2015年8月
先日書いた液晶ディスプレイだがとうとう今日どうにもならなくなった。電源をオフにしてオンにすると使えるのだが1分弱で画面が消えてしまい使い物にならない。仕方がないのでヨドバシ.comで注文した。壊れたので次のディスプレイは信頼性を優先してEIZOブランドのナナオ製だ。
ナナオはPCモニターとして最も評価が高いメーカーだ。本社は金沢。同じ金沢が本社のアイ・オー・データ機器は以前何かがすぐ壊れて以来敬遠していてパス。EIZOにしたのはブルーライトカットを謳っていることも理由の一つ。1日中画面を見つめているので少しでも目の負担を減らしたい。
買ったのは発売2年が経ちモデル末期と思われるFlexScan EV2416W-Z。黒は「お取り寄せ」に変わっていたので在庫があるグレーにした。今のディスプレイの解像度が2台とも1920×1080なのに対して1920×1200と縦が長いこともこのモデルにした理由。39,040円。さすがに高かったが。
注文してからもしやディスプレイケーブルの問題かと疑いD-sub15アナログケーブルで繋いだが現象は同じ。PC側のビデオカードが原因かとDELLディスプレイでも試したが正しく表示される。やっぱりディスプレイの問題だ。Princetonはだましだまし使おう。EIZOが届くまで2日の辛抱だ。
最近PCのディスプレイが調子悪い。2台使っているのだが1台の突然画面が消えるのである。両方とも21インチ解像度1920×1080で1台は前のPCと一緒に買ったのだったかDELL製。こちらをメインにして現在のPCを買ったときだったか追加でPrinceton製のものを買った。
問題が起こっているのはPrinceton製。これをサブ画面として2台並べているのだが突然画面が消える。初めて症状が現れたのは3ヶ月前ぐらいだったか半年前だったか。そのときはディスプレイの電源をオフにして再びオンにすると画面はすぐに表示された。
そんな状況が週に1〜2回程度発生するが電源のオフとオンで復旧するので気にしていなかった。ところが最近はオフにしてオンにすると復旧するが2秒でまた画面が消える。オフの時間を20秒から1分程度取ってオンにすると復活する。それでも復活しないこともある。
何度か繰り返せば元に戻るがここ数日は1日に1回〜5回程度発生している。ディスプレイの電源操作は20回にも30回にもなる。ヨドバシで買い換え用のディスプレイも物色しつつ一応まだ使えているから様子見状態。原因が分からないので困っている。やっぱり買い換えか。
日曜日に卓球をやった後で3人で行ったのは上勝に今年で来たばかりの地ビール屋である。正式名称を「RISE & WIN Brewing Co. BBQ & General Store」と言う。覚えられないので「ビール屋」と呼ぶ。ちなみに「RISE & WIN」という偉そうな名称は「上勝」の英訳だと聞いて以前のけ反った。
地ビールというと不味いものと相場は決まっている。かつて徳島県庁の川向かいに地ビール屋があって何度か行ったがビール自体を美味しいと思ったことはなかった。珍しいから行っただけだ。すぐに飽きる。8年前に米国で飲んだ地ビールは酵母が合わなかったのか酷い胸焼けに陥った。
弟が送ってきたことがある何とか高原ビールも美味くない。ビールに限らず酒全般に言えることだが慣れたものが一番美味しい。私の場合は発泡酒のキリングリーンラベル。第3のビールであるキリンのどごし生もいける。アサヒスーパードライも好きだが金麦やエビスは苦手。
この地ビール屋のビールは飲みやすいとは思う。不味くはない。ただし高い。それに料理のメニューが少ない上にこれまた高い。上勝ブランドで吸引する観光客目当てのようなので私には関係ないようだ。観光客だっていずれ飽きられる。残念だが長くは続かないのだろう。
