<Diary Index Page> 2023年3月
月末なので銀行巡り。まず三軒屋のリカオーで日本酒一升瓶2本を買って三菱UFJ銀行で記帳。コーヒー豆を買うためだけに徳島に行くのは面倒なのでまだあるのだがイオンモールまで回って400gを購入。どら焼きほかお菓子を買って義母に届けてから徳島銀行と阿波銀行で記帳して帰宅した。
そのまま月末の請求書を作ったり4月に納入する源泉徴収票を書いたり。さて今日はいつも消防などで一緒に飲んでいるY田君の誕生日らしく数日前からK井氏から飲み会のお誘いがあった。28歳だが45歳という設定らしい。19時頃から始めるそうだが皆が遅れて参加すると言う。
結局ビール5本を持って19時前にK井氏宅へ。Y田君へのサプライズだと19時時点で集合した4人が部屋で隠れることになった。私は洗面所。妻は手前の部屋。Y木嬢がベランダ。N野君がテーブルの下。最初はN野君が電話を受けて机の下から登場。家主K井氏も隠れ場所を知らず驚いている様子。
次に私が出て妻も出てY木嬢はY田君に探してもらった。その後初めての新潟出身Y本君や若者男女4人を含め最後は13人だったか。ケーキも食べてビールは2.7L飲んだ。Y田君がプレゼントされた軽トラのリモコンカーを皆で操縦して盛り上がり。片付けをして私は24時半に帰宅。
隣室である自宅と往復した午後に表で子どもたちに呼び止められた。先月サッカーをやった子が2人。さらに2人。自転車のサドルを上げたいから手伝って欲しいと言う。西宮からの移住者N田氏の次男君が六角レンチを取りに行ったが場所が分からないと言っている。事務所に戻って私が持ち出した。
N田氏の長男君は4月から中1。次男君が次が小4。A嬢の息子とN氏の息子の4人だった。名前はまだ覚えていない。サドルは無事上げて仮締め。そのまま走り始めたから呼び止めて本締めして解散。甥っ子と違い私に丁寧に敬語を使う小学生に新鮮な感覚があった。仲良くなると話をするのも楽しい。
さて午後は「はなおか」から間取り案が届いた。私が送っておいた案を変えているが玄関周りはよくできている。土間収納の形が変だから直そうとしたが屋根と2Fの関係から設計された形だと気づいて止めた。本当によく考えられている。窓の形や位置も徳島設計工房より考え方が真っ当に感じる。
ただし私の仕事部屋の形も変わったから机などの配置を改めて試行錯誤した。うまくすればプリンタも収まるかも知れない。問題は敷地における配置と屋根の傾斜など。西も北も川だから寄せたくないので3Dマイホームデザイナーで作り直した上で右に5度回転させてみたり上げたり下げたり。
メインで使っているプリンタで印刷すると一部が滲むと妻が言う。顔ヨガのインストラクターに合格した人に発行する認定証の名前のところ。これは困った。マニュアルを見ながら目詰まりチェックだとか内部ローラークリーニングだとか設定項目を全て試したが改善されない。
このプリンタは2014年4月に買ったエプソンPX-M5041F。当時出たばかりの新製品でヨドバシで6.3万円。トレイが2つあり最大A3まで印刷できる。スキャンもFAXも付いたカラー複合機。ちょうどイエローのインクが切れたから高いインク代を払うぐらいならいっそ本体を買い換えてしまおうか。
それで調べると後継機と思われるPX-M6011Fが4.2万円。でもFAXはもう要らない。FAX抜きだと家庭用になってカラー印刷品質を謳うから逆に値段が高くなる。A3を諦めるとEW-M530Fは1.7万円だが。妻はA3はもういらないと言うが私は仕事で本の原稿チェックで使う場合がある。A3は欲しい。
その代わり印刷品質は求めない。一方でDVDラベル印刷用に2015年11月に買ったEP-707Aがある。2年ぐらい使っていなかったがテスト印刷するときれいだ。Wi-Fi接続だが妻のPCからも使えるように設定。メインのM5401F用のインクは3色をヨドバシで注文した。まだ頑張ってもらおう。
まだ間取り案と格闘している。まずトイレや洗面所は一般的なものを付ければいいと放置していたがふと義母が車椅子を使うようになる可能性を考えた。自分たちだって20年後は車椅子かもしれない。そこでネットで調べて1Fのトイレは思い切って2畳分を確保。入りやすいようにドアは引き戸だ。
洗面所は当初3畳もあって脱衣所と分離していたが2畳に減ったため洗面台と洗濯機の置き場所を試行錯誤。間をカーテンで仕切れば脱衣所が作れると思い付く。ここも車椅子で入れるよう引き戸にした。次にリビングダイニンングが12.4畳で今の住宅より実質的に狭くなる。どうにかできないか。
それで玄関を少し出すことでLDを広くした。私の部屋が狭くなったが仕方ない。ところが東に出た玄関ポーチに階段を付ける可能性に気がついた。階段があると車が通れない。仕方がなく元に戻す一方で妻と相談して彼女の部屋を縮小してリビングと一体化できるような形に。これでLDは広がった。
