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2024年5月

銀行と買い物巡り (5月31日・金)


A社のTeams会議に出て午後は月末の記帳で銀行巡り。途中コーナン沖浜店に寄ってS字フックを探した。先日鳴門で行ったDAIKIでは長いS字フックがなくナフコは強度など必要な情報表記がなく何も買わなかった。今日は30cmのS字フックを買ったが帰宅後物置で草刈り機を吊すと長すぎた。

コーナンではシャベルも買った。土を掘り返す大きなやつ。今あるものは雪かき用の先が平らなもので今回は先が尖ったもの。東京ではスコップと呼ぶらしいが徳島ではシャベルだ。帰宅して妻に言うと製品にはスコップと書いている。私も混乱してきているが。帰りの阿波銀行でF田氏ばったり。

さらに屋外ベンチ用クッションを求めてダイソーに寄ったが先日5枚ぐらいあったのに残り1枚。それを買ったがあと3枚欲しい。勝浦のコメリにも寄った。先日N岡氏からすだちの木に牛堆肥を与えるといいとアドバイスを受けたので買おうと思ったのだ。でも雨で濡れていたから明日にする。

コメリでは新居の大工M氏と偶然会った。駐車場の彼を見て知っている人だと思ったが思い出すまで3秒かかった。先日直してもらったドアの調子はどうかと訊かれたが最近仕事がないのだとか。キッチン施工業者も仕事をしていないとかで資材価格の高騰で新築工事が止まっているようだと。

耕運機検討 (5月30日・木)


以前調べたが耕運機を改めて探している。タイヤが付いているとか耕運の爪だけとか違いはホンダのサイトが分かりやすい。車軸式やフロントロータリーという方式の違いは理解した。畑への斜面を上がるのにタイヤ付きがいいとN岡氏から言われたがF田氏に軽ければ持って上がれると言われ納得。

クボタならMidy Smile-miniか。ガソリン式の22kg。車軸式だが移動用タイヤがオプションである。1.8PSで耕幅575mm最大耕深140mm。井関農機は20kgのパンジーmini KM17。1.6PSで耕幅225/480mm最大耕深120mm。クボタは子会社ファーストサーバーとA社時代に喧嘩したから避けたいが。

そういえばヤンマーもあった。QT17は20kgで標準で移動用タイヤ付。1.6PSで耕幅225/480mm。最大耕深は分からないが爪軸ローター径が井関と同じ245mmだから120mmか。価格.comでクボタが約9.9万円。井関が約7.9万円。ヤンマーは約8.7万円。ホンダのプチなFG201も調べたら6.3万。

プチなは18kgで1.5PS。爪径250mmで耕幅450/250mm。移動用タイヤはオプションにもない。少し大きなホンダこまめF220は27kg定格1.4PS。爪径が280mmと少し大きく耕幅545/310mm。8.1~8.3万円。移動用タイヤはオプションで1.1万円。最安モデルは深く耕せないのが気になるのだが。

「響」25年ぶり団員と母のケアマネージャー (5月29日・水)


火曜は大雨が止みかけた夕方「響」へ。日本酒を入れる箱を積み込んだが肝腎の楽譜一式を忘れて行った。W槻クリニックの駐車場に団長と何とA池氏。かつての団員で小学校の先生。訊けば55歳で石井町の小学校勤務と。私が活動したのは福岡に行った1999年秋の全国大会までだから25年ぶりか。

同じく鳴門里浦のさつまいも農家O川君とも25年ぶり。50歳だと言う。一緒に歌い練習後に佐古の大吉で飲んでいたとき彼は20歳代前半で私は30歳代前半。一度彼の畑に行ったことがある。この2人に会えてうれしかった。大病をしてまだ闘病中のベースT氏とも前回の定演以来5年ぶりに会った。

さて母が要支援1に認定され今日はケアマネージャーが来るのでカサブランカで石焼きビビンバを食べて実家に13時過ぎ。よくよく母に訊くと鳴門病院や整形を含めて6つの病院に通っていた。呆れて薬を止めろときつく言っておいた。14時にケアマネージャーが来て妻が諸々質問して最後に私が契約。

彼女は介護施設の情報をほとんど持っておらずリストもないと言うので真新しくなった市役所でパンフレットをもらう。頼りないマネージャーさんだ。妻は母と義母を連れ買い物に行き私はホームセンター。17時半に鳴門駅前の大和という居酒屋で刺身を食べた。19時前に出た鳴門から59分で帰宅。

草刈り機を物置で吊して収納 (5月28日・月)


草刈り機は新居裏に設置した物置の中に置いている。奥の棚最上段に古い軍手を置いてその上に刃を載せて斜めに立て掛けている。でも不安定だ。いい方法はないかと考えて対角線に吊せば邪魔にならず安定するのではないかと思い付きホームセンターで2月頃から物色しながら考えていた。

今回物置に棚を追加したのもそれが目的の一つ。右奥にも棚があれば対角線の奥に段ボールを手前に向けて置いて草刈り機の刃から壁を守れる。そのためにK本君からもらったみかん箱を取ってあった。ただ草刈り機をどう吊すせばいいか。物置の金属梁の上部に針金を通してS字フックを掛けるのか。

実家からS字フックを持ち帰っていて試したが都合のいい場所に針金が通せない。でも梁の裏にフックを掛けることはできる。針金は不要だから適当な長さのフックがあればいい。それでアマゾンで探したがいいものがない。と磁石式がある。これにS字フックを掛ければいいのではないか。

