2010年2月

地震とソリトン (2月28日・日)


昨日チリで起きた地震によって津波が発生した。日本には日曜午後に到達。一部では90cmだったという報道もあった。徳島でも警報が出たせいで特に出かけず山の中で過ごした。結果として予報ほどの大きな津波になることはなく大した被害はなかった様子。

さて私の大学での卒業研究のテーマは「非線形LCはしご型回路におけるソリトンの伝搬」というタイトルだった。非線形とは連続していないこと。LとCはコイルとコンデンサ。つまりLとCをはしご型に組んだ電気回路で正弦波電圧を加えたときに発生する波動の伝搬特性の研究である。

キーワードはソリトン。一般に電流であれ電磁波であれ音波であれ伝搬速度は一定である。ところがソリトンは振幅によって伝搬速度が変わる。音波に例えれば大きい声の方が速く進み小さい声を大きい声が途中で追い越してしまう。普通はあり得ない波動特性を持つのがソリトンだ。

通常の波動は衝突すれば波は崩れるが電気回路でのソリトンは衝突させてもお互いの波がすり抜けた。さらに通常の波動は減衰するがソリトンは発生当初のエネルギーを保持したまま減衰がほとんどない。これが怖い。なぜなら津波はソリトンの一種だから。普通の波とは特性が全く違うのだ。

いろどりブログとスタティックなWeb (2月25日・木)


上勝町の葉っぱビジネスを考案して現在は事業会社「いろどり」の社長である横石氏がブログを開設した。と言っても「いろどり」の社員であり徳島のアルファブロガーRちゃんが書いていたりもする。これまではWebサイトに毎日更新する日記があったがブログとなると別だと思う。素晴らしい。

いろどりWebサイトでは横石社長だけでなく社員も交替で日記を書いている。大変な努力だと思うのだが実は私は1〜2週間ごとにまとめて読んでいた。なぜかと言えばニュースフィードで読めないから。RSSフィードがなくわざわざWebサイトに行かないと読めないのだ。

私は毎日1,000本ぐらいのニュースタイトルに目を通している。RSS配信されるニュースフィードをブラウザで読んでいて30ほどのニュースサイトが1日30本ニュースを配信したら約900。さらに友人などのブログを120ぐらいウォッチしている。ツイッターでも約1,000以上のツイートに目を通す。

こうやっているとWebサイトに読みに行くのは面倒。今後はWebサイトにスタティックな情報を置き検索に対応する一方ブログやツイッターからWebサイトに誘導させるスタイルが主流になるのではないか。はい。そういう意味で私のこの日記サイトは時代に逆行。敢えて読者を絞るためだからね。

ツイッターもう一つのメディア論 (2月23日・火)


ツイッターはメディアであると書いた。それが意味するところはフォローする人が100人ぐらいいれば社会的関心の高いニュースはテレビやWebサイトやメールよりも早く入ってくることとマスコミでは報じられないニュース解説が山のように読めるからだ。これは明らかにメディアの機能だと思う。

でも妻がツイートを始めて私と全く異なるタイムラインを構築していくのを見るにつけツイッターにおいてはユーザー一人一人がメディアではないかと思い始めた。人が興味を持つ「言葉」を生み出すこともできるし誰かのツイートを中継することもできる。これは明らかにメディアの機能ではないか。

もちろん友人とだけ繋がって直接の知り合い以外には関係ない内容をツイートし続けても構わない。そうやってSNSとして使う方法もある。私も友人や新たにツイッターで知り合った人とやりとりをするSNS的面白さを実感している一人だがそれでも私はメディアとしての将来に興味がある。

松下耕氏は作曲で自分の心の奥底を伝えている。ツイッターは作曲家でなくても心を表現できる。伝達する情報を選択するという意味では編集者にもなる。ブログなどと異なるのはそれが連なること。20年後のメディアは個々人の連なりを指すようになるかも知れないと本気で考え始めている。

故郷 (2月22日・月)


妻は上勝に移住して少し自分を抑えていた部分があったらしい。東京が恋しいと公言して構わないと気づいたとブログに書いている。引っ越しするとき東京を離れる感慨はあるかと羽田空港で訊いたら全くないと言い切った妻だが故郷は誰にとっても大事なのだと改めて思う。