1月ぶりに「響」の練習があったはずの日曜だが指揮者の都合で中止になった。そのタイミングでテニスに誘われたがコートは修繕中らしい。そんなわけでFBメッセージで相談した結論は体育館で卓球をやろうということだった。卓球をやったのは中学以降の記憶はないが。
15時に体育館に行って暑いから窓を開け。卓球台は2台あるが1つを広げると何だか傾いている。それで別のものを体育館の中央に設置して。ラケットは同い年のF氏が買ってきていてS氏も持っていた。でもネットがないのである。体育館の倉庫中を探してネットが見つからない。
諦めて私のウェストバックや手帳やメガネケースを並べてネット代わり。始めてみると目がボールに追いつかないのである。向かってくるボールはマシだがサイドに流れたのは目が追いつかない。でも続けているとボールを捉えることができるようになって最後は結構楽しめた。
終えて着替えに戻ったが時間があったのでシャワーを浴びて17:45頃にF氏の奥様Y嬢の車で地ビール屋へ。春頃オープンしたはずだが行ったのは初めて。屋外テーブルで私はビール3杯。でもソーセージ1本600円は高いと思うので特別なお客さんが来なければ次は行かないと思う。
私が小学校の頃にNHKで放送していた英国の人形劇「サンダーバード」がCGでリメイクされて先日から日本でも放送されている。その情報は今年春頃に知り先週たまたま宍喰のホテルで夕食に行く前に見た。新しいシリーズは「Thunderbirds Are Go」というタイトルだ。
かつてのオリジナル版もNHKで一部が再放送されていて先日それも見たところ。5人の息子がサンダーバード1号から5号までのパイロットして乗り地球と宇宙の問題を解決するというSFだ。今になって観ると非現実的なストーリーだが小学生のときは好きだった記憶がある。
サンダーバード1号から5号の中で一番好きだったは2号。緑色のずんぐりした飛行艇だ。中央部のコンテナに潜水艇や地中艇などを格納して出動する。2号が好きだったのは登場回数が一番多かっただけかも知れないし主に地球上で活動するからまだ理解していただけなのかも知れない。
サンダーバードの基地は島にあって出動するときは山の一部が動いて発射口が出現する。実はこれのミニチュアを作ろうとしたことがある。実家の庭に木の台を置き砂を盛り上げセメントで固めようとした。あれは小学校低学年だったはずだがうまくできず悔しかった記憶が残っている。
銀行振込に行こうと月曜に車を走らせていると真後ろに着けてきたのが白い軽トラ。地元の消防分団長K氏の車だ。ほどなく彼から携帯に電話があった。私の車の左後輪が外れそうになっているというのである。2台してコンビニの駐車場に車を入れて見てみたが不具合は分からない。
上勝に戻って夕方に近所のT氏に連絡。車検やオイル交換など車関係をお願いしているT氏は間もなく来てくれた。私が駐車場で車を走らせ後ろから見ていたT氏は不調に気づいたようだ。私も後に確認したが左後輪が波打つように左右に揺れているのである。
T氏はホイールに問題ありと見たようで冬タイヤをトランクに載せておいた。冬タイヤのホイールに交換しようというわけだ。そして火曜夕方に車を預け夜には修理完了。冬タイヤ用ホイールは別途注文してくれエンジンオイルの交換も。ブレーキパッドも後日交換するそうだ。
一昨日書いた医師のW君もそうだし信頼できる専門家の存在は心強いのである。特にT氏は連絡するとすぐに対応してくれる。皆が同じように頼るから彼はいつも忙しい。ともかく不安になったタイヤ問題は解決。これでまた安心して運転できるのである。
先週末に私がシャワーに行っていたとき母から電話があり妻が聞いたところによると椎間板ヘルニアと診断されたと言う。手術するとなると実家で飼っている元は弟の犬の世話に困るからうちで預かれないかと訊いてきたらしい。と言われても我が家は町営住宅。ペット飼育は禁止されている。
