<Diary Index Page> 2022年5月
USB3.0対応UHS-I規格SDカードリーダー (5月31日・火)
ドラレコ映像を残しておくことは今回の皆生温泉への旅行でも意識していた。でも1泊2日なので宿でPCにコピーすることなく32GBのカード2枚を入れ替えて済ませた。2日目の朝に入れ替えて4時間経っただろう頃に出発してから徳島の映像は不要だと思い再び1枚目に戻した。
その2枚のSDカードのファイルはデスクトップPCに日曜にコピーしたが1枚数十分もかかる。大部分は削除して残すのは数ファイルだけだがコピー時間は短縮させたい。今使っているSDカードリーダーのインターフェースUSB2.0が古すぎるのだ。PCはUSB3.0対応なのにリーダーだけが時代遅れ。
そこでSDカードの規格について復習してから先日書いた880円のSDカードリーダーを買った。UHS-I対応。3年前からヨドバシ.comのカートに入れていたUHS-II対応品と迷ったがコンパクトフラッシュなどは使わないのに4,320円は高い。現在UHS-I対応カードしか持ってないので安さを優先した。
これが今日届いて早速PCに挿したが説明書にあるドライバーのインストールは始まらず認識もされていない。でもSDカードを入れるとあっさり使えるようになった。そりゃそうか。PC前面に挿すとSDカード挿入口が見えないが仕方ない。挿しっぱなしにせず都度挿入する使い方になりそうだ。
私が昨年読んだ小説『舟を編む』を評して悪い人が出てこない『風が強く吹いている』に似ていたというツイートを1月ほど前に見た。調べると同じ作者だ。『舟を編む』は結構面白かったので買ってみた。三浦しをん『風が強く吹いている』(新潮文庫)。旅行前に読み終えていた。
陸上の長距離の経験があるのは3人だけという同じボロアパートに住む10人が4月から練習を始めて8ヶ月後の箱根駅伝に出るまでの物語。4年生の主人公が走りの素質のある1年生を偶然見つけて自分のボロアパートに住まわせるところから始まる。主人公が強権を交えながら皆を巻き込んでいく。
登場人物は漫画ばかり読んでいる人やヘビースモーカーやクイズ王や双子それに黒人留学生ら。前半は長距離競技に詳しいらしい大家を巻き込んだドタバタ喜劇のような趣き。それが主人公の個性を見極めた指導によって皆の気持ちが徐々にまとまり始め成績を上げていく。
箱根駅伝の出場選手は10人だけでボロアパートの住人は補欠もいないギリギリのメンバー。後半は箱根駅伝の本番シーンで小さな事件とともに10人それぞれの過去の挫折や複雑な家族への感情などの思いが積み重なっていく。途中で誰が誰だっけと思ったりもしたが後半は一気に読んだ。
昨日の大山寺への坂道が効いたらしい。筋肉痛で苦しんでいる。特に臑の筋肉が痛いから下りもきつかったのだろう。さて2日間の旅行は49年前の記憶を辿るのが目的だった。当時泊まったはずの宴会場を覗いたが覚えているわけもなく団体客中心から個人客に移ったことで改装もされているだろう。
皆生温泉街は小さく周辺の旅館は古いものが多かった。駐車場も目立つし少し寂れた風でもあった。ただ目の前が海水浴場でトライアスロンの練習か泳いでいる人もいたから夏は賑わうのだと思う。ちなみにFacebookにアップすると近所のN野氏やJ社で同僚だったM山氏が泊まったことがあると言う。
皆生温泉以外は敢えて予定を立てず行動したが面白かった。境港は中海に続く狭い海峡に大きな船が横付けしていて天然の良港だとよく分かった。船が下を通るからだろう中海の橋はどれも巨大なアーチ型でつい通ってみたくなった。それで地図を見て橋を渡って行ってみた美保関がとても良かった。
さらに地図で直線に伸びる長い橋だと思えば砂州だったり。中海は波がないからなのか海面から50cmのところに堤防もなく民家が密集して建っていたのは不思議な景色だった。ただし帰りは四国に上陸してから疲れて久々にクルーズコントロールでトラックを自動追尾。1日400kmは長かった。
7時前に目が覚め風呂に行ってから朝食。卵かけご飯の卵は自由にというので1杯だけ。皆生シーサイドホテルの駐車場を9:42出発。ナビを見ると境港のみなとタワーが目に付いたので行ってみた。隣のさかなセンターは店も客も少ない。快晴だが風が強く見晴らしは悪くタワーには上がらなかった。
ゲゲゲの鬼太郎に興味はないが境港に来たからにはと駐車場を求めてぐるぐるした末に水木しげるロード。人が多い。次に当初は島根の上で西に突き出た日御碕に行くつもりだったが遠い。ナビで東に突き出た地蔵崎を見つけて行ってみた。美保関灯台があり日本海を見渡せる。ここはよかった。
帰りに美保神社を参拝。さらにナビを見ると中海に島があって直線の道で繋がっている。ここを通りたいと行ってみると砂州の道路だった。大塚山公園なるところにも寄り次は大山へ。高速に乗らず国道経由。坂道で2台を追い越したがナビの案内先は閉鎖されていて下り坂になってしまいUターン。
大きな第4駐車場に駐め大山寺へ。マスクをして坂道と階段で汗だくになった。社務所で300円。参道にて2,000円のクーポンで日本酒4合瓶2本を購入。帰りは16時に蒜山SAで肉そば。高梁SAでソフトクリーム。1時間ごと休みながら松茂で降りて20:20帰宅。今日は417.4km。2日通し14.9km/h。