私は高校を卒業して京都や東京で住んだとき猛烈に徳島のことを意識した。友人たちも同様で東京に行った連中は阿波弁を話さないよう必死だったがそれでも徳島が好きなのだと気づいたはずだ。私は年に3度も帰省して運転免許を取ってからは毎日徳島や鳴門の友人たちと遊んだ。

35歳で福岡に行ったときは徳島との違いより共通点ばかりを見た。東京に行ったときに徳島を懐かしんだ記憶はないがそれは年に何度か帰省していたからかも知れない。故郷は遠きにありて思うものだというが全く縁がないと寂しくなるのかも知れない。

妻は福島生まれの茨城育ちだが東京に住んだ期間が最も長い。徳島から見れば東京は大都会だがそこに長く住んでいる人にとってはそこが故郷なのだ。昨年はときどき出張で東京に行っていたから紛れていたのだろう。そんなわけで東京への帰省・出張計画を立てている私たち。

高松往復と合同練習 (2月21日・日)


4月11日に四国の10の合唱団が集まり徳島県阿南市でコンサートを開く。作曲家・松下耕氏を迎え松下作品だけで行う演奏会だ。今日はその松下氏を高松に迎えて合同練習。松山と高知で既に合同練習はあったのだが私は今回が初参加。音がまだ取れていないのに。

上勝10:21発。途中ガソリンを入れ高速に乗ろうとするとカーナビは徳島道を藍住で下り高松道に乗り換えろと出る。バカな。あやうく信じかけたのを思いとどまり鳴門ICから高速道へ。12時前に津田の松原SAでパンを食べ高松。高松市内は徳島以上に信号ばかり。休憩含め2時間25分で着。

サンポートという高松駅奥の新しい場所なのだが車を置いて指定されたリハーサル室というのが分からない。あっちもサンポート。こっちもサンポート。15分迷ってホール事務所で聞き辿り着いた。四国中から集まった約120人。意外にみんな若い。ちなみに松下氏は1962年生まれ。

練習は組曲の1曲ずつ歌って松下氏が曲に込めた思いと表現方法を指導するスタイル。昨年の信長貴富氏のときも思ったが著作者自身の言葉は重い。さて帰り。今度は駐車場の場所が分からずうろうろ。高速経由2時間で上勝。ひだまりで食事を食べさせてもらってから帰宅。

室戸岬と24番とウト・ウーク (2月20日・土)


妻が海を見たいと言うものだから13時ちょうどに出発。勝浦でラーメンを食べ室戸岬へ。福岡の友人Tちゃんがツイッターで教えてくれたところによると134kmあるらしいが予想通り2時間半で着いた。まずは山頂展望台へ。ここに行ったのは15年ぶりぐらい。建物が替わっていた。

少し下りて四国八十八カ所24番札所・最御崎寺。2年ぶりのお遍路。お遍路セットを持って行っていたのでロウソクと線香に火を付け1番さんでもらっていた冊子に従ってお経を読む。流儀に従い本堂と太子堂それぞれで。でも2年ぶりなのでつっかえつっかえ。納経帳への押印もいただいた。

山を下りて弘法大師が修行をしたという自然の岩窟「御厨人窟(みくろど)」へ。ここは私も初めて。奥行き10mと5mぐらいの2つの岩窟なのだが何故か今は大国主命と天照大神が祀られている。柏手を打ってお参り。そのまま車を置いて海岸の遊歩道も少し歩いた。

室戸を出たのは17:25。阿南にあるハンバーグ店「ウト・ウーク」へ。上勝のAちゃんのブログで読んでいて県南ドライブ帰りの定番だったことを思い出し今日寄った。何だか店は大きくなった印象。さらに帰り道。国道195号の起点が広くなりトンネルが抜けていたことに驚きながら20時半頃帰宅。

ネット上の批判と徳島とツイッター (2月19日・金)


この日記サイトはYahooやGoogleなどから検索できないように細工してある。というのも見ず知らずの人にあまり読んで欲しいと思わなかったから。書く内容は注意しているつもりだが人によっては不快に感じることもあるだろう。だから読者は私の直接の知人に限定しておきたかった。

