2010年8月
日曜の合唱コンクール。結果発表のときはやっぱりドキドキした。33人以上の団体が対象の一般Bグループは2団体だけだから全国大会出場は我が「響」かグリークラブ香川か。表彰式の講評でも言っていたけど両団体とも男声合唱であって私が客席で聴きたかったぐらいだが。
成績は金・銀・銅のどれか。金賞受賞団体の中から全国大会出場団体が発表される。高校の部から始まり職場の部や一般の部とテンポ良く成績が発表され「響」は金賞。次のグリークラブ香川も金賞。本当の一騎打ち。全国大会は「響」と発表されたときはただホッとした。
続いて全演奏の中で最優秀団体の指揮者に贈られる全日本合唱連盟理事長賞が「響」のSと言われたときは驚いた。振り返ると我が指揮者Sが階段を駆け下り舞台に向かっていた。理事長から頭を撫でられながら賞状を受け取った。2人は京都エコーで師弟関係だっけか。
結果として「響」は素晴らしい演奏をしたのだと思う。でも私は満足していない。音に不安があったし団員の半数は同じレベルだったはず。指揮者の表現指導と団員の集中力で乗り切ったが全国大会はこうはいかない。もっと精度を上げないと。全国大会は11月21日に兵庫県西宮で。
上勝を7:23出発。川内のY氏宅まで45分。車を置いてY氏の車で松山へ。今日は四国合唱コンクール。何台かの車に分乗していて誰かが遅れたとか車のエアコンが効かないといったメールがメーリングリスト経由で携帯電話に入る。高速経由2時間半で松山の練習会場に到着した。
練習の出来が悪いと書いたが前夜の練習でようやくメドがついた印象。そうすると一気に完成度が上がったようで団員の飲み込みの早さには驚くばかり。今朝の練習ではほぼ全員が揃って最後の調整。でも私は自由曲の前半と後半で微妙に違う2パターン4箇所に自信がない。
12時前に本番会場に移動し近くでお好み焼きを食べ衣装に着替えて15時集合。別団体で出演している指揮者ら6人の到着を待ってリハーサル。あまり歌わず本番の舞台。私は舞台で結局3箇所を歌わなかった。完璧とは程遠い出来だが気持ちは込めてやるべきことはやった小さな満足。
舞台を下り表で全体写真を撮っているとき指揮者が泣いていた。一旦着替えて会場で表彰式。「響」が出た33人以上の「一般の部Bグループ」はグリークラブ香川との一騎打ち。結果は両団体とも金賞。全国大会出場は「響」。さらに今日の演奏全体で最優秀団体に贈られる理事長賞まで受賞。
今日はうちの事務所に8時半集合で棚田の草刈り。8時半頃は雨。暑さ対策ばかり気にして雨が降る可能性を全く考えていなかった私。どうしたものかと考えているうちに雨は止み快晴。遅れた人もいて9時過ぎに棚田に到着。同じ住宅のS氏に前夜草刈り機を借りており今日は2台で。
1台を小松島から参加しているN氏に渡し草刈りを始めて10分ほどしたころか雨が激しくなり車に避難。一旦農家さん宅に行ってかかし作りをすることにした。前回の草刈りで小学4年の女の子が参加できていなかったので。その間も晴れて日が出たり雨が降ったりの繰り返し。
かかしを一体作ってN氏とO氏が犬のかかし作りを始めた。犬に見えないとか言い合って楽しい時間。かかし完成前に晴れていたから一足先に田んぼに行って草刈りを始めたらやっぱり雨。結局草刈りは諦めてくるくるハウスに行って素麺を作って食べた。晴れと雨は20回ぐらい繰り返したはず。
シャワーを浴びて夕方徳島に行って今日は「響」のコンクール前日練習。人数は30人近くいただろうか。この段になってまだ不安箇所がある。その確認をして覚え込みたかったのだが今日の練習では不十分だった。明日車の中で練習しよう。というわけで明日は早朝から松山へ。
今週水曜。徳島市に住んでいる友人U氏が上勝のS氏と話をしたいと言ってやってきた。S氏のブログに癒されているそうで。いっきゅう茶屋で9時半から2時間近く。一旦戻って午後は妻と2人で役場。前々から考えていた事業を提案。乗り越えるべきチェック項目多数。さて。
