<Diary Index Page> 2021年7月
東京オリンピックで今回からの新種目である柔道混合団体戦を観た。フランスに負けて銀メダル。オリンピック種目の中で柔道はほとんど観るほど好きなのだがそれは日本選手が勝つ可能性が高いからか早く勝敗が決まるからか一本勝ちが気持ちいいからか。全て当てはまっているかも知れない。
私に柔道の経験はないが亡父は若い頃にやっていて箪笥の中の柔道着を見たことがある。その父から基本のキを教えられたこともあるがそれだけ。小学3年の級友の平野君が柔道をやっていて広瀬君を投げ倒して骨折させたのは遠足の朝の砂場だった。平野君から教わったことはあったかも知れない。
中学では剣道が必須で道具も買って体育の時間に石井博先生から教えられた。授業内の試合で脇谷君が竹刀を投げて逃げたとき先生が怒った。さすがにあれはないと私も思ったからか覚えている。高校では柔道か剣道を選択する必要があったのだが道具があったから深く考えず剣道にした。
今の実家には母が肩叩き用に新聞紙で作った棒があって甥が来るとチャンバラごっこをやる。このとき面とか胴とか剣道の技になるのはまだ覚えているからだろう。そう言えば剣道でも礼は教わったがオリンピックで柔道の試合が好きなのは特に日本選手の武道家としての態度にあるのかも知れない。
日本酒がなくなりそうだったので買い物ついでに月末の記帳で徳島駅前に行った。そのまま帰りに大松のダイソー。会社用ではなく個人の書類諸々を入れるA4クリアファイルを買うために行ったのだがマウスパッドも買ってきた。既にマウスパッドは使っているのだが。
新調したマウスが軽いので100円ショップの安いパッドなら滑りが悪いと想像して買ったのだが実際に使ってみると逆だった。滑りが良すぎてマウスの軽さが悪い方に出てしまう。今日せっかく買ったマウスパッドだが何かのときのための予備として保管することにした。
夜は母から電話があった。母が乗っているプレオ+の12ヶ月点検が近づきスバル論田店まで母に運転はさせたくないが私が行くには任意保険の手続きを含めて面倒だと逡巡していたところ。川内店でいいかと思いつつ何もしていなかった。と母によると近所の修理工場から点検の案内が届いたと言う。
スバルの情報管理はどうなっているのか。と思ったら最近小さな自損事故を起こし通りかかったその修理工場の人に直してもらったとか。そのとき車検証の情報が渡ったのだろう。5月に妻と話しているのに私と話したと言い張るなどボケているので母が伝えた可能性もある。近く実家に寄ってみる。
月曜からマウスのスクロールホイールが効かなくなった。前も同じことがあったと調べたら昨年9月のこと。キーボードとセットで買い直して10ヶ月しか経っていない。マイクロソフトのスカルプト・エルゴノミック・マウス。スクロールホイールを使いすぎないよう気を付けてもいたのだが。
大きさも操作感も気に入っていたが1年で使えなくなっては困る。そこでヨドバシ.comで別のマウスを探した。私は柔らかいリストレストに右手首を乗せているので高さがあった方がいいように思う。バッファローやエレコムなどと比べてサンワサプライのワイヤレスエルゴノミクスマウスにした。
接続方式は有線のほかBluetoothとWi-Fiがあるらしく値段が安いWi-FiのMA-ERGW17にした。ヨドバシで2,340円。今日届いたのだが2年前に買って使わなくなったものと同じ形のMサイズだった。前のLサイズは大きすぎたし内側のLEDライトが眩しいのが難点だったが今回はその欠点はない。
ただ普通に真っ直ぐ持つと小指が机に着く。使っているうちに気づいたが私は手前にあるリストレストに当たらないよう浅く持つ癖があるようだ。30度ほど左に傾けると今までのマウスに近い持ち方で具合がいい。ただし軽いのが難点でカーソルスピードを調整して何とか使用に慣れたいと思う。
月曜と火曜は原稿を書く仕事もしたが相変わらず日中から夜まで東京オリンピックの中継を観ている。スケートボード男子で金メダルを獲ったのは後からニュースで観たが13歳が金メダルを獲得した女子はライブで。サーフィンで男女が銀と銅メダルを取ったのもニュースで観た。
スケートボードもサーフィンも20歳そこそこの若者だがそれぞれ6歳と3歳から父親の影響で始めたという。2人とも米国に住んで既に多額の収入があるらしい。凄い。オリンピックでは柔道も金メダル獲得の試合は全て観ているし昨夜は女子ソフトボールが米国に勝って金メダルになる試合を観た。
一方で新型コロナウイルス感染者が今日の東京で過去最大の3,177人らしい。徳島は今日までの累計が1,755人。1年前の日記を見ると東京が1日320人で徳島は累計27人と書いていて隔世の感がある。でも全国的に見れば高齢者のワクチン接種が進み死者数は少なく重傷者の増加も急激ではない。
重症化しなければ構わないという考えもあると思うが軽症とは酸素吸入が必要ないレベルを指し苦しいらしい。後遺症も怖い。非常事態宣言下で酒類の提供が停止されている東京から徳島に木曜からの4連休で飲みに来たグループもいたとか。そうやって徳島でも感染者が増えるのだろう。やれやれ。