その上でさらに東京時代は住所も曖昧に書いていた。丹念に読めば世田谷区駒沢周辺だとは分かっただろうが地名や最寄り駅を明記したことはなかった。プライバシーは積極的に守る努力が必要だと考えていた。でもツイッターではプロフィールも住所も明記してある。なせか。理由は2つある。

一つは東京には多様な思想が渦巻いているが徳島は比較的少ないこと。徒歩10分圏内に2万人がいる東京と車で10分圏内に2,000人の徳島ではセキュリティ対策に差があって当然。特に上勝では隣近所の人たちとは顔見知りであって東京とは異なり人に対して信頼をベースに考えられる。

もう一つは異なる意見の人を批判するネットのあり方に耐性ができてきたこと。匿名の批判を無視する心構えができてきたというか。それにツイッターは大人のメディアだと感じる。今も2ちゃんねるを見る気はないし常に批評の対象となるブログをやる勇気もないがツイッターなら平気かなと。

デジタル世界の20年後 (2月17日・水)


多分ソフトバンクの孫さんも『フリー』を読んでいたのだろう。CPUとメモリと通信帯域幅が将来どうなると思うかと少し前だがツイッターで皆に質問していた。この3つの予測なくして将来予測はないのだと。自転車と新幹線の速度差は数十倍だが差が1万倍になったら全く別の世界になるのだと。

それで計算してみた。私が22年前にJ社に入社したとき与えられたパソコンはNEC PC-9801VX21。CPU速度の比較は難しいがメインメモリは640KBに対して現在使っているDELLは2GB。約3,000培。最大積載容量で比較するとさらに培の開きがある。

ちなみに当時のハードディスクは20MBが20万円ぐらい。容量は1万倍になり値段は1/20。10KBの文書を保存するコストは当時なら約100円。今のHDDが500GBで1万円とすると0.0002円。ほぼゼロ。一方当時の通信速度は1,200bps。現在の実効速度を12Mbpsとするとやっぱり約1万倍。

20年経ってディスク容量と通信速度がさらに1万倍になったらどうなるだろう。ただICの集積度が1.5年から2年周期で 倍になる「ムーアの法則」は2020年で頭打ちになる説もある。それでも20年前を思い返すに20年後のデジタル世界は今とは全く違っていることだけは確実だ。

『フリー』 2 (2月16日・火)


『フリー』からメモしておく。「『economics(経済)』は古代ギリシャ語の『oikos(家)』と『nomos(習慣、法律)』に由来し、『家庭のルール』という意味」であり「家族や一族など緊密な社会集団内部で、日々の取り引きは価格を持たなかった」ということだったらしい。

コミュニティや相互扶助や支援に根ざす贈与経済が原始社会の有り様という説があるが集団の人数がダンバー数と呼ばれる150人を超えると通用しないとも。150人はコミュニティで各メンバーが強い絆で結ばれたままでいられる構成員の上限数。

「値段がつくことで私たちは選択を迫られる」ペニーギャップが存在する。心理的取引コストだ。「料金を請求することで、心理的障壁が生まれ、多くの人はわざわざその障壁を乗り越えようとは思わない。それに対して、フリーは決断を早めて、試してみようかと思う人を増やす。」

需要の価格弾力性すなわち値段を下げれば需要が上がるという考えは間違いだとも。ものをタダであげればバイラル(口コミ)マーケティングになりうるが1セントでも請求すれば別物だと。言われてみれば当たり前のことに気づかせてくれる好著。特に豊富なフリーの事例は参考になる。

『フリー』 (2月15日・月)


クリス・アンダーソン『フリー〜〈無料〉からお金を生みだす新戦略』(NHK出版)。 ニシノ説論者が正月に読んだと言うので買って今日ようやく読み終えた。著者は「ロングテール」を流行語にした米国Wired誌の編集長。週刊ダイヤモンドが特集を予定しているなど方々で話題になっている。

音楽を無料で流すことでCDとライブチケットを売ったロックグループやヒゲそりを無料で配り替刃の需要を作り出したジレットにオープンソースソフトウェアなどフリー戦略の具体例は豊富。CPUとメモリと通信帯域の限界費用はゼロに近づきデジタルの無料化は必然というのが本書の主張である。

