2011年8月
今度会うことになったN精工社長のN氏は中学1年と3年のときに同じクラスだった。男組だった1年4組。T原やK元やF川など私の大事な親友たちとはこのクラスで知り合った。3年1組の仲間6人だったかで中学を卒業した春休みに旅行に行ったがN氏はそのときのメンバーでもある。
あの旅行は萩と津和野を回った。メンバーはN氏と私のほか我が「響」団長にして徳島県教育委員会のF川。徳間書店のK元。徳島の訪問診療医として成功しているY田。京都大学経済学部に進学したSだったはず。大阪市大を出て医者になっているはずのY原がいたかどうか。
最初の民宿に着いたら早速F川がエロ本を買ってきてみんなで回し読んだ。萩だったか民宿の隣室に女子大生グループがいて彼女らが廊下を歩くと覗いたり。秋吉台とか行ったはずだが観光地はあまり覚えていない。萩ではみんなで自転車を借りて市内を回った。
下関から寝台列車に乗るまで時間があり映画を見ることになったのだがポルノ映画に行こうというF川と絶対にダメだという元生徒会長K元が対立して私がただ歩き出したらK元が付いてきたりして。結局「グローイングアップ」を見たのだった。それも楽しい思い出だ。
妻がずいぶん前に買っていて最近になって読んでいたので私も読んでみた。著者は大腸内視鏡によるポリープ切除術を開発し米国にクリニックを持つ医師。エンザイムとは酵素のことを指す。新谷弘実『病気にならない生き方 -ミラクル・エンザイムが寿命を決める-』(サンマーク出版)
人の体内にある消化酵素は5,000種もあるが著者は臨床経験から元になるミラクル酵素があると仮説を立てる。ミラクル酵素には一生で作り出される限界があり酵素の浪費を防げば病気にならないと主張する。その根拠には目から鱗が落ちる。
例えば筋肉を付けるために人はタンパク質を肉で摂ろうとするが動物で筋肉が発達した馬やキリンは草食だと言う。肉食動物は獲物の腸から食べるのはそこに酵素があるからだと。だから人も酵素の多い食物を摂るべきだと主張する。酸化して活性酸素を作り出す食物は悪い食べ物だと。
悪い食べ物の代表がマーガリンや牛乳。牛乳は加工過程で酵素がなくなった「錆びた脂」だと指摘。仔牛に牛乳を飲ませると4〜5日で死ぬと。そんなことや水分の取り方など著者独自の説が展開。常識的な内容もあるが異説が面白い。一気に読める。一読の価値あり。
異変に気づいたのは23日(火)だった。助手席に妻を乗せ藍住に向かう途中。車が信号待ちなどで低速になると波打った道を走っているような感覚を持った。左右に捩れるように感じるときもある。夕方になり昭和町のホンダ販売店に検査が可能か立ち寄ったときタイヤの摩耗を指摘された。
このときは時間がなく検査を依頼しなかったのだが翌水曜にはさらに酷くなった。20km/h程度の低速でハンドルが振られるような感覚。これはまずいと地元で最近自動車修理工場を立ち上げた友人T氏に相談。代車を持ってきてくれて即持ち帰って調べてくれた。
原因はタイヤだった。日曜に車を取りに行った際に外された古いタイヤを見せてくれたが内側のワイヤが剥き出しになっていた。車を買って2年3ヶ月。タイヤのことは全く考えていなかった。その間に空気圧が下がり山道を走るからタイヤの肩ばかりすり減ったのだろう。
20年前は峠の走り屋で半年ごとにタイヤは交換していた。友人の実家K元商事で1本36,000円もするタイヤを40%引きで。当時のシルビア用は195/60R15だったと思うが今は175/65R14。1本1万円弱らしい。全てT氏にお任せ。関心を持たないから今回のことのようになるのだと反省しつつ。
徳島から上勝に来るには徳島上那賀線と呼ばれる県道を通る。上勝に入り最初の福川地区の道は20年前に私がよく通っていたときに比べて格段によくなったが福川から藤川に抜ける道は昔のままだった。ヘアピンカーブが3箇所。両側が切り立った崖になった狭い場所もあって神経を使う。
その県道最大の難所をショートカットするトンネルが開通し今日9時から記念式典が開かれた。飯泉県知事や隣の勝浦町出身の岡本県議会議長や勝浦町長に那賀町長も。もちろん上勝町から笠松町長に藤田町議会議長ら。福川側出口でテープカットやくす玉割。