一度書いているが小学校のとき作曲コンクールで入賞したことがある。小学5年生だったか。そのときのクラスメートで後に文理中学に進学した笹橋望君に頼まれて音楽の先生のところまで付き添ったのがきっかけだった。音楽の先生は4年のときの担任で和音を叩き込もうとした榊先生だった。
笹橋君の母上は別の学校の先生でコンクールの情報を持っていただのだろう。絵や作文などあらゆるコンクールに応募していたようだ。月曜に全校児童が集まる朝礼では毎週のように表彰されていた。何人もが壇上に上がることもあるがたいてい笹橋君だけが表彰されていた。
笹橋君は音楽の榊先生に教えてもらったことがなかったのだろう。それで私に付き添いを頼み作品を持って行ったのか申込をしたいと伝えに行ったのか私が同行した。そのときはそれで終わったのだが後から榊先生に呼び止められた。「一緒に来てたけどあなたもコンクールに出してみぃへんで」と。
2年前にMuseScoreというソフトで楽譜を作りmp3にした曲は今でも覚えていて小学4年の宿題で作ったと思っていたがもしかしたらこれがコンクールに出した曲かも知れない。いずれにしてもコンクールで笹橋君は受賞できず私だけが何だったか賞をもらったのだった。
3週間ほど前だが新型コロナウイルスのワクチンについて開発元のファイザー社自身が妊婦に接種してはいけないと言っているとあるFacebookの「友達」が書いていた。河野太郎大臣のブログでデマだと否定されツイッターでも繰り返し注意喚起されていることなのに堂々と書いていることに驚いた。
おそらく自分で調べて見つけた情報なのだろう。自分で発見したから価値ある情報と思い込んだのだろう。とタイミングよくライターのI上氏が「陰謀論にハマっている人達は、たぶん、ものすごく知的な活動をしていると思ってる」というブログにリンクしていた。全くもってその通りだと思う。
2023年まで治験期間だと書いた人もいたしワクチンの感染予防効果は分からないと言う人もいた。誤訳や古い情報を更新しないまま信じているのだろう。SNSだけから情報を入手している人もいるかも知れないが エコーチェンバーの中にいるという自覚がなければ真っ当な判断はできない。
情報弱者。本来は情報機器を使えない人を指すがネットでは正しく判断できない人を「情弱」と略し侮蔑的に呼ぶ場合がある。デマを信じる人も過去に知った情報にしがみついている人も「情弱」だ。科学的リテラシーも論理的な思考力もない「情弱」の彼らを私は密かに軽蔑している。
地元の草刈りで8時集合。昨年と違い今日は快晴。暑くなりそうだ。地域ごと先週までに予定されていた草刈りが雨で延期になって今日に重なり人が少ないのだとか。私は何度目かの下地の担当。消防団で先日草刈りをしたすぐ隣の山の斜面。傾斜は60度ぐらいある急斜面だ。
フェンス沿いの平地の草刈りを始めたが上からツルが覆い被さっていて刈れたような気がしない。フェンスに絡まったツタは妻とO平さんとお寺の若奥様Y西さんが切っていき道路でS本さんが草を集めている。9時前に私は向かいの体育館の陰に入って持参したポカリスエットを飲んで塩飴を何個も。
A堵氏のほかN峯氏N岡氏のベテランにH木氏がいる斜面上方に行く勇気がなく2F屋根ぐらいまで斜面を登った。気づくとトゲで左手の数カ所から出血しているし足を滑らせたらフェンスのツタを鎌で切っている女性陣に危害が及ぶ。草刈り機を緊急停止する方法を復習しつつ早めに諦めて下りた。
徐々に他地域からも戻ってきて次は県道沿いの壁画上の草刈り。何人かが長いハシゴを持って来て何人か鎌を持って上る。私は住宅のT浦氏が上るハシゴを支えたり移動させたり。最後は軽トラの荷台にハシゴを載せてH地氏が上がって。12時に解散。シャワーを浴びて妻といっきゅう茶屋で昼食。
東京オリンピックの試合を午後からずっと観た。卓球の混合ダブルスはニュースで観て柔道。女子48kg級で渡名喜風南が銀メダルを獲り男子60kg級で高藤直寿が金メダルになる各4試合全てと他にも何試合か。NHKは夜7時のニュースを1時間半も遅らせて思い切ったことをするなと思ったり。
今大会から採用という3人制バスケットボール3×3の日本女子の2試合も観た。5人制でボールを持ってからシュートするまでの制限時間は私が中学の時代は30秒だったのに先日テレビで観た男子の練習試合で24秒になっていて驚いていたら3×3は12秒と。10分間または21点先取。これはヘトヘトだ。
夕方は男子テニスのダブルス。ダブルスの試合はテレビで観る機会がほとんどないので錦織圭とマクラクラン勉の日本がポルトガルに勝った試合は勉強になった。と言ったところで私がテニスをしても思い通りにボールが飛ばないので試合で応用できるかどうかは別問題ではあるが。
重量挙げ女子の三宅宏美がスナッチで74kgを挙げたところとジャーク99kgの3回目を失敗したところも観た。人生を賭けて挑んだ結果に涙が出る。夜は途中から女子ソフトボールの5対0で勝ったイタリア戦。さらにバドミントン女子ダブルスを少し。地元開催で寝不足にならずに済むのはありがたい。