今日の夜は妻が宴会らしい。明日はオンライン講座で食事作りも慌ただしい。皆生温泉について水曜に書いた後一番安い部屋がなくなったのでそれならと思い切って予約。雨も止み空調服シートほか荷物を載せて10:29出発。ローソンで水とカフェラテを買い助任で給油してひろっちゃんでラーメン。
松茂から高速へ。高梁SAで休憩したら車のエンブレムに鳥のフン。ティッシュで拭けばよかったと次の真庭PAでも停車。蒜山SAでも休んで大山を見ながらソフトクリームを食べた。15:53に到着。302.4kmで14.7km/h。ワクチン3回目接種証明書や徳島県民を示す免許証を見せてチェックイン。
5Fにアップグレードされた部屋から目の前は白い砂浜と日本海。夏は海水浴場になるらしい。父が立ちションした碑からホテル玄関はチェックイン前に見たところ近すぎる気もしたが部屋に荷物を置いて海岸沿いの遊歩道を散歩して戻ると子どもの頃の距離感ではこのぐらいだったかもと思い直す。
夕方に風呂2回。2畳ほどの半露天は湯に浸かると海が見えない。湯はしょっぱい。夕食は東館1F。奥のおじさん4人組の声が響く。6組ぐらいいたか。アワビ姿蒸しもあったが量はほどほど。生ビール2杯。西館1Fのマッサージチェアに座ってから三度風呂。夜は部屋で自販機の350mL一番搾り1本半。
毎年秋に更新しているナビデータの案内があった。昨年は11月と5月にも更新していたらしい。年2回だったっけ。いつも方法とともに忘れる年会費制のMapFanプレミアム。ただし3,960円だった年会費が今年秋から5,500円に上がるからフォレスター売却検討のこともあり退会するつもりでいる。
とりあえず5月の案内が一昨日あってダウンロード。コピーしたSDカードを今日ナビに挿入してゆめタウンに行く間にアップデートした。約1時間半かかるアップデートの間ナビは使えない。無音なのでこの機会に県道の映像を残しておこうと帰宅してからドラレコのデータをPCにコピーした。
13:51に出てゆめタウン3F駐車場に駐めてエスカレーターで2Fに降りてトイレに寄ってからコスモスデンタルクリニックに行くと14:59。ギリギリだった。今日は左下の歯に被せる型を取ったらしい。1Fに降りてカルディで今日はスペシャルブレンドとリッチブレンドを200gずつ。まだ試行中。
駐車場からY下K美さんに電話をして消防団のビールを注文。来月15日の点検日までもつと思っていたのに22日に新人研修帰りに分団長らが集まったらしく予備がなくなっていたため1日の点検前に念のため。ゆめタウンを出たところから降り始め上勝では大雨になった中を2ケース運んでずぶ濡れ。
小学4年の山陰旅行で皆生温泉に泊まった。予約せず行って泊まるところがなく父が立ちションしていたときホテルの人が出てきて大広間に泊めてもらった。あれはどこか。実家のアルバムをデジタル化したとき私と弟が写った写真の横に「皆生温泉ホテルにて」と母が手書きしていたのは見つけた。
皆生温泉ホテル。これは皆生温泉にあるホテルという意味だろう。これがどこだろうと先日来ネットで皆生温泉旅館組合のサイトを起点に調べている。父が立ちションしたのは海に向かって記念碑のようなものがあった前だった微かな記憶。地図を見ると日本のトライアスロン発祥の碑がある。
海に向かった道の突き当たりだから記憶には合う。とすれば泊まったのは右横の皆生遊月か。ところがさらに調べるとトライアスロン大会が初めて開かれたのは1981年。時代が新しい。さらに探していると皆生温泉開発の祖として有本松太郎という人の胸像があると米子観光ナビに記述がある。
ここも国道から皆生温泉に伸びる幹線の突き当たり。西の玉造温泉から来たから辻褄が合う。とすると右隣の皆生シーサイドホテル海の四季だ。言われてみればシーサイドホテルの響きに記憶がある。今ちょうど鳥取県の宿泊半額補助キャンペーン中だから行ってみようか。と思ったら5月末まで。
ドラレコのデータを旅先で保存するため7,980円のmicroSDカードスロット付2TB外付けHDDを買おうかと考えた。英語の口コミを翻訳機能で全て読んだが決められない。中古なのも気になる。残り1点になって改めて他の製品を探してみた。同じようなものはないのだがポータブルHDDは結構ある。
フォレスターで使っているドラレコはマニュアルによると初期設定1920×1080の解像度で8GBあたり最大70分というから私が使っている32GBのmicroSDカードで280分。写真データなどもあるから1枚で約4時間半録画できる。仮に1日2枚に録画したとして必要な容量は1週間かかって448GB。
つまり1週間でも500GBあれば十分。観光地で1日9時間も運転することはないから320GBでも問題ない。2TBは大きすぎる。容量が大きくて困ることはないが価格は安い方がいい。そこでヨドバシ.comで調べるとバッファロー製の500GBが6,010円。1TBでも6,570円。ポイント分を除けば1割引だ。
