2010年9月

ツイッターのフォロー方針 (9月30日・木)


ツイッターでのフォロー方針を私は当初からあまり変えていない。まず直接の知人は基本的にフォローする。ただし誤解されたくないのだがフォローされていてそれが知人と気づかずフォローを返さなかったことがある。匿名だし分からないこともある。見直し気づけばフォローする。

次に私の興味の対象は独自にフォローする。ジャーナリストだったり法律家だったり。興味の対象は移ろうからリムーブ(フォロー外し)もやる。こういう人で律儀にフォローを返されるとリムーブしにくくなるからフォロー数とフォロワー数が拮抗している人をフォローするのは慎重になったりもする。

それ以外の知らない人からフォローされたら基本的には返さない。プロフィールと最近のツイートを読んでよほど私の興味の対象だと思わない限り。でも何ヶ月かして見直してフォローすることもある。ツイートで絡んでくれると親近感が増すからフォローすることもある。

フォロワーは私がフォローを返さないから減ったりもする。がフォロワーの数自体に意味はないと思う。言い方は悪いが問題は質だ。フォローも同じ。私は知らない人の下らないツイートは読みたくない。フォローが現在352。リストも使いつつ慎重に増やしすぎないようにしている。

ツイッターの傾向 (9月29日・水)


ツイッターを始めて9ヶ月半。何度も書いているがツイッターで知り合った友人もいて私の生活にすっかり入り込んでいる。常にツイッターの画面を表示させておくために22インチディスプレイを新たに買ったほど。ただしフォロワーの質が最近すっかり変わってきたような気がする。

春頃までは本名やプロフィールを公開している私に関心を持ってフォローしてきていると推測できる人が多かった。ところが夏以降は明らかなビジネス目的が増えた。個人であってもコンサルタントだったりフォロー数もフォロワー数も1万人を超えているような。

ツイッターではフォロー数が2,000人を超えると制限が掛かりフォロワー数がフォロー数に見合っていないと新規フォローができないと聞く。だからだろう。フォローしてきて私がフォローを返さないとすぐにリムーブ(フォロー外し)する。そして同じ人が何度もフォローを繰り返してきたりもする。

管理ソフトを使っているのだろうがそうした人は自身のフォロワー数を増やして発言の影響力を持ちたいと考えているのだろうか。あるいは影響力があるとの錯覚を利用してビジネスしたいとか。その方法を否定はしないが私は嫌いだ。ツイッターのウッフィーの精神とは離れていると私は思う。

旧・三菱銀行の口座と埋蔵金 (9月28日・火)


先日書いた旧・三菱銀行新大阪支店の通帳のその後。会社の振込案件があったので事前に電話して担当者がいることを確認した上で三菱東京UFJ銀行徳島支店に行った。既に当時の印鑑はない。なので印鑑変更届と住所変更届と解約届と残金の現口座への入金依頼。

この口座には卒業前にやったアルバイト料が振り込まれていた。大阪の地下鉄御堂筋線に乗って緑地公園だったか。新薬開発の人体実験で泊まり込み。2泊か3泊したような気がする。薬を飲んで1日目は3時間おきに採血して2日目は6時間おきとかそんな感じ。

新薬の効果を測定するので宿泊中は安静にしておく必要がある。置いてある新聞を読んだりビデオを見たり。10人以上が同じ被験者として一緒にいて皆で映画「インディジョーンズ」を見た記憶が残っている。楽なバイトだが人体実験なので報酬がよかった。10万円近くあったかも知れない。

その口座の残金は9,025円だそうだ。入金されてすぐ京都で引き下ろしたのだと思う。なぜ数千円を残していたのかは不明。これで三菱銀行の埋蔵金は発掘。手元の通帳を確認すると百十四銀行に23,665円。三井住友銀行に242円。みずほ銀行に32,492円の埋蔵金がまだ眠っている。

消防新人研修 (9月26日・日)


この土日は北島町にある徳島県消防学校での消防団員新人研修に行ってきた。上勝にいくつかある消防分団のうち3分団から6人が参加。全体では徳島市など6つの消防団から36名。上勝の1人は1日だけで帰り2日目の内容は後日受講するらしく残り5人で2日間の行動を共にした。