東京オリンピック開幕。TOKYO 2020なのにコロナ禍で1年延期されて今日が開会式。元々オリンピックに特段の興味はなく日本選手が活躍すればテレビで観て応援する程度だ。東京で開かれれば人が溢れ交通が麻痺し仕事をする上では迷惑なことだぐらいにしか思っていなかった。
ところがコロナ禍での開催に反対する人が多い。選手は感染したら努力が無になるのだから好んで感染する人もいないしワクチン接種が進んで日本の方が危険かも知れないとも考えると私には反対する意味が分からなかった。反対する人の非論理性を批判する意味で無観客でやればいいと思っていた。
結局は無観客で開催。宮城県は有観客。どちらにせよテレビでしか観ないので私には関係ない。開会式の直前になって音楽や演出担当が過去の問題行動を暴かれて辞任したり解任されたり。それでも私が2回目のワクチン接種前日が閉会式だからテレビ観戦でステイホームできる娯楽としてありがたい。
今日20時から開会式をテレビで観た。最近の開会式に比べ格段にショボかったが国旗掲揚と旗手の八村塁が掲げた日の丸とJOC橋本聖子会長の挨拶には感動。IOCバッハ会長の挨拶の長さに辟易したがドローン1,824台による地球儀やらゲーム音楽を使った選手入場で盛り上がったのは面白かった。
米田正臣君の葬儀の夜もK野とM川嬢と3人でメッセンジャーでやり取りしていた。米田君が大阪に行った無線資格の取得に皆が刺激を受けたと言う。J社を数年前に辞めて仕事はしていなかったらしいが趣味の世界を極めようと思っていたのだろう。この歳で勉強を続けていたことに感心した。
それで私は彼が既に持っていた第1級アマチュア無線技士を調べてみた。私は第2級の試験に13年前受検して合格している。当時のテキストと問題集を持ち出したがアマゾンで調べるとテキストは当時から一度も改訂されていない。買い換えが必要な問題集も含めて最新のテキストも物色した。
受検するならマークシート方式の無線工学と法規はひたすら勉強するしかないのだがモールスの電気通信術は2アマを持っていたら免除されるんじゃないか。と期待して検索した。確かに免除されるという文章も見つけた。でも思いのほか少ない。確信が持てずさらに調べていたら。
何と今はモールスの聞き取り試験が1級も含めて廃止されているという。13年前は意外に楽しく聞き取りを繰り返していたから少し残念な気持ちもある。法規の中にマークシートとして問題が残っているらしい。受検しても使い道がない資格だがこの13年間で最も気持ちが上がっているところ。
上勝町は町営の診療所で火水の午後をワクチン接種に充てている。町からの案内に5月に回答して私の本来の予定は1回目が8月17日と連絡を受けていた。キャセンル待ちも申し込んでいて先週打診されたが火曜は神社で飲むつもりだったし水曜は原稿を書きたかったからパスしていた。
と同じ住宅にいる保健師N嬢から今週月曜に再び電話。キャンセルが出たと案内を受け診療所に今日13時半に行ってワクチン接種を受けてきた。5分前に着いて入口の受付で接種券と問診票を渡し案内されてリハビリ室の18番の席へ。隣の17番にF井嬢がいるが会話を控えろとの貼り紙があって目礼のみ。
遅れて1人が来て19人全員が接種待ちかと思えば既に打ち終えた人もいて5分おきに何人かが帰る。そのうち一昨年度まで消防主任だったK保氏に呼ばれて廊下のベンチへ。K野が1回目は利き腕に打ったと昨日言っていたから質問したら2回とも利き腕でない方に打つと言う。普通そうだよな。
診察室で30秒。13:41に接種完了。30分待機してドライブがてら遠回りして帰宅した。今夜は酒は止めるように言われたがネットでは過度の飲酒は止めるようにとの表現。なので夜はビールと日本酒。いつも以上に意識して水を飲んだが深夜になって打ったところが少し痛くなってきた。
米田正臣君の次男君から最初に連絡を受けたK野が受付を申し出ると言うので私も付き合った。そのため8:42に出発。同じ住宅S田氏が出勤途中セブンに寄るのを後ろから見て6年前に亡くなった鍋ちゃんのときと同じ阿南の葬儀場に9:20着。同期で花を贈る幹事役のK野とM川嬢は既に着いていた。
次に来た同期は高知の土佐清水からO村君。昨夜21時に出てSAで寝ながら来たとか。今はM社の仕事をしていてM社徳島の責任者M田も。K部君に中学の同級生F井君の妹F川嬢もご主人と。J君Z嬢夫妻とM谷嬢や神山で働くT脇ら後輩らも続々。次男君が挨拶に来られ喪主の長男君とも故人の話を少し。
告別式中も受付に待機し焼香だけK野と行って先にさせてもらい再び受付。長男君は大学院を出て徳島で就職。次男君は奈良の親戚宅から大阪の大学に通っているとか。若い2人があまりにしっかりしているもので安心した。通夜でM田嬢が大学を辞めるようなことはないのか訊くとご心配なくとのこと。
米田君はアマチュア無線の試験で大阪に行って倒れたと喪主の挨拶で聞いたが彼は第1級免許を持っていた。日程からすると第1級陸上無線技術士だろう。ホテルから2日目の試験会場に行く途中だったと。高血圧なのに健康診断も受けず大動脈剥離。12時出棺。同期や後輩らとバカ話をして喪主が手配してくれた弁当を断り切れずK野M川嬢と3人で食べて帰った。
