[色者(しきしゃ)のぼやき] 第40回
「全日合唱連盟四国支部50周年記念事業 全四国合唱フェスティバル」
日時:2010年12月5日(日)
まだコンクール全国大会から2週間しか経たない日曜日、四国で合唱活動をしている団体として、四国支部の創立50周年を祝うべく、高知市での全四国合唱フェ スティバルに参加した。
場所:高知市文化プラザかるぽーと 大ホール
これまで、全四国男声フェスや全四国おかあさんフェス、また合唱団同士でのジョイントコンサートなどは行われていたが、こうして一般の合唱団が一同に介するのは初めてのことである。各県より3もしくは4団体ずつ集まり、各合唱団単 独演奏と、男声合唱・女声合唱・混声合唱の合同演奏と、本当に盛りだくさんの企画であった。
響のリハーサル後、男声合同合唱の練習へ・・・若輩ながら自分が男声合同の指揮をすることになっていたのだが、曲が「斉太郎節」なので“まあ、そんなに心配ないかぁ〜♪”と思っていたら、混声合唱団所属の男性のみなさんもたくさんおいでて、真剣に練習をしなければいけないハメに。しかしそこは、四国を代表する合唱団の方々!というか、民謡!というか、やはり男声合唱!というか・・・テンポよく、気合いのこもったいい練習ができたように思う。
演奏会本番は、出演者も客席に座り、自分の順番が来たら客席から舞台へ上がっていく・・・というスタイルである。他の県では合唱祭などで採用されているシステムのようだが、徳島ではそういう経験はなく、ちょっと戸惑った。すべての 団体を聞けるのはスゴクいいのだが、演奏前にコンディションを整えるすべがなく、乾燥したホールで長時間座っていたために、口が乾燥したまま歌い始めるということになってしまった。他の団体は水や飴などを携帯して、口の渇きを防い でいたようだった。
最初の、混声合唱団パンジェ(高知)の“JAZZ MASS”は素晴らしかった。こんなおしゃれな合唱ができるのが、本当に羨ましかった。ピアノ・ドラム・ベースの醸し出す音色に、合唱がきちんとフィットしている・・・ただ、ライヴで見ている と、合唱団メンバーの“ノリかた”が少しずつちがう。リズム感、スウィング感っていうのは、教えるんじゃなく、その人がもともと持っているものだから、それをそろえるのは難しいだろうなぁ〜と、つくづく感じた。
全体的には、おかあさんコーラスのパワーが圧倒的だった!“なんでこんなに、おかあさんはみんな、元気いっぱいなんだろう!?”と思うぐらい。決して指揮者に歌わされている風でなく、ひとりひとりが自分の思いをのせて、精一杯歌っているかんじが、強く伝わってきた。
男声合唱は、グリークラブ香川が「ジブリ編曲集」、ターキーズクラブ(高知)が「懐かしの(?)アニソンメドレー」と、今回は演奏会の盛り上げに一役かった形だ。しかし、ジブリはどの曲もとても安定していて、会場を魅了していたように思う。アニソンも、ターキーズオリジナルの編曲のようで、とても馴染みやすくエンターテインメント性にも優れた、いいステージだった。
徳島からは「響」の他に、「徳島北混声合唱団」と「メープルエコー川島」が参加。メープルエコー川島は声がすごくいい!というか本当によくなったと思う。声がいいので、曲を存分に表現できていた。「指導者のおかげです」とメンバーは言っていたが、やはりある程度の年齢をこえられた方の発声を劇的によくする!というのは、素晴らしい技術と熱意が指導者にあるのだろうと思う。徳島北混声合唱団は、徳島北高校OBからなる若い合唱団。トライトーンが作った徳島県合唱連盟オフィシャルソング「僕らのハーモニー」と「歌声に包まれたなら」を演奏。若い人たちの歌声は、希望と喜びに満ちあふれていて、自分が20歳代ぐらいの時を思い出させる。技術という点ではまだこれからだが、このような大きな舞台をふんで、成長していってもらいたい♪・・・と、願いながら聞いていた。
響は、「たいしめ」「赤とんぼ」「あの日たち」の3曲を演奏。最初の2曲は歌い慣れてはいるものの、それゆえ雑になりがち・・・そうならないようにあわてず、気持ちを入れて演奏することを心がけた。「あの日たち」は、響としては初めての挑戦する北川昇作品である。若くしてこの世を去った立原道造の詩に、同じく若い感性で心にまっすぐ響く旋律を付した北川先生のこの作品は、歌っていて本当に魂をゆさぶられる思いである。まだまだステージで演奏するには未熟であっ たが、現時点での精一杯の、響らしい演奏はできたのではないかと思う。
男声合同合唱の「斎太郎節」は、まさに四国の男たちの魂の叫び!・・・のような演奏ができたのではないか。やはり民謡は、気合いとかけ声の大きさにつきる!いい声が出ていた。大トリは、全日本合唱連盟理事長の浅井敬壱先生の指揮による「大地さんしょう」。「土に感謝する思いを、平和を願う気持ちを、歌にのせて演奏してください。」と、指揮者から指示があった。今までは声高らかに歌っていたこの曲、今回は指揮者の指示通りに歌ってみると、思わず胸がつまってしまい、あらためてこの曲のもつエネルギーに圧倒されてしまった。
自分が関西で本格的に始めようと、合唱団京都エコーの門をたたいたのがもう25年ほど前になる。やはり自分はこの人の音楽にあこがれていたんだなぁ〜ということを、今日あらためて感じた・・・喜びと感謝のひとときだった。
交流会は、時の過ぎるのも忘れて、新しい仲間との出会いや、顔なじみとの楽しい会話に終始した。予算の都合(?)で、アルコールなしの交流会・・・初めての経験だったが、こんなに盛り上がるとは思いもしなかった。「またこのフェステ ィバル、続けていきたいですね。」そんなことを四国支部理事長の榎並先生がおっしゃっていたが、なかなか準備する県は大変なんじゃないかと思う。その大変さを乗り越えてでも、続ける価値はあるのかも知れないが。。。
これでやっと「響」の大きな舞台は終了。とくに何をどうしてどうなった・・・と、人さまに説明できるものでもないが、人との出会いと別れが自分の歌の中に浸透された今年の演奏だったように思う。来年もしっかり前を向いてがんばっていこう。
−2010年12月17日更新− |