<Diary Index Page> 2021年6月
Scrivener 3 for Windowsだが体験版を使う前に料金を確認していた。サブスクリプションではなくダウンロードで買い切り。2~3万円かと想像してアクセスすると何と5,800円。意外な安さにびっくり。仕事の原稿で役立つことはありそうだが5,800円なら買っておいてもいいと思った。
というわけで今日購入。支払い方法はPayPalかクレジットカード。PayPalの個人アカウントは11年前にUstreamの配信ソフトをダウンロードして以来かも知れない。以来よく分からないので敬遠していたPayPalだが昨年に法人アカウントを作って海外からの入金に使っている。
それでPayPalにも慣れていたところ先々週あたりに1,000円のクーポンが届いてウォレットに保存していた。これを使えば実質4,800円になる。期限は今月だったからPayPalにアクセスしたのだがクーポンがない。米国はまだ6月29日ではなかったのか。先着順で消えたのだろうか。
でもいい機会だと思って支払いを試してみた。Scrivener体験版を起動して最初のダイアログでBuy Nowを実行。PayPalのパスワードの入力画面が裏に隠れていて戸惑ったのだがあっさり支払いはできた様子。さてユーザーになったScrivener 3だが次に使う機会は来るのだろうか。
偶数月の月末なので散髪に行った。上勝に移住して当初は4ヶ月に1度だった散髪を2ヶ月に1度にしたのは4年前。11月3日の秋祭り前と年末を基準に最近は年6回通っている。今日は銀行の振込手数料をケチるために半年間未払金で処理していた自分たちの役員報酬を支払うついでに鳴門まで行った。
前回は大将がコロナ陽性疑いだったが今日は私の従兄弟の話から諸々。5歳下の従兄弟を知っているというので人物評を聞く。それからどこかの社長が鳴門の山を崩して水脈を断ち切って大変だとか埋蔵文化財を無視していたとか徳島の輸入車販売会社の社員が中古車の買取で詐欺を働いていたとか。
詐欺と言えば先日家賃給付金の不正受給で逮捕された経済産業省の官僚が私の小学校の同級生と同姓でまさかあいつの息子じゃないよなという話題から話を聞けば私の同級生の弟は大将と同級生で以前詐欺で捕まっているらしい。あるいはたまに脅迫に来る頭の悪いヤツもいるとかそんな噂話。
散髪屋は地域の情報のハブだと思う。大将曰く嫌な目に遭うと自分が人にしゃべるから相手は地元で悪く言われるだけだから頭が悪いと。散髪を終えて実家に寄ったら母は不在で高齢のミニチュアダックスフントが耳も鼻も利かないのか私に気づかない。大声を出して振り向かせて写真を撮った。
ツイッターkaoyogaアカウントとK浦氏のPC (6月28日・月)
SNSの中で私はツイッターをよく見ているのだが顔ヨガ元講師の裏切り者がアカウント名を変えていることに気づいた。2週間前はkaoyogaだったと思う。アカウント名を変えられることを知らないのかわざと使い続けているのか分からなかったがいつか変えてくるだろうと予想していた。
kaoyogaが空いたならすぐ押さえておきたい。と言っても新規に作るにはメールアドレスから作る必要がある。休眠アカウントがあったはずだと探したらMetaMoJiの仕事用に作ったものがあった。仕事自体はMetaMoJiから提供されたものを使っていたようだが事前のテスト用に使っていたらしい。
2013年2月に作っていた。でもパスワードが分からない。何度かトライして分かったのは本アカと同じものだった。あれれ。ともかく以前のツイートを削除してアカウント名の変更はあっさり終了。kaoyoga。鍵を掛けていたのを解除してプロフィールと固定ツイートの内容を書いた。
さて18時半頃K浦氏から電話があり新しいPCが再起動してパスワードが求められると言う。よく分からないので行ってみるとMicrosoftアカウントが求められている。これを入力しない設定にしたのだが。特に問題はなくWindows UpdateとDELLのファームウェアも更新して19時過ぎに帰宅。
デジタルサックスなる商品があるんだそうな。先週だったかワールド・ビジネス サテライトで日経MJの上半期ヒット商品ランキングが紹介されていて知った。調べてみるとヤマハから昨年11月に発売されている。コロナ禍で自宅に籠もる時間が増えた人が買っているのだろう。これはいい。
そのデジタルサックスYDS-150の機能を見てみるとサンプリングされた音源をスピーカーで鳴らすらしい。もちろんヘッドホン端子がある。入力端子もある。単4乾電池4本で動作しサンプリング音源だから1本でソプラノ・アルト・テナー・バリトンのサックスからハーモニカや尺八の音まで出せると。
私がアルトサックスをもらったのが3年前。妻が不在のとき練習も始めたが直後に住宅の外壁塗装工事が始まり恥ずかしいから止めていた。その後に空き室だった隣と上階に住民が入った。どちらも夜勤がある人で日中に寝ているかも知れない。サックスは音が大きいから練習は遠慮してそのまま。