上勝小学校金管バンドの先導で歩いてトンネルを通り初め。式典のときは気づかなかったが結構な人の数。あちこちに近所の見知った人たちの顔があって挨拶しながら。藤川側での餅投げではiPhoneで動画撮影をしていたがそれでも3袋拾った。1つは町長からダイレクトキャッチ。
ところで来賓として来ていた県議会議員の中に今年の選挙で初当選した中山氏がいた。33年ぶりに会った中学の同級生だ。テープカット前に話しかけ餅投げの後は彼から話しかけてきて雑談しばし。彼は3年間3組だったらしい。城南高校野球部OBでもあると今日知った。改めて飲む機会を作りたい。
中学のバスケットボール部で1つ後輩だった女性が仕事で上勝に来るというので会ってきた。F香嬢。彼女とは数ヶ月前にFacebookで繋がり上勝での仕事について聞いていたのだった。上勝に住んでいたM嬢も一緒に仕事をしているそうで今日はM嬢に訊いて引き合わせてもらった。
今は徳島のNPOの理事らしい。中学卒業以来33年ぶりだと思っていたら彼女によると20年ぐらい前に私たちは会ったらしい。M酒造社長M嬢や当時留学から帰国したばかりだったという背の高い小松島のH嬢とJ社のK藤氏ら彼女の中学の同級生が集まったとき何故か私もいたらしい。
多分M嬢に誘われたのだろう。でも全く覚えていない。私の記憶はいい加減なものだ。一方で中学の同級生と30年ぶりに会おうという話をやっている。M酒造社長M嬢と正月の徳島新聞で対談していたN精工社長N氏。中学1年と3年のとき同じクラスだった。彼ともFacebookで繋がった。
さて同級生と言えば不動産会社社長T氏から毎日のように電話が掛かってくる。川内のマンションの入居者が決まり手続きについて細かな報告をしてくれるのだ。この手続きが落ち着いたらまた一緒に飲もうと思う。N社長とは33年ぶりのはずだが記憶を付き合わせるのも楽しみだったりする。
合唱のNHK全国学校音楽コンクール四国ブロックが開かれていた。午前が高校の部で午後が中学の部。Facebookで友人が書いていたので知った。彼女の次女が中学の部に出演したそうだ。何とNHKがネットで生中継している。プログラムを見ると我が母校の高校も出場するようだ。
彼女のコメントで気づいて見に行ってブラウザのアドオンの設定やなにやらしていたら母校(高校)の演奏が終わっていた。ツイッターの情報によると母校は女声で出ていたらしい。とうとう男が断絶したかと思ったら高校の音楽教師の方から少数精鋭で出演したと返信が来た。
私が中学と高校のときもNHKコンクールには出演したが徳島県大会が8月末にあっただけだ。四国大会はテープ審査だった。確か中学3年のときと高校2年と3年のときに徳島県大会で金賞を取ったはずだが四国大会というものはなかった。今の子たちは大変だ。松山まで行っているのだから。
私に教えてくれた友人は中学の合唱部の2つ後輩。子どもだった中学でたった1年間顔を合わせていただけなのに最近よくチャットで話す。さて城西中学は奨励賞。アーカイブを聴き完璧だと思ったが他の中学の演奏を聴くとその表情付けの凄さにびっくり。中学でこんな演奏をするんだと。
世界でトップレベルのヴォーカルアンサンブル「Wishful Singing」が日本で4箇所しか公演がなかった中でなぜ徳島で演奏したのか。そこには当然バックストーリーがある。端的に言えば我が徳島男声合唱団「響」の指揮者や団長が幅広く全国の合唱人と付き合っていたからだ。
今回「Wishful Singing」を招聘したのは作曲家にして合唱指揮者の松下耕氏。彼が主宰する軽井沢合唱フェスティバルで演奏してもらい「響」にも話が来たということらしい。その背景には松下氏と我が「響」との交流がある。数年前には招待されて「響」が軽井沢で演奏したり。
そう言えば何週間か前に「響」への演奏依頼を巡ってメーリングリストで議論になったことがある。そのとき指揮者が書いていたのは「響」は徳島ドメスティックではなく広く全国や世界と交流したりそれによってレベルを上げたいといったことだった。私は全く賛成なのである。
