<Diary Index Page> 2019年2月
今日は腰痛が酷いのだが無理をしないようタイヤを積み込み15:26に出てスバル阿南店に着いたのは意外に早く15:57。フォレスターの6ヶ月点検だった。合わせて夏タイヤに交換。ダッシュボードの助手席側から吸音材のようなものが一部飛びだしていたものの修正も。これは2度目。
サンバイザーがギーギー音がして前に交換してもらっているが最近また音が鳴り出したので見てもらった。後から電話があって後日オイルを差すだけの対応になった。珍しく担当営業氏がいて次は初回車検だが買い換えませんかと言う。5ナンバー車があったらフィットの代わりに考えるのに。
今日はその前にフィットのバッテリー交換。12月にフィットのバッテリーが上がっていてフォレスターからケーブルを繋いだが同じことが1月頃にもあった。そして一昨日エンジンをかけようとしても何の音もしなくなった。私は鳴門にいたので妻が困って歩いて郵便局に行ったのだとか。
地元のT氏に来てもらったのが昨日。応急措置のバッテリーを載せてくれ東京海上保険にも電話。今日になってT氏が新品のバッテリーに交換してくれた。3年前に交換しているからこんなものか。フォレスターを買って以降フィットは短距離しか乗らないようになったのもよくないようだが。
上勝の夜は暗い。先週土曜に行ったBar IRORIなど山中の一軒家で周辺は真っ暗。車を離れて駐めると月明かりだけが頼りになる。新月だったり月が山の影にあると歩けたものではない。そういうわけでライトが欠かせない。それで以前からバッグとキーケースに小型のライトを付けている。
スマホにもライト機能はあるが暗いなと思えばバッグのライトを使って1秒で照らすことができる。これはLEDキーライトGP-4SVという機種で2013年1月購入。ヨドバシで720円。一方キーケースに付けたライトはより小型のもの。調べたら2016年9月に買ったLED LENSER製。ヨドバシで760円。
消防点検のときバッグは持って行かないが最近は免許証と千円札を入れたキーケースだけはあるから消防ポンプの燃料やオイル残量をチェックするようなときに使ってきた。ところがこのペンライトが壊れていた。電池を入れ替えても点いたり点かなかったり。肝心なときに役に立たないことが頻発。
それで昨日ゆめタウンに行ったときモンベルで新しく買って来た。MAG-LITE SOLITAIRE LED FLASHULIGHTと書いてある。赤。記録を調べているとGENTOS GK-002Bというライトも2017年12月に881円で買っていて存在を忘れていたがトートバッグから発見。備えあれば憂いなしというわけで。
母が胆管癌の疑いということで鳴門の実家に泊まり8:40に出て田宮街道経由で徳大病院。10:15に1つ目の検査と言っていたが1時間も早く着いて母を下ろして私は藍住のゆめタウンに行った。2つ目の検査が11時半からだと聞いていたので12時に戻ればいいと思っていたら11時前に全部終わったと電話。
病院に戻り場所が分からず母に電話をしても出ないが何とか11時半頃に中央病棟2Fで合流して少し待って医師の説明を聞いた。胆管が太いのをかかりつけ医が気にして今日の検査になったらしい。胆管の出口に結石や腫瘍があると太くなるそうだが母の場合は何もなかった。
母はよかったと繰り返しこれで車も運転できると言っているが反論はしなかった。末広の「もり」という店で鳴門うどんを食べ母の実家へ。叔父は酸素チューブが離せない上に昨夜から悪くなってソファで横になっていた。主に母と叔母が1時間半も話して実家に送り荷物をまとめ16時半頃帰ってきた。
夜は妻が地域の町興しグループ1Q(いっきゅう)運動会の会合に行って私は徳大病院で聞いた話を弟と妻にメール。そしたら会議の公民館が暖房が効かなかったと21時半頃に皆がやってきて宴会。いつものS氏N氏T氏O嬢に若手T君F君と妻と私。車や妻のバイク話で大騒ぎして早めの23時に解散。
