2009年7月
現在は大阪府教育委員会の顧問になっている藤原和博氏へのインタビュー番組をたまたまNHK教育テレビで見た。リクルート事件やダイエーによる買収を経て企業人もしくは会社人間から企業内個人へと立場を変えるきっかけについて話をしていた。
1988年のリクルート事件は大スキャンダルだったが私はリクルートという会社が好きだ。後に自ら作った会社を副社長として上場させた友人のT原がリクルートで働いていたし先日飲んだY田の妹もリクルート出身。J社にも出身者が何人もいた。みんな優秀で何より自主性が高い。
人材輩出企業と言われるだけのことはある。当時も書いたがリクルートのサービスを利用したとき社員の対応の秀逸さにいつも敬意を持った。私が接した電話オペレーターの彼女らはマニュアルに頼らず自分の言葉で仕事をしていることが伝わって来て好感を持ったのだった。
藤原氏はリクルートの社員について「自ら機会を創りその機会に合わせ自らを変革する」といった意味のことを言っていた。女性社員がつぶやいた言葉が広まったらしい。これは人生訓でもあるように思う。この言葉はこれから少し意識しておいてみようと思う。
先日セゾン・アメリカン・エキスプレスカードを解約した。このカードはアメリカン・エキスプレスカード(AMEX)から年会費が安かったのでドコモカードとして乗り換えたのだが結局活用ができない上にETC決済用にJCBのホンダカードを作ってしまい手持ちのカードを整理するため手放した。
東京時代はVISAのヨドバシGOLDカードを集中的に使っていて今はJALカードを主にしている。ANAカードもあるしマスターの青山カードまで持っている。ヨドバシGOLDは年会費が無料でポイントカードも兼ねているから解約しないままポイントカードとして使っている。
そもそも最初にクレジットカードを持ったのは就職したばかりの1988年の秋頃だったと思う。DMが来てよく分からないままAMEXを持った。ニクラウスのCM「出かけるときは忘れずに」を覚えていたしカードを持つことが大人の証明みたいな気持ちがあったのだと思う。
そのことを同期のKに話すと質問された。「カードの使い方知っとんか」と。実は知らなかった私。「あんな。レストランに行ったら席でカード渡して会計できるけんな」と言われて「ほな釣りはどうやって受け取るんな」と訊いた私に笑い転げたK。あれは津田にあったKの社宅だった。
上勝町のソフトボール大会に参加した。2週間ほど前に私が住む傍示地区の総代さんと同じ住宅のM氏が訪ねて来られて地区のチームでの出場を依頼された。ほかにも人がいるだろうに他の職場グループや少年野球父兄チームに取られてメンバーが足りないのだとか。
でもソフトボールをやったのは大学時代の1985年か86年が最後。キャッチボールさえ15年ぐらいやった記憶がない。でも人が足りないと言うし常時3人の女性が参加しておくルールで楽しめばいいと言うM氏の言葉を信じてとにかく行くだけ行ってみた。
20時過ぎに始まった試合は守備位置も打順も直前に決まり私は志願して捕手。外野フライは捕れないはずだし女性3人が投手と二塁手と右翼手をやると捕手しかない。ちなみに三塁手はソフトボール歴30年にして私を誘ってくれたM氏。遊撃手は私の同級生でソフト部だったF氏。
私は特に失策はなく小フライも捕った。懸案の打撃は9番で3打数2安打。初回は単打だけで息が上がり2塁に進塁したときは膝が笑った。2度目の単打でも塁上でゼーゼー。3打席目は左飛。三振しなかっただけでヨシとしよう。ともかく汗をかいて走って笑って本当に楽しかった。
エアコンの取り付け工事が終わった。一旦24日(金)に取り付けたのだが動作せず。工事業者がメーカーに問い合わせると電子基盤の不具合だろうとのこと。初期不良で交換となった。もし暑い日だったら怒りモードになるところだが実はさほど暑くない日が続いていてすんなり了解した。
実際この夏で室温が30度を超えたのはここまで7月14日のほかは1日だけ。それも30.1度。でも湿度は高い。雨が続いているし上勝の天気予報を見ていると74%〜94%あたり。室内は68%〜78%。同じ住宅の人たちと話をすると湿度の高さでカビが生えたという話をいくつも聞いた。
そして我が事務所でも。本棚に入れてあったフィルムカメラの布製ケースにカビ。今は使っていないがかつての愛用品であってショック大。それに本棚の横に置いてあった出張用バッグも。その上にウェストバッグを置いていて毎日見ていたのに白いものをホコリだと思い込んでいた。