さらにmicroSDカードリーダーはUSB端子型が363円で売っていた。SDカード用でも安いものは880円。どうせPCが必要なら新品で小さく日本製しかも安く揃えられるポータブルHDDでいいのではないかというのが結論。そんなわけで今回は購入を見送った。必要になったら改めて考えよう。
ソニーの営業利益が初めて1兆円を突破したというニュースがあった。1.2兆円で売上は9.9兆円。NTTは純利益が初の1兆円突破。トヨタ自動車は営業利益が2.9兆円で売上31兆円だとか。これで思い出したのが1990年頃に取材に来た読売新聞徳島支局の若い記者のこと。
彼は日本で売上が1兆円を超えている企業はないと言った。応対したのは社長の大学時代の同級生N田氏。後に常務取締役になるが当時はまだ入社して1年ほどだったと思う。沖浜第1ビルの北に張り出したミーティングルームCだった。N田氏が1兆円を超えている企業はあるんじゃないかと答えた。
後で調べるとトヨタや日立など何社かが1兆円を超えていた。1時間近く話をして彼の知識の底が浅いことが分かってきた。J社のこともよく知らずに来ていた。彼はまだ若く読売新聞で最初に配属されたのが徳島支局だったと思う。おそらく上司に促されてJ社に突撃取材を掛けたのだろう。
それは支局の教育であって私たちは利用されたのだと解釈した。今よく言えばオンザジョブトレーニング。あれで新人記者にまともに相手をすることはないという教訓を得た。タクシーを玄関に待たせたままで偉そうなものだ。当時の名刺を探して検索したがヒットしない。早々に辞めたと見た。
先月のことだが狂犬病がツイッターで話題になった。ウクライナから避難してきた人と一緒に連れて来られたペットの犬が検疫で半年間も預けられることになったことがきっかけだ。そのことを嘆いた避難民のことが大きく伝わり厚生労働省が特例で飼い主の元に返すことにしたのだとか。
するとツイッターの医療関係者が猛反発。狂犬病の歴史だとか症状とかを知ることになった。犬や猫に噛まれてウィルスが入り発症すると100%死ぬのだとか。狂犬病がなかったどこかの島では1匹持ち込まれて蔓延しペットを含め殺処分することになったといった話も流れてきた。
日本では1957年以降発生していないというが私が小学生だった1970年頃に親は狂犬病に神経質だったように思う。当時は野良犬と野良猫はそこら中にいて通学路には犬の糞が何個もあって注意しながら歩く必要があった。犬に噛まれないように注意しなさいと繰り返し言われていたような気がする。
それと多分幼稚園のとき実家の納屋の前で大きな犬が死んでいた。朝で近所の康美ちゃんが来て一緒に幼稚園に向かったが母と近所の人たちは話し合っていて保健所に連絡したのだろう。あれは野犬を処分するための毒を食べたのだろうと想像したが家の敷地で犬が死んでいたことはショックだった。
ドラレコデータのコピー検討とネットブック (5月21日・土)
ドラレコの映像を旅行先でiPhoneにコピーできないかとカードリーダーを買おうかと考えた。でも古いPCを使う方法もある。そもそもPCなしでコピーしたかったのはサブノートを妻が出張で使うときを考えて。サブノートがないときはネットブックがある。ドコモでもらったレノボ製を持ち出した。
2009年11月から数年使った。多分6年ぶりに電源を入れると一部の数字キーが利かずログインパスワードが入れられず。別アカウントで入れたが。WindowsXPだがネットに繋げなければ問題ないはず。このネットブックにカードスロットはないからカードリーダーは必要。ただしUSBはType-Aだけだ。
となるとiPhone用リーダーを使うためには変換アダプタを付けるか事務所で使っている11年前に買ったリーダーを使用するか。DELLのデスクトップにはUSB-CもあるからiPhone用リーダーを事務所用にする方法もある。ちなみに今のカードリーダーでネットブックにコピーしたら28.2GBを30分。
この程度なら許容できる。でもiPhone用リーダーが昨夜アマゾンから消えていた。それで考え直したのだがネットブックの容量89GBは心許ない。サブノートも空きは86GB。iPhoneだって空きは87GBしかない。それならmicroSDスロット付2TB外付けHDD買ってみようか。まだ考え中。
歯医者とローソンのドコモWi-Fiサービス (5月20日・金)
15時に歯医者のはずが勝浦で今日は15:30だったと思い出しリカオーで日本酒を買い三菱UFJ銀行にも寄って吉野川橋経由で北岸堤防。ゆめタウンでモンベル撤退後の300円ショップを見てから10分前にコスモスへ。左下の歯の中が石灰化していて今日は超音波できれにして薬剤を注入したらしい。
終えて鳴門の散髪サカイでひげ剃りクリームを買いザ・コーヒービーンズまで行ってコーヒー豆200gだけ。実家に寄って軽自動車税の納付書を受け取り母とも顔を合わせ道の駅くるくるなるとに行ったら17時を過ぎていて閉まっていた。川内から渋滞にはまりかつやで早めの夕食。19時過ぎに帰宅。
さて前回の歯医者と実家に行った帰り勝浦のローソンに寄った。店内でS谷氏と会ったのだが半年前はスキンヘッドだったのにロン毛になっていてびっくり。S谷氏夫妻と立ち話しばし。思い立ってローソンのWi-Fiサービスを試してみた。でも調べていた手順は表示されずフリーWi-Fiの警告が出るだけ。