亡くなった米田正臣君とはJ社のプログラム研修時代よく一緒に夕食に行っていたような気がする。O村君とM川君とかたいてい4~5人。三軒屋の釣具屋の2Fにあった喫茶店とかによく行った。私が配属されてからも誘いに来てくれていたけど東京出張で週に2~3日は不在が続きお誘いがなくなった。
出張がなく徳島にいるときは目に付いた誰かを誘って夕食に行った。相手はたいてい女性。米田由美子さんとも2人で食事に行った記憶がある。鳴門のびんび家あたりだったのか。川内の大塚製薬の前を車内で会話していた記憶がある。八万のログハウス調のカフェにS清嬢と行ったのは覚えている。
1989年になると第2ビルが完成し最上階の食堂で食べたこともある。でもタバコが吸えないから結局外に出る。そのうち忙しくなったり彼女ができたりして1人で裏の喫茶店に行くようになった。「みゅー」という店だが皆は「うらめし屋」と呼んでいた。昼も夜もうらめし屋だったこともある。
昼うらめし屋に行くとそごうの外商や営業マンも多くたいてい満席。でも百十四銀行出身で経理にいた当時60歳ぐらいの寺井さんがフライングして2人がけの小さなテーブル席にいるから同席させてもらうことで席を確保した。あの店で8年間に1,000食ぐらい食べたんじゃないか。
ベルトに付けるスマホポーチを買った。ガラケー用は今までいくつか買って2つは現役だった。でもガラケーを使わなくなり用がなくなった。普段スマホは財布やキーケースと一緒にバッグに入れているが例えば消防点検だったり草刈りのときはバッグが邪魔だからシャツの胸ポケットに入れる。
でもTシャツだとポケットがないしジーンズの尻だと曲げ圧力が強くてスマホによくない。そんなわけでスマホポーチ。アマゾンで探したが私のiPhoneは手帳型のケースを付けていて厚さは16mmほど。ポーチは厚さが足りないものばかり。その中で内寸2cmのものを見つけて買ってみた。
土曜に届いてiPhoneを入れてみると大きさはピッタリ。お守りを入れてキツキツ。首掛け用ストラップまでは収納できないがジーンズのポケットに押し込んでおけばいいか。夏に財布を持たないような場合だけだから出番は少ない。それよりボロボロの手帳型ケースを買い換えるのが先だったかも。
iPhoneに指紋認証が復活したら今のSEから換えるつもりだが次の13では見送られそうなので土曜にアマゾンで発注。ストラップ付を条件に薄さ優先で選んだ。厚さ10mmと言うから買ってみたが届いてみると15mm。ポーチへの収納性は変わらず。前のがボロボロだったからいいのだが。
木曜夜K野から連絡があり金曜も頻繁にやり取りしていた。J社同期で6年前に亡くなった米田由美子さんのご主人で同じく同期だった米田正臣君は大阪にいるとき大動脈解離とかで急死したと。6年前は中学生だった次男君が20歳になってK野に連絡をしてきていた。金曜に徳島に戻ってきたらしい。
アマチュア無線を今もやっていてJH5GONとしてツイッターにも投稿していた。香典は辞退すると言っているらしく同期で何かできないかと言うK野とM川嬢と3人で金曜夜グループ電話で話し合った。女性たちが花を贈ると言ってるらしくフルーツの籠はどうかとK野が言い今日も3人で打ち合わせ。
米ちゃんとは1988年4月から6月の新人プログラム研修時代よく一緒に何人かで夕食に行ったように思う。彼は開発チームで私は社長室に配属されたから仕事上の接点はなかったが友人がいない新卒新人時代に苦労を共にした友人だ。同期で日帰り旅行にも行ったし何度か飲み会でも一緒だった。
I瀬君の退職を機に集まったとき米ちゃんが皆を爆笑させた光景が目に浮かぶ。鍋ちゃんの告別式のときのことも同期会で挨拶してもらったときのことも。昨夜は米ちゃんを思いながら阿南に帰ってきた魂が挨拶に来てくれたかと想像し日本酒を飲みながら一人で大泣き。今日はまだ目が腫れている。
昨夜は帰宅後の酒は止めて水ばかり飲んだ。今日は5年ぶりのがん検診。コロナ禍で受付時間が30分区切りで分けられていて私は9時半から。1時間半前までなら水を飲んでいいというので8:40まで2回飲んで検診会場になっている隣の公民館に行ったのは9:50。マスクを忘れて取りに帰ったり。
検診車が表に4台いるが5年前の窓口は玄関で検診スペースは座敷で済んでいたのに今回は体育館を使っている。ソーシャルディスタンスのためか。受付には上階に住む役場K本君がいて4,600円と告げられたのだが持って行ったのは4,000円だけ。また家に取りに帰った。
歯科検診もあって採血をして表の検診車へ。胸部レントゲンはすぐ終わり腹部エコー検車は案の定2人目。と終えて出てきたのがF田K子さんでしばらく雑談。3年ぐらい前にスーパーで声を掛けてくれて以来だ。最近は大きなエスティマに乗ってませんねと言ったら軽に替えて7年を過ぎていると。
胃の検診で35歳女性が担当者と仲良く話していたのにバリウムが飲めないと諦めて出て行った。私は途中で小さなゲップが出てしまい炭酸を追加投入される始末。終わると胃の検診担当者が表にいて話し掛けられ川を見に行っていた。ちょうど1時間で帰宅。夜は米ちゃんのことを考えて泣き通し。