そういうわけで今のところ冷房は全く不要だがこの部屋にいるなら除湿機能は必須というのが改めての結論。早速に除湿運転中。このエアコンはいわゆるエコ家電だし除湿だけなら電気代も安く済むだろうと期待しつつ。ともかくベトベトから解放されて快適なのである。
現場の判断が一番正しいとJ社の当時の社長から直接言われたことがある。秋田町でBGMにビートルズがかかるバーの右奥のテーブルだった。後に常務になるN氏もいた。主力商品のワープロソフトについてβ版をメディアに提供するよう直訴したときだ。多分1992年秋。
β版とは開発途中で不具合も残っている未完成版のこと。当時パソコン誌は記事を書いてから発売まで1月ほどかかっていた。雑誌発行を商品発売前にしようとすると2月前に商品を手に入れないと記事が書けない。一方で我々にとっても商品発売前に記事になれば好都合だ。
ところが当時のJ社には発売日を優先させるあまり未完成版を商品として発売してしまい袋叩きに遭ったトラウマがあった。それが原因で特に開発部門のトップだった専務はβ版の提供に反対していた。私は会議でβ版提供を再三要請したが専務は認めてくれなかった。
でもメディアは悪い記事を書かないという自信が私にはあった。それで社長らと飲みに行ったときに広報部門の仲間と直訴した。そのとき言われたのが「メディアのことを一番分かってるのは広報やもんな」といったこと。専務は社長が説得してくれた。社長の信頼がうれしかった。
※あのバーは「ロンドン」といった(2023年11月30日追記)。
25日(土)は上勝の夏祭があり行ってきた。朝から雨が降っていたのだが祭が始まる頃にはほとんど止んでいた。私が出かけた20時頃は小雨が降っていて傘を持って行ったが会場に着くとほどなく止んだ。ただ土の会場はぬかるんで歩くときは足下ばかり見る羽目に。
もしかすると徳島で参加した夏祭は初めてかも知れない。子供の頃の祭と言えば秋祭だった。私が行っていたのは撫養町黒崎にある神社の祭。夏は阿波踊り。就職して徳島市に住んでいたときも夏と言えば阿波踊り以外の祭はなかったように思う。
東京では一度だけ夏祭に行ったことがある。世田谷のボロ市通であったと思う。でも当時も書いているがホタル祭だというので入場してみたら真っ暗にしたテントの中にホタルを入れたカゴが置かれているだけだった。東京ではそんなものなのだ。
さて今回の上勝夏祭。たこ焼きやポテトを食べながらビールを飲んで。ほどなく地元のY氏と合流し出店のパイプ椅子を借りて腰を下ろして。最後の花火は打ち上げ地点まで50mの超至近。見上げた首が痛くなった。帰宅後は近所の人たちに声を掛けて2次会。2時半頃まで。
仕事の神様は小さなことに宿ると私は信じている。どれだけ大規模な仕事に関わろうと成功するか失敗するかは極めて極めて小さなことに左右されることを経験してきたから。だから仕事は小さなことを一つ一つ丁寧に積み上げるものだと肝に銘じている。
その意味で現場が一番正しいとも思う。仕事の成否を左右する最も小さなことに関わって状況をすべて理解しているのが現場だから。もちろん担当社員は必死に考え自ら動き小さなことを積み重ねる努力をすべきではある。そうでないと仕事の神様は下りてこない。
最近そのことを改めて思った。経営者が誇れるのは過去の実績についてであって今起こっていることを正しく判断できるかどうかは全く別の問題であると。もちろん現場を知っている時代に実績を残した経営者は能力があり勘が働くことはあるかも知れない。
でも今は現場にいない。現場の状況を理解できていないのに正しく判断できるわけがない。だから担当社員は経営者の発言を鵜呑みにしないことだ。現場の仕事に関しては自分より経営者が間違っていることの方が実際には多いと思う。常に現場が一番正しいと改めて思う。
7月20日(月・祝)の午前中に上ったのは山犬嶽という山。妻が写真付で書いているが私の自宅から樫原の棚田を抜けて車で25分で登り口。撮影に行ったセノーさんに誘っていただき上勝の歌姫Aちゃんと妻と4人。付近で最も標高の高いKさん宅に車を置かせてもらったのが9時。
山犬嶽の説明書きには1660年に付近の住民が雨乞いを行ったものの雨が降らず厩肥を打ち棄てたところ7日7晩雨が降り続き山頂が崩落したとある。山の斜面のあちこちに崩落した巨石が残り木々に覆われた地表は苔に覆われ幻想的だ。
