2017年6月
昨夜泊まった料亭旅館竹千代霧島別邸は全11室だけらしく部屋に露天風呂が付いていた。私は夜2度ほど入り24時前に寝ようとしたがその時間から激しい雨。3時過ぎにスマホのアラームで目を覚ますとYahoo天気によると3時台に51mm/hで4時台に16mm/hの豪雨。雷もありしばらく寝られなかった。
7時半起床で8時の朝食時点で止んでおり食後は誰もいない大浴場に行ったりゆっくり準備をして10時出発。この時点で走行距離は399.5km。まずは車ですぐの霧島神宮。大鳥居脇にある一番手前の駐車場に駐めてしまい歩く歩く。参拝後は左の古道を降りて散策しながら車に戻って作戦会議。
そこからすぐ近くの霧島神水峡の遊歩道を1.5kmほど歩いたか。Uターンして再び駐車場で12時。次は車で移動し霧島温泉市場丸尾の滝を見物して妻と相談して行ったのが高千穂河原。
駐車場代500円にひるんだがビジターセンターに行き上映されていたビデオを15分観賞。2011年に噴火した新燃岳が近く駐車場にはシェルターがある。ここは西暦1234年代までの霧島神宮があったらしくその古宮まで徒歩で5分。お参りしていると正面の韓国岳などにかかった雲が晴れていく。
さらに車でえびの高原に行き足湯の駅でTシャツを買いぬるい足湯に。15時になり高速も使い鹿児島市。城山で展望台から桜島を見たが最初に泊まったホテルからの景色と変わらなかった。車にガソリンを満タン入れニッポンレンタカー鹿児島中央駅東口営業所に返した。515.8km燃費18km/L。
18:07発の九州新幹線さくら。18:04発なら20分早く着いたのに2人とも疲れて頭が回っていない。駅弁と缶ビール500mlを買い新幹線車内でさらに350mlを飲み19:42博多着。探しながら三菱東京UFJ銀行ATMに並んで振込をして20:15頃に今夜のホテルにチェックイン。
ホテルの近所にあった戦国焼鳥家康14号店でビール2杯飲んでエネルギーを補給した。今日は雨予報が続いたのに全く降られなかったのはラッキーだった。3日間通しても傘を差したのは10分だけ。とは言いつつ何せ今日は歩きすぎクタクタ。ホテルの湯船で足湯のまねごとをして焼酎。
23時半過ぎに寝ようとしたが何度も目が覚め5時過ぎから起きていた妻に起こされたのが7:20。すぐに前夜撤退した混浴露天風呂へ。川向かいの駐車場からも車が走る橋からも丸見えだが轟々と流れる川沿いにあって良かった。8時から朝食。前夜とは別の席だが川向かいに温泉の自噴が見える。
泊まったのは妙見石原荘。数えると全館でたった15室。私が泊まった「深紫(こき)」は12畳と6畳の和室に10畳の洋室にミニキッチンにさらに洗面が2つもある豪勢な2F最奥の部屋。そこを9:45出発。一路宮崎へ。関東より西で鹿児島と宮崎が今回初なのだ。天気は曇り。11時半頃には青島に到着。
500円の有料駐車場を横目に無料のところに駐め歩いて青島神社。私の両親が新婚旅行で行ったと聞いたことがある。鬼の洗濯板に驚き昼食は近くの料理屋。巨人軍のサインが数多く飾ってあった。そこから南に行き鵜戸神宮。天然の抉られた巨大な岩の中にある。快晴となり暑くて仕方ない。
駐車場に戻る途中アイスクリーム。妻は抹茶スムージー。来た道を戻り高速も使い関之尾滝に寄ってみたらこれが豪快。駐車場まで10mで夕立に遭った。すれ違った若い女性2人組はびしょ濡れになったことだろう。17:20に今日の宿に到着。ここも12畳と6畳の和室。洋室はないがその代わりに・・・。
九州新幹線の終点である鹿児島中央駅から車で10分ほどの城山観光ホテルに泊まった。会議室や宴会場もある大きなホテルだった。7時起床予定が6:40に目覚め風呂に行き7時半頃から朝食バイキング。8:45頃チェックアウトでシャトルバスだと時間がかかるのでタクシーでニッポンレンタカーへ。
車はスズキ・スイフト。ナビはフォレスターと同じ。まずは一路西側の半島東岸を南下して指宿。ここで砂むし。温泉で熱せられた砂に埋まる温浴である。意外に重いし暖かいが10分が限度だというので砂を払い温泉に浸かり昼食は近所でラーメン。そこからさらに南下して 長崎鼻という岬。
浦島太郎伝説のある龍宮神社に参り灯台まで歩いた。雨予報だったのに晴天で暑いのなんの。土産物屋でおばさんの口車に乗って焼酎を1本買い次に鹿児島市まで戻って島津家の元別荘で大河ドラマ「篤姫」のロケにも使われたという仙厳園。ここを散策して今夜の宿がある霧島に泊まっている。