妻は若い頃に椎間板ヘルニアで手術を奨められたらしいが鍼灸で治した。そのときの先生を妻は信奉しているので母にも奨めたらしいが鍼灸院は東京だ。鍼灸に対しては母が懐疑的で断ったらしい。その後は今週になって私のところにも電話があった。犬をどうしようと。
でも腰の手術に失敗すれば車いす生活だろう。それは母も私も困る。それで他の医師がどう診断するか聞いてみる必要はあると思い今日になって後輩W氏に尋ねてみた。中学バスケ部と中高合唱部で一緒だった小児科医院を継いでいるW君だ。まず彼が紹介している専門医を教えてくれた。
さらに中学の同級生が某病院の外科部長だからと訊いてくれた。で手術はよほどでないとやらないものだという話とともに徳島の名医を教えてくれた。母にも電話をしたところ。さらには母が診断を受けた病院の評判まで聞いた。持つべきは専門家の友人だ。W君は昔から頼りになる。ありがとう。
土曜の午後に妻が突然シュノーケリングに行こうと言い出した。お盆の土日で仕事のメールも落ち着いているから今のうちにというわけらしい。急いで準備をして海陽町竹ヶ島のシュノーケリングツアーを予約してホテルリビエラの1件出たキャンセルに申し込んで。
15:40過ぎに出て日和佐の道の駅でソフトクリームを食べ海部のスーパーでビールを買って17時半過ぎにホテルに到着。リビエラは徳島最南端にある旧宍喰町のホテル。町営だったか。夕食はホテルのレストラン。ホテルの温泉はヌルヌルしていたが洗い場は常に満員なほど人が多かった。
今日は8時前に起きて朝食バイキングをとり9:10出発。5分で到着。ここでのシュノーケリングは昨年やっているから勝手は分かっている。ただ去年が2人だけだったのに今年は10人以上いた。水温29度でウェットスーツでは暑いというので私は水着と上は薄いラッシュガードだけ。
マスクの装着の説明などは丁寧だけど海に入るとガイドはどんどん行ってしまうのが面白い。魚は昨年より多く見えたかも知れない。今年もデジカメで撮影。終えてシャワーを浴びて12時頃出発。海部のお店は満席で日和佐の村上へ。2年ぶりだったか。14時半頃帰宅。で夏休みの終わり。
13日は地域のお盆の集い。妻は実行委員だから朝から準備に行って私は午後から。提灯に電球を着けたり。電灯線の終端が剥き出しだと聞きビニールテープで巻いたり電源を私の事務所から取るため延長コードを外に出したり15時頃には一息つきかけた。
揚げ物の油を買ってきて欲しいと妻から言われて思い出したのが既に購入済みの商品を業務用スーパーに取りに行く役割があったこと。慌てて車を出して八万まで。直前まで働いていたからエアコンをかけると汗をかいたシャツが冷たいし臭いし。サラダ油も購入して戻ったのが16時半頃。
皆から遅れて缶ビールを飲んで。人が集まり始めたと思ったら17時半。祭りが始まる時間だ。今回は駐車場のアスファルト部分だけを会場にしてテントを設営した。人の密度が高くてよかったのではないか。スタッフや店の人を含めて常時100人弱ぐらいが会場にいたと思う。
阿波おどりに続いて打ち上げ花火も。子ども用花火を楽しむ様子は情緒があった。終わっても皆が余韻に浸っていたような気もした。怒濤の撤収後は公民館でスタッフの打ち上げ。24時に解散して一部が我が事務所に来て2次会。2時まで。今朝は9時半集合でテント返却など後片付け。
羽田発大阪行のJAL123便が墜落したのは1985年8月12日だった。明日で30年だ。先日来テレビでも特集番組が放送されている。墜落地点がなぜすぐに特定されなかったのか警察や自衛隊の記録をもとに明らかにしたNHKスペシャルは見応えがあった。
事故の3年後に知り合ったA社のボスK氏は当時週刊プレイボーイの記者で地元の駐在さんが「なぜあちらばかり捜索しているのか不思議だった」と言ったコメントを取りスクープしたと聞いた。でもその記事が原因か駐在さんは異動させられたらしい。記者の怖さを知ったとK氏が言っていた。