窓も考え直した。仕事部屋の南は腰窓に変えすべり窓では虫が入るだろうと全て小さな腰窓に。トイレと洗面所に窓は付けたが高い位置にした。外から見たときの配置などにも気をかけ風通しも考慮して。徳島設計工房の案で採用したのは一部だけ。プロが考え抜いてくれるわけではないと知る。
昨日は屋根の傾斜について調べたのだが次に検討すべきは形状だ。1Fは太陽光パネルを載せることを前提に南に下がった片流れ屋根だが問題は2F。徳島設計工房の案は北に下がった片流れ。1Fと2Fのバランスを取ったつもりかも知れないが2F南側の軒は上に向くから夏も日差しが入りそう。
マイホームデザイナーでシミュレーションしてみると4辺に傾斜が付いた寄棟が一番しっくりくる。ただ寄棟は風には強いが屋根の尾根が5本になって雨漏りのリスクは一番高いとか。しかも樋が4本。コストも高くなる。それは避けたい。そこで2方向にだけ屋根が下がる切妻にしようと思う。
切妻なら尾根は1本で樋は2本。屋根の傾斜は1Fを2寸にすると2Fも2寸がいいのかと思ったがさんざん試して3.5寸が一番しっくり来た。と言っても画面上の素人用ソフトでの見た目に過ぎないが。さらに今日は軒の深さもマイホームデザイナーの機能を使ってシミュレーションしてみた。
1Fの掃き出し窓から夏至に光が入らないようにするには軒は910mm必要。春秋は12時で半分ぐらいの高さに日が入るが許容できる。一方2Fは掃き出し窓がないから455mmでもいいが680mmあたりが適当か。夏に太陽光パネルが影になるのも30分しか違わない。これもプロはどう言ってくるか。
3Dマイホームデザイナーで知ったのだが家の屋根の勾配は3寸などと表示される。これは水平10寸に対して縦が3寸の意味らしい。現在の間取り案では2Fを北に寄せたから1Fの屋根は広くなった。でも勾配を付けすぎると2Fの窓が屋根に隠れてしまう。徳島設計工房の設計図で屋根の勾配は1寸だ。
でも太陽光パネルは太陽に向けたいから傾斜があった方がいいはずだ。どの程度の角度が適切なのか調べたところ南向き仰角30度が最も効率がいいらしい。より詳しいデータもあった。ただし南向きなら仰角10度でも発電量は仰角30度に比べて94.9%。南から15度ずれても仰角10度で94.1%ある。
驚いたのは東に向けても仰角10度で88.5%も発電量を確保できること。向きや仰角による差は小さいと知った。私の間取り案では2Fが北にあることで1F屋根の傾斜を緩くせざるを得ないのだから2Fを中央に寄せて1F屋根の仰角を付けてみた。でも設置できるパネル枚数は当然半減。発電量は半減だ。
それなら傾斜が浅くても広い屋根の方が発電量は多いと分かった。だとしても1寸はどうだろう。マイホームデザイナーで確認すると2寸でも窓は隠れない。2.5寸でも窓の位置を上げれば可能だ。自分で調べて納得する面白さ。ただ2寸にしたいと要望したらプロである彼らは何と答えるのだろう。
昨夜は1時間半で目が覚めて徳島設計工房に軒の深さなどについてどう返信し説明しようかと考えていたら眠れなくなった。寝不足のまま起き出して間取りについて改めてシミュレーション。さて先日直ったはずの義母の部屋のエアコンは結局室外機が壊れていたらしく今朝取り換え工事があった。
そのため妻は昨夜から義母の部屋に泊まり今日は2人で上勝に来た。12時過ぎに着いて3人で焼きそばを食べて購入検討中の家まで歩いて行って次は車に乗り町内の桜見物。まずは診療所付近の桜が見事なので車を駐めて歩いて見物。さらに2年前には鳴門の母と行った山河の里へ。
義母はすっかり脚が弱くなり杖を突きながら妻に支えられながらゆっくり歩く。3年前にも言っていたが義母が上勝は桜はもちろん花がきれいだと繰り返す。私は寝不足もあり疲れて15時過ぎに離脱。妻は義母を送って徳島へ。そう言えば昨日直した前歯が厚くなりマウスピースが嵌まらなくなった。
昨夜は着けなかったから寝られなかったのかも知れない。それで爪用のヤスリで削ってみた。安定度は落ちたがうまく嵌まった。これで今日は寝られるだろう。夕方には実家の菩提寺の住職にして「響」の仲間S部氏に電話して仏壇の向きについて訊いてみた。北向き以外こだわらなくて良いとのこと。
不動産屋T石と司法書士さんに昨日メールで質問していた返信が今日届いた。農地の転用申請をして許可が下りるまでの間に解体や整地ができないかという内容。それができれば時間が節約できる。ところが現状を変えることは止めるべきと。許可が下りなければ元も子もないので諦める。
さて1月から通った歯医者は今日が最終。日曜のとくしまマラソンを走ったU宮氏に脚の具合を訊くと痛かったのは翌日までだったとか。ただしタイムは落ちて3時間40分台だったらしい。十分立派だが。治療は上の前歯4本の表に貼り付けていたものが剥がれたりしていたので新たに付けてくれた。
夕方には月曜と火曜に送っていた工務店からそれぞれ返信が届いた。私はリビングの仏壇を西向きにしていたら徳島設計工房から南向きに修正された。でも拝むには変な位置。質問したら南向きまたは東向きが一般的だという回答。そうだったのか。それで東向きになるよう間取りを作り直した。