16時過ぎに出て八万でU氏を拾って沖浜のコメダ珈琲に行った。米国に長く住んでいたU氏だがいろんな事情が重なって結構日本にいるらしい。さらに亡き父上の実家が徳島にあるのに岡山に家を借りて新しい事業を始めるのだとか。その話の概略を聞いた。やる気スイッチが入ったという話。
コメダ珈琲が徳島にできたのは聞いていたが私が行ったのは初めて。新聞や雑誌の類いが充実していてゆったりしているから時間調整するようなときにはスターバックスよりいいように思う。17時過ぎに店に入ったが早々にビーフシチューで夕食。カフェオーレを飲んで19時前に解散した。
U氏を八万に送って三菱UFJ銀行から役員報酬の振り込み。そして今日は鳴門の実家に泊まる。ローソンでビールと焼酎とナッツを買ってきた。甥たちがいないから本来の私の部屋にいるが暖房がなくても平気なのは上勝より鳴門の気温が高いからか。でも足だけは冷たい。
それでエアコンで暖房を入れようとしたが動作せず。あれれ。本体の電源を入れ直したら動作音がしたからリモコンの問題とみて面倒だが電池を交換。鳴門に泊まった用は明日で今夜はすんなり寝られないはずなので持ってきた雑誌と本を読んで過ごしている。
堀ちえみが舌がんを公表したのが先週初め。そのニュースが頭にあったからだろう。歯磨きをしているときふと舌を見ると左側面が白い。これは舌がんかも知れない。なるほど私の人生は長くないと思うともっと遊ぼうという気になった。ところが妻の方は歯科医からも舌がんを疑われているらしい。
それもあって妻の冬鬱が酷い。土曜は池田の日本酒イベントに行っていた近所のS氏からBar IRORIに誘われて店の車に迎えに来てもらって妻と飲みに行った。S氏のほかいつものN氏T氏とS原嬢。T市氏が弟さんと来ていた。20時半過ぎに行って23時までいて酔っぱらったが今日の妻は二日酔い。
さて私は今日夕方から「響」の練習。指揮者は歯科医師会の会長選挙運動で欠席。練習場所がないので団長が副指揮者S氏に交渉して彼の勤務先である千松小学校の校長の許可を得て音楽室を使わせてもらうことになった。ナビは佐古から行くように勧めるがあの道は狭かったはずと田宮街道経由。
車を置くと団長が歩いて来た。家から50分歩いたと言う。校舎を回ったところに案内黒板があってスリッパに履き替え長い廊下を歩いて3Fの一番遠く。休憩のときS氏がお茶を入れてくれ保護者からもらったらしいお菓子もくれて。まだ音取り段階だが振り付けもあって楽しい練習だった。
徳島銀行は上勝町の指定金融機関なのでうちの会社は法人口座を持っている。車で10分と近く入金確認がしやすいので数年前から主に顔ヨガインストラクター向け商品の卸売販売の入金口座に使っている。入金は月に5件から10件程度。ほかは家賃や電気代や新聞の引き落としだけ。
ただし一昨年と昨年はモンゴルからの入金が合計30件ほどあった。インストラクター養成講座を一昨年は東京で行い昨年は現地で開催したため受講者からの入金に使ったのだ。1件あたり15万円前後だが入金のたびに徳島銀行から電話が架かってくる。この海外からの送金の目的は何なのかと。
受講料でしかない入金の内容をなぜ銀行に言わなければならないのか。質問をするとマネーロンダリングを警戒しているので訊かなければならないと答える。意外な答えに驚いたがモンゴルからの入金は昨年7月以降はない。それなのに今度は文書が届いた。アンケートに答えろと。
質問内容には実質支配者の有無や所有船舶の質問などもある。取引先企業の業種として貴金属商とかカジノとかが挙げられている。本当にマネーロンダリングをしている場合こんな質問にまともに答えるわけもないだろうに。仕事をした気分だけ味わっているではないのか金融庁と全国銀行協会。
小学校4年のとき担任だった榊先生は音楽が専門で毎朝和音の聞き取りをさせられたが一度だけ作曲の宿題があった。今でも覚えているのは実家での夕食後に洋室のソファで五線譜を前にリコーダーを吹いていた光景。母や父が目の前を通り多少の焦りを覚えながら21時頃まで掛かって作ったと思う。
この曲は今でも覚えている。2000年頃に使っていた携帯電話に着信音を作る機能があってこの曲を登録した記憶もある。そのとき五線譜にも起こしてみたがどこにやったか。でも今も覚えているので改めて楽譜にしてみた。使ったのは前にダウンロードしていたMuseScoreというソフト。