とは言え山なのでまずは斜面を上る。息が上がり暑い。途中で山の斜面にせり出した巨石の上で休憩。谷で白い雲が生まれ山に沿って上ってくるのがすぐ近くに見える。この景色だけで幻想的。さらに歩いて苔の谷。空気温が変わる瞬間を感じて幻惑的。しばらくいると寒いほど。
雨が降り始めのは木々に当たる音で分かったが車に戻るまで雨粒にはほとんど当たらなかった。不思議な場所だ。植林された杉林も変わった景色だった。今回は雨が降ってきて引き返したから夏の間にもう一度行ってみたいと思う。上勝の中で一番好きな場所になりそうだ。
日本では46年ぶりという皆既日食が今日の11時前後にあった。鹿児島県トカラ列島の悪石島では皆既が6分超だが天気が悪かったらしい。四国では部分日食だがやっぱり見てみたい。そこで前に書いたように四国の観測地点として理想的な高知県南西端の足摺岬に行こうとした。
でも上勝からだと6時間以上かかる。そこで21日に高知市の南西隣の土佐市まで行き前泊した。行きは阿南から195号線。11:30頃出て鷲敷でおにぎりを食べたがこの日は雨。しかも旧・木頭村の道路工事で30分待ち。イライラして車中で喧嘩しながら17時過ぎに土佐市着。
でも雨。天気予報では22日は曇のち晴。その中でも午後の降水確率が低い愛媛に取って返そうと思っていたら翌朝の予報では雨のち曇に後退。降水確率は香川の方が低くなった。足摺は最後まで雨が残ると判断。ネットでも調べて高知市部より香川東部が早く雲が抜けると見た。
そこで7:55に出発し2時間かけて香川県東部の津田の松原SA。そして10:15には雲の合間から三日月のような白い太陽をサングラスで確認。雲越しでは光が弱く日食グラスでは見えない。でも最大に欠ける11時過ぎからは雲越しでも日食グラスでもほぼずっと観測できたのだった。
7月22日11:10、
雲越しに肉眼で見えた日食の太陽。
7月22日11:15、
日食グラスで見た太陽。
※土佐市で宿泊したのは記憶によると共同トイレだったはずで国民宿舎土佐(2017年閉館)だと思われる。(2020年10月14日追記)
私が住んでいる徳島の上勝には乳酸発酵させる独特の製法で作られるお茶がある。阿波晩茶。番茶ではなく晩茶。山を隔てた南隣の旧・相生町(現・那賀町相生)と上勝町だけで作られているらしい。上勝でお茶と言えばこの阿波晩茶のことである。
販売用はもちろん自家消費だけに作る家庭もあるらしい。発酵させるので茶摘みから製品になるまで1ヶ月。茶摘みは今の季節。暑い盛りで大変だと聞くが何事も経験である。妻が近所のHさんに体験させて欲しいと依頼していたらしい。そして今日その茶摘みに行ってきた。
今日は昼前から雨。カッパを着て13時に自宅に行ったら既に作業を始めたらしく軽トラで迎えに来てもらい現場についてお茶摘みの開始。カゴを腰に下げ茶葉を片っ端からもいで入れる。でも蜘蛛の巣もあるし痛んだ葉もある。それらを選り分けながら。典型的な人海戦術である。
雨でメガネが曇り難儀したが雨は15時前に止み15時に一旦休憩し再び雨が降り出した18時前まで。でも皆さんの作業は朝7時から18時らしい。雨も辛いが炎天下はもっと辛いと思う。その作業が10日から2週間も続くとか。さて午前中は別のところで山登り。今日はもうクタクタ。
私が住んでいる上勝町の傍示(ほうじ)という地区にある一種の町興し活動「傍示1Q(いっきゅう)運動会」主催の草刈りがあった。先週の棚田の草刈り前に買っていた鎌を持ち長袖シャツと軍手に帽子とタオルで武装し隣の公民館に朝8時集合。
曇り空だが湿度が高くて暑い。長袖に軍手を嵌めると立っているだけで汗が出る。25人が3グループに分かれ私は妻と山の斜面に挑んだが数十分で気分が悪くなった。湿度のせいだ。水を飲み用意してくれていたお茶を飲み休憩して何とか復活。体力のなさが露呈した。
休憩後の後半は落石防止フェンスに絡まった草を鎌で切りながら外していった。これは意外に楽しい。作業を終えた他のグループの方も合流して最後はスピードアップ。最初は草刈り機2台だったが最後は3台で。作業を終えてみんなで路上に座って差し入れのビールを飲んだ。
シャワーを浴びて昼食は前から気になっていた隣町の裏街道にあるラーメン屋。肉入りを注文したら量の多さに食べきれず再び汗だくになった。午後は自宅でクーラーに涼みながら昼寝。今日の最高室温は28.6度。高くはないが夜になっても下がらない。湿度76%で汗が止まらず。