さんざんいじって0.6坪増えただけで案を作成したがネットで検索すると宗派によって異なるとか。真言宗は本山に向かって拝むようにすると書いてある。つまり東の高野山に向かって拝むのだから仏壇は西向きだ。元の案でいいではないか。実家菩提寺の住職に訊いてみるが。諸々ややこしい。
土地の売買について自分で進めるのが面倒になってきた。用意する書類は山のようにあるし私には不動産売買のノウハウは何もない。それで中学の同級生で不動産屋のT石に一昨日相談。彼が契約書を作ってくれることになった。それに関連して役場の担当や司法書士さんに諸々確認してくれている。
農地は4月から農業者でない私も購入できるようになったが宅地と隣接した農地は町の農業委員会と徳島県に転用申請が必要だ。その申請書には家の設計図を添付する必要がある。それがまだ出来上がらない。でも農地として購入して後から転用すればいいのではないのだろうか。
T石が司法書士さんに確認してくれたところ実質的に農地として使用していないから転用申請してからでないと法務局は所有権移転を認めないだろうとのこと。ただし20年以上農地として使用していなかったことが証明できればすぐ所有権移転ができるとか。日付の入った写真がいる。
持ち主さんにダメ元で訊いてみたところ20年前は母上が畑として使っていたかも知れないとか。もちろん写真はない。一方で解体業者を紹介するよとY田さんが妻に連絡してくれたらしい。夕方T石から契約書案が送られてきて質問をいくつか。周りの人たちに支えられていることを実感している。
WBC優勝と城東高校の甲子園と徳島の菓子 (3月22日・水)
野球のWBC。昨日の準決勝メキシコ戦は9回裏に大谷翔平の2塁打からこの日3三振だった村上宗隆の安打で逆転サヨナラ勝ち。でもうっかりテレビを点けたら終わったところ。テレビは岸田総理がウクライナを訪問したニュースそっちのけで報じていたから日中から夜までスポーツ番組を梯子して観た。
今日の決勝は米国戦。妻がオンライン講座だから音を出さないよう3対1の途中からテレビを点けたがハラハラして正視できず。8回を投げたダルビッシュが本塁打を打たれてからは観られなくなった。大谷翔平が投げた9回2死になってようやく視聴。優勝した瞬間は観て夜はスポーツ番組三昧だった。
一方14時からは21世紀枠で出場の城東高校の甲子園1回戦。コーヒー豆を買いに行った車内のテレビで音声を聞いていたが徳島市内の車は少なかったように思う。選手12人で女子マネージャがノッカーを務めたと話題になったが結果は2対5。もっと大負けすると思っていたから意外に善戦したと思う。
コーヒー豆はイオンモールのカルディで買い隣の店舗で菓子を物色。先日はフジグランでぶどう饅頭と金長饅頭などを買ったが今日はういろうを中心に。義母のためにタンパク質量の多いものという基準で自分の分も含めて2,318円分買った。帰りに義母の部屋に寄って渡して15分ほど雑談。
人形作家の辻村ジュサブローが昨年亡くなったらしい。それでNHKで今日早朝に「新八犬伝」の一部が放送されると知り録画して観た。当時の番組は1973年4月から2年間毎週月~金の18時半に放送されていたらしい。今回の放送では第1回と20回と最終回があった。
「仁義礼智忠信孝悌」のうち一文字が書かれた玉を持った若者8人を捜し歩くという内容だったと思う。私は小学4年から5年生。ときどき「我こそは玉梓が怨霊」と言いながらドロドロと出てくる亡霊が怖かったのか面白かったのか。この台詞はよく覚えている。
おそらく何回目からか毎回観ていたのだろう。今回のアーカイブ放送ではなかったが「仁義礼智忠信孝悌いざとなったら玉を出せ」という歌は挿入歌だったようだ。今でも節を付けて歌える。「いざとなったら玉を出せ」は小学生男子には受けていた。「我こそは玉梓が怨霊」も皆が真似ていた。
語りは坂本九だったと今回の放送で知った。当時も認識はあったのだろうが全く覚えていなかった。あの番組で阿波ではなく安房の国があり「南総里見八犬伝」という昔の物語があったことを知った。歌や台詞を未だに覚えているのだから当時は面白いと観ていたのだろう。懐かしい思いをした。
アマチュア無線熱は下がったのだがもし再開するなら馴染みのある50MHz帯から始めたい。ただしアンテナをどうするか。6エレ八木だと3m×6mとなり倒れないようマストにも気を遣う。高さも求めるとタワーに行き着くが高額な出費はしたくない。そう考えていて3エレ八木に行き着いた。
中学のとき初めて買ったのも3エレだった。その前にスクエアローとかヘンテナとかを自作したり先輩から借りたりした記憶はある。でも屋根に上げたのはCQ誌の広告を見て東亜工業という会社から通販で買った3エレ。3,500円程度だったと思う。アルミパイプ5本の組み合わせだから安いものだ。
今でも売っているのだろうかと調べると東亜工業はなかったが3エレ八木は販売されている。例えばスペイン製のものが3.3万円。あるいは2.2万円のものや2.4万円のものが見つかった。重さは日本の製品は2kg前後。これなら高さ3mぐらいのマストに4方向にステーを張って建てられそう。