起動したらアップデート版があるというのでダウンロードするとVer.2が3になった。操作方法はすっかり忘れていたが使っているうちに何とかなった。前バージョンはよく覚えていないがVer.3になって機能が倍増したのではないか。小節番号まで自動に付いたし強力な楽譜浄書ソフトだと感じる。
さて小学校4年のときに作った曲はハ長調の4/4で8小節。当時どう休符を入れたか覚えていないが音形とリズムはオリジナルのまま。MuseScore3ではPDFでの楽譜書き出しができたので掲載しておく。さらにwaveやmp3で音の出力までできたことにびっくり。mp3で音データもアップしておく。
上勝でH田嬢を案内して葉っぱビジネス見学 (2月21日・木)
昨夜は埼玉から来たH田嬢が予約していた徳島駅近くのアグネスホテルに私も泊まった。私も10年前に読んだ横石知二『そうだ、葉っぱを売ろう! 〜過疎の町、どん底からの再生』(ソフトバンク・ クリエイティブ )に感動して来た彼女を案内するのである。4時間ほどしか寝られず7:42起床。
1Fで簡単に朝食を摂り車を回してきたが約束の9時に合流したH田嬢は一緒に朝食を摂るつもりだったらしく待機してから沖浜の旧J社ビルを外から見学。勝浦の坂本で旧街道沿いのおひな様を見てから上勝に入り車をフィットに乗り換えた。まずは徳島から電話をしていたK浦氏の作業場に10時半。
葉っぱビジネスを手がける母上にH田嬢がインタビュー。1時間もいてK浦氏に栽培ハウスも見せてもらって。そこから出荷場の農協を見てゴミステーションも見学。ポールスターに行ったら休みでいっきゅう茶屋で昼食。ここで13:20に視察担当パンゲアK本嬢と待ち合わせてうちのご近所N蔭さん宅。
妻がフィットで郵便局に行きたいと電話があったが時間ギリギリになって歩いていた妻を乗せて。さらに葉わさびのハウスでN谷氏の話を聞いて偶然会ったH木夫妻の店に入って30分ほど話を聞いた。空港に17:50着。食事の時間もなくなり18時半に見送って2日間の終わり。慌ただしい1日だった。
12時半頃に出て三菱UFJ銀行の窓口で通帳の繰り越し。機械に新しい通帳がなかったかも知れないと言うので一通りクレームを入れたが今はATM全機で繰り越しできるらしい。空港に14:20頃に着いて14:45着のANA便で来たH田嬢を迎えた。昨年池袋で会って以来。徳島に来たのは26年ぶりとか。
その足で鳴門の松浦酒造に15:20。車を駐めて場所が分からず歩いていたら現オーナー社長の喜屋武さんと会って案内され15:40頃に前社長で私とはJ社同期のM嬢が来て。途中M他人も来て挨拶。昔話やら諸々話をして気づけば17時を回っていてお酒を買ってW店長に写真を撮ってもらって17:20。
霊山寺に行こうかと言っていたが時間切れで11号に出て徳島へ。意外に渋滞しておらず立体駐車場に駐めて荷物を出してホテルへ。実家に帰ることも考えたら明日も迎えに来るのでH嬢が泊まるホテルに私も泊まっている。F井T江嬢が予約してくれた店に18時の約束が15分遅れで駆けつけた。
メンバーはH田嬢希望のF嬢と東京で同じ部署にいたK野君。それに私と同期Kの5人。昔話もあったが現在の私ら世代の課題みたいな話とか。J社とマイクロソフトの違いについてK野君の話は面白かった。22時半頃解散。K野君に手ぬぐいを渡し私は23時頃コンビニでつまみを買って部屋でビール。
小学校6年のとき鼓笛隊が編成されたとき最初に集められたのは南校舎の東端あたりの図工室だった。小太鼓のバチが配られ机に雑巾を置いて太鼓に見立てて叩く練習をさせられたような気がする。最初はバチの持ち方から教えられたと思う。右手は縦に振り左手は手首を回転させるやり方で打った。
指導したのは私の4年のときの担任で音楽教師の榊先生。毎朝5分から10分ほど時間を取ってドミソ・ドファラ・シレソの和音を徹底的に叩き込もうとした人だ。太鼓の練習は最初4分音符から始めて8分音符から16分音符の連打もやったのだろう。もしかするとこの練習で人を選抜したのかも知れない。