土曜9時集合。午前は敬礼や回れ右や整列の仕方など礼式の実技。午後は火災防御の講話。それと応急手当としての胸部圧迫とAED使用実技。17時前に終わって12名が宿泊。9月22日に修了した消防士養成のための寮が空いておりそこに泊まるのだが上勝組5人が1部屋。

1部屋が6つに区切られておりベッドとデスクとロッカー。新しい施設でとても快適。早速皆で風呂に入り寮で夕食を取り小松島から1人だけ泊まっていた人を誘い6人で隣にある巨大スーパー・フジグラン内の居酒屋へ。飲み足りず近所の別の居酒屋にも。門限は22時だが帰還したのは23時。

日曜は6時半起床で9時集合。グランドに出てホース延長などの実技。午後は2人1組でホース延長から放水までの訓練。ホースを担いだり伝令で走ったりしてみんな汗だく。終わって駅前でラーメンを食べていたら上勝インターン生と偶然会って「響」練習後に彼を送った充実の2日間。

三菱銀行の口座 (9月24日・金)


私の会社の銀行口座は三菱東京UFJ銀行駒沢大学駅前支店にある。かの支店では通帳の繰り越しはATM機でできた。ところが徳島支店では窓口でしかできない。銀行振込などのために月に2回は支店に行くが「響」の練習前ついでの夕方だったりして15時までに行く機会はほとんどない。

それではいつまで経っても繰り越しができず業務上の支障を来す。仕方がないので振込3件のついでに今日徳島支店に行った。もう一つ学生時代の1987年に作った旧・三菱銀行の古い口座確認を依頼した。卒業前にやった人体実験のバイトの振込口座だ。新大阪支店である。

実はこの口座確認は昨年10月にも徳島支店で依頼した。結果報告に2〜3ヶ月かかる可能性があり新大阪支店から電話するとのことだったが11ヶ月経って電話はなかった。窓口でそのことも伝えた。一通り「申し訳ございません」と言うが銀行の言うことなど信用できるわけがない。

ところが夕方に徳島支店から電話が来た。2〜3ヶ月かかると言った1年前の説明は何だったのか。手続きは今日電話をくれた人が代行してくれるようだが逆に言えば組織として何ら対応ができないということである。今日の担当は努力をしてくれたようだが銀行のいい加減さを垣間見た。

巨大な何か (9月23日・木)


ここ数日だけなのだが寝ようとすると変なイメージが浮かんで来る。私は何かにしがみついている。それは地中からニョキニョキと天空に向かっている。質感は杉の幹なのだが直径が数十メートルなのか数百メートルなのか数キロメートルを超えているのか分からない。巨大な何か。

子供の頃。多分幼稚園かせいぜい小学校低学年までだったと思うのだが別の巨大な存在を意識していた。それはトイレの和式トイレの右上にあった。鳴門の実家のトイレは小便器の奥に扉を挟んで和式トイレがあった。その扉の上。和式トイレにしゃがむと右上に位置するところ。

球形なのだが扉の上にあるなら物理的に直径50cmがやっとのはずなのに私の意識の中では直径が数メートルか。そのものを詳細にイメージしようとすると全く大きさが分からない。数キロメートルの巨大な球がトイレの右上に存在する。私が感じていたのはそんなイメージ。

当時も今もそこに霊的なものは感じない。意味を求めたいのだが私には分からない。子供の頃の巨大な球には私は追われていたのか取り込まれていたのか。何となく杉の幹にしがみついている今の私と共通するような気もしつつ覚えていない。私の意識が作り出した何か。

ファイナル・カット (9月22日・水)


英国のプログレッシブ・ロックバンド「ピンクフロイド」が1983年に発表したアルバム「the final cut」は1980年発表の「The Wall」プロジェクトの最終章だと言われている。リーダーだったロジャー・ウォータースの父親の戦争体験に基づいた政治的だが極めて感傷的な楽曲。

ロジャー・ウォータースの個人的な思いが強すぎる歌詞だしこのアルバムを最後にウォータースが脱退するから評価に賛否両論がある。でも私はピンクフロイドの音楽としてこのアルバムが好きだ。学生時代によく聴いた。特に気分が落ち込んでいるとき。諦め。怒り。悲しみ。死。

2ヶ月ほど前だったか聴こうと思ってラックを探したらCDがなかった。LPをカセットにダビングして聴いていたのだ。でもJ社時代に音楽は専ら車のCDで聴いていたから22年間聴いていなかったのかも知れない。慌ててCDを買った。そして昨夜遅く車の中で聴いた。今もヘッドホンで聴いている。