でもデジタルサックスでイヤホンが使えるなら音の問題は解決する。俄然興味を持った。番組では10万円ほどと言っていたのに直後にアマゾンで調べたら15万円もする。ヤマハのサイトでは予約から6~8ヶ月待ちと。アマゾンでは徐々に下がったが今また15万円。下がりきったら買おうかと検討中。
日経新聞6月21日の経済教室・私見卓見というコーナーでフランスのエンジニアリング会社に勤めるロドルフ・ドメストルという人の投稿を読んだ。ウィルスの名前に発生国名は入れないのがWHOのルールだと聞いているが新型コロナウイルスCovid-19についてここでは敢えて中国ウィルスと記す。
この人は中国ウィルスの発生源は武漢ウィルス研究所からの漏洩ではないかと個人的に調査を始めて今ではWHOとも協力しているらしい。論の要点は原子力では安全で軍事転用されないよう監視視察規制を行う国際原子力機関(IAIA)があるようにウィルスにも同様の国際機関が必要だというものだ。
この投稿によると危険な病原体を扱う施設はバイオセーフティレベル(BSL)で分類され最高はレベル4なのだがこの人が調べたところ中国の武漢ではレベル3以上の研究所が過去15年間で6カ所作られており少なくともうち3カ所でコロナウィルスが研究されていたと言う。
ワクチン陰謀論はバカにしている私だが中国ウィルスが武漢ウィルス研究所から漏れたことは疑っている。これはワクチン接種の動機にもなった。中国ウィルスの犠牲にはなりたくないし敵国の攻撃に怯えたくもない。米国製のワクチンの方を信じるし同盟国のミサイルで迎え撃ちたいということだ。
ロッド・スチュワート「アトランティック・クロッシング」とビリー・ジョエルのアルバム4枚をCDで買おうとしたときアマゾンでは6月21日から2日間プライムデーだと知った。ポイントアップされるが1万円以上が条件なので他に買うべきものがないか物色。思い付いたのがクイーンのCDだ。
3年前に観た映画「ボヘミアン・ラプソディー」が先日金曜ロードショーで放送されていて録画した。クイーンは1枚目「戦慄の王女」と3枚目「シアー・ハート・アタック」を1990年頃に買いベスト盤も持っていたが10年前いずれもカセットで聴いて知っていた4枚を一気に買い足した。
でも足りないCDがある。まず2枚目「クイーンII」を持っていない。それから中学3年のとき発売されたアルバム「ジャズ」は当時LPで買ったがCDがない。さらに高校2年の3月に女の子と観に行った映画のサントラ盤「フラッシュ・ゴードン」もカセットで持っていただけ。
10年前に買い揃えたいと書いていたのに今頃になって。この3枚も今回買って今日届いた。FLAC化の方法をすっかり忘れていたしエクスプローラーを起動しているとCDがリジェクトされてしまい戸惑ったのだが昨年10月の日記を参考にして何とか計8枚をリッピングできた。ウォークマンにも転送。
中学時代はチープ・トリックやディープ・パープルなどハードロックが好きで高校時代から音楽の趣味はピンク・フロイドなどプログレッシブロックに向かった。でもビリー・ジョエルも好きでよく聴いた。多分高校1年の頃NHKラジオの英語講座で取り上げられていて歌詞を覚えてからだと思う。
覚えたのは「オネスティ」と「素顔のままで」。この2曲の歌詞は単語も文法もリズムも簡単で高校1年ならすぐに覚えられた。「オネスティ」はアルバム「ニューヨーク52番街」に収録されていて大学に入ってからLPを買った。「素顔のままで」が入っている「ストレンジャー」は持っていない。
1980年の「グラス・ハウス」の曲はラジオでよく聴いたし1982年の「ナイロン・カーテン」は東京での仮面浪人中だったから「プレッシャー」が流行っていたのもよく覚えている。多分これらのアルバムは大学時代にLPをレンタルしてカセットにダビングしていたと思う。
その後1995年頃に「ビリー・ザ・ベスト」をCDで買った。ビリー・ジョエルはベスト盤でいいと思ったのだろう。でもやっぱりアルバム単位で聴きたい。と思っていたらアマゾンで期間生産限定版が941円。プライムデーだったこともあって思わず4枚のアルバムCDを大人買い。
立花隆が4月30日に亡くなっていたという。最近20年ほどはテレビで話している内容を見るとピントがずれていて知の巨人も晩節を汚したものだと思っていた。でも学生時代は本多勝一や柳田邦男と並んで立花隆のノンフィクションは結構読んだ。 記録によると11作品を読んでいる。
このうち『中核vs革マル』は勉強になった。これを読んだ1980年代半ば頃は京都ではまだ学生運動の名残があって興味があった。共産党から分派を繰り返し近親憎悪を募らせた2つの過激派組織。正式名称は革命的共産主義者同盟中核派と革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派だったか。