私はリコーダーも得意だったが最初が小太鼓担当だったのかいきなり指揮に回されたのか覚えていない。実際に小太鼓とリコーダーが演奏するようになって以降の練習は放課後に体育館で行われていた。隊列や歩行に関する指導は6年2組の担任だった森本先生だったような。
あるときリコーダーの出だしが遅いから事前に口に咥えておくようにと指示があった。ところが直後に来た榊先生が物欲しそうに口に咥えて格好悪いから離せと言った。どっちやねん。先生同士の力関係が垣間見たと思った。私は列の右端にいて傍観していた記憶だからあれは既に指揮だったときか。
くら寿司やセブンイレブンで学生バイトがふざけた行為をしてネットにアップする事件が相次いでいる。仲間内だけに見せる動画がインスタグラムから外部に流出してツイッターに転載され拡散しているらしい。セブンイレブンの動画はツイッターで繰り返し流れてきて彼の顔は覚えてしまった。
バカッターだと揶揄されるツイッターこそ被害者だという笑い話もあるし過去の動画も発掘されて祭り状態になっている。原因として社員が常駐していないのが悪いという意見もあるが管理者の存在に関わらず悪いことは悪いので企業は高額すぎない程度の損害賠償を請求するべきだと私は思う。
今日もTBS「ひるおび」に旧知の三上洋さんが出て解説していた。彼のブログにあるコメントメモがよくまとまっているのでリンクしておく。それにしても当事者のバイト君たちは名前が特定されてネットに晒されている。まともな企業に就職することはできないだろうし結婚にも支障が出るだろう。
さて東京から移住するときに妻と話をしていたことがある。もし職がなくなってもコンビニでバイトすれば田舎でなら食べていけるんじゃないかと。でも公共料金の支払いやチケット発行などコンビニの業務は今や多岐にわたり私らにはもう無理だろう。「ひるおび」を見ながら妻とそんな話をした。
ふと思い出したので記録しておく。小学校6年のとき鼓笛隊の指揮をさせられた。ソプラノリコーダーと小太鼓が合わせて50人ぐらいいただろうか。6年生主体だが5年や4年もいたかも知れない。鳴門市の防災とか市制記念とか何かのイベントで市内中心街をパレードするために編成されたのだと思う。
指揮者はまず3人が選抜された。後に付属中から市高そして東大に進学したS田君と長距離走が得意で母上が教師だったN尾君と私。S田君は辞退したいと言ったかN尾君は何度か欠席したかで私がやることになってしまった。先にフサの着いた棒を縦に持って上下に振る。メジャーバトンというらしい。
振り続けると疲れるので夕食後横になってテレビを観ているとき右手に何か持ってずっと挙げて鍛えていたような記憶がある。歩きながら演奏するわけで合図は先頭を歩く指揮者の私が行う。バトンを振ってリズムを刻むが演奏の開始や終了や歩き出す合図にはサッカーの審判のような笛を吹く。
市内パレード用に練習したが秋の運動会でも演奏した。演台の体育教師が何か言ってから私が笛を吹いて演奏が始まる段取りだった。それなのに先に笛を吹いてしまって教師の指示が一瞬遅れたタイミングになったという失敗。後は記憶にないから無難にやったと思うがこの失敗の印象が強烈で。
録画した「秘密のケンミンSHOW」を観ていたら地方の大きな家では仏間や客間や廊下など使っていない部屋が寒いという話。それを観ていて妻が言うには起床すると寒いから布団の中で着替えているのだとか。子ども時代はこたつの中で着替えを暖めていたと言う。
そう言えば私も同じことをしていた。母が起こしに来ても布団から出られず出たら出たでシャツなど肌着をこたつに入れて私はパジャマのまま昔ながらの石油ストーブの前で暖まっていた。なかなか着替える決心ができないが時間は迫ってくるから仕方がないといった案配。
なぜ寒かったかと言えば窓だ。上勝の冬は寒いし大きな窓が冷却ボードだと書いたがそれでもアルミサッシだからマシだと思う。私の実家も今はサッシに変わったが当時は木枠の窓。窓のガラスも10cm四方のものが木枠にはめ込まれているだけだったから部屋の中をすきま風が吹いていた。