高速道路。ラジオ。柱時計。酒場で皆が笑っている。爆発。鳴いている犬。叫び声。拍手。子供たちの声。胸の奥底に感じる最後の傷の痛み。私はこのアルバムに没入すれば涙も流せる。それはこの音楽だからだろうか。この音楽を聴くときの精神状態からだろうか。

HTP氏 (9月21日・火)


上勝のネット環境が不安定だと阿波踊りUSTのときにツイートしたら衛星通信はどうかと提案をしてくれた人がいた。少し気になり調べてみたら下り2Mbps/上り1Mbpsで4,500円/月程度。安くはないが非常時の備えとしては悪くない。それより私が気になったのはこれを教えてくれた人だ。

苗字に記憶があった。ツイッターで話をしているYちゃんにその後聞いたら住所地も私が知っている人と同一。で突然だが今日衛星通信に関する説明をするために上勝に来てくれた。関係しそうな方にも声を掛け2時間弱。運用上の問題になりそうな点などはだいたい分かった。

その人はアマチュア無線のコールサインでJA5HTPと言う。私が中高時代に鳴門から無線をやっていた頃に徳島でDX(海外)通信を盛んにされていた。HF(短波)帯の電波ならDXは簡単だが50MHzというFMラジオ波に近いVHF(超短波)帯で通信されていて私はよくウォッチ(傍受)していた。

一度マイクを落として自作のPTT固定装置が作動し通信の邪魔をしてしまって恐縮したことがある。私が3m×6mほどの6エレ八木アンテナを屋上に上げていたとき彼は8エレだか10エレの巨大なアンテナを使っていて見に行ったこともある。そんな思い出のHTP氏と初対面だった今日。

テニスとラーメン (9月20日・月)


日曜日は15:30に地元のT氏が迎えに来てくれて町内のテニスコートへ。高校テニス部だった妻が地元のテニス経験者らと遊ぼうと言い出したのがきっかけ。T氏夫妻とF氏の家族とKさんとうちの夫婦が参加。69歳のM氏も。私を含めて4人が初心者。後半はダブルスのゲーム形式。

私がテニスをやったのは2000年5月のタイのプーケットで妻と一緒にやって以来。フォームを意識してやってみたら意外に真っ当に返せた。こういうのをビギナーズラックと呼ぶんだろうけど。終わってF氏の家族とT氏ご夫妻とM氏と私たちと温泉に入り月ヶ谷温泉で打ち上げ。楽しかった。

月曜日は遅くに起きて夕方になってからラーメンを食べに。土曜日に飲んだ人たちに教えられた阿南の「豚太郎」。いつも前を通っていたし昔もよく聞いたお店だが入ったのは初めて。そう言えば県南に遊びに行った帰り寄ろうとして満席で別の店に行った。K野氏の先導だった。20年ぐらい前か。

方々から紹介される阿南の「ゆうちゃんラーメン」の場所を帰りに確認した。さらに妻が某サイトで見つけていた勝浦のラーメン店の看板を偶然見つけて探しに行った。呑口とも三渓とも違う。今日はお休みだったが改めて行ってみなければ。

飲み会2件 (9月18日・土)


金曜はツイッターで繋がった初対面の2人を含む3人に我が事務所に飲みに来てもらった。初対面の2人は上勝の隣にある勝浦町の方。58歳と38歳だと。ツイッターでときどき会話はしていたが本名も勤務先も聞いたのは初めて。1人は「響」のある仲間と同じ勤務先でびっくり。

旧知の方が母上のお迎えで22:30に帰り4人で気がつけば25時。話題は上勝のことや勝浦のことや古事記のことなど。500mLの発泡酒を私は何本飲んだだろう。解散後も妻と飲んでまだ起きているツイッターユーザーに絡んでみたり。大いに飲んで話をした楽しい夜だった。

土曜は遅くに起きて夕方からJ社時代の後輩N君が広島の福山から。彼とは2週間前にも上勝で会ったし彼が上勝に来たのはこれで4度目ぐらいか。でも昨日飲み過ぎた私はノンアルコールビールから発泡酒に代えてチビチビと。

繁華街の駐車場 (9月17日・金)