朝8時時点で日中ずっと雨予報だったのに朝食終わりには日が差し始め仙厳園に車を停めた前後と車に乗る前からが雨でそれ以外はずっと晴れ。17:20頃旅館に着き川沿いの混浴露天風呂に行ったが雨で撤退。夕食後21:40から貸し切り露天風呂。夜は焼酎を飲みながら明日の計画を立てた。
海外取引の話があり福岡の弁護士さんに相談していると2月に書いた。契約書を相手に提示したのが4月。ところが契約書に沿うべく先方も動いたようだが結局5月に「やっぱりできない」と言ってきた。決行する前でまだ良かったのだが2人分の往復航空券と弁護士費用が損害になった。
その海外に妻が行く予定だったのが今週。丸々空いたので旅行に行こうと妻が言い出して実は今2人で鹿児島にいる。11時半頃に出てゴミステーションに行って偶然会った前町長の笠松さんと立ち話して徳島空港14時発の飛行機で福岡。地下鉄で移動し博多駅から九州新幹線さくら577号15:45発。
自由席1号車6列目の3人掛けに座り鹿児島中央17:11着。西口からホテルのシャトルバスに乗ってチェックインしたのは18時頃だったか。豚しゃぶを食べたい妻はホテルだとビールが1,500円もすると言う。よくよく調べると飲み放題だった。降ってなかったが雨が心配なので結局ホテルで夕食。
一番安い4,900円に1,500円の飲み放題。瓶ビール2本と焼酎お湯割りを妻は2杯と私は1杯。元は取ったか微妙。鶏ガラの出汁が絶品で最後に焼酎と出汁を交互に飲んでお腹が破裂しそう。売店で焼酎と水を買い大浴場。常時10人ほどいたが聞こえる会話は中国語ばかり。寝る前に焼酎を少々。
日曜は合唱祭から帰宅後の夕方ソファでうたた寝。ほうとうを食べてから隣の公民館に行った。2月から何度か陰切りの出役に行ったがその慰労会なのだ。25人ぐらいいただろうか。年齢は私が下から2番目。一番下の消防分団長K氏の隣に座って19時半過ぎから飲み始めた。
こういった宴会ではたいていビールは第3のクリアアサヒなのだが私が普段飲んでいるキリングリーンラベルもある。委員のY氏が私のために注文しておいてくれたらしい。皆さんが次々と私のコップにビールを注いでくれようとするのだがその度に「こっちで」とグリーンラベルを差し出す。
事前に食事をしていたこともあり酔うペースは普段より遅くエンジンが掛かってきたのは1時間ほど経っていたかも知れない。主に隣のK氏と話をしたが地域の総代A氏や半年以上会ってなかったはずのN氏らとも話をした。結局最後はずっとしゃべっていたような気がする。
22時過ぎに戻っていたがK氏がやってきて注文して欲しいものがあるというのでアマゾンで買い物。送り先はK氏。代金は現金を受け取ったが端数156円は手数料として頂いた。そのまま妻も含め3人でビールや焼酎を飲みながらあれやこれや。24時過ぎに解散したと思うが私は26時就寝。
7:40起床8:20出発で郷土文化会館へ。藍場浜地下駐車場に駐めたら隣にA氏。今日はA氏と開会式への舞台出席を担当しているのである。早く着いたから先に着替えておこうと思ったがロビーから会議室の方に行けず諦めた。9:45に舞台袖で並び10時からオープニング。
開会式を終えてすぐ荷物用エレベーターで4Fに上がり着替えてから練習室。徳島大学の3人が本番中で遅れて参加。徐々にテンポを速くする部分が2カ所あるのだが金曜までの練習よりテンポを落とした。それが仇となったのかも知れない。本番で2ndの学生M地君が飛び出してしまった。
歌ったのは7月に県大会があるコンクールで提示されている課題曲4曲にうち日本語歌詞の2曲。1曲目は「今夜は2時間も待ったに何で来てくれなんだのか」から始まる大阪弁の男の女に対する恨み節。M地君はaccelが掛かった「電車がええねん」の次の休符で飛び出してしまった。
演奏中も終わってからも指揮者の笑いのネタにされてしまった。2曲目は僧侶S氏が在学中の大阪大学グリークラブが委嘱した作品らしい。インド人の歌詞の翻訳だが日本語が変なので覚えるのに苦労した。昼前には会場を出て鳴門の散髪屋でプラセンタを受け取りこはくの天使経由で帰宅。
昨年の映画「シン・ゴジラ」のDVDを妻が借りていたので今日の夕方観た。話題になった昨年ずいぶんとテレビやネットで情報が入ってきたので何となくどんな映画なのかは分かっていた。怪獣映画というのよりは政府の意思決定プロセスを描いたものといった印象だ。