それが日曜に届いたので設置してみた。16.5cmのS字フックは先の方では短いが手前はちょうどいい。磁石は強力だがS字フックの耐荷重が5kgでは不安なので保険としてS字フックもう1つを梁とハンドルに掛けた。頭もギリギリ当たらないしスペースの有効活用になった。当面これで使ってみる。

徳本理一郎さん (5月27日・月)


徳本理一郎さんが亡くなったと昨夜Y内氏のFacebookで知った。J社創業者である浮川初子さんの妹のご主人。ブラジルの靴職人の後J社に入り後に取締役経理部長を勤めていた。72歳。J社を辞めた後はFacebookによると東京神楽坂に住み鳴門の岡崎にも別荘を建てて年に何日か徳島で過ごしていた。

その別荘に私は妻と行ったことがある。ご夫婦で上勝に来られたこともある。鳴門では釣りをして自分で魚を料理していた。鳴門に実家があるから別荘によく誘われたが私の前妻と今のご主人Y内氏が遊びに行っていたこともあり遠慮していた。正月には彼らかつての仲間がよく集まっていたらしい。

東京と徳島でベンツとジャガーとフェラーリを持っていたと思う。そば打ちの先生もしていたらしい。元同僚M浦嬢が蔵元を務める鳴門鯛を贔屓にしていた。食通の彼から教えられ鳴門のすし勝やはんなりにも行った。でも徳本さんと言えば1988年の米国出張で一緒だったときの印象が強い。

入社2年目の入社式での表情も覚えている。1990年代半ばに新大阪駅で偶然会ったとき経理部に来ないかと誘われたこともある。広報担当一本では将来のキャリアに不安で経理の知識は身につけたいと答えた。3月に電話してきたのは彼だ。あのときの会話が最後になった。ご冥福をお祈りいたします。

耕運機の試用とアドバイス (5月26日・日)


F田氏宅に行って耕運機を使わせてもらった。型番を見るとクボタTMA25。空冷4サイクル91cc。連続定格出力1.5PS。最大2.4PS。耕運幅52cm。重量30kgは一人では持ち上げられない。続いてF田氏の義母宅でホンダのプチなFG201を見た。水冷4サイクル49cc。連続定格出力1.5PS。最大2.2PS。

耕運幅45cm重量18kg。折り畳んで一人で乗用車にも載せられる。仕様を見ると出力に大差なく耕運幅と重さの違いか。帰宅してヤリスを洗車しようとしたら新居の農地転用でお世話になった農業委員N岡氏が来た。H木氏の田植えをしていたらしい。いい機会だと立ち話で耕運機のことを訊いた。

草刈り機の燃料と共用できる2サイクルがいいと思ったが4サイクルの方がいいと。ともかくリョービは止めておけと。オイルは100時間使えるから2~3年持つと。さらに古いオイルは草を燃やすときに一緒に燃やすらしい。うちの畑は入口がコンクリートの急坂だからタイヤ付きがいいとも言われた。

なるほど。いちいち納得。ホンダは高いと。徳島の農機具店も教えてもらった。というわけでリョービ改め京セラの2ストは止めてクボタか井関農機で探すことにする。夜はテレビを観てから21時頃に表に出ると北の川にホタル。計2匹。義母が出てきたときには東の木の陰に。明日も出てみよう。

DVD作成とホタルと実家 (5月25日・土)


妻が開催している顔ヨガ指導者養成講座はコロナ禍以降ずっとオンラインだ。その講座を担当する講師が増えたから新しいR子さんの座学動画を妻がZoomで撮影して昨日私が編集した。元いる2人の講師の動画は4年前に作っていてプロジェクトを読み込んで同じような形で。思い出しながら何とか4本。

2017年の秋祭りの動画もDVDにした。先日の敬老会での出し物をDVDにして欲しいと言われPowerDirectorでできたのでついでの作業。昨夜は妻がその敬老会の打ち上げに行ったため事前に用意してくれていた生姜焼きとポテトサラダを義母と食べた。日中は消防団の宴会での皿鉢をN岡商店に注文。

昨日夕食後F田氏が寄ってくれて先週のタクシー代を支払った。表で話をしているとF田氏がホタルだと言う。道向こうの畑下段からH木氏の田んぼの上を1匹。今季初ホタルでびっくりした。さて母に要支援認定1の通知が届いたと連絡を受け水曜に妻と行くのだが買い物ついでに今日午後は実家。

玄関の額を入れ替えキョーエイで古新聞などを出しマイケルへ。セルフレジに行ったからびっくりしていたら10分も掛かっていた。水を飲めと言い途中サカイでひげ剃りクリームを買い帰りにイオンモールでコーヒー豆。大松のダイソーに寄って屋外ベンチ用のクッションを試しに1枚だけ買った。

蜂の巣駆除と防虫スプレー (5月24日・金)


今回の外構工事担当N川氏が初日の朝すぐ脇にある切り株の穴にハチが出入りしていると言う。彼はアレルギーがありハチに刺されたときのため注射器を車に載せてあるとか。余談だがイネ科のアレルギーもあるが上勝では症状が出ず楽だと言っていた。ともかくスズメバチは駆除したい。

即日アマゾンで駆除スプレーを注文。N川氏はモンスズメバチではないかと言う。調べると樹洞に巣を作り攻撃性もあると。5月は女王蜂だけらしい。確かに昨日しばらく切り株を見ていたがハチは見なかった。でも小石を投げるとハチが体当たりしてきてびっくり。女王蜂だけなら駆除するのは今だ。