調べるとローソン独自のWi-Fiサービスは今年2月に終了済みで0000docomoというAPはパスワードを求められ断念。もう一つ0001の方ならアクセスできたらしい。ドコモのd Wi-Fiなるサービス加入が条件らしいが調べると私は既に入っていた。今日試したらあっさり接続。一つ賢くなった。
車で旅行に行ったときドラレコの映像を残しておきたいと考えている。容量が大きいから大部分は削除するが観光地などの記録として一部を残しておきたい。そのために今まで何度かmicroSDカードから旅先で一旦全ての映像をサブノートPCにコピーしてきたのだがこれをPCなしでできないものか。
2年ぐらい前から対応製品探しているが見つからない。PCレスでSDカードをコピーする方法という記事が詳しいが数万円の製品は高すぎる。旅行先でカメラのSDカードのデータを直接外付けHDDにコピーする方法でも紹介されたIODATAのポケドラは評価が低いし別途HDDを用意する必要がある。
見つけたと思った製品は単なるmicroSD端子付のHDDぽい。 バッファローのポータブルHDDがあるのだが2005年発売で容量20GBでは使い物にならない。 でもそのページからお奨めされた製品があった。ちょうどHDDではなくiPhoneをストレージとして使えないかと思い始めたところだった。
iPhoneに接続できるカードリーダーで双方向でコピーできるらしい。それなら純正のカードリーダーでもいいのだが高いこととLightning端子がいつまで使えるか疑問なこととUSBでPCと接続できると便利かも知れないと思った。2,299円なら試しに買ってみてもいいかも知れない。どうしようかな。
J社の浮川社長が個人で買った日本発のスーパーカーであるホンダNSXは一度だけ運転した。松山出張で社長を助手席に乗せて。徳島を出たとき既に暗かった。当時まだ徳島道はなく石井あたりの南岸堤防下の道を走っていたとき遅い前車を追い越したらウィンカーは出さない方がいいと注意された。
丁寧に運転したつもりだったが後方にいるかも知れないパトカーに追い越したのが分かるのはよくないと言う。黄色線だったかも知れない。新居浜で社長を実家に送り私はホテルに泊まった。翌朝社長を迎えに行くと実家の人が小さい子に私のことを秘書さんやってと言っていて気恥ずかしかった。
2日目に松山着。別途社用車のレジェンドを専務秘書T田氏が運転して初子専務が合流。日中は松山研究所にいたのかよく覚えていないが夜は道後温泉のフロントに池がある立派なホテルの座敷で接待に同席した。相手は愛媛大学の教授。2人の恩師なのか松山研究所の共同研究相手だったのか。
そこに松山研究所所長だった技術者のS木氏も同席したが緊張していたように見えた。S木氏と2人で座敷を中座してタバコを吸った。社長と専務はその高級ホテルで泊まり私とT田氏は別のホテルで宿泊。翌日は社長と専務がNSXでどこかに行ったはずで私たち秘書組2人はレジェンドで徳島に帰った。
過去の日記を探していてジェントル・ジャイアントというプログレッシブ・ロックバンドを教えてもらったと2001年に書いているのを見つけた。完全に忘れていたのだが時期的にソニーの戒能さんだと思う。私は学生時代に聴き込んだCDばかりを聴いているが今さらながら挑戦してみよう。
2007年にはイタリアのプログレバンドのCDを予備知識もなく買ったら私の好みで今もよく聴いている。ちょうどツイッターで最近フォローしている「プログレの種[プログレおすすめ紹介]」さんのツイートでも見たタイミング。アマゾンのポイントアップキャンペーンで15日に注文した。
今日1972年の4作目「オクトパス」と別便で1975年の7作目「フリー・ハンド」が到着。早速PCに取り込みウォークマンにコピーして聴いた。なるほどキーボードとコーラスと具象音と変拍子。ピンク・フロイド初期の厭世観も漂いつつハードロックでもある。まさにプログレ。やや古くさいが。
さらに戦時下ウクライナの首都キーウにボノが行ったというニュースを先週見てU2「THE JOSHUA TREE」も買った。U2には1990年代から興味があったが何を買えばいいのか分からず1枚も持っていなかった。このアルバムは知っているヒット曲も多い。しばらく聴き込もう。
沖縄には1990年代に4回行ったと書いたがJ社の社員旅行の1回目は1989年の秋だった。調べるとニシノの結婚式が1989年2月12日だから1980年代に3回と1990年代に2回が正しかった。そのニシノの結婚式のA4で8ページのプログラムが手元にある。この年4月から毎日新聞に勤務するから新聞風。
出席者は103人で沖縄では少ない方だと言っていたような気がする。沖縄に行くため前日徳島空港に行くと郵便局勤務の高校の同級生がいた。赤ちゃんを抱いた奥様は市高オーケストラ部出身で面識があった。私はギリギリに着いたが彼らは飛行機に乗り慣れてなくてずいぶん早く来たと言っていた。