既設のフェンスにマストをくくり付けるぐらいでいいかも知れないし作業は一人でできそうだ。中学のときも木製の屋根馬を買ってきて3エレは一人で上げたような気がする。まずは自分でできる範囲から始めて試行錯誤する。それがアマチュアの良さであり楽しさでもあると原点回帰して。
買おうとしている土地は家がある敷地とは別に道を挟んだ東側に畑がある。奥に誰のものか分からない小さな墓石があり先日は枇杷と柿と樒(しきび)の木があると教えられた。今年4月からの制度改正で農業者でない私も買えることになったが地目を畑から変更することは難しいと言われている。
今は見るからに耕作放棄地だが草を刈って耕せば畑にはなると思う。妻が義母と野菜を作りたいと言っていたが本当にやるのかどうか。私には野菜作りは無理だと諦めて興味がなかった。年に何度か草刈りだけはするつもりだった。と先月末に郵便配達で来たY田氏と立ち話していたら。
家の前のスペースにはキャンプ用の焚き火台を出してバーベキューをしたいと話をした。いずれ車の動線がはっきりすればレンガを組んだ常設のバーベキューコンロを作りたい。そんな話をしていたらバーベキューにはピーマンにたまねぎとニンニクが欲しいという話になった。
それを畑で作ればいいわけか。バーベキューをやる日は畑から野菜を採ってくるところから始まる。足りなくなったら畑から調達する。焼き始めると道路を通る人が立ち寄って話をしながらビールを飲む。そのうち人が増えると食材が足りなくなるが野菜は畑から採ってくる。それは面白い。
そもそも先日の旅行でしまなみ海道を走ろうと思ったのは以前通ったときに夜で景色が何も見えなかったからだ。1999年。当時は福岡に住んでいて徳島に帰省しての帰り道。夕方頃に実家で母が「今治から尾道まで繋がったんじょ」と奨めてきた。テレビのある4畳半で話した記憶がある。
それでどんなものかと走ってみたのだった。1999年8月17日だ。でも徳島道でさえ調べてみたら当時は池田から川之江東までも未開通で一般道を走った。今治より先も橋を渡ったと思ったら一般道に下りた。海沿いの道。その時点の薄明をまだ覚えている。次にまた橋を渡ったが結局一般道に下りる。
繋がったと言ったって橋が通っただけかとイライラした。山陽道に入ったときはすっかり夜。しかも雨が降り出した。夜の暗い雨の高速道路。しかも広島は東西に長くてその時点でヘトヘト。途中で結婚前だった今の妻が携帯に電話をしてきて出た。今広島の高速を走っていると答えた記憶がある。
後から地図を見るとしまなみ海道は今治から尾道に掛けて北東に向かっている。つまり大回りしたことになる。早く帰りたかったのに母の言葉に乗った私が悪かった。素直に瀬戸大橋にすれば良かった。今回はあのときイライラしたしまなみ海道をリセットするための旅行という意味もあった。
A社のボスK氏がこの映画を枕にしてコラムを書きたいと言うので「Winny」を観てきた。フジグラン北島の中にあるシネマサンシャイン。フジグラン北島に行くのが2016年以来のはずで13時半過ぎに家を出て共栄橋経由。まずは1Fで徳島土産の饅頭などを購入。帰りに義母の部屋に寄って渡してきた。
さてWinnyは東大の助手だった金子勇氏が2003年に公開したファイル共有ソフトだ。2ちゃんねるのハンドル名から金子氏は当初47氏と呼ばれていた。P2P技術を具現化したソフトであって先進的ではあったが結果として著作権侵害を蔓延させることになる。当時私はA社でこの問題を間近で見ていた。
Winny問題の経緯はInternet Watchのまとめに詳しい。金子氏は著作権侵害を幇助したとしてほどなく京都府警に逮捕される。映画はWinny公開から始まり弁護士とともに戦う裁判の物語として進む。冒頭の新聞記事にA社の名前があったように思うし「ネットランナー」誌の表紙があったり。
当時Winnyは著作権侵害に加え暴露ウィルスによる情報漏洩が大きな社会問題になったがツイッターで検索すると今や冷ややかに見られているように思う。映画館には客が私を含めて5人だけ。でも映画としては面白かったしテーマも社会性があるしもう少し話題になってもいいだろうにと思った。
昨日13時過ぎに鳴門の従兄弟が昨年6月に買ったダイハツ・ロッキーを運転してやってきた。高松の病院などに私が送迎していた従兄弟だが上勝が初の遠出なのだとか。少し運転させてもらった。アクセルオフで強力なエンジンブレーキが掛かる。佐那河内のももいちごをもらった。高いやつだ。
昨夜は消防点検。10人いて2人が帰り詰め所に残ったのが8人。私は点検ではなくK井氏とともに買い出しへ。鶴居商店には高齢のご夫婦が何やら大量に買われているし外国人2人組も待っていて時間が掛かった。どれだけ買えばいいか分からず餃子3袋と豆腐2丁と焼きそばの材料を3,000円ちょっと。