1985年のその日に私は我が徳島市立高校合唱部OB会の宴会に出ていた。ポッポ街の南側の通りにあった「ありの道」の2階か3階の座敷から下りて店を出ようとしたところで1階カウンターにあったテレビで知った。この日はK元と海に行った帰りだったか別の年だったか。
墜落地点が分からない状況が続いたことも数人が救助された映像も今でも覚えている。あの人は乗るはずだったのに遅刻して命拾いしたという話も後に聞いた。最近の報道を見て遺族だけでなく捜索に関わった人の心も重くしていることを知って改めて事故の影響の大きさを思う。
鳴門も暑くエアコンの風が寒かったり何度も目が覚め甥と弟に合わせて起き出したら既に9時半頃。パンと目玉焼きを食べ私たちは11時半頃出発。甥は今日かずら橋に行くと言っていたのに起きるのが遅かったから急きょ上勝に変更。川遊びに行こうというのである。
戻り途中に洗車して買い物をして水着に着替えシュノーケルもバッグに入れ。2台の車で太田尾経由で喫茶いくみ。ここで昼食を取ってから川に下りた。川の水はとにかく冷たい。とても全身を浸けることができない。浮き輪の甥と水を掛け合ったが本当に冷たくて飛び上がりそう。
シュノーケルを持ち出して川の中を覗き魚探し。何匹か見つけウナギのような長い魚が逃げたときには甥も私も大きな声が出た。水は冷たすぎるし曇りなので15時頃には撤収。Polestarでカフェオレとゆこうタルトを食べて休憩。甥はミカンジュース。
帰ろうとしたところで豪雨。しばらく待機して弟と甥は鳴門に向い私たちはコーヒーを買ってから帰宅。16時予定だった草刈りはS氏が午前中にしてくれていたらしいが残りを2人で17時から。妻も柵に絡まった草を刈って18時。2週間ぶりの雨で涼しくなったから今日は夕方からエアコンなし。
エアコンをかけても暑くて寝たのは2時を回っていた。妻が寝言を言っては起き7時には甥が一度目を覚ましたから起き。でも結局9時になって甥は起き出して一緒にパンとスープを食べた。私がシャワーの間に甥は宿題をして妻が仕事をしている間2人で射手座造船所へ。
上勝を出たのは11時半過ぎ。甥のリクエストで鳴門うどん。大麻の舩本。実家に着いたのは14時。とにかく暑くて私たち夫婦はエアコンが利いた部屋で昼寝。甥はテレビで高校野球を観ながら昨日の上勝夏祭りで買ったピストルの模型で繰り返し遊んでいる。
一方で弟が昨日の上勝夏祭りについてFBに今までの阿波踊りで一番ぐっと来たと書いていた。さて夕方になり妻と母と甥が買い物に行き夜は恒例の手巻き寿司。ビールも飲んで元気も戻り19時過ぎに皆で出かけて鳴門市阿波踊りへ。犬のケースケも。
予報レベルで18時に32度だし21時に29度で暑い。妻と甥と3人でかき氷を食べ甥は金魚すくい。銀天街に戻り観ているとZ嬢を発見。妻が追いかけていき娘のCちゃんと3人で写真。19時半頃は以前の3倍人がいると思ったが撤収する21時前には以前の通りだった。1階の通称テレビの部屋で就寝。
弟と甥は15時過ぎに電話してきたのだがカブトムシの捕獲キットを忘れたとかで結局やって来たのは17時過ぎだったか。カブトムシを捕るのに弟が用意したのはストッキングとバナナと黒酢とブランデー。ストッキングにバナナを入れてこれらをかけておびき寄せるのだとか。
それを近所の広場の木に縛り付け夏祭りへ。17時半過ぎに着いて私は今日ビールを5杯飲んだと思う。見知った方々に挨拶しながら射的をやるという甥に100円を渡したり。入院中の甥その2とも電話で少し話をした。弟は20時頃に撤収するつもりだったようだが結局最後までいた。
私としては間近で上がる花火は見て欲しかったし皆で踊る阿波おどりもいいものだと思っていたので良かった。もう花火は終わっただろうと帰りかけると再び上がり。それを繰り返しながら温泉駐車場の車は早い段階で出すことができた。そのままカブトムシ捕獲のえさ場へ。