沖縄では当時は三洋証券勤務で高崎にいたT田と一緒に行動。前夜に徳島組の友人と新郎新婦と国際通りで食事をした。名簿にはブラタモリに出た先輩の岩成さんの名前もあるが記憶がない。披露宴ではニシノがドリフターズの髭ダンスを子どもらと踊ってパイを顔にぶつけられたのではなかったか。
カチャーシーと阿波踊りをニシノは率先して踊っていたと思う。宴が終わると2人は何十本という空き缶を後部に付けたオープンカーに乗ってホテル前から那覇の街に行った。日産勤務の友人が先行する車からビデオを撮っていた。沖縄では一般的なのかと尋ねたら誰もしないと聞き笑ったのだった。
先週は月水金と3回も呑口でラーメン肉小と餃子。昨日は近所の地ビール屋でイベントをやっていて東京から帰宅後に歩いて行っている妻と呑口の帰りにすれ違った。私にもY田君から来ないかとお誘い。1Q委員たちが飲んでいるらしい。とりあえずシャワーに行って20時。もう遅いからと家にいた。
と22時頃にN野氏がやってきてビールを飲んでいた皆が次々と。T中氏と初めて来たK井氏に遅れてY田君。K井氏の女性消防団員でもある姉上は私と同じ住宅に部屋がある。その部屋と事務所仕様の101号室との違いを説明したり。私はビール4本2Lを飲んで午前2時に解散。今日は何とか平常でいる。
今日18時からは消防点検。前分団長H木氏に昨夜一緒に飲んでいたN野氏とK井氏がいて同じくY田君が軽快なエンジン音を響かせながらZX-25Rで登場。N野副分団長が待機してH木氏が中央に行ってY田君がバイクで鹿子山。K井氏を乗せ私が運転して日浦。帰りにT中分団長の車と父上の車とすれ違い。
さて新型コロナウィルスへの警戒は緩みGWは自粛要請もなかった。だからなのか感染者数が香川と高知で相次いで過去最高で徳島が前週比2倍強とか。上勝も2人の感染者が出たせいか消防団での飲食禁止という指示があって今日は点検だけで解散。前夜は2時まで飲み食いしていたというのに。
明日で沖縄の本土復帰50年。金曜のNHKローカルニュースによると徳島文理大学は本土の大学で最も多くの沖縄出身者が在席しているとか。大学の初代理事長が旧日本軍の元兵士で戦時の沖縄の犠牲に報いるため生活向上には教育が欠かせないと米国統治下の頃から積極的に受け入れてきたという。
10年前に石井での演奏会で会った三線を演奏する若者も徳島文理大学薬学部の学生だったか。彼の母上が徳島出身で祖父母がいるから徳島に進学したのだと思っていたが文理大学は沖縄出身者にとって先輩が多いという別の意味もあったと今になって知った。
私が初めて沖縄に行ったのは1987年3月。車が右側通行から左側通行に変わったニュースを観たのは復帰から6年後の1978年年7月30日だったそうだ。私が沖縄に行ったのはそれから15年と書いたが9年後だった。35年前はインフラ整備がまだ途上でニシノと行った定食屋の前の道は未舗装だった。
沖縄を南北に貫く国道58号線を走る車の中にはボンネットが錆びて穴が空いているものが多かったことも印象深い。沖縄本島にはその後1990年代に4回行った。J社の先輩で松浦酒造の社長を辞めた喜屋武さんや今は薬局チェーンを経営する元部下の旧姓H田嬢がいるからまた会いに行きたい。
3ヶ月ほど前だがYouTubeで岩手県立不来方高校音楽部が演奏する混声合唱「群青」を聴いた。東日本大震災で被災した福島県南相馬市立小高中学校の生徒の言葉を歌詞に先生が作曲し信長貴富氏が編曲した曲。私は3年前の「響」の定期演奏会で涙を流しながら歌った。今も思い出すだけで泣ける。
11年前の京都で音楽を聴いて無意識に涙が流れるという経験をしたがそのときの不来方高校がこの曲を歌っている。このYouTubeの概要欄にCDの情報がある。「あの日を忘れない~東日本大震災復興支援2021」。18曲中7曲を私も「響」で歌った。ほかに4曲は流行歌の合唱曲だ。これは聴きたい。
でもOB会が作ったらしい注文フォームは閉鎖され学校に問い合わせるしかない。逡巡して3ヶ月。意を決して5月2日に電話すると担当教師が離席していると。6日に再度電話をして折り返し18時半頃に顧問の女性教師から電話をいただいた。丁寧に対応してくれて今日CDが届いた。送料込み2,180円。
代金は北日本銀行の口座に今日郵便局から振り込んだ。早速聴いたがやっぱり泣ける。今まで歌った「こころようたえ」も「くちびるに歌を」も。初めて聴く曲でも泣ける。演奏は上手いが何に感動するのだろう。技巧も緊張もない真っ直ぐさか。小学生の下手でも素直な懸命さに感動するような。
この日記をiPhoneで更新するためFTPアプリを入れて折りたたみキーボードも復活させたのだがYouTubeを見ているとメモアプリで音声入力ができるとか。試してみると音声認識はほぼ完璧。A社のボスK氏から教えられて10年近く前から入れていた音声認識Mailでもほぼ完璧に認識してくれる。
普段と違う小さなキーボードで入力するより早いかも知れない。ただし頭の中で文章ができ上がっているわけではないから部品として文を入力しておき編集でキーボードを使うのが現実的か。範囲指定などはiPhoneの小さな画面を指でタップするより楽だと思う。ともかく技術の進歩に驚いた次第。