主人公は長谷川博己演じる内閣官房副長官だとは知っていたが政府内の会議だけでも発言者が多すぎて当初は誰が誰だか分からず混乱した。物語は分かるのだが途中の会話が官僚用語だったり学術的なものだったり敢えて分かりにくさせているようにも思うが私には展開が速すぎた。
逆に言えば飽きる間がなかったとも言える。そして面白かった。オタクが喜びそうなネタがちりばめられているようにも思う。何度でも楽しめるのではないか。エンドロールの出演者は4人を除いて五十音順の1行3人ずつ。最後に野村萬斎と出ていてゴジラを演じたのだったと思い出した。
この映画では自衛隊のシーンが相当多くあるのだがエンドロールになかなか名前が出ない。と思ったら最後の最後に「自衛隊協力」として陸上航空海上各部隊の名前が次々と。巨大生物の上陸に対する法的問題を実際に検討しているというニュースもあったが面白いいい映画だった。
後日のために記録しておく。腕と脚の痒みは元は草刈りで何かの刺激を受けたのかも知れない。あのとき熱が出たぐらい体調は悪かった。免疫機能が下がっていたからではないかと言った散髪屋の大将S氏の話には説得力がある。でもその後は私の対処が悪かったような気がしている。
というのも痒くなって手元にあった薬を適当に塗っていたのである。ホホバオイルだとか乾燥肌用のかゆみ止めだとか。でも外的要因だとすると手の甲に何も影響がないのは何故だろうと考えた。腕と脚を除く顔や身体は何ともなく。それは手も顔も直後もその後も何度も洗うからなのかと。
そこで昨日の夜にシャワーを浴びた後に一旦は薬を塗ってみたが違和感があって風呂場に行って流し落とした。飲み始めると赤くなるがそれまでよりもマシのような気がする。痒くなったらかゆみ止めで対処すればいいと言ってくれた医師W氏の言う通り妻が持っていたムヒで済んでいる。
そんなわけで「響」に行ったついでに駅ビルでムヒアルファEXを買って来た。W氏のおかげで良くなってきた感じがする。さて今日はS神歯科から練習まで時間もあったため前から目を付けていたバッグも購入。徳島そごうでの買い物は東京から帰省して靴を買った2007年以来10年ぶりかと。
腕や脚の痒みはアレルギーではないかと疑っていた。それで中高時代の後輩である医師のW氏に検査について訊こうと思ったのだが彼は外的要因だろうと言う。でも何か食べ物が良くないのではないかと考えていたときに思いついたことが2つある。ペットボトルとコーヒーメーカーだ。
私は10年以上前から意識して水を飲むようにしている。たいていペットボトルを持ち歩いているのだがそのペットボトル自体は使い回しだ。以前のものは水がカビ臭くなり飲み口を毎日洗っていた。半年ぐらい使っていたかも知れない。最近もGWに買ったものだから1.5ヶ月ほど経っていた。
寝るときもベッドサイドに水を入れたペットボトル。寝室のものは1年ぐらい使っていたかも知れない。さすがに良くないと思い一昨日に捨てた。持ち運べる水筒を買おうと思う。一方のコーヒーメーカーは保温できるポットのふたが中空になっていて中を洗うことができず臭うこともあった。
取扱説明書を探し出したが清掃についての記述はない。保証書の日付は2005年12月。デバイスタイル製Brunopasso CA-5S。このポットのフタを今日は湯に浸して振ってみたり。刺激を与えようとシンクの端に当ててみたら何と2つの部品に分かれた。12年経って初めて中を洗えてスッキリ。
腕の痒みからリストレストを煮沸したのだが以後に改善したのかどうかよく分からない。痒かった右腕裏側は掻いた跡が残っているだけで肘の内側がときどき痒いだけのような気もする。いや今は左腕先外側が痒い。そして脚は太ももの表から内側に膝下外側と膝の裏で掻いた跡が汚い。
今日は4ヶ月ぶりの散髪に行ったがここの大将S氏は髪と頭皮については専門家だから雑談の中で話題にしてみた。私の腕を見るなりダニか毛虫の毛が原因だと言う。彼も家庭菜園や草刈りでやられたと赤くなった首下を見せる。そう言えば私の痒みは先日の草刈りの後からかも知れない。
先日シャンプーが掛かった腕が痒かったと言ったらタイプの違うものをかけて原因を探ろうとしてくれたり15時半から2時間もあれやこれや。帰りに北島のレディ薬局でいくつか薬を買って吉野町で担々麺を食べてから「響」の練習。休憩のとき隣にいた医師W氏にアレルギー検査について質問。