来週までに執筆する原稿があるのだがようやく木曜に手を付けた。でも書けたのは6ページ中2ページだけ。今日やれば全体のメドが付くと考えていたが水曜に役場に行った件で追加資料を求められて作成作業で時間が終わった。ゴミステーションと商工会にも行った。
夕方からは徳島に行って急きょ決まった「響」の練習。明後日に松山で合唱コンクール四国大会があるのだ。練習不足のみんなはお尻に火が付いた状態。私も不安。私が出たどのコンクールよりも出来は悪い。なのに指揮者が妙に自信を持っているのが気になりつつ。
練習を19:35に抜けだし徳島市青少年センターへ。今日はツイッター仲間がやっている「ビジネスツイッターセミナー」の第1回。講師はツイッターで繋がり仲良くしている友人。ツイッターで知って初めて会った3人とツイッターで知り12年ぶりに会った人とか。その繋がりが楽しい。
21日(土)。暑くてよく眠れなかったが7時半に朝食を取り9時にダイビングショップ集合。K氏は徳島でお遍路をするI嬢を迎えに徳島空港へ。私と妻は3年前に室戸でやって以来のダイビング。M氏は前日も潜っていたしY嬢は8月初旬に三宅島に行ったりしている経験100本を超えるダイバー。
ここのショップでは車で1分の港から船でポイントに行く。この日の1本目は10時過ぎに乗船。漁船に私たち4人とガイドさん。私は海に入ったとたん少し恐怖心。マスクに入る水を除去する練習を海面でしばらくやって落ち着いた。忘れていた技術もあったが海中では意外に落ち着いていられた。
終わってショップで弁当を食べ2本目は時間が空いて15時過ぎに乗船。妻は海に入る際にマスクが外れパニックになったらしくロープ沿い2mほど海中に入ったところで自ら断念。私は残圧計などタンクに付けた機器が海中で捉えられず焦りと恐怖が襲って来つつあったが何とかなった。
それより鼻血。1本目で皆についていくことばかり考え耳抜きの方法を忘れていて水深10mほどで内耳が痛くなった。船に上がれば鼻血。中耳炎の中ダイブしたサイパンのときと同じだ。2本目は注意深く耳抜きしたが船に上がるとやっぱり鼻血。今も耳が変。痛くはないが自分の声がこもる。
20日(金)の宴会を終えたのは24時頃。翌朝の食事は7時半。でも同室のK氏とM氏はいびきが凄いはず。これは東京時代に行った職場の合宿旅行で同室になったとき経験済み。あのときは2人に囲まれて私は明け方まで寝られなかったのだ。その嫌な思い出が蘇った。
さらに太めの2人は冷房の温度設定を低めにするから寝るとき寒いと困る。そこで私は押し入れに布団を敷いて寝ることにした。いびきも冷気も押し入れの中の戸を閉めれば緩和できる。いいアイデアだと思ったのだが。
まず横になると長さが微妙に足りない。これは船室で寝ていると思うことにして斜めになれば大丈夫なので気にしないことにした。ところが2人のいびきが実は大したことがなかった。あの合宿のときのような大音量でなく拍子抜け。最大の誤算は寒さを警戒したのに逆に暑かったこと。
そしてK氏とM氏はお互いのいびきの影響を緩和するため布団の敷き方が足の方はくっつけて頭側を離すハの字型。K氏が斜めに布団を敷いているので暑いからと言って押し入れから出ようとしてもどうにもならず。寝付けず深夜に何度も目が覚め。朝は6時半に起き出したK氏がうるさいし。
20日(金)のこと。私の仕事先の団体にいる4人が徳島に来た。K氏は阿波市に実家があり帰省中。M氏は木曜に徳島入りし牟岐町に行っている。金曜は徳島空港11:00着の飛行機で来たY嬢を迎えに妻と徳島空港へ。月曜までの食事を考えY嬢に提案したのが阿波市土成のたらいうどん。
途中で大谷焼の水琴窟と一番・霊山寺を見学。阿波市に帰省中のK氏に連絡したら徳島まで出ていたらしいがUターンしてもらって霊山寺で合流。たらいうどんは「平谷」。ここの大将は偶然だがK氏の高校野球部の先輩らしい。34年ぶりに再会していた。焼き鳥と沢ガニとうどんを食べた。