その姿勢の一環として松下耕氏との交流がある。その縁で世界的グループの徳島公演が実現した。かねてより徳島ビジネス界など県内で完結しすぎていることを不満に思ってきたが合唱界も同様。そこに風穴を開けようと自ら実践するのが我が「響」。その一員であることを誇りに思う。
Wishful Singingコンサート 2 (8月23日・火)
オランダの女性ヴォーカルアンサンブル「Wishful Singing」の演奏はリハーサルのときと本番でドア係をやったときに聴いた。本番中はドア前だし担当仕事が気になってきちんと聴けなかったがリハーサルでは椅子に座って聴いた。といっても彼女らは立ち位置などの確認でほとんど歌わない。
それでも2小節ぐらい歌った声に本当に魂を奪われそうな感覚になった。でも彼女らが魂を込めているということはなく私が感動したのは完璧な歌唱技術ゆえなのだ。完璧な技術が魂を奪う。そんな感じがした。私なんかは技術がないから魂だけ込めようとするがプロ中のプロは違うのだ。
彼女らはマイクは持たない。しかもアカペラ。p(ピアノ)からmf(メゾフォルテ)程度の音量だけで軽く歌っているように見える。f(フォルテ)やff(フォルテシモ)の音量はなかったと思う。アンサンブル重視なのか。それでも800人収容の会場に十分に音が響く。
曲前には音叉をポケットから出し音を聴き音程を取っていた。それも格好いい仕草だ。正しい音階だけでなく表現も5人の息が完全に合っていてその技術の凄さに感じ入った。世界トップのヴォーカルアンサンブルの演奏が徳島で聴けるというのも素晴らしいことだと思う。
Wishful Singingコンサート (8月22日・月)
オランダの5人組女性ヴォーカルアンサンブル「Wishful Singing」徳島サテライトコンサートが終わった。サテライトコンサートというのは軽井沢合唱フェスティバルがメインであったからだ。ここに招聘された彼女らが埼玉県川口と今日の徳島そして明日の京都でサテライトとして演奏する。
私たち徳島男声合唱団「響」は第1ステージで5曲を演奏。「うさぎ追いし彼の山〜」の「故郷」。中島みゆき「時代」など。EXILEが歌って有名な「Choo Choo Train」はフリ付きで。フリは土曜の練習で決まったらしいが私は途中で帰ったので今日の直前練習で初めてやった。
今日は14時に郷土文化会館に集合。14時半からリハーサル。Choo Choo Trainは指揮者がもっと弾けようという指示を出したが団長がWishfulのお迎えに行っており今ひとつノリ切れず。歌詞も不安ながら1時間で終了。17時頃から受付準備。Wishfulのリハーサルを少しだけ見学。
18時半の開場前に200人ほど並んでいただろうか。今回の「響」は主役ではなく全員がスタッフ兼任。団長が来場者に頭を下げているのを見て選挙運動みたいだと思ったり。母と叔母と妻も来ていた。上勝の友人T嬢もや元同僚M嬢Z嬢も。本番のことは明日にでも書こう。
勝浦川での川遊び (16〜17日の日記) (8月21日・日)
8月16日は牟岐の民宿からダイビングをするM橋氏をクラブノアに送ってM木氏らは貝の展示館「モラスコムギ」を見学。終わって再びM木氏らと上勝へ。灌頂ヶ滝などを見てから月ヶ谷温泉で昼食。13時にキャンプ場先の正木ダム湖まで。ここからカヤックを出しているのだ。
着いたらカヤックが出払ってしまいM氏とY君は水着になってライフジャケットを着て川遊び。私は見学。カヤックにも父子が乗って川遊び。Y君によると徳島の4日間でここが一番楽しかったそうだ。途中大雨が降ったり止んだり。止んだ隙に車に戻り。
このあとくるくる工房や樫原の棚田などを見学して生実にある農家民宿「山挨」さんへ。カブトムシを探しに行ったりもしたけどさすがに疲れて早々に就寝。翌朝近所のF氏のところに寄って9時頃出発して徳島空港。M木氏とY君を送って10時半過ぎ。楽しい夏休みを過ごしたのだった。
事務所に戻って午後からミーティングがあったはずだと思っていたらそれは翌日。それなら牟岐から帰るM橋さんをどこかまで迎えに行けば良かったと思ったが既にどうしようもなく。早速仕事に戻り原稿の調整やら諸々。現実世界に引き戻されて今に至る。