でもS氏と同様に外的要因だと言う。樹液など植物などが原因ではないかと。それなら平気だと帰宅後ビールを飲んだら脚が赤く猛烈に痒くなった。草刈りをしたときのものを含めて先週土曜に洗濯したから今日のジーンズに原因物質が移ったか。赤みも痒みも1時間もせず落ち着いたが。
今日もベランダ作業の続き。まずは朝のうちの古いプランターをゴミステーションに持ち込んだ。洗っておいたものは廃プラ扱い。一部洗えてなかったものがあったがK原君が水で流しておきますと言ってくれたので置いてきた。いつも適切に優しく対応してくれるK原君は頼りになる。
戻ってきたものの袋に入れたプランターの破片をベランダに置いたままだったので再びゴミステーションへ。これは手に持つと崩れるので焼却ゴミに。午後は昨日洗った植木鉢を含め屋外のものを全て自宅ベランダに移し東側半分に水を撒いてデッキブラシできれいに。
ここで一旦休憩して夕方から今度は西側半分の作業。先日と同じようにサッシのレールに溜まったカビ付きのホコリを歯ブラシで落としながら水で流し上の方までこびり付いたカビは霧吹きで濡らしながら擦って落とし。この作業は妻も参戦してくれてアルミ部分はきれいになった。
最後に西側ベランダ全体にじょうろで水を撒きデッキブラシで土などの汚れを流していった。とりあえずスッキリ。今後の課題はプランターをどう活かすかということと自宅のベランダとサッシの掃除。今夜から大雨ということなので続きはボチボチと考えよう。
今日も午後からベランダ作業。まず古い土の入った植木鉢の類を住宅裏に持って行って土の上にばらまいた。プラスチックのプランターやら陶器の植木鉢が大小20個以上あって何往復したことか。鉢底石はこれからも使えそうだから1つずつ丁寧に拾って持ち帰り。
土を捨てた鉢は屋外の水場まで持って行って軍手をはいて手洗いした。保管するにしても少しきれいにしておいた方がいいと思い。捨てることにしているプラスチックのプランターも土が付いたままでは処分できないかと思ってこれも洗った。やれやれ流れる汗が目に入る。
昨日新しいプランターに移し替えた土も結局捨てた。ただ一番東に置いていたプランターからは何かの植物の芽が出ていたり土が生きている感じがしたので昨日コメリで買ったプランターに移し替えた。土を流用したのはこのプランターの土だけになった。
10個近くあった鉢受けも洗って鉢は駐車場でしばらく乾かした後に廊下に並べた。さて今日は妻の誕生日で外食しようかと話をしていたが結局家で豚しゃぶ。その前に17時過ぎに今日の作業を終えてシャワーを浴び夕食前からビールを飲み始めた。これが幸せだと思う単純な私。
ベランダの整理をする上でプランターに入った土が問題。プラスチックのプランターが割れていると思ったら触っただけでボロボロと崩れる始末。とりあえず代わりとなるプランターを買おうとコーナン小松島店に行ったのが土曜。体育協会会長Y氏と2度もすれ違って挨拶。そのまま「響」の練習。
今日は夕方になりプランターに土を入れ替え始めたのだがボロボロに崩れるプラスチックと土が混在してしまって分別が大変。さらに底に敷いていたらしい石も混じっている。底が網になった小さな鉢を使ってベランダにこぼれた土をふるい分けてみたり。
ただし土の質が悪い。ただの砂と言っていいほど無機質だ。この古い土を敷いて腐葉土を入れるとすると今度はプランターの数が足りない。そんなわけで今日は大阪から帰ってくる妻を迎えに行く前コメリに寄ってプランターを3個追加購入。勝浦のH美さんと会ってご挨拶。
でもそんなことをしていたら腐葉土を大量に買わないといけなくなる。ということを考えていて生ゴミ処理機を導入したらどうかと思いついたところ。ただし大阪からバスで戻った妻と車中で話をして古い土はダメだから処分した方がいいということになった。続きは明日以降ボチボチと。
部屋のベランダは結構広い。南向きで部屋の幅いっぱいの長さと奥行き1.8m。東京から持ち込んだ鉢植えなどを置いているが植物は早々に枯れて重ねていたプランターが強風で倒れたりして土がこぼれたままだったりする。ここで住み始めて8年半。ほぼ同じ年月を放置したまま。