最近HNKの「逆転人生」をよく観るのだが先日は空調服が取り上げられていた。夏の作業現場で今や必須だと聞く。それで思い出したのが2017年に買った車の座席用のクールクッション。今年も装着しようと助手席用のメッシュシートと一緒に水曜に取り出した。
ところが白いカビが生えている。背中部分も少し白いが特に太ももが当たる部分が酷い。汗をかいてジーンズ越しにクールクッションの布に染みこんでいたのかも知れない。でも別の目的で数週間前に布や革に使えるカビ落としを購入していたのである。早速これを使おう。
噴霧用ヘッドを取り付けたが最初は一向に出てこず焦ったがノズルを90度回転させて解決。吸い込まないようマスクを付けて噴霧して15分放置。カビは死ぬが残骸が残るというので除菌シートで拭いた。さらに1時間放置して乾かして車の中に持ち込みハンドルの上に掛けて乾燥させ今日取り付けた。
今日は17時半に夕食をとり消防点検。M氏が中央に行き分団長は待機してT君Y田君N野君ら若者を乗せ消防車を運転。19時前からビール3本飲んで21時に解散。途中K野から電話があり6年前に亡くなったN島嬢のご主人で同期のY田君が亡くなったと連絡があったと言う。帰宅して話もしたが・・・。
金曜に5年ぶりのがん検診を受ける。今日から検便採取。これさえなければ毎年受けてもいいのだが。前に医師のH野君から大腸ポリープができやすい体質かもと言われ気にしているのだがその切除手術のときのことを記録しておく。健康診断で便に潜血反応があると言われた1998年3月のことだ。
3月末でJ社を辞めることが決まっていて健康保険が効くうちにと近所にあった川内の大塚外科内科に入院した。6人部屋で痔の手術を受けるというおじさんがいた。病院で渡された下剤を飲んで1時間に何度もトイレに行ったのは記憶によると川内の自宅だったから入院は手術後だけだったかも知れない。
手術は台の上に立っていたような気がするのだが麻酔が掛けられた。肛門に管が挿入されてから医者に何か変なことを話し掛けたのは麻酔の影響かと後から思った。腸の中で押された感覚もあった。入院は2泊か3泊で会社の近所だったから部下のN藤嬢やZ嬢らが見舞いに来てくれたのは覚えている。
入院中だったか後日だったか診察室で手術中の映像を見せられて説明を受けた。ピンクの管の中でポリープに針金を引っ掛けて切って回収する。検査の結果がん化していないと言われたが切除したのは4つ。それ以来気にはしているが5年前の検査では何ともなかった。そろそろ再発の覚悟はしている。
傍示八幡神社の夏祭り。昨年に続き10時に行った。奥社から戻ってきていたM本氏に先日買ってきていた賢見神社のお守りを渡し古い方を回収。拝殿では神社総代長Y中氏が若返っていたから話し掛けたら6kgだか8kgだか痩せたんだとか。しばらく雑談していたのだがお太夫さんが来ていない。
20分遅れで来られだんじりが始まったのは10:30。いっきゅう茶屋の定休日でM本嬢がいる。大鼓を私と2人で。変拍子で多分M本嬢が小鼓の1拍分だけ早く打ったんだと思う。A氏の小鼓が止まって最初からやり直し。その後は順調。M本嬢と拍子がピタリ合うと私一人が叩いているような錯覚に陥る。
だんじりは10:45に終了。11時頃から神事だが太夫は順序をすっ飛ばしたり階段を上る足元が危ないし。無事終わってN岡氏がテーブルを出すのを手伝って今日は私も居残った。M本氏とH木氏が持って来てくれたビールを頂く。金麦350mLとスーパードライ500mL。最後は日本酒を少し。
昨日お昼頃は激しい雷雨だったが今朝は晴れた。梅雨明けかと思っていたのに飲んでいたら大雨。何度か雨が降り話題は地域の課題のこととか。太夫と何人かが途中で帰って最後は神社総代3人と計6人。餅をM本嬢宅に届け14時に帰宅。夜は新型コロナウイルスに上勝町70代男性が感染とのニュース。
地図は防災教育に役立つしさまざまな情報が詰まっているとA社の仕事で原稿に書いていて思い出したことがある。小学校3年かその前後だと思うが家の近所の地図を書いた。実家のテレビがある部屋の食卓かこたつだったと思う。定規を当ててA4ぐらいの紙に書いた。
自宅から学校はほぼ真北に約1km。南北の通学路を中心に東西200mぐらいの範囲だった。ある程度できた地図を見て母が「こんなところに道やあったで?」と言う。旧撫養街道の少し南を東に入る路地があって駄菓子屋があったのだがそこから北にさらに細い路地が2本延びていて古い家屋があった。
その北に延びる路地を母は知らなかった。隣の同級生Y美ちゃんの家業である建設会社で働いている人の家が路地の突き当たり左にあって金魚か何かをもらったことがある。当時は母は自転車で買い物に行っていたがこの辺は通る用がなかったのかも知れない。一方私は通学路を少し回り道した範囲。
学校から真っ直ぐ帰らず寄り道をしていた証拠かも知れないが子どもの観察眼は大人にはない証明だと思っている。当時は興味を持って鳴門駅までの距離を地図上で測ったりもした。通学路を離れ市役所方向に広げて地図を書いたこともある。ただの興味だったがあれはあれで面白かった思い出。
