葬儀における喪主挨拶概要 

(2005年2月12日/鳴門・桶幸アーバンホール、2007年2月9日更新)


本日は、お忙しい中、父・稲垣貢(みつぎ)の告別式にご参列いただき、まことにありがとうございました。

父は、農家の7人兄弟の次男として生まれ、現在の鳴門第一高校、旧制・撫養中学を卒業し、阿波銀行で定年まで勤めました。若い頃は、野球、ラグビー、柔道などに親しんだスポーツマンであったようです。

そのスポーツのせいなのか、若い頃から首の骨に痛みがあったようで随分と苦しんでいました。10年前には脳腫瘍の手術を行い、2度目の手術をしてからは、歩くことも自由にならなくなり、最後の2年ほどは寝たきりになっていました。

生きていれば明日13日で70歳になるところでした。このたび死を迎えたことは悲しいことですが、ずっと抱え続けた痛みから解放されて、これでやっと楽になったのだと思います。

昨夜、通夜の席で叔父に聞いたところ、父は兄弟の中で最も勉強していたと言います。だからなのか、父は、私と、ここにいる弟に向けて常に勉強するように言い、父と息子という関係もあって、私たち息子2人は父に強く反発し、私は父と全く話をしないことが何年もありました。

それでも、会社に入りサラリーマンとしての父の苦労も分かるようになり、特に病気になってからは、普通に話をするようにもなりました。弟は、父が当時、行ったことがなかった東京に連れて行きましたし、私は香港に連れて行ったりもしました。

その私たち兄弟とも、今は東京に住んでいます。鳴門の実家は母一人になりました。父は亡くなりましたが、できれば、これまでと同様、残された母とお付き合いいただきたいと考えています。どうぞ、よろしくお願いいたします。本日は、皆さん、どうもありがとうございました。

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© 2007 Takashi INAGAKI