モンスズメバチは夜も活動すると言うが昨日22時頃に駆除を決行。ジャンパーを着て妻の虫除けネットと消防のヘルメットを被り。軍手は忘れ30秒で薬剤がこちらに来て撤退。残りの薬剤は今日改めて噴霧。妻は新聞紙とガムテープでハチの巣もどきを作って北と西と南の3カ所に吊した。

野生動物との戦い。モグラの次はスズメバチだったが一方カメムシ対策で防虫スプレーを玄関アプローチに噴霧しておいたらムカデが相次いで2匹死んでいた。昨日はカメムシの死骸も見た。それで網戸用のスプレーも買って今日1F各部屋の窓に吹き付けておいた。これからは虫との戦いが始まる。

擁壁工事2日目 (5月23日・木)


昨夜はビール500mLと日本酒2杯だから1合強しか飲まなかったのに心拍数は下がりきらず深夜に頭痛で目が覚めた。こめかみや眉毛を押すと少し楽になり浅い睡眠5時間。コロナ感染で3週間目までは回復していたのに1月後に症状がぶり返したというXの投稿を読んで少し気にしている。

さて今日も8:15に表に出ると昨日の方が準備をしているところ。後で聞いたらKAWAMURA社長の奥さんの弟で48歳。N川氏というらしい。5時に起きて上板を出て6時半に着いてしまい時間を潰していたと言う。早速昨日の続きで敷地入口の擁壁をドリルで壊す作業が始まったが9時ぐらいに終了。

ちょうど義母がデイサービスに出掛けるのに迎車が少し遅れるというから一緒に表で待った。15分も遅れないと聞いていたそうだが20分遅れ。工事は壊した擁壁部分に小さな木枠を付けて仕上げのモルタル塗り。強度は弱いが乾きが早いとか。合間にポール型ソーラーライトの取り付けも。

擁壁の角の目印にするため既に仮設していたポールライトだが場所を決めドリルで穴を開けてくれネジも直接コンクリートに打ち付けてくれた。さらに4月に追加で買っていた同じライト2本も同様に場所決めして設置。これで予定していた工事は終了。N川氏は11時前に帰って行った。

駐車場拡張と物置棚の追加 (5月22日・水)


3月に依頼していた駐車場拡張工事。その後音沙汰が無いが散髪サカイの大将が外構業者はどこも人手不足で超多忙だと言うから放っておいた。2ヶ月前に設置した玄関ルーフの請求書も来ない。請求書を送ってくる段には思い出してくれるだろう。と昨日朝資材が運び込まれKAWAMURA社長から電話。

いつも急だが今日工事することに。30cm×60cmのパネルを昨日2枚運んだがめちゃ重い。今日は9時に来ると聞いていたが8:15頃にトラックが停まっている。年末に手すり工事をしてくれて2月にも来ていた方。まず昨日の焚き火台などを片付け裏の物置の邪魔になりそうな段ボール箱を外に出した。

ここまでで9時。ときどき表に出て雑談をしながら作業を見学。駐車場拡張パネルはセメントで固めて午前には終わり。午後は将来カーポートに電源コンセントを付けるためコンクリートの下を通したCD管をBBQ場奥まで延長してもらい次に 物置の棚の追加。右奥の荷物も運び出し作業を見ていた。

右奥に棚が2段付いて荷物を整理し直しすっきり収納できた。次は駐車場入口3カ所のコンクリートを剥がす作業。強度はあるが施工から5ヶ月ではまだ柔らかいと言う。今日の作業は16時前で終わり続きは明日。私は灯油タンクなどを物置に運び布団も夏用に換えようやく我が家の冬仕舞。

新居で初のバーベキュー (5月21日・火)


先日試した焚き火台を使って庭でBBQをやってみた。16:20頃から道具を持ち出しテーブルの組み立ては簡単だったが4カ所のネジ止めに時間が少々。準備に30分。17時頃から火起こし器に古新聞と古い炭を入れた。火はなかなか点かなかったが妻が山で杉葉を拾ってきて投入したら炭にも点いた。

妻がビールを飲みながら17:15頃から焼き始めた。食べていると近所のN谷氏が散歩していたから呼び止めて。N谷氏にはベンチに座ってもらい一緒に乾杯。上空を飛ぶ飛行機を皆で見たり。さらにN陰君が子を連れて参加。恥ずかしがり屋の7歳と4歳もトカゲを捕まえたり家の周りをかけっこしたり。

ビール1Lを飲んだが日が暮れて寒くなり19:15頃に撤収を開始。義母とN谷氏が帰りN陰親子が家の中を見に行く中を私と妻は片付け作業。火を点けたが使わなかった炭は炭壺に入れて消化していたがこれを取り出し妻がライター入れに使っていた金属の箱に入れ直し。今まで使っていた炭を炭壺へ。

灰が残った焚き火台と炭は屋外に置いたままで撤収1時間。22時を回って残していた焚き火台の灰を土にぶちまけ油の付いた網置きブリッジを洗剤で洗って水で流した。一晩置いて乾かすつもり。自宅BBQは準備も片付けも思った通りで楽だった。次は夜に焚き火をやりたい。

弟の帰省と体重 (5月20日・月)


先週末は弟が帰省していた。今週と来週のどちらがいいかとメールしてきたのが消防点検後に飲んでいたとき。話があるのかと訊くと母の様子を見に行くだけだと言う。それなら好きにすればいい。結局土曜に来て一泊して帰ったらしい。夕食はエトワに行き日曜は母を買い物に連れて行ったようだ。