※食べに行ったラーメンは「美渓」である。(2020年10月14日追記)
結局エアコンを注文した。今ならエコポイント9,000点が政府から還元される。どうせ買うなら今だろうと思い。そもそも暑い。そこでまず昨日書いた通り除湿機能と省エネ性能から候補を日立・ダイキン・Panasonicの計5機種に絞り各10畳用・12畳用・14畳用の価格をチェックした。
調べたのはヨドバシとベスト電器店頭と家電量販店のチラシさらにアマゾンそして価格.com。まずベスト電器は候補機種が少なく価格が高い。価格.comで調べると見た目は安いが設置工事は自分で手配しないといけなかったり実際には在庫がなかったり実は価格が高かったり。
その中で設置工事も手配してくれる会社に注文をしたのだが工事費2.1万円に加え入荷が1週間後というので取り止めた。工事まで10日は耐えられない。最後にアマゾンとヨドバシを比べて工事費まで含めてポイント還元分を見込むと若干安かったので結局ヨドバシで注文した。
12畳用と同価格で10畳用とも大差なかった日立の14畳用。178,000円と工事費100円。手持ちのポイント分を差し引くと支払額は価格.comの店よりも安くなったし今回のポイントは18%。それでも高いが最近は暑くて日中仕事にならないので仕方ない。ただし工事はまだ先だったりする。
自宅の寝室にあるエアコンは東京で2年半前に妻の仕事部屋用に買ったものだ。ヨドバシ新宿西口店の店頭で一番安いものを選んだ。工事費込み37,000円。このときは機能も調べず店頭で即決したが今回はカタログでじっくり調べている。何せ30畳超の部屋。値段が高いのだ。
テレビCMでも見るが昨今の流行は自動クリーニング機能であるらしい。確かにフィルターの掃除は忘れがちでカビや能力低下の原因になる。でも私が重視しているのは除湿機能。暖房はファンヒーターがあるから不要だし多機能は求めないが上勝は冬でも湿度が高いので。
除湿機能で絞り込むと候補は日立とダイキンとパナソニック。最近のエアコンには廃熱を利用して温度を下げずに除湿する再熱除湿という機能がある。冬の除湿には有効かも知れない。急激に湿度を下げカビを防ぐと謳う機能は日立とダイキンにある。
その中でも除湿機能が最も充実しているのは日立。でも値段が高い。価格.comの最安値店から買えば安いが工事は別途手配が必要だ。一方でダイキンとパナソニックの安くなった旧型処分品をベスト電器で見つけた。そんなわけで悩む悩む。
事務所にあるカラーレーザー複合機はエプソン製だ。会社設立後の2007年2月から使っている。ところが最近調子が悪い。カラー印刷したら用紙の中央に白いラインが入るようになった。でも2年半も経ったし不具合が出るのは仕方ない。不本意ながら保守契約を結ぶことにした。
まずは1月にもらっていた見積書の保守窓口に電話をしたら新しい見積書がFAXで届いた。なぜか1,000円高い。それはともかく次に何をすればいいのか分からない。5日経っても電話は来ない。仕方がないのでFAXカバーに書かれていた番号に電話をした。
ところが今は使われていないというアナウンスが流れる。見積をFAXしてフォローしないのも凄い営業だが使われていない番号をFAXカバーに書いているセンスも凄い。さすが他に選択肢がない保守ビジネスだ。エプソン販売高松支店の営業は効率が高いに違いない。
仕方がないので保守窓口に電話をして5分待たされ事情を話し改めて高松から電話をもらった。1,000円高いのは前の見積が間違っていたらしい。電話番号間違いもクレームとして伝えたが営業マンの屈託のなさに笑ってしまった私。それにしても他に選択はないものだろうか。
2度目の賢見神社に行った。友人のM嬢が行きたいと妻に言っていたらしくY/M夫妻と私たち。10時過ぎにY氏運転の車で徳島市内を出て11:30に祖谷そばを食し神社に着いたのは12:30前頃。今回もお祓いを受けた。もちろんY/M夫妻には何も起こらなかった。
帰りに新浜のマルナカで買い物。私はベスト電器のエアコン売り場。昨日からカタログを子細に見て現物の価格をチェックして。明日の上勝は雨模様だから決断は先延ばしにできるかも。妻は火曜に会った上勝の人たちにエアコンがないことに驚かれていたらしい。やっぱり要るのか?