火曜日に徳島市に飲みに行ったとき時間があったので街中を少し散歩した。仲之町から両国橋そして東新町と籠屋町。東新町と籠屋町は過去に唯一の百貨店「丸新デパート」やダイエーそして映画館が5軒ほどあった徳島最大のアーケード街。高校生のデートコースでもあったが。

今は空き店舗も目立つ。そしてJ社が沖浜に自社ビルを建てる前に入居していたのがワシントンホテル横の三木ビル。私は87年の夏休みにユーザーサービス部門でアルバイトをしてその部門だけが籠屋町の裏通りにあった。出向いてみたのだがよく覚えていなかった。

今回は収穫は籠屋町の裏通りに19時以降1,000円均一の駐車場を見つけたこと。夜間は100円/20分だったりする料金は1,000円が上限ということだと思う。いつも紺屋町地下に入れて高い料金を支払っていた私が無知だった。と深夜にツイッターに書いたらいろんな情報が寄せられた。

代行で帰るならあらかじめ預けておく方法があるとか夜間800円のところがあるとか。あるいは地図付きでここなら600円という情報まで。駐車場も過当競争らしい。何気なくツイートしたことに寄せられた有用な情報に感謝。次に行ったとき紺屋町地下に駐めることはなくなったと思う。

財布とキーケース (9月16日・木)


妻が何かでもらったカタログギフトが2つあって私の財布とキーケースをもらった。財布はカードの収納場所などが今までと若干違うからまだ使い慣れない。前の財布は機能には満足していたけど表面の革がボロボロで支払いのときにはちょっと恥ずかしかったから新しくなって助かった。

今まで使っていた財布もその前の財布がボロになったため妻の提案で買い換えたのだと思う。多分10年ぐらい前。と思って検索したら2002年5月16日の日記に書いている。妻に聞いたら渋谷の革製品店で買ったそうだ。前回も今回も妻にプレゼントされたことになる。

今まで使っていたキーケースはもっと古く1998年か1999年だと思う。革の加工をやっていた神山の北島クラフトの常務さんと知り合って鴨島工場で売っていたものを買った。ところがキーを掛ける金具が何個か外れてしまい最後はケース部分が外れキーを付けた革が1枚だけになってしまった。

新しいキーケースはちょっと幅広でまだ厚みがある。でもキーケースは少し大きめがいいと思っている。常にその存在を意識するぐらいでないとどこかで落として気づかないようなことがあるといけない。財布とキーケースが新しくなり少し気持ちが新しくなった感覚。

スダチ (9月15日・水)


今年も近所の農家さんの畑でスダチを取らせてもらっている。スダチは徳島で極めて一般的な柑橘。汁を搾って刺身や焼き魚に掛ける。今年も東京の仕事関係の方たちに送り一部は販売。販売する分は昨年送った方の縁で注文が来て今年で2度目。3箇所に10kgと100kgと50kgを送る。

先週金曜に1度目の収穫。コンテナ3個に8割ほど入れたから合計約60kgぐらい。日曜の夜に空き段ボールを取り出して片っ端から流し込んで。上勝のスダチは玉のまま販売するのではなく工場で搾汁するので見た目を気にする必要がない。だから消毒をほとんどしていない。

つまりきれいな玉ばかりではない。でも絞れば一緒。なのでタダで送る分は構わず箱に流し込み販売分だけは少し選り分けた。販売分10kg。仕事先に約15kg。さらに2〜3kgを8個。合わせて10箱。月曜の11時頃に郵便局に持ち込んで発送終了。この運搬の力仕事もなかなか大変。

今週の収穫は月曜の午後から3時間ほどと火曜の14時過ぎから3時間強。2日でコンテナ6箱。これを火曜の深夜と水曜に選別して50kgずつ2箇所に発送。ともに段ボール4箱ずつ。コンビニでもらってきた爽健美茶1L×12本が入っていた空き段ボールで約12kg。やれやれ来週も作業が続く。

BARATEI (9月13日・月)


徳島の繁華街である秋田町のメイン通りから1本西の通りにあるバー「BARATEI」には最盛期は週に1回ぐらいの頻度で飲みに行っていたと思う。レンガの内外装で店内は薄暗い。入口正面に10席強ほどのカウンタと入口の左に回り込んで4人掛けテーブル席が2つ。

