表現欲求 (2000年1月8日)

 1988年から10年間、私は、ジャストシステム社長の浮川さんの近くで仕事をしてきた。ジャストシステムは今、経営的には厳しいが、浮川さんのベースにある考え方が私は好きだ。常に、ことの本質を探ろうとする姿勢は尊敬もしている。数々の語録が思い浮かぶが、その一つに、こういう内容のことを言っていたのを覚えている。・・・人間の根本には表現したい欲求があるのではないか・・・。

 かつて、浮川さんが秋葉原で一太郎講習をしていた頃、受講するのは老人ばかりだったという話から発展した。彼ら受講生は、社会で生きてきて様々な経験をした、そのことを、ワープロを使って人生の後輩に伝えたいと思っていたのではないか、というのである。経験はインプットされたが、その経験をアウトプットする手段をワープロに見い出したのだ、という説である。

 私がこの話を聞いたのは、もう6年も7年も前だと思う。その間、ワープロはPCの主たる用途からは転落し、時代はインターネットだ。最近は私の周辺でも、PCやメールを毛嫌いしていた親友たちがWebサイトを作ったりメールアドレスを取得し始めた。歯科医にして男声合唱団「響」の指揮者、白神直之もその一人である。

 彼は自分のWeb日記で、なぜ自分が日記を書き続けているかを書いている。曰く、誰かに自分のことを知って欲しいからだそうだ。多分そうなんだろう。
 私がこのWebに日記を書いているのも同じだと思う。たまにメールで感想が来たり、会ったとき話をされると気恥ずかしくもあるが正直にうれしい。

 浮川さんの講習にかつて来た人たちも部下を相手に自説を滔々と語ったこともあるだろう。老人だから今までインプットされた経験をアウトプットしようとした、という説には無理があるような気もする。老人であろうが若い世代であろうが、自分を知ってもらうためにワープロなりインターネットを利用している、と考えた方が分かりやすいように思う。

 そう言えば、浮川さんに関して心外なことが一つある。それは、私の文章は浮川さんが教えた、と少なくとも初子専務が思っていることだ。おかげで、ジャストシステムでは、社長の代筆は山ほどしたし、私の文章にケチを付ける社員は皆無だった。確かに浮川さんの好みは学習したが、文章が鍛えられたのは別のところでだ。悪友、西野浩史との文通である。

 端的に言えば、私と西野は、学生時代、毎回便せん10枚以上の手紙を週に1回のペースでやり取りしていた。ワープロなど高価で買えない時代だ。大枚1万円で買った万年筆が活躍した。あの文通とは何かと言えば、結局のところ、たった一人を相手に自分を知ってもらおうとした努力だったと言える。お互い、相当に青い議論を闘わせた。

 万年筆からワープロ、Webサイトへと移り変わって、相手はそれぞれだろうけれど、自分を語りたがっているという本質には変わりがない。今、西野や白神と、万年筆の代わりにメールをやり取りしながら、そう思う。

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© 1999; Takashi INAGAKI