そこから牟岐へ。私の車にY嬢と妻。K氏の車が後から。田宮街道や55号線が意外に混んでいたし「Y嬢に海を見せてあげて欲しい」というK氏の要望で南阿波サンラインのワインディングを通って16時到着予定が16時半に。ここでダイビングをしていたM氏と合流。
ダイビングショップの隣にある貝の博物館「モラスコむぎ」をM氏の強い勧めでみんなで見学。そこからK氏M氏Y嬢と妻と私で近所の民宿へ。夕食でウニを形のまま食べたのは初めて。夜は宴会。週末だから宿泊客も多かったらしく部屋割りは男女別。これが悲喜劇を招く。
一昨日夜にやって来られた地元のNさんに頼んで今日はスダチ取り体験をさせてもらった。東京の人たちはスダチがどういう木になっているかを知らない。どう収穫するかも知らない。そんなわけで東京から来ていたY嬢とI嬢と妻と4人で8時半にNさんの畑に行って15分ほど。
一旦事務所に戻り射手座造船所を見学しくるくるショップといっきゅう茶屋で買い物をして徳島へ。徳島ラーメンを食べようとしたのだが11時半開店だったり定休日だったりして徳島駅前まで行って11時開店のお店にやっと入れた。12:01発のキシャで高知に向かうI嬢とはここでお別れ。
11:30に駅前を出て飛行機で東京に戻るY嬢を送って徳島空港11:51着。妻と上勝に戻って風呂の水の中にダイビンググッズを浸けたりツイッターを改めてチェックしたりこの日記を書いたり。明日からは仕事モードに入らないと1万字の原稿が待っている。
夜は上勝ジョシコーラスの面々が集まって反省会。横で見ているとほとんど雑談。さらに先日のお盆のつどいに出演していた人たちが集まってビデオ鑑賞会。みんなで大笑い。過去の秋祭りの映像や昨年秋祭りの打ち上げなどの映像も見て解散27時。楽しい1日。
金曜から東京の仕事仲間4人が徳島に遊びに来ている。昨日メンバー全員が揃い上勝に泊まった。男性2人は事務所で寝てもらい女性2人は自宅で。今日は7時起床。妻が食事を用意し7時半に朝食。K氏の7人乗りワゴンで8時半出発。ゴミステーションといっきゅう茶屋と樫原の棚田を見学。
上勝観光は意外に時間がかかり9:50頃2台に分乗して上勝を出発。二日酔いと車酔いのI嬢のために2度停車しつつ鳴門へ。鳴門公園の渦の道で渦を上から見て昼食は鳴門うどんの舩本へ。初めて行ったのだがナビを頼って。M氏はうどん2種類におでん数種。彼に鳴ちゅるは少なすぎたか。
再び鳴門公園に向かい大塚国際美術館。高松空港から東京に帰るK氏は実家に向かうためここでお別れ。私は今まで何度か行っているし妻は立ちっぱなしだと腰に悪いからと入館は止めて鳴門の喫茶店マザーズで休憩。寝そうになったので母が留守中の実家に行って仮眠。
16:30に大塚国際美術館に3人を迎えに行き最終便で東京に帰るM氏を徳島空港に送りY嬢とI嬢と妻と私でスーパーでお土産を買って鳴門の魚料理の名店「あらし」で夕食。私の前に4組待っていて店を出たら20人以上が待っていた。J社本社ビルや新町川を回って4人で帰宅。
徳島男声合唱団「響」の練習。課題曲を2時間強。特に私が歌っているセカンドテナーは音が下がると散々指摘されて歌いっぱなし。いや疲れた。次の日曜の練習には行けないから練習できるのはあと2回か3回。ドイツ語の歌詞はまだ覚えられず暗譜もままならない。
さて今日の練習には松茂に住む写真家M氏が久しぶりに登場。私が徳島に帰ってから2〜3度は会ったはずだが練習に参加するのは私が覚えている限り3年ぶりぐらいか。久しぶりだから休憩時間に話をしていると最近の活動として凄いものを見せてくれた。
彼が鹿児島の桜島に通って写真を撮っているとは聞いていた。その桜島の写真が「ナショナル・ジオグラフィック日本版」に掲載されているのだ。6ページぐらいに渡り。文章は作家の池澤夏樹氏が書いている。写真家として凄いことではないか。あまりに驚いてみんなに見せた。