軽い認知症と言われたと連絡していたから気にしているのかも知れない。私が行かないと答えた先週末を選んだのは買い物支援を手伝おうと思ったのかも知れない。不要な薬を飲むのを止めるよう母に言っておいて欲しいと弟にメールしておいたがどうだろう。次はお盆に帰れるかどうかだと。

さて引越で体重が減り食べる量を増やしていた。そしたら今度は体重が増える一方。コロナ感染でエネルギーを補おうとチョコレートを食べたり喉の痛みを和らげようと飴を舐めたり。コロナ感染以降は激しい運動を避けて筋トレもしておらず体重が下がる要素が何もなく。

2月末には60kg目前と書いているがコロナ感染でさらに増えて現在61kg。1月から3kg増えた。安静時心拍数は59まで下がっていたがビールを飲み始めてから上がる一方で今日は70。土曜に街で飲んだ影響もあるだろう。明日は少し下がると期待して今日も飲んだし体調は元に戻ったと思っている。

カエルの鳴き声 (5月19日・日)


10日ほど前から南の畑でカエルが鳴き始めた。1週間前には玄関脇の手すりの上にカエルがいるのを見た。消防点検で歩いて行ったときにはH木氏の下から2枚目の田に水が張られていて我が家の道を挟んだ斜め前にある田には金曜に水が入った。その田んぼでカエルが鳴き始めたのは土曜の夜からだ。

1年前に今の新居の場所を見に来たときカエルの大合唱を聞いたが田んぼに水を張るとすぐに鳴き始めるが不思議だった。カエルはオタマジャクシから変態するのにオタマジャクシの時代がないではないか。と思ったが冬眠していたのだ。冬眠から覚めて卵を産んでオタマジャクシが生まれる。

私が子どもの頃は冬眠するということを全く考えていなかったような気がする。今はマンションや建て売り住宅が建ったが実家近くにも昔は大きな田んぼがあった。オタマジャクシもいたしカブトエビもいた。カブトエビを捕まえようと不用意に手を入れるとヒルに吸い付かれたりした。

玄関を出るとH木氏の田んぼは30mの距離にあるからか鳴き声がよく聞こえるが南の窓からは大きくは聞こえない。森に吸収されているのだろうか。実家で聞いた鳴き声がもっと大きかったように思うのは周りの家に反射していたからか。うるさいと思う人もいるかも知れないが私は嫌いではない。

還暦4人で街飲み (5月18日・土)


上勝の同じ地区にいる同級生2人と還暦祝いで飲みに行こうと1年前から言っていた。中学の同級生F田氏と旧居の住宅にいたS田氏だ。それが1年経ち私は61になってしまったがようやく日を決めて今日飲みに行った。先日の敬老会後に話をしていて同い年の役場I本氏も誘って4人。

I本氏は飲むと泊まるというので彼の車で千秋閣に行って徒歩。F田氏は足が痛いと現地集合したのは無玄という鶏料理屋。閉店前の一昨年12月に行ったワールドボーイと同じビルだ。若い男女7~8人のグループに続いて入店して彼らの隣。当初はうるさかったが飲むと気にならなくなり。

還暦になり人生をやり直せるならどうしたかとF田氏が話題を振り皆で話をした。私とS田氏はビール3杯。F田氏は2杯。I本氏が4杯。さて上勝出身N田嬢のバーマンテンサンは6月で閉店する。すっかり常連の従兄弟から聞いていたらN田嬢からも先日メッセージが届いていた。

それで20時を回り彼女に電話すると店を開けているというから4人で行った。閉店理由を聞くと9年やって疲れたと。直後に来た5人組を準備できていないと断り氷を割ったりしていたがカップルが来て女性2人組も。写真を撮り従兄弟にも送り22:40に店を出て金比羅タクシーに歩いて。23:40帰宅。

焚き火台とラックの整理とエアダスター (5月17日・金)


注文していたキャンプ用のイスは既に届いていたが今日ようやく出してみた。どちらも背もたれが高いので座り心地はとてもよい。今日はついでに焚き火台も設置してみた。7年前に買ってから多分2回ぐらいしか使っていないと思う。グリルブリッジの設置方法が分からなくて試行錯誤しつつ。

どのバッグに何が入っているかすっかり忘れていたが火起こし器もあった。もう新品では手に入らない様子。この焚き火台で使うテーブルセットもあるのだが重いし甥と鳴門で設置したとき時間が掛かったから今日はパス。さて新たに買ったイスを置くと玄関脇収納が手狭になった。

そこで今日はラックの段も整理した。焚き火関係は最下段に置き洗車用具を下から2段目。その上の段にブロア。キャンプ用の食器類もまとめて1段に置いた。クーラーボックスの類は冷蔵庫の上へ。これでブロアの段と最上段に余裕ができた。イスは結局床の上に立てたが結構すっきり片付いた。

そう言えばPC内部などの埃を吹き飛ばすエアダスターを持っていたのに引越で行方不明になっていた。それを今日古新聞を括る紙紐を探していて殺虫剤などと一緒にあるのを見つけた。引越屋がスプレー缶をまとめたのだろう。多分大学時代から持っているKURE 5-56も一緒に発見。よかった。

『海に生きる人びと』 (5月16日・木)


宮本常一『海に生きる人びと』(河出書房)を読んだ。もう16年も前に読んだ『日本文化の形成』が面白く『忘れられた日本人』もよかった。今回の『海に生きる人びと』は面白さでは以前のものに比べて劣るが数ページずつの項目に分かれ読みやすかった。

まず瀬戸内や紀伊半島あたりから今の九州の北西あたりまで漁に行くのは普通だったらしい。昔の釣り船は平底で砂浜に上げる。これが浦で一方で後の時代に生まれる喫水線の高い船が泊まるのが津と。平底の船で地上には小屋掛け程度で定住せず家族で漁をする家船で生活するようになる。