1997年9月に東京から仕事で来たPR代理店の女性と初めて会って双方の仕事仲間4人で行ったこともある。その女性が今の妻。J社の営業体制を作り上げた御大B氏が退職するときも後にマイクロソフト専務になるM氏とJ社専務秘書だったT氏の4人で行ったことをよく覚えている。

米国生まれのパトリシア前田さんらと行ってテキーラや米国流の飲み方を教えてもらったこともある。接待の場に初めて連れて行った女性に対して取材に来ていた編集者がセクハラを働いたのもBARATEIだった。その編集者には翌日の取材を断り東京に帰ってもらうことになった。

仕事の接待で何度行っただろう。94年頃から接待は南昭和町の鮨店「旬」から秋田町に出てBARATEIに行くパターンが多かった。当時の社長や常務らと飲みに行ったときも2軒目はBARATEIだった。行くと社員がいるからプライベートでは逆に避けた時期もあったが。また活気が戻ることだろう。

ツイッター懇親会とBARATEI (9月12日・日)


先週木曜は四国コンクール後初めての「響」の練習。この秋はコンクール全国大会のほか病院での慰問演奏と中学校での演奏会がある。そこで練習は愛唱歌の復讐。よく歌うが音が曖昧になっていた「斎太郎節」。「赤とんぼ」や中島みゆき「時代」は歌詞も忘れてる。

金曜午後はスダチの収穫。ご近所の方の畑でとらせてもらった約50kg。これは東京の仕事先と友人らに送るつもり。夜は徳島のツイッター仲間が開催していたビジネスツイッターセミナー。終わって駅前の居酒屋「ろく」で懇親会。20人ぐらいいて初めて話をした人が8人。

2次会のバーを出たのが午前2時頃。この日は車を駅近くの友人の実家に駐めさせてもらっていたから帰りは代行。 せっかく上勝から出てきたからとそこから妻と2人で秋田町に歩いていっていつものロングバー。しばらくしてからマスターの松浦さんが戻ってきたから話をしていたら。

松浦さんは12年ほど前にロングバーを開業するまでバーBARATEIで勤めていた。その後BARATEIはマスターが亡くなり前に行ったら少し寂しくなっていた。そしたらこの7月に何と松浦さんがBARATEIのオーナーになったのだとか。前のママさんもいる。次はBARATEIに行こうと思う。

『ツイッターノミクス』 (9月8日・水)


ツイッターの日本におけるエバンジェリストとも言える津田大介氏が監修し発刊前からツイートしていたから3月に予約して買ったのに今ようやく読み終えた。タラ・ハント(村井章子訳)『ツイッターノミクス』(文藝春秋社)。「ウッフィー」が本書のキーワードである。

ウッフィーとは他人からの好感と言えばいいか。現実社会のビジネスや力関係は政治力や経済力がモノを言うがネット社会ではウッフィーで決まるというのが本書の主張。人を喜ばせたり助けたりすればウッフィーは増える。ギフトを贈ればお金は減るがウッフィーは増える。

本書はツイッターに特化して論じられたものではない。フェイスブックなどSNSやブログや掲示板についても同様だと言いこれらのネットサービスについての解説もある。ウッフィーを増やして成功した米国企業の実例や失敗例も詳しく企業の新しいマーケティング手法として紹介されている。

ツイッターの創業者であるCEOはツイッターのユーザー数を明らかにしていないらしい。これはツイッターでは数や量に価値を求めていないことの表明である。市場経済からギフト経済へ。大声で喚く広告から信頼をベースにしたソーシャルメディアへ。企業だけでなく個人も大いに参考になる。

新しい公共とマスコミの世論操作 (9月7日・火)


今日あった政府の「新しい公共」円卓会議のダダ漏れ中継をツイッターで読んでいたらローソンの社長が「学生が企業で戦うことを避けてNPOに逃げている」という発言があって物議を醸している。NPOを「新しい公共」の主体にしようという会議でいくら何でもその物言いは拙いだろう。

でも首相が替わって3ヶ月も放置されていた委員のイライラが背景にあるような気もする。会議の冒頭では各省庁からの予算要求の概算報告もあった。小さな政府のための「新しい公共」が予算の新しい草刈り場か。委員の失笑が聞こえてきそうだった。