実家のトイレは廊下から北向きに長細いスペースだ。入ってすぐ右に男用小便器。中央に仕切りの戸があって奥に和式。くみ取り式で台風になると水位が上がってくることは前にも書いた。和式トイレは東を向いていて右前に便所紙を置いていた。北に歩いて東向きにしゃがむから左足は便器を跨ぐ。
そういうこともあって弟の友達がスリッパの片方を落としたことがある。本人は申告せず帰ってしまい後に母が言っていた。弟が幼稚園の頃だと思う。 バキュームカーは年に数回来ていたと思う。あらかじめくみ取り券を小学校の通学路にあった同級生の実家で八百屋の馬居商店で買っておく。
小便器の手前隅に小さな手洗いがあったが水受け部分が小さすぎて周りを濡らす。高校の頃に水をぶちまけ母から小便をこぼすなと叱られた。最初は無視していたがしつこく怒るのでおしっこじゃなくて水だと後から抗弁したが最初から言ってなかった私の負け。今は母が使用禁止にしている。
父は痔だったからウォシュレットにした方がいいと元奥さんがいるとき家族に言った記憶がある。1991年か1992年だと思うが洋式に換えたのがいつなのか覚えていない。手洗いも小便器も新しくなったのだが1990年代半ばだろうか。間にあった仕切り戸はなくなり洋式の今は南の戸に向いて座る。
TOTOと言えばウォシュレットだが発売は1980年らしい。戸川純の「おしりだって洗ってほしい」のCMが1982年。高校を卒業する前から観ていたのだろう。でもウォシュレットを初めて使ったのは1988年にJ社に入社してから。沖浜の本社ビルのトイレは全てウォシュレット付きで感動したものだ。
1989年に入社して社長秘書になるK川嬢だったかが面接に来た前年トイレでボタンを押したら水が噴き出しブラウスを濡らしていたと後に社長から聞いた。面接でインパクトを残したのだから正解だったかも知れないがボタンの意味が分からないほどウォシュレットは普及していなかったと思う。
中高時代のアマチュア無線仲間で日経データプロ編集にいたM本氏が取材に来たときウォシュレットは気持ちがいいと力説していたのが1990年頃。でも結婚して住んだ昭和町8丁目の3LDKも離婚して一人暮らしをした南昭和町5丁目の1DKも洋式ではあったがウォシュレットはなかったように思う。
1996年に購入した川内のマンションはウォシュレット付だった。福岡時代は記憶にないが多分あったと思う。そういう部屋を選んだはず。再婚して東京で住んだ千歳烏山のマンションでは妻が発注して後付けした。洋式トイレは1980年代に普及しウォシュレットは1990年代に広がったようだ。
日経新聞の最終面に月単位で連載される「私の履歴書」は必ず読む。6月はTOTOの元社長で木瀬照雄さんという方の半生だった。TOTOと言えばウォシュレット。その前に洋式トイレだ。子どもの頃の我が実家は汲み取り式の和式でもちろんトイレットペーパーではなく四角い便所紙を置いていた。
洋式トイレを初めて使ったのがいつだったか覚えていないが使い方を教えてもらった記憶はある。新浜に住む母方の叔母宅が家を建て替えてトイレが洋式になったと聞いた。当時は珍しくて母らが盛んに話題にしていたのだが不思議だったのが後ろ向きに座るということ。強烈な違和感があった。
それは高校1年のときだったように思う。そんな洋式トイレ話をしていたとき当時の松茂町長の息子だったクラスメートのN川君がうちは洋式だと言ったのである。さすが松茂町長の家だ。そのとき水が溜まったところにうんこが落ちたら跳ね返ってくるんじゃないのかと疑問を言った。
それに対してN川君はトイレットペーパーを水の上に浮かべておくのだと教えてくれた。へぇ。でもそれをやっても跳ね返ることはあるよね。洋式トイレに慣れすぎて置き方が雑になったからか勢いがありすぎるからか結局トイレの構造上の問題なのか。TOTOに解決して欲しいと思っているのだが。
6月24日にWindows11が発表された。Windows10ユーザーは今年秋から来年に掛けて無償アップグレードできるとか。システム要件はそれなりにあってアップデートできるかどうか調べるソフトが提供されている。試してみたところ私のデスクトップはWindows11のシステム要件を満たしていた。
だからと言ってアップデートをしたいわけではない。やれることは大して変わらないだろうがそれならアップグレードする意味はあまりない。余計なトラブルが起こっても困る。現行のWindows10のサポートは2025年までというので今のPCはそれまでこのまま使うつもりでいる。
一方モニターを新調しようかと書いてから8ヶ月。IODATAの31.5型WQHDをヨドバシのカートに入れていたが後継機が出て価格が上がってしまった。その後継機LCD-MQ322XDB-Aはヨドバシで現在48,070円。と先日岐阜高山にいる元同僚A川氏がDELLの曲面4Kモニターを買ったらしい。
その中でビデオカードが対応していたという記述を見て私のPCも調べてみた。インテルCore i5-8500 プロセッサーのプロセッサー・グラフィックスの項を見るとインテルUHDグラフィックス630でHDMIやDPで4096×2304。踏ん切りが付かないままだがこれも値段が下がったら考えよう。