ちなみに「ナショナル・ジオグラフィック日本版」の現在の編集長は昔日経ビジネスにいたF田氏。編集者の中にK槌氏の名前も。彼は日経パソコン時代に何度か会っている。それはともかく本人は謙遜しているが桜島撮影の第一人者と目されている様子。素晴らしい。
お盆で鳴門に行ったとき実家ではエアコンを入れていなかった。今年の夏は全国的に最高気温が35度を超える日が多く15日の鳴門も暑かった。すぐにエアコンを入れてもらったが2Fは暑さが溜まり特に暑い。うんざりしながら蜂の巣取りをやっていたのだが暑さには30分で慣れた。
私が小学校に入った頃から両隣の家は変わっていない。西側のアパートはなくなり見通しはよくなった。南北にある窓を開けると少しは風が通る。30分で慣れて思ったのは私はこの環境で育ったのだということだった。この風とこの湿度なら意外に平気かも知れないと。
上勝に住んで1年半で2度目の夏。オフィスではエアコンをかけて冷房や除湿にして27度ぐらいに設定しているが外に出るとやっぱり暑い。昨年はお盆を過ぎると一気に過ごしやすくなったのに今年は特に。でも鳴門の方が暑いはずなのに何故か上勝より過ごしやすいと思ったわけで。
生まれ育った環境は意外について回るのかなと仮説を立てているところ。味覚は子供のうちに決まるとも聞くし同じように。逆に生まれ育った地ではないところで生活できる順応性のことも思う。同時に別の地で刺激を受けることも必要ではないかと考えたり。
今日も20時からバスケットボール。久しぶりに地元のT氏も参加。初めて参加した地元のN君も。先日のソフトボール大会でホームランを連発していた19歳。最近はいつも小学生がいたのだが今日は大人だけ。しかも男ばかり10人が揃い最初からフルコートで5対5。
練習では近めのミドルシュートが今日も入っていたのだが試合でミドルを打ったのは1本のみ。しかも外した。今日のゴールは開始直後ゴール下でパスを受けてフリーで入れたシュートだけだったような。ゴール下のリバウンドを取ったりしたがシュートはことごとく押さえつけられた。
パスミスは4本ぐらい。ゴール直後のスローインをいきなりカットされてゴールを入れられたのは悔しい。続けて2度もカットされた。最後に昨年まで大学バスケット部選手だったO君が来て私は交代。休憩もしたけど2時間をみっちり動いていつものように絞れば滴るほどの汗をかいた。
最後のゲームで得点係として外から見ていて思ったのは19歳のN君と来たばかりのO君が活躍したこと。つまり攻守交代でどれだけ走るか。それとジャンプ力。私はリバウンドを取ってもジャンプできないからシュートをさせてもらえない。せめて相手をかいくぐる技術を身に付けないと。
原稿仕事2本。朝は前に書いた原稿の書き直しでA4半分ぐらいの挨拶文。洗練度は今ひとつだが時間もないのでチェックに回した。午後は1,700字。打ち合わせをしたのは先々週の土曜でメモを見ながら構成を考え。みっちり数時間かかって頭と目がクタクタになった。
夕方になって表に出て車を見ていたら傷を発見。右側の後部ドアの下の方。昨日の行動で思い当たるところはない。たまたまお向かいさんと話をしていたら子供の自転車によるものだろうと。傷の場所もシチュエーションもあり得る話。昨日は不注意で助手席ドア下に傷を入れたし散々だ。
お向かいさんと話をしたのは前回のネット問題以来で上勝のネット環境のその後について改めて情報交換。問題意識は同じ。私の知らない事実も教えてくれた。私も自分の推測を言ってみたり。身近で同じことについて私と同じレベルで話ができる人がいて心強い。
原稿仕事の合間の昼食前後には椅子を組み立てた。妻が腰痛対策で買った新しいもの。昨日配達を受けた。夜はデスクの組み立て。これまでの妻のデスクはミシン台みたいなもので不安定だったので椅子と一緒に妻が買ってきた。デスクを組み立てPCの電源回りの整理して汗だく。
ある荷物が届くのを待って鳴門の実家へ。お盆だが上勝での「お盆のつどい」が終わらないと主催委員である妻は落ち着かず14日は片付けがあったので当初から実家には15日に行くことにしていた。14時頃出発。途中で父の実家の墓参り。祖父と祖母と連綿と続く父方のご先祖が眠る。