ときどき気になるのだがベランダは特に使っていないので必要もなく放置していたのだが8年半にして整理してみようという気になった。コメリでスコップを買って来たのが昨日。今日はシダのデッキブラシを購入。午後に作業をしようと思ったがまだ日が当たっていて暑そうだ。
そこで玄関の靴や傘立てなどを全て外に出し土間の掃除から始めた。カビなのか黒く変色して汚かったのだ。ほうきで大まかに掃きじょうろで濡らしてブラシで擦る。結露からカビがこびり付いたドアは古い歯ブラシで。事務所に続き自宅の玄関土間とドアの一部外側にもブラシを掛けた。
続いてベランダなのだが鉢植えよりもまず窓枠の汚れが気になり水を掛けブラシで磨いた。そうすると今度はホコリとカビが混じって真っ黒なレールが気になる。仕方がない。ここもデッキブラシと歯ブラシで汚れを落としたところで日が暮れた。サッシ3枚分だけ。続きはボチボチやるつもり。
夜は寝られているのだが脚と腕が痒いときがある。脚は太ももの内側から裏に掛けてと膝下あたり。かゆみ止めを塗って凌いでいる。一方で腕は肘より先の内側。手首に近い方が痒くて掻くと血が滲んだりする。もしかしてダニなんだろうか。でも左より圧倒的に右の方が酷い。
なぜ右手首なのだろうと考えていたらリストレストだ。マウスを操作するときに手首を置くパッドのこと。一度洗濯した記憶はあるがウレタンを薄い布で覆ったものはダニの住処になっても不思議ではない。しかも何年も洗っていない。調べてみると買ったのは10年前で洗濯したのは4年も前。
昨日ちょうどNHK「ためしてガッテン」で洗濯物の部屋干しで臭わなくするためには高温で洗う必要があると言っていて思いつき鍋で湯を沸かしマウス用リストレストを煮沸してみた。MacBook用に買ったもののあまり使っていない予備のものも同じように煮沸して乾燥機で乾かした。
10年も手首を起き続けてきたリストレストは見た目が汚い。垢が付いたか黄色だった表面は煮沸したら今度は黒ぽくなった。布はよれよれだ。数百円の製品だから新調しようと思いつつ10年も使っていると同じものが欲しい。でもヨドバシでは同じものが既になく。もう少し使ってみるかな。
弟がまた離婚をするかも知れない。本人からは何も聞いていないが先週金曜に弟の奥さんから実家の母に電話があったらしい。その直後に母が私に電話を寄越したが弟に何か言っても態度が変わることもないだろうと返事した。それを聞いた妻が母に連絡した上で奥さんに電話を架けた。
その日は通じずメッセージを送って土曜夜に奥さんから妻に電話があった。弟からは奥さんの酷い発言を聞いていたがお互い様だ。大人の夫婦の問題に私は介入するつもりはない。ただ弟夫婦にはかわいそうな面がある。今は小学1年生の甥が先天性の病気で何ヶ月も入院していたから。
弟も奥さんも不安だっただろうし病院での付き添いと仕事のやり繰りは大変だっただろう。誰の責任でもないのだがだからこそ行き場のない不安と苛立ちが相手へのきつい物言いになったと想像する。そのときの相手のきつい物言いは実のところ自分自身の裏返しでもあるのだが。
それに気づいてお互いが当時の異常だった精神を顧みればいいのにと思う。今でも本当は同じ将来に向いているのだから当時の精神状態を自分のこととして語ればいいのに。それができない未熟な夫婦ということか。離婚を止めるつもりはないけどそのプロセスだけは必要ではないのか。
あの日から35年だ。1982年6月13日。あの日のことは10年前にも書いた。あのときは京都に戻ることも徳島で就職することも結婚を2度することも東京に住むことも何も想像できなかった。でも6月13日を35回も経験すると感慨も薄れる。ただただ健康で楽しく生きてこられたことを感謝したい。
妻は静岡と甲府と大阪出張のため昨日東京に行った。それで不要になった妻の旧PCと古いNASを片付けようとした。単に見えないところに保管しておくだけなのだが場所を確保しようとすると今度は積み上げたヨドバシなどの空箱が邪魔だ。そもそも2列になった空箱タワーは見た目もよくない。
空箱を片付けISDNターミナルアダプタの位置を変え間仕切りを少し動かすとプリンタに蛍光灯の光が届かなく暗いことが気になる。それでプリンタと玄関を照らすために使っていなかったミニライトを取り付けた。夕食後は2年分ほどの週刊BCNを整理して掃除機も掛けて。