そう言えば台所には瞬間湯沸かし器があってお湯も出たが顔を洗うときは冷たい水道水を使っていた。「秘密のケンミンSHOW」では未だに風呂とトイレが一旦屋外に出るという家も紹介されていたが今は蛇口をひねればお湯も出るし寒いといっても恵まれた時代になったものだと思う。
昨日の「響」の練習はトップテナーとベースがおらず2ndテナーの私とバリトンの団長と僧侶S氏だけ。そんなわけで難曲の和音確認や新曲の音取りと休憩は30分近くあって雑談していた。その中で何の話題からそうなったか団長がiPhoneにクレジットカードなどを登録しているという話になった。
SUICAも登録していてiPhoneを起動することなく東京の改札でタッチするだけで通過できると言う。クレジットカードも登録したものを選択して店頭でタッチするだけだと。むむ。私は財布からプラスティックのクレジットカードを取りだして店員に渡して決済しているのだが。
iPhoneにおサイフケータイ機能が付いたというニュースを数年前に見た記憶はあるのだが今まで放置していた。アプリを見てみるとWalletというのがある。これか。昨日はWalletのモバイル回線をオフにしていたからかできなかったので今日日中に事務所のWi-Fi環境で登録してみることにした。
お試しなので今はあまり使っていないJALカード。Walletからカメラが起動して撮影するとカード番号が読み取られた。あとは必要なデータを入力して最後にサービスセンターに電話をして認証を受けたら登録完了。登録は簡単だった。どこかで試しに使ってみようと思っているが。
2分遅れたみずほ銀行と繰越できない三菱UFJ (2月14日・木)
毎月1回の振込の日。15日付で振り込むことにしているので14日の15時を回って銀行に行くことにしている。口座は徳島銀行とゆうちょ銀行にもあるのだが相手先が東京だったり全国のインストラクターだったりするので振込口座は基本的に三菱UFJ銀行とみずほ銀行を使っている。
わざわざ1時間かけて徳島に行く必要があるのだが今日は「響」の練習が19時からあったので都合がよい。ただし問題なのはみずほ銀行は18時を回ると時間外手数料が取られること。それを考慮して早めに出るようにしているのだが今日出発したのが17:02。国道55号は沖浜から渋滞。
仲之町から両国橋を渡って新町川沿いを走り新町橋を渡り返してみずほ銀行に直行したが到着したのは18:01。2件の振込で108円ずつの手数料を取られた。悔しいが仕方ない。次に再び両国橋を渡り直しS神歯科に車を置いて歩いて三菱UFJ銀行。振込7件。ところが途中で通帳が一杯になった。
徳島支店の3つあるATMの右端の機械は繰越処理ができるから案内に従ったがこの通帳ではできないと。前にもあったと調べてみたら3年前。それ以降6冊の通帳を費やしたがまたしても。往復2時間かけて営業時間中に駐車場の少ない銀行に行くのは負担なのだが今度は何が原因か。
昨夜は消防団の分団役員会。主な議題は3月の総会について。昨年は徳島市まで行ったから今年も別のホテルにしようという話になった。でも今日夕方になって予約できなかったとかで地元の月ヶ谷温泉での開催と。宴会の2次会がないから寂しいという人も多いだろう。詰め所に戻ってやるのだろうか。
役員会で入団者と退団者の話もあった。N部長の20歳の長男が4月から入団するそうだ。そのほかにも彼はどうかといった話。一方の退団者は3人。70歳と69歳。芋農家の従兄弟は鳴門消防団で分団長をやって45歳で退団したというのに我が町は過疎高齢化で65歳でも辞められない。
今日は車で15分先の隣町みやこ屋でうどんを食べて一旦帰宅。溜まった古新聞を午後になりまとめゴミステーションに持ち込んだ。ビールの空き缶もまとめて車に載せて大松の酒店リカオーに持って行った。アルミ缶の引き取りで買い物が少しだけ安くなる。ナッツ類を購入。
そのまま空港に行って東京出張から戻ってきた妻をピックアップ。マルナカで食材の買い物中に私は事務所の蛍光灯を買って週刊ダイヤモンドと東洋経済も。大松の裏通りにある「もんてきぃ」という店の隣にハンバーグ屋ができたと昨夜N部長が言っていたので行ってみた。まずまず使える。