お盆前から「いつ帰るのか」と催促してきた母と会ったのは2ヶ月ぶりぐらいか。母に頼まれ2Fのエアコン室外機裏にあった蜂の巣を除去して母と妻と雑談。本棚で見つけた母の楽譜を数冊と来週来る東京の仕事仲間たち用の布団を持ち帰った。帰りに近所にできたという肉屋を偵察。
早めの夕食を取りたかったがうどん屋は閉店で岡崎の喫茶店もお休み。結局は川内のモスバーガーで食べた。18時半頃の徳島市行きは渋滞もなく順調で阿波踊りをUST中継している拠点がある東新町商店街に行く妻を藍場浜で下ろして私は「響」の練習へ。阿波踊りを避けて今日は田宮で。
「響」練習後に妻を東急イン前で拾い22時半頃上勝に帰宅。それから阿波踊りフィナーレ後やっていた東新町からのUST中継を見てツイッターでもコメント。中継は何と最高360viewsだったとか。4日間もボランティアで参加したツイッター仲間のがんばりに感動。徳島の夏が終わった。
起床したのは8:45頃か。今日は9時集合で祭りの片付け。会場の設営は全て前夜のうちに撤去されていて今日は1Q運動会の委員を中心にゴミの処理と借りていたテントなどの返却。私は1Q運動会事務局にして役場勤務のMさんと一緒に軽トラに乗って役場に2往復。
まずは屋外スピーカーとアンプやオーディオケーブル類を役場前の倉庫に。テントの重りは役場1Fへ。これが1個20kgで12個もあるので2回に分けて。2度目の軽トラでテント4張。倉庫として使っている昔の公民館へ。普段は見ない役場の裏側で防災関係の備品なども見させてもらった。
Mさんと荷物運びをしている間に公民館ではゴミの缶の洗浄と分別。前夜取り込んで体育館に広げていたテントを畳み傍示1Qの備品の片付けをやっていた。実働9時10分頃からだったと思うが10:45に全て終了。早く終わったのは前夜のうちに持ち帰ってくれた借り物もあったからだと思う。
妻を見ていると打ち合わせや買い出しや準備に忙しかったが当日は地域のみんなが自分たちがやることを心得ていてあーだこーだと言いながらも設営が進み祭りが終われば皆が総出で撤収。作業は全て自分たちでやる。これは凄いと思う。関係者の皆さんお疲れさまでした。
(この日記は14日17時前にアップしました)
傍示お盆のつどいは私が住んでいる住宅前の駐車場と広場で行われる。今年から主催の「傍示1Q運動会」の委員になった妻は朝から準備。委員の人たちが昼食に行ったいっきゅう茶屋で私も合流して午後からは設営の手伝いに参加。テントを立てたり提灯を吊ったり。
準備は地元の方々20人ぐらいが参加していたように思う。みんな慣れたもので提灯を吊すため竹を持ってきて立てたり街路灯にコードを固定したり。みるみる設営ができて夕方からビールを飲み始めたり。我が事務所は提灯の電気を提供しジョシコーラスのヘアメークと着替え場所にも。
妻は委員として司会を担当。18時の始まりの頃には私はすっかり酔っぱらい。前々日にツイッターで声を掛けた視察の若者たちと合流し挨拶したりビール早飲み競争に出て負けたり。ジョシコーラスの指揮は見にくかったらしいが暗譜して前を向いて歌ったので声も出ていて良かったと思う。
ステージ最後はドリフの早口言葉。ジョシコーラス部が踊ってN氏のエレキギターが響く中を会場から次々とステージに呼ばれる人たち。子供たちも立って踊り出して楽しかった。最後は阿波踊りも踊りみんなで片付け1時間。22:45頃から事務所で打ち上げ。最大24人いて解散は26時半前。
昨日11日に友人2人と会ってきた。U氏がツイッターで見つけたK氏を紹介して欲しいと言ってきたので2人が会う場を設定して。共にJ社の元同僚。聞けば96年の1月から8月まで2人はJ社で重なっていた。でも面識がなかった。私にとって2人は親しい関係だから喜んでセッティング。