村上海賊の根拠地も多くが定住できるような規模ではない小さな島で海人に地上は必要性が乏しかったらしい。戦国時代になると海人が漕ぎ手として徴発されるようになり一方で漁が国主から保護されるようになる。海人が定住するのは明治になり子どもの教育が義務化されてからだと言う。

徳島の地名はあまり出てこないが江戸時代にテグスが発明されると阿波堂浦の漁民が瀬戸内から西方に売りに行き同時にテグス漁を伝えたとある。鳴門の堂浦だ。主に漁をしてきた海人の時代ごとの生活の変遷がその背景となった社会情勢などとともによく分かる。また他の著作を読み直そうかな。

洗車と消防点検 (5月15日・水)


フォレスターの洗車。H木氏の畑から白煙が漂ってくるから時間を遅らせた。新居に引っ越して売却前のフィット以来だ。フォレスターの洗車は1年ぶりかも知れない。ヤリスもやろうと思っていたのに昨日妻が洗車機に掛けた。まだコーティングが生きているから機械洗車は避けたかったのだが。

フォレスターは今までコーティングもあったから水洗いだけだったが消防の機械班長の時代に消防車を洗うために買った気がするカーシャンプーがあったから使ってみた。バケツに入れて泡立ててスポンジを使う。最後にブロアを使ってみたがコーティングが切れて水滴にならない。

それで専用の布で拭き取ったところで木の芽萌やしの雨。頭や肩を濡らしながらホースなどを片付けた。洗車キットは玄関外に置いて干している。何度か寄ってくれていたH木氏が夕方来て交通安全協会費2人分200円を支払った。夜は小雨の中を傘を差し歩いて消防点検に行った。

消防車は私が運転してH木氏と一緒に日浦。座敷にはN野副分団長とY田君と3人だけ。すぐT中分団長が来て21時過ぎにN野氏が帰りY木嬢が合流。誰かのいびきのことだとかY木嬢が京都ナンバーの箱バンから今日ピンクのタントに乗り換えた話などを聞く。ビール2Lを飲んで23:20前に帰宅。

コロナ感染後とメガネ店と「響」 (5月14日・火)


コロナ感染後を記録しておく。先週水曜夜に頭が痛かったのだが日曜未明には頭痛で目が覚めた。頭を指圧して痛みは治まって眠ることはできたが。また感染数日後にアイスクリームのスーパーカップを食べたとき味が薄いと感じていた。でも昨日午後食べたら味の濃さは元に戻っていた。

鼻も詰まるしときどき咳も出る。でも普通の風邪が治るときも同じようなものだったような。土曜からビールも日本酒も飲んでいる。ただ日本酒はやっぱり苦みを感じる。完治はしていないが持続感染の心配はなくなったと思う。数ヶ月は免疫があると思うが人が多いところではマスクは着けている。

今日は夕方に沖浜のメガネ本舗に行った。健康診断で黄斑上膜疑いと指摘され確かに右目の視界が歪んでいて霞んでもいる。眼科に行くつもりだが視力も落ちているのではないかと疑ってメガネ店。これまで店舗に何度か行ったが担当H元氏と5回目で会えた。視力は特に問題ないとのこと。

末広のリカオーで日本酒を買いモスバーガーで夕食を取り沖洲から末広を一周。W槻クリニックで「響」の練習。来年5月の定演日程が決まったので今日の練習参加者は12人もいた。トップ4人に2ndは2人でバリトン3人とベース2人と指揮のS伯先生。団長から演奏曲の相談も。2時間弱みっちり練習。

明石海峡大橋開通と日経K谷氏 (5月13日・月)


NHK「新・プロジェクトX」で明石海峡大橋建設の回を観た。明石海峡大橋が開通したのは1998年4月。私が10年勤めたJ社を辞めた翌月だ。当時のニュースはほとんど覚えていないが前年に出演したミュージカルが神戸鳴門ルート全通記念事業だったから開通したのが1998年だということは分かる。

日経徳島支局長K谷氏が大橋の影響について記事をさんざん書いてきて開通を見届けず異動するのは間違っていると訴えていたのに定例通り1998年2月で転勤していった。K谷氏はその年の夏に個人的に遊びに来てオープンしたばかりの大塚国際美術館と鳴門大橋の渦の道に一緒に行った。

元部下Z嬢に電話して彼女の自宅に行ったような気もするが連絡しただけだったか。あのときK谷氏は日経徳島支局で泊まっていたのだが翌日夜に飲みに行ったら一緒にいた後任支局長から今日も泊まるのかと嫌みを言われて店の階段を下りているとき私が誘って川内のマンションで一泊してもらった。

明石海峡大橋を最初に渡ったのがいつだった覚えていない。 大道正徳君の葬儀が1998年秋だからそのときだったかも知れない。着工は1988年5月というから私のJ社時代と重なっている。J社時代は淡路の北端によくデートで行ったから完成後より工事中の明石海峡を見た方が多かったかも知れない。

『スバル ヒコーキ野郎が作ったクルマ』 (5月12日・日)


観ていたYouTubeで引用されていて買ったんだと思う。就寝前に少しずつ4月に読んだ。野地秩嘉『スバル ヒコーキ野郎が作ったクルマ』(プレジデント社)。車メーカーSUBARUが元は戦闘機を作っていた中島飛行機だということは知っていたが改めて歴史を知っておこうと思って読んでみた。