2年半ほど前に会った日経BP社のM本氏が連休に徳島に来ていることはFacebookで知っていた。その彼が私の元部下N嬢の徳島の実家に行って一緒にいる写真をアップしていた。記者とIT系ライターとして今は仕事仲間だと聞いているので不思議ではないのだがコメントのやり取りの中で驚く事実。
2年半前にM本氏と会ったとき一緒にいて高校物理部の3つ先輩だと分かった農林省の女性を妻と書いたのである。ええ?何それ。 M本氏が離婚したと聞いたのは東京時代だから10年以上前のこと。お子さんが3人ぐらいいたはずだが皆成人している。だから再婚することに何の不思議もないのだが。
あのときM氏が女性連れで来たことに驚きはしたが説明を鵜呑みにしていた。M本氏は言うつもりだったが話題が別方向に行ったから明かせなかったと。その後彼が頻繁に北海道に行っていることをFacebookで知っていたが多くはお嬢さんと一緒だったから単なる旅行だと思い込んでいた。
あれは札幌に住んでいる彼女のところに行っていたのか。何たる不覚。M本氏とは高1のときアマチュア無線で知り合い2年のときは警察無線で私の名前が出たと教えてくれ日経BPの会社見学では千葉の自宅に泊めてもらいJ社入社を悩んでいるとき後押ししてくれた人でもある。今度詳しく聞いてくる。
日曜に西条市であった全四国男声合唱フェスティバルは3団体目の愛媛の男声合唱団「烏」から聴いた。千原英喜作曲の知らない曲だが上手いなと思った。演奏4団体目はグリークラブ香川。我が「響」の5年前の定期演奏会に出演してもらったこともあるしコンクール全国大会に参加してくれた人もいる。
でも演奏は今ひとつだった。ソロが何人もステージ前方に出てくるのだがステージの響きポイントから外れたのではないか。次に高知のTURKEY'S CLUBが歌った信長貴富の3曲のうち2曲は私も歌ったことがある。ただ「くちびるに歌を」は2010年のコンクールの「響」の方が上手かったと思う。
曲の解釈というか表現は我が指揮者の演奏がよかった。というか私は好きだ。これは自分が歌ったからかも知れず好みの問題のような気もするが。愛媛の男声合唱団「我夢」の演奏がどうだったかは既に忘れた。最後の合同演奏は「水のいのち」。混声合唱では知っているが男声版は初めて聴いた。
合同演奏について指揮者が格調高く歌詞を大切にしたと言ったが歌詞は聞き取れなかった。しかもffは弱くppは大きくダイナミックレンジが狭い。この曲は大合唱には向かないような気がするし演奏も135人を生かし切れていなかったように思う。アンコールの中島みゆき「ファイト」はよかった。
9:48に出て団長宅に約束の10時半きっかりに到着。団長の次女が日産自動車の販社に昨年就職していて団長が10月に買ったばかりのエクストレイルに乗って愛媛県西条市へ。松山道上分PAで休んでいよ西条で下り商店街の駐車場に駐めて団長があらかじめ調べていたカツ丼ごかく西条店に行った。
6人の行列。寒風吹く中30分待った。店内はカウンターのみ8席。注文して30分待って海苔と青海苔のチーズカツ丼。ここから10分歩いて西条市総合文化会館。全四国男声合唱フェスティバルを聴きに行ったのである。「響」は運営方針に反発して脱退している。13時半開演だが着いたのは14時頃。
2団体を聞き逃し幕間の暗闇を2階席最前列に座ったが主催者席だったので次の幕間で移動。我が指揮者S神が来たので声をかけたら後ろに女性。知らん顔をしてあげればよかったと思ったら奥さんだった。奥さんとはBAR HOGSHEADで会って以来5年ぶりぐらいか。演奏の感想はまた後日にでも。
終わって商店街を歩いたが見事なシャッター街だった。帰りは入野PAに寄って徳島のイオンモール。団長が買ったついでにHAMAYAでコーヒー豆を購入。フードコートでとり天南蛮定食を2人で食べてからビリヤードKID。19時半から2時間。エラーで3点献上しながら最後は6対6だった。22:15帰宅。