T口副団長が加わり9人。27歳Y田君と24歳N野君の若者とばかり話をした。N野君にバイクレースの話をしたりY田君からはルーターやLANケーブルの劣化原因について教えてもらったり。ゆずとスダチを使った新作のどぶろくをY田君が持ち込んでいてついグビグビ。さらにビール2.85L。23時半解散。
さて太陽光パネルを1F屋根に置くと2Fは北に寄る。北隣の日照が気になってマイホームデザイナーでチェックすると春~秋は問題ないが冬は午後から影になる。2Fを南に寄せても同じ。そこで土地の持ち主H木氏夫妻を午後に妻と訪ねて状況を説明したら「ほら構わんよ」と。ありがとうございます。
今治の港の前にあった旅館カドヤで泊まったのが1972年10月21日。その翌日に港から船に乗って生口島に行った。父母は「いこうじま」と読んでいたが正しくは「いくちじま」だ。そこに西日光を呼ばれた耕三寺という寺がある。なぜ行ったのか今となっては全く不明。でも面白かった。
実家の私が使っていた部屋の押し入れの壁に「大人になったら両親を耕三寺に連れて行く」という私が書いた「約束」と題された紙が貼られている。その約束は押し入れを開けるたびに目にしてきたからよく覚えている。母が最近見つけて嫌みを言いつつ紙を剥がして押し入れの床に置いていた。
なぜ両親を連れて行くとまで思ったかというと境内にある洞窟のようなところに仏教の地獄絵が何枚もあって怖かったのだ。小学3年生はその怖さが面白かったのだ。その記憶があって1990年代半ばに当時のカノジョと行ってみた。約25年ぶりだったが大人になった私には面白くなくなっていた。
そのとき耕三寺は実業家が母上のために建てたと知った。そういう意味で母を連れて行く意味はあるのかも知れないが。今になって調べたら創建した実業家は耕三寺耕三という人らしい。歴史は浅いし仏教美術にも興味はないし。やっぱり50年前の楽しかった記憶に留めておくのが正しいように思う。
東京海上ミレア少額短期保険という会社からハガキが来ていた。満期のお知らせというが思い当たるものがない。内容を見ると東京オフィスの総合保険だった。しまった。こんな保険があることをすっかり忘れていた。記されていた情報を元にログインして今日付で解約。1,880円が返金される。
さて徳島に引っ越してきた義母が風邪を引いて具合が悪いらしい。一度リセットしたエアコンの調子も悪く使えずオイルヒーターもあるがすぐに暖かくならないから朝は寒いはず。そこで私の寝室のファンヒーターを持ち込もうと思ったら妻の部屋のものは既に使っていない様子。
それに給油した上で午後に持ち込んだ。ここから歯医者。右奥歯に新しい被せ物が付いた。ゆめタウンで見た限り脱マスクは2%ほど。終えて17時が近づき渋滞を避けるため西新浜マルナカまで帰ってボタン電池を購入。先日使えなかったカメラのリモコンに入れたら復活。原因はやはり電池だった。
西新浜からいつものかつや沖浜店で早い夕食を食べながらツイッターを見ていたらFBメッセンジャーに近所のS田氏から「こんにちはトイメン」。どういう意味かと顔を上げたら右斜め前で彼が食べていてびっくり。メッセンジャーでやり取りしつつ笑いを噛み殺して食事を終えた。夜は少し重い話。
今はしまなみ海道が通る生口島に耕三寺という寺がある。昔の写真を見ると昭和47年10月22日に行っている。1972年だから私は小学3年生。前夜は今治で泊まって船に乗って行った。その今治の宿はカドヤと言った。道路の角にあったからカドヤだろうと当時話した記憶があって今も覚えている。
港の目の前にあり大きくはない旅客船が着いては出て行く。私が泊まったのは新館で港に向かって左に古い木造の本館があった。あっちでなくてよかったと思った。2Fか3F。低い窓から少し出た手すりがあった。船から下りてくる人や乗り込む人を見ていた記憶がある。古い本館の窓にも人がいた。
あの旅館に泊まりたいと思ったが検索しても出てこない。でも鈍川温泉にカドヤ別荘という旅館がある。系列かも知れないと今回鈍川温泉も見に行った。一方で港前の本館も新館ももうないだろうがどこにあったか探してみた。海沿いの港あたりの道路を走ってみたらあっさり見つかった。
港のビルは近代化され大きくなっていた。でも前の道路の感じから分かった。道路角には3F建の「カド ビル」の文字。写真を見直すと「ヤ」の跡が見える。カドヤビルだ。本館があった場所は海舟亭という旅館らしい。どちらも営業はしていない様子。何せ50年。でも記憶が辿れて喜んでいる。
今回の旅行は全国旅行支援を利用した。現在の内容は宿泊代金が最大3,000円ながら2割引になり2,000円分のクーポンが付く。ワクチン3回接種済みか陰性証明が必要。尾道ふれあいの里は宿泊費が8,400円。予約サイトじゃらんのポイントを引いて5,920円だった。夕食代を含め支払ったのは9,220円。
9日のスーパーホテル今治は6,160円。どちらも朝食付。当初は尾道で2泊しようと思っていたが本州は値段が高かった。それで9日は19時チェックイン予定にしてしまなみ海道で夕日が観れるかと今治泊にした。野呂山のワインディングで集中力が切れたのと曇りだったから夕日は諦め早く入ったが。