マルナカからそのまま夕食を食べに行った。と言っても店を知らない。でも新浜ということで唯一思い出したのがスピナッチ。J社時代は年に何度か夕食を食べに行っていたような気がする。デートにはうってつけのお店だったように思う。今日はハンバーグを食べた。
さてY/M家で話をしていたときダイエットの話になった。私は太りすぎてジーンズのボタンが留められないことも話をした。その後のマルナカでトイレに行った後ボタンを留めなかったからだろうファスナーが壊れていることに気がついた。本格的にダイエットを考えないといけないのかも。
事務所の温度計によると最高室温が毎日更新されている。12日(日)は草刈りから戻った14時半頃に28.6度だったが13日(月)は29.7度まで上がった。そして今日14日(火)の最高室温は14時過ぎに31.0度。徳島市内の最高気温は34度だったようだから3度も低いがそれでも暑い。
一方で自宅は閉め切っているのに日中の部屋はひんやりしている。6月下旬から使っている除湿器のせいで湿度が低いからだろうか。除湿器は室温を上げるはずなのになぜだろう。それで昨夜から事務所で除湿器をかけ今日は思い切って窓を開けずに過ごしてみた。
事務所はPC2台とカラーレーザー複合機に外付HDD3台が常に熱を発している。料理もする。除湿器の熱もあるはず。ところが31度まで上がったものの窓を閉め切っていても外気より若干低かったと思う。あるいは外よりもマシだと思ったのは湿度が低かったからかも知れない。
だからといって真夏にエアコンなしの部屋を閉め切っているのも変な感じ。今日は17時を回って外気温が下がり始めたので窓を開けた。20時で28.2度。21時に27.4度。さてエアコン。今から買っても実稼働は1月半か。まだ様子見。ちょっと痩せ我慢状態。
太陽を見るため専用のフィルターを買った。今月22日の皆既日食を見るためだ。と言っても日本で皆既日食が見られるのは九州南方の島々だけで徳島では部分日食。それでも80%以上が隠れるらしい。これは見ないわけにはいかないだろう。
ところが太陽は直接見ることができない。小学校の頃に黒い下敷きのようなもので見た記憶があるが危険があるらしい。眩しさを防げても紫外線は透過するから。ではUVカット100%のサングラスをかければいいかというと今度は赤外線の害があるらしい。
国立天文台や世界天文年2009日本委員会のページを見ると「網膜障害や視力を失う危険性」があると書いてある。そこで買ったのが1個210円の日食グラス。紫外線と赤外線を100%カットし可視光線を99%カットする。屋内の白熱灯や蛍光灯は全く見えないほど光の透過率は低い。
これで準備はできたが問題は当日の天気。曇りや雨では日食は観測できない。特に上勝は山にあり雲がかかりやすいと推測。そこで 日本気象協会のサイトを参考に過去の晴天率が高く最大日食も大きいところに行こうかなと考えている。四国では足摺岬あたりがベストかと。
地元探検と棚田の草刈り(週末のイベント) (7月12日・日)
先週金曜は夕方連絡をいただき地元のKちゃんが夜に来訪。激論することもなく妻と3人で飲んでいたら日が変わった頃にH君がビールを持って襲来。週初めにも来てもらったが家で飲んでいたのに出てきたらしい。いやお願いしていた書類を持ってきてくれたのだ。
3時半まで飲んで土曜は昼まで寝てしまった。午後遅くになり前から気になっていた隣町のうどん屋に行き買い物をしてから地元探検へ。途中ですれ違った軽トラはI氏。鹿狩りに行っていた様子。続いてN氏とT氏が運転する軽トラ2台とすれ違った。
そして向かったのが地図にない道。徳島から自転車で2時間半かけてやってくる大学生のSちゃんから聞いた道。よく分かっていなかったのだが西から東へ抜けられた。ただし凄い轍のダートで2度と通りたくないと思った。峠を抜けてから金曜に飲んだKちゃんの家も見つけた。
日曜は我が事務所に集合して棚田の草刈り。大人9人と子供2人。それぞれ田靴や長靴を履き鎌を持って。虫は少なかったが晴天で暑かった。2時間かけて作業が終わって農家さん宅でスイカをいただき休憩小屋でおにぎりを食べ解散したのは15時過ぎ。夕方から「響」の練習。
マイクロソフトの次期OS「Windows7」の日本での発売日が10月22日と正式に発表された。現行のWindows Vistaの発売から3年弱。Vistaの不評と販売不振を受けてのことだろうOSの主役交代は予想外の短さで慌てて開発した印象はぬぐえない。