住宅の外壁塗装工事はまだ続いている。壁の塗装はだいたい終わったように見えるがベランダの下の方で何か作業があるらしく話を聞いたのが数日前。その日のうちにベランダに置いたものがまた移動されていた。大きなものではエアコンの室外機や電動コンポストが壁から離されていた。
灯油の給油だったりコンポストにみかんの皮を捨てに行ったり1日に1回ぐらいベランダに出るから移動されていることには気づく。でもエアコン室外機に違和感があってよくよく見たのは昨日だった。右に傾いている。室外機を載せている台のうち右側のものが割れているのだと分かった。
多分1人で引きずって台の硬質プラスチックが割れたと思われる。でも数日経っているはずなのに工事責任者は何も言ってこない。今朝またベランダに入ると言われたときにこのことを告げてみた。責任者は知らなかったらしいが工事担当は分かっていてブロックにでも載せとこかと言っている。
いや壊したのなら元に戻すべきでしょう。まずは現場を見て欲しいと言っておいた。午後には新しい部品で元に戻っていたが一方で風呂の窓の格子も外したまま私の事務所と自宅だけ取り付け忘れている。こちらは放置しているが本来の塗装もいい加減じゃないのかと邪推し始めているところ。
2010年に知り合って上勝TVの初期のMCもやってもらっていた通称ルパンが昨夜ツイッターに書いていた内容に思わず反応した。彼は香川出身で大学から徳島に住んでいるのだと思うが「はがい」という言葉を使わなくなったと言うのである。いや「はがいい」なら鳴門では使っていた。
そう言えば私も中学以降あまり言わなくなった気がする。つまり徳島市では使わないのか。標準語なら「はがゆい」だなと思って検索するとこちらの意味は「じれったい」「もどかしい」という。あれれ。違う。香川時代のルパンや鳴門時代の私が使っていた「はがいい」は悔しいという意味だ。
野球でエラーしたり凡打で「はがいい」。友人にからかわれて「はがいい」。語源は「じれったい」の「はがゆい」かも知れないが私が使っていたのは確かに悔しいとか腹立たしいというニュアンス。日常的な口語としては「はがいたー」。強調形で「はがいったらしい」ともよく言った。
ということをツイッターに書いたら鳴門のあるでよさんも反応してきた。そうかあれは鳴門から香川の方言か。小学3年のとき1kmほどしか離れていない父方の祖母が来たとき方言がきつくて話の1/3ぐらいしか分からなかった。言葉について世代差もあるが同じ徳島の中で地域差も意外にある。
住宅の貯水槽の清掃と点検と水質検査とやらで8時半から12時半まで断水。蛇口をひねると配管内に空気が入り赤水が出たりするから水を使うなとの告知。うっかり水を流さないようトイレには妻が注意書きを置きバケツの水を用意していた。顔も洗えず事前に用意していた水で歯だけ磨いた。
でも雨だと中止の場合があると書かれていて住宅管理組合の副組合長O君が業者に問い合わせたらしい。雨だが実施していて断水はしないとの回答だとメッセンジャーで連絡してくれた。断水告知は昔のものを使い回して実態に沿ってないのではないかとの疑い。一応12時半まで水道は我慢したが。
その後12:45には出てモスバーガーで昼食を取ってから妻を空港に送ってきた。そのまま実家。何年か前に胆管結石で入院したことのある母が病院から胆管癌の疑いと言われ精密検査をするらしい。4日に検査で18日から入院と言っていたのに4日は問診だけで検査が26日。
検査後に車の運転はできないというので26日は私が送迎することになった。その前に説明しておきたいと言うから今日寄ったのだが検査の同意書を読めば済むだけ。2分で終わった。印は実家のものを押せばいいと母は言うが自分の印はあるのか。「あら私も押すの?」と言う母は大丈夫か。
冬鬱状態で明日から出張に行く妻がご飯を作りたくないと言うので2人で夕食に出た。妻が出張中に私のヘビーローテーションとなる隣町のラーメン呑口。19時の閉店より前に行ったのに閉まっている。張り紙があってインフルエンザで1週間休業すると書いてある。あれれ。