『アメリカ性革命報告』もインパクトがあった。ステージで男性の肛門に別の男が顔を入れるイベントを見たそうで立花隆の興味の幅に驚いた。入れる方は窒息しないようチューブを咥えており何時間も掛けて入れられた方はその間に8回だったか射精したとか。その記述を覚えているだけだが。
立花隆と言えば私にとっては何と言っても『文明の逆説』である。これは13年前にも読み返している。そのときの感想をもとにすれば昨今のコロナ禍も人を減らす自然現象なのかも知れない。最初に読んだとき医療というのは実は自然に反する行為なのではないかと考えたことを思い出す。
昨日Scrivener 3体験版を使って仕事の原稿を書いてみた。まずバインダーと呼ばれる左の領域に独自のフォルダとテキストを組み合わせ文章全体の構成を作る。入れ替えは自由だしテキストを入れ子に設定することもできる。フォルダは章の見出しになるがテキストは本分だけが使われる。
最初に空テキストをいくつか作り各に書くべき内容のメモを記入。そのメモを膨らませて文章にした。原稿を書くメイン領域は左右に分割できるから右には過去の原稿を読み込んで参考にしたりコピペしたり。バインダーでテキストの順番を入れ替えて構成を変えたり追加したり。
1,600字の原稿であればWORDでも大して変わらないと思う。でも5,000字を超える原稿なら全体をバインダーで見渡すことができるから有用かも知れない。ただテキスト間には区切り線が入るので文章を部品として作るだけで部品の接続が断ち切られる感覚がある。慣れが必要かも知れない。
WORDにエクスポートするとフォルダが作られテキストは個々に出力された。コンパイルを実行することでテキストは1つにまとまって出力できたがテキスト間に改行が入ってしまう。文頭の字下げも1字分だったり1.5字分だったり。アイデアプロッサとしての使い方が一番向いているかも知れない。
A社のK氏から原稿について打ち合わせをしたいとメールが来たのが土曜朝。土日は妻が顔ヨガ講座だから声を出せない。月曜以降にお願いしたがK氏は今年書いた原稿をベースにしたいと前に言っていたから準備ができないかと過去の原稿を探してみた。それで思い出したのがScrivenerだ。
原稿作成ツールというかアウトラインプロセッサというか。過去の原稿をWORDでいくつも開くよりこのソフトで文章を部品のように一括管理できれば便利だ。あるいは文章のパーツを組み上げる用途に向いているはず。昨年9月に体験版をダウンロードしたがMac版がVer.3なのに古いVer.1だった。
Mac版Ver.3の解説本も買っていたが読んだかどうか記憶がない。改めてサイトに行ってみるとWindows版Ver.3は今年3月に発売されていた。体験版をダウンロードして改めて解説本を見ながら機能を確認。日本語を指定したがメニューは英語と混在している。ダイアログの設定項目は全て英語。
解説本はMac版が対象だから画面説明も結構違う。でも想像しながら英語を読みながら何とか基本的な構造とできることは理解した。今回の原稿は1,600字だからWORDで一気に書いた方が早いような気もするが今日午後に打ち合わせをしたので早速Scrivener 3を使って書いてみた。感想はまた後日。
水曜に妻が会ってきたK瀬嬢からお土産だと「棒ういろ」をもらった。何だっけ聞いたことがあるぞ。と思ったら一昨年秋に北海道に行ってしまったS嬢が美味しくて好きだと言っていて覚えていたのだった。これを売っている竹内製菓の店舗が西新浜マルナカの西あたりにある。
1個ずつ包装されていて賞味期限が短い。添加物がないらしい。初めて食べたが甘すぎず美味しかった。それにしても「ういろう」だと思っていたが「棒ういろ」なんだとか。これは元同僚M谷嬢が偶然Facebookのコメント欄に書いているのを見て知った。賞味期限は過ぎたが今日も食べた。
昨日は沖縄の宮古島からマンゴーが届いた。調べものをした相手からお礼をしたいと言われ3月に住所を教えていた。プレミアムアップルマンゴー5個入り。過去の取材について2月に書いたきっかけも同じ方からの依頼だった。どういった用件で誰からの依頼だったかは来年になれば書けると思う。
昨日と今日1個ずつ食べた。マンゴーは今までも食べたことはあるが丸々1個を見たのは初めてかも知れない。妻と2人で分けるから量も十分。ちょうど食べ頃だったし計算すると1個が1,500円もする高いものだけあって甘くて美味しかった。わざわざ送っていただきありがたいことだ。
新型コロナウイルスCovid-19のワクチン接種券が届いた。接種日も指定されている。本音を言えば受けなくて済むならそれに越したことはないので意向調査に回答してからも接種するかどうか考えていた。でも若者を中心に接種しない人は多そうだ。集団免疫のためには受ける人は多いほどよい。