グーグルに対抗したヤフーなど実例があり分かりやすい。著者が提示するフリーは4類型。1つはオマケ商法のように有料のものを販売しフリーを補填するもの。2つ目は広告モデルなど第三者がスポンサーとなるもの。3つ目は一部の有料版ユーザーが多数のフリーを支える「フリーミアム」。

潤沢さが進めば新たに生まれる稀少に価値を見つけることが重要だとも。そして類型の4つ目は非貨幣市場のこと。例えばグーグルのページランクやブログ読者数などの注目経済。あるいはプレゼントを贈りあう贈与経済など。ビットはもちろんアトム(物理物)のビジネスでも参考になると思う。

ネットにあふれる知 (2月13日・土)


IT専門誌の編集者にして私のPDAの師匠M氏がツイッターに「感想や書評へのリンク、著者/編集者のつぶやきを読んですぐにアマゾンで注文してしまう」と今日書いていた。全く同感。私は買うのを思いとどまりながらアマゾンのカートにはツイッターで知った本を何冊も溜めている。

いや実際に福井健策『著作権の世紀』はツイッターで知ってアマゾンで買った。感想をツイッターに書いたら著者自身からコメントをもらって驚きもした。アマゾンで買ったわけではないが週刊ダイヤモンドも日経トレンディもツイッターを見てなかったら買わなかったはず。

それより優れた考察が記されたブログや記事が紹介されているのが良い。もちろん私の関心の範囲内のものばかりだがツイッターでの話題と私の関心の親和性が高い。追いかけている1つは政治とメディアのあり方。2つ目はIT技術と未来。今は電子出版の動向がホットな話題。

そうやって読み始めたブログもあるし単発の記事も結構読んでいる。なるほど週刊文春が面白くなくなったのはそういう情報に接しているからかも知れない。少なくとも東京にいた頃よりも多くの情報に接している実感がある。ネットにあふれた知に触れられて楽しい山の中。

コンテストの審査基準 (2月12日・金)


私の高校の先輩であり現在は高校の音楽教師である方がブログに書いていたのだが昨日あった徳島県合唱アンサンブルコンテストについて今から12年ぐらい前に当時の徳島県合唱連盟理事長は徳島新聞の取材に答えて趣向を凝らした楽しさを競うコンテストを目指すと言っていたらしい。

ところが昨日は結果として上位の成績を得たのはアカデミックな演奏をしたところだったと。我が「響」の1曲目はアカデミックだったが動きを取り入れて見た目は変化を持たせた。それについて団員の中でも賛否両論あるようだが私は賛成。2曲目は振り付きで私は楽しくてよかったと思う。

問題は出演団体の演奏をランク付けするに当たって審査基準が何も示されていないこと。コンテストだから一般的な合唱の技術と芸術性が問われるのだと漠然と思っていたが先のブログを読んで疑問が浮かび上がった。10年前は楽しさも審査対象だったが今は違うのかなと。

出演要項を見てみたが審査基準については全く触れられていない。ちなみに12年前の理事長は昨日の審査員。ご自身の中で基準が変わったのか。昨年の三田のコンクールでは演奏に楽しさがないから次点となった我が「響」。そういう基準を示せない徳島合唱界のいかがわしさを思う。

合唱アンサンブルコンテスト (2月11日・木)


徳島県合唱アンサンブルコンテスト。特段の緊張もなくあっさり終わった。「ゆけゆけ飛雄馬」メドレーで「ブンブン」と歌う音程は最後まで覚えきれず間違ったところもあったかも知れない。それでも気持ちよく歌ったし「ゆけゆけ飛雄馬」での寸劇は会場に笑いが起こり結構受けた。

審査後の表彰式では団長がいないので壇上に上がった。金・銀・銅の3つの賞が与えられるのだが我が団は金賞。一方「ベストハーモニー賞」とか「さわやか賞」とか「熱演賞」といった特別賞は与えられず。壇上で何も呼ばれないから最後に発表されるグランプリかと期待したが何もなし。

それでも今回は歌わなかった団員Y氏と奥様のM嬢が会場で聴いてくれて一般部門では「響」がダントツで上手かったと言っていた。でも帰宅して表彰状とともに受け取ったMDを聴くと「彌三郎節」はいいのだが「ゆけゆけ飛雄馬」は粗い。寸劇で受けたことに気をよくしたが音楽性は今ひとつ。