さてYouTubeでは iPhoneのリマインダーの便利機能という動画も見た。私は3年前からWindowsの付箋ツールとiPhoneのマイクロソフトOneNoteを同期させてメモとして使っている。例えば歯医者に行くなら日本酒を買って銀行で記帳もするといった行動順序を備忘録としてメモしている。
ただWindows画面の常時表示が風景になってしまい忘れる不安もある。そこでリマインダー。時間指定はもちろん車に乗ったとき降りたときも設定できる。PCとも同期できるがiCloudにいちいちログインするのが面倒。数ヶ月先の予定を登録してOneNoteと併用しながら使っていこうと思う。
iPhone SEでBluetoothキーボード (5月11日・水)
iPhone SEでアプリFTPManagerをダウンロードしたもののフリック入力は苦手だと書いた。でもBluetoothで接続するキーボードを持っていたことを思い出した。2013年12月に買ったREUDOのBluetooth折りたたみワイヤレスキーボード。当時の領収書を見ると7,240円だ。
その年の10月に買ったiPhone 5sで使っていた。iPhone SEでもこのキーボードが使えるのではないか。まず単4のエネループ2本を充電するところから。Bluetoothであっさり接続もできた。普段と違う小さなキーボードだからミスタッチを連発するがフリックよりは早く入力できると思う。
さて最近YouTubeでiPhoneの便利な使い方といった動画をよく見る。その中にショートカットの説明があった。何かのアクションや時刻から自動実行する設定ができる。私は画面の向きを固定して使っているがYouTubeを見るときは横長にしたい。ショートカットはそうした用途にも使える。
Bluetoothキーボードから入力するときiPhoneは背面のリングを使って横向きに机に立てることになる。標準アプリのメモで日記のタイトルや罫線など更新する一式の書式を入力できるようにしたからメモは横向きに回転させたい。それでショートカットを使って設定した。おぉ。これは便利だ。
左下4本目の歯に被せていたものが5月2日の午後にアメを噛んでいて割れた。その日の夕食でカレーとサラダを食べていたときさらに割れた。最初に前面が外れただけだったのに続いて左の歯との間もなくなった。残った裏側上部が尖ってしまい歯を突き刺しそうだ。仕方なく爪用のヤスリで削った。
と翌3日の夕食後に残りも外れた。3回にわたって割れて外れて。その後の歯磨きで血が出る。その歯には触れないよう注意して何とか今日。左上の歯の治療で元々予定していた歯医者に行った。まずは郵便局で自動車税を納入したら書式が例年と違い局員さんが後からやって来て確認したり。
歯医者では当初レントゲン写真で歯の奥にある白い影が古い薬だと説明されたが治療具が折れて取り残されたものだったらしい。超音波で振動させて抜こうと55分。うち45分間は口を開けっぱなし。抜けた長さ3mmほどの金属を見せてもらった。もう1本の神経跡は治療しないままだったらしい。
この処置は21年前の白神歯科か。8月には東京で行ったから放置されたのかも知れない。さて今日はさらにカルディでコーヒー豆を買い実家に行って半年ぶりの洗車。水垢落としの薬剤は一部成分が固まっていたが初めて使った。新たに買った手袋型ブラシとホイール用の洗浄剤も初めて使った。
妻が東京にサブノートPC Let's Noteを持って行った。この機会にどこか旅行に行こうと画策したがPCがないとこの日記を更新できない。それならiPhoneからやってみようと久しぶりにFTP Client Proを起動してみた。過去のダウンロードファイルが残っていて最後に使ったのは2016年10月だった。
この日記サイトを使って日曜に試してみた。FTP接続はできるしダウンロードもできたが当初アップロードができない。これはエンコードをUTF-8にして解決。ところがコメント行が表示される。ダウンロードしたファイルをエディタで見ると2つのハイフォン--を1本と解釈している。こりゃダメだ。
ネットの評価は悪くはないが古いものばかり。改めて私のiPhoneの履歴を見ると最も古いデータは2013年2月。App Storeで確認するとVer.3.2.1は最新ではある。でも最近評判のFTPManagerというアプリをダウンロード。操作はこちらが圧倒的に簡単だ。でもコメント行の不具合は変わらず。
つまりデータ自体が悪かった様子。FTPManagerのエディタで--を入力してPCでコメント全行にコピーして当初のアプリでアップロード。でも緑の画面で滅茶苦茶。原因究明は止めてFTP Client Proはアプリ自体削除。FTPManagerを使うことにする。フリック入力は苦手だが更新手段は確保できた。
K山氏にもらったBluetoothスピーカーでiPhone 7からradikoを使ってラジオNIKKEI「RaNi Music」を聴いていたのだが先日スピーカーの電源が入らなくなった。どうもバッテリ切れらしい。充電用のUSBケーブルをモニターのコネクタに繋いでいたのだが電源が供給されていなかったようだ。