有害事象は何年後かに現れるという説がある。それが事実なら世界中の医者が同じ症状になるわけで私がもし別の病気になっても治療は困難かも知れない。それなら同じことだろう。考えられるリスクがあるとすれば将来開発されるかも知れない遺伝子系の医療で効果が出ない可能性はあるという。
でも今は存在しない治療を心配するのはバカげている。中学生の甥には奨めないが私の年齢なら今あるリスクに対処する方が一万倍正しい。ある程度の年齢で接種を拒む人はこれから何年生きたいと思っているのだろう。反ワクチン論者は福島の農産物は危ないと未だに言っている人と同類に見える。
自分は接種せず集団免疫ができるのがベストとツイッターに書いている人がいてその通りなのだが私はやはり自分だけ賢くやろうという考え方はしたくない。そんな生き方をしたくない。接種直後の副反応は免疫が働いた証拠だというので2日間寝込むことを覚悟して全ての書類に記入して準備万端。
今週は火曜に消防点検。4月と同様M下氏と2人で中央へ。終えて1人で鶴居商店に行きナッツとソーセージとパンを買って詰め所に戻った。消防車にはH木分団長と役場の2人T君とK本君それにY田君。2Fでは分団長がビール1本で帰ってY田君と2人で3本。神戸港での業務の自動化の話を21時頃まで。
水曜は妻が徳島市内へランチに。K瀬嬢と久しぶりに会ったらしい。お土産に棒ういろうをいただく。今日はコーヒー豆がなくなりそうだったので三軒屋のやまなみ珈琲へ。リカオーで日本酒を2本だけ買い駅前の三菱UFJ銀行で記帳もして帰りにかつやで夕食にしたのは10日前と同じパターンだった。
今回は仲之町のシェルで給油。看板はアポロステーションに変わっていた。昭和シェル石油と出光興産が経営統合して今年4月から両社のガソリンスタンドが順次切り替わっている。フォレスターのガソリンはハイオクでシェルV-Powerを指定してきたがアポロステーションでも引き継がれる様子。
そう言えばJ社時代の部下M川嬢が結婚した相手が出光興産の社員。創業者は映画化された小説「海賊とよばれた男」でも描かれたが当時から大家族主義と聞いていた。それで1990年代後半は必ず出光で給油していた。最近はV-Powerのシェルを贔屓にしていたが20年経って出光に出戻った感じ。
中学2年のときクラスメートだったK木R絵からクイーンを教えられたのだが同時にロッド・スチュワートも知ったことを思い出した。クイーンは4枚目のアルバム「オペラ座の夜」と5枚目の「華麗なるレース」をカセットテープの両面に録音して渡してくれたのだと思う。
中学2年の3月に行った九州への修学旅行の頃にも聴き込んでいて今でもクイーンの2枚のアルバムを聴くと別府の地獄巡りの情景を思い出すことができる。と先日ロッド・スチュワートを聴いたときも同じ感覚が蘇った。つまりK木R絵はクイーンとともにカセットは2本くれたのだ。
就職して1990年頃に「明日へのキックオフ」をCDで買って持っている。このアルバムは1977年だから中学2年のときはまさにヒット中の作品だったと今にして知る。カセットの片面は何だったのだろうと調べて名曲「セイリング」が入っている「アトランティック・クロッシング」だと思い至った。
その後1978年の「スーパースターは金髪がお好き」は「アイム・セクシー」などをラジオでよく聴いたが結局買わなかった。とりあえず当時カセットで聴いた「アトランティック・クロッシング」のCDをアマゾンのカートに入れたところ。来週月曜がポイントアップだから注文はそれからにするが。
同志社大学2025 ALL DOSHISHA募金 (6月16日・水)
昨年に続き今年も同志社大学2025 ALL DOSHISHA募金 の案内が届いた。同封された寄付者一覧冊子の中に私の名前も見つけた。昨年は困窮学生を対象にした特定寄付奨学金を指定して拠出したのだが当時はコロナ禍で学生が影響を受けていることに気づいていなかった頃だったと思う。
親の収入が減ったりアルバイトができなくなったりして退学を検討している学生がいると秋頃から知るようになったか。そうしたニュースを観て1万円しか寄付しなかったことを後悔して今年は額を増やそうと思っていたのである。そして今日Web登録もしたが郵便局から5万円を払い込んだ。
さて今年3月に友人K野が息子の進学で相談があると連絡してきた。同志社を含めて2校に合格して迷っているという話で問われるままにどんな大学か私なりに説明した。そのとき新島襄が米国で寄付を募り設立した学校だと話していて同志社には寄付文化が根付いているのかも知れないと思った。
K野の息子は私と話したこともあってか同志社に進学。K野が改めて調べると同志社は奨学金が充実していると言っていた。同志社の建学の精神など学生時代は興味もなかったのにNHK大河ドラマドラマ「八重の桜」を観て気づいたことだが今になって私の精神に深く入り込んでいるような気がする。