昨年6月の大洲市のように地域クーポンで逆に2,500円も儲かってしまうような無茶な制度はもうないようだ。高速代は3日間の合計16,160円。ガソリン代は10日の今治で8,173円分給油したが前後を燃費から計算すると計約11,500円使った。その他ビールや酒や2日目の夕食代などに9,808円。
クーポン計4,000円分を引いて5,808円。今回の旅行では諸々含めて約4.9万円を使ったことになる。疲れはした。でも出不精になってはいけない。集中した運転を継続していないと老化が早まりそう。そういうわけで楽しみとともに身体と神経を刺激するためにもドライブ旅行は定期的に続けたい。
今回の旅行のドラレコ映像は宿泊先でmicroSDカードから先般買ったポータブルHDDにコピーしておいた。今日はこれの一部をメインPCにコピー。全部コピーすると容量が膨大なので立ち寄り先に入ったところなどを中心に。59ファイル。59分の動画を残した。見直すことはないように思いつつ。
一方で持って行ったソニーZV-1はシューティンググリップのリモコンが使えなかった。バッグに入れたまま1枚しか撮らず。同じボタン電池があったから替えてみたが同じ。説明書を見て改めてペアリングを試みたがダメ。電池を新しく買い直して試してみるつもり。それで直ればいいのだが。
旅行中は暑かった。予報で知って春用のジャケットを持って行って正解。長袖シャツ1枚でも十分だった。念のため冬用ジャケットも持って行ったが9日の野呂山展望台で着ただけだった。昨日上勝に戻ると涼しくて驚いたほど。ただし花粉も多くて人がいない屋外でもほとんどマスクを着けていた。
さて8日に泊まった尾道ふれあいの里の周辺は専用球場があるほどソフトボールに力を入れていた。それらの名称や館内レストランが「みつぎ」。亡父の名が貢と書いて「みつぎ」だから由来が気になっていた。今日調べたら御調という地名からだ。これで「みつぎ」と読むらしい。これはびっくり。
昨夜は風呂2回。ビールの後はSAで買った焼きアナゴを竹原の酒で。23時半から7時半まで6時間強寝た。8時過ぎから朝食バイキング。9時頃にスーパーホテル今治を出てまずは近くにある今治城。結構大きい。城内にある吹揚神社を参拝して有料の天守閣は諦めて裏の堀など城内を歩き回った。
次に地図を見て気づいた来島海峡を望む糸山展望台へ。8日のSAとは橋を逆の西から見る。上の駐車場にも行って階段も上って橋を見下ろす展望台まで。次に何かの地図で見た来島城を探したが見つからず代わりに何十人もいる大角海浜公園に出た。名所らしい。展望台まで階段を上がって汗が出る。
今治の西を南下していると西に突き出た半島に道があるから行ってみた。最後の2kmは対向できない細いワインディング。梶取鼻というらしい。弘法大師石像前に駐車して先端に行くと灯台があった。車に戻って弘法大師さまにお礼を言って水をコップに注ぎ帰った。1台もすれ違わず良かった。
気になっていた鈍川温泉にも行った。山の中の古い温泉街。玉川ダムにも寄って道の駅今治湯ノ浦温泉でクーポンを使って酒と飴を購入。14時過ぎに高速に乗り吉野川SAでソフトクリームを食べてかつや沖浜店で昼夕兼用。18時前に帰宅。277.2km。14.6km/L。3日計879.1km。平均14.9km/L。
昨夜は23時半に寝て7時半まで意外に眠れた。風呂に行って朝食。男性1人客も何人か。館内は土足禁止で靴下で歩いていたがフロントにスリッパがあるのはチェックアウト後に知った。尾道ふれあいの里。9時過ぎから車で準備。まずは昨日のドラレコデータをPCにコピー。今日の行き先をナビに登録。
今回の旅行はSUBARUのアプリSUBAROADで紹介されていた道を走るのが目的と言えば目的でスタートは道の駅みはら神明の里。竜王みはらしラインへ上がると後から来た広島弁の人が地元でも知らんと言っていた。遊歩道は工事中で下山。エデンの海に寄って道の駅たけはらの駐車場に駐めた。
古い町並み保存地区を歩いてみた。NHKドラマ「マッサン」の竹鶴酒造もあった。大通りで道に迷ったがクーポンを使い日本酒ミニボトル3本セットを購入。細い橋を渡って大芝島の桟橋を回ってから最後の難関の野呂山へ。凄いワインディング。位置関係とどこにいっていいか分からず車でウロウロ。
かぶと岩展望台から瀬戸内の島々を見下ろす。ただし松山や佐多岬は見えなかった。野呂山で疲れて呉から高速に乗って以降30分毎に休憩。昼食は抜いて小谷SAでソフトクリーム。17:45に宿に着いた。281.5km。14.9km/L。夕食は近所で焼き鳥とビール2杯。WBCを見ながら部屋でもビール。
全国旅行支援が継続中と気づき旅行に出た。尾道にいる。昨夜は遠足前夜状態で寝付けなかったが何とか睡眠6時間。妻がオンライン講座を始めた10時に出てローソンでカフェラテを買って徳島道。運転用メガネをバッグに入れたままPC用メガネで運転していたのに気づいたのは上板を越えたあたり。