14日夜にカブトムシのエサを電灯下に置いていたが捕まえられず。8月15日(月)はエサのプラ容器を片付け朝出発して一路県南へ。今日はM木氏らと海水浴。日和佐でうどんを食べて仕事仲間M橋氏がダイビングに来る牟岐町クラブノアも通り越して大砂海水浴場に12時半過ぎに到着。
ところがM橋氏からの携帯メールによると今日はダイビングせずに私たちに合流すると言う。そうなの?電話で連絡を取り取って返して合流。改めて大砂海岸に着いて4人で海水浴。途中M橋氏がシュノーケルなどを取りに車で行ったり。私は持って行ってたシュノーケルで海中を見ながら。
大砂海岸には以前90年か91年に行った記憶はある。でも透明度がこれほど高いとは思わなかった。何せ立てるほどの深さのところで50cmの魚が泳いでいるのを見ることができる。途中から岩場に移りさらにシュノーケリング。小さな熱帯魚やフグも見える。M木氏の子Yくんは浮き輪で。
16時半頃まで3時間は遊んでいた。終えて4人で牟岐の民宿へ。昨年ダイビングのときに泊まったところ。夜は部屋で飲みながら話をして23時頃解散。今回は1人部屋でM橋氏のいびきの被害はなし。でも冷房の調節が難しくてあまり寝られなかった。
8月14日(日)朝は前日あったお盆の集いの後片付け。9時集合と聞いていたが目覚ましをかけ忘れ起きたのは妻の目覚ましで9時。ところが役員の妻は朝7時まで飲んでいたらしく全く目を覚まさない。私の目覚ましも耳元に置いてみたが効果なし。とりあえず私だけ片付けに行った。
いたのは役員を中心に7人ほど。まずは前夜のうちに洗われていたビール缶を軽トラに乗せてゴミステーションに持ち込んで。戻ってテントの撤収。天幕はN嬢Y嬢と3人で畳んでいったが6張りもあった。役場などで借りた機材を効率よく軽トラ3台に乗せて6人で返しに行った。
我が事務所の打ち上げで出たビール缶も100本近くあったと思うが役員の2人に手伝ってもらって片付け全てが終わったのは12時前だったか。F氏S氏Y氏T氏と5人でラーメンを食べに行ったが勝浦の呑口は休みで美渓へ。警察の取締状況などの情報交換も。
前日東京から来ていたM木氏らは川遊びから帰っていたところでしばらく休んで夕方一緒に出て彼らは阿波おどりへ。お盆なので私は実家へ。夕食は実家で取り帰りにM木氏らをピックアップ。かちどき橋前後右車線は大渋滞で時間がかかったが何とか合流して帰宅。夜は自宅で飲みながら。
8月13日(土)は私が住んでいる上勝町傍示地区の「お盆の集い」。会場は私が住んでいる住宅前。3日前の夕方には草刈りもした。このときは正午前後にS氏が草刈りしていたが私は仕事中。声を掛けて夕方から始めてF氏が途中参加。S氏も来てくれ最後は3人で。
13日は今年も午後から準備に参加。私は舞台の音響関係を中心に。5つのグループが出演するということでマイクの構成がそれぞれ異なりマイクチェックやらスタンドの調整やら暑い日差しの中をT氏と進め。東京から来ていたTVディレクターN氏も参加してくれあれやこれや。
15時ぐらいからはビールを飲みながらメモをしながらセッティング。イベント自体は18時始まりだがステージは19:10から。結局のところ直前になって使えなくなったマイクがあって全ての組み合わせが分からなくなりステージ間での準備に時間が掛かった。うーん。なかなか難しいものだ。
さて一方この日は東京からパソコン専門誌の記者にしてPDAの師匠M氏が小学1年の子と遊びに来てくれた。19時前にレンタカーで到着してそのまま祭りへ。終わって片付けて我が事務所で打ち上げ。20人以上いたのだろうか。私は1時半に撤退。最後は7時まで飲んでいたらしい。
ほぼ1週間も書いていなかった。本来の日記として将来の私の資料にするため思い出しながら1週間のことを書く。まず8月12日(金)は夕方近くに徳島市に出た。銀行振込を済ませ東新町へ。ここから阿波おどりを中心に4日間96時間連続Ustream配信を行っているのだ。
阿波おどりUSTは昨年世界各国から見られたことで今年は多言語配信も予定していた。今年は東京の人気UST番組UstTodayの技術担当野田さんを迎え最大9チャンネルの同時配信システム。ボンジョヴィのコンサートで使われたものでUstream Asia社協力のもと日本初のシステムだとか。
