詣。大きくはないが由来は古い。
明日からホームオフィス構築のための諸々の作業を再開する。電話回線のことや社会保険事務所や部屋の模様替えなど。義母が使っていた部屋を妻の仕事部屋にするのでデスクの移動が必要なのと私の部屋の本棚を移動するつもり。詰め込んだ本の整理も兼ねて。
1月のことは見えているが真価は2月以降。本当の2007年は2月から始まる。仕事では2月から妻のサポートが増えると思う。一緒に仕事をするのは止めようと言っていたのにそうせざるを得ないことになりそうでそれはそれで運命なのだと思うことにする。
一昨年あたりから意識しているのだが引き続き努めて笑うことにしようと思う。それと先のことは考えるのではなく感じるようにしたい。考え込まず流れに任せよう。楽しく暮らしたい。年頭の抱負ではなく1年にわたる心がけとして。
妻は疲れが出たらしく起きてきたのは10時半過ぎ。昼食は妻が作ったスパゲティ。義母は来なくて母と3人。割とのんびりして13時半頃になって出かけた。今日は台場観光。義母も合流して4人で電車。
昭和40年代のお店があるところや香港の街を擬したところや。ヴィーナスフォートに移動して大きなペットショップやショップ街をウロウロ。妻の引率。ここまでは私も初めて行った。最後は無料巡回バスに乗って自由の女神像のところへ。
新橋に戻ってサラリーマンのインタビュー風景をテレビで見る汽車のところを経由して予約しておいた新橋・木曽路。18:30頃到着してしゃぶしゃぶを食す。一応ここまで母のための観光なのであってデジカメで写真を写す写す。木曽路出口でもお店の人に撮ってもらった。
そういうわけで今日が母の最後の夜。義母は21時頃には寝に行くが母は24時頃まで起きている。21時前に帰宅してテレビを見ながら話して過ごす。明日は朝10時半に弟が迎えに来て母を車で送る予定。やれやれ。
再び弟が犬と合流して元旦の朝。しばらくは犬と遊んで写真を撮りまくり。京王プラザホテルから配達してもらったお節料理と前日から妻が仕込んだ鶏ガラ出汁のお雑煮を10時過ぎから。妻と義母と母の3人は午後から表参道ヒルズ。私は留守番。
お昼頃に友人から宅配便で伊勢エビが届いた。まだ生きていて段ボールの中で動いている。夜は三たび弟が来て鍋。弟が軍手で伊勢エビを絞めて総出で料理。伊勢エビの刺身はプリプリで美味。頭は鍋へ。妻と弟が鍋奉行の座を巡って危機一歩手前ながら美味しくいただいた。
弟が来るとミニチュアダックスフントのケースケが一緒だから大騒ぎになる。食べているとケースケがジャンプしたり後ろ足だけで立ってテーブルを覗いたりクークー鳴く。でも弟は絶対に人と同じものを遣らない。たまにしか会わない私はかわいそうで仕方がない。
年末から2人暮らしになった我が家で5人と1匹が集合してドタバタしながら新年の始まり。ともかく皆さん今年もよろしくお願いします。
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© 2007 Takashi INAGAKI