U氏とはときどき会う。一方K氏とは2年前に移住の件で相談したものの引っ越してからは会ってなかった。場所は喫茶ヤマカク。徳島にいた頃に教えてもらい東京から帰省の際にも何度か行ったが上勝移住後は行けていなかった。それが気になっていて今回の2人の会合にセッティング。
U氏は米国の永住権を持ち海外生活が13年。K氏はニュージーランドに7年住み永住権を持っている。U氏もK氏が住んでいたオークランドに留学していたことがあるそうだし横浜で住んでいた町も同じだったらしい。話すうちに諸々の共通項が明らかに。
K氏は私にとっては後輩だが尊敬している友人である。今まで彼と話をした場は印象深く覚えている。私が興味を持っていたのは彼の行動原理。J社を辞めNZに行き帰国しマイクロソフトに入社し退職して起業し徳島にUターンしたそれぞれの判断の。改めて話を聞いて刺激を受けた。2人に感謝。
13日(金)は私が住んでいる住宅前で夏祭りが開かれる。人口約350人の地区の「お盆のつどい」。昨年初めて参加したのだが東京から来た友人が昔ながらの風情に驚いていたし私は初めて自発的に阿波踊りを踊った。今年は妻が主催団体の役員になって準備に忙しくしている。
そんなわけで今日は会場の草刈り。主催団体「傍示1Q運動会」の今年の委員長にして私の中学の同級生F氏と同じ住宅に住む同い年のS氏と3人で。S氏と草刈りを前にやってから1月ほど経っていた。9時から始め途中雨で休憩しながら11時頃終了。
夜は妻らがやっている女声コーラスの練習。春頃から始めた彼女らは3度目のステージとして13日の「お盆のつどい」に出演する。高校時代の合唱経験者が1人だけだから発声も譜読みもままならないが楽しみながらやっているし口出しすると妻が嫌がるからこれまでは傍観していた。
でも本番を前にしてテンポの維持が難しいと気づいたらしい。それで急きょ私が指揮をすることになった。と言っても私にできるのはテンポの指示だけ。それでも合唱経験が少しは生きている。「お盆のつどい」は誰でも参加可。18時から。プログラムなどはこのブログに詳しい。
火曜はバスケットボールの日。お盆前で忙しいのか人数は少なく大人6人が揃ったところでハーフコートのミニゲーム。子供はN氏の長女で小学4年のKちゃん1人。後から大人が1人来てKちゃん含めハーフコートの4対4。
練習では近めのミドルシュートが調子よく入ったが試合では今ひとつ。それより密集したゴール下からのシュートができるようにならないと話にならない。それでも何本か得点したがビブスを付けなかったので敵味方の判別に時間がかかる始末。
さて前回は練習のときゴール下まで走ったら左太腿の前に違和感が走り左足を庇っていたら右太腿も同じように痛み出した。フルコートの5対5でゲームをしてそのうち走るのに支障がないことはわかったけれどジャンプすると痛く不調だった。
今やジャンプをしても10cm程度なのに腿が痛くてほとんどジャンプができず。それで今回は腿のストレッチも入念に。それと前回途中からメガネを掛けたら視界が良くなりシュートも入り出したから今回もメガネを掛けてやってみた。一度ゴール下で落としてしまったが視界がいいとプレイも違う感じがする。
インターネットを使った「放送」の一種であるUstreamを上勝町から初めて行ったのは私である。実のところ上勝生活体験施設「くるくるハウス」のイベントで来たツイッター仲間がiPhoneを使って「放送」していたから一番ではないかも知れないのだが。
徳島のツイッター仲間が4月から毎週やっていた実験「放送」109Uが終わって上勝発でUstreamができないか考えている。実は3ヶ月前ぐらいから構想は持っていて何となく方向性は見えている。単に機材を調達して動けばいいだけのような気もしている。
でもここに来てそもそも回線が不安定でこれが問題。Ustreamは映像と音声を扱うから回線速度が必要だしさらに送信と受信を行うわけで2回線が欲しいと思っている。NTTクオリア以外のプロバイダと契約できればバックアップとしても環境が整うかも知れないと思ったり。