首相が替わって方針転換。仕方のないことかも知れない。そしてまた民主党は代表選挙。でもだからといって3ヶ月で首相を代えるべきではないとは思わない。特にマスコミの姑息な情報操作を見るにつけいっそ首相は代わった方がいいとさえ思う。

例えば朝日新聞の世論調査は「政治資金問題で幹事長を辞任したことを紹介したうえで尋ねた」と明記しているがそれで得た支持率に意味があるのか。こうした情報操作は記者会見をクラブ以外に開放したことへの反発だと推測。そんな私怨で世論を作るマスコミのあざとさを私は嗤う。

防災訓練と打ち上げ (9月5日・日)


今日は防災訓練。消防団員は朝8時集合。ほどなく班分けされ私は地元のK氏と同じ住宅に住むN氏と3人で歩き始めた。1軒1軒を訪ね安否確認を行うのだ。K氏は地元の人だから名簿を元に道順を考え先導して歩いてくれる。30戸。団員の家は飛ばしたから実質25戸程度か。

12時に31.8度あったらしい快晴の上勝町。消防団の活動服は長袖で基本的に冬用。靴は配布されたゴム製の安全靴。山道だから木陰もあるがとにかく暑い。玄関口で声かけしながら訪問したが何軒か留守宅があったり。お茶や飲み物をいただいて生き返ったり。

初めて通る道もあった。駐車場から急坂を5分ほど歩いて登る家があったりあの人の家はここだったのかという発見があったり楽しいと言えば楽しい。2時間ぐらい歩いて詰め所に戻ってポンプ積載車に乗って河原に行って放水訓練。終わって料理屋に場所を移し総会と懇親会。

夕方帰って仮眠1時間。今度は妻に送ってもらって徳島へ。徳島男声合唱団「響」の四国コンクールの打ち上げ。約20人が出席。今回を最後にしばらく休団するという写真家のM氏が言うには演奏中に客席で泣いている人が何人もいたらしい。改めて感動し気持ちを新たにしたところ。

『裁判官はなぜ誤るのか』 (9月4日・土)


今年は特に冤罪事件が露見しているように思う。無期懲役の判決を受け17年も拘束された後に再審で無罪となり釈放された管家さん。大阪地検特捜部に摘発され裁判が進行中だが無罪判決が出ると思われている厚生労働省の元局長・村木厚子さん。

そこで読んだのがこの本。秋山賢三『裁判官はなぜ誤るのか』(岩波新書)。著者は元裁判官の弁護士。1953年の徳島ラジオ商殺し事件の第5次再審請求を受けて1980年に始まった再審を担当した裁判官でもある。私は当時高校生。徳島のニュースは毎日これがトップだった。

本書では再審請求の審理を担当する過程で過去の裁判記録や再審審理を精読して検察があらゆる手段を講じて再審を妨害した手口が書かれている。理屈にさえなっていない滅茶苦茶さ。怖い社会だと思う。だが本書のキモはむしろ検察が起訴したら99%を有罪にする裁判官のこと。

裁判官は1人が300件の裁判を抱え判決は自宅で書くほど多忙と。転勤族であり希望任地に行くには勤務評価を上げないとならずそのために迅速な裁判処理が求められ審理が形骸化していると。裁判官を信じてはいけない。裁判制度は日本のシステムの重大な瑕疵だとさえ思えてくる。

ツイッターとGoogle Earth (9月3日・金)


夕方から妻と徳島へ。みずほと三菱東京UFJで記帳。夕食を文化センター前で食べて今日は青少年センターでのツイッタービジネスセミナー。先週に続いて話をした人と新しく知り合った人3人。

帰宅して妻がGoogle Earthを見ていたので私も見始めた。上勝の山は縮尺が小さいから面白くないが東京は人まで見えるからはまってしまう。最後に住んでいた上馬5丁目や最初に住んだ南烏山5丁目ほか世田谷区の縁のあったところを見て回った。

さて昨日だったか役場からメールをもらった。提案していたことの修正情報。さてどうしたものか。今日は夕食前に某氏から電話があって長話。これもまたどうしたものか。深く考えず流れに任せるか。

中耳炎か (9月1日・水)


約8,000字の原稿をとりあえず送って夕方から消防点検。でもダイビング以来声が籠もるのは直らず鼻もつまり気味で点検だけして撤退。火曜もバスケを休んだ。中耳炎は放置していれば治るかどうか実験中のような趣。


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© 2010 Takashi INAGAKI