東新町に行くと阿波おどりUSTの技術担当で上勝TVの技術統括でもあるM君がいて控え室には野田さんら。以前UstTodayにスカイプ出演していた中学生のび太くんとも挨拶。西宮からバスに乗って来たのだそうだ。近くの店でリポビタンDを買って差し入れ。
夜は帰宅してから阿波おどりUSTを楽しんだ。結局18時頃から見始めて深夜25時半頃までPCに張り付いてチャットで参加。Ustreamトップ画面でも案内され同時視聴者のピークが520だったか。日本初のシステムを使い徳島から大きなことをやっている若い仲間たちを誇りに思う。
高校野球は徳島商業が登場。池田高校が強かった昔は徳島商業が徳島県代表になるとたいてい初戦で敗退するからがっかりしたものだが今日は勝った。高校野球はときどき見る。今は専らテレビ観戦だが甲子園球場で応援したことは何度かある。と言っても確か小学校3年の頃か。
前に書いたが隣のアパートに宮本先生という鳴門工業高校の新任英語教師が住んでいてよく遊んでもらっていて鳴門工業が甲子園に行ったとき学校が仕立てた応援バスで連れて行ってもらったのだ。記録を調べたら1973年だ。このときは準決勝で負けたことはよく覚えている。
準々決勝は1歳上のえいちゃんも一緒に行った。最初はえいちゃんのお父さんが許可してくれなくて怒鳴っていた。甲子園ではえいちゃんが日大一高を鳴門市工だと勘違いして試合前に外に出てしまった。私たちがいなくなって先生は心配しただろう。駐車場で会ったシーンは今も覚えている。
この春の甲子園は3〜4回バスで甲子園に行ったはずだ。何度目かの帰りのバスで誰かが「ここまで来たら無理してでも次もバス仕立てるけん」と息巻いていた。J社時代に阪神タイガースの試合を見に甲子園に2度ほど行ったが高校野球は1973年が最後だったかも知れない。
徳島に来てから本を読まなくなったと先日書いたが仕事上のボスにそのことを話をしていて原因についてもう少し考えてみた。電車通勤の時間がなくなりツイッターで情報を得るから本を読まなくなったのだと考えていたが本当にそれだけなんだろうか。
例えば東京時代はAERAと週刊文春を毎週買って読んでいた。特にAERAは隅から隅まで広告まで全部読んだ。でも東京時代の最後の頃には買うのを止めた。あまりに下らない記事が増えたから。一方で週刊文春も徳島に来てしばらくしてから買わなくなった。面白くなくなったから。
面白くなくなったというのが原因だが何故面白さを感じなくなったのか考えてみると理由は2つあり得る。本当にダメな記事ばかりになったのが1つ。もう1つ私の嗜好が変わった可能性もある。特に徳島に来てから読まなくなった週刊文春について後者が原因だとすると少し厄介だ。
つまり週刊文春が書く内容には東京時代には感度を持って接していたが徳島では不要な情報だと私が認識しているということになる。もしかして本を読まなくなったのも知識欲求が前より減ったからなのか。もしそうだとするとそんなことでいいのかと思ってしまうわけで。
6日(土)に行った上勝TV第9回のアーカイブを昨夜遅くに見た。わざわざチャット画面からアーカイブを見たと書いてくれた小松島の方。さらに月1回のお楽しみを本番中見られなくてアーカイブで見たとツイッターに書いてくれた静岡の方。ファンの方に支持された番組なんだと実感しつつ。
アーカイブを見たら面白い。オープニングはスカイプが繋がらずドタバタの中で表向き平静を装ったからぎこちないのだが皆が慣れてきた途中からは面白かった。エンディングテーマの「ふるさとの唄」でまた感動。この曲は同じ住宅に住む東京出身の上野あやさんが作詩作曲して歌っている。
勢い余って第1回のアーカイブも見始めた。面白いがぎこちない。さすがに緊張が見える。そんな感想をツイートしていたらスタッフや東京にいるファンの人たちが反応してくれて楽しい。その感想から仕事をする上での姿勢のようなこともツイートした。何人にリツイートされて恥ずかしかったが。