吉野川SAでメガネを替え石鎚山SAで鯛味噌ラーメン。来島海峡SAで塩レモンソフトクリームを食べて海峡を越えて亀老山展望公園。駐車場が一杯で奥の大型車用に行ったがこちらで十分。コンクリートの大きな展望台だ。卒業旅行か若い男女グループが多い。しまなみ海道であって自転車も多い。
続いて予定はしていなかったが村上海賊ミュージアム。展示品は多くて詳しいが今ひとつ。さらに橋を渡って大山祇神社。おおやまずみと読む。読みが分からずナビでは場所から指定した。なかなか荘厳で立派な神社だった。ICまでの戻り途中で道の駅多々羅しまなみ公園に車を駐めて休憩。
本州に入りローソンでビール2本を水を買って17時半頃に宿に着いた。320.4km。15.3km/L。まずは大浴場。夕食は付いていないプランだが館内のレストランで生ビールと枝豆。刺身定食を食べてビールもお代わりしたら2日禁酒していたからか酔っぱらった。夜また風呂。そして結局ビール。
3月13日からマスク着用は個人の判断になるらしい。今までも強制ではなかったと思うが改めて政府がアナウンスしている。5月に広島で開かれるG7サミットで首脳たちがマスクをしていないことを批判されるのを避けるために岸田首相が主導したという説があって私もそうだと疑っている。
今も反マスクを主張する人もいるし外したいと思っている人もいる。感染していてもマスクをせずしゃべる人も増えるだろう。そんなわけで自衛のためN95マスクを買った。今まで地元ではほとんど着けなかったし徳島市でも形式だけで真面目に着用しなかったが今後は逆に防御を意識したい。
さて今日も藍住ゆめタウンのコスモスデンタルクリニック。いつも通る吉野川北岸堤防で朝8:50に事故があったらしく念のために早く出たら今日も65分で到着。今日は仮歯を外し型を取った。今は臨時の被せ物だけだから右奥では噛まないようにと。16時に終わり仲之町でフォレスターに給油。
今日は2月の電気代明細も届いた。対策を行ったせいか暖かくなったせいか1月より安く事務所と自宅は1.7万円と1万円。でも電力量は昨年2月よりは減ったが2020年と2021年より少し増えた。対策の効果はよく分からない。電気代は1月比で計1.3万円安くなったが前3年間平均よりまだ7,000円も高い。
太陽光発電の年間発電量を決める要素を調べていたら計算式と参考数値があった。徳島市は1kWあたりの年間発電量が1,285kWhという。月に1,027kWhから1,260kWhを賄うなら10kWから12kWの発電システムがいるということか。なお徳島県は全国の中でも年間日照時間がトップ4だとか。
上勝は徳島市より日照時間が短いから全電力を賄うには12kW以上が必要かも知れない。必要な機器は主にソーラーパネルと直流電流を交流に変換するパワーコンディショナーと蓄電池。パナソニックのページに商品の値段もあって参考になるがシステム投資はいくらまで許容できるかを考えた。
蓄電池もへたるだろうから10年で元が取れるかどうか。今までの電気代は平均年26.5万円。義母が来て2割増しで31.8万円。10年で320万円。現在の電気代は1年前より55%高いから5割増しで480万円。今の電気代が続くなら480万円かけても10年で元が取れる。500万円まで許容できそうだ。
と思ったのだが12kWの発電システムを屋根に載せられるのかどうか。つまり年間電力消費量を全て太陽光発電で賄えるのかどうか。その問題の方が大きいように思う。間取りが決まり屋根の大きさが分かれば太陽光パネルの枚数と発電量と価格も分かる。結局のところ考えるのはそれからだ。
地元の八幡神社の祈年祭で太鼓を叩くため10時。今日は7人だけで私は大鼓をN野氏と。息子のN野君が小鼓から途中大太鼓に代わったり。10:21に叩き始め30分ぐらいやっていたと思う。神事では祈年祭なのに宮司が新嘗祭と2度も言った。昨年の新嘗祭でも間違っていたが祝詞でも新嘗祭と言った。
昨秋の本当の新嘗祭では神社総代へのお祓いをすっ飛ばした宮司だが今回は正しく行われて後から総代N岡氏と大笑い。終えて御神酒をいただいてから手持ちしたビール500mLと後は燗酒。2合ぐらい飲んだだろうか。H木氏やS蒲氏が帰り最後は長老M本氏とN野父子に神社総代3人も合流
総代のN峯氏が賽銭箱を開けたところを見たが千円札が4枚か5枚。新嘗祭以降で1万円ほどありそうだとか。以前賽銭泥棒がいると聞いていてどうやって盗んでいたのか不思議だったが訊けば箱の中のものではなく石段などに置かれたものだったらしい。それでも賽銭は年間数万円になるとか。
これほど賽銭が集まるのならおみくじでもやって稼げばどうだという意見も。14:40解散。洗い物をして帰宅して15時。水ばかり飲んで次に17時に名副総代T口氏から呼び出されて初めて別宅に伺った。奥様は知っていたが話したのは初めてだと思う。セーブしつつも結局23時まで飲み続けた。
地元の懇親会が16時からあると妻がメモに書いていたが私は14時半頃に出て川内まで洗車に行った。3台分空いていて一番手前に駐め洗車して待避させたところに白いアウディA4が入ってきた。私の足台をまだ置いたまま。アウディを止めようとしたが足台に当たってしまった。見えなかったのか。