コーヒーは事務所で毎昼食後に飲むのだが相変わらず14年前に買ったDevicestyleのコーヒーメーカーBrunopasso CA-6を使っている。ポットだけは同じ型でその2年前に買って使っていたCA-5Sを流用している。上勝に来てからはゴミを出さないよう付属の金属フィルターを使っていた。
でも経年劣化で破れたか使えなくなって新しく金属フィルターを買ったのがアマゾンの履歴によると2年前の3月で注文したら中国から送られてきた。584円。安いものだが意外に使えていた。でも最近取っ手部分が本体からすぐ外れるようになってきた。外れるとイライラする。
アマゾンでは同じものをまだ売っていて安いものだから注文したのが5月27日。送料150円を加えて734円。それが月曜に届いた。剥き出しの商品にプチプチを詰めて周りを何重にも巻いてペラペラの袋に入っただけで届いた。こんな包装で大丈夫かと思ったが特に変形もしておらず問題はない。
鍋に入れて煮沸して今日から使っている。豆は手動で挽いていていつかハンドドリップで淹れようと思っているのだがコーヒーメーカーが壊れない。壊れないから踏ん切りが付かず現状のまま。フィルターも新調したからしばらく今まで通りでコーヒーを淹れることになりそうな。
修理から戻ったK浦氏のPCで先日Chromeの同期設定をしたらスマホと連携したらしい。それでPCでもYouTubeを観るようになって新しいPCにスピーカーは付いているかと昨日訊かれたのだが確認するとビジネス用だからかなかった。でも以前間違って買って私が持ち帰っていたスピーカーがある。
それで昨夜のうちにスピーカーを繋いで確認していた。今日はそのスピーカーとDELLの新しいPCとLANケーブルの箱を持って14時過ぎに行った。LANケーブルはCat5のものしかなかったが当面は大丈夫だろう。諸々のケーブルを繋いでから起動。Chromeの自動起動を忘れていて現場で設定。
いろどりのログイン設定してgmailアドレスを使ったChromeの同期設定も行った。YouTubeで音が出ることを確認してGoogle Mapも見て随分古いなと話をして。アナログな人だと思っていたがスマホでgmailを使うようになってChromeの同期設定をしたことでPCでも使うようになったとか。
それなら私もgmailに送ることができるとアドレスをメモしておいた。ビールとお代をいただいたのだが帰宅して計算したら8,000円以上余計にもらってしまっていた。どこかでおごろう。一旦帰宅してからいただいた現金に財布の中の万札を足し郵便局で少しだけ引き出して住民税を納めてきた。
K浦氏の故障したPCの修理と同時に別に新しいPCを発注していた。DELLの注文確定メールのリンク先には6月22日配送予定とあった。そんな5週間はかからないだろうと思いつつメールも来ないので昨日になって再度リンク先のステータスを見ると昨日配達予定になっている。佐川急便で来るらしい。
K浦氏にSMSで連絡したが外出していたそうだ。ふとiPhoneを見るとSMSに「佐川急便よりお荷物のお届けに上がりましたが宛先不明の為持ち帰りました」とある。15:36。URLもある。フィッシング詐欺だと思いつつ宛先にK浦氏と私の住所名前が混在していて本当に持ち帰ったのかも知れない。
改めてDELLのメールのリンク先を見ると15:07に配達完了と明記されている。やっぱり先のSMSはフィッシングだ。それにしても何というタイミング。URLを叩くつもりはなかったがホンモノかも知れないと一瞬でも思ったことを反省した。危ないメッセージは無視するに限ると再確認した次第。
さてそのPCは設定するため持ち帰ってきた。妻がオンライン講座中だったので終わってから作業開始。初期設定でPWやPINを作って登録しWindows Updateは10分で終わったがログイン時のPWを省く方法が分からず右往左往。このページを参考に設定し今日はChromeのダウンロードまで。
2015年に買って2年だけ使ったWG2600HPをルーターとして復活させ2017年の2600HP2を中継機にして自宅でiPhoneは問題なく使えるようになったわけだが新機種もときどき検討している。設定画面に馴染みがあるのでNEC Atermから探す。年にいくつも新機種が出るので機能を追いかける。
最近はWi-Fi6という規格がトピックらしい。Wi-Fiが今まで以上に高速で使えるというものだが何十台も同時接続するのなら効果もあるだろうが我が事務所では私と妻のスマホ2台だけ。これでは高速Wi-Fiの効果はない。しかもほとんど有線LANのPCで使う。実効スループットは全機種でほぼ同じ。
勝浦郡内は光回線が一択で今はテレビトクシマの回線だ。ベストエフォート100Mbps。今後1Gbpsのプラン導入の噂もあるが実効速度は40~60Mbpsほどあって特段の不満はない。となると我が事務所では最も安い機種でも十分。でも自宅に電波が飛んでくれた方がうれしいのでバランスも考える。