第2次大戦中に製造された戦闘機の数は中島飛行機製が一番多かったらしい。戦後工場別に解体され別会社として鍋やスクーターを作っていたが東京の荻窪工場はプリンス自動車になる。つまり後に日産に吸収されるがスカイラインGT-Rとスバル車は工場単位で見れば兄弟のようなものだった。

スバルが安全に力を入れるのは飛行機は不具合が乗員の命に直結するから創業者の設計思想が乗員を守ることだったと繰り返し書かれている。ところが戦後スクーターで成功したのに日本興業銀行出身の経営者が街の自転車屋に車は売れないと販売店政策で失敗したことで弱小メーカーになったとも。

知らないこともあったが全体的に浅くて著者の思い入れもあって面白さは半減。2019年の本だから内容に古さも感じる。例えばEVシフトが進む前提で書かれているが今は揺り戻しが起きている。車種についても5年でこれほど変わるかというほど。もっと歴史に特化した内容の方がよかったと思う。

母のことと農地の草刈り (5月11日・土)


母が妻に電話をして体調が悪いと言ったらしい。それで13時半前に妻が鳴門に行った。母はまた救急車を呼んだりアルツハイマー型認知症の薬を飲んだりしているらしい。余計な薬を飲んで体調を悪くしているバカ。別の病院で不要だと言われたとのことで妻からも止めるように言ったと。やれやれ。

その間に私は道向こうの農地の草刈りをした。14時前から1時間。途中薬局から電話があったことに気づいて折り返すと金を払えという用件。そうだった。お釣りが出ないよう550円を確認して支払ってきた。今日は休みなのか自動ドアが開かずノックした。診療所は休みだから月曜に出直そう。

草刈りはナイロンカッターに換えて駐車場回りも少しだけ。一息ついたら義母がデイサービスから帰ってきたから花を見ながら立ち話。義母の子どもの頃はドクダミをどの家でも干していて腹痛のときに飲まされたらしい。ところが臭くて飲むのがイヤだから腹痛だと言えなかったという話を聞く。

さらにベンチに座って20分ぐらい雑談。夜は妻が疲れたというから月ヶ谷温泉で夕食。Y畠氏が来て挨拶。天ぷら定食と義母のトンカツと妻のとり天を少しもらってお腹いっぱい。今夜は疲れて20時からソファで1時間睡眠のちビール。はやり日本酒が苦く感じるのは快復していないということか。

固定資産税の初納入と禁酒解禁 (5月10日・金)


固定資産税の払込通知書が届いた。ドキドキしながら開けると納税額は89,600円。添付された課税明細書には土地の固定参考税額が宅地は2筆計で1,676円とある。畑が253円。家屋の新築軽減が74,639円あって固定参考税額は89,655円と書いてあるが足し算しても合わない。さっぱり分からない。

次に課税根拠というページを見て理解できた。要は家屋の課税標準額11,735,324円の1.4%分で164,290円だが新築軽減税額74,639円を引いて十円以下を切り捨て89,600円になるようだ。土地の課税標準額は宅地が約12万円で畑が約1.8万円。30万円未満は免税されて家屋分だけだと分かった。

3期分を前納して2,300円安くなる87,300円を収めに郵便局へ行くと旧居お向かいのY溝氏が同じ用件で来ていて久しぶりに雑談。自動車税2台分計7万円も納入してそのまま4月末の記帳のため銀行巡り。徳島銀行と阿波銀行はコーヒー豆購入ついでイオンモールで記帳した。

さてコロナ感染から10日が過ぎたので今日はマスクをして街に行ったわけだが安静時心拍数は60で8時間45分寝た。鼻は詰まり気味だし頭が重い気はするがほぼ治ったと思う。イオンモールの端から端まで往復しても息は切れなかった。そんなわけで夜は11日ぶりにビール。でも日本酒が苦い。

コロナ10日目とキャンプ用イスと耕運機検討 (5月9日・木)


2時を回って就寝して正味7時間34分。安静時心拍数が59に下がった。調べたら2022年12月11日以来だ。これが過去最低かと思ったら2022年11月23日に58という記録。今日は起きたとき熱っぽい感覚がなかったがコーヒーを淹れていたら急速に怠くなって油断はできない。午後は日向ぼっこ。

日向ぼっこで使っているキャンプ用のイスは調べると7年前1,490円で買っている。2008年に2つ買った980円のイスが壊れて買い直したのだと思う。でもゆったりもたれることができない。それで思い切ってリクライニングチェアを9,900円で購入。焚き火用に難燃生地7,860円のイスも注文した。

さて道向こうの農地について何人かから耕してあげると声を掛けてもらっていた。本当はGW中に草刈りをしてお願いしようと思っていたがコロナ感染で予定が狂った。でも本当に畑をするなら毎年耕す必要があるだろうし耕運機が1台あってもいいのではないか。そう考えて調べ始めた。

人気ランキング20選を見て1位のホンダを調べると実売10万円程度。いやでもガソリンだ。車と同様オイル交換も必要でこれは面倒。カセットコンロを使うエンジンもあるが草刈り機と共通でオイル混合ガソリンが使える2ストロークエンジンがないか調べると京セラにあった。元リョービだとか。

コロナ9日目とキャンプ用チェア検討 (5月8日・水)


昨夜は早く寝に行ったが眠ったのは1時過ぎ。9:40起床。安静時心拍数60。最低心拍数54。起きたときやっぱり熱があるときの怠さがある。まだウィルスが抜けきっていないと解釈して大人しくしている。10時半からA社のTeams会議はいつもに増して集中して聞いた。大丈夫。理解できている。