そこで甥が見つけたのがタヌキだった。捕獲キットのバナナは見事になくなっていた。カブトムシが捕れなかった残念さよりタヌキに取られたことに驚いた。家に戻ると東京出張から妻が帰ったところ。弟は実家に戻り甥を風呂に入れ少し話して3人で星空を見上げ寝かさせたのが23時過ぎ。
弟と甥が鳴門の実家に帰省した。甥2人のうち下の子は新たな病気になって何度目か分からない長期入院中なので上の子だけ。看病もあるから弟はすぐ東京に戻るらしく今回の滞在は短い。今日あった鳴門の花火に合わせたらしいが明日は上勝の夏祭りに来ると言っている。
どうするつもりなのか直前に言ってきてしかも曖昧だから困る。どうせなら花火までいたらいいのに鳴門で見たからいいと言うし夜になって甥に電話をさせて泊まって行くとか言っている。妻は東京。明日の夜中に帰ってくるから準備ができるものでもない。
弟とメールや電話をしながら妻とはFBでメッセージをやり取りして結局のところ迷惑だから鳴門に帰れと言ってやった。甥だけは泊まる。よくよく考えれば看病と仕事と7歳の相手で疲れているだろう弟も一人になる時間があった方がいいと思う。7歳の子1人なら何とかなるだろう。
もともと夏休みの間だけでも7歳を預かっておこうかと弟にメールしたこともある。明後日には私たちも鳴門に行くつもりだったから1泊だけだが7歳にはいい宿泊訓練だろう。そんなわけで面倒な気持ちが一転甥が来るのは俄然楽しみになっているのである。
東京サテライトオフィスというか実際は義母の住居なのだが1ヶ月経った。私が設定したPCもネット環境も順調で心配はエアコンを嫌う義母が熱中症にならないかという点ぐらいだったのだが2日前に妻がFacebookに書いた内容に心が塞いでしまった。
上階の住人が洗濯物を落としたと今日までに3度義母の部屋に来たらしい。しかも上階の足音が毎夜うるさいと言う。妻が東京に行って経験して異常だと言っている。テレビの音を消すと足音も消えるから盗聴されているのではないかとまで。
洗濯物を落としたとやってくるのは住民がどんな人物か確かめるためだろう。足音は嫌がらせではないか。そんな疑心暗鬼になっている。1ヶ月しか住んでいないし1年以内の転居には1月分のペナルティがある契約だが新しい住処を探した方がいいと思ったり。
でも義母は面倒なこともあって引越には否定的らしい。足音は例えばゲームに興じていたり運動をしていると解釈できなくもないが洗濯物はどうなのだろう。もう少し様子を見ようと義母は思っているようだが気が滅入る。東京の住居はなかなか難しい。
仕事で商標のことを訊くため特許事務所に行って来た。ネットで調べると徳島には2軒しか出て来ずその片方に6月末ぐらいにネットからメールを送り7月下旬にアポを取ったら今日になった。私は著作権法については勉強をしているが商標のことはよく分からないので質問ばかり。
とはいえ仕事で過去に2回ほど商標出願をしたことがある。今の会社を設立した後の2007年頃が2回目で東京の弁理士事務所に行った。大きな事務所で所長はJ社らと懇意だったようだが担当した人はやる気のない人で説明もよく分からず半年ぐらい経ったら辞めてしまった。
その商標は拒絶通知が来て意見書を提出すれば登録される可能性はあったが他者が登録できないと思ったのでアクションはしなかった。結果として今まで困ったことはない。商標出願をした最初は福岡時代。D社の企業ロゴと製品名を出願してもらった。
企業ロゴは似たものがあるから難しいと言われたが決めてしまったロゴだから出願したらあっさり登録。製品名はもっと難しいと言われたがこれも何もなくあっさり登録された。今日聞けば審査官によって判断が違うらしい。それが商標が何たるかを難しくしているような。