ただ妻が書いているように楽しんでもらったからヨシとしよう。そう言えば表彰式までの空き時間に小中学生が歌っていたが全然楽しくなくてびっくり。我が「響」は楽しく歌っているのに。やっぱり歌はそうあるべきだろう。終わってY氏/M嬢夫妻と沖浜でイタリアン。久しぶりにワインを飲んだ。

ツイッターは新しいメディア (2月10日・水)


ツイッターを始める人が私の回りでも出てきた。中には何が面白いのか分からないという人もいる。ツイッターはSNSでもありメディアでもあると思う。SNSだと思ってやり始めると大人にはつまらないかも知れない。私は前にも書いたがメディアとして真価があると思っている。

例えば東京地検特捜部による民主党・小沢幹事長に対する捜査についてテレビや新聞などマスコミとツイッターでは全く正反対の論調が支配していた。私は自分がフォローしている人の意見しか読まないから本当は違うかも知れないが少なくともマスコミが報じない事実を知る機会を得た。

それは検察に支配された記者クラブ加盟のマスコミの報道統制のことである。権力は一般的には政権を指すのだろうが今回の事件でよく見えたのは検察も権力ということだ。そして権力をチェックすることが使命のマスコミが一方の権力である検察の犬だったことがよく分かる。

戦前はこうやって軍とマスコミが世論を作ったんだろうと想像する。論を一歩進めれば官僚組織である検察と官僚制度を改革することを謳う民主党との権力闘争なのかも知れない。私がそう思うようになったのもツイッターのメディアとして価値が高いからである。つぶやくことは重要ではない。

プリウスのブレーキと車のファームウェア (2月9日・火)


プリウスのブレーキ問題。NHKニュースの解説によると電力を回収する回生ブレーキでABSが効いたあと油圧ブレーキに戻るタイミングが遅れるのだとか。それがリコール対象ほどの問題かは知らないが事ここに至って1月生産分から修正していたことが分かったのはタイミングが悪かった。

それに何の解決策もなく米国の朝のニュースに合わせて社長が謝っただけというのも拙かった。でも私はどちらかというと同情的。ソフトウェアを書き換えただけで修正できると聞くと何だか身につまされる。少なくともブレーキが効かなくなるというのは一面では事実だが誇張するのもどうかと思う。

さてソフトウェアの修正だけで解決するということは言ってみればパソコン周辺機器や最近の家電でファームウェアを書き換えるようなものだ。車はCPUとメモリを搭載してコンピュータ化しているということである。それをソフトで制御するならバグがあっても不思議ではない。

とは言え車のバグは致命的。そう考えると勝谷誠彦氏が言っているのだが電気自動車の充電プラグが車のファームウェア書き換えにも使えるかも知れない。莫大なリコール費用を掛けずに設定を変更できるなら車メーカーにとって電気自動車普及の強力な動機にになるではないか。

合唱アンサンブルコンテスト (2月8日・月)


発足して練習を始めたばかりの上勝女子コーラス部(仮称)の4人が隣で話し合っていた。瀧廉太郎「花」の練習を始めたものの他の曲はないものかと早くもよそ見をしている様子。ノリが良くゴスペル系のもの探しているらしい。問題は楽譜である。楽しそうでもあり大変そうでもあり。

一方の私はそれどころではない。本番が11日(木・祝)に迫ってきた。徳島県アンサンブルコンテスト。これは15人だったか人数制限がある少人数アンサンブルの大会である。進行表を見たら朝9時の小学校の部から始まる全出演グループの中で我が「響」は最後の最後。

演奏曲は2曲。一つは松下耕作曲「彌三郎節」。青森民謡の数え歌をベースにしているのだが楽譜に「Jazz Feeling」と指示されたノリのいい男声4部のアカペラ。でも最大6部に分かれる。今回は10人少ししかいないから私1人で出す音もある。ヤバイ。

もう1曲は「ゆけゆけ飛雄馬〜タイガーマスク〜アタックNo.1」のメドレー。うさぎ跳びやヘッドロックにスパイクなどの振り付き。ちょっとした寸劇というか振りを楽しめるのではないかと思う。出番は16時過ぎから。徳島市文化センターで。入場は無料のはず。(2月10日、出演時間を修正しました)

