名前の字 (2000年1月15日)

 何年か前、子供に悪魔と名付けた親が話題になった。 役所ともめにもめた末、別の名前にしたそうだ。 もっと以前、今太閤全盛の折、確か大阪方面の田中さんは産まれた子供に角栄と名前を付けた。 後に、その名前は悪人として連日報道され、小学生になった角栄君は虐められ改名を申請して 認められたとニュースになった。かように名前は人生を左右する。

 私の名前にニュースはない。人生を左右されたとの認識もない。 が、子供の頃は不幸だった。

 稲垣隆。まず画数が多い。テストの度に名前を書くだけで時間を損している気分だ。 バランスが悪く、習字でも鉛筆でも格好良く書けた試しがない。 もっとも、どんな字を書いても悪筆なのは当時も今も変わらない。 そして、秀樹という名前に憧れた。多分、理由は、当時好きだっためぐみちゃんが西城秀樹の ファンだったからだと思う。めぐみちゃんが好きな秀樹でなく、私は隆であることが悲しかった。

 隆の字は、両親によると本当は喬と書かせたかったそうだ。 かつて母の実家に下宿し(※)後に徳島大学の学長だか学部長になった 添田喬教授にあやかろうとしたらしい。ところが、役所は、喬を「たかし」の読みでは認めなかった。 仕方なく隆になった。隆々と伸びるように、と由来を語った両親だが、次善の策では説得力がない。 私の名前は、人生の最初からつまずいているのだ。小学校4年生の宿題で両親にインタビューして 知った事実である。

 私には6つ違いの弟がいる。彼、浩二が生まれたとき、近所のおじさんが母に次男の名前を 尋ねた。おじさんは、鶴田浩二の浩二ですかと訊き、母は、いえ石坂浩二の浩二です、 と答えたそうだ。どちらも同じ浩二。母は後から、年代の差が出たのよ、 と何度もこの話を持ち出しては笑っていた。

 浩二が名前を説明するときは、鶴田浩二でも石坂浩二でも十分大物だから、どちらでもよい。 稲垣を電話で説明するときは、稲穂の稲に石垣の垣、と言えば大抵は通じる。 ときどき試してみるのが、稲垣潤一。あまり年配の人には使わない。若すぎる人にも使わない。 20歳代と思しき人には、稲垣吾郎。

 問題は、隆だ。松田聖子全盛時代、一度、松本隆と言ったら通じたがそれっきり使わなくなった。 今だと、ダウンタウンの松本って「たかし」でしたっけ、などと言われたら話を戻すのが面倒だ。 仕方がないので、法隆寺なんかを持ち出したり、こざとへんなどと言ってみるが、 通じないときは通じない。

 分かりにくいのは隆か喬か。今さら言っても仕方がないが、最初のつまずきが尾を引いて いるとも思えてくる。秀樹がよかったとは今は思わないが、大物の隆を待望したい心境になる。
 そうは言いつつ与えられた名前。名前に人生は左右されていない、 という認識こそが大事なのかも、と思うようにはしているのだが。

※2001年2月25日、添田喬様よりメールをいただきました。 改めて母に確認したところ、私の名前が添田喬様に由来するのは事実ですが、 母の実家に下宿していたのは、添田喬様の弟様と分かりました。 ここに訂正して、添田様はじめ関係各位にお詫びいたします。

 

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© 1999 Takashi INAGAKI