井上正康氏について専門バカは失礼かと動画を見直した。と死者数がストンと落ちると説明している両対数グラフの横軸は日数だと思っていたがイタリアのグラフが落ちた先は600という数字。2020年7月14日現在とあるから週でもなく日でもない。グラフにはトラジェクトリー分析と書いてある。
調べてみると横軸は日数ではなく人口100万人あたりの累計の死者数だった。縦軸は人口100万人あたりの1週間の新規死者数。都道府県別に感染者の増加傾向などを見るのに用いられているらしい。いずれにしても感染が落ち着けばストンと落ちるのは当たり前のことだ。
そこで検証してみようとNHKのデータをダウンロードしエクセルでグラフを再現してみた。昨年7月中旬でストンと落ちるまではよい。ところが第3波と第4波とグラフはさらに右肩上がりになった。事実第2波こそ少なかったが第3波も第4波もピーク時は第1波の何倍もの方が亡くなっている。
それなのに死者は夏以降出ていないとか去年の暮れもほとんど死者は出ていないと語っている。第2波以降を無視しているのは第1波で免疫獲得の論理を立てたから後に引けなくなったのか。第1波で収束しなかった間違いをなぜ認めないのか。井上正康氏は専門バカどころかとんでもない嘘つきだった。
井上正康氏の説明は日本人は既に集団免疫があるからADEのリスクのあるワクチンを打つ必要はないという論理だ。でも昨今のワクチン接種で高齢者の陽性者が減少していることからも第4派まで死者数は増減を繰り返していることからも日本人が既に集団免疫を獲得しているという主張は無理がある。
では氏はどこで間違ったのか。IgG抗体の出現から日本人には免疫があると予断を持っていたところ各国の死者数の減少を見て集団免疫獲得と勘違いしたからか。しかも例年のインフルエンザ感染者数が急減するグラフと同一視。2つの曲線が似ていると「発見」したのが間違いの元かも知れない。
そもそもIgG抗体の出現から免疫獲得と勘違いした理由は氏がファクターXだと説明する土着コロナの影響ではないのか。それを新型コロナの抗体だと解釈してしまった。当時インフルエンザが流行しなかった理由も手洗いや消毒といった行動変容を無視して単純にウィルス干渉だと解釈している。
第1波で死者数が減ったのは人々の行動制限が理由と考えるのが自然だろう。つまり医学的な説明は正しくても手洗いや消毒やステイホームといった人々の行動や社会のあり方を無視して全ての事象を医学だけで論じるから誤った結論を導いてしまった。専門バカによる間違った論理と言えると思う。
大阪市立大学名誉教授の井上正康氏の動画を観た感想とワクチンのリスクについて書いた。主なリスクは抗体依存性感染増強(ADE)ということも理解した。このADEについて検索すると面白い説を見つけた。埼玉大学の教授が書いたコロナ変異株に関する免疫学的考察。
なるほど前半の仮説は井上正康氏が主張していた土着コロナウィルスのことだろう。後者の仮説に立てば「皮肉にもワクチン接種者のほうが強いADEを起こしてしまうような新たな変異株の出現により新たなパンデミックが起きるかも知れない、という視点も必要です」ということか。
6月29日の日刊ゲンダイにはペルー発のラムダ株でワクチン効果が1/5になるという記事がある。ワクチンの効果が20%でADEのリスクがあるなら接種しない方がいいという判断もあり得る。がペルーのワクチンは中国製という情報もありmRNAワクチンはラムダ株にも効くというツイートも。
先の文章には従来株の感染力のピークは発症前0.7日とある。発症後に感染させるウィルスならいずれ強毒株は宿主とともに死滅するのだろうに発症3日前から感染力があると強毒変異株も生き残る。ワクチンも万能ではない以上は感染力が強い弱毒変異株の偶然の誕生を待つしかないのだろうか。
7時起床。プロテインバーとゆで卵を食べて塩飴を数個とアミノバリュー1Lも持って8時集合。消防団の水利草刈りである。まず草刈り機の混合ガソリンを給油。今年もエンジンは無事にかかってくれた。5班に分かれ私は下地組の班長になったものの差配は分団長に任せ切り。
詰め所裏の草を刈り始めてから昨年もやったと思い出したが今年は分団長と上の方でY山機械部長と本団T口副団長。さらに鎌のM繁氏とT君。別のところにA堵君ら4人だったか。9時過ぎに皆が腰を下ろしていて休憩。他の班の戻りを待っている間に住宅裏の水利を分団長が思い出して2人で草刈り。
さらに消防車を運転して放水しつつポンプの説明。待ち時間はY田氏が今年買ったというマキタの電動草刈り機について教えてもらったり。混合ガソリンを用意しなくていいのは楽そうだ。日浦班の帰還を待たず11時半前に解散。集合時は霧雨で湿度は高かったが曇りだったから暑くなくて助かった。
シャワーも浴びて昼寝もして17:15にY田氏から電話。蔭井谷水利前の鉄板を溶接して15時頃から飲んでいるから来いと言う。Y田氏Y田君にT中副分団長とS田氏。「マキタの社員ちゃうけどな」と言うY田氏と電動草刈り機の話をしてビール4本。妻も呼び出され21時過ぎに帰宅してカレーを食べた。