夜は妻のPCにフリーウェアをインストールしてファイルをバックアップしたが新たなフォルダを作ってしまい3時間ぐらい掛かった。確認していたらシステムにもバックアップ機能もあり実行中。Windows10の機能がまだ把握しきれない。さてもう梅雨なのに雨も降らず窓を開けていると23時で19.9度。
妻と昼食のピザトーストを食べ終わり歯を磨こうとテレビを見ていたソファから立ち上がったときに防災無線の電源が入った。最大音量のノイズが聞こえる。これは火事だと事務所を飛び出し自宅に行きサイレンが鳴る中ヘルメットと法被をつかんで事務所でシャツを着て携帯電話を持ち外へ。
消防分団詰め所のシャッターを開けポンプ積載車のエンジンを掛け出ようとしたところでA氏が来た。無線機4つの電源を外しポンプ車に載せたあたりで猛スピードの軽トラで分団長。分団長運転で助手席にA氏と後部座席にY氏と私。車の後ろに誰かと町会議員H氏が最後に立ち乗りで出動。
この時点で13時過ぎだと思う。山火事ということで正木から煙が見える。診療所前に行って地元分団に話を聞きながら我が分団は水利を求めて傍示線を奥に。ポンプを下ろし貯水槽に吸管を入れ脇にある消火栓に細いホースを繋いで貯水槽に給水。続々集まる団員はホースを延ばしていた。
でも我が分団のホースの先に中継が来ないうち地元分団の放水で鎮火に向かったらしい。山火事だから2〜3日かかると覚悟したと皆が口にする中しばらく待機した後に撤収。詰め所に戻りホース10本以上を巻き取り解散したのが15時頃。一部仲間はビールを飲み始めたが私は「響」の練習。
私は蜘蛛が嫌いだ。この世で一番怖いものだと言ってもいい。でも田舎に住んでいれば同居もやむを得ない。足を入れて直径1cmぐらいまでの小さなものなら慣れた。デスク周りを歩いていても気にならなくなった。でも大きいヤツは相変わらずダメ。そんなヤツでも家の中にときどき現れる。
足の先までの直径が6cmぐらいのヤツが先日寝室の戸にいた。見つけてしまうと怖い。でも襲ってくることはないだろうと敢えて気にしないことにしていた。どんなヤツだったかと後日妻が訊くから答えたら死んでいたらしい。それなのに今日トイレにいるのを見つけてしまった。
妻が見つけた死骸は別のヤツだったのかも知れないし2匹目が現れたのかも知れない。とにかく怖いから一旦はトイレに入るのを諦めたが考えてみれば家の中にいても蜘蛛にとっても餌は少ないと思う。そこで意を決して傘の柄で蜘蛛を追い込みどうにか戸外へ逃がした。
「こんなところにいたら良くないんだよクモちゃん」と声を掛けながら。声を出さないと私の勇気が出ないのだ。戸外に出ても立ち尽くしていたから枯れ草を持ってさらに追いやった。それなのに私の背中を這ってくるのではないかという恐怖からまだ身体がザワザワしている。
カスペルスキーセキュリティの新しいライセンスを購入した。ウィルス対策機能を中心としたセキュリティソフトである。ウィルスバスターから乗り換えたのが2013年2月。今はカスペルスキーでCSR部長だかのY氏からもらったVIPカードのアクティベーションコードをこれまで使ってきたのだと思う。
でも最新の2017年版にはライセンスは今年6月30日で切れると表示される。3台3年ライセンスだったらしいが3年前にライセンスを買ったか覚えていない。VIPライセンスが制限されるようになったのかも知れない。いずれにしても有料版で何ら差し支えはないので21日を残して更新したわけだ。
私と妻のデスクトップPCと東京のノートPCと出張用サブノートの4台にカスペルスキーをインストールしていたはずだが最新の2017年版で3台に制限されると1台をカバーできない。今は入れていないがMacBook Proや妻のスマホまで将来カバーしようとすると6台分のライセンスが必要になる。
そこで台数無制限のプレミアライセンスを購入。企業での使用はできないと書いてあるが当社は同居の夫婦だけなので条件には合うはずだ。企業版は5人以上を前提にしていて値段も高い。そんなわけで13日まで15%引きの2年ライセンス8,500円。東京のPCの適用するのは来週月曜に。
DELL Precision Tower 3620の設定 (6月8日・木)
妻が使う新しいPCは火曜の配達だと月曜に来たDELLのメールに書いてあった。近鉄ロジスティクス・サービスの追跡サービスを見ると月曜23:56に国内センターを通過したとの記述。でもPCは火曜には届かず追跡データの更新もそれ以降なく水曜午後に到着した。Precisionタワー3620。