そう言えば前にも同じようなことがあった。考えてみればモニターにPCからUSBデータは供給されていないから使えないのは分かる。ただ電源の供給だけなら可能ではないかと思い込んでいた。では改めて繋いでみようと見てみるとモニターのUSB供給口は大きいタイプ。そんなケーブルあったっけ。
MD-C93B-Kとラベルが貼られたUSBケーブルを見つけたから検索するとまさにナナオのモニターFlexScan用のものらしい。そもそもモニターに付属していたのか。このモニターを7年前に買ってから全く使っていなかった。改めてPCから繋いでスピーカーにはモニターのUSBから電源を供給。
これでPC背面のUSBコネクタは全て埋まってしまった。USBハブが2つあって6口が埋まっていて2口が空いている。モニターに1口あるから余裕はあるか。さてRaNi Musicは休日に配信していないらしい。番組は競馬中継など。いつも通りPCの前にいるのにラジオの休止で休日を知るのであった。
義母が怪我をしたとかで妻が明日の仕事を終えて月曜から東京に行くと言う。東京オフィスには2019年秋に買い換えたPCがあるがネット回線を2020年秋に解約しているから使えない。今回は1週間程度の予定らしいが以前のように頻繁に東京に行くようになると回線がいる。改めて調べてみた。
まずは1年前に調べていた従量制課金の固定ネット回線サービスBB.excite光Fitに問い合わせた。初期の工事費の有無と開通までの最短期間など。午後メールフォームから送ったら22分後に回答があったのだが申込後の調査をしないと何とも言えないというもので何も分からず。
休止できるサービスがあればいいのにと思って調べるとjcomで見つけた。でも月額が高いしそもそもサービルエリア外。ほかにもあったが再開後1年間は解約できないなど使い勝手が悪い。結局従量制のBB.exciteがよさそう。でも開設まで通常10日程度というから今回の1週間程度では間に合わない。
今回はモバイルWi-Fiルーターをレンタルしたと言うが1日の限度額があるとのことで溜まりに溜まったWindows Updateのダウンロードには使えなさそう。サブノートPCを持って行くというので充電とアップデート諸々。ログインパスワードなどが分からず右往左往しながら何とか準備したところ。
フィットを車検から引き取るため国道11号を走っているとき川内でホンダNSXと併走した。初代の赤。J社の浮川社長が乗っていたものと同じだ。日経新聞3月の「私の履歴書」で社長は姫路のサラリーマン時代は赤いシビックに乗っていて徳島で営業を始めたとき白に乗り換えたと書いていた。
そのシビックを私は見たことがない。「私の履歴書」ではホンダが好きだと書いていたが私が入社した1988年の社長の愛車はマツダRX-7だったと思う。確かグレーか黒。その後すぐ赤の日産フェアレディZに乗り換えた。私たちのジムカーナに何度か来てZで走っていたことはよく覚えている。
そのZを社長は格安で社員に譲った。その条件はなぜZに乗りたいのか作文を提出することだった。何人が応募したか知らないが譲られたのは私の高校の同級生でビデオ撮影が専門だったM本氏。私にもZ愛を熱く語っていたからよく覚えている。社長がZを譲って次に買ったのが赤いNSXだった。
社員通用口に駐めていたNSXを見た社員が「どうせ会社の金で買ったのだろう」と言っていたとプロ推I内さんから聞かされた社長が怒っていた。自分で買ったのにと。私はI内さんも余計なこと言わなきゃいいのにと思った。Wikipediaによると最低800万円。時代の憧れのスーパーカーだった。
今さらながらLINEに登録したのだがiPhoneの画面には+メッセージというアプリもある。iPhone SEに替えたときドコモ関係のアプリをいろいろダウンロードしたうちの一つだと思う。よく分かっていなかったのだが試しに消防団の連絡で使ってみると返信が来たからSMSの拡張版だと思っていた。
先日たまたま+メッセージとLINEの違いを解説した動画を見た。それによると+メッセージは携帯電話の大手キャリア3社のユーザーが使える電場番号ベースのメッセージアプリだとか。SMSと違い送受信に料金が掛からないらしい。楽天モバイルや格安SIMのユーザーは使えないのだとか。
携帯3社内だけのネットワークだからセキュリティが高いということだが積極的に利用する理由はほかにあるのだろうか。結局私のiPhoneの画面にはFacebookメッセンジャーとLINEと+メッセージとSMSの4つのアイコンが並んだ。北九州の薬剤師W君のようにツイッターのDMで連絡してくる人もいる。
仕事ではマイクロソフトTeamsを使うこともあるし連絡手段としてメールも電話もある。フリック入力には慣れないからPCからキーボードで文字が打てるメールかFacebookメッセンジャーかLINEが私の場合は使い勝手がいいかも知れない。相手に依存するのだが。面倒なことではある。
メッセージサービス「LINE」は韓国資本であって普及当初セキュリティが不安視されていて私は敬遠していた。昨年ソフトバンク系のYahooを経営するZホールディングスと経営統合してからもデータを韓国で保管していたと問題になった。でも私は営業秘密をやり取りするわけではない。