Wi-Fi6対応機種は不要で速度以外の機能のバランスも考慮すると今使っている2600HPおよびHP2の後継WG2600HP4がベストだという結論になった。発売が昨年10月と新しくファームウェアも落ち着いた頃だろうし価格もヨドバシで10,970円と手頃でもあり。まだ買わないけれど検討だけ。
ネット回線は事務所にルーターを置いて隣室の自宅からはWi-Fiでアクセスしている。でも寝室は窓から離れているし鉄筋マンションだから電波が弱い。iPhoneの電波マークは1本か2本。しかも1月ほど前から一晩に1~2度Wi-Fiが切れるようになった。一旦1m窓に近づければ入感するのだが。
ベッドの上でiPhoneを見ているのが悪いのだが不便は不便。そこでWi-Fiの中継を思い立った。以前使っていたバッファロー製の中継機は設定に苦労した記憶があるし10年も前の製品だ。8年前に買ったNECはもう使わないと思い昨年Y山氏にあげてしまっていた。この機種なら中継機能があったのに。
2015年に買ったWG2600HPは中継機能がない。一方2017年から使っているWG2600HP2は中継機能付き。古い方は壊れていないし性能はほぼ同等。それなら古い方をメインにして新しい方を中継機として使えば解決する。しかも今後の故障リスクは4年使った新しい方が高く2年の古い方が低いはず。
そこで入れ替えた。中継は2600HP2のWEBマニュアルを見てCONVERTERモードに変えてからボタンを押し古い方も。これで中継接続完了。自宅に持っていき設置すると私のベッドでも電波マーク3本。中継すると親機のSSIDになるらしく妻のスマホのWi-Fiだけ設定した。これで快適になるはず。
父が車の8トラックカセットで音楽を聴かなかったのは元々習慣がなかったからかも知れない。昭和9年生まれだから音楽と言えば祭りか祝いの席ぐらいでしか聴かなかったし歌わなかっただろう。その息子は物心ついたときにはモノクロテレビがあり音楽番組で歌謡曲は聴いていた。
後にステレオセットで子ども向けのレコードも聴くのだが何と言ってもラジカセの存在が大きい。小学6年にして世に言うながら族になった。中学に入り友人たちは「オールナイトニッポン」派が多かったから四国放送ラジオか。私はなぜか朝日放送ラジオを聴いていた。
Wikipediaによると当初1010kHzだったとある。私が聴いていた頃に1008kHzに移ったはずだが1978年11月23日だったらしい。中学3年だ。でも学校から帰って夕方のNHK FMを聴いていた記憶もあるしFM大阪で午前0時から放送していた「ジェットストリーム」も中学の頃から聴いていたと思う。
アマチュア無線局を開局したのが1977年2月で中学2年の頃には3エレ八木アンテナを屋根に上げたと思う。50MHz帯用だから80MHzぐらいのFM放送も受信できたはずでこれを大阪に向けて同軸ケーブルをラジカセ用に分岐させていたのかも知れない。それからFM放送を聴くようになったのかも。
兄上らの影響でロックを聴くようになったK木R絵やI村君からさらに私は影響を受けたわけだが6歳下の弟はどうかと言えばこれがよく分からない。私が高校3年で弟は小学6年。私はクイーンやピンク・フロイドやティープ・パープルやチープ・トリックを聴いていたのだが彼は影響を受けなかった。
今はサザン・オールスターズのファンである彼はFacebookで数年前に私の影響だと書いていた。私が日本のビートルズだと教えたらしい。でも私はサザン・オールスターズを日本のビートルズだとは思っていないので彼の記憶が混濁しているではないかと疑っているが何せ彼は洋楽にはいかなかった。
音楽の影響をいちばん受けただろう弟の中高時代に私は大学進学で実家にいなかったからかも知れない。ただサザン・オールスターズで思い当たるとすれば「いとしのエリー」が主題歌だったドラマ「ふぞろいの林檎たち」を好きで実家に帰省したとき弟に何か話したことはあり得る。
Wikipediaによるとドラマは1983年と1985年に放送されている。私は大学2回生と4回生。弟は中学2年と高校1年。やはり「ふぞろいの林檎たち」か。弟が大学生になって帰省したとき私のCDを借りたいと確かスティングを2~3枚持っていったことがあるが洋楽を受け入れるには既に遅かったようだ。
以前は「響」の練習で週に1回か2回は徳島駅前まで行っていたのにコロナ禍で引き籠もっていると街に行くのは買い物のときだけになる。買い物といっても食料や日用品は妻が買ってくる。それも車で10分の隣町のスーパー杉屋ぐらい。私が買い物で街まで行くのはコーヒー豆と酒が目的のときだけ。
酒は日本酒を松浦酒造のオンラインショップで買ったりもするが基本はリカオーで一升瓶。妻は日本酒をお湯割りにしたりするから少し高めだが安く買った4合瓶ではなく一升瓶の方がいいと言う。それで4合瓶はまだあるのだが一升瓶が切れそうだから今日リカオーに買いに行った。