斜め前の黒猫キッチンは開いていて中には客もいたが看板は「クローズ」。地元の若い士たちの宴会かも知れない。それで仕方がないので小松島へ。国道まで出て右折して餃子の王将などがある辺りを走って結局裏に回ってルピアの角から国道を北上。りょう花ラーメンに行こうとした。
ところがここもお休み。そのまま当てもなく国道を北上していたがチキンカレー専門店を見つけて思わず寄った。ラーメン屋だった頃に行ったことがあるが今ひとつ。カレー屋になってから意外に車が駐まっていて気にはなっていたのだ。入口に準備中の札があったが間違いだったらしく店内へ。
知らなかったのだがお店の人はインド系の方々。厨房に男性が3人と若い女性もインドかネパールかあちらの方の方。厨房からは日本語でも英語でもない言葉がずっと聞こえてくる。ともかくカレーの方は美味しかった。しかも2種類のカレーと大きなナンが付いて864円。多分また行く。
今日も日記の内容に呻吟していたらツイッターに沢木耕太郎のインタビュー記事が流れてきた。書いていたと思っていたが日記のバックナンバーに見当たらないから私が読書にのめり込んでいった過程について記録しておく。沢木耕太郎が始まりだったのだ。1982年の秋。東京の杉並区西荻駅前。
同志社に入学していながら東京の駿台予備校に通って仮面浪人していたとき西荻で住んでいたことは繰り返し書いた。週に8日は通った錦星食堂で週刊現代か週刊ポストのインタビューで泉谷しげるが最近読んだ本で凄いと思ったものとして『テロルの決算』を上げていた。その足で書店に行った。
この本が私の読書習慣の原点だ。事実が持つ物語は衝撃でそこから立て続けに沢木耕太郎の『敗れざる者たち』『若き実力者たち』『地の漂流者たち』を読んだ。『人の砂漠』も1982年から翌年にかけての冬だと思う。2度目の受験前。『一瞬の夏』は京都に戻った1984年か1985年のはず。
沢木耕太郎は東京時代の自宅があった近所に住んでいるそうだからどこかで会わないかと思っていたが機会はなかった。そう言えば後々に思い始めたのだが錦星食堂で読んだ週刊誌で泉谷しげるが凄いと言っていたもう1冊が10年前に読んだ『ロスノフスキ家の娘』だったような気がしている。
冬鬱の妻は起きてこず仕方がないので今日は一人で勝浦に昼食に出た。いつも行く道の駅にあるうどんの「みやこ屋」は営業を終えた時間で隣の喫茶「オレンジ」に行った。みやこ屋とオレンジは座席を共有しているから知っているのだがここで食べたのは初めて。コロッケ定食750円。
道の駅でみかんを買ってスーパー杉屋で牛乳も買って帰宅。夜は録画しておいたテレビを観て20時に遅い夕食を食べた。上勝は今日も雨。でも全国各地で火事があったとニュースで言っているから消防団員の私は雨が降って少しホッとしている。という何でもない1日だったという記録だけ。
昨日も1時間ほどPCの前で呻吟したもののネタを思いつかず日記を書くことを諦めた。とはいえもちろん何もしなかったわけではない。月が変わったので31日に「響」の練習ついでに記帳していた通帳を見ながら入金を弥生会計に入力して外注費支払いを管理しているエクセル表も整理。
合わせて1月に支払った外注費の源泉徴収税の納税書類を作成しつつ2月支払予定分の源泉税をエクセルでまとめて。そして昨年1年間の所得税の源泉徴収分をまとめて支払調書を作ってもらうために税理士さんに送付。昨年1年間に支払った外注先で源泉徴収していた人は18件あった。
さて明日も「響」の練習が予定されていたのに指揮者の歯科医師会の会議だとかで中止。それで今日は妻と街に食事に行こうという話をしていた。新たな美味しい店を開拓しようというわけで妻は食べログで探す一方で私は友人たちが行く店をピックアップした。
私のマンション管理をお願いしている不動産屋のT石社長や「日本でいちばん大切にしたい会社」のN社長など中学の同級生のFacebookやInstagramの投稿を参考に。でも寒い。妻は私と2人で行っても面白くないと言い出し結局外出しないまま夕食も取らず19時頃から飲み始め。2人して冬鬱だ。
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© 2019 Takashi INAGAKI