運転していた40歳ぐらいの男性と一緒に見たが特に傷はなく。足台は壊れませんでしたかと彼。いい人だった。一旦実家に寄って何となく小鳴門橋を渡って鳴門スカイラインへ。四方展望台で車を駐めたがこんなに景色が良かったのか。私の実家のあたりまで見えた。国道に出てからさらに西へ。
引田には元同僚M谷嬢の実家の酒屋があるので探したが分からなかった。M谷嬢は母上と同居のため実家にいると聞いていたのだが。看板も外していたのだろう。そこから何となく318号線に入りI瀬君がMR-2で事故を起こした鵜野田尾峠へ。あのときUターンして駆け込んだ派出所も探した。
確か道路の西側の角にあったはずだが東側に移転していた。建物も新しかった。事故を起こした現場もこの直線だろうと現認した。今日は道の駅どなりに18時ちょうど。藍住からいつもの吉野川北岸堤防に乗り夕食は結局かつや沖浜店。20時頃に帰宅。165.2kmドライブ。15.3km/L。
はなおかと何度目かのZoom打ち合わせ。前回は吹き抜け案を出してきて薪ストーブの話に進展したが妻が昨夜やって来て断念したいと言う。義母が薪ストーブでやけどする夢を見たのだとか。年老いていく私たちが道楽として続けられるかどうかは分からず大きなオブジェになりそうな気はする。
はなおかの今回の案は薪ストーブと小さな吹き抜けがあったが上の話をして削除。一方で昨日サカイの大将が太陽光パネルは掃除しないと性能が落ちると言っていて2Fの屋根ではメンテナンスが難しく1Fに載せられないかと思っていたことを話した。2Fの屋根上では耐震性も気になる。
画面の向こうの設計士が図面を作り直していく。妻とは仏壇の場所を巡って対立。妻は義母が亡くなったら部屋に置けばいいと言う。一つの案だと引き下がったが。送っておいた間取り案にあった玄関の洗い場がなかったので会議が終わってから復活させつつ仏間を含めて私なりの案に作り直した。
そのほか今日の案では意表を突いたところもあった。特に階段の位置は新鮮で修正していくうちに比較的すっきりしたように思う。ただし家を建てるということは今後の人生が決められることでもある。それでいいと思ってきたが本当にそれでいいのか。いい機会だと思い考え続けている。
昨日の夕方義母から妻に電話があってエアコンが使えないと言う。予約と書かれたところが赤く光っているといいリモコンの電池切れも疑って単4と単3の予備を持って今日私が行ってきた。電池は交換しても変わらない。でも本体の予約インジケータが赤く点滅している。下から見ると奥も赤く点滅。
よく分からないがリモコンに本体リセットボタンがあったから鉛筆の先で突いてみたらあっさり直った。原因は不明。ともかく滞在5分ほどで終了。今日は元々散髪に行くつもりで次に鳴門の実家。予約した15時まで30分もあるが電話をすると空いているというからいつものサカイに行った。
電気代高騰を受けて大将も薪ストーブと太陽光発電を考えているらしい。部品を買って自分で工事すると言っている。工務店の評判などの話も聞いた。曰く石井や吉野川市や阿波市あたりの西の業者は止めておいた方がいいと。そこから県知事選の話。同じく吉野川市が地盤の三木や後藤田のこと。
実家で洗車のつもりだったが寒いしホースが蛇口にうまく嵌まらず諦めて以前母から要らないかと言われていた座卓の寸法を測った。今は不要だが人が集まると同じく実家からもらった丸テーブルでは小さいので家を建てたら引き取ろうかと。昭和の時代の座卓だが新しく買うほどのものでもなく。
もともと家に吹き抜けは不要だと思っていた。熱効率が悪く無駄な空間という認識だ。それをはなおかが吹き抜けの間取り案を出してきたから薪ストーブの話になった。でも気に入った国産薪ストーブの連続燃焼時間が9時間。夕方から使うと朝から午後はファンヒーターと灯油ストーブだけになる。
それなのに人がいない空間を暖める無駄。結局灯油代も電気代も嵩むことになる。ファンヒーターを5ヶ月間も使う長い冬の上勝では吹き抜けは不要だと思う。見た目よりも省エネの実利を優先したい。そう思っていたのに先週土曜に届いた徳島設計工房の案も吹き抜けを採用している。
改めて考えてみたがシーリングファンや天井のライトのメンテは大がかりになる。南はすぐH木氏の畑で消防詰め所が移転してきても1Fの日当たりには影響はないはず。それに生活時間が合わない義母の生活音が私たちの寝室を作る2Fに響きそうだ。そういうわけで吹き抜けのない案に作り直した。
一方で薪ストーブは煙突のメンテ費用を忘れていた。もし年に2万円も掛かれば灯油の節約分は軽く吹き飛ぶ。それに高断熱の家に薪ストーブはオーバースペックで2ヶ月程度しか使わないと思う。調達から薪割りの労力も考えればY田氏から言われたが薪ストーブは道楽だ。その道楽を続けられるのか。
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© 2023 Takashi INAGAKI