[色者(しきしゃ)のぼやき] 第39回
「第63回 全日本コンクール全国大会」
日時:2010年11月21日(日)
11月20日(土)、午前中で仕事を切り上げて、コンクール開催地である兵庫県西宮市へと向かう・・・仰々しい書き方だが、徳島からは車で90分ほどで着く。ホテルに荷物を置き、そのまま三ノ宮での代表者会議へ。まわりは見慣れた関西の役員さんたちばかりで、いつまでたっても全国大会に来た!という雰囲気になれない、かといって地元というわけでもない・・・妙な雰囲気のまま時間が流れる。
場所:兵庫県立芸術文化センター KOBELCO 大ホール(兵庫県西宮市)
その後同じ四国代表の「歌姫」の演奏を聴くため、コンクール会場の兵庫県立芸術文化センターへ。4階席まである巨大な空間であるが、周りは木製の壁に覆われ、深みと暖かさを兼ね備えた素晴らしいホール。そんな中、「歌姫」の演奏はとても素晴らしいものであった。彼女たちの合唱には魂が込められている・・・綺麗に歌う、上手に歌う、そんなことはどうでもいい!と言わんばかりの、方向性の定まった超熱演!同じ四国の人間としてとても誇らしい瞬間だった。あしたの自分に、とても大きな勇気とエネルギーをもらった。
一夜明けて、今度は「響」の出番。3年ぶりに出場する全国大会。この3年のうちに新しく入ったメンバーもたくさんいる。前日の過ごし方など注意してあったつもりでいたが、案の定ハシャギすぎた?メンバーも若干いたようだ。もちろん 当日西宮入りするメンバーもたくさんいた。よって午前中の練習は、とにかく目を覚ます、歌う準備をするための練習だったように思う。もっとテンション上げてガンガン歌いたかった気もするが、いつもと変わらずバカなことばっかり言い合っていた練習・・・かえってよかったのかも知れない。
午後からは、集合受付時間までの間、何団体か演奏をきいた。Bグループならではの迫力は当然あり、なおかつ緻密で精度の高い演奏を目の当たりにし、本当に自分たちもこんな舞台にこれから立つのか?・・・と疑うぐらいだった。しかし、勝負事とはいえ、なんとなく自分たちの目指していることとは方向性がちがうような気にもなった。妙な違和感を感じながら集合場所へと向かった。ひょっとするとこのコンクール会場で、自分たちの演奏をとてつもなく浮いてしまうのでは ないかという不安もつきまとった。
少し早めに受付に向かうと、さきに演奏予定の「お江戸コラリアーず」の大集団が待機していた。東京とはいえ、知り合いもいるので、顔を見つけて数人となごやかに談笑。「響」と同じ課題曲と自由曲、それでいて両団体とも全国大会にコマを進めるというのは、考えてみればとても奇跡的なことなのかも知れない。はなれていても、この曲を歌うんだ!という気持ちが同じであったことにひそかな喜びを感じている。
全国大会は、リハーサルが2回もある。どちらも15分前後、つまり30分も声だしをすることに・・・あまりここでがんばりすぎると本番に影響が出る、というのは経験済み。ちょっと物足りないかなぁ〜と感じつつも、「本番ではガツンとお願いします」と指示して本番へ。この指示がちょっと失敗の原因になったかも知れない。
さて、いよいよ本番の舞台へ。3年前の東京大会でもそうだったが、ここ関西でも入場時にあたたかい拍手で迎えてもらった。出場した人たちはわかると思うが、この拍手は、舞台上の人間の緊張をほぐしとてもリラックスした気分にさせてく れるものである。この拍手に感謝の気持ちで、自分たちにできることを精一杯伝えよう・・・そんな気持ちで演奏を始めたように思う。
課題曲の出だしは、ビビらずに出たのはよかったの。しかしリハーサルでおさえすぎたせいか、本番では爆発!ならぬ暴発?(おそらくその間ぐらい)していたメンバーもチラホラいたように思った。会場ではどうなったいたのか未だにわからないが、舞台上では響きがスーっと上に昇っているように感じた。指揮者からは各パートの声はよくきこえたが、トップテナーとベースとではあまりお互いの声が聞こえなかったということだった・・・つまりは“歌いにくかった”と。
最後までこの課題曲をどのように演奏すればいいのか、自分にはわからなかった。言葉遊び、リズム・・・もっといろんな要素を取り入れることによって、よりジャズっぽい曲に仕上げるべきだったのかもしれない。少しまったりしすぎたように思う。
自由曲は、ただ今の自分の心境をそのまま歌として表現することのみに徹した。おそらくピアニストもメンバーもそうだったのではないだろうか。今年一年は本当にいろんなことがあった。自分の家族が亡くなったことだけで悲しんでいられないようなたくさんのこと・・・そんな時もいつもこの「くちびるに歌を」という曲がそばにあって、歌うたびに“頑張らない!”・・・と自分を励まし、仲間を励ましてきたつもりである。この曲を自由曲に選んだことは、まぎれもなく必然であったと感じている。
演奏が終わった後の、会場の拍手は本当に暖かかった。この舞台に立つことができて心からよかったと思えた瞬間だった。「これからもがんばって生きていきます、どうかみなさんも健やかに。」という気持ちで、お辞儀をさせてもらったつもりである。舞台を降りると、そこには四国の仲間たちが出待ちしてくれていた。まだコンクールは終わっていないのに・・・本当にありがたかった。気持ちの通じ合っている仲間をみるとお互い自然に涙があふれてくる。「なんで、そっち泣くんだよ!」とツッコミを入れたかったが、顔がぐちゃぐちゃで、到底できなかった。
今回は不思議なことに、いろんな人から「よかったよ」「上手かったよ」とはあまり言われず、「ホンマありがとう」「ありがとうございました」と声をかけてもらった。もちろん、上手くなかったから「上手かったよ」とは言えないのだろうけど、「ありがとう」という言葉には本当にいろんな意味が込められているよ うな気がした。おそらく自分たちと同じような立場で、同じような気持ちで生きている人たちには、素直に心の中に入っていくことができたのかなぁ〜と、思っている。もしそうであれば、コンクールの審査以上に意義深いことだったのではないかと、ちょっと嬉しくも思う。
審査結果は、今年も「銅賞」だった。自分たちは「力を出しきった」「歌いきった」と思っていても、やはり審査員または会場には「そうではない」と思う人も少なくなかったということであろう。やはり合唱としての完成度はまだまだなんだろう。スキルをもっと磨くことによって、より多くの人たちに感動が与えることができるはずである。もし「響」の演奏がコンクール向けの演奏でなかったとしても、一人でも多くの人たちによろこんでもらえるような演奏をするためには、やはり練習してレベルを上げることは大事なのではないかと信じている。同じ曲 を歌った「お江戸コラリアーず」は「金賞」だった。やはり完成度がちがうのであろう。でもこれをきっかけに彼らとはより親密になれたような気がする。またひとつ仲間を増やすことができた。信長先生には心から感謝している。
自分たちの演奏をいろんな地域の人たちに聞いてほしいのももちろんだが、全国のいろんな人たちと交流し、自分の心がもっと豊かにして、人生を楽しめる気持ちを常に持って生きていきたい・・・そんな気持ちにさせてくれた今回の全国大 会であった。
−2010年12月12日更新− |