ツイッターやFacebookにUstreamなどソーシャルメディアのあり方を経験しているわけだがFacebookで知らない人と繋がって友達の多さを喜んでいるアホは論外としても数ではなく結局のところロイヤリティなのである。どれだけ濃い関係を作れるか。やらないと分からない面白さを感じている。
8月6日(土)は上勝TV第9回。今回はパーソナリティのイマジンにシカを探しに行ってもらうという企画。何ヶ月か前の会議で思いついたもので当初は3組でシカを探しに行くつもりだった。ところがUstreamの配信に使うUstream Producer Proは同時に3画面しか出せない。中継は2台が限度。
中継はスカイプで繋ぐつもりだったが問題は使用機材。iPhoneであればスカイプのビデオ機能が使えるがドコモのExperiaでは音声のみ。iPhoneを使いたいがソフトバンク電波は上勝の山道ではほとんど入感しない。ドコモのモバイルWi-Fiルーターは1台しかない。
ネットブックとセットのドコモ回線を使うしかないと思っていたが結局のところ中継は1組のみで行うことにした。2組出ても同じような暗い道で違いが分からないしシカが出そうでドコモの電波が入る道は限られていて。ここに至るまで何度も町内の電波状況を見るために走って得た結論。
Y氏の協力を得て軽トラを運転してもらい20:40にイマジンは出発。本番前にシカはいたが番組中で見ることはできなかった。その前にFacetime中継が使えずスカイプで試したり開始直後のトラブルはあったものの無事終了。視聴者数はピーク50人ながら楽しかった。終わって焼肉。
最近全く本を読まなくなった。最近読んだのは3月。さらに遡って1月に4冊。その前は昨年に3冊だけ。東京時代の最後の数年は月に2〜3冊は読んでいて私の知識になっていたのに。今は積ん読ばかり。積ん読が約15冊。アマゾンのカートに置いてあるものも数十冊。
なぜ本を読まなくなったかと言えば理由は2つ。最大の理由は電車やバスで移動する時間がなくなったこと。東京時代は毎日1時間半程度は電車またはバスに乗っていた。月曜日はAERAで木曜は週刊文春を買って本を読む時間は火水金の最大3日しかなかったのに関わらず。
理由の2つ目はツイッターを見るようになったこと。誰かのツイートからリンクされたWebやブログなどを読めば週刊誌程度の情報は得られたりする。さらにiPhoneを買って以来ベッドの中でもツイッターを読むようになって全く読む時間を取らなくなってしまった。
上勝に引っ越してきた2009年は9冊の本を読んでいたのにツイッターを始めた2010年1月以降1年半で8冊だけ。数字にも表れている。ツイッターだけでは系統立った知識をエルのは難しいし積ん読本も買いたい本もあるわけでこれではいけないと自覚はあるが。
昨夜ツイッターで何人かと同じテーマで話をしていた。問題の発端は12月から毎月最終日曜日に開催されているとくしまマルシェのUstream配信だ。とくしまマルシェ実行支援委員である妻が会議で提言したことで当初のUstream番組は妻を中心とするチームが運営していた。
でも完全ボランティア。休日の早朝から若いスタッフにタダ働きさせ続けるわけにもいかず4月で撤退した。その後はとくしまマルシェのWebを制作した会社が引き継いだはずだ。ところが12月以来ファンになってくれた徳島や東京の人が書き込んでもUstream番組で無視され続けた。
しかもツイッターのプロフィール欄に書かれた次回開催情報が6月のまま。それを指摘した発言も無視される。ワールドビジネスサテライトで取り上げられるという情報もありこのままでは徳島の恥を晒すことになる。あまりに酷い状況に昨夜になり私からもツイートした。
それに対して何人かが返信してくれた。間違いは構わない。でも指摘されたら改善すべき。それができていなかった。妻はとくしまマルシェ自体の総元締めのトップ宛にメール。今日夕方になりやっと記述が改善された。人の振り見て我が振り直せ。私たちにとってもいい教訓になった。
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© 2011 Takashi INAGAKI