既に社会の情報基盤になった感もあり登録してもいいかとはここ数年思っていた。でもFacebookメッセンジャーや携帯電話のSMSで事足りている。それが上勝町が防災無線での町内放送をLINEでも提供し始めて興味を持った。3月の火事で羽ノ浦にいたF澤君が来たのもLINEで見たからだと聞いた。
先日の消防分団役員会でもLINEで登録しておくようにとのお達し。それが契機となりLINEアプリをダウンロードして初めて登録した。年齢確認でドコモのIDを入れるところで1回躓いたが後は順調。役員会の内容を2日後に伝えた地元のN蔭君と兵庫にいる小学校の同級生K井氏から速攻でメッセージ。
上勝町公式は役場Webで検索して広報誌の裏表紙のQRコードから登録。さらにPCブラウザChrome拡張機能でも登録したがブラウザのタブで見たかったのに独立したアプリだ。ではWindows版アプリはどんなものかとダウンロード。最後にiPhoneのアプリの並びをあれやこれや。あぁややこしい。
電波新聞の大橋太郎氏は伊豆の合宿でも一緒だったと思い出し当時の出張報告書を調べてみた。1990年12月7日。金曜。伊豆高原のルネッサ赤沢という施設。ACCSの幹事会と当時顧問だった森本紘章弁護士による「パッケージ使用許諾契約について」という講演があった。その風景は覚えている。
ただし講演は口実で本当の目的は夜の宴会。10人以上いたはずだが覚えているのは今の専務理事で私のボスK氏のほか大阪のMACハミングバードソフトの今西寛社長と事務局長だったASP鵜澤社長と事務局で経理を担当していた40歳ぐらいの女性。私は入社3年目。20歳代は私だけで最年少だった。
このとき事務局の女性が飲み過ぎて倒れた。何人かが彼女を2階に運んでいるとき私は飲み続けていて今西社長から君が一番若いんだから手伝えと怒られて飛んでいった記憶が残る。翌日は海岸を歩いて海沿いで海鮮料理を食べた。味噌汁の伊勢エビのミソを食わないのかとK氏に取られたことも。
私は学生時代の革ジャンを着ていて今西社長にええ感じに色落ちしてると言われたのも翌朝の海岸だった。ソフトバンクPC-WEEKの武本氏と飲みながら広報について教えてもらったのは3日前。小便をしながらメモした内容も出張報告書に残っていた。この週は火曜9時半から土曜まで東京にいたらしい。
先日の消防分団役員会で消防水利の場所を地図にして皆で見られるようにしたらどうかと提案をした。元はF澤君の提案だったが私も消防団に入った当初に地図がないことに戸惑った記憶がある。水利の草刈りを毎年12年やって少しは分かってきたものの場所を言われて全てが分かる自信はない。
先日の役員会で思い出して口にしたらN野副分団長から水利の草刈りのとき写真を撮ろうという提案。そう言えば住宅裏の水利の写真を例として撮っていたのにWi-Fi設定に気を取られて忘れていた。Googleマップで方法があるはずと3月に調べたときは実例を見ただけだったが今日作成方法を発見。
<Google マップのマイマップを使って消火栓と防火水槽の位置をマーキングしてみた>。まさに求める情報だ。これに従って裏の水利を写真とともにマッピング。ただし水利マークをGoogle画像検索から流用すると書いてあったがそれは著作権上よろしくない。それで花子2013で探した。でもない。
改めて住宅裏の水利を見ると白地に赤字で「消防水利」と縦に書いてあるだけ。それで同じものを花子フォトレタッチでGIF画像を作成した。でも地図に置いてみると小さすぎて読めない。結局「水利」だけにして360×662のサイズで作成。とりあえず途中経過。もう少し文字は小さくていいかな。
電波新聞社で通称「ベーマガ」と呼ばれたマイコンBASICマガジン誌の編集長などをしていた大橋太郎氏からメールがあって会社を卒業したという。73歳と。15歳上だったのか。これからは自宅を拠点に電子ホビー入門アドバイザーや日刊電波新聞特任ライターとして活動するのだとか。
Yシャツの袖を黒のアームバンドで留めてネクタイは緩めて無精髭。昔の典型的な新聞記者といった風だったが最近はベーマガの元読者たちとの交流などを行っていた。私とはACCSで知り合ったが設立当初から会合に参加していたと思う。電波新聞社の平山社長には監査役に就いていただいていた。
五反田駅から徒歩1分の電波新聞社ビルで会議室を借りて理事会や総会をよく行ったが全て大橋氏が設定してくれたはず。初期の頃の伊豆合宿でも一緒だったように思う。アニメ映画AKIRAの音楽を担当した芸能山城組の山城祥二氏が大橋氏のおじさんにあたると知って驚いたのは5年も前のこと。
当時J社の主力は一太郎と画像編集ソフト花子。大橋太郎氏の長男の名前が小太郎で次男が小次郎で長女は花子と聞いた。J社が通信ソフト「かたろう」を出したとき次女が生まれ男なら「かたろう」にしたのに女の子だったから桃子にしたと笑っていた。JA1NZH。どこかで会ってこようと思う。
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© 2022 Takashi INAGAKI