設定は今日午後から。まず古いPCの周辺を整理し既に使っていなかったNAS(ネットワークストレージ)の電源をUPS(無停電電源装置)から抜き代わりに新PCのものを挿入。ソフトは最初にカスペルスキーとATOK。それぞれ設定をして次にFireFoxとOffice 365。ここまでは極めて順調。
OneDrive for Businessの設定方法を忘れていたがOffice 365のWebから「同期」を実行すれば後はOKばかりで進行した。一方NASへのアクセスはNAS側で操作したのにダメ。悩んだ末PC側にアクセスソフトが必要と思い至り設定完了。プリンタドライバもダウンロードして最後にOutlook。
このサイトを参考にしてLet's NoteからOutlookのデータをNAS経由で新PCの当該領域にコピー。そこからアカウントの設定を4つ。夕食後はFireFoxにアカウントを登録してLet's Noteと同期させブックマークも復活。もっとかかると覚悟していたが半日で済んだ。これでしばらく様子を見ようと思う。
昨夜は水ばかり飲んでいたから0時半頃に寝て夜中に3度トイレに起き目覚めたのは9時半過ぎ。そこから惰眠を貪り起床は11時過ぎ。熱は36.1度。草刈り機を使った影響で筋肉痛は残るが体調はほぼ戻った。午後はプラ類をゴミステーションに持ち込み美人のNPO理事長にDVDの届け物。
DELLからPCが届くかも知れないので昼食は事務所待機でインスタントラーメンとゆで卵。食べながら日経新聞を読んでいると右ページの左下にあった人事情報の大島宇一郎という名前に目が留まった。知っている人だが誰だっけ。中日新聞の社長に就任したとある。それで思い出した。
東京時代の後半5年間を暮らした世田谷区上馬のマンションの大家さんだ。契約書でしか見なかった名前だが中日新聞の社員だと聞いていた。経歴を見れば中日新聞の創業者一族で元社長の息子らしい。2015年から東京代表だったとある。中日新聞つまり東京新聞のトップということだ。
東京時代のマンションの近所に今も義母が住んでいるから近くを通るときがある。2年ほど前には人が住んでいるようだった。大家さんが戻っていた可能性もあるということか。さて今日は15時出発こはくの天使でコーヒー豆を買って徳大前で給油して空港に妻を迎えに行った。
朝コーヒーを飲みバナナを食べ10:10頃から住宅裏の草刈りを始めた。先週火曜に約束したS氏と一緒。今年は部分的に一度やったが本格的な草刈りは今回が初めて。水を飲みながら塩飴を舐めながら。10:50頃にオイル混合ガソリンを補充したのだが何だか疲れて事務所床に寝て1分休憩。
11時半にS氏と本格的な休憩20分。今日はあまり暑くなくときどき風も吹いたから気持ちよかった。駐車場あたりの草刈りもやって12時半過ぎ終了。2人でいっきゅう茶屋に行ったのだが疲れ方が半端ない。昨日までの食事制限が響いているのだろう。バカなことをしたと姐さんとも話をして。
帰宅して余り物のどら焼きを食べ定演の差し入れのリポビタンDを飲み郵便局に消費税と法人税の予定納税。待っている間もしんどい。夕方少しだけソファでウトウトしたのだが起きても何だか変なので熱を測ると38度。そういうことか。昨日の午後から変だったのだが草刈りでトドメを刺した。
ここは食べないといけないと夕食は呑口でラーメン肉小と餃子。夜は18時半からS氏F氏とテニスをしようと言っていたのに私の不参加で中止に。夜は梅のど飴1袋空け水分補給と水ばかり飲んだ。24時前に測ったら37.2度まで下がってきたけど明日の朝は寝ておくことにする。
先週月曜から8泊で妻が出張に出ている。今回は大阪から札幌に行き一旦東京に戻り福島で仕事をして東京経由で帰ってくるらしい。ともかく1週間以上。この期間は食生活が乱れるのだがいっそ食事制限期間にすればいいのではないかと思いついた。ダイエットのためだ。
体重は4月をピークに意識したため下降傾向にはあるが4月上旬のレベルに戻っただけ。妻の出張中は昼に勝浦町でラーメンを食べ夜はスーパーで買って来た総菜といったパターンが多い。夜はこはくの天使に行きスーパーで何か買って来て翌昼に食べることもある。