今回はそのまま三菱UFJ銀行で200万円を引き出し徳島郵便局に回って預け換え。200万円の札束の厚さに驚いて封筒2つに分けてバッグへ。ゆうちょ銀行に入れておけば地元の郵便局は車で2分だから何かと便利というわけで。そこから夕食を食べようとリカオーの横を通って最近よく行くエマルジョン。
ところが奥の席では飲んでいるし手前にはタバコを吸っている人。ハンバーグが美味しいのだが最近は刺身などの一品を揃えて居酒屋化している。前もコロナ禍なのに大声で宴会の人たちがいて嫌気がして今日はかつやで夕食にした。向かいの舩本も閉まっていてエマルジョンから足が遠のきそうだ。
京王線の千歳烏山に住んでいた2000年から4年間でよく通った居酒屋がなくなっていることをGoogleストリートビューで知り名前が「一言居士」だと日記の検索で思い出した。 「欽ドン!良い子悪い子普通の子」で悪い子だった西山浩司が小松政夫と来た日に同じカウンターでいたこともある。
西山浩司氏の奥様がアルバイトで働いていて彼女とはカウンターでよく話をした。女優さんだけあってきれいな人だったが店ではとにかく気の利く人という印象が強い。名前はすっかり忘れていたが日記によると西宮香織さんという。検索すると今は吉内里美と名乗っているらしい。
西山浩司の奥さんだから本名は西山里美だが旧姓なのだとか。最後に会ったのは義母と同居を始めてから食事に行ったときだ。17年近くも経っているから写真を見ても歳を取ったとは思うがはっきりと思い出せる。調べていると今は夫婦で小料理屋を経営しているとか。
小田急線の代々木上原近くの「皆月」というから検索すると食べログのページには緊急事態宣言で休業中とか。なるほど大変な状況なのだ。小田急線沿線はあまり馴染みがないのだがコロナ禍が過ぎたら一度食べに行ってみたい。それまで持ちこたえていてくれればいいのだが。
土曜夜にテレビ番組「人生最高レストラン」を観るのだが昨日ゲストの俳優佐藤二朗氏が千歳烏山の居酒屋を紹介していて駅前の映像が出た。私たち夫婦が2000年から4年間住んだ京王線の駅である。再生を止めて妻と議論。ここはどこだとかどの通りだとかここを右に行くとメガネ屋があるとか。
映像は私たちが住んでいたのとは逆の北側だからよく分からなかった。改札も変わっている。それでGoogleストリートビューで千歳烏山周辺の画像を見てみた。当時は線路を北側に渡る必要があったと記憶している切符売り場は南口にもできていた。北側の切符売り場も位置と向きが変わっていた。
私が住んでいた南への道を進むとみずほ銀行だけは分かったが店はすっかり様変わり。右角にあった成城石井はコンビニに変わっていたし正面角の富士フイルムの店はクリーニング店になっていた。でも治療に通ったすずき歯科を発見。ここを左に突き当たれば私たちが住んでいたマンションがある。
見つけた。フォンティーン24。南は産婦人科だったがマンションに変わっていた。「欽ドン!良い子悪い子普通の子」で悪い子だった西山浩司の奥様の女優さんがアルバイトしていた居酒屋もビルごとなくなっていた。でも位置関係が分からなくなったところも多数。やっぱり実際に歩いてみたい。
ベイ・シティ・ローラーズのことから私が洋楽を聴き始めたのが小学6年生だったと想像できた。それ以前は洋楽を聴く環境になかったことも思う。音楽はテレビで流れる歌謡曲か学校の授業で習う童謡やクラシックぐらい。父や母が洋楽好きなら違っていただろうが私はそんな環境ではなかった。
ラジカセでラジオを聴き始めて洋楽に触れるようになったわけだが小学校で話題になることはなかったと思う。当時ラジオを自室で聴いていた同級生がいたかどうか。しかし中学に入ると音楽環境は激変した。多くの級友がラジカセを持っていて「オールナイトニッポン」など番組の話題も多かった。
中学の1年4組で私はN君とビートルズを歌いながら指で机を叩いていたと何年か前に言われたし2年2組ではK木R絵からクイーンを教えられたが昼休みは校内放送で音楽が流れていた。私の前席のK木にこの曲は間奏が長いんだと言われて初めて聴いたのがイーグルス「ホテル・カリフォルニア」だ。
彼女は兄か姉がいて自宅でレコードを聴いていて知っていたのだ。高校時代にI村君からピック・フロイドとイエスを教えられたのも兄上のレコードからカセットにダビングしてくれたからだった。父や母の趣味でなくても兄か姉がいたなら私の音楽の趣味も違っていたのだろうと思う。
大学に入学した1982年。M地下と呼ばれた生協の売店でテレビを買った。母と下宿を探しに行った3月に決めた。生協にテレビの種類は少なかったがニュースを英語で聞いたら勉強になるのではないかと考え副音声機能付きのものを購入。3万円ぐらいのテレビもあったのにそれは7万円ほどもした。