マイクロソフトはVistaの反省を生かしたと盛んにPRをしているがVistaユーザーである私としては不愉快である。販売不振だとすれば発売当時も書いたが結局のところマイクロソフトがVista発売にあたりイメージ戦略に頼りすぎ現実的で地道な作業を怠ったことが原因だと思う。
それよりWindows XPで不自由ないのだからVistaに変えるのはマニアだけで一般ユーザーがリスクを負ってバージョンアップする理由はない。それなのに販売計画が過去のバージョンアップと同様の無理なものだっただけではないのか。
今回のOS問題は机上でしか考えないコンサルタント上がりの社員ばかりになったと言われる日本法人の問題だと思ったらそれだけでもないようだ。今やるべきことは本来VistaのPRを継続し周辺機器メーカーに対応を依頼して回るべきなのに。ただ目先を変えただけに見える。
今日も雨が降った。最近2日に1度は雨。梅雨らしい天気である。今まで梅雨が嫌いだった私だが上勝に住んで飲み水のことを考えるようになってから雨を歓迎するようになった。上勝の水事情をよくは知らないが降るときに降らないと夏は大変になるかも知れないので。
全国ニュースでは吉野川上流の早明浦ダムの貯水率が下がったとよく報道される。徳島県の平野部はほとんどが吉野川流域で徳島市は吉野川の三角州にある。だから吉野川上流が渇水すると徳島は水不足のような印象を持たれがちだ。でも実際に水不足になるのは香川県。
最近10年間のことは知らないが徳島にはあまり影響がないような印象がある。そして私が住んでいるのは吉野川とは全く別水系の勝浦川沿い。近所のダム湖も水位が下がっているが私の自宅の水道水は勝浦川に流れ込む小さな沢が源らしくダムの貯水量は直接関係ない様子。
東京時代は水道水の元を考えたことがなかったが上勝では車で15分ほどで水源に行くことができる。東京では天災や事故で水道が使えなければペットボトルを買うより手段がないが上勝ではどうにかなる。それは大きな安心感。それもこれも雨が降ってこそ。
昔は今ほど暑くはなかった。私が高校まで過ごした徳島県鳴門市にある実家でクーラーを最初に付けたのは私が小学校6年の頃で2階の私の勉強部屋だったがそれまでクーラーがなくて不便だった記憶はない。北と南と西に隣家があったが窓を開け放てば風が通り涼しかった。
夏に30度を超える日はあったが31度かせいぜい32度までだったと思う。「今日は暑かったと思たら30度超えとったんやって」という会話をよく聞いた。最高気温が30度少しだったからクーラーがなくても過ごせたのだと思う。ところが今や東京では最高気温34度や35度が当たり前である。
しかも私たちは百葉箱の中でいるわけではない。気象庁発表の最高気温が35度なら私たちが歩く道路は40度を超えているはずだ。さらに車やエアコンの廃熱とアスファルトやコンクリートの地面と建物からの輻射熱が凄まじい。日陰に入ってもモワッとした熱風に暑さが増すだけ。
特に東京では廃熱と日中の輻射熱で夜になっても暑い。そして寝るときもエアコンは付けたままになる。それで廃熱が途切れない悪循環。一方で山に囲まれた標高220mの我が家。ここの今の夏が私が知っている35年前の鳴門の夏と似ているのではないかと思ったりもする。
前に本を読んでから2ヶ月近く。やっと次の本を読み終えた。木村秋則『リンゴが教えてくれたこと』(日経プレミアシリーズ)。著者は青森で無農薬・無肥料の自然栽培に取り組み10年に及ぶ無収入を経て実らせた「奇跡のリンゴ」の農業家。NHK「プロジェクトX」で一躍時の人になった。
この本では自身の生い立ちや川崎での会社員時代のことなど自然栽培に取り組む前段階のことも書かれている。皮膚が爛れる激烈な農薬散布が苦しくて無農薬栽培に取り組んだ事情にも触れている。そして10年にわたる無収入時代の過酷だった極貧生活のことも。
著者は繰り返し自然を観察せよと書いている。益虫と言われるテントウムシはアブラムシを1日7匹しか食べず常識はウソだと。あるいは実験をすると農薬と堆肥で作った米は腐るが自然栽培の米やリンゴは腐らないと。害虫は草が生え放題の自然の山にはさほどいないとも。