午後は表に出てベンチに座って山を見ていた。でもベンチを置いてある玄関脇は昼から日が当たらないから少し寒い。そこでキャンプ用の折り畳みイスを持ち出した。これに座って日向ぼっこ。座るのはいいが首を預けられないから寝ることはできない。もう少し立派な椅子を買おうかと考えたり。

近所のN谷氏がグランドゴルフの帰りで歩いていて寒いなぁと雑談少し。妻と義母は近所に花を見に行き帰ってきたときにはたまねぎをもらっていた。今日は体調が悪いわけでもないが17時半頃にベッドで横になってウトウト。1時間で起きて夕食はお好み焼き。

日中に考えたキャンプ用のリクライニングチェアを夜になって調べた。1万円弱だ。そのうち焚き火もしたいが一般的なポリエステルの座面では火の粉で穴が開きそう。難燃生地の椅子も探した。1万円もしなくてあるがさて。気持ちのいい日は表で寝っ転がって星を見る夜もいいかなと思ったり。

コロナ8日目とプラスになった電力収支 (5月7日・火)


就寝は2時を回っていたと思うが正味8時間寝た。心拍数は起床直前に50まで下がり安静時心拍数は61から午後には昨年11月1日以来の60まで下がった。昼食でうどんを運んだら義母の丼をランチョンマットに引っ掛けて奥側に倒して中の具をぶちまけた。集中力がないのかも知れない。やや不安。

さて四国電力送配電から売電通知が届いた。3月26日から4月23日までの29日間で売電量は459kWh。金額は7,344円。四国電力に支払った買電額が4月分は5,268円だったから2,076円のプラスになった。ちなみに先月は8日間で1,184円だった。ここまでの買電額は昨年比で概ね1/4で推移している。

ただし1/4は基本料金半額のキャンペーンで実現した。その割引は4月で終わり。さらに契約電気プラン「でんかeプラン」には夜間240kWhまで基本料金に含まれるのに4月分の夜間使用は166kWhだった。それで「おトクeプラン」への変更を申請。プラン変更には最大2ヶ月掛かるそうだが。

夕食後に頭が痛くソファで横になった。ウトウトしていたところに大きな音と声。妻が階段から落ちたのかと思ったが彼女はフラダンス練習で外出中。義母がトイレから出たところで倒れていた。暗くて見えなかったらしい。ケガはなくよかったが。頭痛が治まらないのでバファリンを飲んだ。

コロナ7日目と木の芽萌やし (5月6日・月・休)


昨夜は23時過ぎに寝に行ってFitbitによると0:25に就寝。何度か目は覚めたが起床したのは11:40。正味7時間57分。起きたときの怠さは熱があるときの感覚だが心拍数は最低54で安静時心拍数は2月17日以来の64まで下がった。ときどき咳は出るし鼻もかんでいるが喉の痛みはなくなった。

GW最終日の今日は雨。表に出たがベンチは濡れていて座れない。そう言えば水道メーターを確認しているN野嬢が今日のような雨を「木の芽もやし」と呼ぶのだと以前Facebookに書いていた。地元の人に教えられたと。消防詰め所を片付けに行った4月27日だったと思うが本人に会って話もした。

雨のことば辞典』(講談社学術文庫)を今年になって買っていたことを思い出して引いてみた。木の芽萌やし。「木の芽の出る時分の春雨。徳島県地方のことば。『木の根おこし』とも」とある。また徳島県美馬地方のことばとして「木の芽おこし」も別項目にあった。

さて木の芽萌やしが降り続き表にも出られず持続感染を恐れて大人しくしていると暇なのだ。夕方は堪えられなくなってベッドで横になったら眠ってしまった。目覚めると安静時心拍数は63まで低下。1月17日以来だ。禁酒は今日で8日。そろそろ解禁したいと思うのは快復してきた証明だろうか。

コロナ6日目とツバメ (5月5日・日)


昨夜は1時過ぎに寝に行って2時過ぎに眠ったと思う。心拍数は最低54で安静時66。1分あたり呼吸数は11。数値上は平常時に戻った。5日間の自宅療養期間も終わった。と言っても相変わらず家で大人しくしている。喉はまだ少し痛いし咳もときどき出る。鼻水はなくなったが詰まった感じが少しある。

一昨日から酒を解禁している妻が今日は裏のイタドリを刈ってTシャツだけになっていた。日向は暑いが風が涼しく私は玄関脇のベンチで今日も山を見ていた。兵庫県でカメムシ大量発生というので防虫剤を買って玄関周りの外壁に噴霧しておいた。鳴門でも大量発生しているらしい。

ベンチでいるとツバメが何羽も低空を飛んでいる。近所の田んぼに水はまだ入っていないがそろそろツバメが巣作りを始める頃だ。それで新居の周りを見て巣を作られそうな場所をチェックした。妻は撤去すると言っているが私はペット代わりに巣の場所ぐらい提供してもいいように思っている。

可能性は2カ所。でもフン対策は必須だ。それに泥を擦り付けられるのだからあらかじめ養生テープを貼っておこうかと考えたり。さて東京の甥2から住所確認のLINEが昨日来ていたが今日は甥2人の名義で富山の日本酒と地ビールが届いた。彼らの母親つまり弟の奥さんが送ってくれたらしい。

コロナ5日目と対ノーマスク (5月4日・土)


昨夜は25時を過ぎて寝に行き就寝したのは3時を回っていたと思う。何度も目が覚めて10時過ぎに起きた。途中iPhoneを何度も確認したが最低心拍数が60から58になり最後は54まで下がった。熱が出ていないことが分かる。安静時心拍数は69。呼吸数12。薬がなくても大丈夫な様子。夕方36.5度。