前にも書いたが県内だけをターゲットにした広報をやっていてはダメなのだ。徳島新聞や四国放送に出ただけで満足していたら先はない。せっかくインターネットという環境がありツイッターやUstreamという手段があるのだから使えばいい。でも問題なのが環境の脆弱性という情けない状況で。
土曜夜は某所で宴会。上勝の濃い人たちと狭い部屋で鍋を囲んだ。暑かったが楽しかった。上勝は先週後半から秋を感じる。日中は暑いが毎晩のように雨が降り気温が下がっている。最近の夜は過ごしやすい。
日曜は遅くに起きて妻がゴミ出しと買い物に行ってすぐ友人が突然やってきた。棚田での米作りメンバーであるK嬢と広島のN君。岡山に行っていたK嬢が広島にいるN君を呼び出し徳島まで送ってもらったらしい。N君は土曜夜に車で寝て今日は上勝までやってきたと。
妻が帰宅するまで3時間は上勝関係のビデオを見て帰宅後は恋愛話。バツ1のN君と独身のK嬢。20年来の友人と今さら恋愛はできないとかそんな話。若くないのだから話をするだけじゃダメで実行しようよと私。いずれにしても遠方からやってきてくれるのだからありがたい。
さて上勝の今日の通信環境は安定していたと思う。地元のT氏がいろいろ調べてくれてツイッターで情報を送ってくれている。原因究明は必要だ。でももっと抜本的な解決策が必要かも知れない。突き詰めると上勝と勝浦を揺るがす事態になるかも知れないと思ったり。
上勝町のネット接続問題は金曜深夜にも起こった。24:15頃から26時頃。S氏が遅くなったとツイートしていたのでルータを見たらWAN端子インジケータが激しく点滅している。しかし私のところでは接続不能に陥るなどの実質的な被害はなかった。
土曜日はY氏が13:59に接続できないとツイートしていた。このときも私は問題なくアクセスできていた。問題が起こったらいちいち記録しておくつもり。何か原因のヒントがあるかも知れない。
昨日は犯人がいると書いたが今日T隊長と話をして私の推測を言ってみたら否定された。いや冷静に考えると隊長が言っていたことと私の推測は矛盾しないかも知れない。週が明けたらNTTに連絡してみよう。
そんなわけで上勝のネット環境に振り回されている私。LANや無線LANやセキュリティ技術について何冊か本を読んだことはあるが数年前のこと。そもそも本職ではないし最新情報をウォッチしているわけでもない。そんな私が考えないといけないのは田舎故。この状況をせめて私は面白がろう。
上勝町とおそらく勝浦町のネットは今週2つのパターンの問題で一部の人が接続ができなかった。週末から水曜にかけての問題は解決したが水曜夜に私は接続不能に陥った。この件について木曜朝にNTT西日本-四国(クオリア)に電話して状況を伝えた。
そうしたら金曜朝に連絡をくれた。クオリアは真面目に仕事をしてくれていると感謝したがそのとき伝えられた情報は今から思えば週末から水曜までに起こっていた問題についてだった。クオリア内部でも混乱している様子。でも同じネット接続の問題は金曜夜にも起こった。
多分18:42から始まり19:50頃に終わった。18:42に不通になったとき週末に何もできないと困ると思いクオリアに電話した。留守番電話だったが構わずメッセージを残した。そうしたら19時前に電話をもらった。意外にクオリアはしっかりとプロバイダとしての業務を遂行しようと努力している。
状況を伝え19:50頃に復活して地元のY氏とスカイプで情報交換をし来客があって飲み始めた21:40頃クオリアから報告の電話をもらった。そこで聞いた情報は少し意外だった。内容は書かない。ただし犯人がいる。私は業務妨害で法的措置を執ることまで考えている。
上勝町と勝浦町が利用しているNTT西日本-四国のプロバイダ事業「クオリア」は最悪である。前に「安かろう悪かろう」のサービスだと書いたが今回の対応も酷い。ある人はクレームを入れたが謝らないと怒っていた。サービス企業にあるまじき対応。これ以外にも私には怒りの原因がある。