メーカーは三菱電機だったかソニーだったか。副音声は結局ほとんど聞かなかった。ただ高いテレビだったからチャンネルが回転式ではなく当時はまだ珍しかったプッシュ式。音量調整もレバーを上下にスライドさせる。電源もスイッチを押してオンとオフを切り替える方式だ。
1982年6月に仮面浪人のため東京に引っ越すのに際しテレビは京都大学に入学していたT原君に預けた。京大医学部の東あたりにあった鉄筋ビルの下宿に運び込んだのを覚えている。1983年に京都に戻ったとき彼は京大農学部近くに引っ越していてテレビを引き取り大学卒業まで使った。
1982年は覚えていないが1983年からはなぜか手元にあったカーテンレールでテレビのスイッチを押した。カーテンレールだから1間1.8m強あったはずでベッドで寝たままチャンネル変えからボリューム調整までできた。下宿生活6年間で最大の発明品だったと思っている。カーテンレールリモコン。
父に音楽の趣味はなかったが歌謡曲は人並みに聴いていた。私が小学3年の頃に父は車を買った。向かいの三木さん宅には同じ型のトヨタ・パブリカがあったが父の車はダイハツのコンソルテ。1,000cc。これに8トラックのカセットテーププレーヤーが付いていてカセットもいくつかあった。
だいたいが当時ヒットしていた歌謡曲。青江三奈とか。それをドライブ旅行のときに掛けていたかどうか記憶にないのだが私がカセットを入れたり出したり早回ししたりと遊んだ記憶がある。今の車庫で車の助手席にいてガチャガチャやっていたのだがエンジンを掛けていなかったのだろうか。
今もし甥が車のオーディオつまりナビをガチャガチャいじっていたら止めろと私は叱ると思うのだが父に言われた記憶はない。多少のことで壊れないと高をくくっていたのか子がやることに興味がなかったのか好きにさせようと思っていたのか。私には好き勝手に遊んだ記憶だけが残っている。
父の車で音楽を聴いた記憶があまりないのは当時の私が歌謡曲に興味がなかったのか単に忘れてしまったのか。父は車を通勤に使っていたから一人で乗ったときにはカセットを掛けていたのかも知れない。もしかすると物珍しさで買ったものの結局は音楽を掛けることをしなかった疑いもある。
私は多分小学6年からラジカセで音楽を聴くようになったのだが実家には大きなステレオセットがあった。銀行員の父が取引先の松茂にある電気店で買ったと聞いていた。左右のスピーカーの筐体は木製で高さが80cmほどもあった。カバーを外すと確かスピーカーは3つあったと思う。
中央には一体化したレコードプレーヤーとチューナーとアンプ。一番下にはオープンリールのテープレコーダーが収納されていて少し引き出して使ったように思う。と言っても空のテープが付属していただけだったはず。いつの頃からかオープンリールはなくなってLPの収納場所になっていた。
レコードはクラシックが何枚かあったように思うが父に音楽の趣味があったわけでもなく聴いたのも最初だけだったのだろう。むしろ私のために母が買ったのだろうシリーズもののレコードがあってよく聴いた。バンビの物語が音楽と語りで聴けて絵本も付いていたのを覚えている。
バッハやモーツァルトの代表作を子ども向けの解説付きで聴いた記憶もある。チェンバロの音色が好きだった。少し不気味な「ハーメルンの笛吹き男」の物語もあった。絵本とLPがセットで12冊か20冊あった。数年前に母に訊いたら処分したらしい。母も置いておけばよかったと言っていたが。
特番を観て以来「ベストヒットUSA」を録画するようになった。飛ばしながら古い楽曲だけを観る。先週はベイ・シティ・ローラーズを聴いた。カーペンターズと並び洋楽で初めて聴いた曲の一つだと思う。父が英語教材として買って来たラジカセで聴くラジオで当時繰り返し流れていた。
Wikipediaによると「バイ・バイ・ベイビー」が1975年だから私は小学6年。学研の「科学と学習」は「小学5年の科学」「小学6年の学習」など月刊誌の総称らしいが当時の私はどちらか1冊または両方を購読していてその記事でビートルズというロックバンドを知った。
でもビートルズの曲を聴いたことがない。そこでラジオから流れるベイ・シティ・ローラーズのようなものだろうかと想像していた。後にエアチェックしたカセットテープを聞き込んでビートルズにはまっていくのだが一方のベイ・シティ・ローラーズはポップで子どもぽくて好きではなかった。
ところが「ベストヒットUSA」で久しぶりに聴くと一種の懐メロだ。特に興味もなかったがWikipediaを読むとメンバーが入れ替わり1978年には人気が落ちたとか。ちなみに1975年のカーペンターズは「プリーズ・ミスター・ポストマン」。これらが小学6年生のときの私の洋楽原体験らしい。
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© 2021 Takashi INAGAKI