今回のコロナ感染でよく分かった。妻も義母も風邪の症状はあるが熱はなかった。だから検査も受けておらず買い物にも行く。もちろんマスク着用で混むスーパーは避けているようだが世の中には感染を知った上でノーマスクの人が大勢いるはずだ。感染に気づかずノーマスクの人もいるに違いない。

感染による免疫も幻想だ。感染によるN抗体の効果は3ヶ月間というし変異が激しく過去の免疫は役に立たない。持続感染のリスクが上がるだけ。感染リスクは感染者がマスクをすれば2割になり非感染者のマスクで3割と聞くが今さら全員マスクも現実的でない。だから私は適時マスクを着けるつもり。

今日は日中ときどき表のベンチに座って山を見たりとのんびり過ごし夕方は月末の経理業務。とりあえず頭は回っていたが夕食後は急に怠くなってベッドへ。2時間弱熟睡。何十個と飴を舐めて喉の痛みが治まってきていたのに夜はまた痛い。夜36.8度。鼻水はほぼ治まったが鼻は詰まる。咳は少し。

コロナ4日目と持続感染 (5月3日・金)


昨日は夕食後に眠くて仕方なく22時半に寝ようとしたのに結局就寝したのは2時半頃。寝る前にユンケルを飲んだのが悪かったかも知れない。カフェインが入っている。何度か目覚めながら8時に起き出しミニクロワッサンを3個食べて薬を飲んだ。心拍数は最低60安静時71。標準偏差内に入ってきた。

二度寝して次の起床は12時。鼻と耳が詰まって頭がぼんやりする。心配なのは後遺症だ。心臓や血管や脳がウィルスに継続して感染するものらしい。だから後遺症ではなく持続感染と呼ぶ方が当たっている。つまり新型コロナウィルス感染症は上気道だけに感染するただの風邪とは全く異なる。

とXでさんざん読んできたし持続感染によって生活に支障を来し仕事を辞めた人も死者もいる。感染者の4%で持続感染するらしい。ワクチン接種で確率は下がるが2度目の感染で上がる。感染3度目ではもっと上がる。こうなったら持続感染でないことを祈るのみだし2度目の感染をしないようにしたい。

今日は買って来てもらったスーパーカップを夕方食べてベッドで横になったら熟睡。19時に起きて食欲はないが夕食。大汗をかいた。食事に支障ない喉の痛みと咳がときどき。鼻水は減ってきた。熱は下がっているので薬を飲むのは止めた。夜は先週土曜以来の風呂に入りノンカフェインのユンケル。

コロナ3日目 (5月2日・木)


昨日の昼食で食べた蕎麦のつゆは味が薄かった。午後Xを見ていて味や臭いがしなくなるというコロナの症状を思い出した。もしや。夕食の味噌汁も味が薄い。その懸念を口にすると妻が「出汁の素入れ忘れていた」と。何だ。他の味はしっかりしていたからあまり心配はしていなかったが。

昨日は午後に寝たから夜は眠れないかと思ったが妻が飲んでいるハーブティーをもらい25時半頃ベッドへ。2時ぐらいには寝たようだ。安静時心拍数73。最低60。ただし5時半に目が覚め7時前に諦めて起き出し義母のパンを2個食べ再び寝に行ったが大汗をかいた。二度寝では心拍数が上がった。

今日の昼食でスパゲティを食べてお茶を飲もうとコップに手を伸ばしたが手前に倒してしまい床も私のジャージもスリッパもお茶だらけ。気怠くて気力も弱い。鼻づまりと食事に支障が出るほどではないが喉の痛み。ただ熱は昼食前後は36.8~38.9度だったが夕方には36.4~36.6度まで下がった。

昨日来真冬と同じ服を着ている。さらにタオルを首に巻いたり食事を摂ると暑くてTシャツだけになったり。本当はこのGW中に農地や周辺の草刈りをやるつもりだったが感染中に激しい運動をすると心筋炎や後遺症のリスクがあるとXで何度も読んだので大人しくしている。

コロナ陽性 (5月1日・水)


昨日も23時半に寝に行ったが眠られず。熱は38度前後。安静時心拍数はさらに上がって75。最低が76。通常11~12の呼吸数も16。3時半から5時ぐらいに寝られたが7時に起き出して義母のパンを食べた。一応検査を受けておこうと調べると診療所は8時半からだが発熱外来は11時から12時だ。

10時半に電話するとすぐ行っていいと言うので出掛けたが保険証も現金も持っていないことに気づき山を登りかけてUターン。10:55頃に着いて駐車場から電話。その場で抗原検査をすると何とコロナ陽性。若い医者が早口で説明するが熱が出た月曜夜を0日目と計算して5日間は家にいるようにと。

それは厚労省の指針だが10日はウィルスを出すので6日以降もマスク必須のはず。連休明けの歯医者の予約を変更した。薬も持って来てくれ支払は後日と。保険証も財布も不要だった。実は義母が先週から鼻水が出ると言っていた。でも熱はなく診療所にも行ったが花粉症を疑っていて検査もなく。

デイサービスでもらってきていたのかも知れない。妻も私と同じ日曜夜から風邪ぽいが熱はないと。実家の母に電話すると鼻水が出ることはあるが熱はないと。ところが後から妻に電話してきて私が来ていたはずなのに車がないと言ったらしい。コロナのことより母の妄想の方が心配になる。

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© 2024 Takashi INAGAKI