でも今回はバナナ1本とゆで卵2個を4日連続で昼食にしてみた。夜は昨日までスーパーで買った刺身とヒジキなど。インスタントラーメンの日もあったが炭水化物を3日間摂ってなかった。でも今日は午後体調が下降線。これはいけないと「響」の練習前にCOCO壱番屋で食べて来た。
一方4年前に買った体組成計の設定が昨日リセットされ電池を入れ直したら起動しなくなった。よく見ると普段使わなくなっていたから電池のマイナス極が劣化していた。今日はコンビニで単3電池4本を買ってきて復活。買い換える機種も調べていたがまだ使えそうでホッとしたところ。
大学時代バイクで通学していて交差点で転倒したことがある。黄色のパッソーラは何か問題があってこれも中古の赤い確かホンダ・タクトに乗り換えていた。事故は乗り換えた直後のことだ。今出川通を西から来て室町通で右折するため青信号の対向車をやり過ごすブレーキングで転倒した。
パッソーラは前輪ブレーキがあまり効かず右手を強く握る癖が付いていた。その調子でタクトの右レバーを握ったら前輪がロックしたのだと思う。後続車もおらずケガもなく単独転倒で済んだ。そのまま室町のサークルに行ったらEIKが見ていたらしく外れたウィンカーカバーを拾って来てくれた。
自転車でも転倒したことがある。譲り受けたスポーツタイプの自転車で大学から帰るため狭い一方通行の上立売通を西に向かっていたときだ。後ろから白いバンの営業車が邪魔だとばかりにプッシュしてくる。私も負けじと速度を出しながら抜くなら抜けと小さなクランクで左に寄りすぎた。
側溝のフタの割れ目に前輪を取られ自転車ごと前転して飛んだ。後続の営業マンは自分の責任と感じたのだろう。すぐ介抱して私を病院に連れて行った。メガネは壊れたかも知れないし当時の彼女にはずいぶん心配された気もするがケガの記憶が全くないから大したことはなかったのだろう。
大学時代に堀川鞍馬口の学生アパートからの通学は主に原付バイクを使っていた。当初は大学入学のときに買った自転車を東京から持ち帰って乗っていたと思うが少し遠くまで行こうとすると不便。サークルの先輩から話があって中古で安く買ったのだと思う。黄色のヤマハ・パッソーラだった。
当時は原付ならヘルメットは不要。大学からの帰り今出川から右折して広い堀川通に入るとアクセル全開60km/hぐらい出たと思う。でも何故か徒歩で大学に通っていたこともある。寺之内通あたりで堀川通を渡るのだが裏通りを歩いているとそこは裏千家センター。茶道の総本山の前を通った。
あるときヒラヒラしたスカートでルンルンした若い女性が歩いていて私の通学路も観光客にはうれしいのかと思ったことがある。京都の道は碁盤の目だから大学までの通学距離は直線距離のルート2倍になる。徒歩だと新町別館まで15分かかり今出川校地まで20分だったような。
堀川のアパートは2年で引き払い4回生から3年間は千本今出川上ル西入ルあたりの学生アパートに住んだのだが最後はここからも徒歩で通った。だいたい今出川の1本北の五辻通を歩いたのだが大学まで30分。なぜバイクや自転車を使わなくなったのか全く記憶がない。
先週A社のボスから教えられ参考のために買って読んだ。 岡本薫『小中学生のための初めて学ぶ著作権』(あさがく選書)。著者は政策研究大学院大学教授とのことだが10年以上前まで文化庁著作権課課長だった。著作権行政のプロ中のプロ。著作権法に関する現在の権威の一人だ。
著者の本は新書の2冊と専門書である『誰でも分かる著作権―情報化・コンテンツ・教育関係者のために』(全日本社会教育連合会)を読んだことがある。今回の本は「小中学生のための」とあるが事例が小学生向けなだけで内容は大人が読むに相応しいと感じた。
冒頭「社会のルールを考えよう」という章でまず人間の行動には「(1)してはいけないこと(2)自由であること(3)しなければならないこと」の3種類しかないと説明している。(2)の意味は「他人が迷惑だと言ってもやってよい行動」を決めておくことでそれが権利のことであり著作権のことだと。
つまり著作物の利用を著作者が独占するのは迷惑だと言われても独占していいのが権利だと。中間の大部分は著作権法の説明だが音楽や映画で権利に差があるのは業界の政治力の違いだとする。法と契約の違いや民主主義にも言及していて岡本節満載。やっぱり大人が読むべきと思う。
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© 2017 Takashi INAGAKI