東京のお客様 (2月6日・土)


木曜に急きょ決まったお客様の来徳。金曜に私が徳島空港に着いたのは17:37。今回は上勝から空港まで1時間2分。18時頃到着したお客様とまずは紺屋町地下駐車場に車を停めて東新町商店街へ。ここでお客様旧知のNさんのお店であれやこれや。凄い年代物を見た。

夕食は前に妻と行った両国橋の「焼肉なかむら」。この日の妻は地元の宴会があり欠席。実際は風邪を引いて宴会にも参加できなかったらしいのだが。ともかくここに先ほどのNさんの次男氏が合流。さらに私と同期で昨年来頻繁に遊んでいるM嬢が合流。

店を出てN氏が帰りM嬢と3人で舩本で鳴ちゅるを食べてお客様とM嬢はさらにもう1軒行ったが私は代行を呼んで。代行が来るまで15分というので97年頃までよく行ったバーの場所を探しに秋田町東側を歩いたが見つからず交差点まで戻ったら声をかけてきたのがJ社で後輩だったT氏。

mixiやツイッターで細く繋がっていたものの話をしたのは5年ぶり。明けて土曜日はお客様をホテルに9時に迎えに行き上勝。10時頃から妻を交えて打ち合わせ。いっきゅう茶屋で昼食後もう一人お客様を迎えて打ち合わせ。東京のお客様をそごう経由で空港までお送りして2日で徳島3往復。

『著作権の世紀』 (2月3日・水)


福井健策『著作権の世紀―変わる「情報の独占制度」』(集英社新書)。弁護士の著者と会ったことはないが仕事で近いところにいて好感を持っていた。この本はツイッターでの著者自身のつぶやきで知り即アマゾンで注文。発行日より3日前に届いた。分かりやすい「ですます」調ですぐ読める。

内容は著作権に関して最近議論になっていることの解説。例えば紅白歌合戦での森進一「おふくろさん」騒動の論点や著作権の保護期間を現在の死後50年から70年に延長するか否かが議論になっていることの解説など。あるいは日本版フェアユース導入論議の論点なども。

著作権は登録などの手続きは必要なく作品を創作した時点で発生する。財産権である著作権は著作者の死後には相続され権利者が誰か分からなくなりがちだ。そのことがアーカイブ化を難しくしているといった話もNHKの取り組みなど具体例とともに紹介されていてよく分かる。

本来は何ら権利がないペットの肖像権や正確な商標表記を要請することなどを著者が「疑似著作権」と名付け情報独占の傾向に疑問を呈している。著作権について系統立てて知りたい場合は前著である『著作権とは何か―文化と創造のゆくえ』がお奨め。併読すると理解が進むと思う。

TwitterとUSTREAM (2月2日・火)


ツイッターを斜め読みしていたらソフトバンクが米国の動画ストリーム配信サイト「USTREAM」に出資したというニュースがあった。そういえばソフトバンクの孫社長がUSTEAMで生中継すると昨日書いてたと思っていたら出資の発表は午前のことで中継するのは夕方の四半期決算発表会だった。

途中で気づいて見始めた。ソフトバンクの株主でもないのに。私が見始めて1時間近く孫社長はステージの上をゆっくり歩きながらメモも見ず一人で話していた。プレゼンシートや映像を交えながら。USTREAMで表示されるツイッターでの関連発言が猛烈な勢いで流れていく。

拾い読みすると「孫さんプレゼンうまい」とか「ソフトバンク凄い」とか好意的なものばかり。私も正直にそう思った。発表会の直前には誰かが「Ustreamスタジオ作って下さい」と書いたら孫さん自身が「了解」と返信。目の前でそのやりとりを見て私は凄まじい時代になったと思った。

夜はCSの朝日ニュースターのスタジオから津田大介氏がUSTREAMで中継。上杉隆氏と原口総務大臣の対論を生で見た。記者クラブの弊害がテーマだが夕方のソフトバンクの発表も記者や既存メディアの存在価値を揺さぶるものだ。新しい時代の始まりを目撃している感覚に興奮している。


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© 2010 Takashi INAGAKI