今週は木曜18時半頃に消防団の機械部長Y氏から電話。アマチュア無線の免許取得について消防団で講習会を開く話があって私が詳しいと聞いたと。無線のことは分かるが町の施策は知らない。でもY氏とは数ヶ月会ってなくて今日は消防にいるから飲みに来いと言われたので食後に行った。
T中副分団長がいるのは分かっていたが行ってみれば8人もいる。N野総務部長と先月も2人で飲んだY田君に近所の同級生S田氏と私の連絡網にいるK山君と役場N岡君。途中で帰ったがN蔭君も。19時半前に行って基本的にバカ話と昔話をして500mLのビール4本を飲んで22時半頃に帰ってきた。
金曜は交通安全協会費200円の集金でH木氏。キュウリをいただく。午後はフォレスターの5年の車検前診断でスバル。見積は21万円だが点検パックと延長保証を外せば14万円。さらに諸々外して半額に。さて新型レヴォーグは1.8LターボだがWRXの新モデルとともに2.2Lターボが搭載されるという噂。
その車を見てからレヴォーグまたはWRXに乗り換えたいと思っている。お金はないからフォレスターには最低あと2年は乗らないといけない現実の一方2年の延長保証をどうしたものかと検討中。今日は夕方K山氏からまたキュウリ。妻はK瀬嬢と会うためY木嬢の車で街に行ったので1人でラーメン呑口。
井上正康氏の動画で納得した点はいくつかある。まずウィルスの受容体は小腸に最も多くトイレが感染源になるということ。あるいは無症状者からの感染は0.7%で感染者をPCR検査で捕捉するのは非現実的なので感染症の分類を2類から5類に変えてかつ発症者を民間病院に入院させるべきというもの。
新型コロナウイルスのワクチンが持つリスクについてもよく分かった。まず人間の遺伝子の30%はウィルス由来でそれらは逆転写酵素の働きで入り込んだと。エイズウィルスなどレトロウィルスと呼ばれるウィルスは逆転写酵素を持っていてこうした病気の人は遺伝子のゲノムに入り込む可能性がある。
健常者の場合その可能性は極めて低いが体外から大量に入れた経験がないから将来起こることは分からない。一方で抗体ができることで抗体依存性感染増強(ADE)という副作用の可能性があること。SARSのワクチン開発のときADEのリスクが判明してmRNAワクチンの開発が中断していた。
井上氏の主張は新型コロナウィルスに日本人は既に自然感染しているから余分にワクチンを打ってADEのリスクを上げる必要はないというものだ。しかし何度も自然感染することでADEが起こる可能性もあるだろう。だとすればワクチンだけ特別扱いしてリスクを強調する必要はないはずだ。
そもそも昨今のワクチン接種で高齢者の陽性者が激減している事実からも日本人に既に集団免疫があるという前提が違っている。となるとワクチン接種でADEが起きるという根拠がなくなる。結局ワクチンにリスクはあっても感染予防のメリットが格段に大きいという結論しか導き出せないのだが。
反ワクチン派に話題だと聞き大阪市立大学名誉教授の井上正康氏の動画をいくつか観た。まずYouTube動画は今年2月のもの。ニコ生動画は5月。医学的に難しい内容を詳しく分かりやすく説明していて面白かった。例えば血中抗体の半減期は36日で半年経てば1%になるが免疫記憶は持っていると。
昨年3月までに中国からK型とS型の弱毒株が入っており抗体IgGの出現を調べても日本では集団免疫を獲得しているとする。日本を含む東アジアで新型コロナウイルスの死者数が欧米に比べて少ない理由ファクターXについても風邪のウィルスである土着コロナによる免疫があったと説明している。
一方で2020年1~2月にインフルエンザが流行しなかったのを新型コロナとのウィルス干渉が原因だと言う。でもファクターXとなった土着コロナが蔓延していたのなら新型コロナが入ってくる前でもインフルエンザは流行しないのではないのか。私には言っていることが矛盾しているように聞こえる。
どの国でも死者数がピークになると以後ストンと落ちるのは集団免疫獲得の証拠だとも言っている。でも時系列をLogで取れば感染が落ち着けば対数グラフがストンと落ちるのは当たり前。しかも第1波だけのグラフを示して第2派以降を無視している。典型的な誤魔化し手法だと私には見える。
超過死亡数が減っていることをもってコロナの威力は大したことがないと言っているのも分からない。個々に誰も対策がない状態で減ったのなら分かるがここも論理のすり替えが行われているように感じる。国の人口密度と死亡率を比べるのも行動習慣などの要素を無視していて意味がないと思う。
mRNAワクチンの説明は分かりやすくリスクも理解できた。集団免疫があるからワクチンは不要という主張なのだが前提になる論理に納得感がない。医学的な説明は正しいと思うがデータを誤用した上に個々の事象を全て医学だけで説明しているから整合性がない。これを信用するのは私には無理だ。
<Diary Index Page>
<Top Page>
© 2021 Takashi INAGAKI