週末来の不通事件の際に私が接続できているのは多分VoIPアダプタをルータとして使っていないからだと思う。ルータはバッファロー社製のものを使いVoIPアダプタはIP電話だけのためにルータの下流に置いている。問題はこの接続方法に関する情報提供のあり方だ。
VoIPアダプタをルータモードで使うと通信速度は3Mbps程度。ルータを使うと20Mbps以上。当然ルータを使いたいがこれに関する情報はない。私は移住前に勝浦町の人が書いていたWebを見つけて引っ越してから試行錯誤した。この接続は保証外だと説明を受けた人も町内にいる。
ところが今回の接続不能で情報交換をしているお向かいさんは私が独自にやっている接続方法を記したNTT西日本-四国発行の説明冊子を持っていた。ある人には公式に認めた冊子を配り別の人には保証外だと言う。対応がバラバラ。この対応の酷さはどうだろう。
今日の日記はネットブックからNTTドコモの通信回線経由でアップしている。上勝町のネット接続が一部で週末から不通だった件は夕方解決したらしい。お向かいさんが夕方知らせてくれた。昨夜VoIPアダプタのファームウェアをアップデートして接続不能になった人にはツイッターで連絡した。
ところが今日夕方まで何ともなかった我がオフィスのネット接続が18:50から不通になった。時間が特定できたのはツイッターのWebクライアント「HootSuite」のツイート表示が18:50で止まっていたから。夜になってルータの電源を入れ直したりPCを再起動したけど回復せず。
21時を回り週末からの通信障害に遭ってVoIPアダプタを交換してもらったと言うY氏に電話したら接続が非常に不安定だと言う。仕方ないのでネットブックからNTTドコモの通信回線で接続してツイッターで情報を集めると昨夜から通信不能になった人はアクセスできていると言う。
状況はまばら。今までも似た状況はあったがもう限界。通信障害が頻発すると私はこの町で住み続けられない。明日はクオリアに電話をしよう。損害賠償も通信回線料の日割り1日90円と少額だが請求しよう。これがいかに重大な問題か認識してもらうところから始める情けない状況なのだ。
日曜からインターネットに接続できないという人が上勝町内で何件が発生しているらしい。症状からすると勝浦町でも同様だろう。この両町がある勝浦郡はNTT西日本-四国という会社の地域情報センタという部門がプロバイダになっている。quolia.ne.jp(クオリア)のドメインである。
お向かいさんも接続できないと夕方やって来て言っていた。夜ツイッターでダメだと言っている人も。昨日ツイートしていた人は今日VoIPアダプタを交換したら直ったと。私はネット接続に市販のルーターを使っているがVoIPアダプタをルーターとして使っている人に症状が出ているようだ。
住宅の人はファームウェアのアップデートをしたら接続不能になったらしい。メールや町の広報誌で言われてアップデートしたことが仇になった可能性がある。それより皆が怒っているのがNTTクオリアの対応の悪さだ。全然緊迫感がないらしい。私も前に電話したことがあるから分かる。
私も妻も仕事でネットを使う。30分不通で大問題だし3時間不通になったらプロバイダを変える。でも上勝はNTTクオリア以外選択肢がない。3日も不通なんて現代日本であり得ない事態なのに。NTTクオリアには強烈なクレームが必要だ。ネットが3日も不通で原因不明なんてあまりに酷い。
土曜は上勝の夏祭りだったが体調が良くないので家にいた。日曜夕方になって棚田にかかしを立てに行った。1週間前に草刈りをした場所に米作りメンバーたちと作ったリアルなかかし。もう少し奥に行くと幼稚園児と小学生が作ったかかしが並んでいる。どれもリアル。
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© 2010 Takashi INAGAKI