地温が急に下がる層を壊すため麦を植えると良いといった具体的な手法も書いている。一方で具体例を挙げて植物は人の言動を理解していると説く著者の自然観も興味深い。農業に疎い私には難しい内容もあったが農業や食さらに環境の問題に関心がある人は必読だと思う。
昨日は東京からのお客様を徳島市の両国橋にお迎えし上勝に戻った。妻は午前3:20に出発して釣りに行っていたが私が戻ったときには既に帰宅していた。近所のHさんに誘われての海の船釣り。日和佐から沖に出ていたらしい。大量のイサキをもらってきていた。
お客様とは一旦事務所で休憩し3人で上勝のドラマを見て面白くない設定に文句を言い合い夜になり一緒に上勝のある会合に出席。22時頃戻ってから遅い夕食。隣の公民館の会合にいたT氏にも参加してもらったが少々飲み過ぎた。ここでの話題は徳島の裏道とラーメン。
そして今日は七夕だが雨。朝は晴れていたのにお客様と某所の畑にいた10:30頃から本降り。お昼前に両国橋の「一福」で徳島ラーメン。私は初めて食べたがお客様は昔よく食べていたらしい。新町川の水際公演で地元の某会長を紹介してもらい市役所にお送りして別れた。
今日は法務局などにも寄ったが徳島市内でも一時大雨。最近は梅雨らしい天気が続いている。先日買った除湿器が大活躍だ。1日に1度の割合で満タンになるタンクの水を捨てている。さて妻がもらってきた大量のイサキ。山にいるのに今日からしばらくイサキ三昧になりそうだ。
先週水曜に扇風機を買った。マルナカで1,970円。風力3段階で3時間タイマー付。もちろん首振りも。昔ながらの扇風機である。そう言えば東京時代の烏山でも買ったことを思い出し調べてみたら2001年6月だった。2,480円だったらしい。今は東京で義母が使っている。
2001年の日記にも書いているが扇風機と言えば思い出すのが学生時代。酷暑の京都の夏を5年間扇風機なしで過ごしたこと。もちろんエアコンなどはない。最初の2年間は共同トイレの木造アパートの部屋入口を全開し窓も開けうちわで扇いでいただけだった。
後半の3年間は部屋に台所があり換気扇があった。そこで換気扇を回し窓を薄く開けて流入する風に当たって過ごした。当時の私は夜行性で午前中は寝ているし日中は大学で涼み部屋で起きていたのは20時頃から明け方だったから過ごせたのかも知れない。
あるいは夏は徳島に帰省することもあったからどうにかなかったのか。先日セノーさんと話をしていて思ったのだが当時の扇風機は高かったのかも。いくら貧乏学生でも本やLPは買っていたから数千円なら買えたはずだ。それより25年前は今ほど暑くなかったような気もする。
改めてテレビトクシマでの合唱祭の録画を見た。残念なのは放送が午前の分だけであること。我が「響」が放送されないのは構わないが酷い編成だ。取材を半日で終えたかったのかも知れない。だとすれば軽蔑に値するがその程度の局だと思うことにする。期待するのは止めよう。
さてそれでも私が会場で聴かなかった演奏をいくつか聴けた。フラウリッヒ・ヴォカールは上手い上に衣装がカラフルで女声合唱団らしい楽しさがあった。合唱祭にはこういう工夫が欲しい。城北高校は少人数ながら丁寧に歌い込みつつ伸びやかな演奏で好感を持った。
でも私が今回聴いた中で一押しは佐那河内中学校だ。5人しかいない男声は歌の技術は中学生としてなら十分で合唱技術は徳島合唱団より上だと思う。女声も技術を踏まえた上でもっと大事な魂が込められていた。選曲も良かった。月曜にも放送があるので聴いてほしい。
城西中学校も素晴らしい。ソプラノばかりが目立つ演奏が多い中でメゾソプラノもアルトもしっかり鳴っている。合唱としてのバランスの良さはピカ一だ。改めて聴いてやっぱり楽しさや魂がこもった演奏に感動する。総じて中学高校の方が伸びやかで表現力に勝っていると感じた。
徳島のCATV「テレビトクシマ」で先日の合唱祭の午前だけの模様がダイジェストで放送されているのを見た。トップは徳島合唱団。徳島合唱連盟の序列1位の前理事長にして徳島大学名誉教授Y氏が指揮をする徳島を代表する混声合唱団である。
Y氏は「あわコラリアーズ」という男声合唱団を最近作って指揮をして十分に聴かせてくれたし何と言っても徳島合唱団は全国コンクールの常連でもあった。現在の団員を含め私が知っている歴代団員は本当に上手い人たちばかりだ。当然素晴らしい演奏を期待していた。