8月13日にある地元のお盆の集いで必要な食材などを月曜は委員たちが買い出しに行っていたらしい。夕方電話があり倉庫への搬入を手伝って欲しいと言う。荷物の量は大したことなくすぐ終了。これはその後の野仕舞の飲み会に私を誘うための口実だったらしい。ありがたい。
いつものS氏宅で飲み始めたが17時前だったか。3Lアルミ缶のビールから始めウナギやらささ身やら次々と出してくれてビールが進む。私が帰ったのは25時頃だったか。今日は日中気分が悪く飲み過ぎたと思ったのだが8時間も飲んでいたことになる。またやってしまった感。
さてS氏宅に行く前に体重を計ってみた。62.2kg。5月には61.16kgまで下がり体脂肪率16.1%だったのに最近は63kg近くまで増えていた。8月は2度しか計っていないが平均体重62.5kg。体脂肪率16.7%。1年前の各月に比べ体重は1kg上回り体脂肪率も1%ぐらい高い。
妻の出張が多くてラーメンばかり食べているのも一因だろう。それにジムは連休明けに3度ほど行っただけで6月からは中断している。その代わり自宅で腕立て伏せ。3日に1回をメドにしていたが2日に1回にしようと思った矢先に調子が悪くて今日はお休み。ぼちぼちやろう。
妻が8日間の出張中だ。徳島にいる場合は昼と夜は妻が料理を作ってくれる。朝は食べない。でも出張だと私は一人だから外食になる。ところが山の中なので食べに行くところは限られる。小松島まで下りて小松島食堂やこはくの天使やモスバーガーに行くこともあるが車で片道30分もかかる。
一方で県道を奥に行くのは遠い気がして月ヶ谷温泉にはまず行かない。Polestarは加えて混んでいそうだから遠慮している。喫茶いくみは何度か行ったが峠越えには気合いがいる。結局は車で3分のいっきゅう茶屋か勝浦に下りる。車で10分の美渓か呑口か黒猫キッチン。3店ともラーメンだ。
夜は美渓も黒猫も営業しているか不定なので19時までの呑口に限定される。何種類かおかずもあるし餃子も美味しいが毎日だとさすがに飽きる。そんなわけで自炊してみようと思い立った。1月ほど前にHさんからもらったピーマンとシシトウを炒めて味をしめた。この味はちょっと濃かったが。
学生時代はウィンナーと溶き卵を炒めてときどき食べた。今日はこれに玉ねぎをプラス。夜は鶏肉とニンニクを炒めキャベツと玉ねぎとジャガイモを加え蒸し焼きにした。味はまずまず。実はキャンプ用に密かに買ったダッチオーブンを使ってみたのだが扱いが面倒なのでキャンプ専用になりそう。
暑い日が続いている。全国的な猛暑である。今日は岐阜県多治見で最高気温が39.9度あったらしい。京都で38.5度。私が住んでいるところは標高220mほどあるし周りは山林なので徳島市よりも気温は低い。それでも窓の外に取り付けている温度計は32度を指していた。
当然エアコンを付けている。設定温度はだいたい28度。エアコン真下にある温度計で7月上旬は27度以下でないと暑く感じたが今は28度前後になるようにしている。それでも暑いが外に比べれば涼しい。あまり低くならないように気を付けているのだが。
今日は1日だから消防団の点検日。修理に出されていた日浦のポンプを軽トラに載せて4人で戻しに行き1人が別の場所のポンプ点検へ。分団長や前分団長らいつもの1日組が休みで合計5人。いつもは終われば皆でビールを飲むのだが阿波晩茶の最盛期でもあり皆が忙しいと帰ってしまった。
妻が今日から出張だから私は飲む気満々だったのに仕方がないので隣町のスーパーで総菜を買ってきて一人野仕舞。都会と違って山の夜は気温が下がる。外気は28度だったから窓を開けてみたのだが湿気があるからやっぱり暑く結局またエアコンにした23時。
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© 2015 Takashi INAGAKI