ところが全然上手くない。ソプラノは耳に付くビブラートがぶつかり合って単なる声楽家の寄せ集めのようだ。男声はもっと酷く声がバラバラでノイズにしか聞こえない。これが徳島一の合唱団だとすると私は合唱というものを分かっていないのか。
でも「響」の練習で感想を聴いたらみな同じ意見だった。数十年に渡りトップに君臨した合唱団も凋落のときか。今回聴いた中では城西中学と佐那河内中学校が素晴らしかった。徳島合唱団は声質も表現も魂さえも彼女たちに負けている。その感想に我ながらびっくり。
ジムカーナはいつも土曜の19時スタートだったと思う。私は17時台のFM徳島「サントリー・サタデー・ウェイティングバー・アヴァンティ」を聴きながら吉野川北岸の土手を走り六条大橋で南岸に渡り鴨島から国道192号に乗り川島のトスカーナだったか喫茶店で夕食を取るのだった。
一人で行くこともあったし誰かを乗せて行くこともあった。覚えているのは友人Zさんと一緒に行ったとき帰りにZさんが別の女性を助手席に座らせたときのこと。彼女とのきっかけを作ってくれようとしたのだろうが私は彼女の名前を忘れてしまいZさんに呆れられたことがあった。
ジムカーナ中でも助手席に乗ったのは男女問わず1日に数人いたと思う。私は運転しているからコーナーに突っ込んでも平気だが助手席の人は怖いと思ったかも知れない。信用できない運転のジェットコースターに乗っているようなものなので。
そう言えば最近ある女性から昔ジムカーナで私の助手席に乗ったことがあると言われて驚いた。ごめん。やっぱり覚えていない。さてジムカーナでは自分は走らないのにスターターや計測や記録係をしてくれた後輩がいる。みんなで参加した楽しい思い出である。
J社の仲間とのジムカーナは楽しかった。一時期はJ社の社長も走りに来た。あのとき社長の車は赤いフェアレディZだった。ジムカーナは低速ながらエンジンはレッドゾーン近くまで回しブレーキを含め車の限界まで使い切るような競技である。あるとき社長のZは排気管から煙を吐いた。
夏は2分弱のコースを回るとタイヤが熱くて触れないほどになる。ブレーキディスクは何百度にもなっているはず。そこで順番待ちの間は皆エンジンをかけたままボンネットを開け少しでも車の熱を逃がそうとしていた。ブレーキ系を冷やすために場外の山道をゆっくり走ったりもした。
事故も起こる。高知の大豊にある広大な駐車場にパイロンを立ててやったときはJ君のアルトワークスが横転。3/4回転してガラスが割れた。あれは90年頃だったか。J君の車はヘッドライトが壊れたか夜になった帰り道でハイビームにしてガムテープを貼っていたような気がする。
美郷で誰かはコースアウトしてタイヤバリアにぶつかりタイヤを隣の川に落とした。皆でタイヤを引き上げた。社外の競技にも出ていたI君の指示でシートベルトは当然のことヘルメットを着用し窓は閉めていた。私は事故は起こさなかったが車は傷めたと思う。それでも楽しかった。
美郷にある徳島カートランドは名前の通りカート場だがジムカーナにも使っていた。徳島カートランドでのジムカーナは自動車教習所の卒業検定のコースをとにかく速く走る競技だと思ってもらえればよい。1分半から2分ぐらいの短く狭いコースを1台ずつ走りタイムを計測する。
直線で最高速は瞬間60km/hぐらいだからマニュアルミッションの1速と2速だけで走る。急加速と急減速の繰り返しでタイヤがキーキーと鳴く。急なコーナーは腕があれば後輪を滑らせて回ったりする。FF車ならコーナー手前でサイドブレーキを引き後輪をロックさせて振り回す。
私の最初の車はFRだったからコーナーは逆に後輪を空回転させて回る。そのためブレーキングからクラッチを切ってサイドブレーキを瞬間引き後輪が滑るきっかけを作って1速にシフトダウンすると同時にアクセルを踏みエンジン回転を上げクラッチを乱暴に繋いで後輪が滑らせる。
と頭では分かっているが実は成功した試しがない。これらの操作を瞬時に行う技術は最後まで身につかなかった。ただエンジンはレッドゾーン近くまで回している。シフトダウンでブレーキを踏みながら同時にアクセルをかかとで踏んでクラッチを繋ぐヒールアンドトゥは鍛えられたと思う。
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© 2009 Takashi INAGAKI